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Last-modified: 2007-11-09 (金) 01:35:04

兄弟家一のアウトロー

 

 ~紋章町、エレブ高~

 

リン   「ちょっとヘクトル!」
ヘクトル 「あ? なんだよ、リン」
リン   「聞いたわよ、また喧嘩したそうじゃない!?」
ヘクトル 「チッ……うるせえな、お前にゃ関係ねえだろ」
リン   「あるわよ! いつもいつもそうやって気分に任せて問題ばっかり起こして!
     姉さんたちやエリウッドに申し訳ないって思わないの?」
ヘクトル 「うるせーってんだよ! 事情も知らねえでピーピーギャーギャー」
リン   「なんですって!?」
ヘクトル 「あー、ったく、面倒くせえ……!」
マシュー 「ちわーっす……ありゃ、何やってんすか若」
ヘクトル 「お、ちょうどいいとこにきやがったな。マシュー、この場は任せた」
マシュー 「は? 一体何の……」
リン    「マシュー……! あんた、ヘクトルの味方するつもり……!?」
マシュー 「え、ちょ、何ですかこの鬼神のごとき闘気を放ってるリン様!? わ、若ーっ!」

 

ヘクトル 「……ったく、昔は俺らと一緒にバカやってたくせに、最近姉貴よりも口うるさくなりやがったぜ、リンの奴」

 

 家に直行する気にもならず、ヘクトルは紋章町内をブラブラと歩いていた。
 この辺りは住宅街で、開発の進んでいるミレトス市街などと違って、まだまだ緑も多い。
 そこかしこから、子供達の遊ぶ声が聞こえてくる。

 

ヘクトル (あー、家帰ったら家帰ったで、リンの奴が姉貴たちにも話してるだろうしなあ)

 

 家族の真面目勢に総出でガミガミ説教される図を想像して、少々げんなりするヘクトル。
 そんな訳でどうにも帰る気になれず、その辺りをうろうろすること一時間ほど。

 

セリス  「あれ、ヘクトル兄さん?」
ヘクトル 「ゲッ、セリスかよ」
セリス  「ゲッって、ひどいなあ」

 

 苦笑しながら、ブレザー姿のセリスが近づいてくる。通学鞄を持っている辺り、学校帰りらしい。

 

セリス  「こんなところでどうしたの? 何か用事?」
ヘクトル 「いや、別に用事なんか……」
セリス  「じゃあ一緒に帰ろうよ。早く帰らないと晩御飯食べられなくなっちゃうよ?」
ヘクトル 「あー……そうだな……」

 

 気が進まないながら上手く断る言い訳も浮かばずに、セリスと一緒に歩き出すヘクトル。
 セリスの方は久しぶりに兄と共に帰れるのが嬉しいらしく、あれこれと楽しそうに学校での出来事を話してくる。

 

セリス  「でね、そのときユリウスが……」
ヘクトル (平和な顔しやがって。こいつは、隣歩いてる兄貴が学校でも札付きの悪扱いされてるような、
      どうしようない野郎だってこと知らねえんだろうな)

 

 などと、ヘクトルはついつい気の滅入ることを考えてしまう。
 そんな内心が外にも出ていたらしく、セリスがふと心配そうに聞いてきた。

 

セリス  「どうしたの、ヘクトル兄さん。なんだか表情が暗いよ?」
ヘクトル 「あ? いや、別に、なんでもねえよ……」
セリス  「そう? でも、この辺って懐かしいよねえ」
ヘクトル 「懐かしい? 何がだよ?」
セリス  「忘れちゃった? ほら、よく僕らが遊びに来てたところじゃない」
ヘクトル 「あー……そうだったか?」
セリス  「そうだよ。ほら、あの川とかさ。覚えてない?」

 

 と、セリスが川を指差したとき、その辺りから子供の泣き声が聞こえてきた。

 

ヘクトル 「なんだ?」
セリス  「男の子の泣き声みたいだけど……行ってみようよ」

 

 二人がその方向に歩いていってみると、案の定わんわんと泣き喚いている男の子が一人。

 

セリス  「ねえ君、どうしたの」
男の子  「うう……あれ、あれ……」
セリス  「あれって言うと……」

 

