其の四-3

Last-modified: 2008-04-20 (日) 21:53:04

勝どき署。
刑事課の取調室の前に、功と総慈、玲美はいた。
刑事課室の中の喧噪が嘘のように、三人の周りを沈黙が支配している。
三人とも壁にもたれ、うつむいたまま顔を上げようとしない。
と、その時取調室のドアが開いた。
「あ……」
総慈が、中から出てきた刑事に向かって何か言おうとする。
「ああ、警視庁の?中にいる。入っていいよ。」
総慈と功を見て、気だるそうに、後ろを親指で指す中年の刑事。
「はい……」
入っていい、の言葉が罪状であったかのように、総慈は返事をした。
中へ。
パイプ椅子二つと机があるだけの簡素な部屋。
机の向こう側にある椅子の上には里紗が座っていた。
「里紗!」
玲美が駆け寄ろうとするが、すぐに思いとどまる。
里紗の、虚空を見つめる目。小さく開いた唇が、わなわなとふるえている。
「里紗……」
何をしていいのか、何を話せばいいのか。
「里紗……ちゃん……」
総慈も一歩歩み寄るが、それ以上は近づこうとしない。近づけない。
功は、二人の後ろで、険しい顔で里紗を見ていた。
と、里紗が顔をあげた。
「あ、みんな……」
目の焦点が合い、玲美、総慈、功と視線を移動させる。
「大丈夫、大丈夫だよ。」
そう言って、弱々しく口を曲げた。
だが、その目に光は宿っていない。
「そう……。」
そう言って、うなずくしかない玲美。
「みんな、そんな深刻そうな顔しないで。宇都宮君、藍沢君も。」
微笑む里紗。
必死に。皆に心配をかけまいと。
「大丈夫だから。」
微笑んだ。
「本当に、大丈夫なの?」
玲美が言う。
大丈夫じゃないってことくらいは、分かっている。
それでも、騙されないと里紗はもっと困るから。
「うん、大丈夫。」
いつものような間の抜けた笑顔を見せる里紗。
たとえ、二人の表情が演技だとしても。
三人は笑いあった。
「そっか。」
玲美が微笑む。隣にいた総慈も、弱々しく笑った。
後ろにいた功だけが、一人険しい顔で里紗を見ていた。

 
 

「犯人は……だれだろう?」
帰り道。功と二人並んで総慈が言った。
「知らん。」
夕日に顔を照らされ、功が憂げに言う。
「知らないって、そんなのは分かってるよ。」
苛立ちを隠そうともしない総慈。立ち止まって、功を睨む。
夕日に光る、歪んだ瞳。
「だから早く見つけ……」
「……君だって分かってるだろう?言っていたじゃないか。」
総慈を追い抜かした功が立ち止まって言った。
その声に感情はうかがえない。
「………」
功の後ろ姿を睨みつけ、歯ぎしりをしながらも総慈は言い返さない。
「夕方、専業主婦が夕食を作っているような時間帯に窓から入る泥棒が……」
追い打ちをかけるように、功が言う。
声こそ震えていないが、その拳は固く握られていた。白い肌に、青筋が立つほど。
「言うなっ!」
悲鳴に近い総慈の声が、海辺のコンクリートの造形に反射する。
「そんな事、考えたくもないのに!」
「僕とて、好きなものか!」
怒りに任せ怒鳴る総慈に、功が振り返った。
逆光に隠れそうなその目は、総慈と同じ苛立ちに染まっている。
「彼女を絶望の深淵に落として楽しむほど、悪趣味だとでも思ったか……!」
荒くなる呼吸を抑え、総慈を睨む。
「………ごめん………」
うつむく総慈。
「………探そうと探すまいと、たとえ隠そうとしても事実は見つかる。」
功は再び夕日の方を向いて、歩き出した。
長い髪が、頭に合わせて動く。
「事実は一つだ。だが、真実は一つじゃない。」
功のつぶやきは、総慈に届かない。
「事実など、いくらでも。」
大股で歩きながら、功は言う。
「いくらでも。」
その目は、まっすぐと前を見つめていた。

 
 

「これより、捜査会議を始める!」
翌日。森嶋が、会議室の正面で怒鳴った。
「鑑識!何か分かったことあったか!」
「被害者宅の床に、血痕を踏んで歩いたものと思われる足紋を見つけました。前科者の中に照合者は見つかりませんでしたが。」
「まあ、見たところ、親しい人間か、どっかがオカシイ奴の犯行ってとこだろ。」
そう呟きながら、森嶋は書類をめくった。
「分かった。次!近隣住民への聞き込みはどうなってる!」
「はい。」
功と総慈の隣に座っていた、如月が立ち上がる。
「犯行時刻と思われる六時ごろ、被害者の妻である遠山優子が慌てて家を出て行くのを目撃した、という人が多数いました。玄関の鍵をかけ、服の前を隠すようにカバンを抱えていた、という証言もいくつか。」
「……そんだけあれば上等だよ。あんまり気分のいい話じゃねえがな。」
舌打ちをして、森嶋は机を軽く叩いた。
「うし!ホシは遠山優子で決まりか。確か、今ココにいたな?」
「ええ。任意で事情聴取中です。」
森嶋の問いに、隣にいた男がノートパソコンを眺めて言った。
「よし、俺が行く。如月、小田。来てくれ。」
コートを手に取り、森嶋が言う。
「はい。」
「了解です。」
軽く敬礼、立ち上がる如月と小田。
「他の三係は所轄と協力してもちっと証拠集めといてくれ。」
「「「了解!」」」
「はいじゃあ各自、解散!」
森嶋の声で、刑事たちは三々五々に会議室を出て行く。
その中で、功と総慈だけがうつむき、座ったままだ。
眉間を押さえ、功は大きくため息をついた。
「………」
そんな功を一瞥して、総慈は再びうつむく。
「功、行ってやりなよ。」
うつむいたまま、総慈は言った。
「なぜ、僕だ。」
「俺が行って言うより、功が言った方が絶対良いよ。」
自嘲気味に笑う総慈。
「……そうか。」
「そうだよ。」
しばらくの黙考の後、功は静かに立ち上がり、会議室を後にした。

