メイン/2070年の男子高校生の日常

Last-modified: 2013-06-22 (土) 13:37:36

2070年の男子高校生の日常

最近、我ながら、妙なことが気になる。生活のあらゆる側面について、過去から現在まで、どのように変化してきたかが気になる。

原因はわかってる。100年くらい前に書かれたSF小説をいくつか読んだからだ。英語の勉強も兼ねて、著作権切れの小説ライブラリから、Arthur C. Clarke の作品などを拾ってきた。100年前の小説で描かれた未来世界。たまに、どきっとするくらい、現在の生活に近い描写がある。もちろん他の大半の夢は実現していないわけだが。

 

家の中、朝

机の上で、電話のアラームが鳴る。いつものように、だるい朝だ。机まで膝を引きずって電話の音を止める。あくびとため息の混合気体をひとつ吐き出し、机につかまってよろよろと立ち上がる。パジャマを脱ぎ、制服を着る。

これでも、僕はまだマシなほうだ。ひどく朝が苦手な奴は、電気枕を使って、起床時刻の30分前から脳に刺激を与えないと起きられないらしい。

 

台所の壁に貼られた画面を見る。画面はいくつかの領域に分割され、様々な情報を表示している。母が使っている領域では、うちの冷蔵庫の中身と、その食材を使った料理レシピが表示されている。他には、今日のニュースの見出しがスクロールしている領域や、カレンダー・時計・天気予報を表示している領域がある。

天気予報を見ると、この地域ではすでに小雨が降り始めていて、夕方には本降りになるだろう、と表示されていた。
僕 (今日は自転車はやめておくか…)
食パンに秋刀魚を挟んで食べる。あと味噌汁。
そういえば食卓に父がいないことに気づいた。
僕「父さんは海?」
母「うん」
父は、メタンハイドレート採掘所で使われる、なにかの部品を作る仕事をしている。今日は海上のプラットホームに出張してるってことだ。
僕「駅まで車に載せてもらおうと思ったのに」
うちで車の免許 (DA車限定だが) を持っているのは父だけ。うちは駅から遠い。今日は雨。
面倒くさいが、僕は電話を操作し、駅までのバスを注文した。雨だから近所の誰かがすでにバス運行の注文を出しているとは思うが、いちおう念のため。(昔のバスは、乗客の有無にかかわらず、一定のルートを一定のダイヤで運行していたそうだ) オートネゴの結果、遅刻ギリギリの時刻にバスが走ることになった。

 

歯磨き。電動歯ブラシは祖父母の時代からあったそうだ。当時から現代までの進歩といえば、せいぜい歯並びを認識して最適なブラッシングパターンを見つけたり、動作音が静かになったことくらいだ、と祖父が言っていた。そんな祖父は最近、もっとなめらかな磨き心地の、人工筋肉駆動の高級歯ブラシを買ったとか。
30秒くらいで口の中を一周させると、歯ブラシが「速すぎます」と警告を出した。ボタンを押して黙らせると、「虫歯なし」の表示が出た。

 

教科書デバイスひとつ、落書き用ノートと筆記用具。カバンに入れるのはこれだけ。
小学生に比べれば楽なものだ。いまだに日本の小学生は、紙の教科書をたくさん詰めた、重いランドセルを背負って学校に通っている。中学の教科書は電子化されてるのに、小学生は紙の教科書じゃないとダメとか。教育関係の有識者とやらの考えは、理解できない。

僕「行ってきます」
玄関を出る。道に出る直前で気づいた。雨が降っているのに、傘を持ってくるのを忘れた。
戻って玄関を開けようとすると、すでに自動で鍵がかかっていた。鍵穴に指紋を押し付けて鍵を開け、ドアを少し開けて隙間から手を伸ばし、傘を抜き出す。玄関が閉まる。僕は早足でバス停まで歩く。

 

