godless

Last-modified: 2021-09-11 (土) 21:35:01
359 名前: godless --- D(1/4) 投稿日: 2004/02/19(木) 21:52 [ 2JUaP4NY ]
NG博愛主義02

 でぃは神など信じない。

 神が創造したと考えるには、
 この世界はあまりに醜悪だったから。

360 名前: godless --- D(2/4) 投稿日: 2004/02/19(木) 21:53 [ 2JUaP4NY ]
NG博愛主義02

 三つ目のゴミ箱で、でぃはピザの箱を見つけた。
 それは、ただのピザの箱ではない。ほとんど手つかずの一切れが、
ティッシュに包まれて入っていたのだ。
「アウ・・・」
 屋外で落としたのであろうそのピザは、砂と土埃にまみれていた。
恵まれている者には生ゴミでしかないそれは、しかし、でぃにとって
はこの上ないごちそうだった。張り付いたティッシュも剥がさずに、
彼女はそれを口に入れようとする。
「マチナサイ」
 背後からかかった可愛らしい声に、でぃは動きを止めた。ピザを
迎え入れるために開いた口のまま、声の主に振り返る。
 片手に棒きれを持ったしぃが、口を笑みの形に結んで立っていた。
そのピザはでぃにはもったいないから、自分がもらってやろうと、
彼女は言う。
 でぃは口を閉じ、後数センチで自分の口に入っていたはずの食料を
しぃに差し出した。
 もちろん彼女は、せっかく見つけた食料を手放したくはなかった
けれど、逆らう事など出来るはずはなかった。

 この世界のルールは単純だ。強い者は弱い者に対して好きにすれば
いい。
 加虐者を頂点としたピラミッドの中で、しぃ族の位置は決して高く
はなかったけれど、それでも、最下層のでぃ族よりは上だったという
だけだ。

 でぃはピザを渡すと、しぃに背を向けて歩き始めた。
 未練がましく頼んだところで食料を分けてもらえるはずはないし、
それなら、さっさと次のゴミ箱に向かった方が有益だ。
 突然、でぃの右側頭部を衝撃が襲った。
 でぃは左肩からアスファルトに倒れ込んだ。くらくらする頭で、
何が起きたのか考える。
(殴られた?)
 じわりと、毛皮の下に熱が生まれる。
「オソイ」
 ひどく楽しげに、しぃが言った。
 自分は遅かっただろうか、とでぃは考える。しぃに比べれば、種族
的な鈍さはあるだろうけれど、反抗の意志を見いだされる程手間取った
つもりはない。
「アンタ ナマイキ」
 今度は背中を殴られた。肺の空気が強制的に押し出される。
 自分の動作は関係なかったのだと、彼女は気付いた。このしぃは
誰かを殴りたい気分だったという、それだけの事だ。理由は後から
ついてくる。
 打撃と一緒に、でぃを貶める言葉が振ってきた。

 お前は醜い。触れることすら躊躇うほどに。
 自分のせいではないのにと、でぃは思う。酸に焼かれたような
毛皮も、濁ったような灰色の目も、片方しかない耳も、全て生まれた
時からの種族の特徴だ。

 声を出すな。お前の声は耳に障る。
 殴るのを止めてくれれば、もう悲鳴など上げないのに。

 お前がいると世界が穢れる。だから、
 私もこの世界が嫌いだ。だから、

「シンジャエ」
(殺して)
 棒切れがでぃの左足首に当たった。
 電気を流されたような――と言っても、実際にはでぃはそんな経験
はなかったのだが――痛みとしびれが彼女を襲った。
 彼女の体は、それ以上の苦痛を拒否した。急速に、意識が遠のいて
いく。
「やめてやれよ」
 ぼんやりした頭で聞いた声は、幻聴に違いなかった。

