開次郎(1930~2000 日本)
開次郎は大財閥の御曹司であった。戦前の動乱の時代にも裕福な生活を送っており、後の人生も約束されていた。 しかし、第二次世界大戦、太平洋戦争により開家邸は空襲を受け、その豪邸は全焼してしまう。 家族の中で生き残ったのはまだ自立して生きていくにはあまりに幼い14の次郎ただ一人であった。 わけのわからぬまま、家族の死を受け入れられぬまま彼は誓ったのであった。 #br &size(20){「俺は創る。もう誰も悲しまない世界を。」}; #br
新速高校を経て矢野悟(やのご)大学を卒業後次郎は日常会話程度の英語力と親の遺産を携えて単身アメリカへ渡る。 慣れない海外での環境で戸惑いながらも、世界平和理念のに賛同する同志を集めた。 そして現地の片田舎に建てた掘っ立て小屋が創設当初のOPPAI本部である。(尚現在この建物は開次郎歴史資料館となっており、有料で当時の資料や次郎の遺物を閲覧することが可能である。)