英語のお勉強/ハンニバル

Last-modified: 2011-07-27 (水) 22:51:08

ハンニバル

感銘を受けた英文だったり、高見先生の明らかな誤訳っぽいのを発見したりしたらここに記す。自分のつたない英語力が高見先生に及ぶわけが無く、揚げ足取りや、あげつらい、非難したりの意味は全くないことをあらかじめことわっておきます。

以下、日付順で

2011-07-27 103章

レクター博士のもとへ去ったスターリングから、過去の友人アーディリアに宛て、友情の証のリングが送られてきた。1通のメモと共に。

Dear Ardelia, I'm fine and better than fine. Don't look for me. I love you. I'm sorry I scared you. Burn this. Starling.

高見先生訳は

懐かしいアーディリア、私は元気よ、申し分ないくらい。お願いだから、私を捜さないで。あなたを愛しているわ。驚かせて、ごめんなさい。これは、焼き捨ててね。スターリング。

高見先生訳は随分と丁寧だが、原文はもっともっと簡潔で「アーディリア、私は完全に元気よ。探さないで。愛してる。怖がらせてゴメン。これは焼き捨てて。スターリング」くらいのものだ。
「日本語は俳句などでもわかるとおり、少ない言葉でずっと多くの事を言い表せる言語なのだ」と教わってきた。ある意味それは正しいと思う。しかし、こういう簡潔で要領を得た事柄を言い伝えるのは英語の方がずっと上手に相手に伝わるものだと知った。高見先生訳の本書を初見のときには、このメモはずっと大きな紙(最低でもA6くらい?)に書かれているものかと思ったものだが、英語の語数の少なさを見れば、想定されるメモ紙片の大きさは、おそらく手のひら大のものなんだろう。

We only learn so much and live.
知るのを控えてこそ、長生きもできるのだ

という高見先生訳なのだが、なぜこういう訳になるのかがわからず。勉強不足。

2011-07-23 43章

Don't you think it likely you told me all sort of things you don't remember now ?

メイスンに宛てたレクターの手紙の文。高見先生訳は

この私に話した事で、オマエが鮮明に記憶している事は何一つ無いのだ、という気がしてこないか?

とのこと。「I don't think that ナニナニ」と言った場合の英語圏での感覚がいまいちつかめず、困る事がある。「ナニナニだ、とは思わない。」という感覚ではなく、「ナニナニではない、と思う」というふうに学校英語では教わった。これが「Don't you think」になると一体どういう事になるんだろう

「Don't you think more realistic?」(Daily 1500より)といったら、「もっと現実的にかんがえらんないの?」=もっと現実的に考えなさいよ、の意味が多分に含まれてこないものなのか?

さて、レクター博士の手紙。メイスンは実は自分の顔をポリポリ食ったことや、子供たちを堕落させたときのことをレクターに話しているのだが、全然オマエは覚えていないだろう、というくだりの後にこのセンテンスが来る。高見先生訳は初見のときにも違和感を持っていた。

オマエは、オマエの覚えていない全ての事を洗いざらい私に話したらしいのだ、とは思わないか?
=オマエは自分の事を全て洗いざらい話したんだよ。覚えていないのか?

意訳し過ぎかなあ。でもこんな意味が含まれない?のだろうか?自信あまりなし。

2011-07-23 55章

He did it with his eyebrows raised.
彼は眉を吊り上げてそれをした。

raise one's eyebrows で「驚く」ことの表現のようだ。(驚き、疑い。軽蔑)

2011-07-18 99章

"Looks are an accident, Dr. Lecter."
"If comeliness were earned, you'd still be beautiful."

高見先生訳

「容貌は偶然の産物に過ぎないわ、レクター博士」
「容貌が後天的に得られるものだとしても、君は美しい」

辞書によるとcomelinessは「顔立ちの良さ」 earn は稼ぐのほかに「もたらす」の意がある。というわけで、これは仮定法なのだが、「君は美しい」では意味がいまいち通っていないと思う。「(容貌ってのは偶然の産物である事はまちがいない。しかし、)容貌がもたらされるものであると仮定しても、(この仮定の元であっても、君には容貌の良さがもたらされて)君は美しくなったであろう。」ってことで、まどろっこしい日本語訳になってしまう。ちょっと初見では日本語的にアレ?とはおもうが、日本語訳が難しい部分で、高見先生の御苦労が忍ばれます。

日本語にするのに難しいのはやはり「仮定法」の訳し方だと思う。日本語には無い概念だから、日本語にする際にはまどろっこしく説明臭い訳にならざるを得ないはず。それを物語の流れを止めずに簡潔な日本語にするのは至難では。翻訳家って本当に大変な仕事だと思う。

文法初心者としては「Looks are an accident」の言い方が気になる。「複数(不加算?)are 単数」となっており、混乱。というか不思議。 こういうものとして考えるほか無い。

2011-07-17 35章

The purchase of the courteous Dr. Fell over his months in Florence would not have totaled more than one hundred thousand lire, but the fragrances and essences were chosen and combined with a sensibility startling and gratifying to these scent merchants, who live by the nose.

