其の弐-2

Last-modified: 2008-02-02 (土) 23:20:36

警視庁、第九会議室。
前後に二つある入口。その真ん中辺りを中心にして前後左右に一列、十文字のように通路を開けて長机とパイプ椅子が並んでいる。一番前にある長机の前にいるのは、派手なガラのシャツを着て、少し色を抜いて短く切りそろえられ、額のほうは薄くなりかけた髪型と黒いサングラスをかけた中年男性。ズボンのポケットに手を入れ、椅子にもたれかかっているのは、森嶋だ。
いつもの殺人事件とは違い、会議室にいる捜査員はまばらだ。
その四つに区切られた椅子の塊の中で、後ろから見て右奥の手前右の端には影のように黒い人影、功がいた。その隣にはモスグリーンのジャンパー、茶の頭、白のシャツのトリコロール、総慈がいる。少し離れた所には如月が。
「これより捜査会議を始める!」
いつものように、マイクも使わず森嶋が怒鳴った。
「まず、被害者は!」
森嶋の怒鳴り声に、左奥の塊の真ん中あたりにいた一人の私服捜査員が立ち上がる。
「被害者の名前は新庄秀明、三十九歳。持っていた免許証で確認できました。法務省の会計課員です。目撃者の証言によると今日十三時頃、日比谷公園で昼食を食べた帰りに、背後から近寄ってきた男に背中を刺されたとのことです。腎臓を一突き、かなり危険な状態です。」
捜査員が手帳を閉じた。
「で、その刺したほうの男は。」
その森嶋の言葉に、別の捜査員が立ち上がる。
「被害者の財布を抜き取り、逃走。制服警官に追いかけられ、コンビニに逃げ込み、凶器にしたナイフをコンビニにいた青葉大臣に突きつけて、現在に至ります。」
その言葉を聞き、顔をしかめる森嶋。
「政府高官を人質にしてコンビニに籠城か…」
書類片手に、大きな音をさせて舌打ちをする。
「しゃあねえ。まず犯人の身元特定だ。情報課を出せ!前科者と人相照合させろ!」
勢いよく息を吐き出したあと書類と持っていたペンを一緒に机に叩きつけ、森嶋が怒鳴った。
「…情報課が出るか…」
功が呟く。
「まあ、現場に出てくることあんまりないからね。いざって時のために経験積ませておこうってことじゃないの?」
「だろうな。」
両手を肩のところで広げる総慈と、うなずく功。
「突撃部隊はSATを使うぞ!一応政府高官だ。丁寧にしてやれよ!」
そして、用は済んだとばかりにジャンパーをつかみ、森嶋は立ち上がった。
前の列のほうにいた捜査員と会話しながら、前のほうの扉に近づいていく。
その時、扉が勢い良く開いた。
ちょうど右を向いていて顔面に直撃こそしなかったものの、扉が全身を殴打する。
「うご…」
そのまま倒れこむ森嶋。
それには気づかず、扉の隙間から顔を突き出すようにして、捜査員は怒鳴る。
「渋谷の繁華街で立てこもり事件があり、渋谷警察からSATの出動要請が来ています!こちらの事件との調整を……って…あれ?」
会議室を見渡しても、地面に対して平行な視線に森嶋の姿は当然入ってこない。
室内の刑事が揃って入ってきた捜査員を睨み、下を指差す。
「はい?」
ゆっくりと下を見下ろす捜査員。
それと森嶋がゆっくりと立ち上がるのは、同時だった。
捜査員が固まる。
「別に怒ってねえよ。別に。」
右手をヒラヒラさせながら、服の埃をはらう森嶋。
別に怒ってない、という人間は、本当に怒っていない事も多い。だがドスのきいた地の底から響くような声では、その言葉に説得力はない。
「お前、」
笑いをこらえきれなくなった時のように、短く息を吐き出す森嶋。
「申し訳…」
「お前急いで入ってくるのはいいぞ急いで入ってこないとだめだけどよお前もうちょっとドアの向こうの気配とか気付かねえのか馬鹿野郎お前分からねえとは言わせねえぞこの馬鹿ヤロー!」
襟首を掴むような事はしない。身長も森嶋のほうが数センチ低い。だが、その怒鳴り声は会議室の窓ガラスを揺らし、当然その大音量を間近で受けた捜査員は二三歩後ろによろけ、最後にはしりもちを付いた。
「ったく…」
サングラスの向こうから、鬼のような目で最後に捜査員を睨みつける。
「で、SATの出動要請だったか。……おい、伊吹。」
森嶋はまだノートパソコンと共に長机の前にいた三十歳くらいの男性、伊吹に目配せをした。
