読書備忘録

Last-modified: 2023-05-07 (日) 19:54:48

どくしょのきろく

とりあえずつけてみようと思い立った。多読は害である(渡部昇一の人生により証明済み)。良い本の精読を心がける。

『デジタルミニマリスト』カル・ニューポート

「アテンション・エコノミー」(人々をスマホにかじりつかせる時間を多くさせることで儲ける企業)の餌食にならないように…。ずいぶん以前に購入して読まずにいたが、2023年のゴールデンウィークの始まりに読むことができた。
これはとても良いタイミングであり、おかげでこのゴールデンウィークは読書とお勉強、そして休養に集中することができた。
近年にない充実感を得られたGWとなったわけだが、それはこのデジタルミニマリストを読み、極力デジタルから遠ざかったことで得られたものだと思っている。今後も続けていきたい。
原書を買いに丸善本店に走ったが売っていなかった。書棚にならんでいたのは「Deep work」や「So good they can't ignore you」であった。残念。スーパー良書。

(2023-05-07)

『独学プログラマー』コーリー・アルソフ

Python, Bash, GIT, あたりの話だけにとどまらず、独学プログラマーに向けた指導は広範囲に及ぶ。一人1台、家庭にPCがいきわたった現代社会において、これらの知識は職業プログラマだけのものではなくなるはずだ。すべての人に必携。

しかし、翻訳がひどい。意味不明な文章が散見されたため、念のため原書をKindleで購入し、確認した。やはりそういった部分は誤訳であった。
技術書だからと言っていい加減な翻訳が許されてよいわけがない。「わかりやすくした」という言い訳も可能だろうが、著者の意図と違ったニュアンスを混入させるのは許されない。

途中途中に「コラム」というのが入るが、これはどうやら翻訳者が混入させたものであって、原文には見当たらない。そういう原著者の意図とはずれるものは明示されるべきだが、どこにも見当たらない。どうやら翻訳者の訳が稚拙な部分を、この「コラム」とやらで勝手に補っているようだ。(P146のコラム1が典型)

その他、例えば、章の初めにはQuotesが入るのだが、

第16章

コンピュータープログラミング以外の仕事は考えられない。毎日、形なき空虚からパターンや構造を見つけ、小さなパズルを山ほど解き続けている。ピーター・ヴァン・デ・リンデン

I can't think of a job I'd rather do than computer programming. All day, you create patterns and structure out of the formless void, and you solve dozens of smaller puzzles along the way. Peter Van Der Linden

うーん。本文も怪しいと思ってしかるべきだろう。原書購入を激しく推奨。原題は『The self-taught Programmer』。

(2019-11-17)

『FACTFULNESS』ハンスロスリング

だいぶ前に買って読んで欧米的道徳観あふれた本だなあと思ってほったらかしになってた。荷物の奥から出てきたので再度速読。こんな図があった。

「女性は男性よりも数学に弱い。」「アメリカ国民とメキシコ国民の所得は分断されている。」というように見えるが、(P52より)

gap1.jpg

「こうやってデータを見ることではっきり言えるのは、男性と女性も、アメリカ国民とメキシコ国民も、それぞれ分断されてはいないということだ。」(P54より)

gap2.jpg

??????たしかに、「女性は数学に弱い」という風説がまったくの虚像であることはこのグラフが明確に示していて、大変すばらしい図だと思う。しかし、アメリカ国民とメキシコ国民は明確に分断されているではないか。これに対する著者の回答は

「もちろん、分断、という言葉が現実を表すのに相ふさわしい場合もある。アパルトヘイト時代の南アフリカでは、黒人と白人はまったく違う暮らしをしていた。両者の間には大きな分断があり、重なりはほどんどなかった。このような場合なら、分断という言葉を使っても構わない」

?????いやいやいや、アメリカとメキシコだって「重なりはほとんどない」状態じゃないの?原文をあたってみないとわからないけれども、「divide」という英語と「分断」という日本語のニュアンスにギャップがあるのだろうか?それにしてもこれが分断でなくて一体何なんだろう???

さらに。この本に添付されている多くのデータは「gapminder」というサイトが出典元とされており、せっかくなので今回のデータも当たってみた。

上の写真の、所得について出典とされるURLは「gapm.io/ihhinc」が示されて
https://www.gapminder.org/data/documentation/mean-household-income-documentation/
にリダイレクトされており、「現在アップデート中」とのことで、アップデート前の当該の図に当たれなかった

上の写真の、SATの平均について「gapm.io/xsat」が示されて
https://www.aei.org/carpe-diem/2016-sat-test-results-confirm-pattern-thats-persisted-for-45-years-high-school-boys-are-better-at-math-than-girls/
にリダイレクトされており、当該の図が存在する。

下の写真の、所得分布について出典とされるURLは「gapm.io/incm」が示されて、
https://www.gapminder.org/fw/income-mountains/
にリダイレクトされており、当該の図と全くちがったものが示されている。

下の写真の、SAT平均分布について出典は「College Board」が示されているが、私には見つけられなかった。

これを書いたのち、Web脚注というのもみつけた
https://factfulness-source.chibicode.com/

「54ページにあるグラフは、「重なりがある正規分布 (Overlapping bell curves)」とも呼ばれる。」

とのこと。「重なりがほんのわずかでもあれば分断はない」ということであろうか。しかも横軸は対数目盛である。そしてそれをもとに「分断はない」と言い切っていいものなのかどうか。

ファクトフルネス感想

そもそも、統計として統計ができるのは、正確な統計をはじき出すことができる統計なのであって、「統計にそもそも数えられていない人間(統計が出せない地域や人間や数字)は除かれている」ということを念頭に置けば、巻頭の「13の質問」はそんなに難しい問題ではない。

トランプが当選したアメリカ大統領選挙で、ほとんどのアメリカメディアがヒラリー当選を予想していたことを思い出そう。統計にそもそも入っていない人間を考慮しないとならない。

(2019-10-20)

読書に対する私の指針

http://www.msn.com/ja-jp/lifestyle/lifestyle/%e7%a7%8b%e3%81%ae%e8%aa%ad%e6%9b%b8%e3%81%a7%e7%9f%a5%e8%ad%98%e8%93%84%e3%81%88%e3%82%8b-%e6%9c%ac%e9%81%b8%e3%81%b33%e3%81%a4%e3%81%ae%e8%a6%96%e7%82%b9%ef%bc%88%e5%87%ba%e5%8f%a3%e6%b2%bb%e6%98%8e%ef%bc%89/ar-AAIEv3U?ocid=ientp#page=2

 賢くなるにはインターネットを駆使することが一番手軽で効率的だ。なぜ賢くなる必要があるのか。知識は力であるし、インターネットの使用は他の方法(たとえば読書)などよりはるかに効率的だからだ。

 たとえば夫婦別姓。これに賛成する人は「同姓は日本の伝統なんかでは無く、別姓にしても家族は壊れない」という。でもちょっと知識があれば見方は変わってくる。彼らは源頼朝が北条政子と別姓で結婚したことを引き合いに出したりする。が、現代の家族制度はもっと近代になってから培われてきたものであり、現代の家族制度を維持したいという人たちに対して、源頼朝を引き合いに出すこと自体、説得力を持たない。

 その次には彼らは海外と比較したりするかもしれない。日本の文化について考えるときに海外の価値観は参考以上のものでは無く、海外の価値観に照らし合わして判断することはとても愚かなことだとわかるだろう。