 男の子が指差した先、コンクリートで固められた河岸の下を見下ろしてみると、下の方に何やら白く丸い物が見える。

 

セリス  「野球のボール、かな?」
男の子  「うん……キャッチボールしてたら、落としちゃった」
セリス  「そうなんだ……えーと……」

 

 セリスは上流と下流に目をやる。が、川面に下りるための階段のようなものは見つからない。
 コンクリートで固められた高い斜面が、ずっと続いているばかりである。

 

ヘクトル 「あー、こりゃダメだな。天馬かドラゴンでもいりゃ飛んで取ってこられるが……」
セリス  「ごめん兄さん、これ預かってて」
ヘクトル 「ってオイ、セリス!?」

 

 止める間もなく、セリスは通学鞄をヘクトルに預けて、川岸のフェンスをよじ登る。
 そのまま、斜面を滑り降りて川面に下り、ボールを回収した。

 

ヘクトル 「バカお前、何やって」
セリス  「兄さん、これ受け取ってーっ!」

 

 叫びながら、セリスがボールを投げてくる。ヘクトルはそれを慌ててキャッチした。

 

ヘクトル 「うわ、汚ねーな、オイ」

 

 ボールを数度地面でバウンドさせて、水と泥をある程度落とした後、男の子に返してやる。

 

ヘクトル 「ほらよ」
男の子  「あ、ありがとう」

 

 おずおずとボールを受け取る男の子に、ヘクトルは笑いかけた。

 

ヘクトル 「礼なら俺じゃなくて、こいつに言えよ」

 

 やはりヘクトルの弟らしく、意外にも自力で斜面をよじ登ってきたセリスを指差してやる。
 セリスはにっこりを笑いながら、屈んで男の子と視線を合わせた。

 

セリス  「これでいいね。今度は落とさないように気をつけてね」
男の子  「うん。ありがとう、お姉ちゃん!」

 

 で、数分後。

 

セリス  「お姉ちゃん、かあ……」
ヘクトル 「いいじゃねえか別に」

 

 別れ際の男の子の一言が多少胸にこたえたらしく、セリスは少し肩を落としたトボトボと歩いている。
 即断でボールを拾いに行ったときとは比べ物にならない、情けない表情である。ヘクトルは苦笑した。

 

ヘクトル 「しっかし、ホントいい子だよなお前も。あんなヒーローみたいな真似、俺にゃとても出来ねえよ」
セリス  「何言ってるの、兄さん」

 

 セリスはにっこりと笑った。

 

セリス  「兄さんだって、昔僕に同じことしてくれたじゃない」
ヘクトル 「は? 俺が?」
セリス  「そう。覚えてない?」
ヘクトル 「覚えてねえ……っつーか、勘違いだろそりゃ、アイクの兄貴か誰かと勘違いしてるんじゃねえの?」
セリス  「違うよ。間違いなく、ヘクトル兄さん。
      ほら、僕が五歳ぐらいのときかな。いつものようにぬいぐるみのマミー君を連れて歩いてたら、
      近所の怖い子たちに取り上げられちゃってさ」
ヘクトル 「……あー、あれか……」

 

 そこまで言われて、思い出した。
 セリスが泣きながら帰ってきた途端、エフラムと共に家を飛び出したヘクトルは、
 相手を思う存分ぶちのめした後に、日が暮れるまでマミー君を探し回ったのである。

 

セリス  「僕がもういいよって言っても、『うるせー、お前は黙って家で待ってろ』って」
ヘクトル 「よくそこまで細かく覚えてたな、ンなこと」
セリス  「あのころ、僕いつもヘクトル兄さんにイジめられてばっかりで、
      きっと嫌われてるんだろうなって思ってたから、すごく嬉しかったんだよ」
ヘクトル 「そういうことかよ……」
セリス  「それでね、マミー君見つけてくれたお礼を言おうと思ったら、兄さんが言ったんだ」
ヘクトル 「……何て?」
セリス  「『礼なんていらねーよ。そん代わり、お前も男なら、ちったあ強くなって、
      将来お前と同じような奴を助けてやれるようになるんだな』ってさ。
      その日から、兄さんみたいに強くなりたいなあって、漠然と考えるようになったんだ。
      だからあのとき、迷いなくボールを取りに行けたんだよ」

