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艦隊これくしょん -艦これ- 攻略 Wiki*
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|CENTER:218|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|c
|>|>|>|>|~No.241|
|&attachref(./241_2nd.jpg,nolink,Buon giorno(ブォンジョルノ)。 リットリオ、行けます!);|>|Littorio(リットリオ)|>|V.Veneto級 2番艦 &nobr{戦艦};|
|~|>|>|>|~艦船ステータス(初期値/最大値)|
|~|~耐久|88|~火力|78 / 97|
|~|~装甲|72 / 86|~雷装|0|
|~|~回避|28 / 54|~対空|40 / 72|
|~|~搭載|12|~対潜|0|
|~|~速力|高速|~索敵|15 / 44|
|~|~射程|超長|~運|20 / 69|
|~|>|>|>|~最大消費量|
|~|~燃料|130|~弾薬|150|
|~|~艦載|>|>|~装備|
|~|3|>|>|[[381mm/50 三連装砲>381mm/50 三連装砲]]|
|~|3|>|>|[[OTO 152mm三連装速射砲]]|
|~|3|>|>|[[プリエーゼ式水中防御隔壁]]|
|~|3|>|>|未装備|
|>|>|>|>|~改造チャート|
|>|>|>|>|''Littorio'' → [[Italia]](Lv35+[[改装設計図>改造]])|
|>|>|>|>|~図鑑説明|
|>|>|>|>|LEFT:パスタの国で生まれました。ヴィットリオ・ヴェネト級戦艦2番艦、リットリオです。&br;高速で兵装も充実した新鋭高速戦艦です。妹のローマ共々、どうぞよろしくお願い致します。|
※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。
#fold(CV:久野美咲、イラストレーター:じじ (クリックするとセリフ一覧が開きます)){{
CV:久野美咲、イラストレーター:じじ
#shadowheader(2,[[定型ボイス一覧>Littorio/定型ボイス]])
#table_edit(Littorio/定型ボイス)
~
#shadowheader(2,[[時報ボイス一覧>Littorio/時報ボイス]])
#table_edit(Littorio/時報ボイス)
~
#shadowheader(2,[[季節ボイス一覧>Littorio/季節ボイス]])
#table_edit(Littorio/季節ボイス)
~
}}
*ゲームにおいて [#about]
-2015年4月28日のアップデートで新規に実装。2015年春イベント「[[発令!第十一号作戦]]」の[[E-4>発令!第十一号作戦#area4]]海域クリア報酬。
--通常海域でのドロップや建造では入手不可のため、通常は新規/追加入手の手段が無い。
--その後、[[クリスマス限定ドロップ>期間限定ドロップイベント#No118]]ということで期間中入手可能に。初めてのドロップでの入手機会となった。
--2017年春イベントの最終海域にて、妹のRomaとともにドロップ。
&br;
-姉妹艦である[[Roma]]と共に実装されたが、戦艦の新規追加は2014/3/14に実装された[[Bismarck]]以来1年振り。
-イタリア生まれの本艦は、艦これにおいてドイツに次ぐ二ヶ国目の海外艦。[[Z1]]の入手条件は少々煩雑で長い時間も要するため、憧れの海外艦の初入手は彼女だという新米提督も当時は多くいた。
-本艦の最大の特徴は、高速戦艦でありながら''『超長』''の射程を持つ点だろう。((例外的に、霧のハルナはアルペジオコラボ期間限定かつ、戦力・燃料・弾薬・入渠の全てが大和型と同等以上の高速戦艦だった。))&br;[[46cm三連装砲]]を装備することなく、砲撃
--また、未改造でも火力最終値''97''を誇り、金剛型改二に匹敵するほか、運も20と戦艦では[[長門]]に次いで高い為、戦艦の中でも高めの燃費に相応するだけの活躍は十分に見込める。((最大燃料消費量では[[Bismarck drei]]よりも20多い))((余談だが、Bismarck
-改造には[[改装設計図>改造#bluepoint]]が一枚必要。改造すると艦名が[[Italia]]に変更される。詳細は小ネタ参照。
--艦名の変わる艦娘は[[響]]([[Верный]])、[[大鯨]]([[龍鳳]])、[[U-511]]([[呂500]])に続いて4人目。
--改造後は火力最終値''102''、運が''30''と第一線で活躍できるレベルにまで強化される。しかし、燃料、弾薬共にさらに消費が激しくなる。
--とはいえ改造による強化幅は他艦ほどでもないため、[[90mm単装高角砲]]等の限定装備が必要でもない限りは未改造のまま改修して育成・運用し、十分に勲章が集まったら改造するというのも一考だろう。
**キャラクター設定について [#character]
-一人称は「私」、提督のことは「提督」と呼ぶ。
-性格はおっとりとしており、マイペースである。提督のお触りに対し、地中海的な~と言いつつノリ突っ込みもできる。
--お触りすると「地中海的な~」と言われるが、これはイタリア人の気質のことだろう。
--一般的にローマを境に南は%%女ったらし%%オープンな性格で北は比較的冷静な性格であるといわれている。
-史実のためか、妹のRomaのことをやたら心配している。
-放置時のフリッツXについては[[Roma]]のページを参照のこと。
-艤装の派手な紅白ストライプはイタリア海軍艦艇共通の防空識別帯。イタリア海軍と空軍は連携が取れておらず、1940年7月のカラブリア沖海戦の際にイタリア艦隊は空軍に誤爆される事件が発生した。
以降、海軍は再発を防ぐために紅白の識別帯を船首に塗装する様になった。
--時期によっては艦尾にも識別塗装を施している場合もある。リットリオもヴィガラス作戦時には艦尾に識別帯を施して出撃したとされる。
-カチューシャのような頭の飾りは、[[艦橋のデザイン>http://upload.wikimedia.org/wikipedia/it/d/d5/RN_Littorio_at_high_speed_manoeuvres_1940.jpg]]を再現していると思われる。
-胸部装甲の大きさは燃料タンクの大きさと比例……という法則が囁かれているが、ヴィットリオ・ヴェネト級はそもそも地中海のみを主戦域に設定された都合航続距離が日米のそれに比べるとかなり劣る。
Littorioの登場により、新たな法則の提唱が待たれる。&color(Silver){そもそも法則性なんて無いのか};
-ちなみに砲塔の上に乗っかってるものはゴムボート。%%ソーセージでもポンデリングでもたわしでもゴム草履でもない。%%
--当時、イタリア海軍は大型ゴムボートを艦載艇の一部として運用しており、甲板スペース節約に努めていた。
ちなみに、主砲の上以外にも副砲塔の上や後檣の基部にも立てかけてある。
-通常時や中破時の艤装をよく見ると、主砲塔横の両舷外側に[[プリエーゼ式水中防御隔壁]]があるのがわかる。
**[[限定グラフィック>艦娘カード一覧(期間限定グラフィック)]] [#graphic]
-2015年夏限定で、水着バージョンの母港グラフィックが公開された。
--なお、LittorioとItaliaとでは、微妙にデザインの違うグラフィックが用意されていた。
--Littorioは腰に白と赤の模様のパレオを巻いているが、Italiaは白と赤の模様のパレオを外したポーズに成っている。
--水着バージョンのグラフィックは立ち絵限定で、カードイラストはそのまま。
他の限定グラフィック同様、限定期間終了後に図鑑に格納された。
-
#fold(限定イラスト:夏季限定Ver.){{
限定イラスト:夏季限定Ver.
&attachref(./241_Summer_2nd.jpg,nolink,"提督、夏ですね。ご一緒に海に行きましょう。…あぁ、そうじゃなくて。泳ぎに、です。新しい水着も用意したの。ふふ♪");
//中破絵は無しで
}}
-2015/12/08のアップデートで、期間限定グラフィック「クリスマスmode」が実装された。
--こちらも、LittorioとItaliaとでは一部デザインが異なっている。
--Littorioが巻いていたマフラーが、Italiaになると随伴する雪だ[[ろま>Roma]]の首に巻かれている。中破すると雪だろまが溶けてしまう。
--これと併せて[[クリスマス期間限定ドロップイベント>期間限定ドロップイベント#No118]]が実装。
--同年12月29日まで[[4-5>西方海域#area5]]の道中H、I、Jマスで(所持未所持にかかわらず)ドロップした。
新規入手手段としては初。
--限定グラフィックは立ち絵限定で、カードイラストはそのまま。
他の限定グラフィック同様、限定期間終了後に図鑑に格納された。
-
#fold(限定イラスト:クリスマスVer.){{
限定イラスト:クリスマスVer.
