hunter in the box

Last-modified: 2020-10-04 (日) 00:37:57
129 名前: hunter in the box(1/25) 投稿日: 2003/12/05(金) 23:41 [ LrPspEKY ]
(関連 >>103-114)

 狩り慣れしていないのか、その殺気はあからさまだった。

130 名前: hunter in the box(2/25) 投稿日: 2003/12/05(金) 23:41 [ LrPspEKY ]
 反射的に気配を消したギコは、足音を立てないように注意して、
殺気の方向に歩み寄った。
 伸び放題の生け垣の陰から様子をうかがう。

 狙われていたらしい小鳥は、もう空の高くを飛んでいた。
「アァ・・・」
 チビギコはがっくりと肩を落として座りこんでいる。
「モウヒトイキ ダッタゾ、コゾウ」
「オシカッタネ」
 レコと片耳のないしぃが、彼に慰めの言葉をかけた。
(どこがもう一息だ)
 ギコは内心ツッコミを入れた。
 狩りの現場は見ていないが、あれだけの殺気を向けられて、獲物
が気付かないはずはない。
 加虐種ならば、その卓越した身体能力で押し切ることも可能だが、
被虐種が狩りをする場合には、最低限、殺気を押さえる技術が必要
だった。
(さて……)
 いつもなら、さっさと出ていって足の腱でも切って連れ帰るのだが
今は、モララーの事を知らないか問い詰める必要がある。

 チビギコは立ち上がり、両手に付いた土埃を払った。
 しぃ達が、今は肉が沢山あるのだから気にするな、とフォローして
いる。
 食料に余裕があるのは結構な事だ。
 限りなくゼロに近いとはいえ、彼らがモララーの事を捕まえている
可能性があり、その場合、余剰があるならモララーにも食事が出て
いるだろう。
(あいつ、腹減らしてねぇといいけど)
 もしも彼らが、食事も与えずにモララーを監禁していたら……。
(……餓死だな。手足の腱切って、動けなくして。楽には死なせ
ねぇぞ)
 関わった被虐者全員を一つの部屋に閉じこめる。
 モララーに直接危害を加えなかった者は、口を縫い止めてやろう。
水分をとれない彼らはすぐに死に、部屋の中で腐り始めるはずだ。
 首謀者やモララーを殴ったりした者には、水を与えよう。絶える
ことのない空腹と、仲間達の腐る匂いの中で、彼らはじわじわと
弱っていくのだ。
 想像するとひどく愉快で、ギコは薄い笑みを浮かべた。

131 名前: hunter in the box(3/25) 投稿日: 2003/12/05(金) 23:42 [ LrPspEKY ]
 被虐者達は、狩りを切り上げてすみかに帰ることにしたようだ。
(襲うか? ……いや、気付かれてからでも遅くねぇ)
 この被虐者達には、まだ仲間がいるかもしれない。情報源は多いに
越したことはなかった。
 とりあえず尾行、ばれたら捕獲、死なない程度に虐待、後に尋問。
(OK)
 計画に穴はなかった。
 帰路についた被虐者達を追って、ギコはそろりと生け垣の陰から
抜け出した。

 ギコはあまり尾行が得意ではなかった。
 彼は短気な性格だったので、被虐者を見たら、ひとまず刀を抜いて
しまうのだ。
(砂利道なんか行くんじゃねぇぞ)
 尾行が上手いのはモララーだった。
 彼はどんな場所でもほとんど物音を立てずに――そのわずかな音も
相手の音にまぎれさせて――被虐者を追いかけていくのだ。
 住居に押し入った時の、安堵が絶望に変わる瞬間がたまらないのだ
と、彼は言う。
(今、あいつがいたらなぁ。……いや、そもそもモララーがいたら、
こんなまどろっこしいマネしなくて済むんじゃねぇか)
 ギコは少し冷静さを欠いているようだった。

 幸い、彼らは舗装道路を通ってすみかに帰った。
 隠れる場所の多い住宅街では、ギコの稚拙な尾行でも通用した。
(……古い家だな、おい)
 時代遅れの町並みの中にあってなお、その家は異質だった。
 それは、随分旧式の木造家屋だった。
 さすがに茅葺き屋根ということはなかったが、戸や窓枠は全て木製
で、テレビでしか見たことのなかった縁側がついている。大きな平屋
と広い庭は、庄屋だとか名主だとか、もはや存在しない役職を連想
させた。

132 名前: hunter in the box(4/25) 投稿日: 2003/12/05(金) 23:43 [ LrPspEKY ]
 被虐者達のすみかから少し離れて、ギコはトランシーバーの電源を
入れようとした。
(あ……入りっぱなしじゃねぇか)
 いつもは自分の方で用事がない限り電源を入れないので、切らなけ
ればならない事を思い出さなかった。
 尾行途中にモナーから連絡が入っていたなら、ここを突き止める
事は不可能になっていたかもしれない。
「ゴルァ」
 ギコは自身を叱責した。
 連絡を入れると、モナーはまだ手がかりも見つけていないようだ
った。
 ギコはこちらの状況を伝えた。これから被虐者達のすみかを襲撃
するのだが、モララーを盾にでもされたら、被虐者を殺さずにすむ
かどうか自信がない。
 獲物を連れ帰らなくてもいいと、モナーが答えたので、ギコは
ほっとして電源を切った。

 不用心なことに、裏口には鍵がかかっていなかった。
 全く警戒していないらしく、被虐者達の会話する声から部屋はすぐ
に特定できた。
 ギコはふすまに近寄り、薄目になって聴覚に集中する。
(声は三つ。こっち寄りにいるのはしぃだな。向こう側にチビギコと
レコ……すぐ庭だから、上手く捕まえねぇと逃げられる)
 彼らの会話の中に、モララーに関する情報はなかった。
(……ハズレか?)
 捕まえているのが彼らだとすれば、ギコ達に提示する条件の話し
合いくらいしているだろう。それは多分、モララーを解放するから
もう町にこないでくれとか、そういった類の話だ。
 しかし彼らの話している事といったら、肉の保存を乾燥にするのか
薫製にするのかという、いたって平和な内容だった。
(冷凍庫にでも入れとけよ)
 それがどんなに贅沢な選択肢なのか、加虐者は知らない。