 

 静かに語るセリスを前に、ヘクトルは何も言えなくなってしまった。
 何というか、耳の辺りが非常にこそばゆい。

 

ヘクトル (……なんでこんなこっ恥ずかしいこと真顔で言えんだ、こいつは)

 

 笑い飛ばすタイミングもとうに外してしまっている。
 どうしたものかとヘクトルが迷っていると、不意にセリスが少し口調を変えた。

 

セリス  「だからさ、僕は、分かってるから」
ヘクトル 「は? 何が?」
セリス  「ヘクトル兄さんが、本当はすごく優しい人だってこと。
      ううん、僕だけじゃなくて、皆も。だから、誤解なんてすぐ解けるよ」

 

 そこまで言われて、ヘクトルはようやく気がついた。

 

ヘクトル 「……リンから何か聞いてるのか、お前」
セリス  「うん。マシューさんがウチの学校に来てね、
      『ヘクトルを見つけたらすぐに連絡するようにってリン様が言ってましたー』って」
ヘクトル 「パシリかよ……半分俺が原因ながら、なんとも気の毒だな、マシューの奴……」
セリス  「だから兄さん、一緒に帰ろうよ。帰りにくいとは思うけど……
      リン姉さんだって、ちゃんと事情を説明すれば分かってくれるよ」

 

 説得するセリスの表情は非常に穏やかであり、
 「ヘクトルが喧嘩をした裏には何か事情があるに違いない」と信じて疑っていない様子だった。

 

ヘクトル (……どーも、この顔には弱いんだよな……)

 

 内心苦笑しつつ、ヘクトルは頷いた。

 

ヘクトル 「わーった。今日はマシューのとこにでも泊まるつもりだったけど、仕方ねえ、帰ってやらあ」
セリス  「本当? ありがとう、ヘクトル兄さん!」
ヘクトル 「……いや、お礼言うとこじゃねえだろ、ここ」

 

 笑いながら、二人は夕暮れの家路を歩き出す。

 

セリス  「ねえ兄さん。僕、強くなれるかな。ヘクトル兄さんたちみたいに」
ヘクトル 「……もう十分強ぇよ、お前は」

 

 ポン、と、ヘクトルはセリスの頭に大きな手を乗せた。

 

 家が見えてきたところで、ヘクトルは顔をしかめて立ち止まる。
 玄関先に、リンが立っているのが見えたのである。

 

ヘクトル 「うへえ……待ち伏せしてやがるぜ、あいつ」
セリス  「待って、様子が変だよ、ヘクトル兄さん」

 

 言われて改めて見てみると、確かに様子がおかしかった。
 リンの表情は怒っているというよりは何かを後悔しているようだったし、
 隣に立っている誰かが、必死に彼女を慰めているように見えたのだ。

 

ヘクトル (あれ、あいつ……?)
セリス  「ただいまーっ!」

 

 リンの隣に立っている人物が誰かヘクトルが気付くと同時に、セリスが率先して家の方に歩き出していた。

 

フロリーナ「あ……」
リン   「……お帰り、ヘクトル」
ヘクトル 「……おう」
リン   「……ごめんなさい!」

 

 歩いてきたヘクトルに、リンは勢いよく頭を下げた。
 どうやら、事情は全て説明済みらしい。

 

リン   「……フロリーナから聞いたわ。不良に絡まれてたこの子を助けるために喧嘩したんだって……」
フロリーナ「……ごめんなさい、わたしが上手く説明できないばっかりに、
      ヘクトル様が悪人扱いされてしまって……ぐすっ……」
ヘクトル 「だーっ、泣くな泣くな、別に気にしてねえよ。いつものことだしな」
リン   「でも、わたし、あなたにひどいこと……」
フロリーナ「わたしのせいでご迷惑おかけしたのに……」

 

 二人は非常に申し訳なさそうである。
 ヘクトルは、このままでは後々に何か後ろめたいものを残しそうだと予感する。

 