 
 

昨日里紗に渡してもらった地図を見ながら、功は台場の住宅街を歩いていた。
僕は、何をしようとしている?
歩きながら、功は思った。
総慈に、遠山君に事実を伝えて来いと言われた。
はっきり言って、そんなもの汚れ役だ。
なのに、僕はなぜそれに従った?
あのまま座り続けていれば、総慈が言いに行っただろう。言いに行かずとも、警察から伝えられるだろう。
なのに、何故。
傷つけたくないからか?
うまくやれると思っているからか。自分が行って言えば、彼女を傷つけずに事実を伝えられると?
……まさか。
人は、人を傷つけることしかできないのに。
諦めていたのに。もう何もすまいと。
絶望していたはずなのに。人と人が手を取り合うことなど。
人は、反吐の出るような馴れ合いの中にいないと、人を傷つけることしかできないのに。
……諦めきれていないのは、警察に入ったころから分かっていたか。
自嘲気味にため息をつく。
諦めきれていないから、警察に入って正そうとした。人を。世を。
犯人を捕まえても、どうにもならないのに。
人はまた、人を傷つけようとしている。
地図の中にある赤い印。その場所に、功は立っていた。
値の張りそうな日本風の家。功は静かにインターホンを押す。
[はい。]
スピーカーから聞こえる、里紗の声。
「藍沢だ。」
[藍沢……君?]
インターホンが切れる。
ややあって、里紗が引き戸を開けて出てきた。
「どうしたの?」
嬉しさと不安、父を失った悲しみがないまぜになった表情で里紗は言う。
鉄の門扉を開け、功は玄関前にいる里紗へ一歩踏み出す。
目を伏せ、決意したように口を真一文字に結ぶと、里紗の目を見た。
「犯人が分かった。」
「本当に!」
まだ影はあるものの、里紗の顔がほころぶ。
それを見て、功は思った。
……僕は、この顔を壊す。
「君の母親だ。」
刹那、時が止まる。
意味が分からない、という表情で里紗は功の顔を見ている。
「……え?」
首をかしげる。
「おかあ……さん?」
里紗の顔には、何の感情も浮かんではいない。ただ、功との距離が分からないかのように、その目は揺れている。
「ああ。」
その目を、見つめ返して功は言った。功の表情にも動きはない。
「嘘……だよね?」
「事実だ。」
光をつかもうとした里紗を、功はなぎ払う。
「だって……お母さん……私……お父さんは……」
文にならない言葉。
その目は、もはや功を向いてはいない。
昨日の取調室にいたときのように、虚空を凝視している。
涙。
頬を伝い、地面に落ちるのと同時に、里紗の膝が地面についた。
「……そんな……嘘だよ。だって、お母さんは……」
「状況証拠がそろいすぎている。物的証拠も、いずれ。」
首を振り言う里紗に、功は静かに告げた。
「そんな……じゃあ、私は?明日から学校は?クラスのみんなは?ニュースになっちゃうよね?これ。」
顔を上げ、里紗が言う。
「私のお母さんは、お父さんを殺したの?私は、何なの?」
立たない足腰を引きずり、すがるように功に這い寄る里紗。
「私は何になるの!お母さんはお父さんを殺した……私は何なのよ!」
功のコートの裾をつかんで言う。
そんな里紗を、功は黙って見下ろしている。
逡巡するかのように大きく息を吸い込むと、
「自分の価値は、自分で決めろ。」
呟くように言った。
「自分が何かは、自分で決めろ。」
……彼女にそんな事を言っても、できっこないのに。
「他人は関係ない。自分が何で、自分が何をしたいか、何をすべきか。自分で考え、自分で決めろ。」
それでも、僕はこう言うしかない。
勝手な言い分だ、和を乱す。そう言われることがあっても、僕は僕でしかない。
「自分が何かなんて、自分にしか分からない。他人が決めることじゃない。」
そう、だから僕は、こうやって考えを彼女に押し付けることしかできない。
彼女の気持ちなど、分かるはずもない。何もしてやれない。
だから。
「自分が何かは、自分で決めろ。」
コートをつかむ小さなか弱い手を払いのけ、功はそこを後にした。

 
 
 
 
 
 

あとがき-3