133 名前: hunter in the box(5/25) 投稿日: 2003/12/05(金) 23:43 [ LrPspEKY ]
 やがて話題は移り、そろそろ彼らの仲間のチビフサ種が帰って
くるだろうとの事だった。
(増えたらやっかいだな)
 ギコは行動を起こすことにした。
 計画を立てる。
 ふすまを開ける、しぃを押さえる、レコとチビギコに動かないよう
に命令する、全員縛る、帰ってきた仲間も捕らえる、モララーの居る
場所か、知らなければ、知っていそうな被虐者のいる場所を、心ゆく
までじっくり問い詰める。
(……いけるな)
 ギコは計画を三度見直しして、短刀を抜いた。
 モナーから借りた――というより押しつけられた――小銃もあった
が、こんな大事な場面で慣れない武器を使う気にはなれなかった。

 モララーの事が気になって、ギコは少し冷静さを欠いていた。
 彼は、計画の致命的な問題点に気付かなかった。

 乱暴に開かれたふすまが、敷居の突き当たりで大きな音を立てた。
 縁側に近い場所に座っていたレコとチビギコが、ギコの姿に目を
見開く。レコ達の視線を追って、しぃが振り向きかける。ギコは彼女
の肩を押さえて、畳に押し倒す。
 勢い良くぶつかったふすまが、反動で敷居の上を戻った。
 ギコは短刀をしぃの首に沿える。刃のきらめきに、しぃは小さく
息をのむ。レコとチビギコは外に向かって走り出す。
「動くんじゃねぇ!」
 二人は止まらない。障子を開け、縁側を下り、全力で庭を走る。
「待てって言ってんだ。止まれ、こいつ殺すぞ! ゴルァ!」
 彼らは振り向こうともしない。予想外の事態にギコの心に空白が
生まれる。しぃが怯えた様子でギコを見上げる。ギコは彼女から
手を離す。短刀を納める。長刀を抜く。
(……殺す)
 ギコの心の空白は、怒りで満たされた。

134 名前: hunter in the box(6/25) 投稿日: 2003/12/05(金) 23:44 [ LrPspEKY ]
 ギコはやっと思い出した。
 被虐者達は自分のことしか考えない。

 大きく踏み出し、三歩で縁側の向こうに飛び降りる。
 着陸の衝撃は、全身を柔らかく屈伸させて受け流し、それを反動
にして初速を確保する。
(しぃが逃げる)
 心の中の冷静な部分がそう告げたが、それはこの際どうでも
良かった。
 別に、見捨てられた彼女を哀れに思ったわけではない。彼女は
被虐種だから、どんな不幸な状況に置かれたとしても、ギコは憐憫
など抱かない。
 問題は、今、背を見せて逃げているレコとチビギコだった。
(逆らいやがった……)
 ギコにはとうてい許せる事ではなかった。
 二人とギコとの距離はどんどん縮む。チビギコが足をもつれさせて
転ぶ。だからギコはレコを斬る。レコの体は一瞬宙に浮く。その背中
に鮮血が花開く。返り血がギコの右肩を濡らす。
(きたねぇ)
 とても不愉快だ。
 レコの体は慣性で地面を滑る。土煙がレコの体を包む。ギコは地面
を踏みしめて停止する。振り返る。
 目が合ったチビギコは、いかにも根性の座らない悲鳴を上げた。
 嗜虐を煽るその声音に、ギコは口の端を吊り上げた。

135 名前: hunter in the box(7/25) 投稿日: 2003/12/05(金) 23:44 [ LrPspEKY ]
 転んだ拍子にどこか挫いたのか、あるいは腰でも抜けたのか、
チビギコは上手く立てないようだった。それでも彼は、加虐者から
逃れようと這いずった。
(逃げられるわけねぇだろ)
 ギコは彼の手を踏んで固定し、長刀を振った。
 その瞬間には、感触すらなかったであろうチビギコは、手首から
吹き出す血を不思議そうに見た。
 理解と痛みが同時に生まれ、彼は叫ぶ。
「チビタンノ オテテガァ!」
 さしたる意味を持たないその言葉を、ギコは無視した。
「モララーはどこだ?」
 足の下に手首を残したまま、チビギコは体を回転させてギコから
離れた。
 本能が知っているのか、彼は残された手で腕を強く握った。圧迫に
より出血がおさまり、したたる血はぽたりぽたりと断続的なものに
変わった。
 痛みと恐怖に、チビギコの口がわなわなと震える。
 やがて、少しは状況に慣れたらしい彼が、涙声で問い返してきた。
「モラ・・・?」
(聞いてたのか)
 自身の手首を切り落とされた直後に、質問された事を覚えていた
だけでも合格点だ。
「モララー、俺のダチだ。どこにいる?」
 ギコは質問を繰り返した。
「・・・シラナイ、チビタン ズット オルスバン デチ」
 彼は虚ろな目で答えた。
(嘘じゃねぇみてぇだけど……)
 友人の安否がかかっているのだ。
 ギコは念のためもう一押しすることにした。
 彼が足を踏みつけると、察したチビギコは、予防接種を嫌がる幼児
のようにわめいて制止した。

