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World of Tanks XBOX Wiki*
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Type 4 Chi-To
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開始行:
&attachref(./Chi-To.png,nolink,30%);
#contents
*Tier 6 日本 中戦車 [#kc4535a3]
[[公式紹介ページ >http://console.worldoftanks.com/encyclopedia/vehicles/japan/Chi_To/]]
*スペック [#p9cd56ef]
''車体''
|CENTER:|CENTER:SIZE(11):|c
|~HP|740|
|~車体装甲厚(mm)|75/35/35|
|~最高速度(km/h)|45|
|~重量(初期/最終)(t)|31,02/32,0|
//|~実用出力重量比(hp/t)||
|~本体価格(シルバー)|940,000|
|~修理費(シルバー)||
**戦車パッケージ [#ed020c2a]
|CENTER:|c
|パッケージ名&br;(必要経験値/購入シルバー)|
|>|>|>|>|>|>|>|>|CENTER:|c
|>|>|>|>|>|>||┏|BGCOLOR(#dddddd):[[Chi-Ri>Type 5 Chi-Ri]]&br;(52,650/1,440,000)|
|BGCOLOR(#DDDDDD):Chi-To&br;(31,150/940,000)|━|BGCOLOR(#DDEEFF):Type 4 Prototype&br;(5,400/57,000)|━|BGCOLOR(#DDF8DD):Type 4 Prototype 2&br;(15,950/97,700)|━|BGCOLOR(#f0f8ff):Type 4&br;(21,450/113,700)|┛||
***詳細 [#mdd3f538]
|>|>|>|>|>|>|>|>|>|>|>|>|>|CENTER:SIZE(11):|c
|パッケージ名|エンジン|>|>|>|>|>|武装|履帯|>|>|砲塔|>|他|h
|~|出力|弾種|貫通力|ダメージ|総弾数|弾代|発射速度&br;照準時間&br;精度|旋回速度|砲塔装甲|旋回速度|視認範囲|HP|通信範囲|h
|BGCOLOR(#f0f8ff):CENTER:SIZE(11):|CENTER:SIZE(11):|>|>|BGCOLOR(#f0f8ff):RIGHT:SIZE(11):|>|>|BGCOLOR(#f0f8ff):CENTER:SIZE(11):|CENTER:SIZE(11):|>|>|BGCOLOR(#f0f8ff):CENTER:SIZE(11):|>|CENTER:SIZE(11):|c
//
|BGCOLOR(#DDDDDD):Type 4 Chi-To|Type 100 Kakyuu V-12|>|>|>|>|>|7.5 cm Tank Gun Type 5|Type 4 Chi-To Prototype|>|>|Type 4 Chi-To Prototype|740|400|
|~|300|AP&br;AP&br;HE|124&br;155&br;38|125&br;125&br;175|65|82&br;7G&br;60|12&br;2.29&br;0.37|27|75/50/50|36|360|~|~|
//
|BGCOLOR(#DDEEFF):Type 4 Prototype|Type 100 Kakyuu V-12|>|>|>|>|>|7.5 cm Tank Gun Type 5 Model I|Type 4 Chi-To Prototype|>|>|Type 4 Chi-To Prototype|740|425|
|~|300|AP&br;AP&br;HE|155&br;186&br;38|130&br;130&br;175|65|140&br;8G&br;68|15&br;2.29&br;0.37|27|75/50/50|36|360|~|~|
//
|BGCOLOR(#DDF8DD):Type 4 Prototype 2|Mitsubishi AL Type 4 Kuurei V-12|>|>|>|>|>|7.5 cm Tank Gun Type 5 Model I|Type 4 Prototype|>|>|Type 4 Prototype|740|550|
|~|400|AP&br;AP&br;HE|155&br;186&br;38|130&br;130&br;175|65|140&br;8G&br;68|15&br;2.29&br;0.37|30|75/50/50|36|360|~|~|
//
|Type 4|Mitsubishi AL Type 4 Kuurei V-12|>|>|>|>|>|7.5 cm Tank Gun Type 5 Model I|Type 4 Prototype|>|>|Type 4 Prototype|820|750|
