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艦隊これくしょん -艦これ- 攻略 Wiki*
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|CENTER:218|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|c
|>|>|>|>|~No.231|
|&attachref(./231_2nd.jpg,nolink,いろいろあるんです。いろいろ。);|>|U-511(ゆー511)|>| UボートIXC型 潜水艦|
|~|>|>|>|~艦船ステータス(初期値/最大値)|
|~|~耐久|8|~火力|2 / 8|
|~|~装甲|4 / 16|~雷装|22 / 58|
|~|~回避|18 / 44|~対空|0|
|~|~搭載|0|~対潜|0|
|~|~速力|低速|~索敵|8 / 28|
|~|~射程|短|~運|30 / 63|
|~|>|>|>|~最大消費量|
|~|~燃料|10|~弾薬|20|
|~|>|>|>|~装備|
|~|>|>|>|[[WG42 (Wurfgerät 42)>WG42 (Wurfgerat 42)]]|
|~|>|>|>|COLOR(gray):装備不可|
|~|>|>|>|COLOR(gray):装備不可|
|~|>|>|>|COLOR(gray):装備不可|
|>|>|>|>|~改造チャート|
|>|>|>|>|''U-511'' → [[U-511改]](Lv35) → [[呂500]](Lv55)|
|>|>|>|>|~図鑑説明|
|>|>|>|>|LEFT:ドイツ海軍のUボート、潜水艦U-511……です。&br;頑張って、ここまで来ました。&br;皆と仲良くなれたら…いいなって…ここの文化に馴染めたらいいなって…思います。|
※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。
#fold(CV:茅野愛衣、イラストレーター:島田フミカネ (クリックするとセリフ一覧が開きます)){{
CV:茅野愛衣、イラストレーター:島田フミカネ
#shadowheader(2,定型ボイス一覧)
#table_edit(U-511/定型ボイス)
~
#shadowheader(2,時報ボイス一覧)
-[[呂500]]にて実装
//#table_edit(U-511/時報ボイス)
~
#shadowheader(2,季節ボイス一覧)
#table_edit(U-511/季節ボイス)
~
}}
*ゲームにおいて [#about]
-2015年2月6日アップデートで実装された。
--同日から始まった15冬イベント「[[迎撃!トラック泊地強襲]]」の[[E-3>迎撃!トラック泊地強襲#area3]]クリア報酬。
--その後いくつかのイベント海域でのドロップとして入手可能となっているが、現在のところ通常海域でのドロップや建造では入手不可。
-[[Bismarck]]、[[Z1]]、[[Z3]]、[[Prinz Eugen]]に続いて、実装5隻目のドイツ生まれ艦娘。
--2度の改装を経て[[呂500]]となる。[[響]]→[[Верный]]に続いて、国籍と艦名がともに変化する艦としては2隻目となる。
--他のドイツ生まれ艦娘と違い、U-511だけは史実でも本当に日本に来ている。
他のドイツ艦娘の参戦に釈然としていなかった提督がいたとしても、この娘だけは安心して使えるであろう。
--''ドイツ艦だが、建造で[[Z1]]、[[Z3]]、大型で[[Bismarck]]が建造できるかは[[Prinz Eugen]]共々要検証''。
少なくとも100回程度では出ない模様。
**基本性能について [#spec]
-未改装の彼女は、近代化改修をしていない[[まるゆ改]]に匹敵するほど柔らかい。
まるゆ改よりわずかに装甲値が高いものの、逆に「8」という数値のせいでまるゆ改と比べてダメージの端数切り捨ての恩恵がない。
耐久2以下で大破判定になるので、育成する際は目を離さず大事に育ててあげよう。
-U-511実装によりようやく実用的な意味でのオール潜水艦の艦隊が組めることとなった。
//-オリョールで各種ウィークリーを消化する際にも有用。通常のオリョクルと違いフル編成する以上多少資源は減るが、そもそも潜水艦/潜母は他艦種と比べて元々消費や入渠時間が少ないのに火力は非常に高いためそれを6隻同時投入するとすごい勢いで任務を消化
&br;
-2スロット目を獲得できる最初の改装Lvが35と低いので、演習や5-2-1(空襲マス)だけの育成でもさほど期間は要さないだろう。
**キャラクター設定について [#character]
-最初は日本語が拙い彼女も、異国の文化と鎮守府の空気に馴染んだ結果、呂500への改装で姿が一気に変わる。
--どうなったかは[[該当ページ>呂500]]へ。%%今日も鎮守府は平和です。%%
-イベントクリアの報酬として実装されたため、当初はU-511と呂500を両立することは不可能だった。変化が非常に大きいため改装するか悩んだ提督も多いとか。
--その後イベント海域でドロップするようになったので、現在は頑張れば両立可能。
**過去イベントのドロップ状況 [#drop]
#fold(過去イベントのドロップ状況){{
過去イベントのドロップ状況
-2015春イベでU-511のドロップが確認された。これにより、U-511と呂500の同時持ちが可能となった。
--ただし最終海域であるE-6のボスS勝利限定、しかもドロップ率は決して高くない。連合艦隊MAPな上に決戦支援もないとS勝利が安定しないため、保有資材とよく相談して掘るかどうか決めよう。
--ちなみにドロップ数には制限がない。すなわち呂500牧場でFaT魚雷をかき集めると命中が非常に高い潜水艦隊が作れないことはない。
--&color(Silver){Romaや酒匂を狙って無意識にU-511が集まる提督もいる模様。};
-2015夏イベでもドロップが確認されている。
--ドロップするのはE-5海域のボスマス(甲のみ)とGマス(乙難易度以上)、共にS勝利が条件である。
--このうちGマスは潜水艦1隻で羅針盤を固定できる上に道中含めて2戦、通常艦隊で出撃するMAP、支援無しでもS勝利が比較的容易、など2015春イベントと比較すると非常に資材に優しい。
-2015秋イベはE-4海域のボスマス(全難易度)においてS勝利でドロップ。