361 名前: godless --- D(3/4) 投稿日: 2004/02/19(木) 21:54 [ 2JUaP4NY ]
NG博愛主義02

 空から落ちてきた雨粒に毛皮を叩かれて、でぃは目を開けた。
視界に入るのはさっきと同じ裏路地で、全身が痛む。残念なことに、
彼女は未だにこの、苦痛に満ちた世界に留まっているらしかった。
 打ち身に響かない程度の小さな溜息を、でぃは吐き出した。
 まだ生きているなら、少なくとも雨のしのげる寝床を探さなければ
ならない。欲を言えば、怪我が落ち着くまでの2~3日を過ごせる
ような、安全な場所が必要だった。
「ヤメテヨ」
 泣き声が、でぃの耳に届いた。
 そろりとそちらに首を回すと、先ほど自分を殴っていたしぃが、
仰向けに寝かされていた。その細い胴の上にモララーが座り、彼女の
手首を掴んでいる。
「止めない」
 ぶつりと、彼は彼女の指を引きちぎった。
 一際大きな叫び声を上げ、しぃは掴まれていない方の手でモララー
の腕に爪を立てた。
「……だから、痛くもなんともねぇって言ってるだろ?」
 でぃがしぃに勝てないように、しぃはモララーには勝てない。
それでもなお、追いつめられた彼女はもがいていた。
「ひっかく、ってのは、こう」
 モララーは手本を見せる教師のような口調で言って、しぃの肩に
爪を立てた。そのまま、華奢な二の腕の中程まで傷を開く。
「分かった?」
 分かったも何も、しぃに足りない物は技術ではなく力なのだから、
教えられてどうにかなる物ではなかった。
 濡れた指先を一振りして血を払い、モララーは再びしぃの指を
ちぎり始めた。

 でぃの右手には中指がない。これは生来の物ではなく、虐待された
時の傷が元で、膿んで落ちたのだ。彼女はまだ、その時の痛みと恐怖
を覚えていた。だから、彼女は立とうとした。
 その瞬間、これほどの痛みという物が存在したのかと、一種感心
するほどの激痛が左足に生じた。後で知った事だが、でぃの左足首は
この時にはもう砕けていたらしい。
 物音にモララーがでぃの方を向いたが、うずくまって震える彼女
には興味を持たなかったらしく、すぐにしぃの方に向き直った。
「じゃあ、今度はこっちの手。……親指から? 小指から?」
「イヤ、ユルシテ。ダッコ スルカラ」
「脱骨? お前、マニアックだな」
 モララーは笑って、彼女の人差し指を付け根で折った。指先の肉を
爪で裂き、中の骨を引っぱり出す。
 悲鳴と嗚咽に混じって、しぃは何度も「違う」と叫んだ。モララー
はその言葉を理解したようだったけれど、分からないふりをした。
「血が? ああ、洗濯すれば落ちるから気にするな」
 どこか演技めいた声音でそう言って、しぃの指をつまむ。大して力
は入ってなさそうなのに、しぃはひどく痛がった。骨から剥がれた
ばかりの組織が、中でこすれ合うのだろう。
 モララーはしぃの指を手の平で包むように握って、力を入れたり
弱めたりを繰り返した。そのたびに、骨の抜けた部分にたまった血が
吹き出し、悪趣味な水鉄砲のようだった。
「次はどの指?」
 モララーはしばらく返事を待ったが、しぃはどの指を切って欲しい
のかを答えない。
「・・・ドウセ シィノコト コロスンデショ」
「全部要らないのか」
 彼はしぃの腕と手の平をそれぞれ掴んだ。じわじわとひねりを
加える。手首をねじ切ろうというモララーの意図に、しぃは涙を
こぼして制止した。
「ヤメテ。イヤ。オテテ トレチャウ」
「だって、要らないんだろ? だったら」
 モララーは言葉を切り、違和感の生じた足元に目を下ろした。

362 名前: godless --- D(4/4) 投稿日: 2004/02/19(木) 21:54 [ 2JUaP4NY ]
NG博愛主義02

 腕の力で這いずってきたでぃが、彼の足を掴んでいた。
「……何?」
「・・・メテ。ヤメ・・・テ」
「はぁ?」
 モララーがしぃの手を放したので、でぃは落ちている指を拾って
しぃに差し出した。
 しぃは自身の指を奪い取り、傷口に押し当てた。しぃ達の再生力
は強く、条件が良ければ着くこともあり得る。しかし。
「・・・クッツカナイ、トレチャウヨ」
 鋭利な刃物で切られた傷ならともかく、力任せにちぎられた荒れた
断面では、上手くいくはずがなかった。
 でぃが早く拾わなかったせいだと、しぃは責め立てる。
「アウ・・・ゴメン」
「この子は悪く・な・い・だ・ろ?」
 モララーが言葉に合わせて、しぃの肩の傷を握った。力が加わる
たびに苦痛の悲鳴があがる。
 でぃは彼の膝に縋り、止めてくれるように懇願した。
 彼は、実に意外そうな顔で、でぃの目を覗き込んでくる。
「何で? お前、こいつに殴られてたじゃねぇか」
 しぃが虐げられているのを見るのは嬉しいはずだと、彼は言う。
「ウレ、シイ?」
 これは嬉しいという感情なのだろうかと、でぃは考えた。

