作品/テオリア編/表示テスト

Last-modified: 2017-02-27 (月) 15:01:42

 
 お久し振りです。私です。
 かつて機会を戴きまして、主と過ごした日々を回想しては、他愛もない詩に綴ってきた私で御座いました。今再び、存外のかたちで私に順番が回ってきたことには、喜びを禁じ得ません。何しろ、かつて綴った詩の十倍以上の紙面を戴いているのですからね。語り手であり、観察者である我々にとって、自らの意思を発信し、また残せるという機会は、貴方がたよりもずっと少ないのです。代わりに、貴方がたよりもずっと長い時を過ごし、ずっと多くの物事を溜め込んでいくのですがね。……と、前置きが長くなりました。話すことに不慣れな身ですと、ついつい冗長に語ってしまいます。これ以上間延びしないうちに、本題を始めましょう。主が、今の主となった時のことを綴りましょう。
     ♪     
 目覚めた時、彼の中には既に、自分以外の物が居座っておりました。正確には順序が逆であって、とある人間の中に彼が生じてしまったのですが。彼自身の体感にとって、順序は然程重要では御座いません。どちらにせよ、彼は物心つくと同時に、見知らぬ他者の一生分の記憶を背負ってしまったのです。彼は初め、自分が記憶障害に陥った人間なのではないかと疑いました。自分の記憶をうまく自身の人格と結び付けられない、それならば現状の違和感にも納得がゆきます。
「ルシアス様」
 何処からでしょうか、少し低い声が降りてきました。どうやら自分に向かって言っているらしい、と気付いた彼は、仰向けになっていた身体を起こしました。その後で、ふと気付いたことがありました。彼が胸に手を当てると、そこには、ぽっかりと穴が空いていました。文字通りの、空洞です。穴を埋めるかのように、深い群青色の宝玉が――まあ、何を隠そうこの私で御座います――収まっておりました。
「僕は、死んだのか?」
 彼は呟きました。そうです、彼の中に居座っている記憶が確かであれば、その最後の記憶は、白いものに胸を貫かれて死んでいく瞬間のものである筈なのです。気絶する時とはまた異なる、冷たく失われていく感覚が、記憶の中には残っているのです。それなのに、いや、それだからこそ、確かに死んだ筈の人間の中に自分が居ることになるのです。彼はしきりに不思議がりました。顔には出ませんでしたがね。
「はい。でももう大丈夫です。《アロンダイト》ならば、ルシアス様と格別に親和性の高い宝器ならば、ルシアス様を再び目覚めさせることができると、そう確信しておりました」
 先程からの声は、とても楽しそうに説明してくれました。それこそ、気分が高揚しすぎて倒れてしまうのではないかと心配になるくらい、とてもとても楽しそうな様子です。声の持ち主である男は当時、タイキと名乗っておりました。タイキのことを詳しく綴ろうと致しますと、それはそれは長大な物語になってしまいますので、この場は控えることにしましょう。ともかく、ルシアスという少年に仕えていた、という事実だけは最低限、綴っておきます。
 タイキの発言を聞いて、私を胸に宿した彼は、改めて例の記憶を辿ってみました。確かに、記憶の持ち主である人間は、名をルシアス・ツウ・ゼンブルクといって、ざっくり申し上げますと亡国の王子であったことが判明します。ところが、困ったことに、記憶を掘り起こすほどに益々、彼と記憶の持ち主との間に距離が広がってゆくのです。はじめに考えたように、記憶が混線してしまっているのだとすれば、思い出すほどに自分を取り戻してゆけると思われるのですが、彼の場合は反対に、この記憶は自分のものではない、と実感していってしまったのです。
 この時点で既に、私の中ではすべての結論が出ておりました。簡単なことです、一度死んだ人間は生き返らない、それだけのことだったのです。死んだルシアスは戻ってこない。いくら身体を動くようにしても、それこそ私のような、人間では到底及ばぬ存在の力を借りようとも、死んだ人間の人格は二度と戻ってはこないのです。それはタイキ自身が一番解っているだろうに、と私は考えるのですが。何故ならタイキこそ、一度死んでしまった人間・だったものなのですから。自身の在り方を論拠として、ルシアスは蘇ると信じ込んだタイキでありましたが、死の先を歩む身ならば、死を境にして自身の在り方が大きく変わってしまった事実に、気付かない筈がありません。気付きたくなかったのでしょう。
 そんなタイキの、エゴともいえる感情の果てに生じてしまった彼は、つまりルシアスの代わりに生じたのです。死んだ人間の身体が自我をもって動いている、という不自然な状況に、整合性をもたせるために発生した、「生きた人間」という人格なのです。肝心の身体は死んでいるのに、です。彼は薄々、このおかしな状況に気付きつつありました。
「タイキ?」
「はい、ルシアス様! 何で御座いましょう!」
「僕は……、ルシアスじゃない」
 タイキの顔が明らかに凍り付きました。満面の笑みを固めたまま、数回まばたきをみせました。
