作品/ルシアス編/表示テスト

Last-modified: 2017-02-27 (月) 14:38:34

第一部 

  『人生は舞台である』
  『人は生まれた時から死ぬまでずっと、何者にもなれない』
  『それでも人は何者かを演じ続けなければならぬ』
 
   + ルシアスの授業
「ルシアス様、この球体は食料になるのでしょうか」
 駄菓子屋と書かれた看板だけが置かれた小さな店の奥で、設置された冷凍庫を覗いたタイキは、振り返って尋ねる。
「そうだよー。中に凍らせたミルクが入ってて、常温で軟らかくしてから食べるの」当のルシアスは別の棚に夢中のようで、視線を向けることもない。
 代わりに駄菓子屋の店主がタイキに歩み寄り、こっそり話しかけてきた。
「あんた、最近来た外人さんなんでしょ? 坊ちゃんのお目付け役やってるっていう」
 事実とは結構な相違があるものの、〈湖の城砦都市〉における自分の立場は理解しているので、タイキは取り敢えず首肯を返しておく。「知らないだろうけどねえ、あんたが来てから坊ちゃんは変わったのよ。いやね、以前からいい子だったけどさ、そりゃあ上に立つ者のナントカいう態度で、良くも悪くも〈人当たりが良い〉って感じだったのよ」
「はあ」
「それが今じゃ、まあ普通の子供みたいにはしゃいじゃって。坊ちゃんもね、未だ八つでしょう? 今まで色々と我慢してきたんだろうよ」
「ほう」
「だからあんた、町中皆言ってるよ。あんたが来てくれたおかげで坊ちゃんが元気になったってさ。それと昨日なんだけど斜向かいのトムちゃんが――」
「ふむ」
「でしょう? でもねえやっぱり魚屋ってのは――」「おば様、これ下さい」
 最早小声でも何でもない調子で世間話を始めた店主と、ひたすら真面目に相槌を打つタイキに、何食わぬ顔でルシアスが割って入った。「あ、ごめんね坊ちゃん。全部で八〇さね」ルシアスは腰に提げた小銭入れから、錆びかかった金属片を数枚取り出して机に置いた。店主は金属片の種類と数を確認し、駄菓子をルシアスの方に寄せる。すかさずタイキが手持ちの鞄に駄菓子を収めた。
「また来てねー、そっちの外人さんも!」手を振って見送る店主に軽く会釈を返し、ルシアスは城とは真逆の方向へと歩きだした。
「どちらに行かれるので?」
「城の部屋に駄菓子は不釣合いでしょう。良いところがあるのさ」
 
 二人が出会ってから最初の三日間は、〈湖の城塞都市〉ゼンブルク城主――要はルシアスの父親を説得することに費やされた。ルシアスの予想に反して城主は中々に強情で、初日は湖の外に捨ててこいの一点張りだった。それが翌日になると一転、タイキの生態に興味でも抱いたのだろうか、城主直々に魔物コレクションにするなどと言い出した為、事態は混迷化した。タイキが察するに両者共強情なものなのだろう、数日に渡って単なる父子の意地の張り合いを見せつけられていただけであった。最終的には玉虫色というべきか、タイキは城主の食客としてルシアスの目付け役を任じられるという立場に収まった。元々ゼンブルク城に雇われていたのは女の給仕ばかりで、年若い坊ちゃんの外出時に付けられるほど暇を持て余した男の従者が存在しなかった、という点も理由のひとつである。何はともあれコレクションだ何だと言って首輪など付けられては堪らないので、この結末にタイキは一人胸を撫で下ろした。
 その後七日間ほど、〈湖の城塞都市〉中にルシアスの従者という存在を周知させる為の、掲示物製作に追われることになる。通常は城主が触れを出せば一発で事が済むのだが、城主はここぞとばかりに自己責任という言葉を押し付けてきた。尤も実作業を行う執事らにしてみれば、命令する者が異なる以外はほぼ同じことなのだが。またこの七日間で何よりも時間を割いたのが、口コミで広まった得体の知れない都市伝説を治めることだった。実はあの従者、坊ちゃん手製の自動人形なのだとか、宇宙人だとか、一度死んだものの坊ちゃんの可愛さに中てられて復活したのだとか、根も葉もない噂が飛び交うのを一々沈めていくうちに、タイキには国を追われた流れの外国人という設定がついていた。この日ルシアスが学んだことは、民衆は、流星という自然現象には興味を持たないが、流星の結果として落ちてきたタイキという人間には非常に興味関心を抱くという、一般的な人間の趣向であった。
 事務に追われる間、タイキはハーブティ以外の物を口にしなかった。食べられない体質という訳ではない。栄養にならないものの、嗜好品として意識を現世に繋ぎとめる効果は期待出来そうだった。問題は、実際に〈亡霊〉として食物を口にした覚えがなく、また今の環境は生前の暮らしとあまりにもかけ離れているため、正直なところ目の前に広がる物品のどれが食物なのか判然としないことだった。単純にハーブティの香りが好みだったこともあり、ひたすら青い湯を啜っていたところ、見かねたルシアスが外に出ようと言い出した。流言飛語の類も収まってきた頃合いだったので、それならばと城塞都市の構造把握を兼ねて散策していたのだった。
 