「……はい、確かに。渋谷のビルに十人近くが人質にとられており、犯人は自動小銃を保持しています。」
「……まじかよ。」
今まで座っていたパイプ椅子に座りなおし、人差し指で机を叩く。
「今、警視庁のSATはドイツに合同訓練しに行っている……他県のSATに要請は頼めねえのか。」
「現在首都高速、それも千葉、神奈川の県境、交通事故で上り線は通行止め。それに行楽シーズンだからか、首都圏でもあちこちで渋滞が起きています。到着は相当遅れるでしょうね…」
「状況は…芳しくねえなあ…」
森嶋にしては珍しく、額に手を当てため息をついた。
「まさに、八方塞りですね。」
ノートパソコンを見たまま言う伊吹。
「白旗でも挙げますか?」
総慈も手を挙げ、冗談めかして言う。
「…そうだなぁ……」
唸り声を上げる森嶋。
その時。
「それは、少し待ってもらえますかね?」
前の扉が開いて、一人の男が入ってきた。
薄いグレーの服を着て、隙なくネクタイを締めている。身長は日本人体型の森嶋より五、六センチほど高いか。唯一露出している顔の肌は、功ほどではないにしろ青白だが、不健康という感じは受けない。そしてその口元には、薄ら笑いが浮かんでいた。
「……誰だよ、お前。」
その尊大な態度に、森嶋が鬼神モードに入る。
「聞いていませんか?昨日、捜査第一課管理官を拝命になりました、掛橋慎吾です。」
恭しく礼をする掛橋。
「…お前が新入りか。」
森嶋は殺気を放つのをやめたものの、まだ威嚇するように掛橋を睨んでいる。
「ええ。そして、この事件の管理官です。」
「……はぁ?」
顎を上げ、敵意丸出しで掛橋のすぐ近くまで歩み寄る森嶋。
「現時刻をもって私にこの事件の指揮権が移った、ということですよ。尾崎刑事部長直々の命令です。」
掛橋はそれだけ言うと、森嶋の返事も待たず会議室の前の長机に座った。
そして机の上のマイクを手に取り言う。
「霞ヶ関の立てこもり事件にSATと情報課を使う。渋谷にはSITを回せ。」
それを聞いて、森嶋は当然のこと、会議室にいた捜査員全員が驚きの表情を浮かべた。功でさえも、口をいつもより固く結び、目を見開いている。
「おい!お前本気で言ってるのかよ!」
「もちろんです。青葉大臣を危険にさらすわけにはいきません。」
「てめえ、十人と一人、どっちを助け出すのが難しいかくらいわかるだろ!それだけじゃねえ!渋谷の犯人は自動小銃、こっちはナイフ一本だぞ!SATは向こうへ回せ!情報課も渋谷にやってもいいくらいだ!」
椅子に座っている掛橋に詰め寄る森嶋。
だが、掛橋は表情一つ変えようとはしない。まっすぐに森嶋の目を見ている。
「あなたに指揮権はない。」
嘲笑と一緒に、森嶋にその一言を投げつけた。
「てめえ………!」
森嶋が右腕を振りかぶる。
「「森嶋さん!」」
一番前にいた捜査員が驚いて出てきて森嶋を羽交い絞めにし、伊吹が森嶋の腕を受け止める。
「離しやがれ!」
「そりゃあ怒るのはわかりますけど……!」
森嶋を掛橋から数メートル離して、捜査員は手を離した。
森嶋も落ち着いたのか、肩で息をしながらも掛橋を睨みつけているだけだ。
「お前、それは本気か?」
森嶋の口が開く。
「ええ。青葉大臣救出にSATと情報課を。渋谷の立て籠もりにはSITを。」
「……随分堂々と政府のお偉方にコビ売るような真似するじゃねえか。」
「政府のお偉方にではありませんよ。警察庁の上層部にです。」
「お前、それでも警察官か?」
「これだから警察官なんですよ。あなたは何も分かってはいない。我々が国家に属する組織にいる限り、常にそういうことを考えなければならないんですよ。刑事部長のご判断は正しかったようですね。」
怒りに燃える掛橋を見る森嶋と、小馬鹿にしたように森嶋を見る掛橋。
「……好きにしろ。渋谷の方でしくじっても俺ぁ知らねえぞ。」
鼻を鳴らし、森嶋は後ろを向いた。
それを見て掛橋は、
「そうですね、市街地でそんな事件を起こしてしまえば、マスコミから叩かれるかもしれません。せいぜい気をつけるとしましょう。」
と言って肩をくすめた。
「では、ここにいる一般の捜査員も現場へ向かえ。SATと情報課のサポートをしろ。」
掛橋が、マイクに向かって言った。