 こういう知識があれば夫婦別姓に対する考えは変わってくる。夫婦別姓こそグローバルスタンダードだ、夫婦別姓に反対することは時代遅れ、もしくは単なる知識不足である、という言説こそ単なるレッテル貼りではないか、ということが明確に浮かび上がってくる。ネットを駆使して知識を得ることは、自分の周囲や社会を変える力になる。何も知識がなければ「知識のある俺たちの言うことを聞け」と言われたらそれで終わってしまう。

 一般的に本ばかり読んでいる人は、本を読んでいれば知識が得られるものだと誤解し、本を読んでいない人より賢いのだという高慢な自信を持っている。インターネットを駆使し、効率よく知識を増やしていこう。

 となれば読書は不要かといえばそんなことはない。本を読むとなった場合にはどういう本を選んだらいいか。ポイントはただ一つである。それは古典。何百年も市場で選ばれてきたのだからいいに決まっている。ステキな装丁だとか、最初の5ページだけ読んで判断するとか、まして対して人生経験もない大学教授や芥川賞受賞作家だのの書評なんぞで選んでは必ず失敗する。時間というフィルターをくぐり抜けてきた古典を、何度も精読しよう。

 あなたに2人の部下がいるとしよう。1人は毎晩本を読み、1人は毎晩飲みに行く。面白い仕事が来たとき、あなたはどちらの部下を選ぶか。毎晩本を読んでいるだけで実際の知識が欠け、本を読まない人間を見下している尊大な人間よりは、毎晩飲みに行ってコミュニケーション能力を磨き、ネットを駆使して効率よく知識を得ている人の方が、いい仕事に巡り合うチャンスも自然と多くなる。

 団塊世代は自分たちがうまくいったやりかたを得々と語るが、それは単に彼らが運が良かっただけであり、彼らが優秀だったわけではない。彼らの言うとおりにしていると必ずや失敗することはよくよく心に留めておくべきだ。多読が害であることは、渡部昇一氏の人生が証明している。

(2019-10-17)

『Public HACK』笹尾和宏

もう十年近く前、遠くの湖でも眺めてみようと思って4~5時間ほどバイクを飛ばして到着、湖が一望できるパーキングエリアに到着するとなんだか騒がしいエンジン音がする。しかも、一向に遠ざかる気配もなく、止む気配もない。そう、とある一団が湖面でジェットスキーを乗り回して大はしゃぎしていたのである。パーキングエリアには100人単位の人がいた。ずいぶん迷惑な話である。心からコイツらいなくなってくれ、と祈るばかりであったが、結局静かな湖畔の風景など楽しむべくもなかった。本当に腹が立った。

ジェットスキーの一団にも言い分があろう。「禁止されていないから」やっているだけである。個人主義が進み、他人のことなど考慮に入れなくても法律さえ守っていればそれでよしとする現代の風潮である。そしてその風潮の犠牲者はその連中の周りである。こうして、私自身の静かに湖畔の風景を楽しむ権利は永久に失われたのであった。

さて、この本。いろいろなことを公共施設を自由使用の範疇内で楽しんでいこう、という主旨のもの。まあ、それは良い。それだけなら。

第3章では法律論を語りだし、たいていのことであれば自由使用の範疇内で法律では禁止はされていない旨が長々と紹介されている。そして「人はなかなか放っておいてくれない」(P101)の小章では、「厄介なのは直接やりとりすることはく、こちらが知らない間に行政や警察に通報されることです。」とのこと。そのあと、いかにゴネるか(ネゴるか、ではない)を得々と語る。

なんだか著者は大きな誤解をしている。法律で自由使用が禁じられていないからといって、あなたたちに何らかの権利が与えられたわけではない。あなたたちに自由使用の権利が与えられているのと同様、あなたたちに占使用されて迷惑である、なぜならあなたたちのいない景観を楽しみたい、という人たちの権利だってまったく同様に尊重されるべきではないのか。「後から誰かが来た時には、自分が先陣であることを主張して他人を排除せずに受け入れるべきです。」(P114)とご自分で書いている通りである。通常の状態であれば占使用されていない場所に人がいる。テントを張っていたり机を置いていたりして邪魔くさい。そう思う付近住民が仮にいた場合、著者は「当事者間でコミュニケーションをとることが大事」(P114)というが、そんな「大事」は著者だけの思いであって、なぜ通常の使い方を期待している人が通常の使い方をしていない人に対してコミュニケーションを持ち掛けなければならないのか。住人が警察や行政に通報するのはむしろ当然である。湖にいた爆音でジェットスキーを乗り回すようなバカに、直接コミュニケーションをとろうと思う奴などいない。それを「人はなかなか放っておいてくれない」などと、著者の行動を理解しない住民が悪いような書き方をよくできるものである。

いちいちどうでもよい法律論をこねくり回す前に、所詮自由使用なのだから行政や警察に移動を求められたら素直にそれに従ってくれ。いや、端的に言おう。自分の権利ばかり主張し、他人の権利には一向に関心がない奴はとっとどどけ。消え去れ。

ええ、著者が私のこの主張をみたら、きっと法律論か道徳論か何かを持ち出して言い返してくることでしょう。。それに対して私はたぶん言い負かされるでしょう。この類の人間の共通点として、自分の主張に反対する人を言い負かしたら自分が正しいのだと思いこむ傾向があることは私の経験上、まず間違いのないところである。そして、こういう連中をうっとうしいと思う権利はどんどん「正当に」奪われていくのである。

さあ、クソみたいな自由使用をしている連中をみかけたら、どんどん通報していこう。その結果、自由使用の権利はどんどん狭まっていくかもしれない。しかし、それは住民の責任ではなく、この著者のような連中の責任である。今まで通りの通常の自由使用をしている我々の権利は何も狭まりはしない。

(2019-09-22)

番外 東大生Youtuberがフェルミ推定

テレビなどでも露出の多い東大生がフェルミ推定をしていた。だいぶ昔に騙されて読んだ、東大生の書いたというクソフェルミ推定クソウンコ本を思い出した次第。思い出してムカついてきたのでここに書きなぐる。

https://www.youtube.com/watch?v=3I49Cg2_quY

fer2.PNG

…あのなあ…一人当たりのピアノ保有台数とかピアノの平均故障年月とか、膨大な雑学知識をお持ちのクイズ王だからといってそんな統計データも脳みそ内部にお持ちなんですかね。データのうち、2つも分からないものがあったら単なるあてっこゲームである。

2つもわからないデータがあるのなら別のアプローチをとる必要がある。ピアノの調律師のおおよその年収(=専門職だから一般平均労働者よりは高いだろう、その高さは一般労働者と比べて〇〇で〇〇だから〇割くらい多いのではないか。)、という積み上げと、その年収を維持していけるだけの調律料金(ピアノ本体の価格は〇〇くらいだからピアノの料金の〇割くらいではないか、などの手法)、調律料金が分かれば、年収を維持するだけの年あたり調律回数が出てくる。

フェルミ推定においては、何事もこの手法でなくてはならない。当たり前だ。途中段階で「実感として」「何となくこんな係数を掛けて」なんてことが許されるならば問題が出題された直後に「実感として日本にはポストは20万本くらいだと思います」と言うことと何が違うというのだ?

