河島廉也(かわしまれんや)

Last-modified: 2023-02-12 (日) 17:30:53

表サクセス

パワプロクンポケット4日の出高校編)

 本作で登場する幽霊。主人公(4)が海が見える日の出島の崖に有る輸送艦「あけぼの丸」の慰霊碑を足を滑らせ転んだ際に足がぶつかり慰霊碑を破壊して直さず去った事が原因で主人公(4)に神隠しの呪いを掛けた黒幕だと思われたが実際の呪いの原因が別の真相だった。
 生前は学生として日乃出中学(現:日の出高校)野球部にキャプテンとして所属していたが、太平洋戦争で動員される。終戦後に島に戻る途中、乗っていた輸送艦「あけぼの丸」が日の出島近海で触雷沈没する事故に巻き込まれ死亡。享年はおそらく17歳*1
 この時の死者は河島を含め19名で、19名の中には彼や神木哲郎ら日乃出中学野球部12名全員が含まれるという惨事となった。

 生前は天本セツとは恋人同士であり*2、二人で撮った写真がセツの手元に残されていた。この写真を見た主人公(4)天本玲泉は二人とも「主人公(4)にそっくり」と発言している。


 なお、人手不足の日の出高校アレンジチームには彼が登録されており、そのデータによると生前は速球派の先発投手だった模様*3


 「輸送艦に乗っている最中に輸送艦が沈没して死亡した速球派投手」ということから考えると、彼のモデルとして、陸軍兵士として応召中に潜水艦の雷撃により輸送艦を沈められ戦死した戦前プロ野球の速球派投手「沢村栄治」があるのではないかと思われる。

表サクセスでの矛盾

 天本セツは作中で「戦地から、この島に戻ってくる男達を乗せた船」と言っており、彼らが「学徒動員」を受けて戦地に出征した帰りであると発言している*4。さらに、作中で登場する「河島の霊」が着ている服を見ると、「国民服令」で制定されて、全国共通通学服(学生服)となった「国民服」の帽子ではなく、日本陸軍の略帽(通称「戦斗帽」)を被っており*5、セツの発言を裏付ける形になっている。
 一方、NTT出版の攻略本では「本土の工場で勤労奉仕*6、パワポケ大全では「戦時中、本土の工場で勤労奉仕*7と「学徒勤労動員」と明記されている。また、パワポケダッシュの図鑑におけるプロフィールでも「戦時中(せんじちゅう)、本土で勤労奉仕(きんろうほうし)」と明言されている。

史実との矛盾

 仮に4作中の描写を優先し、陸軍兵士であったとすると史実との矛盾が発生する。
 いわゆる「学徒出陣(1943)」後の「兵役法 第23条」*8と「徴兵適齢臨時特例」*9を見ると満19歳で徴兵対象となる。一方、「第三次小学校令 第18条」*10で定められた尋常小学校は6-12歳の6年制であり、尋常小学校を卒業すると、旧制中学校の入学資格を得る*11が、「中学校令 第9条」*12を見ると、修業年限は5年である。
 つまり「中学に在籍=最大17歳」であり、「徴兵対象にはなり得ない」という問題が発生する*13


 となると、大全・攻略本の設定通り「学徒勤労動員(1944)」に動員されたと考えられるが、前述した通り作中の彼の姿は兵士として描かれており、今度は「何故学徒勤労動員で帝國陸軍の制服を着用しているのか」という問題が発生する。

