其の壱-2

Last-modified: 2008-02-02 (土) 23:18:25

霞が関官庁街のはずれにある一軒のコンビニエンスストア。
いつもは官庁街に勤める職員などが昼休み時になると足を運び、昼食を買うような平和な全国チェーン店である。
が、その青を基調としたデザインの店の周りを今日はパトカーが取り囲んでいる。
いや、パトカーだけではない。突入部隊用の特殊車両までもがその周りに陣取っていた。
「馬鹿だよなぁ、おとなしくつかまってりゃ強盗殺人未遂で済んだかもしれないのに。」
そのパトカーの群れの中で言った少年は、黒と茶の混ざり合ったような髪をワックスでスタイリッシュに決め、ランニングのシャツの上にカッターシャツを着ている。その軽そうな笑顔と口調は、宇都宮総慈だ。
「最初の被害者は腎臓を一突き、か。奴はその手のプロか?」
その隣に立って、手元の資料を見ながら言ったのは白皙黒髪の少年、藍沢功。鋭い、言いようによっては目つきの悪い目を、長いまつげが覆っていた。その長い髪は頭の後ろ、ちょうどポニーテールにするところでくくっている。夏に入る前に少し切ったのがまだ伸びきっておらず、長さは肩より少し上までくらいだ。秋も半ばになり、春に着ていたコートをパトカーの屋根に置いている。
「いや、そうでもないみたいだぞ。あの立て籠もりかた見てると。」
さらにその隣、ガラス張りになったコンビニの窓越しに、店内の様子を見ていた如月俊作が言った。これといって特徴のない顔立ちに、その辺のサラリーマンのような髪型、背広の前を外し、ネクタイもろくに締めていない。
そしてその如月の言葉通り、籠城を決め込んだと思われる犯人は、背広姿の初老の男性の首に腕をまわし、ナイフを威嚇するかのように壁の向こうの警官隊に向けている。
「本当だ。あのおっさんが柔道五段だったら一瞬でやられてるな。」
秋も半ばといえど、ひなたにずっといると流石に寒くはない。総慈が服の前をパタパタやりながら言った。
「まあ、それはないだろうけどよ。」
如月が功から書類を受け取る。
その書類には初老の、頭のてっぺんが少し禿かけた丸顔の男性の写真が載っていた。
もう一度視線をコンビニに向ける如月。
書類に載っている男性と、人質に取られている男性の顔は全く一緒だった。
さらに書類の写真の横には、こんな文字が。
『農林水産省大臣 青葉誠』
「「………」」
功と総慈は半ば諦め顔でコンビニの中の様子を見ている。
「なんでこーなるの?」
少々古すぎるのギャグと同じイントネーションで呟いた如月の疑問に答えるには、少し時間を戻す必要がある。
………
……

~FILE2~
―対決、新旧管理官―
Decisive Battle, KASUMIGASEKI-2

 

Two hours ago…

 
 