 嬉しいというのは、多分、ゴミ箱で食料が見つかった時の気持ち
だ。安全な寝床を見つけた時の気持ちだ。
「ウレシ・・・ナイヨ」
 これは、多分、悲しいという感情だ。
 泣いているAAを見ていると、自分まで悲しくなってくる。モララー
は、そんな事を感じたりしないのだろうか。
「カワリ・・・ワタシ、コロセバ イイ」
 彼が誰かを殺したいと思うのなら、その相手は自分にすればいいの
だ。しぃは死ぬ事を嫌がっているようだし、自分は生に未練などない
のだから。
「お前、変な奴だな」
 モララーはしぃの腹から下りた。
 しぃが慌てて逃げ出していく。
 でぃは目を閉じた。

 自分はこれから、しぃのように指をちぎられるのかもしれない。
耳をもがれたり、皮を剥がされたりするのかもしれない。
 けれど、脆弱なでぃ族はしぃ族ほど長くは保たないだろう。
 彼はすぐに、でぃの苦痛を終わらせてくれるに違いないのだ。

 でぃの脇腹に、モララーの両手がかかった。覚悟した事ではあった
が、さすがに恐怖が体を揺らす。
 でぃの体はそのまま持ち上げられ、モララーの肩の上に、うつぶせ
に乗せられた。腰と両膝を押さえられ、父親に運ばれる子供のような
姿勢に納まる。
 そして彼は、そのまま歩き出した。
 裏路地を出て、でぃが歩いたことなどない大通りに連れ出される。
「・・・ナ、ナニスル?」
 予想外の状況に、でぃは不安に耐え切れず質問した。
「保護」
 その瞬間、無表情なでぃ族の顔に、確かに驚愕が浮かんでいた。

530 名前: godless --- C(1/10) 投稿日: 2004/03/19(金) 20:42 [ SU9alSp6 ]
NG博愛主義02
(関連 >>359-362)


 しぃは神に祈る。

 神に愛されていなければ、
 この厳しい世界で生き残ることはできないから。

531 名前: godless --- C(2/10) 投稿日: 2004/03/19(金) 20:43 [ SU9alSp6 ]
NG博愛主義02


 どうしても食料は見つからなかった。

 だからしぃは、危険を承知で大通りのゴミ箱をあさりに行く事に
決めた。
「マターリノカミサマ、シィヲ オマモリ クダサイ」
「マタシャマ、チィノ オネタンヲ オマモー クダシャイ」
 しぃの加護を求める祈りを、妹がたどたどしく真似る。
 裏路地に隠れているように言い聞かせると、彼女は不安げにしぃを
見上げた。
「ダイジョウブ」
 しぃは精一杯笑ってみせた。
 きっと神様は自分を守ってくれる。だって、妹もお祈りしてくれた
のだから。
「オイシイモノ モッテカエル カラネ」
「・・・ウン」
 このちびしぃは、しぃの唯一の肉親だった。他にも沢山姉や妹は
いたけれど、もう死んだか行方知れずかのどちらかだった。彼女達は
きっと信仰が足りなかったのだ。

532 名前: godless --- C(3/10) 投稿日: 2004/03/19(金) 20:43 [ SU9alSp6 ]
NG博愛主義02


 大通りには誰もいなかった。
 大型連休二日目の早朝とくれば、人が多い方がおかしいのだが、
そんなことを知らないしぃは、神の加護に感謝した。
 しぃはゴミ箱に上半身をつっこんで、食べられそうな物を片っ端
から腕の中に抱え込んだ。
「おい」
「ハニャ!」
 全角の呼びかけに、彼女は慌ててゴミ箱から体を抜いた。
 道の向こうにいたのはモララーだった。半透明の買い物袋を下げ、
同じような袋を持ったでぃを連れている。
「……ゴミが落ちた。だからゴミ虫は嫌いなんだ」
 不快そうにそう言い捨て、彼は無人の車道を横切ってくる。
(逃げなきゃ)
 心の中で神に救いを求めながら、しぃは走り出した。荷物は邪魔
だが、捨てるわけにはいかない。これがなければ、自分と妹は確実
に飢えるのだ。
「誰が行っていいって言った?」
 彼の声は、予想以上に早く自分の隣にきた。無遠慮に尻尾を引かれ、
しぃは歩道に転ぶ。貴重な食料達が景気良く散らばった。
「イタ・・・」
 悠長に苦しんでいる暇はない。ぶちまけてしまった食料は諦めて、
手の中に残ったおにぎりだけでも持ち帰らなくては。
 起きあがって走ろうとする。バランスを崩して、また転んだ。
 モララーが、しぃの尻尾を足で踏みつけていたのだ。
(何てことするのよ!)
 彼は尻尾のことを、アクセサリーか何かのような血の通っていない
物とでも思っているのだろうか?