正確でなくてもそういう手法でなければフェルミ推定でもなんでもなくて、ただの適当な数あてゲームをやっているにすぎないのだ。そんな手法で出した数字が近くても単なる偶然でしかない。無料Youtubeのお遊び動画だから許されるが、金出して買った「東大生」を売りものにしたフェルミ推定本を買わされて頭にきてここに書いたものの、削除した文章を再度やっぱり掲載することにしました。ムカつきをまざまざと思い出させてくれたYoutubeに感謝
(2018-08-19)


以下は2015年03月07日くらいに書いて消したもの
を再掲載したが、やっぱり消去

『ドナルドトランプはなぜ大統領になれたのか』西森マリー

すごい著作である。一気に読み通した。マスコミを牛耳っているのは一部のエリート。我々日本人が知っているアメリカはマスコミを通じてしかしらない(そして、金持ちの集うハリウッドから)。アメリカの人口3億人。我々日本人が知っているアメリカ人はほんの一握りの人たちだけだった。1次産業に携わるアメリカ人…当然だがとてもたくさんいる…の実態をまるで知らなかった。だからトランプが当選したときに大変驚いたのだ。

トランプは消極的に支持されたのではなくむしろ積極的に支持されたのだ。

マスコミでは決して流れなかったトランプの子供たちの素晴らしいスピーチ日本語訳が掲載されている。これがこの本を締めくくっているのだが、そこに億万長者の子供の厭らしさはまるで感じられない、親への尊敬とアメリカへの愛国と、なによりブルーカラーへの尊敬にあふれているのだ。

名著。

(2017-04-23)

『パウロ』青野太潮

団塊世代にまた騙された。よくこんないい加減な代物を…。近い将来、岩波新書はトンデモ本の宝庫となるだろう。聖書を根拠に何かを語れると思っているのがスゴイ。聖書を歴史書と勘違いしている牧師。聖書を根拠にして歴史を語ることのなんと愚かしいことよ。

2017-03-26 愚痴を削除
2017-03-20

『星を継ぐもの』ジェイムズ・P・ホーガン

SFの金字塔だという。しかし読んだことなし。読んでみた。…「デスノート」で感じた違和感…地球上の生物全体を見ても、人間だけを見ても、進化論的にあり得ない話がえんえんと続いて自分としては全くダメだった。
2016-09-11

『日本語はなぜ美しいのか』黒川伊保子

英語の学習を通して、日本語の良さを知ることができた。これは外国語を勉強することのメリットの一つだと思う。当たり前に使っている日本語を見直すきっかけになるのだ。

アメリカ英語がなぜ短い間に今の形となったのかという考察や、地理的環境だけでなく人種による骨格の違いが言葉の違いを生むという考察などは非常に興味深いし面白かった。母親らしく日本語(母国語)をないがしろにした外国語教育には何度も警笛を鳴らしている。

アマゾンでの低い評価があるが、残念ながら低い評価のレビューはまったくその通りだと思うところもある。女性らしい支離滅裂感は否めない。エッセイとしては大変興味深く、共感できる面も多いし、面白かった。

2016-02-28

『占星術殺人事件』島田荘司

あちゃー、こんなに面白いミステリーが未読だったとはなんたる損失!まあ、あいかわらず小説は斜め読みなのだけれども。ミステリのアイディアってのは尽きないものだなあ。但しそのアイディアのほとんどは、各種化学鑑定が進んだ現代では難しいこと。設定を昭和以前にする必要があるのは間違いないですなあ。ま、逆に言うと、現代は陰惨な殺人事件を科学が未然に防いでいるともいえるのではないでしょうか。

2015-11-29

『イスラーム国の衝撃』池内恵

山形浩生氏のこの本の評価。「ちょうど ISIL をめぐるいろんな本が次々に出てきたところでもある。今回はそれらの本をあれこれ見てみるけれど、結論から言えば読むべき本は一冊だけ。池内恵『イスラーム国の衝撃』(文春新書)。これだけです。」 https://cakes.mu/posts/8187

これを信じて購入したのはずいぶん前のこと。ざっと読んだだけだが、ひととおりの知識は持てた。日本のマスコミやSNSで言われることのまあ間違っていること甚だしい。モロ素人のワタクシごときがこんなふうに一刀両断にできるのもこの本のおかげ。全ての現代日本人が一読しておくべき。これからはISが台頭する世界となってしまう可能性は残念ながら高い。敵を知っておくことは必要なことだ。

2015-11-26記

『ぼくはいかにしてキリスト教徒になったか』内村鑑三著、河野純治訳

原文と比較するとわかるが、岩波文庫の鈴木俊郎訳のものがヒドイ。「原著執筆当時の著者その人の日本文に近いものとすることに努めた」とのことだが、日本語訳が稚拙であることの言い訳にしかなっていない。では、その制限を取り払えば鈴木氏に良訳を望めただろうか????

河野氏訳は面白く読めるものになっている。そもそも内村の英文はずいぶんと読みやすいものなのだから、だいぶ内村のこころにかなっていると思う。ただし、一人称は「私」がふさわしいかったのではないかなあと思うけれど。

なお、巻末には「橋爪大三郎」とかいう人の(大変間抜けな)解説が長々と掲載されている。この人の主張を聞きたくてこの本を購入したのではないのだ。非常にうざいのであるけれども、写真のように345ページから362ページをバッサリともぎり取ると

baka.jpg

おお、文章もスッキリして、ちゃんと解説にもなっている。すばらしい。さすが橋爪さんである。こうされることを想定していたかのようである。

(24 aug 2015)

『サイエンス脳のための フェルミ推定力養成ドリル』ローレンス・ワインシュタイン

クソフェルミ推定本にうんざりして買ったコレ。アメリカ人向けの記述が多いのが残念なところ。でも内容はしっかりしている。それにしてもやっぱり邦題はクソ。現代は「GUESSTIMATION: Solving the World's problem on the back of a Cocktail Napkin」 back of the envelope に引っ掛けて、カクテルナプキンの裏で世界的な問題を解いちゃおう!な軽い感じ。内容もそんな感じ。ただし、邦題のつけかたは出版社のマーケティング戦略によるものなので、だれのせいでもないのだけれど…。
(2015-03-15)

『統計学をまる裸にする』チャールズ・ウィーラン

下記統計学入門の本のとなりに山形浩生センセイ訳のこの本が売っていたので、一緒に購入した。素晴らしい。『完全独習統計学入門』の後に読むべきは、学部生ならば各種専門書に移るのがよいだろうが、一般普通社会人ならこの本で間違いない。統計学入門である程度の知識を仕入れいていると、この本に出てくる各種用語や数式など、まったく苦ではない。むしろ統計学入門で仕入れた基礎知識をこの本で応用できることが楽しい。

フェルミ推定本で大失敗したあとに、統計学の本で大成功である。こういう本との出会いはまさに運であることを痛感する。
さて、訳者あとがきにサポートページがあるよと紹介されているが http://cruel.org/books/nakedstats/ 404エラーでござる。
(2015-03-15)

『完全独習統計学入門』小島寛之

統計学の入門の入門。あまりに面白く、練習問題も余白に書き込んで解きつつ、3〜4時間で読みきった。「標準偏差」の意味が(やっと)わかった。学生時代にコレを知っておきたかった…。さすが、現代のゆとり世代を相手にしている大学教授さんである。かみ砕きかみ砕き解説されており、これ以上ないくらいの入門書に仕上がっている。だたし株や投資信託にからめている部分は余計に感じた。書いてある手法で投資信託の過去の成績を評価することはできる。しかし過去の成績は将来の収益を約束することはないのだ…ま、私はインデックスファンド信者なので、投資に関するツッコミはここまで。良著の評価は変わらない。
(2015-03-15)