バス、電車、車

ちょうどバス停に、近所の老人たちが集まってきたところだった。バス停の人感センサが老人らと僕を検知し、バス停の画面が切り替わる。乗車率が表示される。地図が表示され、バスのアイコンが動く。
バスが来た。2台のバスが車間距離2mで連接走行している。運転手がいるのは前のバスだけで、後ろのバスは前のバスを自動追尾する。何かの値を最適化するアルゴリズムに従って、運転手はバスをやや進めて、僕たちが後ろのバスに乗れるようにした。
昔のバスは、動力はエンジンだったし、車内の後部には段差があったそうだ。混雑状況によって連接運行に変えるなんていう柔軟なシステムもなかった。そもそも自動操縦で連接運行する技術がなくて、物理的に2台のバスを電車のようにくっつけた化け物バスを走らせたりしたそうだ。さぞかし不便な時代だっただろう。

 

タイヤの内部でモーターが回り、バスは静かに強く加速し、走った。
このバスのように、自動車のなかには、無線給電式の車もある。路面に埋め込まれたアンテナから、無線で電力を供給する方式だ。この方式の利点は、車を小型軽量にできること。車に発電機を積む必要がないし、バッテリーも小さくて済む。逆に欠点は、給電アンテナがない場所ではすぐに電池切れになること。だから、路面給電が普及した都市部でしか使われていない (しかし、僕の家のあたりのように、駅から遠いし川にはホタルが棲むような場所を「都市部」と呼んでいいのか)。
路面からの無線給電は、最初に、路線バスで実用化された。バスは、ほぼ一定のルートを走る。そのルートの数ヶ所に給電アンテナを埋め込むだけでいい。路線バスと無線給電は相性が良かったのだ。

 

雨の日だからバスの中は混んでいて、「人波のにおい」がした。このにおいは、およそ人がたくさん集まる場所では、ほとんどの場所にある…だからいつもは気づかない。このにおいは、学校では職員室でしか感じない。人波のにおいというか、おとなが集まったら自然に発生するにおいなのかもしれない。
カレー臭 (かれーしゅう) と言うそうだが、カレーとは全然違うにおいだと思う。

 

バスロータリーから駅まで、短い距離ながら、歩く必要がある。
バスから降りて駅に向かう大量の歩行者。その中に飲み込まれた不運なコンビニロボットがいた。歩行者を検知するたびに停止し、コンビニのサウンドロゴとともに挨拶の音声を再生し、数cm進んではまた歩行者を検知して止まる。あれでは配達が終わるのに何時間かかるやら。
さて、僕の毎度の無駄知識。この、冷蔵庫にタイヤをつけたようなコンビニロボット。これが作られる前は、コンビニといえば街のあちこちに店があって、客が足で買い物に行くものだったとか (まあ、今でもそういう店の名残りはあるが、僕は「コンビニ系列のスーパー」と認識)。最近、コンビニの自動配達のせいで現代人は運動不足だ老人の足腰が弱った、などと言われているが、その昔も、コンビニの照明がまぶしすぎる電気の無駄遣いだ不良の溜まり場だとか言われていたらしい。

 

駅。床は去年、透水タイルに張り替えられた。雨の日でも滑らない。
改札。床に目印が描いてあるだけの、ただの通路だ。電話をポケットに入れたまま通る。床に埋め込まれた改札機が電話から定期券を読み取り、僕を素通しする。
さて無駄知識。電車については、友人の鉄から聞いたことばかり。鉄は親子3代にわたる鉄オタだ。鉄に、なかば無理やり、昔の駅の写真を見せられたことがある。その改札は、ひどく通りにくそうに見えた。駅の外側と内側を隔てる国境のように、人の腰くらいの高さの壁が立っていて、壁の数ヶ所にはドアがついていた。壁についた読み取り機に切符を近づけるとドアが開くのだそうだ。ドアの幅は人の肩幅もないくらいだった。
当時、車椅子の老人は、どうやってこんな改札を通ったのだろう?