「――またまた、ご冗談を。嗚呼、目覚めたばかりでいらっしゃるので、少し疲れておいでなのかもしれませんね。一度きちんとしたベッドでお休みになりましょう?」
 タイキは言い聞かせつつ、そそくさと手を回して、ルシアスの身体を抱え上げようとしました。この場合、言い聞かせる対象はルシアスではなくタイキ自身です。しかし、ルシアスの身体はタイキの腕を拒否しました。筋力でいえばタイキの方が上ですから、実際に撥ね退けることはできませんが、ルシアスの手の甲で叩かれただけで、タイキは萎縮してしまい自ら退いたのでした。
「何故……何故ですか、ルシアス様……」
 狼狽しつつ僅かに後ずさりしたタイキに、私は現実を伝えることに致しました。
「タイキさん。死んだ人間は蘇らないのです。」
「……嘘だ。そんな筈はない。何故なら私が、私がこうして生きているではないか!」
「貴方はもう生きてはいませんよ、タイキさん」
 タイキの口が色々に動きましたが、そのどれもが反論には至らず、ただ宙を漂いました。やがて落ち着いたかと思うと、両手で顔を覆い、今度は何事かを囁くようになりました。私のような存在にとっては、主以外の存在が抱く感情の機微などは大して気にならないものなのですが、私を宿した彼にはまた違って映ったようでした。あろうことか、彼は罪悪感のような黒いものをおぼえていたのです。彼が、ルシアスの振りをしてタイキに付き合っていれば良かったのか。何事もなかったかのように、ルシアスが問題なく蘇生されたかのように……。私は、その繊細な人格に興味をもちました。どちらにせよ、ルシアスの身体に宿ってしまった以上、我々は一心同体のようなものになるのです。当分の相棒にはなるべく良い感情を持っていた方が過ごしやすくなりますから。
「タイキ――」
 何か状況が改善すればと、彼が口を開いた時です。
「黙れ」
 ひどく低い、唸るような音がタイキの喉から漏れ出しました。指の間から覗く目は、煌々と輝いておりました。
「ルシアス様の顔をして……嗚呼ルシアス様、そんな声色を使い分けてまで別人を演じずとも……そうですよきっとそう、ルシアス様ったら私に内緒でまた新たな役職を見つけたに違いない、一体今度は何になりきろうと仰るのでしょうか? 嗚呼まだ言わないで下さいね、考えますから……」
「タイキ」
「……まさか、ルシアス様の身体を乗っ取って良からぬことを企む輩が居るのか? ルシアス様、お気を確かにもっていて下さい! 去れ、悪魔め!」
 どんどん支離滅裂になっていくタイキを、彼は悲し気な目で見ていました。このままタイキが得物を抜き放っても仕方ないとすら思いました。そしてやはりタイキは右腕を構えました。手首に装着された、私と同類の宝玉が、タイキの掌に力を供給することで、魔のものに対抗するための特別な武器が具象するのです。ところが宝玉は、その力を逆転させました。手首から腕を駆け上った力は、タイキが口を開くよりも速く、首元の急所に一撃を加えました。言葉にならない音を漏らしながら、タイキは前のめりに倒れていきました。
「……流石に、これ以上は見てられん」
 タイキの右腕から、男の呟きが発せられました。私の同類である宝器は、《ウコンバサラ》という名を持っていました。
「うーさんがタイキさんに逆らうなんて、珍しいですね」
「俺はタイキの為になることしかするつもりはない」
 そう言いつつ、あらゆる命令を鵜呑みにしない辺りが、うーさんの気高さと忠臣ぶりを示しているように思えます。
「しかし、この後はどうしましょう? 目が覚めれば再び、タイキさんはああなるだけですよ」
 私の声を間近に聞いていたせいか、私を宿す彼は不安そうな、少し怯えたような感覚を放っていました。しかし、それは一瞬のことでした。
「――目が覚めなければ良いんだ」
 彼は、ルシアスの顔で、妖しい笑みを浮かべたのです。
「宝器は、主の肉体に働きかけ易いんだね? それならば、ふふ、『うーさん』には手伝って貰わないとねえ」
「ほう?」
 うーさんは、いきなりあだ名で呼ばれたにも拘わらず、何やら上機嫌です。こればかりは未だに理由が分かりません。
「タイキを仮死状態に保って、それと外部から邪魔が入らないように障壁を張っておいて欲しい。タイキは死なないから、生命維持については考えなくていい」
「その後はどうする? 永劫に障壁を張り続けるのか? それはそれで構わないが」
「いや。解決策を探す。だから時間が欲しい。長い時間が。」
 考え込む彼を、うーさんは何やら興味深そうに観察していました。そして、最後にひとつだけ質問をしました。
「貴様はルシアスではないのだろう。ならば、貴様は誰だ? さあ、答えてみろ」
 単なる疑問ではない、うーさんなりの優しさを感じ取ったのでしょうか、彼は、ルシアス以外の自分について考えてみました。ルシアスの記憶と、私という宝器のみをもつ現状。ルシアスという名前のスペルが脳裡を錯綜し、やがて、それなりの答えが出来上がったようでした。
「……うん。僕のことは、ザルーティクと呼んでよ。」
 この瞬間、私の主はルシアスからザルーティクへと代わったのです。以来、私と主はこうして一心同体のまま、タイキさんを直す方法を探し続けてきたのです。    (後略)