136 名前: hunter in the box(8/25) 投稿日: 2003/12/05(金) 23:45 [ LrPspEKY ]
 もちろんギコは無視した。
「チビタンノ アンヨガァ!」
 もうギコから逃れようという無駄な努力は止めたのか、彼はその場
で、自身の足を強く抱きしめた。取り返しの付かない傷に、彼は泣き
じゃくり、言葉として成立しない声の連続を上げ続けた。
(……落ち着くまで待つか)
 ギコは彼から離れると、うつぶせに倒れているレコに近づいた。
血だまりに沈む彼を、足で蹴って仰向けにさせる。
(死んでるな)
 もしかしたらと思ったのだが、やはり話をきくのは無理だった。
 後ろから聞こえていたチビギコの嗚咽が、少し弱々しくなった。
 ギコは振り返る。
「どうして足切られたか、分かるか?」
 チビギコは呆然とした様子で、首を振った。心当たりなどないと、
そんな表情だ。
(本当、ってことでいいか)
 嘘をついている者は、虐待に罰を見いだし、何かしら後悔の色を
見せるものだ。
「分からねぇってんなら、それでもいい」
 ギコはチビギコの首もとの毛皮を掴んで立たせた。
 止血が中断し、傷口からの流れが勢いを取り戻す。
「チビタン、ホントニ モララー ナンテ ミテナイデチ」
 チビギコは、出血を気にしながらそう言った。だから離してくれと
そう言いたいのだろう。
「知らねぇって事にしといてやる。じゃあ、さっき一緒にいたしぃは
どこに逃げると思う?」
 チビギコは分からないと答えた。
「ここ以外に、おまえらみたいなゴミが住んでる場所は?」
「・・・シラナイデチ」
 虐待をちらつかせれば、彼らはすぐに秘密を喋る。だから、被虐者
は必要以上の情報を共有しないのだ。
(役に立たねぇ……)
 レコを生かしておけばよかったかもしれないと、ギコは少し後悔
した。

137 名前: hunter in the box(9/25) 投稿日: 2003/12/05(金) 23:46 [ LrPspEKY ]
「じゃあ……チビフサだっけ? そいつは?」
 チビギコの視線が揺れた。
(知ってるな)
 ギコは長刀を彼の脇腹に当てた。
「どこだ?」
 初めてチビギコの表情に悩みが生まれた。
(そいつから別の集落が見つかるかもしれねぇ)
 ギコは期待して、髪の毛一本ほどの軽さで刀を引いた。
「セイビジョウ!」
 チビギコが叫ぶ。
 それは多分、ちりっとした程度の痛みだったろうけれど、答えな
ければ、そのまま刃を入れるというギコの意志は伝わったようだ。
「整備場? どこだ?」
 チビギコはすぐには答えなかった。どうやって説明しようか悩んで
いる風だったが、反抗の意志ととれなくもない。
 ギコはもう少し刀を引いた。
「アッチ!」
 やけになったように、彼は手首のない腕で方角を示した。勢い良く
振ったので、傷口から血が飛んだ。
「じゃあ、モララーは?」
 ループした質問に、彼は真実途方に暮れた様子で、知らないと
呟いた。
「そうか。じゃあお前、もう要らねぇ」
 当然の結論に、チビギコはひどく傷ついた目をした。けれど彼は
もう何も言わず、一度レコの死体を見てから、目を閉じた。
 彼の喉元を掴んでいたギコは、そのまま片手で投げ上げた。軽く
腰を落とし、落ちてきたチビギコを一刀で切り捨てる。
 チビギコの体は、ほとんど二つに分かれて地面に落ちた。
(失敗か……)
 ギコは舌打ちした。
 本当は、完全に切断するつもりだったのだ。

138 名前: hunter in the box(10/25) 投稿日: 2003/12/05(金) 23:46 [ LrPspEKY ]
 チビギコの示した方に歩き始めたギコに、後ろから声がかかった。
「ドコニ イクノ?」
 振り向くと、片耳のない彼女が縁側に座っていた。
(……罠か?)
 ギコは注意深く周囲を観察した。特に不審な物は見あたらず、
ただ、しぃが微笑んでいるだけだ。
 何が起きても反応できるように、ギコは警戒しながら縁側に歩み
寄った。
「……なんのつもりだ?」
 その気になれば、心臓を一突きにできる距離まで近づいても、
これといった変化はない。
「ナニガ?」
 小首を傾げて、彼女は問い返した。
「なんで逃げねぇ?」
「アナタハ ワタシノ ウンメイ ダカラ。ワスレタ?」
 ギコは納得した。目の前で仲間を殺された彼女は……。
(狂ったのか)

 共通の言語を持っている以上、加虐者と被虐者がポジティブな交流
を持つことは珍しくない。少数派ではあるが、愛情を抱き、被虐者を
自宅に保護する者も存在する。
 しかし、ギコはむしろ逆ベクトルの少数派だ。
 どんなに清浄な精神を持っていたとしても、それが被虐種であれば
虐待を受けるのが当然であり、彼らはむごたらしく死ぬべきだった。
 この状況に運命が見えるという歪んだ解釈の原因を、ギコは想像
しようとも思わない。
 彼女が何を考えているかなど、彼にとってはわずかの価値もなく、
現在やるべきことは友人の現状確認だったからだ。
「質問がある」
 彼の尋問――というより拷問――は、電話の音に遮られた。

139 名前: hunter in the box(11/25) 投稿日: 2003/12/05(金) 23:47 [ LrPspEKY ]
 携帯電話すら使えないこの死んだ町で、それは異常なことだった。
 電話機自体が異様な姿をしている。丸みのある灰色の親機の上に、
明らかに型違いの白い受話器が乗せてあった。しかも、受け入れ口
などないそれを無理に改造したらしく、受話器の側面から不自然に
コードが伸びて、親機と繋がっていた。
(感電なんてしねぇだろうな?)
 ギコは刀で、その不格好な電話を示した。
「出ろ、余計な事は言うな」
 背後に彼が立った状態で、彼女は受話器を持ち上げた。
「ウン・・・。ソウ、オメデトウ」
 狂気故か、彼女の声にはおびえによる不自然さはなかった。
 ギコは部屋の中を見回した。
 ハードカバーが十数冊、乱雑に積み上げられている。一番上の本の
表紙には、内部構造を晒す自動車のイラストが、精緻な画風で描かれ
ていた。
 四つ並んだ寝箱には、ご丁寧に各自の名前が書いてある。
「・・・ウン、カエッテ キテモ イイケド」
 ここには加虐者がいる、と彼女は電話の向こうに教えた。