改札からホームに上がるエスカレーター。電気で動く階段。一段の広さは畳半畳ほど。段に人が乗り、上がっていくと、転落防止用の柵が床からせり上がってくる。
今のエスカレーターは一段が広いので、車椅子や大きな荷物も乗ることができる。
昔は違ったらしい。まず一段の奥行きがふつうの階段と同じ。だから、車椅子やベビーカーは乗れない。柵も出てこないから転落する。さらに、人の隙間を押しのけて、他の人や荷物を蹴飛ばして走っていくのがふつうだった。こういう急ぐ奴のために、急がない人は道を譲るのが礼儀だった。親子やカップルが横に並んで手をつないでエスカレーターに乗ることは非常識とされていた、とか。
現在のように、急ぐ人は階段へ、が常識になったのは、僕の親世代くらいか。きっかけは、東京の一部の駅で、階段にカロリーが表示されるようになったこと。階段の圧力センサが、体重や歩行パターンによって人を追跡し、階段を登りきったところで消費カロリーを表示する。この階段カロリー計、今ではエスカレーターの隣の階段にはほぼ100%設置されている。

2番線ホーム。床に描かれたS字模様に従って並んで電車を待つ。S字の先端はホームと線路をへだてる柵だ。柵は位置によって色分けされている。色は電車の種類に対応している。例えば柵が青いところは急行のドアがちょうどここに来ることを示す。電車が来た。電車のドアが開くと同時に、ホームの青い柵も下がって通れるようになる。また電車とホームの隙間・段差をなくすための板がせり出す。
鉄が言っていた。昔は、怖ろしいことに、ホームに柵がなかった。実際、ホームから線路に人が転落して電車に轢かれる、という事故は毎日のように起きていた。それに電車とホームの隙間が開いたままなので、転んだり物を落としたりした。

 

電車は、昔のSF小説で描かれた夢が、結局実現していない一例だ。浮上式リニアモーターではなく、普通のモーターと鉄の車輪。真空にしたトンネルの中を走るわけでもない。
だけど、電力効率、安全性、加減速性能、低騒音という点で、すごい進化してるんだぜ? と鉄が言ってた。

電車の中。乗客は、望むなら、電話で鉄道会社のサイトに行き、自分の「老人フラグ」をONに設定する。その乗客が、満席の椅子に近づく。椅子は、座っている人のうち老人フラグがOFFである人を誰かランダムに選び、その椅子の背中を押す。その人は立ち上がって、老人に席を譲る。
まあ、今のように、椅子に座っているのが全員老人だと意味がない。

僕は立ったまま、しばらく中吊り広告の電子ペーパーを眺めていたが、とくに面白い画面に切り替わるようでもなかったので、電話を取り出した。電車の中での暇つぶしの定番は電話だ。
ゲームを起動する。タンパク質合成ゲームをやったが、頭が疲れたので1分でやめた。世の中には、理屈はわからないが、スパコンよりも速くタンパク質合成を解けるような変態人間がいる。このゲームには製薬会社が景品を出しており、変態ゲーマーの中には景品を転売して生活している奴もいるとかいないとか。
もう少し軽いゲームがいい。切り替えた。次々に画像が出てきて、条件に合う場合は画面を押せ、というもの。例えば「不機嫌な顔」が出たら押せ、「歩き始めそうな人間」が出たら押せ。このゲームにはロボット会社が景品を提供している。僕ももう少し得点を貯めれば、本一冊くらいは買えそうだ。
ゲームが一区切りすると、画像一覧と他のゲーマーがつけたコメントを出す。画像ごとに「えーこれは違うでしょ」とか「これはウミウシ?それともナマコ?」といったコメントを誰かが書き込んでいる。僕も気まぐれにコメントする。電話を押して文字入力モードにする。声を出さずに口を動かす。電話のカメラが僕の口の動きを読み、文字に変換する。面倒なので誤変換の修正をせずに送信する。