『現役東大生が書いた地頭を鍛えるフェルミ推定ノート』

一言。クソ。金返せ。ネットの評判だけでまた買ってしまった俺の負け。燃やして暖を取るか、ケツ拭く紙として使用するか。

(途中をざっくり削除2015-03-08)
(更に削除をする2015-03-15)

さては適当なことを書いて適当に本にして適当に出版して「東大生」のブランドに騙されるアホから金を巻き上げようとしやがったな。東大生として大変よい心がけだ。その調子で俺みたいな馬鹿をドンドン騙して金儲けしてくれ。

フェルミ推定でおすすめはこちら
http://www.amazon.co.jp/dp/4791760468/
もう10年以上前の本なのか…。俺もおっさんになるわけである。

(2015-03-07)

『科学する麻雀』とつげき東北

コレを読んでかなり麻雀は強くなれたと思う。ルール、一般的な点数計算、効率のよい捨て牌の仕方を覚えて、この『科学する麻雀』を読めば、おそらくだれでも強くなれる。そして、麻雀はつまらなくなってしまった。だって、誰だって同じ打ち方をするだろうからだ。すなわち、勝っても負けてもそれは運の良し悪しなのである、ということに気がついてしまう。すると、麻雀の勝ち負けにこだわる意味はなく、そんなに面白くもないゲームだということに気がついてしまった。まあ、テーブルゲームとして仲間内の会話の仲介役としての楽しさは否定しないけれど。

理論的なところはすっ飛ばして、中盤にある13問の練習問題をやり込んで、どういう時に降りるべきか、どういう時に突っ張るべきなのか、それをちゃんと把握しておくだけでも十分強くなれる(ワタクシ本人がネット麻雀で実証済)。科学的に麻雀を突き詰めてくれた名著。もはや本書なしに麻雀を語る事はできない。(2015-03-01)

読売新聞『本・よみうり堂』ビタミンBOOKのコーナー、池谷裕二センセイの書評

センター試験の英語の問題をやるために読売新聞をコンビニで購入。

(2015-01-18)

色々書いたけど削除。(2015-03-01)

『トレーニングの相棒 プロテイン』野沢秀雄

ひどい内容で、有用な情報3割、自社製品の宣伝と1940年生まれの著者の自伝的内容が7割。これだけならゴミ箱へ直行させ、ここに何も記すことはないのだが…

(自分が一流企業に入社が決まった話の後)現在の学生は就職先で大きな苦労をします。つい最近も知り合いの学生から(略。就職面接において)不当に差別されたことを嘆いていました。本当に気の毒ですが、もっと先にやることがあったのです。(このあと、さきにやるべきこと「仕事やスポーツで成功する4つのヒント」とやらを開陳)

この1940年生まれの著者が大学を卒業して引く手あまただったのは単に時代が超好景気だったからに他ならない。
岩戸景気
オリンピック景気

…しかし、この著者はこういう自費出版で出すべきような内容の本を何冊か残している。また、専門外の与太話の本も。アカの他人の自叙伝を金を出して買わされる身にもなってほしいものである。
2014-08-10

2014-08-16(ほぼ筆者への誹謗となっていたため大幅削除)

『夢は9割叶わない。』 弘兼 憲史

本屋で見つけた。島耕作書いた人の本なので、思わず立ち読み。そして後悔。あんたそもそも勝ち組でしかも漫画で飯が食えて夢が叶っている人やん。その人がこの題名の本をのうのうとかけることが図々しくてすごい。成功者が成功する、そしてその成功者が本を書く。そもそもそんな文章が何で本になるんだろう?そんなのを読んで、一般人のわれわれはなにが学べるというのか。

2014-05-14

『知的生産の方法』渡部昇一

違和感を感じるが、読書の大切さを力説している部分には感銘しないわけではない。しかし、しかし、しかし、
大量の蔵書とともに歩む「知的生活」の行き着く先がスピリチュアルなのですか。蔵書にドーキンスは入っていないのですか?ダーウィン進化論は歴史的・科学的事実なのです。アマゾンで最近の渡部昇一の著書を見ると、残念なトンデモ系へと進んでいることが見てとれる。

知的生活とやらが人生の終盤にもたらしたものが誤謬でした、なんて。ちょっと気の毒ではあります。しかし、紛れも無い厳然たる事実として渡部昇一という人物が存在しているわけです。これはつまり読書だけでは科学的な物の見方は育たないことの証明にもなっているのです。たくさん読書したところで、別に賢くなるわけでもなんでもないという大いなる見本ではないだろうか。著者は読書家であることを自慢気に語っているけれども、そんな御大層なものでないってことを著者の人生が証明してくれてます。いろいろ反面教師的に考えさせられる本でした。

2014/01/13

『勝負心』渡辺明

明晰、明確、わかりやすい文章。羽生と羽生世代への思い。将棋への思い。そして、趣味である競馬の話少々。佐藤康光棋聖には、対極前に競馬の話をして窘められるというエピソードが2度も出てくる。それもそれぞれ別の1回ずつであり、佐藤棋聖も渡辺竜王も、なにか一言あるのだろう。なお、佐藤棋聖とは読み筋が違い、非常にやりにくい相手なのだそうな。

羽生と同年代の自分、それよりもずっと下の渡辺。渡辺は目下、羽生の最大のライバルである。羽生を今の地位から引きずりおろすのは渡辺しかいないだろう。世代の違い、感覚や考え方の違いを感じた。中学3年でのプロデビューということで鳴り物入りのデビューだった。その後の発言や行動も生意気なものばかりで驚かされたものだ。そういう行動や発言をいまや恥じているとのことで、まあちょっとほっとした。

なお、渡辺明のおくさんのブログがたいへんいい味を出していて面白い。渡辺明の別の面が垣間見える。
2013/12/15

パトリシアハイスミス再読

この項のずっと下段にあるパトリシアハイスミスを再読。やっぱりよいものはよい。(2013.11.10)

『旅ノート/散歩ノートのつくりかた』奥野宣之

とにかくノートを取りたくなる、散歩や旅に出かけたくなる。そんな不思議な本である。立ち読みして、この手の手帳本には何度も買っては失敗している経験から、購入を迷っていたのだが、最後の方にある著者の

最後に書き添えておきたい事は、旅ノート/散歩ノートとは、「おもしろがる力」を伸ばすものだ、ということです。「人間の本質は、自由の中で自由に生きる事ではなく、牢獄の中でも自由に生きることである」(マラパルテ)という言葉があります。どんな珍しい自然現象を見ようと、良いホテルに泊まろうと、何も感じなければ意味がありません。反対に、「おもしろがる力」があれば、近所の散歩でもエキサイティングな体験になります。

この言葉で、ああ、この本はよくある手帳本、「自分ですら実践していないことを、本を売る為だけにさも自分も実践していますヅラで書いている手帳本」ではないな、と確信した。というわけで購入。(この著者はどうやらいわゆる「手帳本」の著者でもあるみたいだけれど…)さて、この本にある切り抜き満載、写真満載の手帳をつくるにあたっては、手軽に写真を縮小、印刷する手段が必要となる。iphoneを使用している自分はこの方の方法がお手軽しかも安価に楽しめる。素晴らしい!これを書く直前にセブンイレブンで印刷してみたが、これは楽しくなりそうな予感がしている。 2013/05/26