 もしかすると、彼女はそれを余計な事だと認識しなかったのかも
しれない。
 しかし、そうだったとしても、ギコにとってそれは彼の責任では
なく、悪いのは狂っている彼女だった。

 ギコはしぃの腰に腕を回した。知らない者には、その仕草は恋人を
抱き寄せるように見えたかもしれない。
 ギコの長刀は、彼女のももの裏側から入り、骨の脇を抜け、ももの
表側から突き出した。
 腕の中で、彼女の体が大きく跳ねた。
 受話器を取り落とし、甲高い悲鳴を上げる。
「……余計なこと言うなって、言ったよな?」
 ギコは耳元でささやいた。
 ももから刃を抜くために、彼は無造作に彼女を突き飛ばした。
刺さったときとは違う角度で引かれたため、傷口が広くなる。
 今度の悲鳴は、さっきよりはいくらか大人しいものだった。
(これでもう、運命とか馬鹿なはこと言わねぇだろ)
 ギコは受話器を拾った。

140 名前: hunter in the box(12/25) 投稿日: 2003/12/05(金) 23:48 [ LrPspEKY ]
「よお」
 ギコが声をかけると、彼はしぃを呼ぶのを止めた。
『……しぃさんを、どうしたんですか?』
 ギコは足元を見下ろした。
 ショックのためか、彼女の呼吸は震えていた。両目はぎゅっと
閉じられ、まつげの先に涙のしずくが光っている。
 抑えがちな苦痛の声は、電話の向こうにまでは届かないだろう。
「命に関わるような怪我じゃねぇよ。本人に聞くか?」
 返事も待たずに、ギコは受話器をしぃの方に向けた。
 傷の上に足を乗せ、体重をかける。
 彼女は、なかなか良い声で鳴いた。
「ほら、生きてる」
『止めて下さい!』
 まるでしぃと痛みを共有しているような、悲痛な声だった。
(いい反応じゃねぇか)
 ぞくりと、ギコの背を快楽が走った。
 電話の相手――おそらくチビフサ種の男性体――は、これまで
ギコが狩ってきた被虐者とは少し様子が違っていた。真っ当に、仲間
を心配している。
(こいつ、殺りてぇ……)
 きっと面白い死に様を見せてくれることだろう。
『交換しましょう』
 チビフサは早口にそう言った。
「交換?」
『そこにいる僕の仲間全員と、昨日そちらに帰らなかった加虐者を』
 あっさりと、モララーへの道が繋がった。
(交換、か)
 ギコは庭の死体に目を向けた。仲間全員と言われても、もう、しぃ
しか残っていない。
『どうかしましたか?』
 即答しないギコを不審に思ったのか、チビフサが少し不安げに
きいてきた。
「いや……」
(逆恨みされてモララーに何かあっても困るしな)
「部屋にはしぃしかいねぇ。こいつ一匹とでよければ」
 死体はこの部屋にはない。嘘ではなかった。
 ギコが意図した通り、チビフサは仲間の現状について誤解した。
『……わかりました。ただし、これから被虐種を見つけても、何も
しないでくれますね?』
 幸運にも難を逃れたと思いこみ、帰ってきた彼らがギコに殺され
ないようにと、もはや無意味な予防線を張る。
「おう。そっちもそれ以上、手出しすんじゃねぇぞ」
『もちろん』
 チビフサは、ギコに電話の置いてある棚の下を探すように言った。
彼の言葉通り、この町が生きていたころの地図が出てくる。チビフサ
が指定した交換場所は、チビギコが方角を示した整備場だった。

141 名前: hunter in the box(13/25) 投稿日: 2003/12/05(金) 23:48 [ LrPspEKY ]
 ギコ一人でしぃを連れてくるように念押しして、電話は切れた。
 遠くで銃声がした。
(まさか、モララーを?)
 一瞬、チビフサが約束を破ったのかと考える。
(……いや、それにしては遠い)
 多分、発射されたのは川より向こうの地域だ。
 思い当たるふしがあり、ギコはトランシーバーの電源を入れた。
「モナー?」
 床にでも置いていたのか、近づく足音の後で、のんびりした返事が
帰ってきた。
「いや、今、撃たなかったか?」
 聞くと、彼は丸耳の被虐者が閉じこめられているオリの鍵を壊した
のだと答えた。
「オリ? なんで丸耳のゴミがオリなんかに?」
『分からないモナ』
「・・・マルミミ?」
 会話が気になったのか、しぃが問うような目でギコを見上げた。
(お前には関係ねぇよ)
 ギコは彼女に背を向けた。
「そうか。……ああ、こっちも平気だぞ。あいつも見つかったし。
いや、これから、捕まえたゴミと交換に行くんだ」
 モナーが、自分もギコのところに来た方が良いかと聞いてきた。
「一応、一人で行くことになってるからなぁ。……まあ、離れて
ついてきても構わねぇけど」
「オリニ マルミミガ・・・?」
 しぃはぶつぶつと呟き始めた。
 被虐者の――しかも狂人の――言うことなど、もちろんギコは気に
しない。
「連れて帰りたい奴って、獲物じゃなくて? あぁ? まさか、
それ、さっき言ってた丸ゴミか? ……あのなモナー、いや、だから
ちょっとまてって、俺の話を聞け……。……、……、……、・・・ハァ、
分かった。……だから、分かったっつったんだ! 二度も言わせるな
ゴルァ! 俺は殺らねぇから、好きに連れてこい」
 ぱっと笑顔に変わるモナーが、容易に想像できた。
 相手から見える訳ではないけれど、ギコは照れくさくてそっぽを
むいた。
 視界の端に、うずくまるしぃが見える。彼女の口が、耳慣れない
単語を紡ぎ出す。それは、何故かギコの注意を引いた。

