其の四-2

Last-modified: 2008-02-02 (土) 23:23:47

翌日。官庁街のコンビニ前。
昨日とあいも変わらず、コンビニの前には物々しく警官隊が居座っている。そして、その輪の中心付近には黒い戦闘服の男たち。SATだ。
昨日の晩ずっと降り続けた雨もやみ、空は晴れ渡っている。
「夜も寝ずにご苦労なことだな。」
先に来ていて、警官隊の外縁にいた総慈に功が話しかけた。
「おお。功。どしたの?僕より遅いのは珍しいんじゃない?」
総慈は笑って功の背中をたたく。
「遠山君を家まで送り届けていた。」
コンビニの方を向いて功は言った。
「……なんで?どゆこと?」
いつもの軽い笑いで功の方を向く総慈。
「昨日雨が降ったろう。」
説明するのが面倒だという表情を隠そうともせずに、功は言った。
「降ったけど?電車も止まってたね。」
「なら、なおさら正解だったな。彼女の帰宅は困難だったので、家に泊めた。」
いつもの無表情で功は言う。
総慈もいつもの健康スマイルだ。
そして、沈黙。
二人の間を一陣の風が吹き抜け、仏頂面と笑顔が張りついた青年を二人の通勤途中の官庁職員が見て、もう一度風が吹き抜けた。
ポン、と功の両肩に自分の両手を置く総慈。
「功……」
「卑猥な妄想なら口にするな。」
夜回り先生の顔になっていた総慈に、功が言う。
「……いや、しかしだね?」
功の肩に手を置いたまま、夜回り先生口調で言う総慈。
「何だ。」
「それは…こう、なんて言うのかな、あれだよ。うん。」
そして、一人でうなずく。
「……下らん妄想はするな―――」
眉間にこれでもかというほどしわを寄せ、功は総慈に抗議………できなかった。
「こぉんのネクラぁぁぁぁァ!」
ドスの利いた女性の声とともに、功の脇腹に凶暴ながらも美しい足がクリティカルヒットしたからだ。
「ごぅえぉ……」
奇妙な声を出して、脇腹を抱えうずくまる功。
「あんたねぇ……あんたなんかエンコーオヤジと何にも変わんないのよ、こんの馬鹿!」
腰に手を当て、うずくまる功にさらなる一撃を加えようとしているのは、玲美だ。
「ねぇ、玲美、違うから……」
その玲美の私服のすそを、里紗が控えめに引っ張っている。
「おお。玲美に里紗ちゃん。」
「……君に四分の一入っている国では、朝の挨拶に人の脇腹に蹴りを入れるのか?」
総慈はひらひらと手を振り、功は脇腹を押さえつつ立ち上がった。
「あいにく、フランス人は変態にしか蹴りは入れないわ。」
視線で物理的抹殺が可能かと思わせるほど冷たい功の目を平然と見下し、玲美は鼻を鳴らす。
「変態行為をした覚えはないのだが?」
「里紗を部屋に連れ込んだ!これで十分よ!」
「あのまま雨の中放っておけと?随分と友人に冷たいな。」
「他に手はあったでしょ!」
「少なくとも怒りをそのまま暴力に変換する人間よりは深く考えたつもりだがな?」
本来端正な顔立ちの二人がにらみ合い、抜き差しならぬ雰囲気を漂わせているのは、はたから見ると相当異様な光景だ。
「ねえ、玲美、違うんだってば……」
里紗が首を振り振り言った。
「何が!」
玲美が八重歯をむき出しにして怒鳴る。
「ひっ……」
怯えたように後ずさりする里紗。
その横では、怒りの矛先が自分からそれた功がため息をついていた。
「そういや、二人とも昨日のこと警察に言いに行ったの?」
「もちろん行ったわよ!ちゃんと調べるって言ってくれたわ。」
再び腰に手を当て、玲美は言った。
「へえ、じゃあ良かった。」
微笑む総慈。
「何がよ。」
「だいたいそういうのは『あんたが思わせぶりなことしたんじゃないのか』とか言われるもんなんだよ。」
総慈が肩をすくめる。
「ああ。それは無いわね。」
自信満々に言う玲美。
「なんで。」
「だって、声掛けられたのは里紗よ?言ってなかったっけ。」
本日二回目の沈黙。
その沈黙をやぶったのは、功のため息だった。
「あー、そうかー。」
したり顔で頷く総慈。
「ななななな何よぅ!」
「気にやまない。需要はある。」
健康スマイルで、総慈が言葉の槍を半泣きの里紗に突き刺す。
「需要って、私だって、私だって……」
だんだんとうつむいて、最後に小さく「違うもん……」と呟くと里紗は玲美の後ろに隠れた。
その横で、功が大きくため息をつく。
その時だ。
ベンツではないものの、真っ黒な車が野次馬を轢かんばかりの勢いで突っ込んできた。
ブレーキの音とタイヤの焦げる音とともに急停車。
「おいおいおいおい、まだ解決してねえのかよ!」
助手席から怒鳴りながら出てきたのは、森嶋だ。
「森嶋さん!」
総慈が言う。
「おぅ、宇都宮か。」
ジャケットのポケットに手をつっこみ、咥え煙草で森嶋は総慈の方を見た。
「あのクソ野郎、SATと情報課使って、素人一人捕まえられねえのか?」
煙草を携帯灰皿に入れる森嶋。
「どうやらそのようですね。そちらは?」
功が肩をすくめる。
「終わらせたよ。自動小銃持ってても、使いどころが分かってなかったらただのカナヅチだ。」
余裕の笑みを浮かべると、
「おい、ちょっと無線機貸せ。」
森嶋は、近くにいた制服警官から無線機をひったくった。
そして、大きく息を吸い込む。
総慈と功は、これから何が起こるのかを察知して無線のイヤホンを外した。
「ゴルァ!掛橋ィ!」
警官隊にざわめきが起きる。そして、全員が一様に耳を押さえていた。