『よくわかるキリスト教』土井かおる

最近はとみにキリスト教に興味がある。なぜかというと、ちまたの書店には、成功者が著者の「夢をあきらめない」だの、「私はこうして成功した」だの、そんなクソくだらねえ本ばかりである。この著者たちは今現在既に成功しているから「夢をあきらめない事が重要」「成功の秘訣」なんて事が語れるのである。今は競争社会。この一人の成功物語の裏に何万人という夢をあきらめざるを得なかった話、夢をあきらめた方が良かった人の話、こうしたから失敗した、という一切出版されない話があるはずなのである。こうした何億人もの普通の人、に対する教義(救い)となるのがいわゆる宗教なんではないか、そんな風に宗教を理解するようになってきた。旧約聖書だの新約聖書だのには、人生訓も盛りだくさんで、なかなかいい「お伽噺」だと思う。何千年も語り継がれるお伽噺をざーっとわかりやすく紹介しているのが本書。

この本の、著者のビリーバー気質が気になる記述は多数あるが、代表的なものをひとつ。「…しかし、宗教は非常に私的な問題ですから、多少親しい間柄でも不用意に話題にするべきものではありません。中絶、同性愛、女性聖職者、自殺、進化論など、キリスト教内で議論されている問題も慎重に扱いましょう。」だそうです(巻末の章、Q&Aより)。なにげに「進化論」を滑り込ませているのがステキ。「進化論」は不用意に話題にするべきものではないんだそうな。もはやお笑いでしかない。これは、「地動説はキリスト教内でも議論されているから、キリスト教信者とは議論を慎重に!」と言われているようなもの。進化論はすでに科学であり、キリスト教内で議論になっている方がもはや滑稽なのであって、偏見を直すべきはキリスト教信者の方である。なんで一般常識的な話題をするのにもこちら側がわざわざ気を使わねばならないのだ。まあ、相手を不快にさせる話題は避けるべき、という一般論としては非常にごもっともではありますけど、一般常識論をさせないだけの偏狭さは信者側がどうにかすべき問題であって、そっちでとっとと解決してくれよという感じ。2013 03/03

『名画の謎』中野京子 『幸せになれる宗教画』関谷義樹

下記の羽生著『直感力』には「本は買おうかどうか迷ったら買ってしまった方が良い。もし買って無駄でもすてれば良いだけの事」との文句があり、これに従っている。というわけで、今年の正月にイタリア、バチカンに行って興味を持った宗教画の平易な解説本2冊を買った。両方ともわかりやすくて名著。イタリアに行くまえに読んでおくべきだった。中野京子の方は「普通の宗教観を持つキリスト教になじみのない日本人」という立場から、また関谷義樹の方はは自分が司祭であるという立場から、宗教画を解説している。欠点を挙げると、中野京子の方は女性が書く化粧臭さ満点で、日本人コンプレックスに溢れている。関谷義樹は読者にわかりやすくしようと努力されている分、かえって宗教臭く感じた(俺ごときの馬鹿でさえもこんなふうに欠点をあげるのは簡単なことなんだなあとしみじみ。蓮舫におしえてあげたい。)。両極端な2冊を読む事で、自分なりの見方が発見できてよかった。(2013.02/12)

『直感力』羽生善治

やっと購入。これで羽生の一般向けの本は、多分全て買っている事になると思う。物書きとしての能力は飛躍的に向上なさったようだ。これまでの著者は、語尾には「~なのではないだろうか」「~ということもあるのではないか」など、断定口調をあえて避けてまわりくどい言い回しが多かったり、いちいち「ビジネスの世界では~ではないだろうか」とか一般読者をことさらに意識しすぎたり、「将棋の思考をビジネスに生かすにはどうしたらよいか」的なよけいな指南もあったりして、稚拙さばかりが目立った。

もちろん、羽生は棋士として一流なのであるから、物書きとしては二流以下であって当然でありそれで全く問題ない。稚拙な文章から読者側が「あの羽生善治の文章」を読み取るべきなのだ。

しかし、この『直感力』からは、こうした稚拙さが消えている。もはや読者に気を使うことをやめ、思いのままを文章に起こせているようだ。語尾はきちんと断定口調となり、必要以上に読者に対して気を使っていない。こういう羽生のナマの意見が読みたかったのだ。

ただひとつ思っているのは、少なくともいま自分が思い描いているものとは違う姿になっていたいということ。たとえば、十年経ったらこういう感じになっているのだろうという青写真があるとしたら、そのとおりにはなりたくないという気持ちがある。-「思い通りにならない自分を楽しむ」より

かなり意外な一文である。が、こちらとしてはこういう羽生の思考こそ知りたかったのだ。(2013.01.20)

『善人は、なぜ周りの人を不幸にするのか』曽野綾子

下の『いい人を…』を読んだ後、この人の言動が気になってさらに買った。なんだか凄い人だなあと思う。正直なところ、女性の小説は読む気がしなくて、この人の小説も例外ではなく、読むつもりは無いのだけれど、こういう形(部分部分の引用をまとめたもの)であれば、言わんとするところのエッセンスだけをつかめて良い。

バランスのとれてる人なんだなあと思う。それでも、30代のころは完璧主義から(?)不眠症に悩まされたらしい。駄文で編集部をごまかす事も自分に許すことで、精神的に解放されたようだ。そういう、苦難を乗り越えた上で語られる言葉はとても重くて説得力がある。

日本人で生き方の手本になる人はめっきり少なくなったけれども、曽野綾子は数少ないそういった人の一人だと思う。この人の文で自分もずいぶんと楽になった。(2011/10/10)

『「いい人」をやめると楽になる』曽野綾子

中学生だか小学生だかの頃、つまり30年ほど前、母に「曽野綾子の本をなんでもいいから買ってきて頂戴」といわれ、随分漠然としたリクエストだったがそんな母の言いつけに応えたことがある。そんな何となく思い出のある女流作家。手に取って眺めてみたらなかなか面白そうだったので購入。面白いなんてものじゃない。座右の書となりそう。そもそも、女の書く文など嫌いなのだ。でも、この人はなんか違う。気どりがまったく無い。女性作家特有の、行間に入り込みがちな化粧臭さも無い。人間ってのは曖昧な生き物なんだよ、というのを訥々と語られている。勉強になる。2011/08/07

『大局観』羽生善治

ビジネスマン向けに書いたと思われる「決断力」も面白かったが、なにぶん章の最後にいちいち「これはビジネスの世界でも応用できると思う」とかとってつけたようにまとめていたりして、伝わるものも伝わらなかった印象がある。

今回は違う。へたな文章(ヘタで結構、羽生はプロの物書きにあらず)であまり稚拙な語り口ながらも、その言わんとすることはダイレクトに伝わってきた。羽生は将棋界に名を残し、この先何百年も語られる棋士だ。彼と同年代でいられることは本当に幸運である。2011/02/21

『どうで死ぬ身の一踊り』西村賢太

とても読後感が悪い。悪すぎる。しかし、自分の恥をここまでさらけ出せるとは。強烈な印象が残る。やはり抜群に面白いのだが、これって「文学」という範疇のものなのだろうか。本人も言っているように、純文学とは対極。しかし、この著者の作品をしばらくは読みあさる事になりそうだ。この自分の年齢で、人生観が変わる書物が見つかろうとは。2011/02/20

犯罪者がなんか書いたみたいだ

市橋達也っていう強姦殺人犯が本を著してそれを出版している。出版社は幻冬舎。幻冬舎に今後一円も金は払わない事に決めた。こんなモラルもないクソ出版社がなにをしているんだ。