|~|400|AP&br;AP&br;HE|155&br;186&br;38|130&br;130&br;175|65|140&br;8G&br;68|15.79&br;2.09&br;0.36|30|75/50/50|36|360|~|~|
*解説 [#g4cbdd65]
*史実 [#e6e1a06a]
四式中戦車 チト
ドイツが投入して、各国に衝撃を与えた[[ティーガー重戦車>Tiger I]]に影響を受けて、1943年から開発が開始され、三式中戦車に至るそれまでのコンセプトをガラリと変えて、計画当初より対戦車戦闘専門を目的とする設計がなされたのが、四式中戦車「チト車」で
実は、1937年(昭和12年)に[[九七式中戦車>Type 97 Chi-Ha]]の後継として陸軍技術本部が計画を推進していましたが、正式に承認されたのが1942年(昭和17年)になってからとなっていました。 同時期には仮承認のまま開発されていた[[一式中戦車>Type 1 Chi-He]]も
30tの重量は日本の従来の中戦車の概念からは考えられない重量級となり、砲塔・車体共に軽い避弾経始が付けられており、前面装甲が75mmとなるなどソ連の[[T-34]]やドイツの[[四号戦車H型>Pz.Kpfw. IV Ausf. H]]に匹敵する強力なものとなり、[[M4シャーマン>M4
戦後、米軍によって接収され、各種のテストを受けた際に連合軍調査団から最大の賛辞を送られたと言われています。
基本構造は、それまでの日本式中戦車に沿いながらもかなりの大型化がされており、足回りの機構は同じものの転輪は7つに増やされ、履帯幅は45cmに拡大されていて、それまでの日本戦車を大きく上回っていました。
20tクラスの戦車として開発された試作1号車には、主砲に長砲身の試製57mm砲が搭載された溶接式の小型砲塔が載せられていましたが、主砲、砲塔、車体が全て完成して組み立てた所で、既にヨーロッパ戦線で75mm以上のクラスの砲を持った戦車が各国から投入されて
五式75mm戦車砲の大元は、南京を守る中国軍がスウェーデンから輸入したボフォース社製75mm高射砲で、日本側の航空機に多くの損害を与えていました。
南京占領後に、この存在を知っていた砲兵将校により接収となり、直ちに日本へと送られて、これを対戦車砲として改良・国産化したのが五式戦車砲でした。
車体は装甲鋼板の溶接製で、砲塔は鋳造式を採用しましたが、生産を請け負った三菱重工には砲塔を一体鋳造する技術がなかったため、砲塔前面と上面を従来の圧延式、側面工面を鋳造式の4分割にしてこれらを溶接することとしましたが、歪みが酷くて組み立てるの
米国やソ連では、鋳型砲塔が生産時間短縮と防御力向上を一挙両得でき、コストを安く抑えながら安定した品質も得られる事から大量生産される後押しとなっていますが、日本のやり方では結局、生産時間は普通の圧延板の溶接と同じ、コストも変わらないという結果
エンジンは、それまでの100式統制型エンジンでは24tの車体を動かすには力不足と見て、新開発の四式空冷V型12気筒ディーゼルエンジンで400馬力のカタログスペックのものが完成します、日本が独自に開発した油圧操縦機構とあわせて路上で40km/h。最大速度45km/h
しかし、後にも先にも、四式ディーゼルエンジンは旧日本軍が開発した最後のディーゼルエンジンとなってしまいます。
空冷ディーゼルエンジンは構造上出力を上げるためには、どうしても大型化が避けられない事から、現場からは大きな四式ディーゼルエンジンを揶揄して、本車を「四式エンジン運搬車」と陰口を叩くことがあったくらいでした。
昭和20年当初の予定では、200両の生産を目標としていましたが、主砲が57mmから75mmになった事で主砲と砲搭の改修に手間取り、主砲の五式戦車砲が11門しか完成出来ないと言う算段が弾き出されました。 その結果、四式中戦車として正式化には1944年にずれ込み、
アメリカ軍は、接収した際に各型の戦車にTypeとアラビア数字、区別番号や略号など車体脇などに白く書き記していましたが、四式中戦車の記録写真には、車体後部に記入文を暗色に塗り、そこには「ORD Type5 Heavy 327 OH」と記されていました。 五式中戦車と誤
なお、四式戦車が完成したとしても、制海権と制空権の危うい南方への輸送が困難であり、揚陸艦と揚陸用クレーンもなく、陸揚げ不能となっており、結局は本土決戦での使用しか活路がなかったといわれています。
ただし、本土決戦用として、迅速展開をするための鉄道輸送において、国内鉄道幅限界をギリギリでクリアしましたが、狭い上に起伏・急カーブの多い愛知県~長野県間を運行する飯田線のトンネルだけは通れなかったという記録が残ってます。
戦力とはなり得なかった四式中戦車ですが、松本零士の戦争まんがシリーズ「鋼鉄の墓標」では、試験運用中として前線に送られたという設定の四式中戦車が登場しています。 九七式中戦車でまったく歯が立たなかったM4シャーマンの砲弾を跳ね返し、逆に返り討ち