&attachref(./241_Xmas.jpg,nolink,"Buone Feste! 提督、メリークリスマス!");
//中破絵は無しで
}}
-2019年2月8日アップデートでバレンタインmodeが実装された。
--例のごとくItaliaとは表情や履いているスカートに違いがある。
--中破絵のポーズはどう見てもアレ。
-
#fold(限定イラスト:バレンタインmode){{
限定イラスト:バレンタインmode
&attachref(./241_Valentine.jpg,nolink,はい、提督。私からの特製ドルチェです。味わって食べてくださいね。ふふっ♪);
//中破絵は無しで
}}
*小ネタ [#trivia]
#fold(年表){{
年表
|CENTER:45|CENTER:45|620|c
|~1934|10.28|ジェノヴァ・アンサルド造船所において起工|
|~1937|8.22|進水|
|~1940|5.6|竣工|
|~|8.31-9.2|連合軍ハッツ作戦迎撃に出撃|
|~|9.7-9|英海軍H部隊攻撃に出撃|
|~|9.29-10.1|連合軍MB5作戦迎撃に出撃|
|~|11.11|タラント空襲。魚雷3本を被弾、修理に5ヶ月を要する損傷を負う|
|~1941|8.22-26|連合軍ミンスミート作戦迎撃に出撃|
|~|9.26-29|連合軍ハルバード船団攻撃に出撃|
|~|12.17|第1次シルテ湾海戦に参加|
|~1942|1.3|M43船団の支援任務|
|~|3.22|第2次シルテ湾海戦。英駆逐艦ハヴォックに至近弾、同キングストンに命中弾を与える|
|~|6.14-16|連合軍ヴィガラス船団攻撃に参加、空襲で爆弾と魚雷の命中を受ける|
|~1943|4.14|ラ・スペチア軍港空襲で被弾|
|~|7.30|「イタリア」(Italia)に改名|
|~|9.9|伊軍が連合軍と休戦。マルタへ向かうが道中でフリッツX((独軍の誘導爆弾))を搭載した[[Do 217>Do 217 K-2+Fritz-X]]に攻撃される。イタリアは損傷、同型艦・ローマは沈没|
|>|>|その後、終戦までヴィットリオ・ヴェネトと共にスエズ運河のグレートビター湖に係留された。|
|~1948|6.1|賠償艦としてアメリカへ引き渡された後に除籍。のちにスクラップとして廃棄|
}}
~
-イタリア海軍の新世代戦艦の2番艦。ジェノヴァ・アンサルド造船所で建造された。
--アンサルド造船所では、過去に日本の装甲巡洋艦「日進」「春日」が建造されている。
正しくは、アルゼンチン海軍向けに建造中だった両艦を日露戦争に使うために購入したもの。
-いかにもイタリアらしいモダンで軽快なスタイルを持つ。
-リットリオとは、古代ローマで、権力の象徴とされた「ファスケス」という斧を持ち、独裁官・執政官などの要人の警護をする役職(ラテン語では[[リクトル>WikiPedia.ja:リクトル]](Lictor))のことである。
--この[[ファスケス>WikiPedia.ja:ファスケス]](イタリア語では「ファッショ(fascio)」)を国粋主義団体(ファシスト党)のシンボルとしたのがムッソリーニ。「ファシズム」の語源である。
つまりこの「リットリオ」、ファシスト政権色丸出しのネーミングという事である。
ムッソリーニ失脚(1943年7月25日)後速やかに改名され、現在に至るまでその名を継ぐ艦がいないのは、つまりそういう事であろう。
---ちなみに、起工日もローマ進軍で政権奪取をしたファシスト党の記念日だったりする。
---当時のイタリア空軍のラウンデル(円形国籍標識)にもこの”ファスケス”が描かれていた。
艦これ内でも、[[Ro.43水偵]]と[[Ro.44水上戦闘機]]の翼にファスケスが描かれている。
---なお、ファスケスの意匠は権威や正義、団結、共和制の象徴として古くより(特に古代ローマやローマ帝国を文化的源流とする欧米で)様々な国や団体で用いられているためか、今日でも目にすることができる(アメリカ合衆国上院の紋章や、リンカーン記念館の
イタリアにおいても、ドイツでのハーケンクロイツと違ってタブーではないらしい。((ナチスと違い、ファシスト時代は現代イタリアでも一定の評価があり(マフィアを厳しく取りしまり国内から締め出したこと、鉄道が定刻通りに来るようになったことなど庶民にと
--リットリオの名は北アフリカで奮戦したイタリア陸軍機甲師団「リットリオ」や、休戦後の北イタリアで樹立したムッソリーニを首班とするイタリア社会共和国で新設された擲弾兵師団「リットリオ」にも与えられている。
#fold(ヴィットリオ・ヴェネト級の詳細){{
ヴィットリオ・ヴェネト級の詳細
**ヴィットリオ・ヴェネト級戦艦とは [#xb85caca]
-艦これではヴィットリオ・ヴェネト級と表記されているが、リットリオを一番艦とし、リットリオ級と表記される場合も多く、国内外でも表記が錯綜している。
--起工は2隻で同時、進水・就役はヴィットリオ・ヴェネトが早かったのだが、予算上ではリットリオが一番艦となっていたのが原因。
要は[[那智型重巡洋艦>那智]]や[[愛宕型重巡洋艦>愛宕]]のようなことが起こってしまったのである。
--あまりにクラス表記が錯綜しているせいか、英語版wikiでは「どっちが一番艦かは曖昧となっている」との脚注まで付く始末となった。
--なお[[イタリア海軍の公式ホームページ>http://www.marina.difesa.it/noi-siamo-la-marina/mezzi/mezzi-storici/Pagine/LMNO/littorio.aspx]]ではリットリオ級表記がなされている。
~
--一番艦の艦名は第一次世界大戦でイタリアの勝利した「ヴィットリオ・ヴェネトの戦い」に因む。
---ヴィットリオはラテン語のウィクトル(Victor、勝者)に由来する男性名・地名であり、イギリスのヴィクターやヴィクトリアと同じ語源を持つ。
ヴェネトは北部イタリアに住んでいたウェネティ族に由来する州名。ヴェネト州の州都は水の都として有名なヴェネツィアである。
~
-”海軍休日”のなか、各国で建造された「条約型戦艦」世代におけるイタリアの回答。
--最後にイタリアが就役させた戦艦は1916年就役の「アンドレア・ドリア」なので、実に24年ぶりの戦艦の就役となる。((2艦級の間にイタリア海軍初の超弩級戦艦となるべくフランチェスコ・カラッチョロ級が計画、起工されるが、第一次大戦の勃発で建造中止とな
--イタリアは日本と同様に無資源国で、シー・レーン確保は最優先事項だったが、海軍軍縮条約で仮想敵国のフランスと主力艦の合計排水量が横並びにされてしまい、しかも、状況によってはイギリス艦隊がフランス艦隊に合流するおそれがあった。
また、イタリア海軍はヴィットリオ・ヴェネト級戦艦などで巡洋艦との共同作戦を行うことを想定しており、「巡洋艦等との共同作戦やフランスなどで建造中の新型戦艦に対抗できる程の足の速さを持ち、フランス戦艦を凌駕する砲威力と装甲も持つ」というちょっと
---そうした中、まずはフランスが、条約による「代艦建造規定」((フランスとイタリアはロンドン条約において主力艦建造延期条項に参加しなかったため、ワシントン条約通りの代艦建造が行えたた。そのためダンゲルク級に次いで建造された[[リシュリュー>Richel
--ダンゲルク級の発表で、イタリア海軍は窮地に立たされた。当時フランス海軍は超弩級戦艦((34cm砲10門、速力21ノットのプロヴァンス級戦艦))3隻と、弩級戦艦3隻((30.5cm砲12門、速力21ノットのクールベ級戦艦))3隻を所有していたが、イタリア海軍は弩級戦艦(
---ダンケルク級への対抗戦力を早急に手に入れる必要があったイタリアは、まずは[[コンテ・ディ・カブール>Conte di Cavour]]級2隻をダンゲルク級に「ある程度」対抗できる能力を与えるための大改装を実施する。但しこれは新規建造ではダンゲルク完成までに間
-この様に難題を突き付けられたヴィットリオ・ヴェネト級だったが、コンテ・ディ・カブール級改装で得たノウハウや新機軸の設計・建造をまとめたイサッコ・ウンベルト・プリエーゼ中将は、可能な限りその要求を反映させ、更に独自の設計を盛り込んでいる((主
~
-リットリオ級はワシントン条約の海軍休日中である1934年より建造がスタートする。ちなみにワシントン条約下で建造されたのは2番艦までで、先に魔改造された中型戦艦4隻と合わせ戦艦6隻体制が、条約期にイタリア海軍が確立しようとした体制だった。[[3番艦以
--実際には、基準排水量は40,000トンを超えてしまったが対外的には3万5千トンで押し通した。なお仏英米の3国は条約に則り3万5千トン以下で新戦艦を建造している。
***攻撃力 [#ia53ad68]
-主砲には新開発の[[381mm砲>381mm/50 三連装砲]]を3連装砲塔で3基搭載。
--高重量・高初速砲弾であり、15インチ砲ながら他国の16インチ砲に匹敵する貫徹力を持つ一方で砲弾命数の少なさや散布界の拡大といった課題があった。
--当初は後に登場する新戦艦に対抗できるようにするため16インチ砲搭載が企てられたものの、製造設備の問題から15インチ級で妥協することになった。
-副砲にはOTO社が新開発した55口径152mm砲を3連装砲塔として4基搭載した。
~
***防御力 [#h6bf863c]
-装甲防御は集中防御方式を採用し、主砲塔、弾薬庫、機関部を装甲で囲っている。装甲板の厚さは、甲板が最大207mm、舷側が最大350mmと今までのイタリア戦艦どころか同時期の戦艦と比較しても重装甲である。