 しぃは手で尻尾を引っ張ったが、取り戻せそうにはなかった。
「ハナシテヨ!」
「やだね」
 モララーがしぃの腕を掴んだ。そのまま握り潰そうというかの
ような、ものすごい力だ。
「イタッ イタイ!」
 しぃが叫ぶと、彼は口の両端を吊り上げた。何の感情も浮かんで
いない目がアンバランスな、狂気めいた笑みだった。
 しぃは息を呑んで硬直した。
(恐い)
 自分が殺されるのかもしれないと本気で怯えたのは、その時が
初めてだった。彼を止められる物など何もない、そう直感する。

 しかし、彼は静止した。

「ダメ・・・アウ」
 車道の向こうからかかった、その、あろうことか半角の呼びかけに
彼は止まったのだ。
「……しかたないな」
 狂気は消え、モララーの表情は別人のように穏やかな物に変わる。
彼は微笑みすら浮かべてみせた。
「でぃがそうして欲しいんなら、いいよ」
 しぃは呆然とモララーを見上げた。彼はしぃの胸元の毛皮を掴んで
引きずり立たせた。
「このへん掃除しとけよ」
 それだけ言って、でぃの方に戻っていく。

 こちらに来ようと車道に出ていたでぃを叱り、彼は彼女から荷物を
奪って歩き始めた。でぃは自分が持つと言っているが、モララーは、
彼女が車道に出た罰だと言ってゆずらない。
 どうして荷物を奪い合っているのか、しぃには分からなかった。
もしかすると、荷物を持ち帰った方が中身を食べて良いことになって
いるのかもしれない。
 やけにゆっくり歩くモララーを追って、そのでぃは左足を引きずり
ながら角を曲がって行った。
(……食べ物、持って帰らなきゃ)
 しぃはちらばった残飯を集め始めた。
 他人の事情より、今は自分達の食料が大切だった。

533 名前: godless --- C(4/10) 投稿日: 2004/03/19(金) 20:44 [ SU9alSp6 ]
NG博愛主義02


 ここのところ、しぃ達は比較的食料に恵まれていた。
 大通りでの収穫が大きかったこともあるし、ちびギコのテリトリー
を一つ奪えたことも幸運だった。
「オネタン シル」
 ゴミ箱の中から、妹が嬉しそうに這い出してきた。
「ホントダ」
 コンビニおでんのパッケージに、こぼれきらなかった煮汁がいくら
か残っていたのだ。
「マターリノカミサマ、キョウモ ゴハンヲ アリガトウ ゴザイマス」
「マタシャマ キョーモ ゴハン アリガト ゴジャーマシュ」
 姉妹は食事への感謝をお祈りして、一口ずつ交互に汁をすすり始めた。

「……そんな物、美味いのか?」
 声は、随分高い所から振ってきた。
 廃屋の屋根を見上げると、モララーがあきれた様子でこちらを
見下ろしていた。
「オネタン」
 怯えたちびしぃが、しぃに抱きついてくる。
 妹を後ろに庇い、彼女は彼を睨み返した。
 モララーは恵まれた種族だ。多分、食料に苦労したことなどない
だろう。そんな彼に、自分たちの糧を馬鹿にして欲しくなどなかった。
「・・・ドウデモイイデショ」
(どうしよう? ちびがいるけど、逃げられる?)
 彼女は、妹を置いて即座に逃げるべきだった。
 実際、そのモララーの事を全く知らなければ、しぃはそうした
だろう。けれど彼女は、数日前に大通りで彼から見逃されていた。
 あれは自分をからかっただけで、もしかすると、彼は寛容なAA
なのかもしれない。そう、2chの良心たる原種のモララー。
「どうでもいいけど? ……それはともかく、こんにちは」
 彼はにこりと笑った。
 しぃは引きつった顔を無理に笑み崩した。
 声にありったけの媚びを含ませて応える。
「コ、コンニチハ」
「・・・コニーチワ」
 おどおどと両者を見比べながら、妹がしぃを真似た。
「そして死ね」
 彼は廃屋の屋根から飛び降りた。