「はぁ?エンコー?」
総慈が言った。
千代田区霞ヶ関一丁目、都心に浮かぶ原生林、皇居を中心とした官庁街。
深い緑に覆われた江戸城跡、その周りを取り囲むように政府関係の建物が並んでいる。
もっとも、正確には、東側が丸の内や大手町、北側が北の丸、西は言わずと知れた永田町である。そして、皇居の南側が霞ヶ関、警視庁と警察庁、法務省や検察庁のある場所である。
当然そこには官庁街に勤める人々が昼食を取ったりするためのレストランや喫茶店がある。
そのなかの一軒、『SEED』。官庁街にある喫茶店の中でもひときわ洒落た店であるが、場所が場所なだけに来るのはオッさんばかりだ。
当然、その中に高校生がいると、浮く。
しかも今は昼休みも過ぎ、中に客の姿もほとんどない。
そんな店の入口を入ってすぐ左のところにある窓際席。ガラスでできたテーブルを二つのソファーがはさんでいる。入り口側の席には、通路側に功、窓際席には総慈が座っていた。
「ガソリンタンクに砂糖でも入れたか?」
半ば呆れたような顔でそう言ったのは、功だ。
「あんたバカぁ?それはエンコ。私たちが言ってるのは援助交際のことよ。」
功と総慈、二人の向かい側のソファーの窓際に座っている茶髪の少女。日本人離れした白い肌に青い目。白い、というより青白いと表現したほうがいいような功の肌とはまた違い、明らかに西洋人のそれである。服は私立青高学園の冬服。カッターシャツの上に紺色のベストと長袖のブレザー、というデザインなのだが、温度管理の行き届いた喫茶店内ではその上着を脱いでいた。その一瞬モデルに見紛う程の器量と容姿は、託露玲美だ。
「あの…玲美…あんまり大きな声で…」
眉をハの字にして玲美の服を引っ張っている黒髪の少女。その髪は肩のところ辺りで大きくうねり、くせ毛であるということが分かる。座高だけで、身長は玲美より十センチ近く低いだろうか。服装は玲美と同じで、冬服の上着を同じく脱いで膝の上に置いている。その自信のなさげな目は、遠山里紗だ。
「って、それ本当なの?」
文句を言うんじゃない、と里紗の頬をつねった玲美を制して総慈が訊いた。
「本当よ。あのクソオヤジ、いきなり『三万でどう?』よ?バッカじゃないの?気色悪いったらありゃしない。」
最後に里紗の広い額を人差し指で思いっきりはじいて、玲美が総慈のほうに向きなおる。
総慈の隣では、額を押さえて泣きそうになっている里紗を功が無表情で見ていた。
「どうよ、功。」
総慈が功のほうを向く。
「最寄りの所轄の生活安全課に行け。」
総慈や玲美、里紗のほうを向きもせず、ただ目の前に置かれたアイスコーヒーのグラスを見て功が言った。
「あ、ひど。」
苦笑いする総慈。
「ちょっと、なによその返事。」
木で鼻をくくったような功の返事に、玲美が食ってかかる。
「どうもこうも、僕たちは捜査一課、別名殺人課だぞ?」
顔をあげ、玲美のほうを見て言う功。
「だからって、警察官でしょ?」
「関係あるか。そもそも、自分の町で起きた事件をいきなり都道府県警察本部、しかも首都警察でもあるところに持ち込むな。」
なおも食ってかかる玲美に、功が下、つまりこの場を指さして言う。
「じゃあ誰かに指示出しなさいよ、警視庁って一番偉いんでしょ?」
胸を張り言う玲美。
「はぁぁ?」
そんな玲美の自信を打ち砕くかのように、功は嘲りを可能な限りこめた笑いを放った。
「なによ、それは。」
「君は警視庁が、内閣関係省庁の類だと思っていないか?」
「そうじゃないの?」
「自分の国の治安組織の構造くらい覚えておきたまえ…」
ため息とともにかぶりを振る功。
「あんたねぇぇ……」
そんな功を睨みつけ、玲美は手元のグラスを割れんばかりに握りしめ、どす黒い赤色をしたオーラを立ち上らせた。
「功。ストップ。それ以上言うと喧嘩になる。」
総慈が、薄ら笑いを浮かべまた口を開こうとした功の眼前に手を出して制止する。
「わかった。」
両手を挙げる功。
「でも、警視庁が内閣直属の機関じゃないっていうのは本当だよ。」
「でも、『庁』ってついてるじゃない。」
「警視庁の本来の名前は『東京都警察本部』。『神奈川県警』とか、『埼玉県警察』とかと同じ類のものなんだ。それが『庁』になっているのは、まず当然首都警察であるということが理由。ほかの道府県警にない設備もあったりするし。あと、天皇さんが全国巡礼するときの警護とかも警視庁が主導。一番最初に文句言われるのは警視庁だからね。ああ、あと警視総監がいるっていうのも大きい。」
総慈が、人差し指を立て得意げに解説を始めた。
「でも、警察庁ってのもあるでしょ?あと、警察庁長官と警視総監って何が違うの?」
「そこがややこしいんだけどねー。警察庁は内閣府の下にある官庁の一部。つまり、警察庁長官は内閣が決めるの。で、国のすぐ下にある警察庁が本来一番力を持ってるはずなんだけど、警察庁には事件を捜査する力がない。その長が警察庁長官。パソコンに例えるなら演算装置だけの存在。なにか行動を起こそうったってプリンターもディスプレイもなけりゃ何もできない。そこで警視庁の出番。警視庁は警察庁とは対照的に、人事やその他基本的な方針に対しての影響力がない。その代り現場での判断や行動はこっちが全部やる。で、その長が警視総監。だから警察庁長官と警視総監は立場が対等なんだよ。」
そこでいったん総慈がアイスコーヒーを口に含む。
「…ちょっと待った、よくわからないんだけど。」
右手で額を押さえ、左手を上げる玲美。その眉間には深いしわが寄っている。
「んーと、いうなれば某アニメに出てくる委員会と特務機関みたいな関係かな?」
総慈が満面の笑みで人差し指を挙げる。当然、玲美と里紗は「はぁ?」という顔をすることしかできない。
一人功だけが、アイスコーヒーを一口飲んで、「小田さんに毒されたか…」と呟いた。
「あー、つまり、実行機関のほうが何か勝手をしても、首脳機関は文句を言うことしかできない。首脳に実力行使はできないわけだから。でも実行機関は実行機関で人事や政策方針を首脳機関に決められてるからあんまりな勝手は出来ない。ちなみに地方道府県警をまとめてるのは警視庁。で、さらにその下をまとめてるのが各道府県警。でも基本的に警視庁は地方警察に干渉しない。地方自治の精神にのっとって、ね。最近は地方と中央の警察の連携を強めてる傾向もあるけど。」
「…それってすごく効率悪くない?」
「そうなんだよね…。そのせいでだいたい長官と総監は仲が悪いし、警視以上になろうと思ったら警察庁に研修に行って国家公務員にならないといけないの。『見識を広げるため』って言っているけど、体の良い洗脳だね、あれは。でもまあそのおかげで地方警察と中央警察、首脳警察のバランスがかろうじて保たれてるってわけ。警察機構は八首の竜ならぬ、八つの体を持った竜だね。しかも体は時々頭に反抗するときた。」
総慈が飲み終えたコーヒーのグラスを置く。
「ややこしいわね…」
大きくため息を玲美。
「ややこしいよ。ま、『下っ端は下っ端の仕事をしてればいい。』っていうのを信条にしてる如月さんみたいな人もいるけど。」
「如月さんって?」
「ああ、そういや玲美は知らなかったね。一課の先輩。また機会があったら紹介するよ。」
総慈が手をヒラヒラと振った。
その時である。
功の携帯が鳴った。
「…はい。」
ズボンのポケットから携帯電話を取り出して出る功。
「はい、知っています。…はい。」
無表情で頷いている功の顔を三人が覗き込む。
「何ですって?」
その澄まし顔の眉間に、しわが寄った。

 
 
 
 

其の弐-2