--主装甲は、度重なる実弾試験の結果、一種の複合装甲として設計され、70mm装甲と280mm装甲の間に250mmの発泡セメントを流し込んだものとなった。これをモジュールとして製造し並べていった。
//本装甲の件は、Erminio Bagnasco他著"The Littorio Class"(2011)に拠る
-円筒状を積み重ねたような艦橋構造が特徴的だが、内部に大型の装甲司令塔を設置している。
艦橋外部にも装甲を持ち、これには第一次世界大戦当時、イタリア戦艦が艦橋を狙い撃たれて駆逐艦や巡洋艦などの小型艦相手に苦戦した戦訓が反映されている。
--主戦場の地中海は狭いため、そういった戦闘が発生しやすい環境がある。
~
***機動力 [#h773e713]
--本級の最大速力は30ノットであり、これはイギリスの巡洋戦艦レナウン級に匹敵するほどの速度である。この高速を発揮するため、戦艦としては細長い船体形となっている。
---加えて、主舵の左右前方に一枚ずつ副舵を装備する戦艦では珍しい複舵方式をとっており、良好な運動性を確保していた。
---この快速ぶりからイタリア降伏後連合国は空母機動部隊の随伴艦として本級を使おうとした。が、航続距離の短さ(最大4000海浬。大和で7200海浬)により断念した。
---本級の名誉の為に言っておくが、イタリアはこの艦を地中海のみの限定運用を考えており、せいぜいエチオピアあたりまでのシーレーン防衛を考えていたので長大な航続距離は最初から求められていなかったのである。
---地中海の西の出口ジブラルタルはイギリスが、東の出口スエズ運河はイギリス・フランスが押さえており、両者と同盟でも成立しない限りイタリア戦艦は地中海から出られない。
つまり、航続距離が短いのは問題にならないため、浮いた重量を攻防性能に回すという割り切りである。
---なおボイラーは[[艦本式ボイラー>強化型艦本式缶]]の原型にあたるヤーロー式ボイラーが採用されている。
-機関部の構成は、ヤーロー式ボイラ8基とベルッゾー式3車室タービン4組4軸である。蒸気条件は25気圧325度で、これは大和型と同等。
ボイラは2基ずつ分けられ4つの水密区画に配置され、タービンは2基ずつ2つの水密区画に配置される。
--ボイラは連続した区画に配置されているが、タービン区画はボイラ区画の前後に離れて配置され、スリムな船体と機関部の短縮、そして抗堪性を確保している。
--ヤーロー式ボイラはイギリス式であるが、ベルッゾー式タービンはイタリア独自の設計である。
--巡航タービンを高圧タービンと兼用し、後進タービンは中圧タービン車室に一体で組込む、きわめて独自色の強い設計である。
---3車室化で高出力高効率を狙う一方で、前述の手法でタービン羽根車の数を思い切って減らし、タービンの小型化・軽量化を狙っている。
このため、巡航時の燃費はやや犠牲になっているが、一方で推進系の重量はきわめて軽い。重量を攻防能力に振る割り切りがここにも見られる。
---機関重量の増大を忍んで低燃費を追求した大和型とは対照的である。
~
~
-この様に攻防速のバランスがとれた本級だが、前述の通り、&color(Red){''航続距離が凄まじく短い''};という欠点がある。
--重油は4140トンしか積めず、16ノットで4580カイリ、18ノットで3900カイリしか航続距離がない。これは、軽巡どころか駆逐艦よりも短い(同国の艦隊型駆逐艦マエストラーレ級は12ノットで4000カイリ)。
--そのためか、連合国に接収された後も特に使われることもなく、賠償艦として引き渡されてからも活躍はなく廃艦となっている。
---一説には、新型戦艦を戦利品として配分するよう強硬な主張を繰り広げたスターリンのソ連政府に対して、介入の余地を与えぬよう、徹底した無力化措置(機関重要部の破壊、主砲の砲身切断)がとられた。
イタリア政府は条約の見直しなどでの復活を期待し、解体を数年間先延ばしにしていたが、最終的に解体された。
---ヴィットリオ・ヴェネト級が就役するまでの場繋ぎ的に近代化改装された旧式のカイオ・ドゥイリオ級が、戦後もイタリア海軍の艦隊旗艦として余生を送ったのは何とも皮肉な話である。
--また、レーダー等の電測兵器が遅れているという欠点があるが、本級の欠点というよりはイタリア軍全体の欠点である。
--地味な弱点としては、発電機の配置がマズいという問題がある。
ディーゼル発電機を装甲防御区画に収めきれなかったためにヴァイタルパート外に配置せざるを得ず、補助発電機はタービン区画の上に中二階的なフロアを設ける形で配置している。
無防御区画に置かれているディーゼル発電機は無論のことだが、補助発電機も一見空きスペースの有効利用に見えて実はタービンの規模を制約してしまっている。
おまけに甲板装甲直下で被害を受けやすい、区画へのアクセスが悪くタービン共々整備しにくい、と問題だらけの配置であった。
この欠陥は、ある意味で前級にあたる改装コンテ・ディ・カヴール級から継承されたものだが、主砲の旋回俯仰を電動化したヴィットリオ・ヴェネト級ではより致命的な物だと言える。
-カタパルト一基を持ち、水偵はIMAM(("Industrie Meccaniche Aeronautiche Meridionali SpA"、日本語で南部航空機械産業株式会社))製の[[Ro.43>Ro.43水偵]]を運用していた。
--特徴的なのはさらに戦闘機の艦載運用を行っていたこと。(水偵と合計して3機まで)
---機体はレジアーネ((日本での慣用的表記。現地での発音はレッジャーネが近い。当時はカプローニ傘下、現在はテレックス傘下でクレーンメーカーとして健在))社の陸上機[[Re.2000>http://ja.wikipedia.org/wiki/Re.2000_%28%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F%29]]
---ドイツ空軍による空襲時はイタリア(元リットリオ)、ヴィットリオ・ヴェネト、ローマの各艦に計4機が搭載されていた。
イタリア、ローマ搭載機は射出されないまま喪失。ヴェネト搭載機の2機の内1機のみが射出されるが迎撃に失敗し地上で破損。残る1機はイタリア国内にて現存するとのこと。
-艦底が緑色なのは、貝類の付着で起こるスピード低下を防ぐために塗られた毒性物質である。(現在は「環境ホルモン」として使用を禁じられている。)
--現代ではウラジオストクで陸上に展示されているC-56潜水艦で緑色の艦底の実物を見られる。
--かつて大和や信濃なども同等の目的で緑色の塗装を行っていたと造船士官の福井静夫氏の証言があったが、他者の証言や沈没船体調査から現在では赤褐色説の方が有力か。
}}
#fold(戦歴){{
戦歴
-1940年6月10日、イタリアが対英・仏宣戦布告をした時点で、リットリオはヴィットリオ・ヴェネトと共に就役こそしていたが、訓練などが完全ではなく、即座に作戦行動を行える状態ではなかった。
--なお、イタリア参戦時に作戦行動可能な戦艦は、コンテ・ディ・カブールとジュリオ・チェザーレの2隻のみである。
これは開戦初期にマルタ島攻略を断念させる要素となっている。
--フランス艦隊を仮想敵として想定していたイタリア海軍であったが、フランスが早期に降伏した結果、大戦中はイギリス地中海艦隊が主敵となる。
-8月初め、ヴィットリオ・ヴェネトと共に戦線に加わったリットリオは、同月31日のハッツ作戦(マルタ島への輸送作戦)に従事するイギリス艦隊を攻撃する艦隊の旗艦として初陣を飾る。
--空母を有していたイギリス艦隊が先にイタリア艦隊を発見するが、イギリス艦隊は輸送作戦を優先し退避、イタリア艦隊も司令部の命令(夜戦を避けるため夕方までに接触できなければ帰還する様に命じられていた)もあって反転、戦闘には至らなかった。
---その後も艦隊の旗艦として出撃機会があったものの、いずれも海戦は生起しなかった。
~
-''【タラント空襲】''
-開戦以来、いくつかの戦いで勝利を収めていたイギリス軍であったが、イタリア軍との戦力差を覆し主導権を握るには至っていなかった。
-この状況を打破すべく、イギリス軍はタラント軍港の防備が不完全である事に目を付け、航空機によって襲撃する“ジャッジメント”作戦を計画した。
--計画段階では、イラストリアス、イーグルの艦載機で襲撃する予定だったが、イーグルが作戦参加不能になったので実際はイラストリアスの艦載機のみで行われることになった。
-11月11日21時、イラストリアスから[[ソードフィッシュ>Swordfish]]計21機が発進(スクアも合わせての21機と言う説もあり)。攻撃隊を2波に分けて襲撃を敢行した。
--この時、港内にいたイタリア艦隊は、主力である戦艦が全て結集(コンテ・ディ・カブール、ジュリオ・チェザーレ、カイオ・ドゥイリオ、アンドレア・ドリア、ヴィットリオ・ヴェネト、リットリオの6隻)していたのに加え、巡洋艦9隻、駆逐艦数隻も停泊してい
--23時15分。第1次攻撃隊(12機)がコンテ・ディ・カブールに1本、リットリオに2本の魚雷が命中させ、続く23時59分。第2次攻撃隊(9機)が、リットリオとカイオ・ドゥイリオにそれぞれ1本の魚雷を命中させた。被雷し、浸水を止められなかった3隻は艦隊司令部
---後にリットリオが係留されていた場所の泥の中から、1本の魚雷が不発の状態で埋まっているのが発見された。起爆していた場合、カヴール同様再起不能の損傷を負っていた可能性があった。