 

駅から学校までは、歩いて15分くらいかかる。途中、わりとクルマが通る道路を渡る。なのに、そこの横断歩道には信号がない。うちの学校の生徒が立て続けに横断していると、当然、クルマは進めない。DA車、ドライビングアシスト車は、横断中の歩行者をカメラで認識すると、自動的に停止する。

以前こんなことがあった。学校の集会で、ある先生が「近隣の方から、我が校の生徒のせいでクルマが通れない、と苦情があった。クルマが通るとき、生徒は横断をやめるべきだ。うちの生徒には常識を持ってほしい」と言った。その数日後、生徒会長が「道路交通法第三十八条により、横断歩道を歩行者が横断中の場合は、停止義務は車両の側にある。我々生徒は法律に従って行動している。これをやめることが常識であるなら、先生や近隣のドライバーが言う常識とは何か。」と返したことがある。あれは痛快だった。

結局、優先である歩行者が、進めないクルマを哀れんで、たまには通してやる、という運用でカバー。しかし、たまに 非DAの旧型車がギリギリまで減速せずに近づくこともあり、冷や汗をかく。

非DA車には「クラクション」という、非常に大きな音を出す装置がついている。しかし、正しく道路交通法に従って運転すると、クラクションを使ってもよい場面というのは非常に限られている。らしい。
昔はクルマといえば、しょっちゅうクラクションを鳴らして、歩行者を蹴散らしたり、他のクルマに喧嘩を売ったりしていたらしい。
いまは、非DA車であっても、クラクションを鳴らすような運転手はいない。ある事件をきっかけに、しだいに、クラクションを鳴らすことの非人道性が広まったそうだ。
ある道路で、車Aと車Bがぶつかりそうになり、車Aの運転手は車Bを威嚇するためにクラクションを鳴らした。その非常に大きな音に驚いて、車Aや車Bとはまったく無関係な、たまたま近くを歩いていた老人が、驚いて転倒し、頭を打って死亡した。さらに、これに似た事件があちこちで起こった。
そんなわけで、クラクションを鳴らすのはほとんどの場合違法である、という知識が広まり、クルマの騒音がかなり軽減された。

 

学校

学校に着いた。

学校の隣は老人センター。昔、生徒が多かった時代は、その老人センターも学校の校舎だった。そのせいか、学校と老人センターの行き来は、わりと自由だ。たまに認知症の老人が、女子更衣室のあたりで捕獲される。
老人は昔、若者だった。しかし僕たち生徒には、老人になった経験がない。だからやはり、僕たち高校生にとって、老人はよくわからない存在だ。彼らが僕らを見る目は、記憶をたどる目。僕らが彼らを見る目は、外国人よりも遠い存在を見る目。

 

うちの高校には普通科理工系と普通科人文系の2コースがある。人数比はだいたい3:7か4:6、文系のほうが多い。
理系の奴も文系の奴も同じクラスにいて、基本科目は一緒に受ける。たまに理系はこっちの教室、文系はあっちの教室と分かれて、専門科目の授業を受ける。例えば英語・基礎数学・国語などは文系理系一緒だが、応用数学は理系のみ、漢文は文系のみ、のように。
昔、理系には女子がほとんどいなかったという。今でも理系では男子のほうが多いが、男女比は6:4くらいか。

僕はというと、わりと英語ができて、数学も苦にならなかったから、理系として入学した。実際、英語が理系文系の分かれ目という気がする。中学から、数学と理科の授業は英語で行われる。小学校までは算数が得意だったのに、中学から (英語のせいで) 数学が苦手になった、という奴も少なくない。とりあえず僕は、中学から今に至るまで、文系転向せずに続けられている。
まあ、昔は、日本語で理系科目を習ったあと、大学や就職後に同じ概念を英語で憶え直す必要があったのに比べれば、まだマシかもしれない。Cartesian product とか mathematical induction とかの概念を、まず日本語の漢字訳語で憶えて、そのあと英語で勉強しなおすなんて、無駄なことだ。

