狂気の家

Last-modified: 2015-06-12 (金) 21:38:47
221 名前: ナヒャ(yWVxXezQ) 投稿日: 2003/05/05(月) 16:24 [ GHsg/36Q ]
1/4
5月5日は子供の日。鯉のぼりは、澄んだ青空を泳ぐ。
だが、この家には鯉のぼりが泳いでいなかった。この家は、狂気の家。

薄汚れた北側の部屋に、一人の子供がうずくまっている。
湿った煎餅布団にくるまりながら、絶望から目をそらしている。
まだ、小さな、ちびギコ。
その表情には、生気がない。まるで、出来の悪い人形のようだ。
もっとも、彼がこうなったのには原因がある。
今、襖が開いて、その原因がズカズカと入ってきた。
ちびギコの母親である。しぃと言う名の、厄災。
「チョット、ハヤク オキナサイ。ナニ、ネテルノヨ」
短い足を伸ばして、しぃは、ちびギコがくるまっている布団を蹴り上げた。
ちびギコは、ダンゴ虫のように丸くなった。
しぃは、ちびギコを見下ろすと、チッと舌打ちをした。
「コンナ モノ、ウマナケリャ ヨカッタノニッ」
  ……こんな物の子供に、産まれなければ良かったデチ。
心の中で悪態を吐くのが、ちびギコに出来るせめてもの反抗だった。
しぃは、無言のちびギコを枕で殴りつけると、ヒステリックにわめき立てた。
「カエシテヨッ! アンタニ ツイヤシタ オカネッ。ウマレゾコナイッ!!」
  お前もちびタンに返すデチよ。ちびタンの、将来への希望、幸せを返すデチ。
「アンタガ イナケリャ、アノ モララート サイコン デキタノニッ!!
 ソダテテヤッタノニ、チットモ イイコト ナイ ジャナイ!? ヤクタタズ」
  年増の醜女がうるさいデチ。再婚できなかったのは、お前に魅力がないからデチ。
「デテッテヨォッ!! アンタノ セイデ、コレイジョウ シアワセヲ ノガシタクナインダカラァッ!!」
狂ったような、しぃの叫び声。ちびギコはゆっくりと起き上がった。
体を起こしたちびギコに、手当たり次第に物を投げつけるしぃ。
ポケモナの鉛筆が飛んできた。TVのリモコンが左手に当たる。
学校の図書室で借りた絵本『8頭身のモナーはキモイ』も、投げられた。お気に入りのジエン縫いぐるみも、投げられた。
「デテケ デテケ デテケェェェェッ!!」
  ヒス女が……。こんな家、大嫌いデチ。
ちびギコは、足下に落ちている絵本と縫いぐるみを拾うと、乱暴にドアを閉めて家を出た。
家を出るとき、母親である、しぃの狂気じみた笑い声が聞こえてきた。
ちびギコは、その笑い声を振り払うかのように、駆けだした。

222 名前: ナヒャ(yWVxXezQ) 投稿日: 2003/05/05(月) 16:24 [ GHsg/36Q ]
2/4
公園のベンチに腰掛けるちびギコ。
行く当ては、無い。友達のちびフサの家は、ゴールデンウィークなので、出払っているようだ。
仕方なく、ベンチに座りながら絵本を広げた。『8頭身のモナーはキモイ』。
1さんと8頭身の、下らなくも面白いやり取り、大抵の者なら笑ってしまうだろう。
でも、このちびギコは、笑わなかった。ちびギコは泣いていた。
  どうして、1さんは、家族でもない人からこんなに愛されてるのに、ちびタンは家族にすら愛して貰えないんデチか?
そう思うと、ちびギコは自分があまりにも惨めで、涙が止まらなかった。
絵本に印刷されている、1さんの笑顔の上に、ちびギコの涙が落ちた。
しばらくして、泣いているちびギコの隣に、腰掛ける者がいた。ちびギコは顔を上げない。今は誰の顔も見たくない。
「何で泣いてるの? 迷子になったの?」
ちびギコは首を横に振った。
「じゃあ……怪我したの? お腹が痛いとか?」
「何で、世の中には、沢山の人に愛される人と、家族にも愛されない人がいるんデチかね」
冷め切ったちびギコの声。無理に大人のフリをしている子供の声。
「う、ぁ。え~と、ね。それは、あ~……」
ちびギコの問いに、戸惑う隣の者。ポリポリと頭を掻いている音が聞こえる。
「その、愛されないことは、悲しいけど、仕方のないこと。……だと思いまつ」
ちびギコは、憤りを覚えた。自分の人生の不満を仕方のないことと言われたのだ。
  ケッ、お前は、きっと誰かに愛されてるから、そんなことが言えるデチ。皆、皆、大嫌いデチ。
「あのね」
隣の者は、静かに話し始めた。その声は、暖かく、しかしどこか寂しそうな声だった。
「漏れには、すっごく大好きな人がいるんだYO」
  おのろけか。おめでたいデチね。どうせ、ちびタンの悲しみは、誰にも分からないデチよ。
「でも、その人には漏れの気持ちは伝わらない。いくら愛しても、伝わらないんだ」
いつの間にか、ちびギコは俯いて、隣の者の話に耳を傾けていた。
隣の者は、大きなため息を吐いてから、再び話し始める。
「漏れ、いや、漏れ達の仲間は、決して愛して貰えない。キモイから」
しばしの、沈黙。
「でも、愛されなくても、愛することは出来るんだYO」

