メジロマックイーン

Last-modified: 2015-11-17 (火) 14:42:48

https://www.youtube.com/watch?v=UTo6BSh61jI
91年、天皇賞(春)。
メジロマックイーン、父子三代制覇。
絶対の強さは、時に人を退屈させる。


メジロマックイーン.jpg

名前メジロマックイーン
生年1987年
主戦騎手内山浩一、武豊
CM天皇賞(春)

2011年天皇賞(春)CMより。


1991年天皇賞(春)優勝馬。
他の勝ち鞍には菊花賞、宝塚記念、92年天皇賞(春)など。
父メジロティターン、母メジロオーロラ、母父リマンド。
獲得賞金額が史上初の10億円の大台に乗った、芦毛の絶対強者。


父メジロティターンは82年天皇賞(秋)を、祖父メジロアサマは70年天皇賞(秋)をそれぞれ勝っている。まさに長距離戦向き血統の集大成である。
病弱な体質だった為デビューは4歳と遅れ、菊花賞に向けた嵐山ステークスでも直線で進路を失うという内田浩一騎手の痛恨のミスで2着となり、危うく賞金不足で菊花賞に出れなくなるかもという瀬戸際で回避馬が出た為になんとか菊花賞に出場できた。
だがその90年菊花賞で血統を証明する。1番人気は同郷・メジロライアン、自身は4番人気だったが、いざ蓋を開ければ(半ば強引ながら)見事に圧勝、杉本清氏は「メジロでもマックイーンのほうだ!」と叫んだ。
その翌年からは武豊騎手に乗り換わり、予てよりの目標だった91年天皇賞(春)に出場すると、メジロライアン、ホワイトストーンら強豪を押しのけて単勝1.7倍の圧倒的1番人気となり、レースもやはりいい位置につけ、そのまま直線で抜けて2着に2馬身半差をつけ快勝。
https://www.youtube.com/watch?v=IIJuF-DkgAQ
その後の宝塚記念では2着、天皇賞(秋)ではスタート直後の斜行によりGI史上初の1位入線馬の降着処分を受け、ジャパンカップでは4着惨敗、有馬記念でも2着などやや不遇だったが、安定した走りから最優秀5歳以上牡馬に選ばれた。
92年の天皇賞(春)ではデビューから7戦無敗のトウカイテイオーとの世紀の一戦を勝ち、史上初となる天皇賞(春)連覇を達成、杉本清氏(また貴方ですか)は「どんなもんだい、メジロマックイーン」とコメントした。
その後骨折でしばし療養するも、93年の天皇賞(春)にはしっかり出場し3連覇を狙うも、記録妨害に定評のあるライスシャワーにマークされて最終的に2着で敗れる。
同年の京都大賞典(GII)では優勝するも、天皇賞(秋)を前に左前脚部繋靱帯炎により引退を表明した。

繋養されてからは社台スタリオンステーション早来で妙にサンデーサイレンスと仲良くなりながらも種牡馬としてしばし活動、オリエンタルアート(オルフェーヴルらの母)、ポイントフラッグ(ゴールドシップの母)など牝馬で優秀な馬を残しており、母の父として血統を残した。
2006年4月3日、心不全で死去。その5年後にはメジロ牧場も解散している。

CMについて*

第二弾、天皇賞(春)に向けて製作された。
美しい流線型の身体を魅せる映像は、競走馬ファンなら垂涎モノである。
『絶対の強さは時に人を退屈させる』とは、前評通りの走りを見せた91年の天皇賞(春)の評であろう。
ただし、その後の降着事件や杉本清氏の実況など、メジロマックイーン自身はネタに事欠かない。