 

昔と今で大きな差といえば、たぶん、部活の扱いだろう。
昔は、部活は、単に若者の有り余ったエネルギーを発散するだけの余興にすぎなかった。
今、部活は、授業の一部として認められている。例えば、運動部はもちろん体育の単位に追加できるし、文化部は活動内容 (と顧問への裏工作) によって様々な科目の単位に追加できる。ボードゲーム部は数学に、ロボット部は物理に、考古学部は歴史や化学の単位になる。成績として表れるから、毎月の体育館ポスターセッションには気合を入れてのぞむ部が多い。
あと、複数の部活の掛け持ちが勧められている。最先端は異分野交流から生まれる、という名目だが、実のところ、1人の生徒を2~3人分にカウントしないと、この少子高齢化社会では部活を維持できないのだ。

 

保健の授業。今日は「うつ病」についての話。うつ病は現在の主要な死因のひとつ、症状はDSM-7によるとこれこれ、治療方法はこんなの、リスク要因と予防法、など。
昔、保健は独立した科目ではなく、保健体育といって体育のオマケだった。内容も、生殖器、酒/タバコの害、くらいだった。
現代の保健の授業内容は、かなり広い。性交や避妊の方法、酒/タバコ/薬物の害、市販薬の副作用、栄養素・料理、怪我の応急処置、肉体の経年変化、などなど。
なんでも、国民総介護士、を目指しているとか。

 

ほとんどの授業の後半には、10分くらい、問題集を編集する時間がある。
電子教科書を操作して、生徒はそれぞれ自分用に問題集を作る。例えば、教科書の一部をコピーして、その中の単語を隠して穴埋め問題にする、など。自分で作るのが面倒なときは、他の誰かが作った問題を持ってくることもできる。しかしたいてい、他の人が作った問題は、自分には読みづらい。

教科書は、問題それぞれについて、いつ学習したかを記録している。復習モードを開くと、教科書は最適な復習時期を見計らって、何日か前の問題を出題してくる。

 

数学の授業。おおむね、月・水・金に数学A、火・木に数学Bがある。数学Aは trigonometry (sin, cos, tan), log, exp, それから calculus, differential equation など。数学Bは「その他いろいろ」という感じで、 vector, matrix, combinatorics, statistics, graph theory, set theory など。
電子教科書を使うと、数式の変形を動画で見たり、数式をグラフで表示したり、理解の助けにはなる。それでもやはり数学は脳に負担がかかる科目だ。

 

物理の授業。Rigid body を教科書の中で動かして、坂を転がしたり互いにぶつけたりして、シミュレーションどおりの挙動を示すかを調べる。正直、先週やったような、現実世界で手を動かして、実際に滑車を回して実験するようなことは、シミュレーションが発達した現代では不要な気がするのだけど。
先生が言う。数学の Calculus がもっと進めば Moment of inertia をちゃんと計算で導くことができるが、いまの高校のカリキュラムでは、与えられた公式を盲目的に使え、となっている。どうにかならんものか、と。

 

