FF4
SFC・PS版
魔導船密航事件の際ローザが言う言葉。セシルへの愛が全面に出た名ゼリフ。
セシルの身を案じ、危険だとしても近くにいたいという決意と意志の強さが窺える
- 微妙に死亡フラグっぽいセリフに聞こえなくもない。幸いそんな事はなかったが。
そもそも完全に間男と化しているカインが哀れすぎる。
- 毎回カインがパーティ復帰直後に2人がイチャ付くのは作劇上、
当人同士に悪気はないのだろうが裏切り行為へのペナルティと見るべきか…。
台詞だけだとありがちだが、下記のすべてを踏まえて言っているので、真実味が半端じゃない。
- セシルが暫く暗黒騎士をやっていた事
- 元凶が彼の兄だった事
- ローザ自身も一度捕まり殺されかけている事
つまりローザは死地に着いていくのみならず、セシルが何者であろうと共有した上で、
側にいたいと言っているのである。
- それを言ったら暗黒騎士時代に悪事を繰り返したあなたは一体?となるけどね。洗脳時のゴルベーザやカインのように進んで悪に加担しているわけではないローザがそこまで責められることではないでしょう
- さすがゲーム開始5分で直球告白、中盤で公開キスシーンやらかすヒロイン、という感じだろうか…。
女性にここまで言わせてしまうセシルは少々罪作りだと思う。 - というか、病気で行き倒れたりさらわれて人質にされたり、これまで十分セシル達に迷惑かけてるんだが。これでローザが能力低い奴だったら、FF2のゴードン並みに「我が身を振り返れ」と言われてただろーな。
- セシルたちに迷惑というなら暗黒騎士時代に悪事を繰り返してきたセシルのほうが迷惑かけてるだろ。人質にされて迷惑ってのはガーネットのほうがよっぽど当てはまる。ローザよりもひどいことしているはずのガーネットが何も言われないのはおかしな話
- それを言ったらゴルベーザやカインが悪質なことしてるのはどうなんだよって感じだけど
- 病気は偽のバロン王が悪いし、人質はゴルベーザが悪いだろ。なんでローザが責められるの?
- 実際にはローザの白魔法(と、リディアの黒魔法&召喚)がないとかなーりつらいため、
ゲームプレイヤー的にはセシルの方こそ「何言ってんだ?お前…」になってしまうのであった。
GBA・PSP版
このイベントの直後に、メンバーチェンジ可能のお知らせが届く。
場合によっては青き星にとんぼ返りされ、ミシディアに置いていかれる可能性も。
あまりにも酷なタイミングである。
DS版
…なのだが、DS版では「私がいなかったら回復はどうするつもり?」に変更されている。
これはこれでローザの姐御らしさがよく出ているのだが、どっちを好むかはあなた次第。
- SFC版のセシルとローザのラブシーンがDS版には無い。
DS版はゾットの塔でも抱き合っているだけでキスをしていないので、
ローザ本人はSFC版の方が幸せかもしれない。
この展開はSFC版とかなり異なり、SFC版のセリフを言うか、
DS版のセリフを言うかはファンの間でも意見が分かれ、
某所では「感動した場面だったから台無し」と言う意見もあり、改悪されたと言われている。
ローザが本来言うべき事を、プレイヤーの心の声にしてしまったのが最大の問題点。
以下はローザが回復はどうするつもりと言った場合に生じる矛盾点
- ポーションや宿屋、テントで回復できる。
- カインやエッジがいる。
- セシルは白魔法を使える。
この矛盾に対する解答は残念ながら本編中では語られていない。
ちなみにリディアは幻獣を呼べるのは私だけという理由でついて来ている。
- 上記の矛盾点では実際戦闘中のローザの回復能力の貢献度にはとても敵わないので
わざわざ語るまでもないだろう。 - リディアが「幻獣を呼べるのは私だけ」と言うのは一種の建前で(もちろんそれもあるだろうが)、
皆と一緒に戦いたい気持ちが第一だろう(小説版では「幻獣達も戦いたがってる」と言ってた気もするが)。 - 彼女の言うとおりどうにもならない。
敵から貰うダメージが極大化したDS版では彼女の白魔法がない事を考えると恐ろしくなる。 - 実際、ローザやポロムのように安心して回復魔法を任せられる人材がいないとなんだかんだで困るのである。
確かにローザの言う通りなんだけど「じゃあお前は回復役としてついてくるのかよ」的な感じ。
「私がいないと駄目なんだから」というニュアンスともとれるが・・・。
- 個人的には変更前の方がローザらしいなあ・・・。
- 変更前だとセシルの為、変更後だと仲間の為、と言うニュアンスかな?
- 「回復はどうするつもり」はリディアと同じく方便で、皆と一緒に最後まで戦いたい気持ちありきだろう。
プレイヤーの意見を代弁するというよりは、
ローザが「ひたすらセシルの為に戦う愛に生きる女性」から
「仲間と共に戦う強い姐御」にキャラが若干変わったことの表れだろう。
それはローザが母親を説得する時のセリフが
「セシルの力になれる白魔道士で」から「セシル達の~」に変更されている事からも分かる。
セシル(とカインとエッジ)だって、回復の為、
幻獣の為(つまり純粋な戦力アップの為)について来てもらったと言うより
(戦力ゼロの人間を連れて行くわけにはいかないので、それもあるかもしれないが)、
仲間として一緒に最後まで戦い抜く事を決意したから、5人で月まで発ったのだろう。
リメイク前の「危険な目にあってもいい」「僕が守ってみせる」だと、
ローザが足手まといになるのを承知でついて行く、連れて行く、と言う様にもとれてしまう。
その意味ではリメイク後の方が戦士としてしっくり来る展開に思える。
- ローザがセシルの伴侶としての立場以前にここでは一人の戦士であることを伺わせる。
生きるか死ぬかという戦場では如何に生き残るかが至上命題だし、愛を語っている場合ではないと思う。
自分はむしろこの方が自然かもしれないと感じた。
ストーリー重視のRPGらしからぬメタな台詞だと思った。
例えば、ハゲの僧侶が自分の能力について語って仲間に加わるのは分かるが、
仮にもストーリーにおける重要な場面でゲームの話を切り出すのはあまり聞いたことが無い。
ゲームとしては有りだろうが、個人的には「台無し」と捉える。
- その気持ちは分からんでもない。
「回復」って表現がストレートすぎるから、
せめて「怪我を癒す」くらいだったら違和感は少なかったかも。- けどよく考えたらFF4屈指の名ゼリフって「さあ、回復してやろう!」だった…。
- メタっぽいとはいうものの「回復」は本来、元の状態に戻す、失ったものを取り返すという意味であり、何もRPGでいう怪我の治療にとどまらないのである。その前の会話からしてカインやセシル(とエッジ)は戦いという目的以外では若干ギクシャクしている状態であり、セシルも心情からいってゴルベーザを助けにいくとはいったものの不安な状態である。そういう意味合いが込められるとしたらメタっぽいが物語にありがちなメタっぽさであり、決して雰囲気を損なっているわけではないと思う。
FF4TAでも似たような(?)シチュエーションになるが、
その時のセリフは「私がいればあなたは戦いに集中できる」。
随分と説得が巧妙になったものだ。
小説版
ちなみに小説版では両方とも言っている。
- これが一番良い落としどころだとは思う