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艦隊これくしょん -艦これ- 攻略 Wiki*
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|CENTER:218|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|c
|>|>|>|>|~No.325|
|&attachref(./325_2nd.jpg,nolink,"Ciao!あたしは、そう、Luigi Torelliよ。");|>|Luigi Torelli&br;(ルイージ・トレッリ)|>|Guglielmo Marconi級&br;4番艦 潜水艦|
|~|>|>|>|~艦船ステータス(初期値/最大値)|
|~|~耐久|11|~火力| 2 / 10|
|~|~装甲| 5 / 17|~雷装| 18 / 62 |
|~|~回避| 17 / 42|~対空| 0 / 18 |
|~|~搭載|0|~対潜| 0 |
|~|~速力|低速|~索敵| 6 / 24|
|~|~射程|短|~運|25 / 62|
|~|>|>|>|~最大消費量|
|~|~燃料|10|~弾薬|20|
|~|>|>|>|~装備|
|~|>|>|>|未装備|
|~|>|>|>|COLOR(GRAY):装備不可|
|~|>|>|>|COLOR(GRAY):装備不可|
|~|>|>|>|COLOR(GRAY):装備不可|
|>|>|>|>|~改造チャート|
|>|>|>|>|''Luigi Torelli'' → [[Luigi Torelli改]](Lv30) → [[UIT-25]](Lv40) → [[伊504]](Lv55) |
|>|>|>|>|~図鑑説明|
|>|>|>|>|LEFT:Regia Marinaから来たよ。パスタの国で生まれた潜水艦、Luigi Torelli。通商破壊戦で、けっこー頑張った。&br;でも、そんだけじゃない、いろーんな事経験したんだ。&br;潜水艦派遣作戦にも参加してー、さらに色々あってー、所属も何度も変わっ
※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。
#fold(CV:生天目仁美、イラストレーター:じじ (クリックするとセリフ一覧が開きます)){{
//コンプティーク2017年10月号より
CV:生天目仁美、イラストレーター:じじ
#shadowheader(2,[[定型ボイス一覧>Luigi Torelli/定型ボイス]])
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~
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~
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#table_edit(Luigi Torelli/季節ボイス)
~
}}
*ゲームにおいて [#about]
-2017年8月12日実装、2017年夏イベント『[[西方再打通!欧州救援作戦]]』の[[E-6>西方再打通!欧州救援作戦#area6]]ボスでドロップの報告が有る。
-[[U-511]]と同じく海外潜水艦。図鑑の台詞にあるように、伊独日と所属が変わった経歴から、改造するとドイツ海軍[[UIT-25]]、最終的に日本海軍[[伊504]]になる。&br;
--Lv30で改,40でUIT-25,Lv55で伊504となる3段階改造だが、装備スロット数は改になって以降2スロのまま。
--最後まで改造しても久々の純粋な潜水艦である。そして一切装備を持参しない。
--[[Luigi Torelli改]]に改造すると''雷装最大値が半分程度まで落ちてしまう。''その次の段階のUIT-25でも上昇値はわずかで、最終改造の伊504でようやく最大値がLuigi Torelliを上回る。&br;効率重視の場合、伊504になれるレベルまで改造しないのも一つの手。