英語の授業。英語じたいは小学校で6年間やってるし、中学からは英語の授業に加えて数学・理科の授業も英語で行われる。だから、ほとんどの生徒は、英語を読む・聞くことはある程度できる。英語の授業の焦点は、聞かれる・答える・議論する・主張する、ということを英語で行うことだ。
僕は、小学生から中学前半までは英語が得意だった。中学前半までの英語は、単語の暗記、聞く・読む、が中心だったからだ。でも中学後半から高校までの間に、しだいに英語の授業がキツくなってきた。僕は、たとえ日本語でも、おしゃべりをするのは苦手だ。ましてや英語で話すなんて。
ここ最近の英語の授業は、いろいろな国の学生と通話するというもの。多少訛った英語でも聞き取れるように、という目的らしい。とはいえ、時差の都合上、通話先はサモアからインドの範囲に限られている。
教室で席が近い 3~4人でグループになり、教科書を開いて通話する。教科書のカメラが僕たちの顔を撮影し、向こうの国に画像を送る。逆もしかり。今日の通話相手は、タイ人。僕の教科書に、ちょっと日焼けした感じの少年少女たちが表示された。
先生から配られた「お題カード」には…「交通手段」と書かれていた。
お題を無視して、女子が話し始める。
日女1「Your school uniform is so cute!」
タ女1「Thank you. Yours too, and it looks warmer than ours. Is it cold in Japan?」
日女1「Well, it's rainy today here, and sometimes in this month it was below fifteen degrees.」
タ女1「Really! I'd been shivering if I were there. It hardly goes below twenty degrees here even in December.」
そんな感じで、会話の主導権はほぼ女子に握られているので、英語の成績は女子の方が高い傾向にある。

 

昼休み。
昼食は様々だ。弁当、学食、買い食い。
コンビニロボットに配達させるのは「控えるように」という教師+生徒会からの圧力があるので、買い食いするなら近所のスーパーまで歩くことになる。
学食は高度に自動化されていて、調理や加熱はすべて自販機が行う。いわゆる「学食のばーちゃん」は、機械がトラブったときにリセットするために待機する役割だ。メニューでは、豚や牛を使った料理に印がついている。父母の時代には印がなかったそうだ。その時代には、外国からの生徒が珍しかったのだろう。

 

午後の授業。
体育。雨なので体育館で。
男子は卓球。まともに対戦しても卓球部が勝つだけなので…
「いくぞ! 最後にイウムがつくエレメンツ! …ヘリウム!」カッ! 「ソーディウム!」カッ! 「ポテイシウム!」カッ! 「…カーボン?」

 

女子は向こうで、どうやら護身術をやっているようだ。女の体育教師が張りのある声で指導している。
「いいかい娘たち! タマを打ったときの息苦しい痛みは想像を絶するそうだ! 中途半端に蹴るんじゃないよ! 思いっきり蹴り上げて、意識をなくしてやるのが情けってもんだ! この人形の股間を蹴って、ライトが3つついたら大成功、ライトが2つなら男は悶絶する、ライトが1つ以下なら失敗という判定だ!」
女子の甲高い話し声と、かけ声と、衝撃音。
聞いているだけで僕の下腹部が痛くなってくる。

 

今日の最後は、文系・理系に分かれて教室移動する。
理系は、数学A+の授業。数学Aは文系と共通だが、数学A+は理系だけ。だから、数学Aよりも突っ込んだ内容になる。例えば、数学Aで習った公式を、数学A+で証明する。
文系は、たぶん古典。明治よりも昔の文書を読むらしい。

 

部活、自転車

放課後。部活。
僕は自転車部と合唱部に入っている。今日は自転車部に出ることにした。
自転車部には、レースのために本気で鍛えている奴もいれば、のんびりと自転車旅行する奴もいるし、水泳部と陸上部(長距離)も兼部して「ひとりトライアスロン部」の奴もいる。
そして僕のように、自転車はあくまで日常の移動手段である、という奴もいる。このタイプの部員は、たまにしか使わない工具を借りにきたり、誰かのお下がりの部品をもらったり、修理やメンテを教えてもらったりして、ゆるーく参加している。

 