矛盾の解決案

  • 陸軍兵士(本編優先)案
    • 享年不定案
       前掲の条件は河島が現役生として通過した場合を条件としており、攻略本では「17歳?」と書かれていることから「河島が享年17歳ではない可能性を否定できない」文章になっていることを利用して、「河島享年は17歳ではない」という仮定を立てる。
      • 河島が浪人・留年していた場合
         旧制中学においては受験浪人*14や留年制度があり、浪人・留年を合計2回やることで19歳で旧制中学最終年に在学することが可能となり、「旧制中学に所属する徴兵適齢(19歳)」が成立する。
         ただし、享年が20-21歳とズレ幅が他の案より大きくなるという問題は発生する*15ため、別の点での問題は残る。
  • 河島が「現役志願兵」だった場合
     前述の浪人・留年案と同じく、河島の享年が正確には不定であることを利用したもう一つの案。
     「現役志願兵」制度とは、志願によって17歳から徴兵適齢期未満の人物を現役の兵士として採用するための制度である。この制度を利用することで、1943年に旧制中学在学上限の17歳で志願、最速で1945年死亡、享年19歳の陸軍兵士という構図が成り立ち、前述の浪人・留年案より享年のズレ幅を小さくすることができる。
  • 享年17歳最優先案
    • 河島が現役志願兵、かつ出征しなかった場合
       天本セツの言葉の「戦地」を拡大解釈し、「戦地に行った=日本陸軍に入営(入隊)した」という解釈をした場合に可能な案。
       1943年11月1日から1944年10月31日までに17歳を迎え、最後の徴兵検査*16を現役志願兵制度を利用した上で徴兵検査を受けて、翌1945年に入営。訓練中に8月15日の終戦を迎え、任を解かれて帰島中に触雷し死亡と仮定。
       この場合、河島が9-10月生まれであれば「17歳の陸軍兵士」が制度上可能になる
  • 学生(攻略本優先)案
    • 帽子の帽章が陸軍のものではない場合
       国民服令で指定された帽子は「陸軍略式帽」に非常に近く、実際に戦斗帽を代わりに被ることもできたほどに近似したものであった*17。このため「帽子の星型帽章は陸軍のものではない」「帽垂布は戦斗帽のものとは別に自分で縫い付けたもの」と仮定した場合に解決することができる。この場合に帽章として考えられるのは、日乃出中学の校章か。

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  • 作中では連絡船とも輸送艦とも書かれていなかったはずだが -- 2011-04-16 (土) 09:32:30
  • 定期では船が沈んだってぐらいだったな。他のイベントあるかもしれんが。 -- 2011-04-16 (土) 12:03:22
  • 「戦地からこの島に戻ってくる男達を乗せた」(1年目10月2週)だから作中描写から行くと第二復員省所属の特別輸送艦(復員輸送艦)になる -- 2011-04-16 (土) 16:00:53
  • 戦地へ行ったってのは不吉ババアの勘違いとか -- 2011-04-17 (日) 09:00:21
  • ↑あけぼの丸乗船名簿に名前が載っていたんでそれは無いかと -- 2011-04-17 (日) 10:41:10
  • ↑あけぼの丸は勤労奉仕した学生を乗せるための連絡船とか -- 2011-04-17 (日) 11:31:08
  • 河島が死んだのは4の何年前ですか? -- 2011-07-17 (日) 02:31:04
  • 河島が17歳で死亡と仮定、不吉ババアて河島が同い年と仮定、不吉ババアが4開始時に72歳である=4開始時の55年前 -- 2011-07-17 (日) 07:00:46
  • 根拠ねぇから更新はしないけど…「ガガブブ様」と同じで、不吉ババアが「河島廉也」を具現化させてたと考えれば矛盾はない。 -- 2012-02-11 (土) 00:34:11
  • そもそも具現化してねえだろう、実体持って出現してねえだろ -- 2012-02-11 (土) 00:44:48
  • ↑幽霊は具現化の一種。 -- 2012-04-12 (木) 00:11:37
  • 幽霊として河島は実体を持っていない(除:みゆき幽霊ルート) -- 2012-04-12 (木) 00:12:44
  • 上から3つ目:その説明読み直して思ったんだが「あけぼの丸は臨時便で復員兵たちを迎えに出港した」なら、中学生が便乗してても「戦地から帰る男達を乗せた船」にならないかな?(つまり犠牲者は中学生12人・復員兵1~6人・乗員6~1人という構成) -- 2016-05-13 (金) 23:32:31
  • 単に史実とパワポケ世界の歴史が異なるだけで説明つくでしょ -- 2019-02-26 (火) 09:22:20
  • それを言い出すと考察というもの自体が成り立たない、それを置いておくにしても異なるならば現実と同じ事象の名前を使う意味がない、二重の意味でその発言はナンセンス極まる -- 2019-02-28 (木) 17:45:20