--UIT-25になるとライフジャケット部分が取れて普通の黒スク水になる。最後の伊504になると白スク水になる。
-他の潜水艦とは異なり、素の対空値が0ではない。
-Regia Marinaとはイタリア王立海軍の事。
王政が廃止された現在はMarina Militareと呼ばれている。
-&color(Silver){%%名前と色から誰もが某配管工永遠の二番手を連想する%%};
-余談だが、人名Luigiの短縮形はGigi(ジジ)である。
*小ネタ [#trivia]
**グリエルモ・マルコーニ級 [#jb7ce08a]
-1938年から40年にかけて計6隻が就役した、イタリア海軍が戦前に建造した最後の航洋型潜水艦。
全長は76.5m、排水量は水上で約1190tと、同じ海外潜水艦の[[U-511]]の属するIXC 型潜水艦とほぼ同じ。
船体構造は、伊号潜水艦と同じサドル・タンク式が採用され、水深約90mまで潜行が可能となっている。
最大速力は水上で17.8ノット、水中では8.2ノット。航続距離は8ノットで10,500海里。潜行時は3ノットで110海里。
武装は533mm魚雷発射艦を船体の前後に4門ずつの計8門を備え、魚雷は12本搭載されている(16本とする資料もある)。
他にもお馴染みOTO社製の100mm47口径単装砲を1門と、ブレダ社製の13.2mm単装機銃を4基を搭載している。
--マルコーニ級は大西洋での活動中の41年から42年の間に、全艦が司令塔を小型化する等の隠密性を向上させる改修工事が行われている。
-ルイージ・トレッリの艦名の由来は、1848年に発生した「ミラノの5日間」反乱((当時現在のロンバルド地域を支配していたオーストリア帝国に対して、反発するロンバルド人が蜂起した事件))の中心人物で、後にイタリア統一に貢献、イタリア王国政府で大臣職を務
--他のマルコーニ級にも、それぞれイタリアの著名な人物の名前が付けられている。
1番艦「グリエルモ・マルコーニ」 マルコーニ式無線電信の発明者。
2番艦「レオナルド・ダ・ヴィンチ」ルネサンス期を代表する芸術家。“万能人”。
3番艦「ミケーレ・ビアンキ」 ファシスト党の創設に関わった人物。
5番艦「アレッサンドロ・マラスピナ」 スペイン海軍に所属し18世紀から19世紀にかけて活躍した冒険家。
6番艦「マッジョーレ・バラッカ」 第1次大戦のイタリア空軍のエースパイロット、フランチェスコ・バラッカ少佐。(マッジョーレとは少佐の事)
--大戦中、マルコーニ級は全艦が大西洋に進出し、通商破壊任務に従事し戦果を挙げたものの、激しい戦いの中でルイージ・トレッリを除く全艦が大西洋で戦没した。
---この内、2番艦のレオナルド・ダ・ヴィンチは輸送船17隻12万243tを撃沈したイタリア海軍潜水艦のトップエースである。
後にレオナルド・ダ・ヴィンチはカプローニ社製のCA型小型潜水艦((全長10mの2人乗り小型潜水艦。当初は泊地攻撃を想定し、外部に魚雷を装備していたが、復元性が悪くなるので魚雷を撤去。代わりに潜水工作員と彼らが使用する爆薬の輸送艦として設計を改められ
**艦歴 [#d3f6d3e1]
-ルイージ・トレッリは1939年2月15日、イタリア北部リグーリア州ラ・スペツィアの、オデーロ・テルニ・オルランド(OTO)社のムッジアーノ造船所にて起工。翌年の5月15日に就役した。
初代艦長はアルド・コッチア大佐((イタリア語で「カピターノ・ディ・フレガータ」、直訳で「フリゲート艦長」。))
-フランス降伏後、ドイツ海軍は鋼鉄協約に基づき、大西洋におけるイタリア海軍の進出を求め、それに応じたイタリアは、フランスのボルドーに設立された潜水艦基地BETASOMに潜水艦を派遣する事に決定。
ルイージ・トレッリはその内の1隻であった。
-地中海からジブラルタル海峡を突破し、ボルドーに到着してすぐ、アルド・コッチア艦長はBETASOMの参謀長に栄転、代わりにプリモ・ロンゴバルド大佐が艦長に就任した。
彼は42年に戦死後、武功黄金勲章を授与された名艦長であり、戦後の潜水艦にもその名前が使われている。
--彼の指揮の下、1941年1月から北大西洋において通商破壊任務に従事。