自転車という乗り物の形は、19世紀に発明された当時から、本質的には変化していない。
もちろん、技術の発達に従って、精密な変速器、ライトや発電機、速度計や距離計、ナビゲーション画面などの装備は追加されてきた。また9割がたの自転車は、モーターとバッテリーを搭載し、加速や登坂をアシストする。昔はモーターアシストといえばオバチャン専用というイメージだったらしいが、今ではアシストなしの自転車を見かけるのはレースか長距離旅行か発展途上国くらいだ。
乗り物の形は変わっていない。しかし、乗り方は変わったのかもしれない。
僕の祖父母の時代には、なんと、自転車が歩道を走っていたという。歩道には、足腰が弱った老人、視力や聴力が弱い障害者、乳幼児が歩く。その中を自転車が縫うように走っていたという。さらに、当時の警察は違法自転車を取り締まることがなかった (DAが発明される前だから自動車の取り締まりばかりしていたのだろう)。実際、夜中にライトをつけずに走る自転車や、電話をいじりながら前方不注意で走る自転車が、老人に衝突して死亡させたり怪我で寝たきりにさせたりする事故が頻繁に起きていたそうだ。
僕の父母世代から、自転車がまともに車道を走るようになり、また完全に分離された自転車車線が作られるようになってきた。祖父母世代では、自転車道といえば歩道の半分を色分けしただけだった。これでは歩行者との衝突は避けられない。それが父母世代になると、歩道の半分を削り、車道と同じ高さに車線を作った。
そして現在、ようやく、自転車がまともに道路交通法を守って走るようになった。こうなるまでに、何千人もの犠牲があった。中には、逆走 (右側通行) する自転車との正面衝突を避けようとして、まったく善良な自動車の運転手が死亡する事故もあったという。

 

…といった話は、自転車部の先輩である田中さんから聞いた話だ。彼は写真部を兼部している。彼の自転車は、ドロップハンドルのレーサーに荷台や泥除けを追加したもの。各地を自転車旅行して、旅情あふれる写真を撮って回っている。彼はいま、自転車から取り外してきたメーターに地図を表示させながら、先日の旅行について話している。
田中「…で、ちょっと寄り道して、むかし通ってた小学校を見てきたんだけどね。ここ。」
部員「ちょっと寄り道って、50kmくらい離れてるじゃないですか。」
田中「だーいじょうぶ。ぼくはいつも埼玉県の地図を持ち歩いているのです。」
部員「は?」
田中「まあ、見事に廃校になってたけどね。住宅もほとんどが空き家か、更地になってた。」
部員「ああ、僕の小学校も閉鎖されましたよ、おととし。」
出身校まだある? なくなった? という話題は、僕たちにとって、いい天気ですね、と同じくらい、当たり障りのない話題だ。

 

帰り

だらだらと部室で過ごしたら、下校時刻になった。雨は止んでいた。自転車組と別れて、電車組は駅まで歩く。

 

駅についた。ホームの柵の前で待っているうちに、電話を取り出す。朝にバスを使ったのを検知したエージェントソフトが、<帰りのバスも予約しますか?> と表示していた。YES と答える。次の電車のダイヤがバス会社に送信される。僕が家の最寄り駅につくころには、駅前にバスが来ているはずだ。

 

電車の中では、自転車部の仲間と話したり、電話でゲームの対戦などをする。
家の最寄り駅に着いたので、僕は電車を降りる。

 

駅の出口の壁に画面があり、「あと 0台」と表示されていた。つまり、駅の地下にあるレンタル自転車はすべて貸し出し中ということだ。帰りのバスを予約しておいてよかった。

バス停にはすでに、家までのバスが停まっていた。乗る。座席はすべて、仕事や買い物帰りの老人で埋まっていた。
停車中にたっぷり床下給電されたバスは、モーターをかすかに唸らせて、山の上の住宅地を登る。バス停に着く。僕は降りる。
あたりはすっかり暗くなっていた。僕が歩くのを検知して、歩道の照明が点灯する。
家に着いた。

夜、帰宅後

家の中は無人だった。掃除ロボットや洗濯物たたみ機も、すでに仕事を終えて沈黙していた。僕の動きを検知して照明がつき、電話にメッセージが届く。母からだ。

 

母「仕事で遅くなる。夕食は冷蔵庫にある。姉のぶんまで食べないように。」

 