--連合艦隊MAPであるが丙での掘りは潜水棲姫対策に第二艦隊を対潜特化させると比較的容易。空母機動部隊の場合はJマス・Mマス攻略で弱体化させておくとS勝利はほぼ確実。
--&color(Silver){こちらはGraf ZeppelinやRomaを狙って無意識に手に入れる提督もいる模様};
--ちなみに確率は圧倒的にGrafより低く、Romaとはいい勝負。
-そして2016年春イベではE-3海域の道中でドロップが確認されている。彼女の持参する装備は後半海域で有効なもののひとつであったためか、これまでに比べるとかなり掘りやすくなっている模様。
-2017年冬イベでもE-1海域のIマスでドロップが確認された。丙でも確認され対潜装備さえあれば掘りに行く事は難しくなかった。&color(Silver){しかしどの難易度でもドロップ率はかなり絞られていたようで…};
-2017年夏にて改装後の呂500と同時に限定グラフィックの里帰りmodeが実装。
同じキャラで改装前後の同時実装という非常に珍しい形となったが、こちらも日焼けして小麦肌に白スク水という改装後に近い姿のため、17年夏イベで彼女を初入手した提督は通常絵を見たらあまりの差に驚くかもしれない。
-2019年夏イベではE-1海域のボスマス(全難易度)においてS勝利でドロップ。
--通常艦隊MAPで、同じくボスマスでドロップするRichelieuの特効が強力だった。
--余談ではあるが、当イベント直前に新たな対地装備(艦載型 四式20cm対地噴進砲)が本実装されている。前回イベではWG42不足だった提督も、本艦の持参装備やイベント報酬などで、この夏一気に対地装備が増えたことだろう。
-2020年梅雨・夏イベではE-3海域のボスマスでドロップが確認された。U-511のみならず、[[伊13]]や[[伊14]]といったレア艦をはじめ、当時実装済みだったすべての潜水艦がドロップしたため、潜水艦戦力の増強に励んだ提督も多かった模様。
-その後も、2020年秋・冬イベE-3海域ボスマス、2021年夏イベE-2海域ボスマスでドロップ。今後も、欧州方面への出撃時に邂逅のチャンスが訪れると思われる。
}}
**[[限定グラフィック>艦娘カード一覧(期間限定グラフィック)]] [#graphic]
-2017年8月12日のオンメンテナンスにて期間限定グラフィック【里帰り水着mode】が実装された。
--慣れない異国に連れてこられて内気だったゆーちゃんが、[[しおい>伊401]]達と遊びまわりながら馴染んでいき、[[ろーちゃん>呂500]]へと変わっていく過程を思わせるものとなっている。
--中破すると、服は破けないが、アイスクリーム頭痛に悩まされる。
-
#fold(限定イラスト:里帰り水着mode){{
限定イラスト:里帰り水着mode
&attachref(./231_Summer_2nd.jpg,nolink,);
}}
*小ネタ [#trivia]
-ドイツ海軍のIX C型Uボートの1隻。((IXはローマ数字の"9"。第二次大戦期ドイツ潜水艦の形式名はI型からローマ数字を用いて名付けられている。なおローマ数字記号は機種依存文字のためwikiなどでは「I」と「X」の組み合わせで代替表記されているケースが多い
--IX型Uボートは、I A型Uボートの改良型として建造された1,000~1,600t級の航洋型潜水艦。
IX C型はその中でも最も一般的な艦であり、VII C型(「7C型」 映画「Uボート」の主役艦U-96など、多くの人が「Uボート」と言われて思い浮かぶあの艦)と並びドイツ海軍の潜水艦戦隊の中核を為した名艦である。
---複殻式構造((船体が二重構造になっていて、二重構造の隙間に海水タンクや重油タンクを設ける方式の潜水艦。艦これ登場艦では伊401もこの方式。))((なお一般的な伊号潜やガトー級などはVII C型と同じサドルタンク(半複殻)式を採用している。))を採っている
この恩恵から水中速度や対潜戦での生存性、安全潜航深度に優れ、VII型より一回り大きいだけにもかかわらず、2倍近い航続力を発揮できるようになった。
---但しその分建造費や工数がかかり、改良型も含め700隻が建造されたVII型とくらべ、改良型のIX C/40型を含めても194隻と生産数は%%VII型よりは%%少数にとどまっている((日本で最多の竣工数を達成した巡潜乙型が20隻、アメリカのバラオ級の竣工数は120隻であ
--IX C型はU-505が連合軍に鹵獲されており、博物館船として現存する4隻の第二次世界大戦時のドイツの大型潜水艦の中の1隻となっている。
U-505はシカゴのシカゴ科学産業博物館に寄贈されており、IX C型Uボートは艦これ実装艦の中では唯一完全な形で現存していて、その姿を現在も見ることが出来る枢軸国の艦である。
[[前方、広角:http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/da/U505wide.jpg]]、[[前方2:https://pbs.twimg.com/media/B9K5bHTCMAIYYmX.jpg:orig]][[前方3:http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/ce/U505_at_Science_Museum.jpg]]、[[後方、
魚雷の位置や照明の色合いなどフミカネ氏がU-511を描く際におそらく参考にしたであろう事が見て取れる。
-初の艦底の色が艦底色(ココアブラウン、ハルレッドなどの赤茶色っぽい色)でない艦娘。艦底の色は黒。
--現在実装されてる艦娘の中で艦底の色が艦底色でない艦は当艦と[[緑色>Littorio]][[の各>Roma]][[イ>Zara]][[タ>Pola]][[リア艦>Libeccio]]である。
---一時期は[[大和型>大和]][[戦艦>武蔵]]、[[伊四百型潜水艦>伊401]]も艦底色が緑色だったとの説があるが現在では艦底色が有力とされている。
-U-511はハンブルクのドイチェ・ヴェルフト社307番ヤードにて建造され、1941年9月22日に進水、奇しくも太平洋戦争勃発翌日の1941年12月8日に竣工している。
その後慣熟訓練の後、第4Uボート戦隊に加えられた。
-1942年の5月には潜水中におけるロケット弾の発射実験を行っている。