その月の内に4隻の船舶、計17489tを沈めボルドーに帰還するが、ロンゴバルド艦長は別の潜水艦の艦長として転任となる。
-休養と修理が終った後、アントニオ・ディ・ジャコモ少佐((イタリア語で「カピターノ・ディ・コルベッタ」、直訳で「コルベット艦長」。))を新たな艦長に迎え出撃する。
7月21日にノルウェー船籍のタンカーを撃沈。しかし9月21日のHG73船団への攻撃では、イギリスの駆逐艦ヴィミーの爆雷攻撃によって損傷、帰投を余儀なくされる。
-12月にはドイツの仮装巡洋艦アトランティスと補給艦バイソンが沈没。
その乗員の救助にイタリア潜水艦達が向かい、254名の生存者をサン・ナゼールへ運んだ。
この功績により、ジャコモ艦長以下数人の上級士官に鉄十字勲章が授与された。
-1942年2月2日、アメリカ沿岸での作戦行動に出る。この出撃では2隻の船舶、計16469tを撃沈する。
-6月には新艦長アウグスト・ミグロリーニ大尉((イタリア語で「テネッテ・ディ・ヴァスチェロ」。直訳では「戦列艦海尉」))の下、アメリカ沿岸への出撃するが、この出撃ではこれまでに無い危機に直面する。
--6月3日夜、バハマ諸島の北東でウェリントン爆撃機の攻撃を受ける。
これは新技術レーダーとリーライトを用いた、夜間の潜水艦への航空攻撃の始まりであった。
これによりコンパスと潜行用の操舵装置が損傷した。
--コンパスを失い、正確な航行ができなくなったため、ミグロリーニ艦長はまっすぐスペインの海岸を目指し、ペナス岬の近くで座礁した。
そしてスペインのタグボートによりアビレス港へ曳航された。
--潜行は不可、浸水もいまだ続いていると言う深刻な状態であり、アビレス港の砂州にて応急修理を行った後、6月6日ボルドーを目指して出港した。
しかし翌日、ビスケー湾にて今度は2機のサンダーランド飛行艇に攻撃され、ミグロリーニ艦長含む数人の士官が負傷、1人が死亡した。
--船体に大穴が開く損傷を受けたため、沈没を避けるために再びスペインの領海に入りサンテンダールの砂浜に乗り上げた。
ここで6月8日から7月14日までいくつかの応急修理を行っていたが、中立国に滞在できる期限が過ぎたため、スペイン当局からは乗組員を抑留すると通告されたが、スペイン当局はろくに監視しておらず、7月14日に出港、15日の午後にボルドーにたどり着いた。
-損傷は甚大であり、修理には6ヶ月の時間を要し、戦線に復帰したのは翌1943年になってからであった。
アントニオ・ディ・ジャコモ少佐の指揮の下に、2月21日からブラジル沿岸での作戦に従事するが、3月16日、エンジンの吸気口のバルブを閉めるのに失敗し、潜行出来ずにいる所に空襲を受け、対空戦闘を行う羽目となる。
--この戦闘では1機を撃墜、または損傷させ逃げ切る事に成功したものの、艦長は重傷を負い、船体も損傷したため基地へと帰還する事になった。
-一方、戦争の激化に伴い、日本からの資源輸入に使っている封鎖突破船の損失が増えていた。
2月20、ドイツ海軍総司令官カール・デーニッツはヒットラーに対し、消耗した輸送船の穴埋めとして、潜水艦を輸送船として使う事を提案した。
デーニッツは大型で潜行速度が遅いイタリア潜水艦は、大西洋の戦いには適していないと判断し、これを長距離輸送潜水艦に改造、その見返りにVII型Uボートを供与する事を提案。
この提案は、デーニッツ自身がローマへと飛び、ムッソリーニとイタリア海軍参謀長アルトゥーロ・リカルディに直訴。二人はこの案を受け入れた。
--3月から4月にかけて、ルイージ・トレッリは150tの貨物が搭載できるよう改装された。
OTO 100/47速射砲は撤去、8門の魚雷発射管と弾薬庫は燃料タンクに、バッテリーも一部を撤去して貨物庫になった。
残った武装はブレダ13.2mm機銃だけであった。改装完了時にAQUILA VIと改名した。
--6月14日、エンリコ・グロッパリ大尉の指揮下ボルドーを出港する。
搭載された荷物は、水銀、鋼鉄、MG151/20機関砲800門、SG-500爆弾、ウルツブルグレーダー2セットに、ペナンで活動するモンスーン戦隊用の魚雷。