142 名前: hunter in the box(14/25) 投稿日: 2003/12/05(金) 23:49 [ LrPspEKY ]
 トランシーバーの向こうで、彼が叫んだ。
「モナー!?」
 ギコの呼びかけに答えたのは、がつんと固い音と雑音だった。
 ごめん落とした、とモナーがおっとり謝ってくれることを、ギコは
願った。
 立て続けに銃声が二発。
 一瞬遅れて、空気を伝わったかすれ気味の実音が部屋まで届く。
「モナー? おい、平気か?」
 返事どころか、向こうでは物音一つしなくなった。
(壊れたのか?)
 ギコは苛立って、トランシーバーを軽く叩いた。
 もし壊れていたとしても、それは多分モナーの側であって、ギコの
トランシーバーをどうこうしても仕方なかった。
「どうした? なあ、モナー?」
 しぃは呟き続ける。
「ドウシテ ハナッテ シマウノカシラ」
 それは、巫女の告げる神託に似ていた。
 ギコが聞いているかどうかなど、今の彼女には関係なかった。
「トジコメルノハ トテモ タイヘン ダッタノニ」
(……閉じこめる?)
 友人の名を呼ぶのを止めて、ギコは首だけ動かして彼女を見た。
「アソコニハ モウ ダレモイナイ。アレハ ヒドク ウエテイル」
「……飢えてるって、何がだ?」
「ヒギャクシャヲ コロシタ ヒギャクシャ」
 彼女はもう一度、その単語を口にした。
 オウム返しに、ギコはそれを繰り返す。
「ぽろろ?」
『ぃぇぁ』
 ギコは身を震わせて、トランシーバーを投げ捨てた。
 それは一度壁に当たり、畳の上に転がった。

(……なんだ?)
 頭蓋の中を無遠慮に撫で回されたような感覚だった。
 物理的には何の変哲もないトランシーバーが、途端にひどく不気味
な存在に変わる。
「コエガ キコエタノ?」
 彼女はぼんやりとトランシーバーを眺めた。
「あれは何だ! ゴルァ!」
 ギコは荒々しく彼女を掴んで吊り上げた。
 それは、自身の恐怖を何かにぶつけてごまかそうとしているよう
でもあった。

143 名前: hunter in the box(15/25) 投稿日: 2003/12/05(金) 23:49 [ LrPspEKY ]
 共通の言語を持っている以上、加虐者と被虐者がポジティブな交流
を持つことは珍しくない。少数派ではあるが、愛情を抱き、被虐者を
自宅に保護する者も存在する。
 彼らはふと考える。
 虐待が存在するのは問題ない。けれど、自分の愛するこのAAが
虐待されなくてもいいのではないか?

 それは人為的に生み出されたAAだった。
 その体は、あらゆる加虐に傷つくし、死ぬこともできる。
だが、必要であれば、細胞の一個からでも再生しなければならない。
 小柄で愛らしい姿は、いかにも蹂躙しやすい。
だが、必要であれば、醜悪で巨大な姿もとらなければならない。
 ただおびえるだけの弱者であり、全力を尽くさなければ倒せない
強者でもある。
 そしてもちろん、彼は加虐者を傷つけたりはしない。
 あらゆる虐待状況に対応する、理想の被虐AAだった。

 唯一の誤算は、彼を哀れに思った研究員がいたことだ。

 手足はなくなり、内臓をぶちまけ、もはや痛みに叫びを上げる事も
できなくなった彼が、合図を受けて再生を始める。
 元通りの姿に戻った彼は、そのぬいぐるみのようなぽよぽよとした
足で、こちらに歩いてくる。
 目尻の涙を拭いながら、彼はたずねる。
「ぼく、じょーずにできた?」
 研究員が頷くと、本当に嬉しそうに彼は笑った。
 どんな痛みも苦しみも、それに加虐者達が喜ぶなら耐えられると。

 深夜の研究室で、研究員は彼の調整をしている。
 ガラスの円柱の中で、彼は目を閉じて浮かんでいた。
 その足元からは光の粒子がキラキラと立ち上り、穏やかな表情を
照らしている。
 研究員はエンターキーを押した。
 光の粒子は静止し、プログラムが確認を求める。
 指は一度「N」に動きかけた後、「Y」を選んだ。

 削除されたコードは、研究員達の間では愛と呼ばれていた。

144 名前: hunter in the box(16/25) 投稿日: 2003/12/05(金) 23:50 [ LrPspEKY ]
 しぃは苦しそうに、眉間にしわを寄せた。
「シタデ キカナカッタノ?」
 その言葉に、ギコは思い出す。
 八頭身AAよりも巨大で、誰もその姿を見ることはできなくて、
しかし確実に、全ての命を食らう化け物。
「……そんなもん、いるわけねぇだろ」
 ギコは認めない。
「そんなのがいたら、お前らだって殺されるだろ!」
 被虐者が全員でおとりになって、オリに誘い込んで閉じこめたと、
しぃは答えた。
 ギコはゆっくり彼女を下ろし、手を離した。
 傷の痛みに、彼女は畳に座りこむ。
「……そいつに弱点は?」
 知らないと、彼女は答えた。
「ギャクサツニ イクノ?」
「いいや、ダチを助けに」
「・・・アナタモAAナラ キヅイテ イルデショウ?」
 彼女の言うとおり、ギコは気付いていた。
 トランシーバー越しに声を聞いた瞬間、ギコを構成するフォントの
一ピクセルまでもが恐怖に震えた。あれは被虐も加虐も超越した存在
で、具現化した絶望だった。居合わせたAAが生き残れるとは思え
ない。
 けれど彼は、受け入れたくなかった。
「モウ シンデルワ」
 不吉な予言を口にした巫女を、ギコは刀の柄で殴る。
 彼女は倒れて、小さくうめいた。
「……今のは、電話の前だ」
 側頭部を押さえて、彼女はギコの言葉を問い返した。
「俺は、電話を切ってからはお前を殴ってねぇ。分かったな?」
 ギコが電話の相手と交わした約束を知らないしぃは、意図が理解
できないようすではあったが、それでも力無くうなずいた。
 彼は部屋にあった紐でしぃを後ろ手に拘束し、口に布を噛ませた。
足の怪我で、どちらにしろ一人では歩けない彼女を、箱に放りこむ。
 彼は箱に紐を結んで、取引場所まで引っ張って行くことにした。