--当時のU-511艦長だったフリードリッヒ・シュタインホフ大尉がロケット技術者の兄、エルンスト・シュタインホフ博士と「ロケットによる対地攻撃が可能な潜水艦」を考えだしたのが原因で、実験に供されたそうである。
U-511は甲板に陸軍用のネーベルヴェルファーを改造したWurfkörper 42 30cmロケット弾が6つ収まったラックを装着したまま潜水し、潜航深度12mからこれを発射。
結果、見事発射実験は成功した。
--しかし、狙いが不正確であることや、外付けのラックとロケット弾の産み出す水中抵抗がUボートの操縦性や速度・航行距離に悪影響を及ぼすなどの問題も露呈し、計画は破棄されたという。
だが「ロケットによる対水上・対地上攻撃可能な潜水艦」というコンセプトそのものはドイツ海軍上層部に支持され、計画はV2ロケットの運用((さすがにUボート自体に搭載は出来ないので、V2ロケットを搭載した発射サイロを曳航する計画だった。))にまで拡大し、
-その後は第10Uボート戦隊に移籍し、1942年7月から1943年3月までに3回の哨戒を実施。1942年12月にはシュタインホフ大尉に代わってシュネーヴィント中尉が艦の指揮を引き継いでいる。
フランスのロリアン軍港を起点に遠くはカリブ海まで哨戒航海を行い、タンカー2隻、貨物船1隻合計総トン数27,003トンを撃沈し、別のタンカー1隻、8,773トンを損傷させた。
-1943年5月、U-511は大尉に昇進していたシュネーヴィントの指揮下、マレーシアのペナン軍港経由で日本の呉軍港に向かうこととなった。
--その理由は技術交換の一環もあるがズバリ、「インド洋での日本海軍の通商破壊作戦の要請のため、通商破壊用の潜水艦のモデルとしてU-511を供与すること」。
---ドイツは前々からインド洋におけるインドとイギリスの通商網の破壊を考えており、インド洋付近まで勢力圏を持っていた同盟国日本の援助も得ながら、仮装巡洋艦やマレーシアのペナンを起点に活動した「モンスーン戦隊」などによる地道な通商破壊作戦を展開
しかしそれでは埒が明かないとヒトラー総統が日本海軍にインド洋での大規模な通商破壊作戦を要請したのである。
---その際に太平洋での運用を前提とした伊号では量産に不向きなことから、IX C型潜水艦を量産型の通商破壊用潜水艦のモデルシップとするために、無償供与することとしたのである。
--便乗者には日本海軍の駐在武官であった野村直邦中将や次期在日ドイツ大使、ドイツ人科学者や潜水艦技術者がいた。
---なおこの時に野村中将が思いつき、U-511出港前の報告としてある「暗号」を用いて交わされた国際電話が、アメリカ軍の暗号解読部隊を相当に手こずらせている。
---外務省と駐独日本大使館の間で帰朝のスケジュールの打合せをするのに、米軍に盗聴されるのを覚悟の上で国際電話を使用したのだが、盗聴されてもわからないようにするために、鹿児島出身の外交官同士で会話をした。
当然米軍に盗聴されたが、早口の鹿児島弁だったため、そもそも日本語かどうかすら判別ができなかった。米軍自身が暗号にインディアンのナバホ族同士の会話を使用していた((これを「コードトーカー」という。))こともあり、アジアの諸言語まで検証した。
2ヶ月後、米陸軍情報部に勤める鹿児島出身の日系人((鹿児島弁で会話をしていた外交官のうちの一人と同郷で、渡米の際にお世話になった恩人だったという。))が「翻訳」して、ようやく内容がわかった。
---ちなみにこの方法による最初の通信は、5月の野村中将が出発する1週間前のことで、東京からの「モ タタケナー」(もう発ったかな)という問い合わせに対しドイツからは「モ イッキタツモス」(もうすぐ発ちます)と答えるなどしたという。こうした国際電
--この航海はすなわち彼女のU-511としての最後の航海となったのだが、ついでとばかりにインド洋で商船狩りを実施し、アメリカ商船2隻、計14,370tを撃沈している。
-1943年7月15日にマラッカ海峡のペナン港に寄港。野村中将と技師たちをここで下ろすと、U-511は日本人回航員を載せて「[[さつき1号>U-511改]]」の仮称で一路呉へと向かった。
--その途上の7月29日、U-511は浮上航行中に、高雄発シンガポール行きの「ヒ03船団」((かつての「太平洋の女王」浅間丸や元ニューヨークライナーの有馬山丸など、優秀船が数多く加入していた))と遭遇。
明らかに日本の潜水艦とは異なる、見慣れない塗装((U-511の塗装は大西洋仕様の緑灰色だった。))と形状の潜水艦を見つけ、船団の先頭を行くタンカー・御室山丸は敵潜と判断して発砲を開始。
[[どこかの輸送潜水艇>まるゆ]]よろしく、味方に敵と間違われたU-511であったが、回航員長だった奥田増蔵大佐が手旗信号と発光信号で説得を繰り返し、更に艦上で軍艦旗を大きく振って、御室山丸の誤解を解かせたのであった。
--その後、臨検に訪れた護衛の海防艦[[択捉]]に事情を説明して、やっと船団側は納得に至ったという。
-1943年8月7日にU-511は呉軍港に到着。9月に入って艦籍が日本に移り、[[呂号第五〇〇潜水艦>呂500]]に改称された。
-U-511時代の艦長は2名おり、前述のシュタインホフ大尉(後に少佐)と、26歳のフリッツ・シュネーヴィント中尉((ドイツ語でシュネーは雪、ヴィントは風。つまり「[[雪風]]」中尉である。1943年3月1日、大尉に昇進した。))の二人。
--シュタインホフ少佐はU-511退艦後、IX D/2型((IXC型から更に大型化する事で航続距離も延長した巡洋潜水艦タイプ。2隻がドイツ敗戦時に日本海軍に接収され、戦利潜水艦伊501・伊502となっている。))の新鋭艦U-873に乗艦。
最初の哨戒航海でアメリカ東海岸にまで遠征を行ったが、哨戒中にドイツが敗戦し、1945年5月16日にポーツマス軍港付近で降伏。
捕虜としてマサチューセッツ州ボストン、チャールズ・ストリートの刑務所に送還された。ここは民間の犯罪者も収監されていた一般的な刑務所であり、軍人向けの捕虜収容所に送られるまでの一時的な処置であった。5月19日に同刑務所内で自殺している。
--シュネーヴィント大尉は東京で盛大な歓迎を受けた後に、元U-511乗員らと再びインド洋に戻り、IX C/40型のU-183の艦長に就任。
インド洋を転戦しドイツ十字金章を授与される栄誉を得たが、ドイツ敗戦間際の1945年4月23日にジャワ海にて、米潜水艦「ベスゴ(SS-321)」の攻撃により乗艦U-183と、救助された一人を残したクルー全員と共に海色の波間に消えた。
