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Last-modified: 2007-06-15 (金) 22:43:52

幸福の形

 

ロイ   「はあ……」
エイリーク「? どうしたのですか、ロイ。何か、困ったことでも?」
ロイ   「あ、エイリーク姉さん……実は、この週末にオペラを見にいくことになっちゃって」
エイリーク「歌劇ですか。ロイがそういったものに興味を示すのは珍しいですね」
ロイ   「うーん……僕じゃないんだ。リリーナが、是非一緒に見に行こうって」
エイリーク「それで、断りきれなかったのですね」
ロイ   「うん。いつもいろいろと助けてもらってもいるから、申し訳なくて」
エイリーク「そうですか……でも、何故オペラに行くというだけで、そのように思い悩んでいるのですか?」
ロイ   「んー、なんか、眠っちゃいそうで……」
エイリーク「前日にしっかりと休養を取れば大丈夫ですよ」
ロイ   「いや、寝不足でっていう意味じゃなくて」
エイリーク「では、どういう……?」
ロイ   「その……何ていうか、退屈じゃないかなって」
エイリーク「? オペラというのは、大抵ある程度評価を得て今の時代にも残っている作品を上演していますから、
      物語がつまらないということはまずないと思いますが……」
ロイ   「あー……いや、そういうことじゃなくて。なんか、凄く難しそうなイメージがあって。
      ほら、理解できないものとか興味を惹かれないものとかだと、集中できないじゃない?」
エイリーク「……そういうものですか?」
ロイ   「うーん……まあ、エイリーク姉さんは理解力も高いし、
      何にでも興味を持って接するから、分からないかもしれないけど。
      リリーナも名家の娘さんだし、そういうの見慣れてるだろうから大丈夫なんだろうなあ。
      自分を基準にして見ちゃって、僕がそういうのに疎いって分からなかったんだろうね」
エイリーク「……ロイ」
ロイ   「ん?」
エイリーク「つまり、内容が把握できれば、退屈に思わずに済むかもしれないのですね?」
ロイ   「うん、多分。そうすれば、隣でグーグー寝息立ててリリーナに恥をかかせることもないだろうし」
エイリーク「何という名前のオペラを見にいくのですか?」
ロイ   「え? えーと、なんだったかな。マカロフ……じゃなくて、えーと……」
エイリーク「マケロフとスティラ、ですか?」
ロイ   「あ、そうそう、それそれ……やっぱり知ってるんだね、姉さん」
エイリーク「ええ。テリウス時代、マーチャという女性の手記を基に書き起こされた喜劇です」
ロイ   「喜劇って……え、じゃあ真面目な話じゃなくて、笑える話なの?」
エイリーク「はい。ロイ、これから、時間はありますか?」
ロイ   「うん、大丈夫だけど」
エイリーク「それでは、予習しましょう」
ロイ   「予習?」
エイリーク「はい。ビデオを見て、あらかじめ内容を知っておけば、幾分か頭に入りやすくなると思いますよ」
ロイ   「ビデオって……ひょっとして、姉さん『マケロフとスティラ』のビデオ、持ってるの?」
エイリーク「はい。最も、歌劇の形式に則って古代語で上演された際の映像ですから、
      訳はわたしが個人的につけたものとなりますが、予習には十分でしょう」
ロイ   (って、姉さん古代語も分かるのか……凄いなあ、僕らと血が繋がってるとは思えない優秀ぶりだよ)
エイリーク「ロイ? どうかしましたか?」
ロイ   「あ、ううん、なんでもないよ。それじゃ、ご指導よろしくお願いします、姉さん」
エイリーク「はい。わたしもまだ未熟な身ではありますが、精一杯お手伝いしますね」

エフラム 「ふう……さて、そろそろ寝るか……? まだ居間に誰かいるな……」
エイリーク「という訳で、ここは……ああ、エフラム兄上」
エフラム 「……何を見てるんだ、二人とも?」
ロイ   「ちょっと、いろいろあってオペラのビデオを見てるんだ」
エフラム 「……そうなのか」
エイリーク「……兄上も、ご一緒にどうですか?」
エフラム 「隣でいびきをかいてもいいならな……おやすみだ、二人とも」
エイリーク「兄上! ……もう」
ロイ   「あはは……でも姉さん、普通はあんなものだと思うよ。
      オペラだけじゃなくて、姉さんが好きなクラシック音楽とかもさ、
      僕らみたいな普通人にとってはなんだか難しいものなんだよ」
エイリーク「まあロイ、それではわたしが普通ではないようですよ」
ロイ   (……いや、十分普通じゃないと思うよ。普通よりずっと上だと思うよ)
エイリーク「ロイ?」
ロイ   「あ、ごめん。ええと、それで、どこまで話してたんだっけ」
エイリーク「この部分ですね」