それにしてもマスコミはこんな権利濫用について何も言わないのか?なにも言わないでよいのか?その態度が結局言論の自由を脅かす事だとは気がつかないのか。あきれた。あきれた。あきれた。

有名ネット書店では書評があって、星の数を付けて評価ができるのだが、結構な数の人間が、この本に満点の5つ星をつけている。さすが民主党なんかに政権を渡す国民性。本当に失望した。日本のモラルは本当に崩壊してしまったのだと知る。日本はバカばかりの国になってしまった。恥知らずの国になってしまった。最低限の部分もとうとう忘れてしまった。(2011年2月19日)

『苦役列車』西村賢太

文芸春秋に掲載されていたので滅多にかわない雑誌を買った。とにかく、面白い。面白いの一言。破天荒な履歴を持つ著者。その私小説とあらば興味をひかれない筈は無い。

男にしかわからない文学だと思う。女性からは理解されないし、理解するような女性は女性ではないといえる。この作家の著作をすべて読んでしまいたいと思った。こんなことは10年ぶりだ。

犯罪者が小説を書いた

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1008/24/news011.html

しかも結構な売れ行きとか。なんで犯罪者の書いたものをみんなありがたがって読むのだろう。しかもライブドア事件では人が死んでいるという事を忘れてはいまいか。あと、「(NHK版の)『ハゲタカ』でIT社長を描いている」みたいな事を言っているが、物語の本質部分ではない。あの社長はIT社長だろうが何だろうがどうでもよかったのだ。この犯罪者と同じく。で、本質ではない事に触れるという事は、単なるバカか、もしくは別の意図があるからである。この犯罪者はバカじゃないから後者であって、その意図は「単なる宣伝」ということになろう。

『ちばさんの机』オフィスの机探検隊 編

なんだかんだ言っても、あらゆる仕事術は「行き詰まったら整理整頓」の一言であらわされる。と下に書いた。たまには息をぬいて、写真ばかりの本でも買ってみようと思い、買ったのがこれ。他人の整理整頓の方法(つまりそれは仕事術)は本当に参考になる。ひとりだけ、とにかくピンクピンクに染めるのにご執心の人が掲載されているがそれはご愛嬌。

男の机より、やはり参考になるのは女性の机。女性の机は整理がなされているだけでなく、きちんと遊び心というか、見た目のオシャレも忘れないところはさすがである。男には無い感性。

この本を読んで欲しくなった文房具は
http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/column/20080520/1011755/
日付時刻スタンパー。あとhacoaのclipcatcher。(2010年1月)

『減らす技術』レオバボータ

棋士である羽生善治の父は外資系会社員で、つねづね「仕事に行き詰まったら整理整頓」と口にしていたそうだ。いろいろな仕事術などの書籍が出されているが、どの仕事術にしても、結局言っていることはこの羽生の父の名言「行き詰まったら整理整頓」というまさにシンプルな一言に凝縮されると思う。

この『減らす技術』も実は真新しいものはあんまりないがネットやパソコンを駆使した「減らす技術」に焦点が当てられており、早速実行してみようと奮い立つ。

しかしまったく同意できないのが第8章「シンプルコミットメント」。

「ステップ8・後ろめたいと思わない。たとえば「このプロジェクトには君が必要なんだ」といわれても、心配はいらない。相手はかならずほかの人を見つけてくれる。あなたひとりが「ノー」と言ったところで世界が終わるわけじゃない。そこまで人が必要なポジションなら、必ず誰かほかの人で埋まる。あなたのことを気にかけてくれる人のために役立てなくて、罪悪感にさいなまれるかもしれないが、あなたなしでもやってくれる」(p158)

この本を購入したことを深く後悔させてくれた一文だ。あなたがはっきり「ノー」と言ったその仕事は確かにほかの誰かが引き受けるだろう。しかしその引き受けてくれた人は単純にノーという声があなたよりも小さかっただけだ。声の大きいものが勝つという世の中をあらわしていると思う。遠まわしに、しかし大きな声で「自分の権利は主張しろ、義務は履行するな」と言っているに過ぎない。やれやれだ。うんざりだ。

著者は「zen habits(禅の習慣)」なんてブログを立ち上げているらしいが、こんなの禅でもなんでもない。曲解も甚だしい。もしくは単なる宣伝のためにzenという単語を使っているだけで、筆者は禅などまったく理解していないことがわかる。

 。。やはり本は本屋で一度立ち読みしてから買うのが王道で、前評判だけでamazonで通販、なんてことをするとこういう大失敗を犯すものだと大いに反省。悪いのは筆者ではなくこの俺(2010年1月)

『ある愛の詩』山下久美子

だいぶ前に購入して読み、肥やしになっていた。文庫本PDF化したので、あらためてiPod上から読んでみた。布袋寅泰がとんでもない暴力ヤローだってのが暴露されたのがこの本。たぶんBOOWYの解散も彼の暴力が原因じゃないかと邪推できた。

そんなことはまあじつはあんまりどうでもよくて、この本で印象にのこっている、妊娠中の山下久美子のこのセリフ。

「…不思議なことに呑みたいと思わないんだ。煙草はやめられないけれど」

妊娠中に「煙草はやめられないけれど。」妊娠中に煙草はやめなかったのか。。。

妊娠中の煙草がどれだけ胎児に悪い影響を与えるのか知らないのか?いや、そんなはずはないはず。彼女の二人の子供を「舞い降りた天使」と呼び、限りない愛情を注ぐ彼女。しかし、その割にはこの記述はいったい何なんだろう?

この一文の後、帝王切開で子供を取り出すことになった記述がある。大事な子供たちのために、せめて妊娠期間中だけでも、たかが煙草ごときすらやめなかったのだから何を言っても何を書いてもすべて空虚だ。こんな具合に。「いま私のお腹で必死で生きようとしているふたりを、守らなければならなかった。煙草はやめられないけれど。」「苦しがっているのなら、早く取り上げてほしい。煙草はやめられないけれど。」「もしも未熟児ということでハンディを持って生まれるような事があっても、私は母として、この子たちの人生をきっちりと引き受けるという覚悟が出来ていた。煙草はやめられないけれど。」

この煙草を止めなかった事実と、娘(胎児)たちに注ぐ愛情の記述とのあまりのギャップに違和感を感じざるを得ない。そしてこの違和感はこの本が終わるまでずっと続く。現実とこの人の記述は違うのだ、信用ならない人が本を書いているぞ、気をつけろ、と絶えず読者に警笛を鳴らす。もはや、物語の序盤から信憑性に欠ける本となっているのだ。

それにしても疑問は尽きない。そもそも「煙草はやめられないけれど」なんて書かなくてよかったのに。書かなければならなかった理由が何かあったのか?告白の理由がわからない。なぞだ。

人の心中というものは誰にもわかりえないんだなあ。しかし、ボーカリストが煙草とはね(2009年11月)

『のはなし』伊集院光

自分が伊集院のファンになったきっかけは、このtu-kaのコラム。tu-kaがつぶれなければ、まだ連載してたんじゃないかなあ。このコラム連載終了までは絶対にauへ移る気にはならなかった。それにしてもなかなかの文才で読ませる。伊集院光って、あのテレビで見るデブタレでまちがいないよなあ、と本気で不安になり、ネットで確かめたりもした。あのデブタレ(失礼)で間違いなかった。

「7文字で50倍返し」というコーナーだったと記憶。つまり主催者側は「400字ほどテキトーに書いてくれれば結構なんですよ」というもとに始まったのだろうと予測していたが、現実もやはりそんなものだったらしい。タレントにありがちなゴーストを使っていないらしい事はすぐに読み取れた。「今日は風邪引いちゃったから、ゴメン今回は何も書けないよ。さようなら」なんて回もあった。