水没処分を免れたもう1両の四式戦車チト車は、アメリカ軍により接収され、アメリカ本土へ持ち帰られたあと、アバディーン戦車性能試験場にすぐさま運び込まれたそうですが、その後、スクラップにされたともあり、その末路は知られていません。
戦後、[[61式戦車を試作する>STA-1]]にあたって、いくつか用意されたトランスミッションの1つに、チトで使われた方式が試されています。
*コメント [#l20c2f3a]
#pcomment(./コメント,reply,5)
終了行:
&attachref(./Chi-To.png,nolink,30%);
#contents
*Tier 6 日本 中戦車 [#kc4535a3]
[[公式紹介ページ >http://console.worldoftanks.com/encyclopedia/vehicles/japan/Chi_To/]]
*スペック [#p9cd56ef]
''車体''
|CENTER:|CENTER:SIZE(11):|c
|~HP|740|
|~車体装甲厚(mm)|75/35/35|
|~最高速度(km/h)|45|
|~重量(初期/最終)(t)|31,02/32,0|
//|~実用出力重量比(hp/t)||
|~本体価格(シルバー)|940,000|
|~修理費(シルバー)||
**戦車パッケージ [#ed020c2a]
|CENTER:|c
|パッケージ名&br;(必要経験値/購入シルバー)|
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|>|>|>|>|>|>||┏|BGCOLOR(#dddddd):[[Chi-Ri>Type 5 Chi-Ri]]&br;(52,650/1,440,000)|
|BGCOLOR(#DDDDDD):Chi-To&br;(31,150/940,000)|━|BGCOLOR(#DDEEFF):Type 4 Prototype&br;(5,400/57,000)|━|BGCOLOR(#DDF8DD):Type 4 Prototype 2&br;(15,950/97,700)|━|BGCOLOR(#f0f8ff):Type 4&br;(21,450/113,700)|┛||
***詳細 [#mdd3f538]
|>|>|>|>|>|>|>|>|>|>|>|>|>|CENTER:SIZE(11):|c
|パッケージ名|エンジン|>|>|>|>|>|武装|履帯|>|>|砲塔|>|他|h
|~|出力|弾種|貫通力|ダメージ|総弾数|弾代|発射速度&br;照準時間&br;精度|旋回速度|砲塔装甲|旋回速度|視認範囲|HP|通信範囲|h
|BGCOLOR(#f0f8ff):CENTER:SIZE(11):|CENTER:SIZE(11):|>|>|BGCOLOR(#f0f8ff):RIGHT:SIZE(11):|>|>|BGCOLOR(#f0f8ff):CENTER:SIZE(11):|CENTER:SIZE(11):|>|>|BGCOLOR(#f0f8ff):CENTER:SIZE(11):|>|CENTER:SIZE(11):|c
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|BGCOLOR(#DDDDDD):Type 4 Chi-To|Type 100 Kakyuu V-12|>|>|>|>|>|7.5 cm Tank Gun Type 5|Type 4 Chi-To Prototype|>|>|Type 4 Chi-To Prototype|740|400|
|~|300|AP&br;AP&br;HE|124&br;155&br;38|125&br;125&br;175|65|82&br;7G&br;60|12&br;2.29&br;0.37|27|75/50/50|36|360|~|~|
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|BGCOLOR(#DDEEFF):Type 4 Prototype|Type 100 Kakyuu V-12|>|>|>|>|>|7.5 cm Tank Gun Type 5 Model I|Type 4 Chi-To Prototype|>|>|Type 4 Chi-To Prototype|740|425|
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|Type 4|Mitsubishi AL Type 4 Kuurei V-12|>|>|>|>|>|7.5 cm Tank Gun Type 5 Model I|Type 4 Prototype|>|>|Type 4 Prototype|820|750|
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*解説 [#g4cbdd65]
*史実 [#e6e1a06a]
四式中戦車 チト