-リットリオの修理は最優先で進められ、1941年3月にようやく戦線復帰した。
--この修理の際に妹で建造中のインペロ部品が流用されている。
-この作戦の成功により、イタリア海軍主力艦隊はタラントの防備が固まる翌年の春までナポリへと根拠地の移動を余儀なくされ、東地中海の制海権を英海軍に奪われる結果となる。
~
-''【第一次シルテ湾海戦】''
-タラント空襲により勢いづいたイギリス軍の動きは1941年に入って更に活発化し、イギリス軍の北アフリカへの海上輸送も増加した。
一方、枢軸側輸送船は不沈空母と化したマルタ島より飛来するイギリス空軍により多数被害を受け、枢軸アフリカ軍団は戦略物資の補給が停滞した状況だった。
-このため、北アフリカ戦線へ戦略物資を輸送するためにも、マルタ島攻略は枢軸軍の目下の課題となった。
-1941年11月、北アフリカにおいて連合国がクルセイダー作戦を発動させたことによりトブルクより撤退したドイツアフリカ軍団。
この状況を打開しようとイタリアは大規模な補給作戦M41を実施しようとしていた。
--一方、イギリスの拠点マルタも物資が必要しており、K部隊などが補給作戦を行っていた。
-この作戦、合計8隻の輸送船を3つに分けて輸送する作戦だったのだが、潜水艦による妨害や衝突などで輸送船2隻を失い、輸送船2隻は引き返すことになった((同日深夜には、燃料輸送に従事していた軽巡2隻も英蘭駆逐艦部隊の襲撃にあい撃沈されている(ボン岬沖海
そしてリットリオはヴィットリオ・ヴェネトや駆逐艦4隻、水雷艇2隻を引き連れ残りの四隻を無事送り届けるため支援艦隊として出撃したのだった。
--この動きを察知した英軍は軽巡3隻を基幹とする水雷戦隊を迎撃に向かわせたのだが、ヴィットリオ・ヴェネトが潜水艦アージの雷撃により損傷したため作戦を中止し引き返した。
-ここで一度引き返した4隻はさらに強力な護衛を伴って三日後に出撃する。
--近接護衛部隊として戦艦カイオ・ドゥイリオを筆頭に軽巡3隻と駆逐艦3隻、遠距離護衛部隊には戦艦リットリオ、アンドレア・ドリア、ジュリオ・チェザーレ、重巡洋艦トレント、ゴリツィア、駆逐艦10隻が出撃した。
---かなりの大盤振る舞いなのだが、これはイギリス戦艦出撃の誤報を受けたものである。
-出撃の翌日である12月17日、夕刻にイギリス艦隊の対空砲火を確認したイタリア艦隊はこの艦隊への攻撃に向かい迎撃のため打って出たイギリス艦隊との間で日没後に戦闘が開始された。
--この時、リットリオは32000m(ヤードで表記する資料もあり、その場合は29000m)の超遠距離から砲撃を開始している。
--だが両軍とも主目的は船団の護衛であり、イギリス艦隊が雷撃を行ったと誤認したイタリア艦隊が回避行動を取った事で距離が広がり、イタリア艦隊はそのまま護衛へと戻った。一方のイギリス艦隊も護衛に戻ったため戦闘は終了した。
-この戦いは引き分けに終わり、イギリスの駆逐艦キプリングが軽微な損傷を受け死者1名を出したのみであった。戦略的に見て両軍共に輸送船団を送り届けることに成功したので引き分けである。
-もっとも、イギリス海軍はマルタ島への帰途、イタリア海軍が敷設した機雷により軽巡「ネプチューン」と駆逐艦が1隻沈没、他巡洋艦2隻が損傷する被害を受けている。
--更に、20日にはアレキサンドリア港に潜入したイタリア特殊部隊による攻撃で地中海艦隊の主力であった英戦艦「ヴァリアント」と「クイーン・エリザベス」が大破着底し、先の11月14日にはU-81の攻撃でH部隊主力の正規空母「アーク・ロイヤル」が撃沈されてい
~
-''【第二次シルテ湾海戦】''
-1942年3月、枢軸軍による通商破壊を受け物資不足が深刻になっていた重要拠点マルタにMW10船団を送り届けるためMG1作戦をイギリスが実行しようとしていた。
--イギリスが投入したのはブレコンシャー、クラン・キャンベル、パンパス、タラボートからなるMW10船団と軽巡5隻、駆逐艦17隻の艦隊である。
-この船団を21日17時5分に発見したイタリア軍はメッシーナから重巡洋艦ゴリツィア、トレント、軽巡洋艦ジョバンニ・デレ・バンデ・ネレ、駆逐艦4隻が、タラントから戦艦リットリオ、駆逐艦6隻が出撃し、両部隊は22日朝に合流してイギリス船団攻撃に向かった。
--なおこれはイギリスの潜水艦P36によって発見、報告されている。
-22日は海が大荒れであった((第二次大戦で水上艦同士の戦闘が行われた海戦中、屈指の荒天で戦闘中に風速15m以上を記録している。他には、1943年末の北岬沖海戦などが悪天候の中での戦闘として有名である))。先に発見したのはイギリスであった。風向きが有利に
--この時は両軍に損害は無かった。
-イタリア艦隊の脅威は無くなったと判断したイギリスは船団との合流を試みる。だが、イタリア艦隊は撤退しておらず艦隊をまとめた後16時43分に再度戦闘が開始された。
--この戦闘において、リットリオは主砲塔に駆逐艦の主砲弾が命中するが損傷は軽微であった。一方で軽巡洋艦ユーライアラスを損傷させ、駆逐艦ハヴォックに至近弾を、同キングストンに命中弾を与えている。
-だが嵐の中の戦闘で決定的な打撃を与えることが出来ず、18時56分に攻撃を終了し、イタリア艦隊は夜戦を避けて北へ引き揚げた。イギリス艦隊は軽巡2隻と駆逐艦3隻が損傷、対するイタリア艦隊に損害はなかった。
-シルテ湾での戦闘自体は護衛艦隊の奮闘により輸送船団の護衛に成功。イギリス側の実質的な勝利であったが、イタリア艦隊により航行スケジュールは大幅に遅れ、夜明けと共に襲来した独伊空軍によって輸送船1隻が撃沈され、英駆逐艦1隻もイタリア側の仕掛けた
無事マルタに到着した後も枢軸空軍の空襲は続き、英駆逐艦1隻と輸送船3隻が撃沈され、結局物資は計画当初の1/5である5000トン程しか陸揚げすることが出来なかったのである。
--リットリオの主砲により損傷し、マルタで修復中であったキングストンも爆撃を受け、損傷がひどかったため最終的に放棄されている。
--なおイタリア艦隊も帰還中、勢いを更に増した嵐の直撃により駆逐艦ランチエーレ、シロッコを失い軽巡ジョバンニ・デレ・バンデ・ネレも損傷した。
-作戦全体を通して見ると、イタリア軍は辛うじてマルタへの輸送妨害に成功したと言える。
~
-''【ヴィガラス船団攻撃】''
-1942年に入ると、独伊空軍によるマルタ島空襲は激化し、北アフリカへの海上輸送も妨害を受けずに行えるまでになった。
このため、イギリス軍はマルタ島の救援・維持のため、6月上旬に2つの輸送船団をマルタ島へ送る計画を立てた。
アレキサンドリアから出港する船団をヴィガラス、ジブラルタルら出港する船団をハープーンとした(「ヴィガラス作戦」、「ハープーン作戦」)。
-6月13日、輸送船10隻よりなるヴィガラス船団は、軽巡洋艦8隻と駆逐艦26隻の護衛を受けてアレキサンドリアを出港する。
-この報に接した枢軸軍は、翌14日、クレタ島から空軍を出撃させて爆撃を敢行。
更に、イアキーノ提督が指揮するイタリア艦隊(戦艦リットリオ、ヴィットリオ・ヴェネト、重巡洋艦2隻、軽巡洋艦2隻、駆逐艦12隻)がタラントより出撃した。
--この独伊軍の爆撃により輸送艦2隻が撃沈され、2隻が損傷を被っている。
-イタリア艦隊出撃の知らせを受けたイギリス海軍司令部は、逡巡の末に作戦中止を決定。独伊空軍の攻撃を受けて被害を増やしつつ、結局マルタ島に輸送船を1隻もたどり着かせずに帰還している。
-一方のイタリア艦隊は、マルタ島や北アフリカより飛来した米英爆撃機の攻撃に遭遇。重巡「トレント」も大破する損害を負い、リットリオにも爆弾1発が命中する。
大破したトレントを残して追撃するも、船団を捕捉することができなかったため母港に帰還している。
--トレントは数時間後にイギリス潜水艦アンブラの雷撃により沈没している。
--リットリオは、その帰路でイギリス軍の魚雷攻撃を船首部分に受け損傷したが無事に帰還している。
---この戦いでの損傷復旧に時間を取られたことと、燃料不足がいよいよ深刻化し、軍首脳部が戦艦の投入をためらうようになってしまったのは、結果的にイタリア軍にとって痛手となった。2ヵ月後には地中海の戦いの転回点ともいえる「ペデスタル作戦」が生起する
-なお、もう一つの船団であるハープーン船団(輸送艦6隻、護衛として空母2隻、戦艦1隻、軽巡洋艦4隻、駆逐艦17隻)だが、独伊空軍の援護を受けつつパレルモ(シチリア島)の第7巡洋艦隊(軽巡洋艦2隻、駆逐艦5隻)が突入に成功し交戦、パンテッレリア島海戦が発
イギリス軍部隊は大損害を受けるものの、2隻の輸送船がマルタ島に到着。マルタ島は辛うじて壊滅の危機を脱する。
~
-''【ラ・スペチア軍港空襲】''
-1942年6月のパンテッレリア島海戦以降、深刻な燃料不足と制空権喪失により、大規模な艦隊出動は控えられていた。
-当然リットリオも出撃ができず、姉妹艦のヴィットリオ・ヴェネトやローマと共にイタリア北部のラ・スペチア軍港に留め置かれていた。
-未だ存在するヴィットリオ・ヴェネト級はイギリス軍にとって脅威であり、これを叩くためにイギリス軍は4月14日と19日にラ・スペチア軍港に対する空襲を行った。
--この空襲でリットリオは被弾したものの、損傷は軽微であった。
-戦果が不十分であったことから、イギリス軍は6月にも空襲を行っている。
--6月5日の空襲ではヴィットリオ・ヴェネトとローマが大きな損害を被っているが、この時もリットリオには目立った損害は生じていない。
--以降、イギリス軍は空襲の規模を縮小してリットリオを集中的に狙うようになるが、結局大きな損害を受ける事はなかった。