145 名前: hunter in the box(17/25) 投稿日: 2003/12/05(金) 23:51 [ LrPspEKY ]
 道すがら、ギコは計画を立てた。
 モララーを取り戻し、彼と一緒にモナーを助けに行く。
 理性はモナーの死を訴えたが、ギコはそれを無視した。生存の
可能性はゼロではない。

 町の外れの整備場は、彼らの家にあった電話と同じく、不格好な
改造が加えられていた。どこから集めてきたのか、屋根一面に銀色
の板が貼られている。
 死んだ町で、太陽光発電パネルは唯一の電源らしい。
 大型車両も余裕で通れる広い入り口から、建物内に積み上げられた
ガラクタが見えた。まだ原型を留めている自動車や、解体されたそれ、
さらに各種家電が混沌と組み上がって一つの山を作っている。
 天井からは、頑丈そうなクレーンが何本か下りていた。

 かなりの数の家電に電源が入っているようで、大して騒がしくも
ないはずの稼働音が、妙にギコの気に障った。
 照明は消してあって――壊れているだけかもしれないが――、昼の
太陽光が差しこむとはいえ、場内は薄暗い。
「連れてきたぞ! ゴルァ!」 
 入り口で声をかけたが、返事はない。
 家電が立てる雑多な音に、相手の気配も見つからない。
「ゴルァ」
 ギコは視覚だけで周囲を確認した。
(黒板……?)
 床の上に、深緑のそれがおいてあった。少しいびつな四角形で、
どこかの教室から切り出してきたのかもしれない。
 水拭きしたつやつやの表面に、文字と矢印が白で書いてあった。
 ギコは箱を引きずって、それに近づいた。

 しぃをここに置いて、ガラクタの山の方に行けとのことだった。
 取引相手がどこからか見ているかもしれないので、彼は素直に
指示に従った。

146 名前: hunter in the box(18/25) 投稿日: 2003/12/05(金) 23:51 [ LrPspEKY ]
 ガラクタ山のふもとまで来たが、次の指示は見あたらない。ギコは
手がかりを探して、周囲に目を動かした。
(箱、だな)
 金属やプラスチックでできた山の頂上に、一つだけ段ボールの箱が
おいてある。「愛媛みかん」の印刷が、周囲からひどく浮いていた。
「……あれか? 登れってのかよ」
 ギコの愚痴に、応えてくれる者はいなかった。

 ギコは溜息をついて、ガラクタ登山を開始した。
(崩れねぇだろうな?)
 実際に上がってみると、それは案外しっかり組み上がって安定
していた。べたべたと毛皮についてくる謎の黒い鉱物油さえ気になら
なければ、なかなか快適に移動できるだろうと、ギコは思う。
(ああああ、帰ったら風呂だ! 風呂! ゴルァ!)
 彼の種族は舐めて毛繕いすることもあるが、こんな物を口に入れ
たら、確実に腹が下る。
 さっさとモララーを助けて、分不相応にも加虐者に取引を持ちかけ
てきた愚かな被虐者を虐殺して、モナーを助けて、三人で帰って、
自宅の風呂でさっぱりして、ベッドでぐっすり眠るのだ。
 ギコは半ば投げやりに、みかんの箱を開けた。
 
 
 
 
 
 白い。
 
 
 
 
 
 いつものギコなら、逃げられないはずはなかった。

147 名前: hunter in the box(19/25) 投稿日: 2003/12/05(金) 23:52 [ LrPspEKY ]
 箱の中にあったのは、全てギコには見慣れた物だった。
 何故か分解しかかった、ギコ達のと同型のトランシーバー。
 ハッカ味しか出てこない忌々しい飴の缶。
 小型のリボルバーは、ギコもモナーから渡されている。
 ホルスターと、それを固定する皮ベルト。
 迷彩模様の布袋。
 そして、緩衝剤のように隙間を埋める白いかけら。

 整備場内の、全ての電源が切れた。

 もちろん白いかけらも、ギコはしょっちゅう見かけている。
 だが、どうして一緒に入っているのかが分からない。
 その時モララーは、それを携帯していたのだろうか?
 ギコには、彼がそれを持ち歩く理由が思い当たらなかった。

 もともと電灯は消してあったので、場内にはほとんど変化がない。
 注意していれば、ガラクタ達の内部ファンが回転速度を落として
いくのに気付いただろうけれど、彼は箱の中身に気を取られていた。

(……嘘だ)
 ギコは箱の中に手を伸ばして、かけらを取った。

 この整備場には、町で一つしかない電磁石のクレーンがあった。
磁力でくっつけて持ち上げるので、いちいちロープをかけたり
フックを引っかけたりしなくてもすみ、一人で作業する被虐者には
便利だった。

(んなわけねぇだろ?)
 心の中で、かけらに問いかける。
 けれどかけらが答えてくれるはずはなかった。

 急な停電で電力が途絶えると、電磁石は鉄に戻ってしまう。だから
安全性を考えて、予備電源が充電されていなければ、そもそも動かせ
ないようになっているのだ。

148 名前: hunter in the box(20/25) 投稿日: 2003/12/05(金) 23:52 [ LrPspEKY ]
 主電源を失ったクレーンは、自動的に副電源に切り替わった。
予備電源にはしっかりと電力が蓄えられていたが、それが通るはずの
回路はずっとまえから壊れていた。
 クレーンと廃車の間に、紙一枚ほどの隙間ができる。
 廃車は重力に従い、落下を開始した。