人員は佐竹金次陸軍中佐に、テレフンケン社のハインリヒ・フォーダス技官に2人の民間人の技師と、AGウェーザーの3人の技師であった。
--8月12日、インド洋の真ん中で燃料が不足し、U-178と合流、燃料を補給する。その後ペナンまで行動を共にした。
--26日にはスマトラのサバン、29日はマレーシアのペナンと航海は順調に進み、31日シンガポールに到着した。
-だが9月8日、イタリアが連合国との休戦協定を結んだという報せが届く。
サバンの第9根拠地隊司令平岡粂一少将は、グロッパリ艦長以下乗組員に捕虜として収容所行きを命じた。
ルイージ・トレッリは[[UIT-25]]へと名を変え、ドイツ軍へ編入される事となった。以降はUIT-25に続く。
*この艦娘についてのコメント [#comment]
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|~|~耐久|11|~火力| 2 / 10|
|~|~装甲| 5 / 17|~雷装| 18 / 62 |
|~|~回避| 17 / 42|~対空| 0 / 18 |
|~|~搭載|0|~対潜| 0 |
|~|~速力|低速|~索敵| 6 / 24|
|~|~射程|短|~運|25 / 62|
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|>|>|>|>|LEFT:Regia Marinaから来たよ。パスタの国で生まれた潜水艦、Luigi Torelli。通商破壊戦で、けっこー頑張った。&br;でも、そんだけじゃない、いろーんな事経験したんだ。&br;潜水艦派遣作戦にも参加してー、さらに色々あってー、所属も何度も変わっ
※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。
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//コンプティーク2017年10月号より
CV:生天目仁美、イラストレーター:じじ
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*ゲームにおいて [#about]
-2017年8月12日実装、2017年夏イベント『[[西方再打通!欧州救援作戦]]』の[[E-6>西方再打通!欧州救援作戦#area6]]ボスでドロップの報告が有る。
-[[U-511]]と同じく海外潜水艦。図鑑の台詞にあるように、伊独日と所属が変わった経歴から、改造するとドイツ海軍[[UIT-25]]、最終的に日本海軍[[伊504]]になる。&br;
--Lv30で改,40でUIT-25,Lv55で伊504となる3段階改造だが、装備スロット数は改になって以降2スロのまま。
--最後まで改造しても久々の純粋な潜水艦である。そして一切装備を持参しない。
--[[Luigi Torelli改]]に改造すると''雷装最大値が半分程度まで落ちてしまう。''その次の段階のUIT-25でも上昇値はわずかで、最終改造の伊504でようやく最大値がLuigi Torelliを上回る。&br;効率重視の場合、伊504になれるレベルまで改造しないのも一つの手。
--UIT-25になるとライフジャケット部分が取れて普通の黒スク水になる。最後の伊504になると白スク水になる。
-他の潜水艦とは異なり、素の対空値が0ではない。
-Regia Marinaとはイタリア王立海軍の事。
王政が廃止された現在はMarina Militareと呼ばれている。
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-余談だが、人名Luigiの短縮形はGigi(ジジ)である。
*小ネタ [#trivia]
**グリエルモ・マルコーニ級 [#jb7ce08a]
-1938年から40年にかけて計6隻が就役した、イタリア海軍が戦前に建造した最後の航洋型潜水艦。
全長は76.5m、排水量は水上で約1190tと、同じ海外潜水艦の[[U-511]]の属するIXC 型潜水艦とほぼ同じ。