---一方で、ローマは6月24日の空襲でも損害を負っている。、&color(Silver){被害担当艦ェ・・・};
~
-そして、1943年7月30日。ムッソリーニが失脚し、バドリオ政権が誕生してから5日後に、[[イタリア>Italia]]へと改名される。
}}
*この艦娘についてのコメント [#comment]
#fold(過去ログ){{
#ls(./コメント)
}}
#pcomment(./コメント5,reply,15)
終了行:
|CENTER:218|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|c
|>|>|>|>|~No.241|
|&attachref(./241_2nd.jpg,nolink,Buon giorno(ブォンジョルノ)。 リットリオ、行けます!);|>|Littorio(リットリオ)|>|V.Veneto級 2番艦 &nobr{戦艦};|
|~|>|>|>|~艦船ステータス(初期値/最大値)|
|~|~耐久|88|~火力|78 / 97|
|~|~装甲|72 / 86|~雷装|0|
|~|~回避|28 / 54|~対空|40 / 72|
|~|~搭載|12|~対潜|0|
|~|~速力|高速|~索敵|15 / 44|
|~|~射程|超長|~運|20 / 69|
|~|>|>|>|~最大消費量|
|~|~燃料|130|~弾薬|150|
|~|~艦載|>|>|~装備|
|~|3|>|>|[[381mm/50 三連装砲>381mm/50 三連装砲]]|
|~|3|>|>|[[OTO 152mm三連装速射砲]]|
|~|3|>|>|[[プリエーゼ式水中防御隔壁]]|
|~|3|>|>|未装備|
|>|>|>|>|~改造チャート|
|>|>|>|>|''Littorio'' → [[Italia]](Lv35+[[改装設計図>改造]])|
|>|>|>|>|~図鑑説明|
|>|>|>|>|LEFT:パスタの国で生まれました。ヴィットリオ・ヴェネト級戦艦2番艦、リットリオです。&br;高速で兵装も充実した新鋭高速戦艦です。妹のローマ共々、どうぞよろしくお願い致します。|
※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。
#fold(CV:久野美咲、イラストレーター:じじ (クリックするとセリフ一覧が開きます)){{
CV:久野美咲、イラストレーター:じじ
#shadowheader(2,[[定型ボイス一覧>Littorio/定型ボイス]])
#table_edit(Littorio/定型ボイス)
~
#shadowheader(2,[[時報ボイス一覧>Littorio/時報ボイス]])
#table_edit(Littorio/時報ボイス)
~
#shadowheader(2,[[季節ボイス一覧>Littorio/季節ボイス]])
#table_edit(Littorio/季節ボイス)
~
}}
*ゲームにおいて [#about]
-2015年4月28日のアップデートで新規に実装。2015年春イベント「[[発令!第十一号作戦]]」の[[E-4>発令!第十一号作戦#area4]]海域クリア報酬。
--通常海域でのドロップや建造では入手不可のため、通常は新規/追加入手の手段が無い。
--その後、[[クリスマス限定ドロップ>期間限定ドロップイベント#No118]]ということで期間中入手可能に。初めてのドロップでの入手機会となった。
--2017年春イベントの最終海域にて、妹のRomaとともにドロップ。
&br;
-姉妹艦である[[Roma]]と共に実装されたが、戦艦の新規追加は2014/3/14に実装された[[Bismarck]]以来1年振り。
-イタリア生まれの本艦は、艦これにおいてドイツに次ぐ二ヶ国目の海外艦。[[Z1]]の入手条件は少々煩雑で長い時間も要するため、憧れの海外艦の初入手は彼女だという新米提督も当時は多くいた。
-本艦の最大の特徴は、高速戦艦でありながら''『超長』''の射程を持つ点だろう。((例外的に、霧のハルナはアルペジオコラボ期間限定かつ、戦力・燃料・弾薬・入渠の全てが大和型と同等以上の高速戦艦だった。))&br;[[46cm三連装砲]]を装備することなく、砲撃
--また、未改造でも火力最終値''97''を誇り、金剛型改二に匹敵するほか、運も20と戦艦では[[長門]]に次いで高い為、戦艦の中でも高めの燃費に相応するだけの活躍は十分に見込める。((最大燃料消費量では[[Bismarck drei]]よりも20多い))((余談だが、Bismarck
-改造には[[改装設計図>改造#bluepoint]]が一枚必要。改造すると艦名が[[Italia]]に変更される。詳細は小ネタ参照。
--艦名の変わる艦娘は[[響]]([[Верный]])、[[大鯨]]([[龍鳳]])、[[U-511]]([[呂500]])に続いて4人目。
--改造後は火力最終値''102''、運が''30''と第一線で活躍できるレベルにまで強化される。しかし、燃料、弾薬共にさらに消費が激しくなる。
--とはいえ改造による強化幅は他艦ほどでもないため、[[90mm単装高角砲]]等の限定装備が必要でもない限りは未改造のまま改修して育成・運用し、十分に勲章が集まったら改造するというのも一考だろう。
**キャラクター設定について [#character]
-一人称は「私」、提督のことは「提督」と呼ぶ。
-性格はおっとりとしており、マイペースである。提督のお触りに対し、地中海的な~と言いつつノリ突っ込みもできる。
--お触りすると「地中海的な~」と言われるが、これはイタリア人の気質のことだろう。
--一般的にローマを境に南は%%女ったらし%%オープンな性格で北は比較的冷静な性格であるといわれている。
-史実のためか、妹のRomaのことをやたら心配している。
-放置時のフリッツXについては[[Roma]]のページを参照のこと。
-艤装の派手な紅白ストライプはイタリア海軍艦艇共通の防空識別帯。イタリア海軍と空軍は連携が取れておらず、1940年7月のカラブリア沖海戦の際にイタリア艦隊は空軍に誤爆される事件が発生した。
以降、海軍は再発を防ぐために紅白の識別帯を船首に塗装する様になった。
--時期によっては艦尾にも識別塗装を施している場合もある。リットリオもヴィガラス作戦時には艦尾に識別帯を施して出撃したとされる。
-カチューシャのような頭の飾りは、[[艦橋のデザイン>http://upload.wikimedia.org/wikipedia/it/d/d5/RN_Littorio_at_high_speed_manoeuvres_1940.jpg]]を再現していると思われる。
-胸部装甲の大きさは燃料タンクの大きさと比例……という法則が囁かれているが、ヴィットリオ・ヴェネト級はそもそも地中海のみを主戦域に設定された都合航続距離が日米のそれに比べるとかなり劣る。
Littorioの登場により、新たな法則の提唱が待たれる。&color(Silver){そもそも法則性なんて無いのか};
-ちなみに砲塔の上に乗っかってるものはゴムボート。%%ソーセージでもポンデリングでもたわしでもゴム草履でもない。%%
--当時、イタリア海軍は大型ゴムボートを艦載艇の一部として運用しており、甲板スペース節約に努めていた。
ちなみに、主砲の上以外にも副砲塔の上や後檣の基部にも立てかけてある。
-通常時や中破時の艤装をよく見ると、主砲塔横の両舷外側に[[プリエーゼ式水中防御隔壁]]があるのがわかる。
**[[限定グラフィック>艦娘カード一覧(期間限定グラフィック)]] [#graphic]
-2015年夏限定で、水着バージョンの母港グラフィックが公開された。
--なお、LittorioとItaliaとでは、微妙にデザインの違うグラフィックが用意されていた。
--Littorioは腰に白と赤の模様のパレオを巻いているが、Italiaは白と赤の模様のパレオを外したポーズに成っている。
--水着バージョンのグラフィックは立ち絵限定で、カードイラストはそのまま。
他の限定グラフィック同様、限定期間終了後に図鑑に格納された。
-
#fold(限定イラスト:夏季限定Ver.){{
限定イラスト:夏季限定Ver.
&attachref(./241_Summer_2nd.jpg,nolink,"提督、夏ですね。ご一緒に海に行きましょう。…あぁ、そうじゃなくて。泳ぎに、です。新しい水着も用意したの。ふふ♪");
//中破絵は無しで
}}
-2015/12/08のアップデートで、期間限定グラフィック「クリスマスmode」が実装された。
--こちらも、LittorioとItaliaとでは一部デザインが異なっている。
--Littorioが巻いていたマフラーが、Italiaになると随伴する雪だ[[ろま>Roma]]の首に巻かれている。中破すると雪だろまが溶けてしまう。
--これと併せて[[クリスマス期間限定ドロップイベント>期間限定ドロップイベント#No118]]が実装。
--同年12月29日まで[[4-5>西方海域#area5]]の道中H、I、Jマスで(所持未所持にかかわらず)ドロップした。
新規入手手段としては初。
--限定グラフィックは立ち絵限定で、カードイラストはそのまま。
他の限定グラフィック同様、限定期間終了後に図鑑に格納された。
-
#fold(限定イラスト:クリスマスVer.){{
限定イラスト:クリスマスVer.
