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発明と歴史

Last-modified: 2014-06-21 (土) 10:01:38

電話の発明 Edit

今は、何気なく使っている電話ですが、その歴史を見てみると興味深いところがあります。
電話の発明は、人類のコミュニケーションに関する大きな進歩と言われ、私たちに遠距離間のコミュニケーションを可能としました。しかし発明当初は声を遠くに届けるという目的を追い求めた末に発明されたものではなく、その当時、大きなビジネスチャンスであった新型電信機の開発競争の最中に産み落とされた副産物でした。しかし、この頼りにくく何に使ったら良いか分からない装置は、その後の電気通信ビジネスを大きく盛り上げる原動力になり、人々の生活まで一変させる力を秘めていたのです。その発明に深く関わった人間は現代でも電話発明者として名を知られるグラハム・ベルを始め3人いました。この3人が中心となって競われたと言っても過言ではありません。
電話を発明したのは、一般にアメリカ人のアレキサンダー・グラハム・ベル (Alexander Graham Bell 1847〜1922) だと言われています。彼は、ボストン大学の音声生理学の教授でした。また、エジンバラ大学とロンドン大学で音声学を学び、ロンドンで電気学の権威者でもある、チャールズ・ホイートストン卿の教えを受けたことが電話の発明に結びついたと言われている。彼の父は、聾唖教育の専門家として知られ、世界初の聾唖学校を設立した。ベルも、父の仕事の影響を受けて、耳や口の不自由な人たちと、どのようにしたら話せるようになるかということから音を違うものに変え、それを見て意味を分かってもらえないかと考え、音を波に変える研究を続けていました。
電信に興味を持ち、1本の線で複数の通信を同時に行なえる多重電信の研究にたずさわっていました。彼は、以前から電気的に音声を伝送することにも関心をもっており、電磁石を使って音声を送る方法を考えていました。研究を進め、翌1876年2月14日に特許を申請。この特許をさらに具体化した装置で会話することに成功したのは、1876年3月10日のことでした。

1877年4月27日、エジソンはベルの電話機を改良し炭素式マイクロフォンを特許申請しました。
また、ベルの会社はエジソンの炭素式のマイクロフォンに似たものの特許を2週間前に取得していた技術者のエミール・ベルリナーを雇い入れた。そのため、1878年9月12日、ベル側は特許訴訟を起こし炭素式マイクに関するエジソンの特許は無効であると主張しました。そこにグレイも加わって、泥沼の裁判が始まるのです。ダウド裁判と呼ばれる特許紛争がおこりました。

その結果、1879年5月、政治的な妥協の結果、WU社は自社が所有するグレイとエジソンの特許をベル社に譲渡すること。WU社が電話事業から手を引く代わりに、ベル社は電信事業に進出しないこと。そして、ベル社の電話事業利益の20%をWU社に17年間支払うことで決着がつきました。
この結果、アメリカの電話事業、俗にいう「ベル・システム」における特許下の独占時代が始まっていきます。
後にベル電話会社はアメリカ最大の電話会社AT & Tとなります。

電話の始まり Edit

19世紀後半のモールス符号による電信網が急速な発展時期にあった時代に、電話の発明はこの3人が中心となって競われたと言っても過言ではありません。しかし既に1860年にはドイツの物理学者が「電話」に類似した装置を作っていました。この装置は構造的には音声振動で電気スイッチを開閉するもので、音声はあまり明瞭ではなく実験的な物にとどまったものの、彼がこれを「テレフォン」と呼んだことは興味深いものです。
しかしドイツではこれらの先駆的な業績から、この物理学者こそが電話の発明者であるとされる根拠となっています。

電話特許の同日出願 Edit

電話の発明はグラハム・ベルということになっています。
しかし、もう1人ほぼ同時に電話を発明した人がいます。それは、エリシャ・グレイです。そして、特許出願は同じ日(1876年2月14日)の、僅か2、3時間の差というのは現在でも有名な話です。しかし双方とも出願の時点では、まだ電話という装置はこの世に存在していませんでした。そして米国特許法の先発明主義(出願申請の日付ではなく発明成立の日付が早いほうに特許が与えられる)により、1876年3月7日に米国特許174465号としてグラハム・ベルが特許を取得しました。同年にはベルの電話機がフィラデルフィアの万国博覧会に出展され、金賞を受賞しています。
それが、電話普及のきっかけです。
一方のグレイは発明を継続。周波数分割多重方式の多重通信機の発明をはじめ、1890年にはFAXの原型となるフルオートグラフを発明し、文字を遠くに電送することに成功し特許を取得するなど、多彩な活躍を見せています。

