FFT
ジークデン砦でのアルガスのラムザへの台詞。
要約するとベオルブ家と言う超名門の立場でなければ出来ない事があるんだからそれを果たせと言う事。
- 言いたい事は解るがティータを殺害した時点で説得力がなくなっている。
- それとこれとは別の話じゃないか?
- そもそも「貴族としてなさねばならないこと」の認識にラムザとアルガスでは致命的な齟齬があるので決して相容れない。ラムザは「平民を守る」、アルガスは「平民を支配し管理する」。ラムザにとって救い守るべき対象であるティータを殺害したことでアルガスは「言い訳してる只のクズ野郎」に成り下がっている状況。
- だから貴族の中の貴族であるベオルブ家に生まれ、現状に不満があるならその為に臣下の意見を纏めて『貴族として』力を行使すべきだろう。だというのに一個人としてしか動かないラムザはアルガスから見たら、責任から逃げてるようにしか見えない。
- ↑貴族の中の貴族に生まれたとはいえ彼は所詮三男坊である。貴族として力を行使するのは逆に難しかっただろう。何しろ一番上にはあのダイスダーグがいるのである。個人で勝手に動いていたからこそ放っておかれたのであって、もしベオルブ家の人間として動こうとしていたら動き出す前にダイスダーグに握りつぶされていただろう。どのみちルカヴィ登場のせいで当初の目的は達成できていないのだが……結果的に世界を守れたので良しとすべきか。
- 平民の為にテロリストの要求を呑めないと言うアルガスに対して「ティータはディリータの妹だぞ」と返してる辺り
ラムザが守りたいのは自分の親しい人々、偶々目に入った範囲の人々だけで、平民では無い。
平民出のディリータという友人がいる割に、骸旅団の状況に対して「犯罪せず働けばいいのに」と言い放ったり
市井に疎く、関心がない暮らしをしていた事が1章で描かれている。
甘ったれたボンボンとして漠然とした博愛主義を掲げているだけで、具体的に平民を救おうとは考えていない。
だからあっさりと地位を捨てて逃げ出し、身の回りの人々のみを対象にした個人としての活動を始められた。 - ↑この時点のラムザはまだ16歳の温室育ちのボンボンであるからして、そんな立派な思想を持っていないのは当たり前である。当時の彼にとっての世界とは目に見える範囲だけだったのだ。
アルガスやディリータもそうだが、たかが16歳のガキンチョが「平民全てを救わなければ」なんてそんな重い使命を背負えるものではないし、背負わせてはいけない。
ラムザもアルガスも、ガキンチョなりに自分の正義に従って(若さと勢いに任せて)戦っただけである。
- それとこれとは別の話じゃないか?
- なんというか、アルガスは誰かの代わりに手を汚してると思ったのであんまり言い訳には感じなかった。
- あの状況ではティータを見捨てるのが騎士団としては最善策であり、アルガスはその汚れ役を買って出ている。
つまり「アルガスにしか出来ないことを、汚れ役をやらせたくないザルバックの代わりに果たしている」。
この一語に対してはアルガスに分があるように思える。
…問題はその前の平民切り捨ての家畜発言や、言ってる状況が私闘丸出しでラムザを襲っている点か。
前後のセリフとひっくるめて考えると色々と考えさせる「深い」セリフではある。
残念ながら上に書いてあるようにティータを殺害した後の自己弁護にしか聞こえない側面が強いので後になって読み直してみないと単なる言い訳にしか聞こえなかったりもする。
流れとしては「自分だって好きでベオルブの家に生まれてきたわけではない」と言うラムザに対し:
剣士アルガス 「それが甘いって言うんだよッ! 自分に甘えるなッ!! 「ベオルブ家は武門の棟梁だ! トップとして果たさねばならない役割や責任があるッ! 「おまえでなければできないことがたくさんあるんだ! それができないヤツの代わりに果たさねばならない!
と諭して(?)いる。
要はノブレス・オブリージュである。身分制の強固な信奉者であるアルガスらしいセリフとも言えるだろう。しかしラムザはこれに対して「利用されるだけの人生なんてまっぴらだ!」と反論するがそれに対しアルガスは:
剣士アルガス 「利用されるだけだと? ふざけるなッ!! 「ベオルブ家がベオルブ家として存在するために、オレたちは利用されてきた! 「いや、もちろん、オレたちだってベオルブ家を盾として、その庇護の下生き続けることができた! 「そうさ、持ちつ持たれつの関係を築いてきたんだッ! そうやっておまえは生きてきたッ! 「利用されるだけだと? おまえは、“親友”と称するディリータでさえ利用してきたんだ!
と再反論している。これ実は結構面白い事を言っていて、身分制と言えど実際は上の者と下の者が持ちつ持たれつの関係を築いているからこそ存続できると指摘している(このバランスが崩れると革命が起こったりする)。
惜しむらくはこれを言ってるのがアルガスで、言ってるタイミングがティータ殺害直後だと言う事だろうか。
- これって見方を変えると平民を支配すべき貴族も、大貴族から見ればただの家畜だと認めている台詞である。
サダルファス家の境遇を考えるとあのセリフはアルガス自身の自嘲もあったのかもしれない。
にもかかわらず、その義務に殉じ続けるアルガスは曲げられない筋が一本通っているように見える。 - >平民を支配すべき貴族も、大貴族から見れば…
それはまったく違う。FFTは15世紀のイギリスを時代背景としていると考えられるので、当時の封建制度による貴族間の主従関係について言っているのである。- 一応、貴族が貴族として存在するために平民を利用し、その対価として平民は貴族に守られる。これが封建制度の前提であるのだが。(まあ、作中では五十年戦争の敗戦で貴族が平民を守る力を失い、おまけに国王が病弱なせいで政争が始まって搾取するだけになっているのが問題になってるわけだが)
- 結果論だがラムザを大きく成長させ、本編と数年後へと繋がっていく
凄まじく正論であるが、平民を家畜と言い切った後では果てしなく霞む。
持ちつ持たれつどころの間柄ではない。
- 家畜も見様によっては労働力と引き換えに安全と餌(捕食の労苦からの解放)を得ている。
…いや、無論「食われる」危険もあるけど(汗。…「食われる」側に、それを理解する知性がなければ、の話である。 - ところが、似たような思想は大公や公爵が披瀝している。
衆愚な家畜であればこそ、「文化擁護者」や「国王の御楯」といった民衆とは違う方向で努力している貴族を侮ってはならないのだ。
…もっとも、この時代の貴族たちは民衆の努力や犠牲に対して「持たれつ」となるようなものを何一つ提供してないのだが。- 事実上の敗戦なのにそうではないという幻想を植え付けた奴がいたせいだな。ホント、イヴァリース世界の英雄たちは皮肉しか齎さない。
- 完全な敗戦だったら現状以上の混乱が発生している可能性も高いので、その英雄だけのせいでこうなっているとは言えないだろう。
- 完全な敗戦だったらともかく、五十年戦争は形式上は対等な和平で決着がついてしまった(実際、イヴァリースは賠償金の支払いを避けられなかったが、開戦時の領土の保持に成功している)から平民の怒りが直接自国の貴族に向かった面がある。もし完全な敗戦だったならば、貴族と平民は侵略者オルダリーアへの憎悪によって団結したかもしれない。
余談
某海賊漫画の金髪ぐるぐる眉毛コックも、全く同じような台詞を吐いている。
………こっちと違って説得力は抜群だったが。
ロマサガのニーサの場合は、できるならば世界に生きるすべてのもののチャンピオンになれと言われ、できなければできる人を探せと言われる。