-Uボート(U-Boot、ウーボート)という単語は元来、Unterseeboot(ウンターゼーボート、英語に変換するとundersea boat、すなわちsubmarine)の略語でありドイツ語で単に「潜水艦」を意味するのだが、ドイツ国外でUボートと言うと第一次・第二次世界大戦期のド
--UボートのアルファベットのUは、ドイツ語では「ウー」と読み、英語・日本語では「ユー」と読む、なのでドイツ語読みでは上記のように「ウーボート」と読むが日本では「ユーボート」と一般的に読まれることが多い。(これは「シュトゥーカ」を「スツーカ」と
---彼女が「ユーとお呼びください。」と言っているのもこのせいかと思われる。&color(gray){%%「うーちゃん」って呼んでいいのは[[うーちゃん>卯月]]だけぴょん!%%};
-イラストが全体的にやや青白いが、イラストレーターいわく「[[水中表現に青緑系の色味に振ってある:https://twitter.com/humikane/status/564118000593162241]]」との事。血色が悪いというわけではないらしい。
--カードでは確認しづらいが、通常絵の魚雷発射管や中破絵の随所に見られる気泡も同様に水中表現だろう。&color(Silver){つまり秘書艦にすると執務室が水没する。};
--また、全体図を見ると実に歩き難そうな靴を履いていることが分かるが、「[[腕とももの金部分から先は、陸では脱ぐ:https://twitter.com/humikane/status/564120152636018688]]」らしい。
---よく見ると該当部分に取り外し用のファスナーのようなものが描かれている。
---公式4コマ第83話で実際に脱いでいた。
--右手に持っているのは、「[[10.5cm砲:https://twitter.com/humikane/status/564512422019358720]]」。糸鋸の刃のようなパーツは「[[敵潜が散布した防潜「毛」を処理するカッター:https://twitter.com/humikane/status/564122724159586304]]」らしい。
---防潜毛とは一体…。深海棲艦の謎は深まるばかりである。
史実なら対潜「網」だが、戦ってる相手は深海棲艦だから誤変換じゃないのかも…。
ちなみに史実の防潜網((文字通り、潜水艦を防ぐ網。「網」と言っても鋼鉄製である。防潜網カッターは、防潜網を突き破るためというよりは、引っかかった時の脱出用である。))は駆逐艦や駆潜艇(駆逐艦より一回り小さい対潜艦艇)も泊地周辺等に敷設するほか、
--実際、大西洋の海の色に合わせてUボートは白灰色で塗装されていたので、史実通りである。
-U-511とともに来日したHansSchmidt博士は、船体用の電気溶接性高張力鋼板の技術を日本に伝授した。結果として日本海軍はドイツのSt52に匹敵する性能を持つ鋼板の開発に成功する。鋼板は[[伊201型潜水艦>伊203]]に採用されたが、大戦末期であり実戦には投入さ
--戦時こそ活躍の場が無かった電気溶接性高張力鋼板だが、昭和27年頃我が国の工業の各方面から溶接性に優れた高張力鋼が要望され、戦後復興に大いに役立ち昭和34年にSM50としてJISに制定された。
--ところが日本の戦後復興の恩人たるHansSchmidt博士は、戦後変名して消息を絶ってしまったようだ。ドイツにおける「ヒトラーの協力者」の扱いの片鱗が見える…。
*戦歴 [#e66f9183]
#fold(折りたたみ){{
-ドイツ海軍が建造したIXC型Uボートの1隻。1939年10月12日、ハンブルク造船所に発注。1941年2月21日に起工し、9月22日に進水。そして1941年12月8日に竣工した。初代艦長としてフリードリヒ・シュタインホフ大尉が着任した。まず第4潜水隊群に編入され、12月18
-1942年4月17日にどうにかキールを出発し、バルト海で訓練。5月6日から13日にかけてピラウで第26潜水隊群と魚雷演習。5月20日から29日にかけては第27潜水隊群と戦術演習を行った。5月27日、シュチェチンの造船所にて水中用ロケット発射装置を搭載し、ペーネミ
-7月16日、キールを出撃。最初の狩りに赴いた。2日後、前進拠点のクリスチャンサンに入港して燃料補給を行い、同日中に出発。敵の厳重な警備を突破してデンマーク海峡を通過し、北大西洋、カリブ海、ウィンドワード海峡を狩り場とした。7月29日、ウルフパック
-10月24日、ロリアンを出撃して二度目の戦闘航海に出る。11月9日、ウルフパック「Schlagetot」に参加。連合軍が北アフリカへの上陸(トーチ作戦)を始めたため迎撃に向かったが、シュタインホフ艦長が発病したため早期に帰投しなければならなくなった。11月21日
-12月31日、ロリアンを出港。中部大西洋沿岸とアゾレス諸島の南北を狩り場に定めた。1943年1月9日17時25分、水平線に浮かぶマストの先端を確認して攻撃を開始。21時42分、カナリア諸島西方で敵船に対し2本の魚雷を発射し、イギリス船舶''ウィリアム・ウィルバ
-1943年2月26日、ヒトラー総統はインド洋での通商破壊を促進するために同盟国日本にUボート2隻の無償譲渡を決定。デーニッツ提督が反対したが、即座に却下された。こうしてU-511は遠く離れた日本に向かう事になり、帰国する野村直邦中将とその軍医杉田少佐、
-1943年5月10日13時、ロリアンを出港。5月26日にフリータウンの西方でU-460と合流し、燃料や潤滑油の補給を受ける。翌27日、3ノットで潜航しながら赤道を南下した。喜望峰沖は一年中天候が荒れている難所で、敵国イギリスの舎弟である南アフリカ連邦が目を光
-7月29日16時50分、道中でヒ3船団と遭遇。日本の潜水艦とは明らかに違う見た目から敵と誤認され、御室山丸から3発の発砲を受ける。慌てて奥田大佐が軍艦旗を振ったり、手旗信号を送った事で何とか誤解を解いた。海防艦択捉が臨検を行い、攻撃した事について謝
-8月23日、呉を出港して大竹の潜水学校に移動。8月30日までU-511乗組員から操艦方法を習った。8月31日より日本人乗組員によって操艦され、訓練や潜航の演習を瀬戸内海で行った。そして9月15日に大竹を出発し、神戸に回航。翌16日、帝國海軍籍となって「呂500
}}
*この艦娘についてのコメント [#comment]
#fold(過去ログ){{
#ls(./)
}}
#pcomment(U-511/コメント8,reply,15)
終了行:
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|>|>|>|>|~No.231|
|&attachref(./231_2nd.jpg,nolink,いろいろあるんです。いろいろ。);|>|U-511(ゆー511)|>| UボートIXC型 潜水艦|
|~|>|>|>|~艦船ステータス(初期値/最大値)|
|~|~耐久|8|~火力|2 / 8|
|~|~装甲|4 / 16|~雷装|22 / 58|
|~|~回避|18 / 44|~対空|0|
|~|~搭載|0|~対潜|0|
|~|~速力|低速|~索敵|8 / 28|
|~|~射程|短|~運|30 / 63|
|~|>|>|>|~最大消費量|
|~|~燃料|10|~弾薬|20|
|~|>|>|>|~装備|
|~|>|>|>|[[WG42 (Wurfgerät 42)>WG42 (Wurfgerat 42)]]|
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|~|>|>|>|COLOR(gray):装備不可|
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|>|>|>|>|~改造チャート|
|>|>|>|>|''U-511'' → [[U-511改]](Lv35) → [[呂500]](Lv55)|
|>|>|>|>|~図鑑説明|
|>|>|>|>|LEFT:ドイツ海軍のUボート、潜水艦U-511……です。&br;頑張って、ここまで来ました。&br;皆と仲良くなれたら…いいなって…ここの文化に馴染めたらいいなって…思います。|
※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。
#fold(CV:茅野愛衣、イラストレーター:島田フミカネ (クリックするとセリフ一覧が開きます)){{
CV:茅野愛衣、イラストレーター:島田フミカネ
#shadowheader(2,定型ボイス一覧)
#table_edit(U-511/定型ボイス)
~
#shadowheader(2,時報ボイス一覧)
-[[呂500]]にて実装
//#table_edit(U-511/時報ボイス)
~
#shadowheader(2,季節ボイス一覧)
#table_edit(U-511/季節ボイス)
~
}}
*ゲームにおいて [#about]
-2015年2月6日アップデートで実装された。
--同日から始まった15冬イベント「[[迎撃!トラック泊地強襲]]」の[[E-3>迎撃!トラック泊地強襲#area3]]クリア報酬。
--その後いくつかのイベント海域でのドロップとして入手可能となっているが、現在のところ通常海域でのドロップや建造では入手不可。
-[[Bismarck]]、[[Z1]]、[[Z3]]、[[Prinz Eugen]]に続いて、実装5隻目のドイツ生まれ艦娘。
--2度の改装を経て[[呂500]]となる。[[響]]→[[Верный]]に続いて、国籍と艦名がともに変化する艦としては2隻目となる。
--他のドイツ生まれ艦娘と違い、U-511だけは史実でも本当に日本に来ている。
他のドイツ艦娘の参戦に釈然としていなかった提督がいたとしても、この娘だけは安心して使えるであろう。
--''ドイツ艦だが、建造で[[Z1]]、[[Z3]]、大型で[[Bismarck]]が建造できるかは[[Prinz Eugen]]共々要検証''。
少なくとも100回程度では出ない模様。
**基本性能について [#spec]
-未改装の彼女は、近代化改修をしていない[[まるゆ改]]に匹敵するほど柔らかい。
まるゆ改よりわずかに装甲値が高いものの、逆に「8」という数値のせいでまるゆ改と比べてダメージの端数切り捨ての恩恵がない。
耐久2以下で大破判定になるので、育成する際は目を離さず大事に育ててあげよう。
-U-511実装によりようやく実用的な意味でのオール潜水艦の艦隊が組めることとなった。
//-オリョールで各種ウィークリーを消化する際にも有用。通常のオリョクルと違いフル編成する以上多少資源は減るが、そもそも潜水艦/潜母は他艦種と比べて元々消費や入渠時間が少ないのに火力は非常に高いためそれを6隻同時投入するとすごい勢いで任務を消化
&br;
-2スロット目を獲得できる最初の改装Lvが35と低いので、演習や5-2-1(空襲マス)だけの育成でもさほど期間は要さないだろう。
**キャラクター設定について [#character]
-最初は日本語が拙い彼女も、異国の文化と鎮守府の空気に馴染んだ結果、呂500への改装で姿が一気に変わる。
--どうなったかは[[該当ページ>呂500]]へ。%%今日も鎮守府は平和です。%%
-イベントクリアの報酬として実装されたため、当初はU-511と呂500を両立することは不可能だった。変化が非常に大きいため改装するか悩んだ提督も多いとか。
--その後イベント海域でドロップするようになったので、現在は頑張れば両立可能。
**過去イベントのドロップ状況 [#drop]
#fold(過去イベントのドロップ状況){{
過去イベントのドロップ状況
-2015春イベでU-511のドロップが確認された。これにより、U-511と呂500の同時持ちが可能となった。
--ただし最終海域であるE-6のボスS勝利限定、しかもドロップ率は決して高くない。連合艦隊MAPな上に決戦支援もないとS勝利が安定しないため、保有資材とよく相談して掘るかどうか決めよう。
--ちなみにドロップ数には制限がない。すなわち呂500牧場でFaT魚雷をかき集めると命中が非常に高い潜水艦隊が作れないことはない。
--&color(Silver){Romaや酒匂を狙って無意識にU-511が集まる提督もいる模様。};
-2015夏イベでもドロップが確認されている。
--ドロップするのはE-5海域のボスマス(甲のみ)とGマス(乙難易度以上)、共にS勝利が条件である。
--このうちGマスは潜水艦1隻で羅針盤を固定できる上に道中含めて2戦、通常艦隊で出撃するMAP、支援無しでもS勝利が比較的容易、など2015春イベントと比較すると非常に資材に優しい。
-2015秋イベはE-4海域のボスマス(全難易度)においてS勝利でドロップ。
--連合艦隊MAPであるが丙での掘りは潜水棲姫対策に第二艦隊を対潜特化させると比較的容易。空母機動部隊の場合はJマス・Mマス攻略で弱体化させておくとS勝利はほぼ確実。