イタイ話、ちょっと悲しい話、ほっとする話など。脳みその皮膚感覚に来るコラムばかり。

個人的には「高校の野球部で1年生のとき、練習試合の審判をさせられた話」が読みたかった。この話は確か3000字くらいはあった力作だったように記憶している。没になったみたい。続編「のはなしに」には載っているかなあ。
(2009年10月)

リチャード・ドーキンスいろいろ

ドーキンスの著書は自分にとって進化論の、そして科学の啓蒙者。もっともっと彼の著作を読み込み、理解し続けなければならないと感じている。

「その1年に起きた事を1ページに記す。そのペースで積み上げていくと1000年分は約10cmの厚みになる(1枚=0.1mmと計算している)。キリストが生まれたころまでさかのぼるとちょうど20cmで、くるぶしのちょっと上あたり。アダムとイブが創造されたとされるのは60cm(紀元前4004年だから)で、腰掛けるのにちょうどいい高さ。
では、人類が火を使うようになったのはいつ頃か。50万年前。ここまで積み上げられた冊子をさかのぼるには、自由の女神像より高く上らなければならない。三葉虫まで行き着くには56kmで、こうなると想像もつかなくなる。。。」『虹の解体』より抄。

時間を距離に置き換えた比喩はドーキンスならでは。わかりやすい。丁寧で、知的に興奮する。最近めっきり読書スピードが落ちた。もう量を読むのはあきらめよう。そのかわり、ドーキンスを読み込もう。そんな決心をした。(2009年10月)

『ハゲタカ』真山仁

NHK同名テレビドラマがやたらおもしろく、印象的だったので原作を読んでみた。非常に面白い。が、NHKドラマの脚本が優秀過ぎともいえるかも。原作は非常に荒削り。文章のテンポは、同じく新聞記者出身のトマスハリスを思わせるけど、ちょっとそれはほめ過ぎかも。

会話会話の途中に絶対存在すべき間の取り方が決定的に下手と感じた。「ここでおそらくは会話間に10秒以上の「間」があったであろう」というところにも、「頷いた」とか、短い文章を挟むだけ(もしくはそれすら無い)なので、違和感。新聞記事じゃないんだよ。

でも、そういう目立ったマイナスはあるけれども、全体としてはやっぱり面白かった。(2008年9月)

『スネア』

BOOWYの元ドラマー、高橋まこと氏の自伝的エッセイ、とくくってしまうには惜しいくらい、内容の濃い読み物。やはりとくにBOOWY時代に多くのページが割かれ、BOOWYファンだった自分にはたまらなく面白かった。音楽的にはBOOWYのリズム隊として土台を支え、人間的にも土台だったに違いない高橋氏。多くを学べる良著。(2007冬~2008春くらい)

『食い逃げされてもバイトは雇うな』

山田ナントカいう公認会計士の先生。だいたい、いわゆる「勝ち組」の人たちは短期的利益にしか興味がないから頭が痛いものだ。とある「勝ち組」教師(私立学校の有名教頭センセイ)が「部下には『生徒への指導が行き過ぎて責任を問われるくらいなら、生徒へ指導しないほうを選べ』と言っている。」のだそうだ。まったく頭が痛い。こういう連中が教育に携わっているのだから、教育が腐敗するのは当然だ。

閑話休題。こちらは山田ナントカ先生。相変わらずの馬鹿っぷり。公認会計士は現場を知らないのだな。もっと言うと社会を知らない。バイトを雇う金額と食い逃げされる被害とを比較較量すると、バイトを雇うほうが高くつく。これは至極当たり前のことだ。なぜ当たり前のことをわざわざ題名にするかというと、センセイお得意の「センセーショナルなほうがインパクトがあり売れるから」である。そんなにお金儲けがお好きですか。

バイトを雇わないほうが短期的にはトクである。さて、それでは長期的にはどうか。おそらく食い逃げ犯は常習化するだろう。「あの店は食い逃げが簡単にできる」という評判も広がり、経営が立ち行かないくらい食い逃げが頻発するだろう。そしていずれは「バイトを雇っておいたほうが良かった」という時が必ず訪れる。雇うなら早いほうが良かったと思うだろう。

したがって、「食い逃げされてもバイトは雇うな」という命題は偽である。

以上、立ち読み1分での感想でした。誰がこんな本買うか。(2007冬くらい)

漫画『デスノート』

所詮漫画な訳だが、ある程度の年齢でこれを血眼になって読んでいる奴が居たら要注意(またこのフレーズ)。とにかく、自分は「ぜったいにありえないこと」を前提にする物語は大嫌い。「これならありうるかも」と言う工夫が皆無なら読む価値すらない。デスノートはこのたぐいの物。ギャグ漫画ならともかく、大真面目だからなあ。

デスノートに載せる「本名」って、つまり戸籍登録された名前、ということですな。そうなると、「役所に届け出た名前をデスノートに載せる」ということになる。そんな役所だの届け出だのが物語の底にからんでくるなんて、つまらない話じゃない?

百歩譲って役所に届け出る名前というわけではない、ということにしよう。それでもまだ矛盾する。この世には名前を持たない人だってたくさん居る。日本には少ないかもしれないが貧しい国ではそれが当たり前の地域だってある。そういう人たちをデスノートで殺すことは不可能なの?そういうひとたちはそもそもデスノートの範疇外ということ?つまり、デスノートは「日本人にだけ」通用するというたぐいのもの?

まあ、いくらでも矛盾点はみつかる。そしてその矛盾点を解決するような作者の隠れた努力は全く見られない。矛盾したまんま。これってホントにみんなおもしろがって読む価値のあるものなのかなあ。自分は底の浅さが第1巻から露呈しているように感じたんだけれど。

北村薫いろいろ

職場の人がファンだということで、とりあえずいろいろ読んでみた。円紫さんシリーズが面白い。デビューの「空飛ぶ馬」が最高に面白く、その後は徐々に面白くなくなってゆき、最後の方は著者の知識ひけらかしのみでどうでもよくなる。
女子高生が次の日夫も子供も居る40代後半の自分になっていると言う「スキップ」も全く面白くなかった。「絶対にあり得ないこと」を前提にする物語ほどつまらん物は無い。なぜそうなったのか、という説明らしき物もまったくない。ただ、そういう舞台設定がしたかったというだけ。つまりSFでもない。「とりあえず細かい説明や設定は抜きでそういう舞台設定がしたいだけ」作品の典型は「バトルロワイヤル」。まあ、そういうことだ。だがしかしなぜか人気のこの作品。女性に支持をうけているらしいが。まあ、正直どうでも良い。
(2006年8月いろいろ読了)

『ライブドア広報乙部綾子』

今になって読むととても面白い。とくに第二章『稼ぐ男はここが違う』の章は必見。

「何でもかんでも即断即決!とても仕事が効率的でやりやすい。早くて悪いことは何も無い。とても効率的で業績も上がっている」
「世界一の営業利益の会社にしたいって言ったら、それをきっと実現しちゃうんだ…私にはそう思えます」
「堀江と出会えて幸せです!」

とかいろいろ。今読むと赤面ものではないか。この人は自分の会社が何によって儲けているか、広報担当であったにもかかわらずご存じなかったらしい。表向きはインターネットビジネスの会社(実態は買収屋)だったはずだが、この本にはITのIの字も出てきやしない。たしかにとても効率的にだった。とても効率的に脱法行為が行われたわけだが。会議を軽視したため拙速になり、重要な意思決定の際にミスを犯した。おそらくライブドア社員時代は多額のサラリーを得ていたであろう彼女。そのサラリーは正当な利益からではなく株主の懐から出ていたわけだ。こういったことを今の彼女は理解しているだろうか?