534 名前: godless --- C(5/10) 投稿日: 2004/03/19(金) 20:44 [ SU9alSp6 ]
NG博愛主義02


 状況が飲み込めないでいる内に、ちびしぃが引き剥がされた。
「オネタン!」
 信用などしていなかった分、妹の方が理解が早かった。モララーが
敵だと気付き、彼の手から逃れようと激しく暴れる。
「お前のガキ?」
「チガウ イモウト。カエシテ、オナガイ」
 この期に及んで、しぃはまだ希望を捨てきっていなかった。
 だって、この間は見逃してくれたじゃないか。このモララーは、
でぃなんかの言葉を聞いていたじゃないか。誰からも愛されない
ように生まれついた、醜い種族の言うことを。
「どうして返さなきゃならない? 理由は? 納得できたら、返して
やってもいい」
 彼はまた、あの笑いを浮かべた。口元だけ吊り上げた、狂気を
含んだ笑いを。
「ダッテ・・・」
 しぃは一生懸命考えた。
 どんな答えなら、彼は納得するだろう。
(マターリの神様、しぃ達をお守り下さい)
「ソノコハ ダイジナノ」
 ちびしぃは自分にとって唯一の家族だと、しぃは訴えた。自分の
子供ではないけれど、それと同じくらい大切な存在なのだ。だから
返して欲しいと頼んだ。
「なるほど」
 相槌を打ちながら聞いてモララーは、最後に大きく一度頷いた。
彼は納得してくれたのだ、そう考えたしぃが安堵の微笑みを浮かべる。
「それは、俺とはまったく関係ない事情だな」
 けれど彼は、迷う様子すらなく、ちびしぃをアスファルトに叩き
つけた。幼い妹はカエルが鳴くような変な声を上げて、そのまま
ぐったりと脱力した。首が、おかしな方向に曲がっている。
「イヤァ!」
 しぃは叫び、妹の側に走り寄った。けれど、彼女に触れるよりも
先にモララーの足がしぃの腹を蹴る。
 蹴り飛ばされて、しぃはざらついた路地の上に転がった。
 腹を抱える。
 蹴られた場所が、沸き立つように熱い。
「イタ・・・」
 呼吸の振動が痛みを招き、しぃはじっと息を止めた。
(……音)
 ひゅうひゅうと、すきま風のような音が聞こえてくる。
(まさか……)
 痛みに耐えて、しぃは顔を上げた。

 妹はまだ生きていた。
 大きく見開かれた目が、混乱したようにきょろきょろと動いている。
もしかしたら、脊椎を損傷した事に気が付かず、どうして自分が動け
ないのか不思議に思っているのかもしれない。
 しぃが見ている事に気付き、妹の視線はまっすぐにこちらを向いた。
『オネタン』
 もう声を出せないらしい彼女は、口の動きだけで姉を呼んだ。
 しぃはふらふらと立ち上がった。不思議な事に、その時の彼女は
ほとんど痛みを感じていなかった。あるいは、怪我をした妹の目という
ものは、姉の体に麻酔をかけてくれるのかもしれない。
『マタシャマハ』
 彼女がなんと続けたかったのか、しぃには分からない。

535 名前: godless --- C(6/10) 投稿日: 2004/03/19(金) 20:45 [ SU9alSp6 ]
NG博愛主義02


 全身の力が抜けて、しぃはぺたんと座りこんだ。
 腹の痛みが戻ってきたが、彼女はもう気にならなかった。今感じて
いる心の痛みに比べれば、腹部の打撲なんて擦り傷ほどの深さもない。
 涙に揺らぐ視界の中で、モララーがちびしぃの体を踏んでいた。
 ……違う。
 彼は、靴底に付いた血と脳漿を、妹の毛皮で拭っているのだ。
 首が折れたらさっさと死ねよ。彼はそう吐き捨てて、こちらを
向いた。
「ゴミ虫って、本当にしぶといよな」
 同調を求めるような声音に、しぃの心が苛立つ。彼は、そうだね、
と返ってくるとでも思っているのだろうか?
「・・・ナンデ? ナンデ、コンナコト スルノヨ」
(神様。妹は何か罪を犯しましたか? あの子は毎日欠かさずお祈り
をしていました。あなたの事だけを信じて生きていました。神様、
どうしてあの子を救って下さらなかったのですか?)
「何で、って? お前らはゴミ虫だろ」
 それで理由は充分だと、彼はそう言いたげだ。
 しぃは、マターリの神から見捨てられた。

