其の参-2

Last-modified: 2008-02-02 (土) 23:22:14

「……冗談で言ったつもりだったんだが……」
功が雲で星が見えない夜空を見上げて言った。
「……もう八時か。帰る?なんか、雲行きも怪しいし。」
総慈が功の方を見て言った。
「ちょっと、いいの?事件続いてるんでしょ?」
玲美が総慈の肩をつかむ。
「そのうち代わりの人が来るでしょう。それに、警察官にも一応労働基準法はあるの。」
大きく伸びをする総慈。
「……そうだな…帰るか…」
功も大きくため息をつく。
「玲美、送って行こうか?」
「送ってもらえるのは嬉しいけど……誰が名前で呼んでいいって言った?」
「固いこと言わない。」
玲美の肩を叩き、総慈は歩きだした。
あとに取り残されたのは、功と里紗。
功は里紗を、その辺の人形を見るような目で見下した。
つまるところ、無表情。
一方里紗は、自分より大きいシベリアンハスキーを目の前にした子供のような顔で功を見上げている。
「「…………」」
沈黙。
「ここは、送らなければいけないんだろうな…」
表情一つ変えずに功が言う。
「あ、いい…よ。別…に。」
目をそらして言う里紗。
「そういうわけにもいくまい。家はどこだ。」
「えと……有明…」
「なら、ゆりかもめだな。」
功が小さくため息をつく。
「えと、あの、本当に…いいの?」
里紗は恐る恐る功の顔を見上げた。
「構わん。後で総慈に下らんことを言われるのも面倒だしな。」
無表情で功が言う。
だが、それが里紗にとっては怒っているようにしか見えない。
「……ごめんなさい。」
里紗が頭を下げる。
その言葉に、功の眉が上がった。
「何も謝ることはない。」
「うん…」
うなだれる里紗。
「行くぞ。」
功は歩き出した。
「あ、待って……」
里紗も慌てて後を追いかける。
功は速く歩いているつもりはないのだが、歩幅の違いからか、里紗は小走りでないと功についていけない。
「……」
そんな里紗を見て、功はスピードを落とした。
「……ごめんなさい。」
「いちいち謝るな。自分が悪いとそう簡単に思うな。」
鋭い目で、口を真一文字に結んで、一般的に言う不機嫌そうな顔で功は里紗の方を見る。
「………。」
うなだれる里紗。
「……僕の顔は、怖いのか?」
今度は里紗の顔を見ないようにして功は言った。その目は真正面を向いている。
「え、あの、別にそういう……」
里紗は大きく首を横に振る。
「いや…総慈や、如月さん…他の刑事にもよく言われる。」
「あ……」
切れ長の目を少し見開く里紗。
そして口に手を当てると、
「ふふっ。」
笑った。
「……何がおかしい。」
功が今度こそ不機嫌そうな声で言う。だが、その声もすねているようにしか聞こえない。
「だって…」
クスクス笑いの止まらない里紗。
その里紗を、不機嫌そうな顔で、だが眉はハの字に曲げて功が見ている。
突然、そんな功の頬を雨粒が打った。
「雨か。」
すぐにいつもの無表情に戻し、上を見上げる功。
「本当だ…」
里紗も上を見上げる。
と、夕立のように一気に雨が激しくなる。
「おいおい……」
功は走りだした。
里紗も後を追う。
二人は、近くにあった高層マンションの下に駆け込んだ。
「大丈夫か。」
功は里紗の方を見る。
「うん…」
雨に濡れた、くせ毛でハネている髪を触りながら里紗は答えた。
「しかし…」
功も同じように濡れた長い髪を摘みながらため息をついた。
マンションの屋根の外、道路は半分川となっており、視界も五十メートルあるかどうか。
「最寄りの駅まで走って五分……いや…」
眉根にしわをよせ、功が呟く。
「総慈や託露君なら走ってもいけるかもいれんが・…」
ちらりと里紗の方を見る。
「あ…ごめんなさい…」
「気にするな。僕も無理だ。」
肩をすくめる功。
「僕は良い。君はどうする。」
「え…藍沢君は…?」
里紗が首をかしげる。
「ここが僕の家だ。」
親指で後ろを指す。
「あ…そうなんだ…」
「家の人はいるのか?」
「ううん……お父さんもお母さんも仕事で帰ってこない。」
「……そうか。」
功は腕を組んで大きくため息をついた。
里紗を見て、家を見て、もう一度里紗を見る。
「……とりあえず、うちに来るか?」
「え?」
「いつまでもここにいるわけにはいかんだろう。」
里紗は功の顔を見た。その顔はいつものように無表情だ。
「う…うん…」

 
 