 
 

「で、あんたたちも戻ってきたわけね。」
冒頭の会話を終え、一般人と警官隊を隔てる黄色いテープの近くまでやってきた総慈と功に、玲美が言った。
「そゆこと。」
肩をくすめる総慈。
「腹の立つ上司もいたもんね。」
「……ま、SATと情報課が来ればすぐにカタはつくだろうし。とっとと渋谷のほうに回してやんなきゃ。」
遠くに見えるコンビニを見て総慈は言った。
相変わらず、犯人はナイフを振り回している。
その時、総慈の視界の隅に真っ黒な鉄の塊が入ってきた。
「……SATのお出ましか。」
功が呟く。
警備部警備第一課特殊部隊所属、正式名称、『特殊急襲部隊』(Special Assault Team)。
日本赤軍によるダッカ・ハイジャック事件を受け、対テロ・立て籠もり用の部隊として七十七年に警視庁と大阪府警に、秘密裏に創設された。
その後、九十六年に正式配備となり正規の予算と最新の装備で発足、現在、警視庁に三個班、大阪府警に二個班、他道県(警北海道警、千葉県警、神奈川県警、愛知県警、福岡県警、沖縄県警)に各一個班、計十一個班、隊員の総数は約三百人である。
コンビニから比較的離れた所に止まる、三台の黒い特殊車両。その扉には、『SAT』と白く書かれている。
「たかだかコンビニ強盗に、ご苦労なことだな。」
「だろうね。あ、ほら、あくびしてる人がいる。」
総慈が車のほうを指さす。
その時それとは反対方向から、バンよりふた回りほど大きい、白い車が一台やってきた。
「お、情報課も来たかー。」
総慈が呟く。
「いつも随分と暇そうにしていたからな。やっと出番ができてよかったじゃないか。」
功が口元を歪めて言った。
その言葉に、里紗と玲美は小首を傾げる。
多様化する犯罪に対応するため、一年前にできた情報課。大規模犯罪の起きた時、情報の管理を一手に引き受けるハッカー兼交渉班。膨大な情報を扱うが、いやむしろそれゆえに十数人の少数精鋭。
すると、一人の男が拡声器片手に車の助手席から出てきた。
他の人員は後部座席を変形させ、情報処理に当たっている。
【えー、この事件の交渉を任されている、深下裕介です。】
拡声器から、少し間延びした声が放たれた。
【よろしく、おねがいします。】
丁寧に礼をする深下。
「……バカ?」
玲美が呟く。
「……じゃあ聞くけど、あんな精神状態の犯人に威圧かけてどうすんのさ。」
総慈が顔を玲美の方に向け、指はコンビニのほうにむけて言った。
「………」
頬をふくらませそっぽを向く玲美。
【何か欲しいものはありますか?】
深下が一歩前に出て聞いた。
【何か欲しいものがあったら、上に掛け合って用意しますよ。】
「う、うるさい!」
男がナイフの切っ先を農水省大臣の首につきつける。小さな悲鳴を上げる大臣。
「お、俺だって、こいつが誰かくらい知ってんだぞ!」
【ええ、だから何か欲しいものがあったらどうぞ。】
「よ、要求は…と…逃走用の車だ!」
男が裏返った声で怒鳴る。
「……ベタな要求だな。」
「逮捕フラグ立ちまくってんじゃねえか。」
百メートルほど離れたところから、犯人の要求に無責任な批評を加える功と総慈。
【わかりました。逃走用の車ですね。】
が、深下は丁寧に男に答えた。
[……情報班は、今の声で犯人の身元割り出してみて。……犯人の精神は今非常に不安定が、隙だらけですね。突入もできないことはないと思いますが。]
無線に深下の声が入る。見ると、拡声器を下げ襟元にある通信機に口を寄せている。
[突入はまだできん。青葉大臣を危険にさらすわけにはいかんからな。なんとか落ち着かせてくれ。]
掛橋の返事。
[……わかりました。]
深下は襟から手を離し、再びコンビニのほうを向いた。
【今、上の人たちに言っておきました。少し待っててください。……そういえば、あなたのことはどうお呼びすればいいですかね?】
「はぁ?」
【呼びにくいじゃないですか。あだ名とかで結構です。教えてもらえませんか?】
「………シゲル。」
【じゃあ、シゲルさん。こちらのお願い、聞いていただけますか?】
「何だと!」
【まあ、落ち着いて。逃走用の車は用意します。できるだけ速いのを。その代り、青葉大臣を解放してもらえませんか?】
「う…うるさい!俺がこいつを離したら、お前ら何する気だ!」
再び大臣の首にナイフを近づける男。
「捕まえるにきまってんだろ。」
これは、総慈のセリフ。
「……落ち着かせるのも暇がかかりそうだな……日が暮れるぞ。」
功が呟いた。

 
 
 

其の参-2