*1 『パワプロクンポケット4 コナミ公式パーフェクトガイド』(新紀元社、2002年)P22 「17歳(?)」という記述があり、正確には不定。
*2 『パワプロクンポケット大全』(新紀元社、2003)P.180
*3 戦時中まではまだ日本では変化球がそれほど浸透していなかった。
*4 国家総力戦において本土での生産動員は「銃後(英:"Home front")」という概念で括られる存在。用語として「銃後」は「戦地(英:"Battle front")」と違う場所として使い分けられるものであり、「戦地」という発言である以上"Home front"ではなく"Battle front"と解釈するほうが自然である。
*5 戦斗帽と国民服帽子の区別は、帽子に付属している帽章でつけられ、国民服では帽章が付属しないのに対して、陸軍の戦斗帽では星型の帽章がつけられている。戦争編において荒井三兄弟や磯田修一が被っている帽子を見ても帽章の存在がわかる。また、帽子の後ろについている防暑用の布「帽垂布」でも区別が可能。昭和13年6月1日陸達第31号で略帽用帽垂布が制定され、戦斗帽には帽垂布がつく一方、国民服の帽子に帽垂布は無い。そして河島の帽子には帽垂布がついている。
*6 『パワプロクンポケット4公式ガイド』(NTT出版、2002)P.17
*7 『パワプロクンポケット大全』(新紀元社、2003)P.180
*8 中野文庫 兵役法 「第二十三条 戸籍法の適用を受ける者が、前年十二月一日よりその年の十一月三十日までの間に年齢二十年に達する者は、本法中格段の規定がある者を除く他は徴兵検査を受けなければならない。 2 前項に規定する年齢を徴兵適齢と呼ぶ。」
*9 中野文庫 徴兵適齢臨時特例(昭和18年勅令第939号) 「兵役法第二十四条ノ二ノ規定ニ依リ当分ノ内同法第二十三条第一項及第二十四条ニ規定スル年齢ハ十九年ニ変更ス
*10 中野文庫 第三次小学校令 「第十八条 尋常小学校ノ修業年限ハ六箇年トス」
*11 国立公文書館 中学校令改正・御署名原本・明治三十二年・勅令第二十八号 「第十条 中学校ニ入学スルコトヲ得ル者ハ年齢十二年以上ニシテ高等小学校第二学年ノ課程ヲ卒リタル者またハ之ト同等ノ学力ヲ有スル者タルヘシ」 昭和16年勅令第151号で強調部が「国民学校初等科ヲ修了シタル者」に置き換えられている(中野文庫「中学校令」同条を参照)が、高等小学校第二学年修了=国民学校初等科修了である。
*12 中野文庫 中学校令 「第九条 中学校ノ修業年限ハ五箇年トス」
*13 沖縄で組織された「鉄血勤皇隊」は14-17歳の中学生も動員しているが、これは法的根拠がなく例外の存在。「鉄血勤皇隊の編成ならびに活用に関する覚書」によると「鉄血勤皇隊の編成は、沖縄県知事が沖縄連隊区司令官の援助を受けて行」い、「非常事態が生じた場合(中略)軍命令によって鉄血勤皇隊が防衛召集」という超法規ルートで「十四歳並びにそれ以上の全ての学徒」を編制した部隊である。詳細は林博史「米軍1次資料に見る沖縄戦」を参照のこと。
*14 旧制中学受験浪人の実例としては、戦後の作家「結城昌治」が存在している。
*15 1926年10月31日生まれが徴兵適齢期で最も若く、かつ前線に出た世代で、復員開始後すぐの1945年中(復員で最も早かったのは平和祈念展示資料館の記述によると1945年9月26日)に死亡とすると、9-10月生まれなら享年20歳が成り立つ。
*16 徴兵検査は年単位で行われ、入営するのは検査を受けた翌年の年明けである。つまり、1944年の徴兵検査組は1945年初頭に入営できるが、1945年の徴兵検査組は入営前に終戦を迎える。
*17 元々のデザインが軍服類似であり、前述した鉄血勤皇隊等は国民服のまま戦闘に従事していた。さらに、昭和19年12月1日勅令第652号「大東亜戦争陸軍下士官兵服制特例」(国立公文書館 大東亜戦争陸軍下士官兵服制特例・御署名原本・昭和十九年・勅令第六五二号アジア歴史資料センターレファレンスコード"A03022319900")において『大東亜戦争中陸軍下士官兵ノ制服ニ付テハ陸軍服制ニ拘ラズ、左表ニ定ムル特例ニ依ルコトヲ得』としていたものが、昭和20年6月22日勅令第384号「大東亜戦争陸軍下士官兵服制特例中改正ノ件」(国立公文書館 大東亜戦争陸軍下士官兵服制特例中改正ノ件・御署名原本・昭和二十年・勅令第三八四号アジア歴史資料センターレファレンスコード"A04017749200")で『大東亜戦争陸軍下士官兵服制特例中左ノ通改正ス 題名中「下士官兵」ヲ『軍人』ニ改ム』とされ、文章が「大東亜戦争陸軍軍人服制特例」となり、全軍人に適用された。また、同勅令384号内で『國民服甲號または乙號ノ上衣及袴ノ地質及製式ノモノヲ用フルコトヲ得』とされ、公的に国民服を軍服の代替品にすることが認められた。