「てめえSAT使って素人捕まえられねえってバカかオメーは!バカだろオメーは!」
唾を飛ばし、周りの空気を歪ませ怒鳴る森嶋。
[…………森嶋さん、でしたか?]
少しの沈黙の後、掛橋の声が無線から聞こえてくる。
「おお、無能のお出ましか。」
[その言い方は、やめて頂きたいものですね。]
無感動な声で言う掛橋。
「うるせえ。SAT使って素人も捕まえられねえ奴なんざ無能で十分だよ。」
[政府高官が人質に取られているのですよ?]
「知ったこっちゃねえな。政府高官だろうがなんだろうが唯のオッサンだ。普通のやり方でやればいい。」
森嶋は煙草に火をつけた。
[そういう訳にはいかないんです。大臣に手荒なまねはするわけにはいきません。]
「……内閣に嫌われるからか?」
[表現は幼稚かもしれませんが、大意は合っています。]
「指揮権俺によこせ。坊ちゃんには無理だ。」
真剣な顔で、森嶋が言う。サングラスの奥の目が、いっそう鋭くなった。
一瞬の沈黙。
[あなたに任せると、何をするか分からない。]
「おまえに任せてたら、いつになったら解決するか分かんねえんだよ。」
掛橋の言葉に間髪入れずに、森嶋が言い返す。今度は言葉に怒気を入れて。
[……責任は、誰が取ることになると思っているんですか?]
無感動な声。が、よく聞くと少し震えている。
「責任?なんだ、お前、結局自分がかわいいんじゃねえか。」
森嶋が、嘲るように、が朗々と言う。
[……私は、内規を……]
「っざけんじゃねえ!政府高官だろうがホームレスだろうが一緒だろうが!人の命がかかってんだよ!責任?内規?そんなもん後回しにしろや!てめえのチンケなプライドと、人の命天秤にかけるつもりか!かけたいなら好きにしろ、俺も、警察官になるようなやつも、誰もそんな天秤用意するつもりなんざねえんだよ!」
無線機をつぶれんばかりに握って森嶋は怒鳴った。咥えていた煙草を取り落としたが、そんなものは気にしていない。
[…………]
無線機の向こう側は、沈黙が支配している。
コンビニの周りに構える警察官達。その顔には、同じ表情が浮かんでいた。
目の前の事件に対する覚悟。人の命を預かる。それがなんたるか。いつも怒鳴ってばかりいるベテラン刑事の、本当の怒りを垣間見て感じたこと。
[……いいでしょう。]
掛橋の声が沈黙を破る。
[ただし、失敗したら……]
「分かってるよ。俺が、責任取ればいいんだろ?お前はのうのうと自分の無能を嘆いて上に行きゃあいいさ。」
森嶋の顔に浮かぶ余裕の笑み。
「よし、お前ら聞いたか!俺が指揮を執る!一丁おっぱじめるぞ!」
[[[了解!]]]
森嶋の音頭に、現場の刑事たちが答えた。
「SATは間取り図からスタッフルームの位置を確認、一番近い外壁に数人回せ!」
[了解。工作班を回します。]
「分かってんじゃねえか。情報課は犯人の注意をできるだけ引きつけろ。これで決めるつもりだ。大ボラ吹いても構わねえ。」
[分りました。]
SATの服を着た人間が何人かコンビニの側面に回り込み、車の中にいた情報課の深下は再びコンビニの前に立った。
[何をする気ですか。]
掛橋の声。
「まあ今に見てろ。派手にやってやるからよ。」
懐疑心に満ち満ちた掛橋の声を聞いても、森嶋の余裕は崩れない。
[配置につきました。]
SATから無線が入る。
「よし、じゃあ窓があるだろ。鉄格子が付いているだろうが関係ねえ。爆薬でも仕掛けて一発で割れるようにしとけ。換気扇からカメラ入れろ。中の様子をだいたいで良い、分かるようにしとけ。」
[了解。]
「他のSATは犯人に気付かれないように屋根の上に登れ。俺の合図と同時に降下、突入しろ。」
[了解。]
しばらくして、コンビニの屋根の淵に、黒い戦闘服を着た男たちがカラスのように並んだ。
[配置につきました。犯人は部屋のスタッフルーム奥の隅に人質を座らせ、中央の椅子に座っています。]
「分かった。情報課、任せるぞ。」
[分かりました。]
深下が一歩前に出る。
【シゲルさん、車の用意ができました。】
拡声器を通して、深下の柔和な声が聞こえる。
[犯人、椅子から立ち上がりました。]
SATからも、スタッフルーム内の実況が入る。
【車の用意ができました。手順を説明します。まず、部屋から出てきてください。そしたらコンビニの前に車を止めます。】
[犯人、スタッフルームの入り口に近づいています。]
「まだだ、まだ突入するな……」
凄まじいまでの集中と緊張。森嶋の眉間にしわが寄る。
【警官隊は離しておきます。あなたが車に乗ったら、それが見えなくなるまで私たちはここを動きません。】
[犯人、出口から顔を出しました。]
その言葉通り、犯人の顔がレジカウンターの奥にあるドアから、ひょっこりと出てきた。
「窓ガラスを割って閃光弾投げ入れろ!突入だァ!」
パアン、という破裂音とともに、指向性の爆薬がスタッフルームのワイヤー入りガラスを吹き飛ばす。
驚いて振り返る犯人。
それと同時に、屋根の上で待機していたSATが一斉に飛び降りる。
体当たりで窓ガラスを割り、突入。
犯人が再び振り返る前に、閃光音響手榴弾が、窓に開いた穴から投げ込まれた。
破裂。
凄まじい高音と閃光。犯人は思わず目をつぶり、頭を抱えしゃがみこんだ。
そこをSATが取り囲む。
玄人の手つきで、銃を突き付けた。
SATの隊長らしき人間が、無線に口を当てこう言った。
[犯人、確保しました。]