--&color(Silver){こちらはGraf ZeppelinやRomaを狙って無意識に手に入れる提督もいる模様};
--ちなみに確率は圧倒的にGrafより低く、Romaとはいい勝負。
-そして2016年春イベではE-3海域の道中でドロップが確認されている。彼女の持参する装備は後半海域で有効なもののひとつであったためか、これまでに比べるとかなり掘りやすくなっている模様。
-2017年冬イベでもE-1海域のIマスでドロップが確認された。丙でも確認され対潜装備さえあれば掘りに行く事は難しくなかった。&color(Silver){しかしどの難易度でもドロップ率はかなり絞られていたようで…};
-2017年夏にて改装後の呂500と同時に限定グラフィックの里帰りmodeが実装。
同じキャラで改装前後の同時実装という非常に珍しい形となったが、こちらも日焼けして小麦肌に白スク水という改装後に近い姿のため、17年夏イベで彼女を初入手した提督は通常絵を見たらあまりの差に驚くかもしれない。
-2019年夏イベではE-1海域のボスマス(全難易度)においてS勝利でドロップ。
--通常艦隊MAPで、同じくボスマスでドロップするRichelieuの特効が強力だった。
--余談ではあるが、当イベント直前に新たな対地装備(艦載型 四式20cm対地噴進砲)が本実装されている。前回イベではWG42不足だった提督も、本艦の持参装備やイベント報酬などで、この夏一気に対地装備が増えたことだろう。
-2020年梅雨・夏イベではE-3海域のボスマスでドロップが確認された。U-511のみならず、[[伊13]]や[[伊14]]といったレア艦をはじめ、当時実装済みだったすべての潜水艦がドロップしたため、潜水艦戦力の増強に励んだ提督も多かった模様。
-その後も、2020年秋・冬イベE-3海域ボスマス、2021年夏イベE-2海域ボスマスでドロップ。今後も、欧州方面への出撃時に邂逅のチャンスが訪れると思われる。
}}
**[[限定グラフィック>艦娘カード一覧(期間限定グラフィック)]] [#graphic]
-2017年8月12日のオンメンテナンスにて期間限定グラフィック【里帰り水着mode】が実装された。
--慣れない異国に連れてこられて内気だったゆーちゃんが、[[しおい>伊401]]達と遊びまわりながら馴染んでいき、[[ろーちゃん>呂500]]へと変わっていく過程を思わせるものとなっている。
--中破すると、服は破けないが、アイスクリーム頭痛に悩まされる。
-
#fold(限定イラスト:里帰り水着mode){{
限定イラスト:里帰り水着mode
&attachref(./231_Summer_2nd.jpg,nolink,);
}}
*小ネタ [#trivia]
-ドイツ海軍のIX C型Uボートの1隻。((IXはローマ数字の"9"。第二次大戦期ドイツ潜水艦の形式名はI型からローマ数字を用いて名付けられている。なおローマ数字記号は機種依存文字のためwikiなどでは「I」と「X」の組み合わせで代替表記されているケースが多い
--IX型Uボートは、I A型Uボートの改良型として建造された1,000~1,600t級の航洋型潜水艦。
IX C型はその中でも最も一般的な艦であり、VII C型(「7C型」 映画「Uボート」の主役艦U-96など、多くの人が「Uボート」と言われて思い浮かぶあの艦)と並びドイツ海軍の潜水艦戦隊の中核を為した名艦である。
---複殻式構造((船体が二重構造になっていて、二重構造の隙間に海水タンクや重油タンクを設ける方式の潜水艦。艦これ登場艦では伊401もこの方式。))((なお一般的な伊号潜やガトー級などはVII C型と同じサドルタンク(半複殻)式を採用している。))を採っている
この恩恵から水中速度や対潜戦での生存性、安全潜航深度に優れ、VII型より一回り大きいだけにもかかわらず、2倍近い航続力を発揮できるようになった。
---但しその分建造費や工数がかかり、改良型も含め700隻が建造されたVII型とくらべ、改良型のIX C/40型を含めても194隻と生産数は%%VII型よりは%%少数にとどまっている((日本で最多の竣工数を達成した巡潜乙型が20隻、アメリカのバラオ級の竣工数は120隻であ
--IX C型はU-505が連合軍に鹵獲されており、博物館船として現存する4隻の第二次世界大戦時のドイツの大型潜水艦の中の1隻となっている。
U-505はシカゴのシカゴ科学産業博物館に寄贈されており、IX C型Uボートは艦これ実装艦の中では唯一完全な形で現存していて、その姿を現在も見ることが出来る枢軸国の艦である。
[[前方、広角:http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/da/U505wide.jpg]]、[[前方2:https://pbs.twimg.com/media/B9K5bHTCMAIYYmX.jpg:orig]][[前方3:http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/ce/U505_at_Science_Museum.jpg]]、[[後方、
魚雷の位置や照明の色合いなどフミカネ氏がU-511を描く際におそらく参考にしたであろう事が見て取れる。
-初の艦底の色が艦底色(ココアブラウン、ハルレッドなどの赤茶色っぽい色)でない艦娘。艦底の色は黒。
--現在実装されてる艦娘の中で艦底の色が艦底色でない艦は当艦と[[緑色>Littorio]][[の各>Roma]][[イ>Zara]][[タ>Pola]][[リア艦>Libeccio]]である。
---一時期は[[大和型>大和]][[戦艦>武蔵]]、[[伊四百型潜水艦>伊401]]も艦底色が緑色だったとの説があるが現在では艦底色が有力とされている。
-U-511はハンブルクのドイチェ・ヴェルフト社307番ヤードにて建造され、1941年9月22日に進水、奇しくも太平洋戦争勃発翌日の1941年12月8日に竣工している。
その後慣熟訓練の後、第4Uボート戦隊に加えられた。
-1942年の5月には潜水中におけるロケット弾の発射実験を行っている。
--当時のU-511艦長だったフリードリッヒ・シュタインホフ大尉がロケット技術者の兄、エルンスト・シュタインホフ博士と「ロケットによる対地攻撃が可能な潜水艦」を考えだしたのが原因で、実験に供されたそうである。
U-511は甲板に陸軍用のネーベルヴェルファーを改造したWurfkörper 42 30cmロケット弾が6つ収まったラックを装着したまま潜水し、潜航深度12mからこれを発射。
