マシンガン

Last-modified: 2010-01-18 (月) 17:07:45


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武器名攻撃力連射力反動正確度機動性装弾数価格
MG4260100302030200/200初期装備
DP2872100403030150/15031000
BredaMod30853040308520/12037000


MG42



MG42.jpg
解 説
MG42 は MG34 を改善する更なる試み、特にコストダウンと量産性の向上を目的に、メタル・ウント・ラキーア・ヴァーレン・ファブリーク・ヨハネス・グロスフス株式会社("Metall- und Lackierwarenfabrik Johannes Großfuß AG"、以下「グロスフス社」)により開発された。
内部構造は MG34 のショートリコイル構造に類似しているものの、ボルトロック機構は回転閉鎖式ではなく、ポーランドのエドヴァルト・シュテッケ (Edward Stecke) から取得した特許を基礎にしたローラーロッキング機構を採用している。結果、MG34よりも泥や埃に強くジャミングしにくくなった。1942年から本格的量産のための生産設計が、グロスフス社、マウザー・ヴェルケ社(Mauser- Werke、日本独自の間違った発音ではモーゼル)、グストロフ・ヴェルケ社 (Gustloff-Werke) ほかとの契約のもとに開始された。
戦時中の量産数は400,000丁を超える。これを可能にしたのは、プレス加工の多用により MG34 のおよそ半分の人手や低いコスト(MG34 は150人で327ライヒスマルク、MG42 は75人で250ライヒスマルク)で製造できること、および金属を節約できる生産工程にあった。MG42 は、バイポッド(二脚)を含め11.6kgで、MG34 より軽量となり可搬性が向上した。二脚は銃の前部または中央部に取り付けることができたが、取り付け具の形状が異なるためMG34との互換性はない。さらに銃身ジャケットの形状に合わせ、新たに銃架が改修された専用三脚 "Lafette 42" が開発された(三脚自体の重量は20.5kg)。

DP28



DP28.jpg
解 説
1920年からソビエト軍部内でも軽機関銃の有効性を無視できず、開発を兵器設計局に指示している。ヴァシリ・A・デグチャレフにより1927年に試作されたDP1926が改良されて、翌年DP1928軽機関銃としてソビエト軍に制式採用となった。略号のうち"D"は開発者の名前"Degtyarova"を、"P"は"Pekhotniy"(歩兵)用を意味する。時々"P"は機関銃を意味する"Pulemyot"と解説される事もあるが、これは誤りである。
外見はスマートで軽量、分解も簡単に行うことができ、可動部品が6個しかないなどメンテナンスが容易だった。ガスピストン及びボルトハンドルと排莢口は一部品で製造され、また閉鎖ブロックと撃針が独立した部品となっていたので、壊れた場合交換が簡単にできた。しかし、設計上スプリングの配置に問題があり、熱膨張により作動不良をおこすこともあった。これは後継型のDPM1944では改良されている。
外見上の大きな特徴として上部に装着された47発入りの円盤型弾倉(パンマガジン)が挙げられる。 ソ連軍は帝政ロシア時代から現在に至るまで7.62mm×54R弾を使用しており、これは薬莢下部にリムが突出していたため、銃弾をまっすぐに並べることが出来ず必然的に弓形弾倉となり、その延長として円盤型になったのである。欠点としては、弾倉自体が大きく予備を持つのが大変だったことと、強度不足で変形による回転不良がおこりやすかったことが挙げられる。この弾倉を三つ入れることの出来るブリキの弾倉ケースも開発されたが、ひどくかさばるため途中から布製のケースを使用する様になった。

(c)Wikipedia DP28軽機関銃

Breda Mod 30



BredaMod30.jpg
解 説
Fucile Mitragliatore Breda modello 1930 は第二次世界大戦中に使用されたイタリア軍の標準的な軽機関銃である。完成度が低く、6.5×52mmのカートリッジは低火力であり、クリップの故障によるジャミングも多発した。

(c)Wikipedia Breda 30

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