もし理解しているのであれば、きっと今この人はこの本を恥じて日陰で暮らしているはずである。と思ったら大違いだった。ブログを立ち上げ、何事も無かったかのように毎日更新している。堀江のことには全く触れられていない。良いねえ、美人に生まれると。何しても許されるんだから。

閑話休題、この第二章「稼ぐ男はここが違う」の章はライブドアがなぜああいった事態に陥ったのかをかいま見せてくれる面白い章であることは確かだ。
(速読30分、2006 7月読了)

『NANA』1~5巻 矢沢なんとか

 流行ものなので読んでみた。ティーンエイジャー向けの少女マンガ。所詮流行少女マンガであった。社会人の女でこれを血眼になって読んでいるのがいたら要注意である。
 「尊敬するミュージシャンはシドヴィシャス」と言い切る主人公に違和感。彼がどんなアナーキーな人生を送ったのか知っていたら、普通の日本人(このマンガの主人公のナナを含めて)は、とても彼を尊敬などできないはず。シドをイメージで尊敬しているだけなんだな。ま、主人公にこういうせりふを言わせるところがいかにも少女マンガ。簡単にイメージ付けできるしね。

『鬼婆』和田はつ子

 速読20分。僕の偏見含みでいうと、漫画でも小説でも、女流作家の作品には必ず自己の願望というか、そういうのが現れるから面白い(例外はクリスティくらいか)。まあ、女流作家の作品はそういう目でしか見られない僕なわけだが。

 58才の女で「圧倒されるような若さ」だの、「均整のとれたみごとなプロポーション」だののくだりで、もう辟易である。「これじゃ20代といっても通用する!」しないしない。ありえない(笑)。まあ、この京子の不思議な若さ、ってのが物語の核でもあるわけだが、絶対にありえない話を前提にされてもちっとも面白くない。もうすこしなんとかなんないんすか。SFだって、「ありえない話」をどうにかして「あ、これならありうるかも」と読者に思わせる工夫をしている。和田センセイにはそれがまったくない。(2005.Sep)

『さおだけやはなぜ潰れないのか』山田真哉

 もともとは会計野郎だった僕にとってはとても面白かった。この本で紹介されている「キャッシュフロー」の概念は現代ではとても重要で、知っておくと色々便利。家計の善し悪しの判断だけでなく、企業判断にも役に立つ。

 ところで、下記のホリエモンの本を読了後にこの本を読んだのだが、なにか共通するモノを嗅ぎ取ってしまった。それはなんなんだろう?とくに強くそう思ったのは「人脈は回転率で考える」の項目。「100人との薄っぺらな関係を築くよりも、100人の人脈をもつ1人の人物と深くしっかりとした関係を結ぶべき」なんだそうです。まあ、こいつらエリート連中の「人脈」ってよく意味が分からんが、ビジネス上での関係、ってことなんだろう。

 あと、P123「根拠がたいして無くても、とにかく数字を使って話をすれば主張を受け入れてもらいやすくなる」んだそうです。根拠薄弱なことをゆがんだ確率統計であたかも確固たる根拠があるようにして大衆を誘導するのは主にマスコミが行う方法である。素人確率統計でも書いたが、ダレルハフがこうした主張の方法を戒め、かつそういう主張をする人物なりマスコミなりを警戒するようにと主張しているのに対し、この山田氏はこの方法を推奨しており、非常に興味深い。両者は全く正反対の哲学に生きていることがよく分かる。

 僕はダレルハフ信者だから、山田氏の言いたいこともよく分かるのだがね。でもそれって倫理的にどうなのさ。「会議やプレゼンテーションにお勧め」みたいなことを書いているけれど。僕に言わせれば単なる嘘つきでしかないわけだが。(しかも、全くのウソよりもたちがわるいのだ)(2005.Sep)

『稼ぐが勝ち』堀江なんとか

 ホリエモンの本。この人が正直に書いていることはおそらく演技無しの本音なのだろう。とにかく、「自己中心」を徹底的に貫いている。ここまで自分のポリシーである「自己中心」を貫ける人はすごいね。お金持ちになれるのも当然だろう。ただ、堀江のような自己中心なだけの人間ばかりの社会は凄く住みにくいモノだと思うけれど。度を過ぎた自己中心は単なる異端児で社会にとってじゃまになるだけ。

 あと、「一般相対性理論は単純にe=mc^2であらわされる、シンプルなモノです」ってあるのは、特殊相対性理論の間違いだと思う。一般相対性理論は、何次微分方程式だのを駆使しており、さすがにシンプルではなく難解。ほんとにこの人、東大の入試に受かったのかなあ。200ページの単語帳を用法から何から全て丸暗記した、っていうのは凄いけれどね。単に記憶力が優れているのか。(2005.Sep)

『回転する世界の静止点』パトリシアハイスミス

 久々に抜群に面白い。短編集。新聞の書評欄で好評だったから試しに読んでみた。これはよい。

『バッテリー2』あさのあつこ著 角川

 イジメのやり方が女っぽかったのが印象的。誰がやったかわからないように(しかも鞭打ちw)やるのは女、もしくは金持ちのぼんぼんクン。著者の学生時代に同様のことがあったのだろうと邪推。この「バッテリー2」にも何の感銘や感想も受けなかった。

 というか、やっぱり読む速度が落ちている自分に愕然。読了までに総計4時間ほどかかった。

(2005.Feb.13読了)

『バッテリー』あさのあつこ著 角川

 日本経済新聞の書評を見て。書評からして嫌な予感がしていた。何しろ主人公は凄腕のピッチャー。自分に絶対の自信を持つ。周囲との衝突。

 あとがきに「‥自分の表現や言葉を自らが引き受けて生きることも、この国では歓迎されない」「‥この国にあふれているそんな大人の私も一人だ。」

 この国この国言う人にろくな人はいない。この国が嫌なら出て行ってくださいな。日本語を使わないで日本のインフラも使わないで生きてください。それができないのはなぜ?やはり日本という国が居心地がよいからではないのか?そもそも居心地のよさの源泉は、そういう他人との和ではないの?その居心地のよさは享受したいけれども、我は通したいと?そういうことですかいな?それに、権利ばかりを主張して義務を履行しない人がだんだん増えてきたけれど、さて、居心地はよくなってきたと思う??数々の疑問ばかりが浮かぶ作品であった。

 そういう根本的な疑問のほか、細かいところでは小学6年生から中学生の年頃の男で、こんな奴は絶対に存在しないと断言できる。理由はちょうどこのころ精通がある。これは避けられない。精通があるということは、リビドーが存在するということ。以下略。あと、著者は野球をまったくやったことがないか、少なくとも野球の試合をしたことがない。物語の本質が変わるわけではないけれど、若干の違和感を感じる。

 読んでいて、ニーチェを曲解した人たちが感じる選民主義的な心地よさを感じることはできた。あと、この本を読了するのにものすごく時間がかかってしまった。もう僕も年だな。文章量と内容の平易さ(児童文学だからね)からすると、もっとサクサク読めてもよかったのだが。

(2005.Feb.12読了)