 と、エイリークが少し巻き戻してビデオを再生する。
 ボロ屋の中で、赤毛の男が赤毛の女に何やら罵倒されている場面である。
 その傍らでは、黒髪の美女がオロオロした顔でなんとか赤毛の女をなだめようとしていた。
 が、台詞は全て古代語なので、当然ロイには中身が分からない。

ロイ   「……何を言っているのか全然分からないよ」
エイリーク「確かに、ロイの学年ではまだこのレベルの古代語を理解するのは難しいかもしれませんね」
ロイ   (エイリーク姉さんの年なら誰も理解できるって訳でもないと思うけど)
エイリーク「ちなみにここは、マケロフが賭博の資金を作るべく、スティラの祖母の形見を持ち出そうとしたところに
      妹のマーチャが現れて、兄のマケロフを責めている場面です。対訳は
      『おおなんと酷い有様でしょう、この不実な男は、自らの欲望のために妻から何もかも奪い去ろうというのだわ』
      『それは誤解だ妹よ、大丈夫、後で三倍にして返すから』
      『その言葉どおりになったことがありますか、今この家には毛布の一枚すらないではありませんか。
       兄さんのような男を、世間ではごく潰しというのです』
      『まあマーチャさま、そのように仰ってはいけませんわ。
       私の旦那様、マケロフさまはとても素晴らしいお方なのですよ』と、このように……」
ロイ   「……なんか、普通に現代でもありそうな話なんだね」
エイリーク「ふふ。社会の仕組みや技術がどれだけ改善されようとも、
      人の心まではそう簡単には変わりませんからね。さ、続きを見ましょう……」

 エイリークは一つ一つの場面ごとに映像を止め、そのシーンの意味ややり取りをロイに解説する。
 『マケロフとスティラ』というのは、駄目男であるマケロフが、
 妻であるスティラが寛容なのをいいことに、彼女が作るわずかなお金を放蕩で使い果たし、
 そのたびに妹であるマーチャら、周囲の人間を怒らせたり、呆れさせたりするという物語である。
 被害者であるスティラはマケロフが何をしてもニコニコ笑いながら幸せそうにしているので、
 結局は周囲の人間達の取り越し苦労で騒動が終わるという結果になっている。