 ルシアスに案内された場所は、城壁の上に造られた防衛施設の一角であった。戦争中に弓兵が武器を蓄えたであろう広場に、二人で座り込む。
「此処の、どのあたりが駄菓子向けなのでしょうか」不満のようにも聞こえるが、タイキは早速棒状の菓子を取り出し、移動しようとする気配がない。単に見慣れない食物に対する興味が上回っているだけだろう。
「見下ろしてみなよ。商店街が一望出来る」派手な色をした新作の菓子を透かし見ながらルシアスは言った。確かに城壁の上という高さがあるからには、小さな町のひとつは視界に収まってしまう。特別食事時ではないためか、家々から上る煙の数もまばらである。雲の薄い日であることもあり、陽が傾いてくるのが分かる程、雲を透かす光の加減がよく見えた。
「庶民の生活を眺めながら庶民の食事を嗜む、ですか」「だいたいそういうこと。ほら、冷菓子がやっと融けてきた」冷菓子を二つ、鞄から取り出すと片方をタイキに手渡した。タイキの手はそれこそ死体のように冷たいので、自分の体温で融かすことが出来ない。
「食べられるんだよね?」「必要は御座いませんが、可能ではあります」「ならば食べるべきです。タイキも昔は美味しいものを食べて生きていたんでしょう」タイキは生返事をしつつ、一瞬だけ、生前に想いを馳せた。薄暗い路地、振り向く美しい女の顔、空に浮かぶ円い月……。
「そうですね。酒があれば文句なしかと」「その手の要望は僕に権限がありませんので父上に通して下さいね」二人は小さく笑いながら、各々が人工被膜の球体を弄る。未だに冷菓子の食し方が分からないタイキは、ルシアスが食べ始めるまで待つことにしていた。
「ときにルシアス様」
「なあに」
「私、少し考えておりました。ルシアス様は庶民が憧れる地位と、居城と、財力と、様々なものをお持ちになりながら、庶民に混じってこの様な安価の菓子を召し上がって暮らしておられます。初めは庶民に寄り添って政治を執ろうという心優しい貴族なのかと思っておりましたが、実態は真逆なのですね」
 ルシアスの目が、ほんの少しだけ細まった。「続けて」
「貴方は強欲だ。貴族にも、庶民にもなってみたい。楽だけをする怠惰な人生も、一生苦痛にまみれた人生も、普通に生きていては絶対に為し得ない数奇な人生にも興味がおありだ。そして悪いことに、それらの大半が実行出来る環境が、此処には揃ってしまっている。だから貴方は様々な欲を込めて人形を作る、と。当たっていますか?」
 ルシアスは更に目を細め、薄く笑った。
「半分くらい」それからおもむろに、人工皮膜の一角に歯を立てた。
「やっぱりタイキを友達にして正解だったね」
「私と致しましては先ず友達の定義から改善させたいところですね。現状ではただの付き人、或いはしもべ、或いは」
 タイキの言葉に、ルシアスは大袈裟に驚いてみせた。「友達って〈価値観あるいは利害の一致により、同一の目標に向かって切磋琢磨し合う集合体〉じゃないの?」
「偏屈学者の役もなかなか様になりますね」「でしょう? 大丈夫、契約も友達の一種さ」
 二人はまたしても薄い笑みを浮かべた。そもそもは狂気の魔物コレクションにされかかった身である。タイキとしては従者に格上げされただけでも上々といえた。ルシアスに自覚があるかどうかはさておき、彼の性癖に突っ込んだ話題を出すと冗談の応酬に終始して進展がない。
「ときにルシアス様」
「なあに」
「この皮袋、なかなかいけますね」人工被膜の根元に穴を開けて中身を吸い出す、ということにようやく気付いたタイキは、興味深そうに球体を握っていた。
「でしょう?」
 ルシアスは嬉しそうに、笑った。