船体構造は、伊号潜水艦と同じサドル・タンク式が採用され、水深約90mまで潜行が可能となっている。
最大速力は水上で17.8ノット、水中では8.2ノット。航続距離は8ノットで10,500海里。潜行時は3ノットで110海里。
武装は533mm魚雷発射艦を船体の前後に4門ずつの計8門を備え、魚雷は12本搭載されている(16本とする資料もある)。
他にもお馴染みOTO社製の100mm47口径単装砲を1門と、ブレダ社製の13.2mm単装機銃を4基を搭載している。
--マルコーニ級は大西洋での活動中の41年から42年の間に、全艦が司令塔を小型化する等の隠密性を向上させる改修工事が行われている。
-ルイージ・トレッリの艦名の由来は、1848年に発生した「ミラノの5日間」反乱((当時現在のロンバルド地域を支配していたオーストリア帝国に対して、反発するロンバルド人が蜂起した事件))の中心人物で、後にイタリア統一に貢献、イタリア王国政府で大臣職を務
--他のマルコーニ級にも、それぞれイタリアの著名な人物の名前が付けられている。
1番艦「グリエルモ・マルコーニ」 マルコーニ式無線電信の発明者。
2番艦「レオナルド・ダ・ヴィンチ」ルネサンス期を代表する芸術家。“万能人”。
3番艦「ミケーレ・ビアンキ」 ファシスト党の創設に関わった人物。
5番艦「アレッサンドロ・マラスピナ」 スペイン海軍に所属し18世紀から19世紀にかけて活躍した冒険家。
6番艦「マッジョーレ・バラッカ」 第1次大戦のイタリア空軍のエースパイロット、フランチェスコ・バラッカ少佐。(マッジョーレとは少佐の事)
--大戦中、マルコーニ級は全艦が大西洋に進出し、通商破壊任務に従事し戦果を挙げたものの、激しい戦いの中でルイージ・トレッリを除く全艦が大西洋で戦没した。
---この内、2番艦のレオナルド・ダ・ヴィンチは輸送船17隻12万243tを撃沈したイタリア海軍潜水艦のトップエースである。
後にレオナルド・ダ・ヴィンチはカプローニ社製のCA型小型潜水艦((全長10mの2人乗り小型潜水艦。当初は泊地攻撃を想定し、外部に魚雷を装備していたが、復元性が悪くなるので魚雷を撤去。代わりに潜水工作員と彼らが使用する爆薬の輸送艦として設計を改められ
**艦歴 [#d3f6d3e1]
-ルイージ・トレッリは1939年2月15日、イタリア北部リグーリア州ラ・スペツィアの、オデーロ・テルニ・オルランド(OTO)社のムッジアーノ造船所にて起工。翌年の5月15日に就役した。
初代艦長はアルド・コッチア大佐((イタリア語で「カピターノ・ディ・フレガータ」、直訳で「フリゲート艦長」。))
-フランス降伏後、ドイツ海軍は鋼鉄協約に基づき、大西洋におけるイタリア海軍の進出を求め、それに応じたイタリアは、フランスのボルドーに設立された潜水艦基地BETASOMに潜水艦を派遣する事に決定。
ルイージ・トレッリはその内の1隻であった。
-地中海からジブラルタル海峡を突破し、ボルドーに到着してすぐ、アルド・コッチア艦長はBETASOMの参謀長に栄転、代わりにプリモ・ロンゴバルド大佐が艦長に就任した。
彼は42年に戦死後、武功黄金勲章を授与された名艦長であり、戦後の潜水艦にもその名前が使われている。
--彼の指揮の下、1941年1月から北大西洋において通商破壊任務に従事。
その月の内に4隻の船舶、計17489tを沈めボルドーに帰還するが、ロンゴバルド艦長は別の潜水艦の艦長として転任となる。
-休養と修理が終った後、アントニオ・ディ・ジャコモ少佐((イタリア語で「カピターノ・ディ・コルベッタ」、直訳で「コルベット艦長」。))を新たな艦長に迎え出撃する。
7月21日にノルウェー船籍のタンカーを撃沈。しかし9月21日のHG73船団への攻撃では、イギリスの駆逐艦ヴィミーの爆雷攻撃によって損傷、帰投を余儀なくされる。
-12月にはドイツの仮装巡洋艦アトランティスと補給艦バイソンが沈没。
その乗員の救助にイタリア潜水艦達が向かい、254名の生存者をサン・ナゼールへ運んだ。
この功績により、ジャコモ艦長以下数人の上級士官に鉄十字勲章が授与された。
-1942年2月2日、アメリカ沿岸での作戦行動に出る。この出撃では2隻の船舶、計16469tを撃沈する。