ロイ   「うーん、オペラって、なんかもっと難しい話なのかと思ってたよ。
      これじゃ、まるっきり出来た女房と駄目な亭主って感じだよね。
      なんか、昔の人たちが書く話って、もっと高尚なものなと思ってた」
エイリーク「ふふ。今も昔も、人間が面白がるものはあまり変わらないということなのかもしれませんね」
ロイ   「そうなのかな。とにかく、ありがとう姉さん。一応内容は把握できたよ。
      意外に難しい話でもなさそうだし、眠るどころか楽しめると思う」
エイリーク「そうですか。それはよかったです」
ロイ   「……姉さん、このビデオは全部古代語で話してたけど、
      対訳なんか作れるってことは、やっぱり聞いてて全部意味分かるんだよね?」
エイリーク「ええ。ロイが退屈するかと思ったので、難しい言い回しなのは極力簡略化しましたが」
ロイ   (そうだったのか……それでも所々難しかったんだけど。
      やっぱり、エイリーク姉さんは頭がいいんだな……)
エイリーク「でも、このオペラも、今の時代に残っているだけあって、ただ笑いを誘うだけの内容ではないのですよ。
      いつまで経っても放蕩癖の直らないマケロフと、それを笑って許すスティラの姿から、
      現代の私たちの幸せにも通ずる深い人間洞察が……」
ロイ   「ねえ、エイリーク姉さん?」
エイリーク「? なんですか、ロイ」
ロイ   「姉さんはさ、やっぱり、将来は偉い人になるの?」
エイリーク「……すみません、ロイの言っていることの意味が、よく……」
ロイ   「あー、えっと、つまりさ。エイリーク姉さんは、凄く優秀で、いろんなことを知ってるし……
      いや、知ってるだけじゃなくて、それに対して自分の意見もいろいろ持ってるし。
      学業優秀スポーツ万能、教養も高いし楽器なんかもたくさん扱える……
      そういうの考えると、やっぱり、将来は政治家とか学者とかになって、高い立場で働くのかなって」
エイリーク「そのように賞賛されるほど、自分が優秀だとは思いませんが……
      そうですね、ベオクとラグズ間のわだかまりや、近年問題になっている暗黒教団のテロなど、
      この世界には解決しなければならない問題がまだまだ残っていますし。
      自分一人の力など微々たるものなのは重々承知していますが、
      もしも出来ることがあるのなら、努力したいと思っています」
ロイ   「うーん、やっぱり立派だなあ。僕と血が繋がってるとは思えないよ」
エイリーク「そんな……ロイだって、十分立派だと思いますよ」
ロイ   「え? そんなことないよ、これと言った取り得もないし、
      学校の成績だって、頑張ってなんとか中の上ぐらいの位置だし」
エイリーク「ふふ。その、着飾らない謙虚なところが、ロイの魅力なのでしょうね。
      だからロイの周りには、たくさんの友達がいてくれるのです。
      それは、頭がいいとか運動が出来るとか、そういったものよりもずっと素晴らしいことですよ」
ロイ   「そ、そうかなあ?」
エイリーク「ええ……そうだ、将来といえば、ロイは将来何になりたいのですか?」
ロイ   「え、僕?」
エイリーク「はい。まだ、そんなことは考えられませんか?」
ロイ   「いや、考えてないってこともないけど」
エイリーク「聞いてみたいです」
ロイ   「うーん……あの、笑わないでね?」
エイリーク「もちろんです」
ロイ   「僕は……何ていうか、普通に生きたいと思ってるんだ」
エイリーク「普通、ですか?」
ロイ   「うん。僕はエイリーク姉さんみたいに頭がいい訳でもないし、
      アイク兄さんみたいに強い訳でも、エフラム兄さんみたいに一つの物事を極めようっていう
      凄い集中力や野望を持っている訳でもない。ヘクトル兄さんみたいな覇気がある訳でもないし、
      ミカヤ姉さんみたいな特別な力だってないし、リーフ兄さんみたいに器用でもない。
      何ていうか、自分は至って普通の人間なんだなあって思うんだ、皆を見ていると」
エイリーク「……」
ロイ   「だから、自分が大きなことを成し遂げられるとも思ってないし、そういうことをしたいとも思わない。
      もちろん僕に出来ることで誰かが喜んでくれるのなら、力を出すのは惜しまないつもりだけどね。
      必死で頑張って普通に生きて、もしも一緒に生きてくれるっていう人がいるのなら、
      一生懸命その人を幸せにしてあげたい。多分、そのぐらいのことなら僕にも出来ると思うし」
エイリーク「……」
ロイ   「でも、やっぱり駄目なのかなあ。エイリーク姉さんみたいに、もっと大きな問題に目を向けるべきなのかも……」
エイリーク「そんなことはありませんよ。とても、立派な目標だと思います」
ロイ   「そうかな?」
エイリーク「ええ。たとえばロイ、先程見た『マケロフとスティラ』ですが、
      スティラはマケロフがどんなにひどいことをして帰ってきても、ニコニコ笑って彼を迎え入れますよね。
      それは、どうしてだと思いますか?」
ロイ   「……うーん、よく分からないな。ただ人がいいっていうだけじゃないんだろうし」
エイリーク「作中で、スティラが元は貴族の娘で、年上の大貴族と結婚させられる運命にあった、と言っていますね」
ロイ   「うん。確か、それでいいのかって悩んでいるところでマケロフに会って、
      一目ぼれして家を飛び出したんだよね。『そこのところがどうしても理解できない』ってマーチャが言ってたけど」
エイリーク「そう……他人には、スティラの気持ちがどうしても理解できなかったのです。
      マケロフはどう考えてもどうしようもない男ですし、事実、彼らの家は壁の修理も出来ずに
      年中隙間風が吹いているような状況だったのですからね。
      周りから見れば、どう解釈しても不幸としか言いようのない状況。
      それでも、スティラは幸せそうに笑います。演技しているのではなく、それが本当に幸せだったからです」
ロイ   「……やっぱり、よく理解できないよ」
エイリーク「スティラは多分、今まで自分を抑えて、偽りに塗れた生涯を送ってきたのでしょう。
      周囲の期待に上手く応えられず、かと言って自分の気持ちに従うこともできないと、自分を責めてばかりいた。
      だからこそ、たとえ人より劣っていたとしても、自分を飾らずに生きているマケロフに惹かれたのです。
      みっともないところを少しも隠さないマケロフを見つめているのは、スティラにとって本当に楽しく、幸せだった」
ロイ   「……そうなのかな」
エイリーク「ええ。少なくとも、わたしはそう思います。
      それに、マケロフも最後の最後、家から持ち出したお金を、結局使わずに帰ってきますよね」
ロイ   「うん。それで、必死になって止めようとしてた周囲の人たちが、
      事態がアッサリ解決したせいで盛大にずっこけるってオチだったっけ」
エイリーク「そう。これだって、彼なりに自分の欲望に抗った結果なのです。
      他人にしてみれば、妻のことを考えてお金を使わないことなど当たり前のこと。
      でも、マケロフにとってはとても難しいことだった。
      だからこそ、彼が自分の欲望と戦い、勝って帰ってきたのを誰よりもよく悟ったスティラは、
      最後の最後に今まで以上に幸福な笑みを浮かべて、こう言うのです」
ロイ   「……『やっぱり、マケロフ様は素晴らしいお方ですわ』って?」
エイリーク「ええ……これと同じことです。一人一人それぞれに価値観が違う以上、幸せの形が違うのも当たり前のこと。
      スティラの生き方は、他人から見れば不幸でしかないのかもしれない。
      それでも彼女は彼女なりに幸せを感じているし、それを他人が否定することは出来ないのです。
      だからロイも、自分の考え方に自信を持っていい。私は、そう思います」
ロイ   「……うん」
エイリーク「……さあ、そろそろ休みましょうか。『マケロフとスティラ』、少しは把握できましたか?」
ロイ   「もちろんだよ。姉さんの話を聞いて、いろんな見方があるんだなっていうのも分かったし。
      僕も、この週末はしっかり観劇して、自分なりの見方を探してみたい」
エイリーク「ええ、楽しんできてくださいね。それでは、お休みなさい」
ロイ   「うん、お休み」