月日は流れた。
ちびギコは、立派な成ギコとなり、母親から離れ、一つの小さな家庭を持った。
幸せな家庭。妻のしぃは、利発な女だ。二人の子供達は健やかに成長している。
親に愛されなかったギコが、愛のある家庭を作れたのである。

223 名前: ナヒャ(yWVxXezQ) 投稿日: 2003/05/05(月) 16:24 [ GHsg/36Q ]
3/4
ギコの幸せは、皮肉にも肉親によって、壊された。
度重なる、電話。連絡をよこさないギコへ、母親しぃが怒っているのである。
「アンタ、ソダテテヤッタ オンヲ ワスレテンジャナイデショウネ!?
 スコシクライ オヤニ オカネヲ オクロウ トカ、オモワナイワケェ!?」
こんな電話が、一日に何度もかかってくる。妻のしぃは、ストレスで痩せてしまった。
  あの婆、ちびギコの時も、今現在も、俺を煩わせやがって。
ギコは、痩せ細った愛妻の姿を見て、決心した。
  婆、殺してやる。
しぃが、殺されるのは、よくあることだ。警察も、しぃ殺しに関しては、どうせ大した捜査はしないだろう。
  殺せる。今の俺には、あの婆を殺せるだけの力がある。
ギコは、幼少時代を過ごした、あの忌まわしい家へと足を運んだ。
この家の主、ヒス女は澱んだ空気が漂う家の中で、寝転んでいた。
毛玉が大量についた布団を被り、うつ伏せになってTVを見ている。
しぃ婆は、久しぶりに我が子の姿を見ると、醜い笑顔を浮かべた。
「ヘヘ、カエッテキタノ。デ、ナニ シニキタノ?」
ふと、しぃ婆の顔が曇る。眉間にシワが寄る。
「アンタ、テブラナノ? オカネハ? テミヤゲハ?
 ナニモ モッテコナイデ、ヨク コノ イエノ シキイヲ マタゲタワネェ」
産まれてから今まで蓄積された、母への怒りが、鉄砲水のように、ギコの中で爆発した。
「ふざけんなよゴルァッ!!」
寝ている母の腹を蹴り上げる。咽せる母。顔面を殴ると、しぃの鼻から血が吹き出た。
「汚いじゃねぇかぁ婆よぉ」
「ウブブ、ユル、ユルジデェ……」
哀願する母をギコは痛め続ける。耳をもぐ、歯をへし折る。ギコの考え得る限りの残虐行為。
「シィィィィギィイァァァァァァァァアァァァアアアア!!」
しぃの悲鳴。もっとも近頃の世の中、しぃの叫び声が聞こえてきても、助けに来る香具師はいない。
頭を鷲掴みにして、椅子の角に勢い良くぶつける。
肉片と血が椅子の角に付着し、忌々しい母は、もう二度と動かなかった。

224 名前: ナヒャ(yWVxXezQ) 投稿日: 2003/05/05(月) 16:25 [ GHsg/36Q ]
4/4
母殺しを終えたギコは、一件の交通事故を偶然、目撃した。
赤い血溜まりの中、長い手足を、変な方向に曲げている体が見える。
モナー族の無邪気な顔に、その長い手足や、鍛え抜かれた筋肉は、あまりに不釣り合いだった。
赤いスプレーで撒き散らしたように、口から血が飛び散っていた。
野次馬が集まっている。その野次馬を掻き分けて、進み出る一人のAAがいた。
彼は、死んだように動かない事故の被害者に、ゆっくりと、歩み寄った。
ギコは、黙って彼のようすを見ていた。
「ぁ、あ……」
意味の無い発音が、彼の口から漏れる。
いや、この発音には、単なる言葉よりも深い意味が込められているのかも知れない。
彼は、被害者のそばにしゃがみ込んだ。彼の膝が、血で濡れた。
「死ぬなんて、バカな。君は、いつだって、殺しても死にそうになかったのに」
ギコは、彼の目から涙が零れるのを見た。
その時、血塗れの被害者の右手が、かすかに動いた。まるで、彼の涙に反応するかのように。
救急車のサイレンが聞こえる。
救急隊員が、駆けつけた時には、被害者は事切れていた。
野次馬にも、救急隊員にも構うことなく、彼は被害者に縋り付き、嗚咽を漏らしていた。
「嫌だよ。死んじゃ嫌だよ。
 また、僕を追いかけてよ。また、元気にキモイ姿を見せてよ、8頭身!」

ギコは、遠いちびギコ時代を思い出していた。
母親に理不尽に怒鳴られ、公園のベンチに座ったあの日。
隣に座った者は、言っていた。
「漏れ、いや、漏れ達の仲間は、決して愛して貰えない。キモイから」
  そんなこと、無いじゃねぇかよゴルァ。
  お前だって、良い友人に愛されてるじゃねぇか。
ギコは、野次馬達が去った後も、一人、歩道に佇んでいた。
これから、ギコは家へ帰る。妻子の待つ家へ。

 完