&attachref(./241_Xmas.jpg,nolink,"Buone Feste! 提督、メリークリスマス!");
//中破絵は無しで
}}
-2019年2月8日アップデートでバレンタインmodeが実装された。
--例のごとくItaliaとは表情や履いているスカートに違いがある。
--中破絵のポーズはどう見てもアレ。
-
#fold(限定イラスト:バレンタインmode){{
限定イラスト:バレンタインmode
&attachref(./241_Valentine.jpg,nolink,はい、提督。私からの特製ドルチェです。味わって食べてくださいね。ふふっ♪);
//中破絵は無しで
}}
*小ネタ [#trivia]
#fold(年表){{
年表
|CENTER:45|CENTER:45|620|c
|~1934|10.28|ジェノヴァ・アンサルド造船所において起工|
|~1937|8.22|進水|
|~1940|5.6|竣工|
|~|8.31-9.2|連合軍ハッツ作戦迎撃に出撃|
|~|9.7-9|英海軍H部隊攻撃に出撃|
|~|9.29-10.1|連合軍MB5作戦迎撃に出撃|
|~|11.11|タラント空襲。魚雷3本を被弾、修理に5ヶ月を要する損傷を負う|
|~1941|8.22-26|連合軍ミンスミート作戦迎撃に出撃|
|~|9.26-29|連合軍ハルバード船団攻撃に出撃|
|~|12.17|第1次シルテ湾海戦に参加|
|~1942|1.3|M43船団の支援任務|
|~|3.22|第2次シルテ湾海戦。英駆逐艦ハヴォックに至近弾、同キングストンに命中弾を与える|
|~|6.14-16|連合軍ヴィガラス船団攻撃に参加、空襲で爆弾と魚雷の命中を受ける|
|~1943|4.14|ラ・スペチア軍港空襲で被弾|
|~|7.30|「イタリア」(Italia)に改名|
|~|9.9|伊軍が連合軍と休戦。マルタへ向かうが道中でフリッツX((独軍の誘導爆弾))を搭載した[[Do 217>Do 217 K-2+Fritz-X]]に攻撃される。イタリアは損傷、同型艦・ローマは沈没|
|>|>|その後、終戦までヴィットリオ・ヴェネトと共にスエズ運河のグレートビター湖に係留された。|
|~1948|6.1|賠償艦としてアメリカへ引き渡された後に除籍。のちにスクラップとして廃棄|
}}
~
-イタリア海軍の新世代戦艦の2番艦。ジェノヴァ・アンサルド造船所で建造された。
--アンサルド造船所では、過去に日本の装甲巡洋艦「日進」「春日」が建造されている。
正しくは、アルゼンチン海軍向けに建造中だった両艦を日露戦争に使うために購入したもの。
-いかにもイタリアらしいモダンで軽快なスタイルを持つ。
-リットリオとは、古代ローマで、権力の象徴とされた「ファスケス」という斧を持ち、独裁官・執政官などの要人の警護をする役職(ラテン語では[[リクトル>WikiPedia.ja:リクトル]](Lictor))のことである。
--この[[ファスケス>WikiPedia.ja:ファスケス]](イタリア語では「ファッショ(fascio)」)を国粋主義団体(ファシスト党)のシンボルとしたのがムッソリーニ。「ファシズム」の語源である。
つまりこの「リットリオ」、ファシスト政権色丸出しのネーミングという事である。
ムッソリーニ失脚(1943年7月25日)後速やかに改名され、現在に至るまでその名を継ぐ艦がいないのは、つまりそういう事であろう。
---ちなみに、起工日もローマ進軍で政権奪取をしたファシスト党の記念日だったりする。
---当時のイタリア空軍のラウンデル(円形国籍標識)にもこの”ファスケス”が描かれていた。
艦これ内でも、[[Ro.43水偵]]と[[Ro.44水上戦闘機]]の翼にファスケスが描かれている。
---なお、ファスケスの意匠は権威や正義、団結、共和制の象徴として古くより(特に古代ローマやローマ帝国を文化的源流とする欧米で)様々な国や団体で用いられているためか、今日でも目にすることができる(アメリカ合衆国上院の紋章や、リンカーン記念館の
イタリアにおいても、ドイツでのハーケンクロイツと違ってタブーではないらしい。((ナチスと違い、ファシスト時代は現代イタリアでも一定の評価があり(マフィアを厳しく取りしまり国内から締め出したこと、鉄道が定刻通りに来るようになったことなど庶民にと
--リットリオの名は北アフリカで奮戦したイタリア陸軍機甲師団「リットリオ」や、休戦後の北イタリアで樹立したムッソリーニを首班とするイタリア社会共和国で新設された擲弾兵師団「リットリオ」にも与えられている。
#fold(ヴィットリオ・ヴェネト級の詳細){{
ヴィットリオ・ヴェネト級の詳細
**ヴィットリオ・ヴェネト級戦艦とは [#xb85caca]
-艦これではヴィットリオ・ヴェネト級と表記されているが、リットリオを一番艦とし、リットリオ級と表記される場合も多く、国内外でも表記が錯綜している。
--起工は2隻で同時、進水・就役はヴィットリオ・ヴェネトが早かったのだが、予算上ではリットリオが一番艦となっていたのが原因。
要は[[那智型重巡洋艦>那智]]や[[愛宕型重巡洋艦>愛宕]]のようなことが起こってしまったのである。
--あまりにクラス表記が錯綜しているせいか、英語版wikiでは「どっちが一番艦かは曖昧となっている」との脚注まで付く始末となった。
--なお[[イタリア海軍の公式ホームページ>http://www.marina.difesa.it/noi-siamo-la-marina/mezzi/mezzi-storici/Pagine/LMNO/littorio.aspx]]ではリットリオ級表記がなされている。
~
--一番艦の艦名は第一次世界大戦でイタリアの勝利した「ヴィットリオ・ヴェネトの戦い」に因む。
---ヴィットリオはラテン語のウィクトル(Victor、勝者)に由来する男性名・地名であり、イギリスのヴィクターやヴィクトリアと同じ語源を持つ。
ヴェネトは北部イタリアに住んでいたウェネティ族に由来する州名。ヴェネト州の州都は水の都として有名なヴェネツィアである。
~
-”海軍休日”のなか、各国で建造された「条約型戦艦」世代におけるイタリアの回答。
--最後にイタリアが就役させた戦艦は1916年就役の「アンドレア・ドリア」なので、実に24年ぶりの戦艦の就役となる。((2艦級の間にイタリア海軍初の超弩級戦艦となるべくフランチェスコ・カラッチョロ級が計画、起工されるが、第一次大戦の勃発で建造中止とな
--イタリアは日本と同様に無資源国で、シー・レーン確保は最優先事項だったが、海軍軍縮条約で仮想敵国のフランスと主力艦の合計排水量が横並びにされてしまい、しかも、状況によってはイギリス艦隊がフランス艦隊に合流するおそれがあった。
また、イタリア海軍はヴィットリオ・ヴェネト級戦艦などで巡洋艦との共同作戦を行うことを想定しており、「巡洋艦等との共同作戦やフランスなどで建造中の新型戦艦に対抗できる程の足の速さを持ち、フランス戦艦を凌駕する砲威力と装甲も持つ」というちょっと
---そうした中、まずはフランスが、条約による「代艦建造規定」((フランスとイタリアはロンドン条約において主力艦建造延期条項に参加しなかったため、ワシントン条約通りの代艦建造が行えたた。そのためダンゲルク級に次いで建造された[[リシュリュー>Richel
--ダンゲルク級の発表で、イタリア海軍は窮地に立たされた。当時フランス海軍は超弩級戦艦((34cm砲10門、速力21ノットのプロヴァンス級戦艦))3隻と、弩級戦艦3隻((30.5cm砲12門、速力21ノットのクールベ級戦艦))3隻を所有していたが、イタリア海軍は弩級戦艦(
---ダンケルク級への対抗戦力を早急に手に入れる必要があったイタリアは、まずは[[コンテ・ディ・カブール>Conte di Cavour]]級2隻をダンゲルク級に「ある程度」対抗できる能力を与えるための大改装を実施する。但しこれは新規建造ではダンゲルク完成までに間
-この様に難題を突き付けられたヴィットリオ・ヴェネト級だったが、コンテ・ディ・カブール級改装で得たノウハウや新機軸の設計・建造をまとめたイサッコ・ウンベルト・プリエーゼ中将は、可能な限りその要求を反映させ、更に独自の設計を盛り込んでいる((主
~
-リットリオ級はワシントン条約の海軍休日中である1934年より建造がスタートする。ちなみにワシントン条約下で建造されたのは2番艦までで、先に魔改造された中型戦艦4隻と合わせ戦艦6隻体制が、条約期にイタリア海軍が確立しようとした体制だった。[[3番艦以
--実際には、基準排水量は40,000トンを超えてしまったが対外的には3万5千トンで押し通した。なお仏英米の3国は条約に則り3万5千トン以下で新戦艦を建造している。
***攻撃力 [#ia53ad68]
-主砲には新開発の[[381mm砲>381mm/50 三連装砲]]を3連装砲塔で3基搭載。
--高重量・高初速砲弾であり、15インチ砲ながら他国の16インチ砲に匹敵する貫徹力を持つ一方で砲弾命数の少なさや散布界の拡大といった課題があった。
--当初は後に登場する新戦艦に対抗できるようにするため16インチ砲搭載が企てられたものの、製造設備の問題から15インチ級で妥協することになった。
-副砲にはOTO社が新開発した55口径152mm砲を3連装砲塔として4基搭載した。
~
***防御力 [#h6bf863c]
-装甲防御は集中防御方式を採用し、主砲塔、弾薬庫、機関部を装甲で囲っている。装甲板の厚さは、甲板が最大207mm、舷側が最大350mmと今までのイタリア戦艦どころか同時期の戦艦と比較しても重装甲である。
--主装甲は、度重なる実弾試験の結果、一種の複合装甲として設計され、70mm装甲と280mm装甲の間に250mmの発泡セメントを流し込んだものとなった。これをモジュールとして製造し並べていった。
//本装甲の件は、Erminio Bagnasco他著"The Littorio Class"(2011)に拠る
