スペシャルウィーク

Last-modified: 2015-11-17 (火) 14:57:21

https://www.youtube.com/watch?v=eQdsunVy2RM
99年、天皇賞(秋)。
スペシャルウィーク、逆襲のラン。
本当の敵は、諦めだ。

馬について

スペシャルウィーク.jpeg

名前スペシャルウィーク
生年1995年
主戦騎手武豊
CM天皇賞(秋)

2011年天皇賞(秋)CMより。


99年天皇賞(秋)優勝馬。
他の勝ち鞍には日本ダービー、天皇賞(春)、ジャパンカップなどがある。
父サンデーサイレンス、母キャンペンガール、母の父マルゼンスキー。
テイエムオペラオーに記録を更新されるまで日本最高賞金獲得馬だった。


母キャンペンガールはスペシャルウィークを出産して5日後に死亡、その時当のスペシャルウィーク自身は離れた馬房にいたにも関わらず母の死を察知したのか悲しげに啼いたという。
97年の新馬戦で単勝1番人気で勝利すると、白梅賞では惜しくも2着となるも、きさらぎ賞、弥生賞とキングヘイローやセイウンスカイらライバルたちと切磋琢磨しつつも制覇、初のGI挑戦となる皐月賞では単勝1番人気に推されたものの、セイウンスカイの前に3着と敗れるも、この時はグリーンベルトができていた事で大外18番だったスペシャルウィークには不利な条件であった。
日本ダービーでは直線の追い通しで後続を突き放し、最終的に5馬身差で勝利している。尚このレースは武豊騎手にとってもダービー初制覇となっており、レース中に興奮しすぎて鞭を落とすアクシデントも杞憂に終わった。
京都新聞杯ではキングヘイローとの熾烈なデッドヒートを制しクビ差で勝利するも、菊花賞ではセイウンスカイの世界レコードの前に2着、エルコンドルパサーとの生涯唯一の対戦となったジャパンカップでは岡部騎手を鞍上に迎えるも3着。同世代の強力なライバルたちが立ちはだかった。
99年はアメリカジョッキークラブカップで快勝、阪神大賞典、天皇賞(秋)ではメジロブライトを相手に二戦連続で勝利と快調な滑り出しを見せるも、宝塚記念ではグラスワンダーに差し込まれ2着と、やはりライバルたちが往く道を遮る。更に京都大賞典では過去最低の7着と大きく沈んだ。
しかしここで諦めを受け入れなかったスペシャルウィークは4番人気と酷評された天皇賞(秋)でステイゴールドらを下してレコード勝ち。まさに逆襲を見せつけ、白坂聡氏は「馬に魂が入りましたね」と評した(白井寿昭氏「俺もそれを言おうと思ってたところや」)
https://www.youtube.com/watch?v=OACeSNkbR_o
ジャパンカップでは、凱旋門賞でエルコンドルパサーを下したモンジューとの戦いとなるも、これに圧勝するなど真の力を見せつけた。
引退レースは有馬記念、ここでグラスワンダーへの雪辱を果たすべく対決すると、末脚を発揮してゴール手前でグラスワンダーを捉え、勝利を確信した武豊騎手はガッツポーズと共にウイニングランを行い、グラスワンダーの的場騎手は敗北と信じ項垂れた。…が、しかし。写真判定の結果、実は4cm差という僅かな差で2着だった事が判明し、ちょっと恥ずかしい最後となった。
2000年に引退式を行っている。

並み居るライバルたちの中、実はGIレースで4着以下になった事は一度もない。
またGI4勝の内、天皇賞(春)以外の3戦で馬連万馬券を作るなど、密かにみんなの役に立っている(?)。
現在は種牡馬として活躍中であり、シーザリオ、ブエナビスタ、ゴルトブリッツ、トーホウジャッカルなど、特に牝馬で一流馬を次々と輩出している。

CMについて

天皇賞(秋)に向け製作された。
背景は群青で、ラスの実際のレース映像は2011年バージョンでは珍しく飛び抜けて差をつけているシーンではないが、スペシャルウィークの不屈の精神を描くには充分すぎるインパクトがある。
『本当の敵は諦めだ』の言葉には、ライバルたちと戦い続けた生涯が窺える。