ドイツが投入して、各国に衝撃を与えた[[ティーガー重戦車>Tiger I]]に影響を受けて、1943年から開発が開始され、三式中戦車に至るそれまでのコンセプトをガラリと変えて、計画当初より対戦車戦闘専門を目的とする設計がなされたのが、四式中戦車「チト車」で
実は、1937年(昭和12年)に[[九七式中戦車>Type 97 Chi-Ha]]の後継として陸軍技術本部が計画を推進していましたが、正式に承認されたのが1942年(昭和17年)になってからとなっていました。 同時期には仮承認のまま開発されていた[[一式中戦車>Type 1 Chi-He]]も
30tの重量は日本の従来の中戦車の概念からは考えられない重量級となり、砲塔・車体共に軽い避弾経始が付けられており、前面装甲が75mmとなるなどソ連の[[T-34]]やドイツの[[四号戦車H型>Pz.Kpfw. IV Ausf. H]]に匹敵する強力なものとなり、[[M4シャーマン>M4
戦後、米軍によって接収され、各種のテストを受けた際に連合軍調査団から最大の賛辞を送られたと言われています。
基本構造は、それまでの日本式中戦車に沿いながらもかなりの大型化がされており、足回りの機構は同じものの転輪は7つに増やされ、履帯幅は45cmに拡大されていて、それまでの日本戦車を大きく上回っていました。
20tクラスの戦車として開発された試作1号車には、主砲に長砲身の試製57mm砲が搭載された溶接式の小型砲塔が載せられていましたが、主砲、砲塔、車体が全て完成して組み立てた所で、既にヨーロッパ戦線で75mm以上のクラスの砲を持った戦車が各国から投入されて
五式75mm戦車砲の大元は、南京を守る中国軍がスウェーデンから輸入したボフォース社製75mm高射砲で、日本側の航空機に多くの損害を与えていました。
南京占領後に、この存在を知っていた砲兵将校により接収となり、直ちに日本へと送られて、これを対戦車砲として改良・国産化したのが五式戦車砲でした。
車体は装甲鋼板の溶接製で、砲塔は鋳造式を採用しましたが、生産を請け負った三菱重工には砲塔を一体鋳造する技術がなかったため、砲塔前面と上面を従来の圧延式、側面工面を鋳造式の4分割にしてこれらを溶接することとしましたが、歪みが酷くて組み立てるの
米国やソ連では、鋳型砲塔が生産時間短縮と防御力向上を一挙両得でき、コストを安く抑えながら安定した品質も得られる事から大量生産される後押しとなっていますが、日本のやり方では結局、生産時間は普通の圧延板の溶接と同じ、コストも変わらないという結果
エンジンは、それまでの100式統制型エンジンでは24tの車体を動かすには力不足と見て、新開発の四式空冷V型12気筒ディーゼルエンジンで400馬力のカタログスペックのものが完成します、日本が独自に開発した油圧操縦機構とあわせて路上で40km/h。最大速度45km/h
しかし、後にも先にも、四式ディーゼルエンジンは旧日本軍が開発した最後のディーゼルエンジンとなってしまいます。
空冷ディーゼルエンジンは構造上出力を上げるためには、どうしても大型化が避けられない事から、現場からは大きな四式ディーゼルエンジンを揶揄して、本車を「四式エンジン運搬車」と陰口を叩くことがあったくらいでした。
昭和20年当初の予定では、200両の生産を目標としていましたが、主砲が57mmから75mmになった事で主砲と砲搭の改修に手間取り、主砲の五式戦車砲が11門しか完成出来ないと言う算段が弾き出されました。 その結果、四式中戦車として正式化には1944年にずれ込み、
アメリカ軍は、接収した際に各型の戦車にTypeとアラビア数字、区別番号や略号など車体脇などに白く書き記していましたが、四式中戦車の記録写真には、車体後部に記入文を暗色に塗り、そこには「ORD Type5 Heavy 327 OH」と記されていました。 五式中戦車と誤
なお、四式戦車が完成したとしても、制海権と制空権の危うい南方への輸送が困難であり、揚陸艦と揚陸用クレーンもなく、陸揚げ不能となっており、結局は本土決戦での使用しか活路がなかったといわれています。
ただし、本土決戦用として、迅速展開をするための鉄道輸送において、国内鉄道幅限界をギリギリでクリアしましたが、狭い上に起伏・急カーブの多い愛知県~長野県間を運行する飯田線のトンネルだけは通れなかったという記録が残ってます。
戦力とはなり得なかった四式中戦車ですが、松本零士の戦争まんがシリーズ「鋼鉄の墓標」では、試験運用中として前線に送られたという設定の四式中戦車が登場しています。 九七式中戦車でまったく歯が立たなかったM4シャーマンの砲弾を跳ね返し、逆に返り討ち
水没処分を免れたもう1両の四式戦車チト車は、アメリカ軍により接収され、アメリカ本土へ持ち帰られたあと、アバディーン戦車性能試験場にすぐさま運び込まれたそうですが、その後、スクラップにされたともあり、その末路は知られていません。
戦後、[[61式戦車を試作する>STA-1]]にあたって、いくつか用意されたトランスミッションの1つに、チトで使われた方式が試されています。
*コメント [#l20c2f3a]
#pcomment(./コメント,reply,5)
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