-円筒状を積み重ねたような艦橋構造が特徴的だが、内部に大型の装甲司令塔を設置している。
艦橋外部にも装甲を持ち、これには第一次世界大戦当時、イタリア戦艦が艦橋を狙い撃たれて駆逐艦や巡洋艦などの小型艦相手に苦戦した戦訓が反映されている。
--主戦場の地中海は狭いため、そういった戦闘が発生しやすい環境がある。
~
***機動力 [#h773e713]
--本級の最大速力は30ノットであり、これはイギリスの巡洋戦艦レナウン級に匹敵するほどの速度である。この高速を発揮するため、戦艦としては細長い船体形となっている。
---加えて、主舵の左右前方に一枚ずつ副舵を装備する戦艦では珍しい複舵方式をとっており、良好な運動性を確保していた。
---この快速ぶりからイタリア降伏後連合国は空母機動部隊の随伴艦として本級を使おうとした。が、航続距離の短さ(最大4000海浬。大和で7200海浬)により断念した。
---本級の名誉の為に言っておくが、イタリアはこの艦を地中海のみの限定運用を考えており、せいぜいエチオピアあたりまでのシーレーン防衛を考えていたので長大な航続距離は最初から求められていなかったのである。
---地中海の西の出口ジブラルタルはイギリスが、東の出口スエズ運河はイギリス・フランスが押さえており、両者と同盟でも成立しない限りイタリア戦艦は地中海から出られない。
つまり、航続距離が短いのは問題にならないため、浮いた重量を攻防性能に回すという割り切りである。
---なおボイラーは[[艦本式ボイラー>強化型艦本式缶]]の原型にあたるヤーロー式ボイラーが採用されている。
-機関部の構成は、ヤーロー式ボイラ8基とベルッゾー式3車室タービン4組4軸である。蒸気条件は25気圧325度で、これは大和型と同等。
ボイラは2基ずつ分けられ4つの水密区画に配置され、タービンは2基ずつ2つの水密区画に配置される。
--ボイラは連続した区画に配置されているが、タービン区画はボイラ区画の前後に離れて配置され、スリムな船体と機関部の短縮、そして抗堪性を確保している。
--ヤーロー式ボイラはイギリス式であるが、ベルッゾー式タービンはイタリア独自の設計である。
--巡航タービンを高圧タービンと兼用し、後進タービンは中圧タービン車室に一体で組込む、きわめて独自色の強い設計である。
---3車室化で高出力高効率を狙う一方で、前述の手法でタービン羽根車の数を思い切って減らし、タービンの小型化・軽量化を狙っている。
このため、巡航時の燃費はやや犠牲になっているが、一方で推進系の重量はきわめて軽い。重量を攻防能力に振る割り切りがここにも見られる。
---機関重量の増大を忍んで低燃費を追求した大和型とは対照的である。
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-この様に攻防速のバランスがとれた本級だが、前述の通り、&color(Red){''航続距離が凄まじく短い''};という欠点がある。
--重油は4140トンしか積めず、16ノットで4580カイリ、18ノットで3900カイリしか航続距離がない。これは、軽巡どころか駆逐艦よりも短い(同国の艦隊型駆逐艦マエストラーレ級は12ノットで4000カイリ)。
--そのためか、連合国に接収された後も特に使われることもなく、賠償艦として引き渡されてからも活躍はなく廃艦となっている。
---一説には、新型戦艦を戦利品として配分するよう強硬な主張を繰り広げたスターリンのソ連政府に対して、介入の余地を与えぬよう、徹底した無力化措置(機関重要部の破壊、主砲の砲身切断)がとられた。
イタリア政府は条約の見直しなどでの復活を期待し、解体を数年間先延ばしにしていたが、最終的に解体された。
---ヴィットリオ・ヴェネト級が就役するまでの場繋ぎ的に近代化改装された旧式のカイオ・ドゥイリオ級が、戦後もイタリア海軍の艦隊旗艦として余生を送ったのは何とも皮肉な話である。
--また、レーダー等の電測兵器が遅れているという欠点があるが、本級の欠点というよりはイタリア軍全体の欠点である。
--地味な弱点としては、発電機の配置がマズいという問題がある。
ディーゼル発電機を装甲防御区画に収めきれなかったためにヴァイタルパート外に配置せざるを得ず、補助発電機はタービン区画の上に中二階的なフロアを設ける形で配置している。
無防御区画に置かれているディーゼル発電機は無論のことだが、補助発電機も一見空きスペースの有効利用に見えて実はタービンの規模を制約してしまっている。
おまけに甲板装甲直下で被害を受けやすい、区画へのアクセスが悪くタービン共々整備しにくい、と問題だらけの配置であった。
この欠陥は、ある意味で前級にあたる改装コンテ・ディ・カヴール級から継承されたものだが、主砲の旋回俯仰を電動化したヴィットリオ・ヴェネト級ではより致命的な物だと言える。
-カタパルト一基を持ち、水偵はIMAM(("Industrie Meccaniche Aeronautiche Meridionali SpA"、日本語で南部航空機械産業株式会社))製の[[Ro.43>Ro.43水偵]]を運用していた。
--特徴的なのはさらに戦闘機の艦載運用を行っていたこと。(水偵と合計して3機まで)
---機体はレジアーネ((日本での慣用的表記。現地での発音はレッジャーネが近い。当時はカプローニ傘下、現在はテレックス傘下でクレーンメーカーとして健在))社の陸上機[[Re.2000>http://ja.wikipedia.org/wiki/Re.2000_%28%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F%29]]
---ドイツ空軍による空襲時はイタリア(元リットリオ)、ヴィットリオ・ヴェネト、ローマの各艦に計4機が搭載されていた。
イタリア、ローマ搭載機は射出されないまま喪失。ヴェネト搭載機の2機の内1機のみが射出されるが迎撃に失敗し地上で破損。残る1機はイタリア国内にて現存するとのこと。
-艦底が緑色なのは、貝類の付着で起こるスピード低下を防ぐために塗られた毒性物質である。(現在は「環境ホルモン」として使用を禁じられている。)
--現代ではウラジオストクで陸上に展示されているC-56潜水艦で緑色の艦底の実物を見られる。
--かつて大和や信濃なども同等の目的で緑色の塗装を行っていたと造船士官の福井静夫氏の証言があったが、他者の証言や沈没船体調査から現在では赤褐色説の方が有力か。
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#fold(戦歴){{
戦歴
-1940年6月10日、イタリアが対英・仏宣戦布告をした時点で、リットリオはヴィットリオ・ヴェネトと共に就役こそしていたが、訓練などが完全ではなく、即座に作戦行動を行える状態ではなかった。
--なお、イタリア参戦時に作戦行動可能な戦艦は、コンテ・ディ・カブールとジュリオ・チェザーレの2隻のみである。
これは開戦初期にマルタ島攻略を断念させる要素となっている。
--フランス艦隊を仮想敵として想定していたイタリア海軍であったが、フランスが早期に降伏した結果、大戦中はイギリス地中海艦隊が主敵となる。
-8月初め、ヴィットリオ・ヴェネトと共に戦線に加わったリットリオは、同月31日のハッツ作戦(マルタ島への輸送作戦)に従事するイギリス艦隊を攻撃する艦隊の旗艦として初陣を飾る。
--空母を有していたイギリス艦隊が先にイタリア艦隊を発見するが、イギリス艦隊は輸送作戦を優先し退避、イタリア艦隊も司令部の命令(夜戦を避けるため夕方までに接触できなければ帰還する様に命じられていた)もあって反転、戦闘には至らなかった。
---その後も艦隊の旗艦として出撃機会があったものの、いずれも海戦は生起しなかった。
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-''【タラント空襲】''
-開戦以来、いくつかの戦いで勝利を収めていたイギリス軍であったが、イタリア軍との戦力差を覆し主導権を握るには至っていなかった。
-この状況を打破すべく、イギリス軍はタラント軍港の防備が不完全である事に目を付け、航空機によって襲撃する“ジャッジメント”作戦を計画した。
--計画段階では、イラストリアス、イーグルの艦載機で襲撃する予定だったが、イーグルが作戦参加不能になったので実際はイラストリアスの艦載機のみで行われることになった。
-11月11日21時、イラストリアスから[[ソードフィッシュ>Swordfish]]計21機が発進(スクアも合わせての21機と言う説もあり)。攻撃隊を2波に分けて襲撃を敢行した。
--この時、港内にいたイタリア艦隊は、主力である戦艦が全て結集(コンテ・ディ・カブール、ジュリオ・チェザーレ、カイオ・ドゥイリオ、アンドレア・ドリア、ヴィットリオ・ヴェネト、リットリオの6隻)していたのに加え、巡洋艦9隻、駆逐艦数隻も停泊してい
--23時15分。第1次攻撃隊(12機)がコンテ・ディ・カブールに1本、リットリオに2本の魚雷が命中させ、続く23時59分。第2次攻撃隊(9機)が、リットリオとカイオ・ドゥイリオにそれぞれ1本の魚雷を命中させた。被雷し、浸水を止められなかった3隻は艦隊司令部
---後にリットリオが係留されていた場所の泥の中から、1本の魚雷が不発の状態で埋まっているのが発見された。起爆していた場合、カヴール同様再起不能の損傷を負っていた可能性があった。
-リットリオの修理は最優先で進められ、1941年3月にようやく戦線復帰した。
--この修理の際に妹で建造中のインペロ部品が流用されている。
-この作戦の成功により、イタリア海軍主力艦隊はタラントの防備が固まる翌年の春までナポリへと根拠地の移動を余儀なくされ、東地中海の制海権を英海軍に奪われる結果となる。
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-''【第一次シルテ湾海戦】''
