メイの部屋で私ひとりになってから深く息を吐き出した。何度か深呼吸を繰り返して、改めて今さっきのこととこれからやろうとしていることを考える。
『ん~! おいひぃ~!』
『四季のダンス最近すげぇよな!』
『そうだ、今度時間あるときにさ、四季とふたりでここ行きたいんだけど…』
『な、四季!』
「………メイ、嬉しそうだった」
最近メイの様子がおかしかったのがまるで嘘のよう。今日のメイは本当に嬉しそうで。なんだか久しぶりに心からの笑顔を見た気がする。
今日は突然押しかけて来てしまったけど意外と大丈夫そうで一安心。ちょっと強引すぎたかと心配していたけど思いきった行動をして正解だったみたいだ。
「メイ、そろそろ戻って来ちゃうよね」
私が持ってきたケーキを今さっきふたりで食べた。好物のブルーベリーを前に幸せそうな笑顔とキラキラ輝くメイの瞳。それを眺めて話しながらモンブランを食べているとケーキタイムはあっという間だった。
片付けは全部私がやるから四季はゆっくりしてて、メイはそう言ってキッチンへ。それで私は今ひとりきり。何度も通ってきて見慣れた部屋は安心するけどこれからやろうとしていることを考えるとソワソワした。
私が今からやろうとしていること。それは、簡単に言えばメイの気持ちを確かめること。ここ最近おかしかった理由はなんとなく予想できている。だからそれをハッキリさせる。そう、それだけのはず。
緊張、不安、罪悪感。そのどれもが代償かもしれない。だけどここまで来たんだからハッキリさせないと今の状況を変えることはできない。メイだってきっと苦しいはずだから。
「………よし」
足音が近づいてきて私は改めて決意する。メイごめんね、そんな言葉を心の中で呟きながら。
「四季おまたせ!」
「あ、うん。おかえり、片付けありがとう」
「今さらそんなかしこまらなくてもいいのに」
「あ…」
「言ったろ、今日は親いないって」
「…そうだった」
「まぁいいや、そんでこれからなにする?」
部屋の扉が開くと晴れやかな笑顔のメイが入ってきた。一回もノックしないのは当然この部屋の持ち主だから。
この笑顔を曇らせたくない。そんな気持ちはもちろんある。でも今から私が取ろうとしている行動は、きっとメイの笑顔を曇らせてしまうことだった。考えるだけで、もう苦しい。
「四季…?」
「え、あ………なに?」
「ぼんやりしてどうかしたか?」
「………んーん、なんでもない」
「そうか? ならいいや」
考えすぎるのは、たぶんよくない。メイが腰を下ろしたのを確認してから私は深呼吸する。ごめんねって心の中でまた呟いて。行動は早い方がいいだろうから、許して。
メイの横顔をぼんやり眺めながらやっと私は口を開く。私が思う答えが正しいのなら、きっと。
「ねぇ、メイ」
「ん?」
「ち………千砂都先輩がね」
「っ」
メイが息を呑む。ああ、メイの顔ちゃんと見られないや。苦しいな。
「最近ダンスどんどんよくなってるって褒めてくれた。次のダンスリーダーはきっと四季ちゃんで決定だね…って」
「そ…っか、よかったな、うん。よかった」
「それから可可先輩と夏美ちゃん。私の発明品を試して動画を撮りたいって。この前の昼休みに可可先輩が試したんだけど効果抜群で………私たち、ずっと笑ってた」
「それ……………さ、楽しかった?」
「もちろん楽しかった。楽しかったと言えばすみれ先輩と恋先輩ときな子ちゃんも。私、少し前に生徒会室の整理を手伝ったんだけどいつの間にかゲームしちゃってて。学校でゲームはいけません、とか言ってた恋先輩が一番ノリノリで結局ラストステージまでやったの」
「………っ」
「えっと、そういえばかのん先輩とも色々あって! 先輩のお家の喫茶店のメニュー、私も一緒に考えた。期間限定でマンマルケーキとかどうかなって話でね…」
「ゃめてくれっ………!」
そろそろかも、とは思っていた。だってメイと全く関係のないエピソードを私が一方的に、しかも一気にぶつけたんだから。
メイには涙なんて流してほしくない。メイの心を傷つけるかもって、苦しめるかもって、全部分かっててやったはずなのに。でも、思った以上に私自身もすごく苦しかった。結局一度も目が合わないまま、小さいのに貫くような強さのメイの叫び声に私の話は遮られて終わった。
私の予想が正しければメイは妬いてるんだと思う。私を、若菜四季を取られたくなくて。自意識過剰かもって何度も思った。だけど今までのことを振り返ってみてほとんど確信した。メイの様子がおかしくなるのは決まって私が他のメンバーと話しているときと、私が他のメンバーのことを楽しそうに話しているときだったから。
「…………………………メイ」
私が顔を上げると隣にいるメイは俯いていた。私と同じで苦しいんだろうな、きっと。私のせいなのに私も苦しくていつの間にか俯いていた。
苦しくて、だけどやると決めたからには逃げちゃいけなくて。苦しくても最後まで絶対にやり切らなくちゃいけなくて。
「メイ、ごめん」
ただぽつりと謝った。私が今できることは謝ること、それと。目の前の震えている小さな身体を抱きしめること。
体育座りみたいになって顔を伏せるメイ。ちょうどメイの後ろには人ひとり分くらいのスペースがあった。私は静かにそこに移動してメイの身体の左右に足を投げ出した。それからそっと腕を回して密着する。
とくとくとくとく。うるさいようで静かな心臓の音と、メイの温もり。なるべくなにも考えないようにと目を閉じてメイの肩に顎を乗せた。私たちはただ黙ってくっついていた。
私はふと思う。時間、どれくらい経ったんだろう。このままだときっとお互い一言もしゃべらないまま時間だけが過ぎて今日が終わる。
メイは、落ち着いただろうか。私は、話しかけてもいいのだろうか。正解なんて分からなくて。正解なんてないような気がして。もういっそ、このまま眠ってこの世界から消えてしまいたくなる。だけどこのままじゃどうにもならないってことも分かってる。
今日はもう、帰ろう。私が最終的に出した答えはそれだった。メイに今からちゃんと謝って、それから自分の家に帰る。そして、お互い落ち着いて話せる状態になったら後日改めて話す。それがたぶん、私の中での正解。いつの間にか私の中にあった苦しさはほとんど消えていた。そっと目を開けると部屋に茜色が広がり始めていた。