結果、見事発射実験は成功した。
--しかし、狙いが不正確であることや、外付けのラックとロケット弾の産み出す水中抵抗がUボートの操縦性や速度・航行距離に悪影響を及ぼすなどの問題も露呈し、計画は破棄されたという。
だが「ロケットによる対水上・対地上攻撃可能な潜水艦」というコンセプトそのものはドイツ海軍上層部に支持され、計画はV2ロケットの運用((さすがにUボート自体に搭載は出来ないので、V2ロケットを搭載した発射サイロを曳航する計画だった。))にまで拡大し、
-その後は第10Uボート戦隊に移籍し、1942年7月から1943年3月までに3回の哨戒を実施。1942年12月にはシュタインホフ大尉に代わってシュネーヴィント中尉が艦の指揮を引き継いでいる。
フランスのロリアン軍港を起点に遠くはカリブ海まで哨戒航海を行い、タンカー2隻、貨物船1隻合計総トン数27,003トンを撃沈し、別のタンカー1隻、8,773トンを損傷させた。
-1943年5月、U-511は大尉に昇進していたシュネーヴィントの指揮下、マレーシアのペナン軍港経由で日本の呉軍港に向かうこととなった。
--その理由は技術交換の一環もあるがズバリ、「インド洋での日本海軍の通商破壊作戦の要請のため、通商破壊用の潜水艦のモデルとしてU-511を供与すること」。
---ドイツは前々からインド洋におけるインドとイギリスの通商網の破壊を考えており、インド洋付近まで勢力圏を持っていた同盟国日本の援助も得ながら、仮装巡洋艦やマレーシアのペナンを起点に活動した「モンスーン戦隊」などによる地道な通商破壊作戦を展開
しかしそれでは埒が明かないとヒトラー総統が日本海軍にインド洋での大規模な通商破壊作戦を要請したのである。
---その際に太平洋での運用を前提とした伊号では量産に不向きなことから、IX C型潜水艦を量産型の通商破壊用潜水艦のモデルシップとするために、無償供与することとしたのである。
--便乗者には日本海軍の駐在武官であった野村直邦中将や次期在日ドイツ大使、ドイツ人科学者や潜水艦技術者がいた。
---なおこの時に野村中将が思いつき、U-511出港前の報告としてある「暗号」を用いて交わされた国際電話が、アメリカ軍の暗号解読部隊を相当に手こずらせている。
---外務省と駐独日本大使館の間で帰朝のスケジュールの打合せをするのに、米軍に盗聴されるのを覚悟の上で国際電話を使用したのだが、盗聴されてもわからないようにするために、鹿児島出身の外交官同士で会話をした。
当然米軍に盗聴されたが、早口の鹿児島弁だったため、そもそも日本語かどうかすら判別ができなかった。米軍自身が暗号にインディアンのナバホ族同士の会話を使用していた((これを「コードトーカー」という。))こともあり、アジアの諸言語まで検証した。
2ヶ月後、米陸軍情報部に勤める鹿児島出身の日系人((鹿児島弁で会話をしていた外交官のうちの一人と同郷で、渡米の際にお世話になった恩人だったという。))が「翻訳」して、ようやく内容がわかった。
---ちなみにこの方法による最初の通信は、5月の野村中将が出発する1週間前のことで、東京からの「モ タタケナー」(もう発ったかな)という問い合わせに対しドイツからは「モ イッキタツモス」(もうすぐ発ちます)と答えるなどしたという。こうした国際電
--この航海はすなわち彼女のU-511としての最後の航海となったのだが、ついでとばかりにインド洋で商船狩りを実施し、アメリカ商船2隻、計14,370tを撃沈している。
-1943年7月15日にマラッカ海峡のペナン港に寄港。野村中将と技師たちをここで下ろすと、U-511は日本人回航員を載せて「[[さつき1号>U-511改]]」の仮称で一路呉へと向かった。
--その途上の7月29日、U-511は浮上航行中に、高雄発シンガポール行きの「ヒ03船団」((かつての「太平洋の女王」浅間丸や元ニューヨークライナーの有馬山丸など、優秀船が数多く加入していた))と遭遇。
明らかに日本の潜水艦とは異なる、見慣れない塗装((U-511の塗装は大西洋仕様の緑灰色だった。))と形状の潜水艦を見つけ、船団の先頭を行くタンカー・御室山丸は敵潜と判断して発砲を開始。
[[どこかの輸送潜水艇>まるゆ]]よろしく、味方に敵と間違われたU-511であったが、回航員長だった奥田増蔵大佐が手旗信号と発光信号で説得を繰り返し、更に艦上で軍艦旗を大きく振って、御室山丸の誤解を解かせたのであった。
--その後、臨検に訪れた護衛の海防艦[[択捉]]に事情を説明して、やっと船団側は納得に至ったという。
-1943年8月7日にU-511は呉軍港に到着。9月に入って艦籍が日本に移り、[[呂号第五〇〇潜水艦>呂500]]に改称された。
-U-511時代の艦長は2名おり、前述のシュタインホフ大尉(後に少佐)と、26歳のフリッツ・シュネーヴィント中尉((ドイツ語でシュネーは雪、ヴィントは風。つまり「[[雪風]]」中尉である。1943年3月1日、大尉に昇進した。))の二人。
--シュタインホフ少佐はU-511退艦後、IX D/2型((IXC型から更に大型化する事で航続距離も延長した巡洋潜水艦タイプ。2隻がドイツ敗戦時に日本海軍に接収され、戦利潜水艦伊501・伊502となっている。))の新鋭艦U-873に乗艦。
最初の哨戒航海でアメリカ東海岸にまで遠征を行ったが、哨戒中にドイツが敗戦し、1945年5月16日にポーツマス軍港付近で降伏。
捕虜としてマサチューセッツ州ボストン、チャールズ・ストリートの刑務所に送還された。ここは民間の犯罪者も収監されていた一般的な刑務所であり、軍人向けの捕虜収容所に送られるまでの一時的な処置であった。5月19日に同刑務所内で自殺している。
--シュネーヴィント大尉は東京で盛大な歓迎を受けた後に、元U-511乗員らと再びインド洋に戻り、IX C/40型のU-183の艦長に就任。
インド洋を転戦しドイツ十字金章を授与される栄誉を得たが、ドイツ敗戦間際の1945年4月23日にジャワ海にて、米潜水艦「ベスゴ(SS-321)」の攻撃により乗艦U-183と、救助された一人を残したクルー全員と共に海色の波間に消えた。
-Uボート(U-Boot、ウーボート)という単語は元来、Unterseeboot(ウンターゼーボート、英語に変換するとundersea boat、すなわちsubmarine)の略語でありドイツ語で単に「潜水艦」を意味するのだが、ドイツ国外でUボートと言うと第一次・第二次世界大戦期のド