-タラント空襲により勢いづいたイギリス軍の動きは1941年に入って更に活発化し、イギリス軍の北アフリカへの海上輸送も増加した。
一方、枢軸側輸送船は不沈空母と化したマルタ島より飛来するイギリス空軍により多数被害を受け、枢軸アフリカ軍団は戦略物資の補給が停滞した状況だった。
-このため、北アフリカ戦線へ戦略物資を輸送するためにも、マルタ島攻略は枢軸軍の目下の課題となった。
-1941年11月、北アフリカにおいて連合国がクルセイダー作戦を発動させたことによりトブルクより撤退したドイツアフリカ軍団。
この状況を打開しようとイタリアは大規模な補給作戦M41を実施しようとしていた。
--一方、イギリスの拠点マルタも物資が必要しており、K部隊などが補給作戦を行っていた。
-この作戦、合計8隻の輸送船を3つに分けて輸送する作戦だったのだが、潜水艦による妨害や衝突などで輸送船2隻を失い、輸送船2隻は引き返すことになった((同日深夜には、燃料輸送に従事していた軽巡2隻も英蘭駆逐艦部隊の襲撃にあい撃沈されている(ボン岬沖海
そしてリットリオはヴィットリオ・ヴェネトや駆逐艦4隻、水雷艇2隻を引き連れ残りの四隻を無事送り届けるため支援艦隊として出撃したのだった。
--この動きを察知した英軍は軽巡3隻を基幹とする水雷戦隊を迎撃に向かわせたのだが、ヴィットリオ・ヴェネトが潜水艦アージの雷撃により損傷したため作戦を中止し引き返した。
-ここで一度引き返した4隻はさらに強力な護衛を伴って三日後に出撃する。
--近接護衛部隊として戦艦カイオ・ドゥイリオを筆頭に軽巡3隻と駆逐艦3隻、遠距離護衛部隊には戦艦リットリオ、アンドレア・ドリア、ジュリオ・チェザーレ、重巡洋艦トレント、ゴリツィア、駆逐艦10隻が出撃した。
---かなりの大盤振る舞いなのだが、これはイギリス戦艦出撃の誤報を受けたものである。
-出撃の翌日である12月17日、夕刻にイギリス艦隊の対空砲火を確認したイタリア艦隊はこの艦隊への攻撃に向かい迎撃のため打って出たイギリス艦隊との間で日没後に戦闘が開始された。
--この時、リットリオは32000m(ヤードで表記する資料もあり、その場合は29000m)の超遠距離から砲撃を開始している。
--だが両軍とも主目的は船団の護衛であり、イギリス艦隊が雷撃を行ったと誤認したイタリア艦隊が回避行動を取った事で距離が広がり、イタリア艦隊はそのまま護衛へと戻った。一方のイギリス艦隊も護衛に戻ったため戦闘は終了した。
-この戦いは引き分けに終わり、イギリスの駆逐艦キプリングが軽微な損傷を受け死者1名を出したのみであった。戦略的に見て両軍共に輸送船団を送り届けることに成功したので引き分けである。
-もっとも、イギリス海軍はマルタ島への帰途、イタリア海軍が敷設した機雷により軽巡「ネプチューン」と駆逐艦が1隻沈没、他巡洋艦2隻が損傷する被害を受けている。
--更に、20日にはアレキサンドリア港に潜入したイタリア特殊部隊による攻撃で地中海艦隊の主力であった英戦艦「ヴァリアント」と「クイーン・エリザベス」が大破着底し、先の11月14日にはU-81の攻撃でH部隊主力の正規空母「アーク・ロイヤル」が撃沈されてい
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-''【第二次シルテ湾海戦】''
-1942年3月、枢軸軍による通商破壊を受け物資不足が深刻になっていた重要拠点マルタにMW10船団を送り届けるためMG1作戦をイギリスが実行しようとしていた。
--イギリスが投入したのはブレコンシャー、クラン・キャンベル、パンパス、タラボートからなるMW10船団と軽巡5隻、駆逐艦17隻の艦隊である。
-この船団を21日17時5分に発見したイタリア軍はメッシーナから重巡洋艦ゴリツィア、トレント、軽巡洋艦ジョバンニ・デレ・バンデ・ネレ、駆逐艦4隻が、タラントから戦艦リットリオ、駆逐艦6隻が出撃し、両部隊は22日朝に合流してイギリス船団攻撃に向かった。
--なおこれはイギリスの潜水艦P36によって発見、報告されている。
-22日は海が大荒れであった((第二次大戦で水上艦同士の戦闘が行われた海戦中、屈指の荒天で戦闘中に風速15m以上を記録している。他には、1943年末の北岬沖海戦などが悪天候の中での戦闘として有名である))。先に発見したのはイギリスであった。風向きが有利に
--この時は両軍に損害は無かった。
-イタリア艦隊の脅威は無くなったと判断したイギリスは船団との合流を試みる。だが、イタリア艦隊は撤退しておらず艦隊をまとめた後16時43分に再度戦闘が開始された。
--この戦闘において、リットリオは主砲塔に駆逐艦の主砲弾が命中するが損傷は軽微であった。一方で軽巡洋艦ユーライアラスを損傷させ、駆逐艦ハヴォックに至近弾を、同キングストンに命中弾を与えている。
-だが嵐の中の戦闘で決定的な打撃を与えることが出来ず、18時56分に攻撃を終了し、イタリア艦隊は夜戦を避けて北へ引き揚げた。イギリス艦隊は軽巡2隻と駆逐艦3隻が損傷、対するイタリア艦隊に損害はなかった。
-シルテ湾での戦闘自体は護衛艦隊の奮闘により輸送船団の護衛に成功。イギリス側の実質的な勝利であったが、イタリア艦隊により航行スケジュールは大幅に遅れ、夜明けと共に襲来した独伊空軍によって輸送船1隻が撃沈され、英駆逐艦1隻もイタリア側の仕掛けた
無事マルタに到着した後も枢軸空軍の空襲は続き、英駆逐艦1隻と輸送船3隻が撃沈され、結局物資は計画当初の1/5である5000トン程しか陸揚げすることが出来なかったのである。
--リットリオの主砲により損傷し、マルタで修復中であったキングストンも爆撃を受け、損傷がひどかったため最終的に放棄されている。
--なおイタリア艦隊も帰還中、勢いを更に増した嵐の直撃により駆逐艦ランチエーレ、シロッコを失い軽巡ジョバンニ・デレ・バンデ・ネレも損傷した。
-作戦全体を通して見ると、イタリア軍は辛うじてマルタへの輸送妨害に成功したと言える。
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-''【ヴィガラス船団攻撃】''
-1942年に入ると、独伊空軍によるマルタ島空襲は激化し、北アフリカへの海上輸送も妨害を受けずに行えるまでになった。
このため、イギリス軍はマルタ島の救援・維持のため、6月上旬に2つの輸送船団をマルタ島へ送る計画を立てた。
アレキサンドリアから出港する船団をヴィガラス、ジブラルタルら出港する船団をハープーンとした(「ヴィガラス作戦」、「ハープーン作戦」)。
-6月13日、輸送船10隻よりなるヴィガラス船団は、軽巡洋艦8隻と駆逐艦26隻の護衛を受けてアレキサンドリアを出港する。
-この報に接した枢軸軍は、翌14日、クレタ島から空軍を出撃させて爆撃を敢行。
更に、イアキーノ提督が指揮するイタリア艦隊(戦艦リットリオ、ヴィットリオ・ヴェネト、重巡洋艦2隻、軽巡洋艦2隻、駆逐艦12隻)がタラントより出撃した。
--この独伊軍の爆撃により輸送艦2隻が撃沈され、2隻が損傷を被っている。
-イタリア艦隊出撃の知らせを受けたイギリス海軍司令部は、逡巡の末に作戦中止を決定。独伊空軍の攻撃を受けて被害を増やしつつ、結局マルタ島に輸送船を1隻もたどり着かせずに帰還している。
-一方のイタリア艦隊は、マルタ島や北アフリカより飛来した米英爆撃機の攻撃に遭遇。重巡「トレント」も大破する損害を負い、リットリオにも爆弾1発が命中する。
大破したトレントを残して追撃するも、船団を捕捉することができなかったため母港に帰還している。
--トレントは数時間後にイギリス潜水艦アンブラの雷撃により沈没している。
--リットリオは、その帰路でイギリス軍の魚雷攻撃を船首部分に受け損傷したが無事に帰還している。
---この戦いでの損傷復旧に時間を取られたことと、燃料不足がいよいよ深刻化し、軍首脳部が戦艦の投入をためらうようになってしまったのは、結果的にイタリア軍にとって痛手となった。2ヵ月後には地中海の戦いの転回点ともいえる「ペデスタル作戦」が生起する
-なお、もう一つの船団であるハープーン船団(輸送艦6隻、護衛として空母2隻、戦艦1隻、軽巡洋艦4隻、駆逐艦17隻)だが、独伊空軍の援護を受けつつパレルモ(シチリア島)の第7巡洋艦隊(軽巡洋艦2隻、駆逐艦5隻)が突入に成功し交戦、パンテッレリア島海戦が発
イギリス軍部隊は大損害を受けるものの、2隻の輸送船がマルタ島に到着。マルタ島は辛うじて壊滅の危機を脱する。
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-''【ラ・スペチア軍港空襲】''
-1942年6月のパンテッレリア島海戦以降、深刻な燃料不足と制空権喪失により、大規模な艦隊出動は控えられていた。
-当然リットリオも出撃ができず、姉妹艦のヴィットリオ・ヴェネトやローマと共にイタリア北部のラ・スペチア軍港に留め置かれていた。
-未だ存在するヴィットリオ・ヴェネト級はイギリス軍にとって脅威であり、これを叩くためにイギリス軍は4月14日と19日にラ・スペチア軍港に対する空襲を行った。
--この空襲でリットリオは被弾したものの、損傷は軽微であった。
-戦果が不十分であったことから、イギリス軍は6月にも空襲を行っている。
--6月5日の空襲ではヴィットリオ・ヴェネトとローマが大きな損害を被っているが、この時もリットリオには目立った損害は生じていない。
--以降、イギリス軍は空襲の規模を縮小してリットリオを集中的に狙うようになるが、結局大きな損害を受ける事はなかった。
---一方で、ローマは6月24日の空襲でも損害を負っている。、&color(Silver){被害担当艦ェ・・・};
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-そして、1943年7月30日。ムッソリーニが失脚し、バドリオ政権が誕生してから5日後に、[[イタリア>Italia]]へと改名される。
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