-6月には新艦長アウグスト・ミグロリーニ大尉((イタリア語で「テネッテ・ディ・ヴァスチェロ」。直訳では「戦列艦海尉」))の下、アメリカ沿岸への出撃するが、この出撃ではこれまでに無い危機に直面する。
--6月3日夜、バハマ諸島の北東でウェリントン爆撃機の攻撃を受ける。
これは新技術レーダーとリーライトを用いた、夜間の潜水艦への航空攻撃の始まりであった。
これによりコンパスと潜行用の操舵装置が損傷した。
--コンパスを失い、正確な航行ができなくなったため、ミグロリーニ艦長はまっすぐスペインの海岸を目指し、ペナス岬の近くで座礁した。
そしてスペインのタグボートによりアビレス港へ曳航された。
--潜行は不可、浸水もいまだ続いていると言う深刻な状態であり、アビレス港の砂州にて応急修理を行った後、6月6日ボルドーを目指して出港した。
しかし翌日、ビスケー湾にて今度は2機のサンダーランド飛行艇に攻撃され、ミグロリーニ艦長含む数人の士官が負傷、1人が死亡した。
--船体に大穴が開く損傷を受けたため、沈没を避けるために再びスペインの領海に入りサンテンダールの砂浜に乗り上げた。
ここで6月8日から7月14日までいくつかの応急修理を行っていたが、中立国に滞在できる期限が過ぎたため、スペイン当局からは乗組員を抑留すると通告されたが、スペイン当局はろくに監視しておらず、7月14日に出港、15日の午後にボルドーにたどり着いた。
-損傷は甚大であり、修理には6ヶ月の時間を要し、戦線に復帰したのは翌1943年になってからであった。
アントニオ・ディ・ジャコモ少佐の指揮の下に、2月21日からブラジル沿岸での作戦に従事するが、3月16日、エンジンの吸気口のバルブを閉めるのに失敗し、潜行出来ずにいる所に空襲を受け、対空戦闘を行う羽目となる。
--この戦闘では1機を撃墜、または損傷させ逃げ切る事に成功したものの、艦長は重傷を負い、船体も損傷したため基地へと帰還する事になった。
-一方、戦争の激化に伴い、日本からの資源輸入に使っている封鎖突破船の損失が増えていた。
2月20、ドイツ海軍総司令官カール・デーニッツはヒットラーに対し、消耗した輸送船の穴埋めとして、潜水艦を輸送船として使う事を提案した。
デーニッツは大型で潜行速度が遅いイタリア潜水艦は、大西洋の戦いには適していないと判断し、これを長距離輸送潜水艦に改造、その見返りにVII型Uボートを供与する事を提案。
この提案は、デーニッツ自身がローマへと飛び、ムッソリーニとイタリア海軍参謀長アルトゥーロ・リカルディに直訴。二人はこの案を受け入れた。
--3月から4月にかけて、ルイージ・トレッリは150tの貨物が搭載できるよう改装された。
OTO 100/47速射砲は撤去、8門の魚雷発射管と弾薬庫は燃料タンクに、バッテリーも一部を撤去して貨物庫になった。
残った武装はブレダ13.2mm機銃だけであった。改装完了時にAQUILA VIと改名した。
--6月14日、エンリコ・グロッパリ大尉の指揮下ボルドーを出港する。
搭載された荷物は、水銀、鋼鉄、MG151/20機関砲800門、SG-500爆弾、ウルツブルグレーダー2セットに、ペナンで活動するモンスーン戦隊用の魚雷。
人員は佐竹金次陸軍中佐に、テレフンケン社のハインリヒ・フォーダス技官に2人の民間人の技師と、AGウェーザーの3人の技師であった。
--8月12日、インド洋の真ん中で燃料が不足し、U-178と合流、燃料を補給する。その後ペナンまで行動を共にした。
--26日にはスマトラのサバン、29日はマレーシアのペナンと航海は順調に進み、31日シンガポールに到着した。
-だが9月8日、イタリアが連合国との休戦協定を結んだという報せが届く。
サバンの第9根拠地隊司令平岡粂一少将は、グロッパリ艦長以下乗組員に捕虜として収容所行きを命じた。
ルイージ・トレッリは[[UIT-25]]へと名を変え、ドイツ軍へ編入される事となった。以降はUIT-25に続く。
*この艦娘についてのコメント [#comment]
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