536 名前: godless --- M(7/10) 投稿日: 2004/03/19(金) 20:45 [ SU9alSp6 ]
NG博愛主義02

 モララーは神など認めない。

 本人の努力が結果をだすのであって、
 そこに神を持ち出すのは怠慢でしかないからだ。

537 名前: godless --- M(8/10) 投稿日: 2004/03/19(金) 20:46 [ SU9alSp6 ]
NG博愛主義02


「アアアアアアアアアアアア!!」
 しぃが全角で叫んだ。
 遠くまで届きやすい全角は、通常、被虐者達は使おうとしない。
悲鳴を聞いて助けにくる同胞がいるわけはないし、他の加虐者の
注意を引く事になりかねない。
 彼女は真実絶望したのだ。
 絶叫が終わると、しぃは唐突に笑い始めた。首を左右に振りながら、
けらけらと明るい声で笑っている。
 笑いながら、頭や耳に両手の爪を立てて、がりがり自傷を始めた。
「何やってんだ?」
 モララーがたずねたが、しぃは返事をしない。ただ笑いながら、
彼女自身の柔らかな耳朶を引き裂いている。
 モララーはしぃの前にしゃがみ込んだ。無防備なノドを爪で切り
裂く。暖かな血が、モララーの手を赤く染めた。
 刻まれた傷は命を奪うのに十分な深さだったが、彼女はちらとも
反応しない。
「……楽しそうだな」
 どくどくと鼓動に合わせて血を流しながら、それでも笑う彼女は
ひどく幸福そうに見えた。モララーは何だか腹が立ってくる。
「俺は、あんまり楽しくねぇ」
 抗議してみたが、黙殺された。
 彼を楽しませてくれるつもりは、彼女にはないらしい。
「笑うな」
 苛立ちを隠そうともせず、彼は言った。

 もはやしぃはここにはいなかった。その澄んだ目が見つめている
のは深淵であり、ぼろぼろの耳は何も聞いていない。
「笑うんじゃねぇ」
 モララーはしぃの二の腕を掴んで、肩で引きちぎった。弾ける
ように鮮血が吹き出す。
 けれど、その程度の刺激では、彼女をここに引きずり戻すのに
足りるはずがなかった。
 モララーは舌打ちして、しぃの首に手をかけた。仰向けに彼女を
押し倒す。アスファルトにぶつかった後頭部は、実に良い音を立てた。
 気管を圧迫すると、笑う声は止んだ。けれど彼女の口は、小刻み
に音無く笑い続けている。
 思ったように上手くいかなくて、彼はとても不愉快だった。
「……笑うな!」
 モララーは両手に体重をかけた。ノドが潰れても構わないとばかり
に力を加えると、さすがにしぃの様子が変わった。壊れた腹話術
人形のようにぱっくり口を開いて、眼球が飛び出すのではないかと
いうほど目を開く。つうっと、鼻から血が流れた。
 モララーの顔から苛立ちが消えた。小さく息をはき、口元に薄い
笑みが戻る。
 そのまま圧迫を続けると、酸素の足りなくなった彼女の体は大きく
痙攣した。びくりびくりと跳ねる体を押さえつけ、モララーは手を
緩めずに、彼女の状態を見守る。
 やがて、だらりと舌を出して、彼女は動かなくなった。
 モララーはゆっくり手を離した。しぃが息を吹き返しそうな気配
は感じられなかったが、念のため、頭部に足を乗せる。
 玉子の殻を握り潰すのに似た感触が、足の下に残った。