--UボートのアルファベットのUは、ドイツ語では「ウー」と読み、英語・日本語では「ユー」と読む、なのでドイツ語読みでは上記のように「ウーボート」と読むが日本では「ユーボート」と一般的に読まれることが多い。(これは「シュトゥーカ」を「スツーカ」と
---彼女が「ユーとお呼びください。」と言っているのもこのせいかと思われる。&color(gray){%%「うーちゃん」って呼んでいいのは[[うーちゃん>卯月]]だけぴょん!%%};
-イラストが全体的にやや青白いが、イラストレーターいわく「[[水中表現に青緑系の色味に振ってある:https://twitter.com/humikane/status/564118000593162241]]」との事。血色が悪いというわけではないらしい。
--カードでは確認しづらいが、通常絵の魚雷発射管や中破絵の随所に見られる気泡も同様に水中表現だろう。&color(Silver){つまり秘書艦にすると執務室が水没する。};
--また、全体図を見ると実に歩き難そうな靴を履いていることが分かるが、「[[腕とももの金部分から先は、陸では脱ぐ:https://twitter.com/humikane/status/564120152636018688]]」らしい。
---よく見ると該当部分に取り外し用のファスナーのようなものが描かれている。
---公式4コマ第83話で実際に脱いでいた。
--右手に持っているのは、「[[10.5cm砲:https://twitter.com/humikane/status/564512422019358720]]」。糸鋸の刃のようなパーツは「[[敵潜が散布した防潜「毛」を処理するカッター:https://twitter.com/humikane/status/564122724159586304]]」らしい。
---防潜毛とは一体…。深海棲艦の謎は深まるばかりである。
史実なら対潜「網」だが、戦ってる相手は深海棲艦だから誤変換じゃないのかも…。
ちなみに史実の防潜網((文字通り、潜水艦を防ぐ網。「網」と言っても鋼鉄製である。防潜網カッターは、防潜網を突き破るためというよりは、引っかかった時の脱出用である。))は駆逐艦や駆潜艇(駆逐艦より一回り小さい対潜艦艇)も泊地周辺等に敷設するほか、
--実際、大西洋の海の色に合わせてUボートは白灰色で塗装されていたので、史実通りである。
-U-511とともに来日したHansSchmidt博士は、船体用の電気溶接性高張力鋼板の技術を日本に伝授した。結果として日本海軍はドイツのSt52に匹敵する性能を持つ鋼板の開発に成功する。鋼板は[[伊201型潜水艦>伊203]]に採用されたが、大戦末期であり実戦には投入さ
--戦時こそ活躍の場が無かった電気溶接性高張力鋼板だが、昭和27年頃我が国の工業の各方面から溶接性に優れた高張力鋼が要望され、戦後復興に大いに役立ち昭和34年にSM50としてJISに制定された。
--ところが日本の戦後復興の恩人たるHansSchmidt博士は、戦後変名して消息を絶ってしまったようだ。ドイツにおける「ヒトラーの協力者」の扱いの片鱗が見える…。
*戦歴 [#e66f9183]
#fold(折りたたみ){{
-ドイツ海軍が建造したIXC型Uボートの1隻。1939年10月12日、ハンブルク造船所に発注。1941年2月21日に起工し、9月22日に進水。そして1941年12月8日に竣工した。初代艦長としてフリードリヒ・シュタインホフ大尉が着任した。まず第4潜水隊群に編入され、12月18
-1942年4月17日にどうにかキールを出発し、バルト海で訓練。5月6日から13日にかけてピラウで第26潜水隊群と魚雷演習。5月20日から29日にかけては第27潜水隊群と戦術演習を行った。5月27日、シュチェチンの造船所にて水中用ロケット発射装置を搭載し、ペーネミ
-7月16日、キールを出撃。最初の狩りに赴いた。2日後、前進拠点のクリスチャンサンに入港して燃料補給を行い、同日中に出発。敵の厳重な警備を突破してデンマーク海峡を通過し、北大西洋、カリブ海、ウィンドワード海峡を狩り場とした。7月29日、ウルフパック
-10月24日、ロリアンを出撃して二度目の戦闘航海に出る。11月9日、ウルフパック「Schlagetot」に参加。連合軍が北アフリカへの上陸(トーチ作戦)を始めたため迎撃に向かったが、シュタインホフ艦長が発病したため早期に帰投しなければならなくなった。11月21日
-12月31日、ロリアンを出港。中部大西洋沿岸とアゾレス諸島の南北を狩り場に定めた。1943年1月9日17時25分、水平線に浮かぶマストの先端を確認して攻撃を開始。21時42分、カナリア諸島西方で敵船に対し2本の魚雷を発射し、イギリス船舶''ウィリアム・ウィルバ
-1943年2月26日、ヒトラー総統はインド洋での通商破壊を促進するために同盟国日本にUボート2隻の無償譲渡を決定。デーニッツ提督が反対したが、即座に却下された。こうしてU-511は遠く離れた日本に向かう事になり、帰国する野村直邦中将とその軍医杉田少佐、
-1943年5月10日13時、ロリアンを出港。5月26日にフリータウンの西方でU-460と合流し、燃料や潤滑油の補給を受ける。翌27日、3ノットで潜航しながら赤道を南下した。喜望峰沖は一年中天候が荒れている難所で、敵国イギリスの舎弟である南アフリカ連邦が目を光
-7月29日16時50分、道中でヒ3船団と遭遇。日本の潜水艦とは明らかに違う見た目から敵と誤認され、御室山丸から3発の発砲を受ける。慌てて奥田大佐が軍艦旗を振ったり、手旗信号を送った事で何とか誤解を解いた。海防艦択捉が臨検を行い、攻撃した事について謝
-8月23日、呉を出港して大竹の潜水学校に移動。8月30日までU-511乗組員から操艦方法を習った。8月31日より日本人乗組員によって操艦され、訓練や潜航の演習を瀬戸内海で行った。そして9月15日に大竹を出発し、神戸に回航。翌16日、帝國海軍籍となって「呂500
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*この艦娘についてのコメント [#comment]
#fold(過去ログ){{
#ls(./)
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#pcomment(U-511/コメント8,reply,15)
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