(絶対、死なさねぇ……)
 被虐者を殺したくないと思う日が来るとは、ギコは想像もしていな
かった。
 彼らはモララーを殺したのだ。そして、それだけでは飽きたらず、
皮を剥ぎ、肉をそぎ、こんな小さな骨片に砕いてしまった。
 友人の遺体を冒涜した彼らには、どんなに悲惨な死を与えたとして
も釣り合わない。苦痛を与え続けるのだ。死に解放されることを願い、
それでも生かされる絶望を知るべきだ。

 ギコの周囲が、ふっと薄暗くなった。
 その影を作っている物が廃車だとは分からなかったが、彼は間近に
迫った凶器の存在には気が付いた。
 もちろんギコは、愚かに頭上を見上げたりはしなかった。思考する
間もなく、反射的にその場を逃れる。
 いくら加虐種が身体能力に優れているといっても、それはほとんど
不可能なタイミングだった。加虐種の中で一番敏捷性に優れたギコ種
でなかったら、確実に頭を押し潰されていたことだろう。
 そうであれば、彼は幸せだったのかもしれない。

 ギコの背に車体が触れる。
(間に合わねぇ)
 車体は無慈悲に、ギコの右半身を押さえつける。車体の底に勢い
良くぶつけた右腕が、少し痛い。上から加えられた力に、ギコは体の
バランスを崩す。彼の体はガラクタの上に倒れる。ガラクタと車体に
挟まれて、ギコの肺から空気が押し出される。車体はなおも加重を
止めず、彼の体を押しつぶす。圧力に耐えきれず、毛皮に裂け目が
入る。つぶれた組織と血液の混合物が、熟れすぎた果肉のように
ぶちゅりと吹き出す。
(いってぇ……)
 過ぎる痛みに、ギコは声も出ない。

 車体は一瞬安定したように見えたが、すぐに、ガラクタ達の崩壊
が始まった。
 プラスチックが割れる音、金属がたわむ音、ネジがパーツを擦る
音。そんな耳障りな音の混合が、整備場内に大きくひびく。
 ギコの体は車体に巻き込まれて、ガラクタ達の中に落ちこんだ。

149 名前: hunter in the box(21/25) 投稿日: 2003/12/05(金) 23:53 [ LrPspEKY ]
 意識が戻ったときには、既に崩壊は終わっていた。
 無事だったはずの左半身も、落ちる途中であちこちガラクタに
ぶつけたらしく、痛まない箇所がないという有様だ。
(電子レンジ……)
 ギコの頭を強打したその家電は、少し離れた場所に転がっていた。

 うつぶせに固定された自分の体を、彼はアゴを引いて確認した。
 ガラクタを積み上げるときの補強だったのか、サビの浮いた鉄骨が
横に張り出し、ギコの胸あたりを支えている。ガラクタの残骸の間
から鉄骨がもう一本突き出し、それは垂直にギコの腹を貫いていた。
だらりと下がる両足は、なんだか自分の体でないように感じられる。
 神経が切れたのか、右手はぴくりとも動かなかった。
 ギコは標本箱の昆虫を連想した。ピンに見立てるには太すぎる鉄骨
を、赤い流れがゆっくり伝っていく。
(死ぬな)
 それもじわじわと。
 楽とは言い難い部類の死に方だ。
(モララーは……)
 ギコはみかんの箱を探したが、動作に伴う痛みのせいで確認できる
領域は狭く、段ボール箱は見つからなかった。
 それが、少し悲しかった。

 顔を上げると、しぃの箱に走り寄るチビフサがいた。
 おそらく彼がこの罠の制作者なのだろう。
(……許さねぇ)
 ギコの左手が一度握り、また開いた。
 大丈夫、こっちの手は使える。

「レコさんとチビギコさんは、今どこに?」
 しぃの口から布を外して、チビフサがたずねた。
 彼女の答えは半角だったので、ギコのいる場所までは届いてこな
かった。
「そんな、だって……」
 けれど彼の様子から、レコ達の死を知ったのだと分かる。
 チビフサは耳を伏せ、悲しそうにうつむいた。
 彼は顔を上げると、憎々しげにこちらを睨んだ。多分、ギコが約束
を破ったと思ったのだ。
 チビフサは彼女の腕のロープを解き始めた。
(そっちだって嘘ついてたじゃねぇか)
 ギコはチビフサの態度を不快に思った。
 彼はモララーがまだ生きているような口振りで……。
(……いや、生きてるとは言わなかったか)
 遺品と一緒に箱に入れて、約束通り、しぃと引き替えに返して
くれた。

150 名前: hunter in the box(22/25) 投稿日: 2003/12/05(金) 23:54 [ LrPspEKY ]
 ギコは左手をそろそろと動かして、ウエストバッグを開けた。
(ああ、もう、痛ぇな!)
 折れてはいないだろうに、まともに動こうとしない自分の手が、
腹立たしかった。

 しぃが何か言った。
「……彼はきっと、しぃさんの運命じゃなかったんだよ」
 チビフサは、懇願するような声音で言い聞かせた。

 ギコは弾丸を掴みだした。
 上手く手の中に残ったのは一つだけで、こぼれ落ちた残りが、
コンクリートの床をかつかつ叩いた。
(気付かれたか?)
 ギコは被虐者たちの方を確認した。

 ロープの外れたしぃが、擦り傷でもできたのだろう手首を擦って
いる。
「殺菌しよう。今日はちょうど消毒薬も手に入ったし、しぃさんは
本当に運がいい」
 冗談めかしたチビフサの言葉に、彼女は苦笑して何か応えた。