ヘクトル 「面倒くせえ連中だな……」
セリス  「どうするの、ヘクトル兄さん?」
ヘクトル 「任しとけ、こういう場面をぶち壊しにするのは大得意だ。
      伊達にアイク兄貴の弟やってんじゃねーんだぜ?」
セリス  「……えっと、何となく不安なんだけど……」
ヘクトル 「いいから見とけ」

 

 セリスに小声で言い残した後、ヘクトルは改めて二人に向き直った。

 

ヘクトル 「よっし、じゃ、なんか礼でもしてもらおうか」
リン   「……え?」
フロリーナ「は、はい! わたし、なんでもします!」
ヘクトル 「そうか。じゃ、一晩付き合え」
フロリーナ「はい! ……はい?」

 

 勢いよく返事したあと、フロリーナは首を傾げた。その顔が見る見る真っ赤になっていく。

 

フロリーナ「ええええええええと、あのその、それってあの、もしかしていえもしかしなくても……」
ヘクトル 「おう、そういうこった」

 

 ヘクトルが笑顔で頷くと、フロリーナは茹蛸のようになって沈黙してしまう。
 隣でリンが俯いてぷるぷると震え出した。

 

リン   「ヘクトル……! ちょっと見直したと思ったら、あんたって奴は……!」
ヘクトル 「いいだろ別に。減るもんでもねえしよー。さ、とりあえず部屋行こうぜ」
フロリーナ「え、ええええええとあのあのあのあのあの!」

 

 ここが肝心とばかりに、フロリーナの耳元に怪しく囁いてやる。

 

ヘクトル 「安心しろ、優しくしてやっからよ」
フロリーナ「あぅ……」

 

 沈黙するフロリーナの横から、ブチンという音が聞こえてきた。出所はもちろんリンの頭。

 

リン   「ヘェェェェェクトォォォォォォォォル……!」
ヘクトル (うっし、これでフラグ折り完了だな)

 

 ヘクトルは内心ガッツポーズを決める。

 

ヘクトル (上手くやれるか少々不安だったが、なんでえ、俺だってやれば出来るじゃねえか、さすがアイク兄貴の)

 

 得意げに考えていたとき、

 

フロリーナ「ま、待ってください!」
ヘクトル 「は?」

 

 不意に、フロリーナが叫び出した。
 先程と同じく真っ赤な顔ではあるが、その大きな瞳には何やら覚悟を決めたような光があった。

 

ヘクトル (……あれ? なんか、流れがおかしいような……)

 

 猛烈に嫌な予感を覚えるヘクトルの前で、フロリーナは顔を紅潮させたまま、もじもじと身じろぎし始めた。
 やや顔を伏せ気味に、やたらと悩ましげで切ない視線を遠慮がちに流してくる。

 

フロリーナ「あ、あの……ヘクトル様……本当に、優しくしてくださいますか……?」
ヘクトル 「ちょ、おま」
フロリーナ「わ、わたし、初めてですから上手く出来ないと思いますけど……
       あの、い、一生懸命、頑張りますから……」

 

 ヘクトルに止める隙すら見出させずに、目を潤ませたフロリーナが息を吐くようにそっと言う。

 

フロリーナ「……痛く、しないでください……」

 

 ブチブチブチブチブチンブチン!
 今まで聞いたこともないほどの勢いで、何かが切れる音が後ろから聞こえてくる。

 

リン   「……コロス……!」
セリス  「に、兄さん、逃げてーっ!」
ヘクトル (……あー、死んだな、こりゃ……)

 

 ソール・カティを抜き放ち、いつもより三倍は多く分身しつつ跳躍するリンの影を見ながら、
 ヘクトルは切なくため息を吐いたのだった。

 

 とまあこんな風に、一応誤解は解けた。
 だが、その日以降もフロリーナは出会うたびに頬を染め、ヘクトルに切ない視線を送ってくる。
 なおかつリンの方が噛み殺すような視線を叩きつけてくるので、結局は気の休まる暇のないヘクトルであった。

 

マシュー 「いやはや、モテる男は辛いッスねえ」
ヘクトル 「っつーか、アイクの兄貴はいつもこんなのを飄々とあしらってるのか……
      さすが兄貴だ、俺にはあの背中が恐ろしく遠く見えるぜ……!」
セリス  「……いや、さすがにあれは別格なんじゃないかなあ……?」

 

おしまい。