538 名前: godless --- M(9/10) 投稿日: 2004/03/19(金) 20:46 [ SU9alSp6 ]
NG博愛主義02


 モララーは空を見上げた。
 昼を少し過ぎたばかりの明るい青空に、雲がふわふわ流れている。

 彼は、自分の心に澱のように沈んでいた汚い物が溶け去ってしまう
ような気がした。それは攻撃性であり、誰かに理不尽を押しつけて
しまいたくなるようなイライラした気持ちだった。
 モララーは優しい目でしぃ達の死体を見下ろした。彼女達を哀れ
だと思う。もし生き返らせる事ができるなら、謝って、暖かな食事と
住居を恵んでやりたいと思う。
 彼は自分が綺麗なAAに戻ったと確信した。何かを傷つけたいとは
思わないし、むしろ全てのAAに優しくしてやりたい気分なのだ。
 週末の狩りはモララーを清めてくれる儀式だった。

 モララーはしぃ達の死体をゴミ箱に埋葬した。彼女たちの最後の
食事となったコンビニおでんの容器を拾い、それを副葬する。
「……たまごおでん、買って帰るか」
 それは、でぃの一番好きな具材だ。
 最初に急いで食べてしまうので、てっきり嫌いだと思っていたの
だが、どうやら彼女は、好きな物は一番に食べる主義らしい。最後に
とっておいたら、誰かに奪われてしまうかもしれない。そういう生活
で身に付いた習慣だと知ったときには、彼は彼女を可哀想だと思った。
 モララーは、でぃの笑顔を知らない。笑ってくれそうなタイミング
でも、彼女の顔は無表情に固まったままだ。それはきっと、厳しい
生活がでぃに笑う事を教えなかったせいだと、モララーは思う。
 それでも彼は、彼女はいつか笑ってくれると信じていた。だって
モララーは努力をしているのだ。彼女が悲しむ事はなるべくやらない
ようにしているし、喜んでくれそうな物を贈っている。

 初めて会ったとき、でぃはしぃに虐待されていた。それは、この世界
では珍しい光景ではない。
 昏倒したでぃから引き剥がし、モララーはしぃを虐待した。それも、
この世界にはありふれた光景だ。
 お前はでぃを虐待した、自分はその罪を罰しなければならない。それ
は心にもない叱責だったけれど、真に受けたしぃはひどく狼狽した。
そしてモララーが虐待を始めても、しぃは謝罪を繰り返した。鬼も、
悪魔も、虐殺厨も、モララーがいつも聞いている言葉は一つも出て
こなかった。向けられて当然の言葉でも、聞くのが嬉しいわけではない。
正義を背負って暴力を行使できるのは、最上の娯楽だった。
 しぃの謝罪には何の悔恨も含まれていなかった。彼女はただ、この場
を逃れるためだけに「ごめんなさい」を繰り返していた。その言葉は、
モララーの「やめてやれよ」とよく似た響きを持っていた。彼は少しも
でぃに同情していなかったのだから。
 その場で唯一正直だったのは、でぃの制止の声だ。それは、この世界
では希有な光景だった。
 自分を虐げた者の命を、彼女は本気で助けようとした。この世界に
似つかわしくないほど、でぃは優しかったのだ。

 そんな優しいAAは幸福でいるべきだと、モララーは思った。
 一度そう思ったら、でぃを置いていくわけにはいかない。自分が幸福
にしてやらなければならないのだ。
 彼女の幸せを神に任せて立ち去るなど、モララーにできるはずが
なかった。それは、神を信じない彼にとっては見捨てることと同義だ。

539 名前: godless --- M(10/10) 投稿日: 2004/03/19(金) 20:47 [ SU9alSp6 ]
NG博愛主義02


「たまご……十個もあれば、まあなんとか」
 カップ一つの中身が全部たまごなら、でぃも落ち着いて食べられる
かもしれない。好きな物をゆっくり味わって食べる幸せを、彼女に
教えなければならない。
 たまごで一杯のおでんカップを見せたら、でぃはきっと、おたおた
と視線をさまよわせるだろう。食べてもいいのかと、聞くことも
できずにうろたえるのだ。彼女は、奪われる事には慣れていても、
与えられる事にはなれていない。「でぃの物だよ」モララーがそう
言うまで、じっと大人しく待っているだろう。

 モララーは携帯電話の短縮で自宅に繋いだ。
 でぃはすぐには出てこなかったが、モララーは焦らなかった。時間が
かかるのはいつものことだ。彼女は動作の鈍い種族だったし、片足に
障害を負っているのだから。

 10回目のコールを過ぎても、でぃは出ない。

 20回目のコールを過ぎても、でぃは出ない。



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