 一つだけの弾丸を銃に装填する。
(なんでちゃんと入れとかなかったんだよ、俺。ゴルァ)
 どうせ使わないだろうと、モナーから渡されたそのままで持ち
歩いていたのだ。
 ギコは銃を引き抜くと、慎重に体の前に持ってきた。
 彼の行動には気付かず、チビフサは彼女の足を手当てしている。
(射撃、もっと真剣に習っときゃよかったな)
 目標との距離は遠かった。
 これがモナーなら、この三倍離れた場所でも命中させるだろうが、、
ギコには今の半分の距離でも微妙だった。

 ギコは迷わずしぃに照準を合わせた。
 箱に頭をつっこんでいるチビフサは狙いにくかったこともあるし、
彼を殺しても、狂った彼女は大して悲しまないように思ったのだ。
(あたれ)
 力が抜けそうになる体を叱咤し、彼はそれだけを祈る。
 しぃと目があった。
 彼女は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに寂しそうに目を伏せた。彼女
の口が、なにごとか呟く。それはきっと、チビフサへの警告だった。
 射撃の反動は、予想よりも大きくギコを揺さぶった。
 苦痛にうめいて、彼はぐったりと鉄骨に体を預けた。

151 名前: hunter in the box(23/25) 投稿日: 2003/12/05(金) 23:54 [ LrPspEKY ]
 痛みに乱れた呼吸が落ち着いた頃、ギコは彼の気配に気付いた。
「やあ」
 チビフサは、友人にするような軽い挨拶をして、ガラクタの残骸を
登り始めた。
「……よお」
 挨拶を返して、ギコは視線を上げた。
 しぃの箱は横倒しになり、こちらに底を向けていた。半ば投げ出さ
れるような形で、彼女は床に横たわっている。
「死んだのか?」
「うん」
 彼は感情のこもらない声で答えた。あまり傷ついた様子ではなく、
ギコは残念に思った。
 チビフサはギコの近くまで登ると、張り出した鉄骨に腰かけた。
「どうして撃たないの?」
 彼はギコの手の銃を見ている。
「死にてぇのか?」
「うん」
 ごく自然な仕草で、チビフサはうなずいた。

 ギコはしばらく考えた。
「お前、頭おかしくないか?」
「うん、多分」
(こいつもかよ……)
 ギコは小さく溜息をはいた。拍子に傷口が痛み、顔をしかめる。
「全然悲しくないんだ。……皆死んじゃったのに、なんともない」
 チビフサは彼女の死体を平然と見つめた。
「頭が治ったら、絶対苦しいから、今死んでもいい」
(……じゃあ、生きろ)
 慟哭する彼を、ギコは期待した。
 軽く銃を振ってみせる。
「弾切れだ」
 チビフサはギコの腰の刀に目を向けた。
「こんな状態で、まともに斬れるわけねぇだろ。死にたきゃ自分で
喉でも突け」
「だって……被虐者を殺していいのは、加虐者だけなんだ」

152 名前: hunter in the box(24/25) 投稿日: 2003/12/05(金) 23:55 [ LrPspEKY ]
 チビフサは加虐者ではないから、自分を殺せないという。
「はぁ? お前ら、モララーを殺したじゃねぇか」
「君らは被虐種じゃない」
 加虐者を殺すのは、彼らの間では禁忌ではないらしい。
 彼はモララーだったのかと、チビフサは呟いた。
 ギコが視線で問うと、チビフサはしばらく口ごもってから答えた。
「僕が見たときには、もう頭がなかったから……」
 元がどんなAAだったのか、分からなかったのだと言う。
 聞かなければ良かったと、ギコは思った。
「……僕も、できれば君たちに手は出したくなかったんだけど。君ら
は家畜を逃がしたろ?」
 言い訳するように、チビフサは言った。
(オニーニ? 逃がしたけど、それが何の……)
 ぼんやりと、ギコの頭の中で両者が結びつく。
(……あいつは、食うために殺されたのか?)
 快楽のためでもなく、怨恨のためでもなく、ただの動物のように
肉を目的として狩られたのだ。彼を解体したのは呪詛ではなく、魚を
さばくのと変わらぬ作業だったのだ。
 モララーが哀れだった。
「恨んで殺された方がましだ」
 ギコがうめくと、しばらく考えたチビフサが理解を示した。

 流れ続ける血に、ギコの顔色は悪かった。
「君はそのうち死ぬと思うけど、何かしてほしいことは?」
「ねぇよ。お前の好きにしろ」
「分かった」
 チビフサは周囲を見回して、ギコの視界から消えた。
 戻ってきた手には、ギコのとよく似たリボルバーが握られている。
 モララーの所持品だった物だ。
(箱、持ってこさせりゃよかったな……)
 そうすれば、最期の瞬間まで友達といられる。
 らしくもない感傷に気付き、ギコは自嘲した。
「君、宗教は持ってる?」
 チビフサは残弾を確認しながら、そう言った。
「いいや?」
「じゃあ、ここの流儀でいいね」

153 名前: hunter in the box(25/25) 投稿日: 2003/12/05(金) 23:55 [ LrPspEKY ]
 銃口がギコのこめかみに押し当てられる。
「そこ撃つと、すぐ死ぬぞ?」
 親切にも、ギコはそう忠告した。
「殺すんだよ。人が痛そうにしてるのって、嫌だから」
(そりゃ、ダチが怪我してりゃ嫌だろうけど……)
 ギコは考えてみたが、仲間を殺したAAの苦しむ姿を不快と思う
心理状態は理解できなかった。
「……俺には分かりそうもねぇって事は、分かった」
「分かってくれてありがとう」
 チビフサは、口元だけで笑みを作った。
「さよなら。君の次の運命の日は、安らかでありますように」

 ギコの意識はそこで途絶えた。
 だから、チビフサの祈りが叶ったのかは分からない。

 けれど町は、いつもの夕暮れを迎えることだろう。
 昨日と同じ夜を過ぎ、変哲のない朝が来る。
 世界を変えるような事は、なにも起こっていないのだ。