とりあえず部屋に行って、制服を脱ぎ、部屋着に着替えた。

台所に行って、冷蔵庫を見る。冷蔵庫のドアには、庫内の様子が表示されている。3段重ねの容器に目印が表示されている。ドアを開けて容器を取り出し、丼と椀に移し替える。白飯・挽き肉納豆炒め・味噌汁。マイクロ波オーブンで温める。

 

指で合図して、壁の画面のスイッチを入れる。画面が僕を識別し、僕が興味をもちそうなニュースを取ってきて、一覧表示する。僕は画面を指さして、いくつか明らかにハズレな記事をOFFにする (こまめにニュース選別をしてやらないと、そのうち画面が広告だらけになる)。そして手を振って再生の合図をする。
一連の動画が再生される。半分くらいは生身の人間が現場で撮影したもの、残りは文字ベースの記事を音声合成が読み上げたもの。
動画を聞き流しながら、ひとり夕食をとる。

 

食事を終えて、食器を食洗機に入れて、自分の部屋に戻る。

今は家に僕ひとり。安心してできる。
机からメガネを取り、顔に装着し、スイッチを入れる。ベッドに寝転がる。小声でキーワードを入力し、指をメガネの前で振ってメニューを選ぶ。そしてメガネで動画を再生する。あいにく、この動画はVRではなかった。首を動かしても視点変更できない。

動画の中で、3人の美少女が寝転がっている。少女たちの顔や体形は、僕が設定したとおりに修正されている。少女たちは、服の上から互いの身体をくすぐりあったり、キスしたりする。少しずつ互いに服を脱がせ、下着姿になる。細い指が絡み合う。さらにあられもない姿になった少女たちは…

!!……!…………ふぅ。

僕は、僕の身体から放出された白い粘液をティッシュで受け止め、ぐったりと横たわる。全身に広がる脱力感。このまま一眠りしてもいいか…でもこれ捨てなきゃ…

玄関が開く音が聞こえた。誰かが帰ってきた。
僕は慌てて起き上がり、ズボンを上げ、ティッシュを捨てる。メガネを外す。呼吸を整える。
廊下の足音が近づいてきた。僕の部屋のドアがノックされる。僕は唸り声で返事する。ドアが開く。

姉だった。
姉は数分間、大学の研究室の人々のことをあーだこーだと話す。帰宅時に母がいれば母が聞き役なのだが、今日は僕しか標的がいなかった。正直、姉の話はどーでもいい。
姉「…んだってさー。それで、そのときイツキ先生が見せてくれた動画がすごいの。あんたも見てみなよ。いまメガネで探してやるから。」
姉はさっさと僕のメガネを拾って装着した。姉はジェスチャと声でメガネを操作し、その動画を探し出した。姉はメガネを僕に返す。
姉が紹介した動画は、確かに面白かったが、わざわざ人に薦めるほどとは思えなかった。

姉は台所に行き、夕食をとる。僕は風呂に入る。母が帰ってきたのが風呂のドア越しに聞こえた。台所から姉と母の話し声が聞こえる。姉はさっきの動画を母にも見せたようで、母の笑い声がする。
風呂から出てパジャマを着る。僕はいったん台所に行き、冷水を飲んで、それから部屋に戻る。

部屋で、遊び用の電子書籍を開き、マンガを読んだりゲームをしたりする。しばらくすると「復習の時間です」というメッセージがポップアップした。ウザい。でも、僕の脳の特性からすると、この時間に復習するのが最適らしい。このタイミングを逃すといろいろ忘れてしまって、なおさら勉強が苦しくなる。
教科書を取り出し、学校で編集した問題集を使って、復習する。まだ記憶が残っているので、短時間でクリアできた。
またゲームをやったり、メガネでアニメを見たりする。
だいぶ夜が更けた。寝る。

そういえば…ヌいたあと…メガネを姉が……