其の弐-3

Last-modified: 2008-04-20 (日) 21:49:37

「おーい、藍沢、宇都宮。」
角から現れた小田が、功と総慈に手を振る。
日はかなり南に傾いているものの、南中していた。
「あ、小田さんだ。」
手を振り返す総慈。
小田が提げていたビニール袋からおにぎりを取り出しながら、
「どうだ、なんか動きあったか?」
「特に。犯人の部屋以外なら結構出入りがあるんですが。」
総慈が肩をすくめる。
「ふーん。どこに行ってんだろうねえ……」
小田が目の上に手をかざし、マンションを眺める。
「帰ってきますかね?」
功が欠伸を噛み殺しながら言った。
言外に、『面倒くさい』と訴える。
「ふふん。本体を墜とさずとも、帰る家を沈めてやればそれでいい。ずっと家にも帰らずにいれる人間はそういないよ。」
腕を組み、得意げに言う小田。功の遠回しな愚痴など知るよしもない。
ついでに言うと、ニヒルに歪んだ口元にはご飯粒が付いている。これも、彼は知らない。
「事件から三日。犯人の部屋に動きはありませんけど。」
軽い体操で、立ちっぱなしで固まった筋肉をほぐしながら総慈が言った。
「だからこうやって張り込んでんだろ。そろそろ帰ってくるだろうから。」
何言ってんの、と小田が首を振る。
その振動で、おにぎりの約半分が地面に落ちた。
「まあ、そうですけど、ね。」
釈然としない様子で言う総慈。おにぎりには目もくれない。
「まあまあ、お前ら飯食ってきていいぞ。これからは俺のターンだ。」
小田がきざに笑う。口元には、ご飯粒。目線はしっかりと落ちたおにぎりに。
「ずっとお願いします。」
街の方に歩きだしながら、総慈が手を振って言った。
「……それは…困るな。」

 
 
 

「なんで四時間目に数学のテストがあるワケ……?」
里紗の机に突っ伏して、玲美が言った。
「仕方ないよ。先生にも都合があるし……」
すりガラス越しの陽だまりのような、自信のない微笑みを浮かべて里紗が言う。
「いや、別にそういうこと言ってるんじゃないだけどね……」
顔は机に突っ伏したまま、手だけひらひらと振る玲美。
「何が悲しくてすきっ腹抱えて頭必死で回さないといけないのよ!」
そう怒鳴りながら飛び起き、里紗の頭をつかんでぐるぐると回す。
「はおうううう……」
されるがままの里紗。
しばらく回された後、急に解放され頭を机にぶつける。
「あう。」
「まあいいわ。お弁当食べましょ。」
足もとの鞄から、弁当箱を取り出す玲美。
「おべんと……」
それを見て、里紗が固まった。
「どしたの?」
箸を片手に玲美が言う。
「忘れた……」
目に涙をいっぱいに浮かべて、里紗は言った。
「本当にバカね。」
「だってえぇぇ!」
呆れ顔の玲美に泣きつく里紗。
「分かったわよ、食堂行きましょ。ついてってあげるから。」
心底呆れた顔をしながらも、玲美は里紗の頭をなでる。
私立青高学園。少等部、中等部、高等部、大学部からなるマンモス校である。
小学校、中学校、高校、大学本館及び講堂が正方形の敷地の頂点を担う形で配置されており、その正方形の中央には全学生共通の食堂や図書館がある。大学の各キャンパスは正方形の周りに点在していて、キャンパスによっては小学校の近くを通りぬけて行く方が便利なものも。
さて、中央の食堂は大規模な学園相応に大きく、ゆうに数百席ははいる造りとなっている。二階建てで、二回は純喫茶。外観はもはや体育館に近い。
「……いつ来てもデカすぎて慣れないわね、ここ……」
玲美が、十メートル弱はある吹き抜けの天井を見て言った。
「確かにね。」
ニコニコしながらラーメンの店に歩み寄る里紗。黒髪のショートが、ふわふわと揺れる。
「本当に世話が焼けるんだから……」
玲美は微笑みながら、近くの席に腰を下ろして持ってきた弁当を広げた。
しばらくして、ラーメンのどんぶりを抱えた里紗がやってくる。
「おかえり。」
「いただきまーす。」
箸を挟んで両手を合わせる里紗。
至福の顔で、ラーメンを食べる。
「あんた、よくそんだけ幸せそうにもの食べれるわね……」
箸を置き、玲美が言った。
「そう?」
里紗が首を傾げる。
「まあ、いいんじゃない?幸せで。」
ヒラヒラと手を振る玲美。
「うん。」
笑顔で、里紗は頷いた。

 
 
 

「うまい!」
同時刻。黙々とスタンダードな醤油ラーメンを食べる功の隣で、総慈がフカヒレラーメンを貪っていた。
小さなラーメン屋。席は十ほどしかなく、すべてカウンター席。床も壁も油で汚れており、年季を感じさせる。
「元気だな、君は……」
麺を箸でつかんだまま、功があきれ顔で言う。
「食べる時くらい。」
どんぶりに半分顔を突っ込むようにして、咀嚼しながら箸を振る総慈。
「食べる時くらい、静かにしてくれ。」
チャーシューを口に放り込んで功が言う。
「人生何事も楽しまないと損だよ?」
「確かに、君ほどめでたい性格をしていれば人生も楽しいんだろうな。」
箸をおいて、功はため息をついた。
その顔に一瞬、陰りが見える。
「そうでもないって。」
ようやく箸を置き、右手を振って否定する総慈。
「そうか。」
功はレンゲでちびちびとスープを飲んでいる。
「嫌なこと、あるよ。たくさん。」
目を伏せ、総慈は大きく息を吐いた。
「無い方がおかしいのかもしれないがな。」
目を閉じ肩をすくめる功。長い襟足を指で巻く。
「でも、俺はそれでもあきらめたくない。」
そう言って、総慈はどんぶりから直接スープを飲んだ。
「何を?」
功も、レンゲから一口。
「なんだろう……」
どんぶりを持ったまま考え込む総慈。
しばらくの黙考の後、一気にスープを飲み干すと、
「楽しさを、かな。自分でもよく分からないけどさ。」
空になったどんぶりをゴトンとおいて、総慈が言った。
「ふん……」
頷きとも鼻で笑ったとも取れない声を漏らし、功は伝票を手に取った。
総慈が食べ終わっているのを確認すると、黙って店員にそれを突き出した。
「はい!毎度!千八百円です。」
店員が笑顔で値段を告げる。
狙い澄ましたように九百円を財布から取り出した総慈に、
「君は千二百円払え。」
「ええ!ホワーイ、なぜ?」
「自分の分は自分で払え。何が悲しくて二倍の値段のする品を頼んだ人間と割り勘をしないとならんのだ。」
「えー、いいじゃんかよー。」
「断る。」
そう言って、功は財布をポケットにしまった。
「へいへい、分かりましたよ……」
すねたように言って、しぶしぶと千二百円を店員に渡す総慈。
二人は外へと出た。
冬の冷たい風が、食べたばかりで暖かい二人の体を刺す。
「ねえ、あの犯人、どう思う?」
歩き出しながら総慈が言った。
「どう…とは?」
「本当に帰ってくるのかってこと。」
「君も同じことを考えていたか。」
右手で額を抑える功。
「「……犯人は、あの家にいるんじゃないか。」」

 
 
 
 
 
 

其の参-3