ざっくりとした原発のお話

Last-modified: 2011-05-12 (木) 23:51:13

【池田信夫のポジションが美味しすぎ】

初出 2011-5-4
最終更新 2011-5-12
(1)
少し古い記事ですが池田信夫氏の原発事故というブラック・スワンは全くお話になりません。
 

非常にざっくりとした話ですが、
原発で大事故が起きた場合の被害の大きさを考慮すれば、原発1基の1年あたりの大事故発生率をどんなに大きくても0.00001%未満に下げておかなければならなかった筈です。これは当然千年に一度、1万年に一度の地震に耐えるシステムにしておかなければならなかったことを意味します。こんなことは誰だってわかることです。

 

これを原発推進側の人も理解していたと仮定すると、彼らは事故前まで原発1基の1年あたりの大事故発生率をどんなに大きくても0.00001%未満だと考えていたと受け取れます。

 

そして現実に事故が起きました。結果的に実際の原発1基の1年あたりの大事故発生率は少なくとも1%ほどあったことになります。つまり本来確保しておかなければならなかった“安全度合”より実際には10万倍くらい危険だったということになります
(繰り返しますがものすごくざっくりとした話をしています。こういうざっくり話は学者だってやりたいものだけど名前を出しては絶対に出来ません。)

 

ここまでは常識を持っている人にはすっきりと受け入れることができる考え方です。

 

次にこんな記事があります。
http://unit.aist.go.jp/actfault-eq/Tohoku/press.html
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110418dde012040061000c.html
東電は産総研の研究者が1142年前の大地震「貞観地震」の報告をおこなっても無視したそうです。「(その報告は)織り込み済み」ではなくて「(その報告は)証明されていないので無視する」という形式の反応でした。
(誤解なきように。ここでは今回の事故の原因が津波なのか地震なのかを問題にしていません。事故前に原発推進側が事故率を下げる意思を持っていたのか否かを測る手段としてこの話を持ち出しています。)

 

ここで、確保すべき大事故率が0.00001%未満だということを思い出して下さい。これほど0が並ぶと、ほんの僅かな要因で大きく率が上下する為、僅かな要因を無視することも許されないのです。ほんの僅かなことを無視するだけで事故率が数桁上がったりするわけです。つまり原発で大事故が発生すると破滅的となることを(大事故発生率を0.00001%未満に保たねばならないことを)考慮すると、原発推進側は決して産総研の報告を無視するべきではなかったのです。
(お気づきでしょうが、実はこれは「原発は大変危険なものだから些細なことまで安全に注意を払うべき」ということを無理やり定量的に表現したに過ぎません。)

 

客観的には原発推進側は改善すべき問題が存在する可能性があることを認識していながら何らかの理由でそれを故意に無視したことになります。

 

ということは「1年あたりの大事故発生率は0.00001%クラスと十分低い」と(事故前まで)誤解していた可能性はまずないと言えるでしょう。

 

原発推進側は「大事故発生率が非常に高いことを自覚していたのに改善しなかった」可能性が高いということになります。上の仮定は正しくなかったということになります。

 

「大事故発生率が高くても実際に事故が起きなければいいと思っていた」ということになります。

 

「安全の為にコストをかけると経済性が悪くなるからほどほどにしてきた」という言い訳は本来あまりにナンセンスなのですが、現実だったようです。

 

大事故発生率を1%から0.95%に下げるのに1基につき1千億かかるのなら「安全の為に…」と言い訳しても無理もないと言えますが、全然そんな状態ではなかった筈です。ほんの僅かなコスト増で大きな安全性をものにできたのに「安全です」と言い切って推進派が反・脱原発派に全く耳を貸さなかったという「人間の問題」が我が国の原発における大きな問題だと言えるでしょう。これを改善するのは技術面の改良より困難かもしれません。

 

(2)
たとえばアルファブロガーの池田信夫氏と藤沢数希氏が原発の安全性を訴える知的ゲームにご執心なようです。彼らの主張は一面的ではありますが、「その面では」うまく書けていることが多いと思います。反・脱原発派の方々との活発な論争を楽しんでいるんでしょう。

 

池田氏(堀江氏のも見かけた)が持ち出す、発電方式毎の死亡率の話なんかはなかなか説得力があります。私自身小学生の頃から航空機の移動距離あたりの死亡率が自動車より圧倒的に低いことを周りに話していましたから、あの類の話がなかなか有効であることはよく理解しています。

 

しかし結論として彼らの主張は不毛です。いくらやってもコップの中だけの出来事です。もし池田氏や藤沢氏の主張を日本国民の大多数が取り入れ、「放射能なんか単に発癌物資の一種に過ぎない」と思うようになったら、他国の人々は日本人を差別するようになり、日本に対する風評被害は拡大し、「日本ブランド」は暴落です。それは最初から明白なことです。世界中の人々の頭の中を一瞬で入れ替える魔法でも使えない限り放射能が煙草より安全か危険かを論じても意味はないでしょう。池田氏も藤沢氏もそれを最初からわかった上で楽しんでいるのだと思います。

 

特に言及する必要性さえないと思いますが、放射性物質と、その他の毒物や発がん性物質とは明確に違いがあります。「放射性物質はその名のとおり放射する性質」がその他の毒物とは異なります。生物に対する影響も独特ですし、金属に対する影響も独特のもの(放射化・脆化等)があります。

 

私の以前からの持論の一つに「(原発は本来)ロボット技術が格段に進歩するまで実用は最低100年は待つべきだ」があります。

 

私の他の持論に「メンテナンスできないシステムはシステムじゃない」というものがありますが、上の持論とこっちの持論の根源は同じです。メンテナンスできないくらいなら「故障すれば廃棄すればいい」で普通は片付けることができるかもしれませんが、原発における「メンテナンスできない」特性はもう皆さんご存知のとおり「(大)事故が起きてもそれを収拾することができない」と同義ですから、これが根本的に原発が駄目な理由だとも言えるのではないでしょうか。システムとして成立していないのに成立しているように振舞ってきた技術者のモラルも問われなければならないでしょう。

 

(2011-5-12追記)池田信夫氏がこんなゲームにのめりこんでいる最大の理由は「生活の為」だと思われます。アゴラに反・脱原発に反対する記事を書く度にヒット数が劇的に延びているのは間違いありません。これじゃ一生懸命になるのも無理はないでしょう。氏は放送業界批判で同様な経験をしていますので今度も目ざとく飛びついているということなのでしょう。また以前から私はF氏は池田氏のお仲間なのではないかと考えています。反・脱原発派が一生懸命池田信夫氏に反論すればするほど池田信夫氏の懐が潤うというサイクルが今後数年続くものと思われます。少なくとも両者の間で不毛ではなく、有意義な議論がなされていくことを期待します。

 

藤沢数希氏に関しては、氏は匿名ブロガーなので氏の著述を一連のものとして評価することに意味はなく、その都度良否を判断する必要があります。氏は実は複数人なのかもしれませんし、あるいは池田信夫氏の婦人や友人なのかもしれません。いや別のその可能性が高いというわけではなく、「実は私かもしれない」と同程度の意味です。

 

池田氏や藤沢氏は単にゲームを楽しんでいるかもしれませんが、その他大勢の原発擁護派の中には本音を隠している人が多いのではないかと思います。本音では「自由に原子力を利用できる(している)他国とエネルギーコストで差をつけられたくないから」が第一の理由なのにそれを隠し、他の理由を挙げて原発が必要だと言っている人が多いのではないかと思います。

 

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