 
 

「ったく、最初から俺に任せときゃあいいんだよ。」
連行される犯人を見て、森嶋が言った。
「全くですね。」
同じように、パトカーに押し込まれる犯人を憐みの目で見ている功。
「今頃、あの掛橋っていうの何してんでしょうかね。」
総慈が言う。
「どーせ上への言い訳でも考えてんじゃねえのか?」
「いくらマニュアルを順守したとはいえ、この官庁街でこうも長い間たてこもらせたのは問題でしょうからね。」
警視庁を見上げる功。
「どうだかな。何が起ころうがあいつらは『やるべきことはやりました。改善していきます。』で済ますだろうし。」
「いいですね、上でお茶すすりながら指示してるだけの人たちは。」
「俺はなりたくねーけどな。」
「ごもっとも。」
そして、三人そろってため息をつく。
その時だった。
総慈の視界に、一人の中年男性が目に入った。
何故かその男は息を荒げて、中学生くらいの女の子に話しかけている。
総慈はそれを視界に入れながら、近くにいた玲美の服を引っ張った。
「何よ。」
迷惑そうな顔を向ける玲美。
「ねえ、あれ?」
総慈がその男の方を指さす。その男はそんなことにも気付かず、財布を取り出して女の子に万札を見せていた。
「………」
黙って頷く玲美。
総慈は今度は功の服を引っ張る。
始めは迷惑そうな顔をした功だったが、総慈の視線の先にあるものを見て頷いた。
二人はその男に歩いて行き、同時にその肩を叩いた。
振り返った男の目の前に、二冊の黒革の手帳が付きつけられる。
「警視庁刑事部、捜査第一課強行犯三係、警部補の藍沢功です。
「警視庁刑事部、捜査第一課強行犯三係、警部補の宇都宮総慈です。」

 
 
 

あとがき-2