~週末、夜~

ロイ   「ただいまー」
エイリーク「あ、ロイ、どうでしたか?」
ロイ   「うん、面白かったよ。古代語じゃなくて現代語だったから、内容もちゃんと分かったし」
エイリーク「そうですか、それはよかった」
ロイ   「でも」
エイリーク「? 何か、問題が?」
ロイ   「うん……僕は大丈夫だったんだけど、隣に座ってたリリーナの方がすやすや寝入っちゃって」
エイリーク「まあ」
ロイ   「起こすのも可哀想だと思ったから、黙ってたんだけど……まずかったかな?」
エイリーク「どうでしょう……でも、おかしな話ですね」
ロイ   「そうだよね。リリーナも名家の娘さんだから、てっきりこういうのに慣れてて僕を誘ったと思ったんだけど」
エイリーク「不思議ですね」
エリンシア「あら二人とも、どうしたの?」
ロイ   「あ、姉さん。実は……」
エリンシア「……なるほど。ねえロイちゃん。リリーナちゃん、今日は素敵なドレスを着てきたんでしょうね?」
ロイ   「うん、そうだよ」
エリンシア「似合ってた?」
ロイ   「……うーん。正直、ちょっと似合ってなかったかなあ。
      大人っぽすぎて、まだリリーナには似合わないっていうか……」
エリンシア「ひょっとして、セシリア先生みたいな、大人の女性が着れば似合いそうなドレスだったんじゃないかしら?」
ロイ   「……あ、ホントだ。想像してみればぴったりだよ。でも、どうして?」
エリンシア「ふふ……きっと、背伸びしたかったのね、リリーナちゃん」
エイリーク「? どういうことですか?」
エリンシア「誰かに、自分も大人の女だって証明したかったんだわ、きっと」
ロイ   「……?」
エイリーク「……?」
エリンシア(あらあら。二人とも、まだまだこういうことには疎いのね……そんなところはそっくりだわ)

リリーナ 「しくしく……」
ボールス 「リリーナさま、お気を落とさず……」
リリーナ 「もう駄目だわ、終わりだわ。きっとロイ、あきれ返っちゃってるわ……」
マシュー 「だから背伸びをするのは止めといた方がって言ったのになあ……」
リリーナ 「だって……ロイ、最近セシリア先生の方ばっかり見てるんだもの……。
      わたしのこと子供っぽいって思って、女として見てくれてないんだわ」
ボールス (……そうなのですか、マシュー殿)
マシュー (んー、んなこたないと思いますけど? 意識しすぎなんじゃないスかね、きっと)
ボールス (まあ、そうでしょうな。正直、ロイ殿もリリーナ様同様まだまだ子供ですし)
マシュー (本人は言っても納得しないでしょうけどね)
リリーナ 「もう恥ずかしくて学校行けない……」
ボールス 「いけませんぞリリーナ様」
マシュー (ロイ君の方は大して気にしてないと思うけどねえ……
      これにしたってリリーナ様ご本人は納得しないだろうし、黙ってた方がいいか。
      ま、人間、自分の身の丈に合ったものが一番だってことだよな、結局……)

<おしまい>