日本での電話開通 Edit

日本で電話が開通したのは、グラハム・ベルが電話を発明してから14年後の1890年(明治23年)で、まずは東京−横浜で営業が開始されました。
当初の加入者数は東京155回線、横浜42回線で、ダイヤル1番は東京府庁、2番は逓信省、3番は司法省でした。

日本での開通後の普及について Edit

日露戦争後には加入希望者が激増しましたが、予算難からなかなか電話は引けませんでした。そこで電話売買業が始まりました。こうして1910年には、ついに全国の電話加入者数が10万を突破しました。
1923年の関東大震災では関東地方の電話網が大きな打撃を受けたが、その苦難をバネに自動交換機の導入が進んで、1939年には全国の電話加入者数が100万人を突破しました。
ちなみに昭和に入ってからも、なかなか一般家庭には電話が普及しなかったのは、当時は電話を引くのに許可を得る必要があることからでした。昭和40年代に入ると、全国の通話網が拡充したことで、電話機は庶民にも使えるアイテムとなり、この頃からポケットベルやファックス、コードレスホン、カード式公衆電話などのサービスもスタートしました。

電話発明にかかわった三大技術者 Edit

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グラハム・ベル(Alexander Graham Bell:1847-1922)エリシャグレイ(Elisha Gray:1835-1901)トーマスエジソン(Thomas Alva Edison:1847-1931)
電話の発明で知られる音声生理学者。スコットランド、エディンバラ出身。1870年カナダに渡り、72年にボストン大学教授。その後、の前身、ベル電話会社を設立する。発明家。米国オハイオ州出身。電気通信技術を中心に、多重電信機、電話機、ファクシミリを発明。後年、オーバリン大学教授。彼が中心となって設立したグレイ・アンド・バートン社はウェスタン・エレクトリック社(現ルーセント社)やベル研究所の母体となった。生涯におよそ1300もの発明を行ったアメリカの発明王。米国オハイオ州出身。新聞売りから始まり、電信士の職に就き、フリーの電気通信技術の発明家として名を馳せた。その後、電球、映画、蓄音機を発明した。

 

電話の歴史年表 Edit

1876年 Edit

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アレクサンダー・グラハムベルが電話機を発明。3月10日、グレイ考案の液体抵抗型送話器の実験時に希硫酸をズボンにこぼした際に、「ワトソン君、用事がある、ちょっと来たまえ」というベルの音声が初めて通じました。フィラデルフィアの万国博覧会に出展、金賞を受賞。

1877年 Edit

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アメリカから日本にベルの電話機を2台輸出。 1878年 -アメリカ各地で電話会社が148社開業。
国産の1号電話機完成。年間40万通から50万通にすぎなかった電報通数は、90万通〜150万通を突破するようになりました。電信・電話への関心はさらに高まっていきました。

1890年 Edit

東京・横浜で電話サービス開始。電話の便利さが理解され、加入者も増え3年後には3000に、1899年には東京−大阪間が開通、加入者は急増し、全国で1万以上になりました。

1926〜1979年 Edit

自動化(ダイヤル式)への移行。電話自動化は1926年に東京・横浜で始まり、その後半世紀余りで(1979年)全国の電話自動化100%完了。

1952年 Edit

日本電信電話公社が設立。日本の電信電話事業は創業以来63年の営業の殻を脱して、公共企業体による自主経営へと移行しました。

1969年 Edit

東京、大阪、名古屋の一部でプッシュホンが発売開始。

1985年 Edit

電気通信事業の自由化開始。日本電信電話株式会社(NTT)発足。

1988年 Edit

ISDN方式デジタル電話INSネット64開始。(東京、大阪、名古屋でサービスを開始)

☆ でんわきたーーーー ☆