「とりあえず、これを使うといい。」
功がソファーで座っていた里紗にバスタオルを放り投げる。
「…ありがとう。」
ドギマギしながらもそう言って、濡れた髪を拭く里紗。
「しかし、災難だな。」
功も、眉間にしわを寄せ同じようにバスタオルで頭を拭いている。
功の部屋は、皇居周辺の官庁街やお台場を見渡せるマンションの二五階にあった。
玄関を入って、右に二つ、左には三つドアのついた廊下が奥へと続いている。右の奥の方の一部屋は風呂、そのちょうど真向かいにある左側のドアはトイレ。
その廊下を抜けると右側にシステムキッチン、そして正方形の十六畳ほどのリビングが広がっている。キッチンに面した壁にダイニングテーブル、奥には窓があり、その右奥には大きな機械の塊のようなものと、テレビ。ちょうどそのテレビの反対側の壁に、二人ほどが並んで座れるソファーがある。
そして、大きなガラスの戸の向こうに見えるのは、官庁街の街明かり。
その中でも、ひときわ明るい場所がある。立てこもりの現場だ。
「雨の中ご苦労なことだな。」
肩をすくめる功。
「風呂を入れた。入ってきたらいい。」
窓のを外を見ながら功は言った。
「え?」
きょとんとした顔をする里紗。
「風邪をひくぞ?」
功も、なにか問題でもあるのか、という顔で首をかしげた。
「うん…」
「着がえはあるやつを使っていい。それも返すのが不愉快ならそのまま持って帰って捨ててもいい。脱いだ物も明日着て帰るならそれだけ洗濯して帰ればいい。僕の洗濯はいつでもできる。」
そして、無表情で風呂場を親指で指す。
「うん…分かった。」
里紗はゆっくりと立ち上がり、風呂場へ向かった。

 
 

「ふぅ…」
里紗は湯船につかりながら思った。
……藍沢君のことだから、何も思ってないんだろうなあ…。
ただ、濡れ鼠になっている里紗を放っていくわけにもいかず、自分の家にあがらせた。彼にとってはそれだけのこと。
里紗はそう思っていたし、実際そうであるのは間違いないだろう。
……私、何考えてんだろう。
そして、大きくため息をつく。
風呂の水面に、波紋ができた。

「あの……お風呂空いたよ。」
風呂から出てきた里紗は功に借りたジャージを着て言った。
「ん。そうか。」
だが、功は居間の隅にある機械に向かっていて、里紗の方を振り向こうともしない。
「……何やってるの?」
「無線を傍受している。」
その言葉通り、その機械からは無線の会話らしき怒号が聞こえてくる。
「それって…良いの?」
「……良くはないかもしれんな。」
眉間にしわを寄せる。
それほど大きな音量ではないものの、里紗にも無線の内容が聞こえてきた。
[犯人、中から出てきません!]
交渉人、深下の声だ。
「……中から出てこない、だと?」
功が首をひねった。
[だめです、スタッフルームの中の様子は把握できません!]
[どうします、突入しますか?]
[突入するな。交渉を続けろ。向こうはスタッフルームの監視カメラでこちらの行動を監視できているはずだ。下手な手は打てん。]
女性の声に、掛橋が淡々と言う。
「……あの管理官、突入のタイミングを逃したのか。」
苦虫をかみつぶしたような顔をする功。
「おおかた大臣閣下の身を案じてのことだろうな……」
忌々しげにため息をつくと、機械の電源を切り功は立ち上がった。
「風呂に入ってくる。」
そう言うと、功は風呂場に消えた。
「……」
それを見届けた里紗は、窓の外を見る。
人工の光に照らされる街。その中で、皇居だけが黒く沈んでいた。
部屋の電気が豆電球しかついていないせいか、そのコントラストは目立っている。
……藍沢君は、あの中で働いている。
それだけで、藍沢君が自分とはまったく違う人間だと思ってしまうのは私だけなんだろうか。
だから好きなんだろうか。
藍沢君は私とは違うから。私とは違うものを持っているから。
でも、私は彼とは違うものを持っているんだろうか。
……そんな自信はない。
私は何を持っているのか、それすら分からないのに。
もしかしたら、何も持っていないかもしれないのに。
……そんなことをこの前玲美に言ったら、いつものように「あんた馬鹿ァ?」と言われた。
「はぁ……」
ため息をついてソファーに座る。
里紗がいつもの癖で髪を指でいじっていると、功が風呂場から出てきた。
「あ、藍沢君……」
びくりと姿勢を正す里紗。
「……僕が視界に入るたびに、いちいち怯えたような仕草をするのはやめてくれないか。」
功が眉間にしわを寄せて言う。
「…ごめんなさい。」
うつむく里紗。
「……別にいい。」
それを見て功は、憮然とそう言い放つと机に座った。

 
 
 

其の四-2