これの高見先生訳は

身だしなみに気を配るフェル博士がこの店であがなった商品の総額は、それでも10万リラを超えないだろう。だが、それらの香料や香油はよくよく厳選され、しかも並外れた感性によって組み合わされていた。その感性は、鼻によって生きている香りの職人たちの胸に驚きと敬意を植え付けずには置かなかったのだ。

かなり違和感のある訳である。まず、レクターが10万リラを超えないだろう金額を買ってたからといってそれが一体何なのか、という疑問が。10万リラとは、(29章の終わりの方で交換レートが出ている)およそ62ドルほどにしかならない。つまり、ここではたった10万リラ、という少ない金額のことを指している。それにwould not have totaled つまり仮定法。「合計(で小額にすら)にならなかったであろう」(=実際には大金を投じていることが暗に示されている)

それと、butを単なる「だが」という接続詞として考えたのでは前後の文章がつながらないのでは。このbutは譲歩で、unlessと同じ働きなのではないかと思う。つまり、

もし、それらの香油や香料が厳選される事無く、鼻を商売道具としている商人たちの驚きと敬意を集めているものでなかったのであれば、フェル博士のこの店での購入金額は10万リラにすらならなかったであろう。

こんなところでどうでしょう。10万リラが低い金額だってことがわかりづらいので、60ドル、とか括弧書きでいれてもよいかなあ。

2011-07-16 第9章

"What'll it do?"
"I don't know. Enough, I think"

 ハンニバル9章より。クラリスのマスタングを指してマーゴバージャーが1行目のセリフ。それに応える2行目クラリス。高見先生の訳を見ない事には全くチンプンカンプンで参った。日本語訳をチラチラ見ながら読み進めるのは邪道だから、どうにか自力で読み進めようと考えていたのだが、このやり取りを読んで、それはあきらめた。

 車を指差してこう聞けば、それは「どのくらいスピードがでるのか」という意味(らしい)。これがわかればなんて事はないのだが、わからないと全く読み進める事はできない。多分口語的に使うんだと思う。文型から推測するに、It will do 100km/h. とか言うんだろうか(あくまで推測)。

 なお、車に関するやり取りがマーゴとクラリスでしばらく交わされるのだが、英語だと実に簡潔なやり取りとなっている。いっぽう高見先生はかなり日本語にする際に説明っぽくされている。マーゴの「5リッターのマスタングにしては車高が低いわね」という問いにクラリスは ”Yes, It's a Roush Mustang." とだけ答えている。これの高見先生訳は「ええ。これはチューンナップした、ラウシュ・マスタングだから」としている。グーグル先生に尋ねてみたところ、ラウシュとは、日産に対するニスモのような、そんな位置づけの企業のようだ。しかし日本人には全くなじみがない。だから、わざわざ「チューンナップした」と高見先生は付け加えたのだと思う。

簡潔なやりとりが続くが、そうすることで暗に二人が女だてらにカーマニアであることを読者に伝えているのである。このニュアンスまでも日本語にするのは不可能であろう。

2011-07-14 第23章

How do you behave when you know the conventional honors are dross?

従来の名誉などクソだ、と気がついたとき、人はいかようにたちふるまうのか?…ハンニバル23章冒頭。
「dross」て吐き捨てるような語感がステキ。上の訳はオレ訳。高見先生訳は「世俗的な名誉など屑も同然と悟ったとき、人はいかに振る舞えばいいのか?」である。

「従来の名誉」というと、日本語のニュアンスと、conventionalの意味が微妙に食い違う。俺訳だと主語が明確になっておらず、どちらかというと「誰かが(この場合は物語上パッツィが)これまで持っている名誉」、という意味合いが強くなってしまう。原文はthe conventional honors なので、従来これまでいわれてきたところの名誉が、という意味。世俗的名誉と置いた高見先生はさすが。しかし「屑同然」ではなく、「くずだ、ウンコだ」と原文では言い切っていると思う。吐き捨て感が足りない。この吐き捨て感を出すのは日本語だと至難。