紅月夜行

Last-modified: 2015-06-19 (金) 00:09:28
729 名前: リュト(Z47XF8Xo) 投稿日: 2003/08/20(水) 12:03 [ xKuO1Vqw ]
紅月夜行

私は家路を急いでいた。紅い月の下、弟の手を引きながら、小走りで。
私はちびしぃ、弟は勿論ちびギコ。私達は母の見舞いに行った帰りだった。
母は通りすがりの虐殺厨―つまりは通り魔―に殴られ、病院にいる。私達は毎日母のお見舞いにこの道を通っていた。
いつもなら、ここまで暗くなる前に家路に着く。しかし、今日はついつい長話をしてしまった。明日の学芸会の事を話し終えた頃には、もう辺りは薄暗くなっていた。
母は急いで帰ろうとする私達に、今から変えるのは危なすぎるから、ここに泊まっていきなさい、と私達を引き止めたが、私達は帰らない訳にはいかなかった。
 恐らく、家では父が首を長くして私達の帰りを待っている。六年前、母を捨てた父が。
 帰ったら、父の晩御飯の支度をして、作業着にアイロンをかけ、明日私達の学校で行われる学芸会の用意―と言っても、私の役目は背景の木だが―をしなくてはならない。とてもではないが、一晩をこの薬の匂いのプンプンする病院で過ごすことは出来ない。第一、病人でもないのに病院に泊まれるはずが無い。面会時間も残り一分程度。私達は母にさよならと告げ、病院を出た。
 辺りはすっかり暗くなり、不気味に紅い月だけが、星一つ無い夜空に浮かんでいる。
 私達はその紅い月の下を、小走りで走り出した。

 いつもの煙草屋の角を曲がり、いつものコンビニの前の交差点で道路を渡り、いつもの商店街まで辿りついた。そして、この商店街を抜け、いつもの魚屋の角を曲がれば、いつも見慣れた住宅街、そしていつもの我が家にたどり着くはずだった。が、その日はいつもとは違っていた。
「ナニよ…、コレ?」
 いつもの魚屋、「魚藻羅」の角を曲がったにも拘らず、そこは見慣れぬ商店街だった。両端に店が並んではいたが、明かりはついておらず、店の看板には、「引気居しぃ精肉店」、「+激しく棍棒+」、「ギコ皮骨肉店」などの文字が並んでいた。床は、まるで誰一人踏んだ事の無いような新品同然の―しかし、どこと無く赤く見える―タイルが敷いてある。そして、商店街を照らすライトは不気味なまでに青白かった。傍から見ると、人魂が並んでいるように見える程である。
 私達は驚き、後ろを振り返った。そこにも商店街が続いていた。しかし、いつも見慣れたあの商店街ではなく、ついさっきまで私達の目の前にあった、あの―不気味な気配が彼方此方に漂う―商店街だった。
「お、おねぇタン、こ、ここはどこデチか?ちびタンこんな場所、知らないデチ…」
 弟が怯えた顔をして、私にしがみ付いてくる。しかし、私には弟を満足させる返答は出来ない、なぜなら―
「そんな、私だってこんな場所、しらないよ…。」

730 名前: リュト(Z47XF8Xo) 投稿日: 2003/08/20(水) 12:04 [ xKuO1Vqw ]
 その時、背後に異様な殺気を感じた。振り向くと、そこには雨合羽らしきものを目深に被ったアヒャがいた。左手にはカンテラを、右手には真っ赤に染まった血塗れの包丁を持っている。カンテラの明かりがアヒャの顔を斜め下から照らしているが、何故かその顔はよく見えなかった。
「ヒャッヒャッヒャッヒャッヒャ…、ずっと待ってたっヒャよ…。」
 その不気味な笑い、手に持った包丁は、正にそのアヒャの「狂気」を示すものだった。
「に、逃げるわよッ!早くゥ!」
 そう言うと同時に、私は走り出していた。弟も後ろから駆けて来る。しかし、アヒャが追いかけてくる様子は全く無い。背後で、ヒャッヒャと薄笑いを浮かべているだけである。
 私達は、商店街の角を曲がった―やはりそこも商店街であったが―。そして、角からこっそり頭だけ出して、今駆けてきた道を振り返った。しかし、そこにアヒャはいなかった。

          ヒタッ     ヒタッ    ヒタッ

 背後から、足音が近づいてくる。まさかと思い、後ろを振り返る―

 そ こ に ア ヒ ャ は い た 。

「デヂィィィィィィ!」
 弟の断末魔が商店街に響き渡る。アヒャの振り下ろした包丁で鼻の辺りまで割られ、赤黒い血を噴出し、倒れた。辺りはしばらく静まり返り、弟の血の流れる音だけが聞こえていた…。
「ぎ、虐殺厨!た、助けてッ!誰か、助けてェェェ!」
 もう無我夢中だった。ひたすらアヒャから逃れようと走った、走った、走った。途中で息が切れ、転びかけたが、「ここで逃げなきゃ殺される」の思いが私をなおも走らせた。
 しかし、三つ目か四つ目の角を曲がったその先にいた、雨合羽の後姿…。
 アヒャだった。アヒャの前には弟であった肉塊が落ちている。アヒャはゆっくり振り向き、私に言った。
「帰ってきたっヒャね。良い子アヒャ。」
 その時見たアヒャの顔は、右目のあったであろう場所に何かが深くつき刺さったような傷が残っていた。ついさっき刺されたような生々しい傷にも拘らず、血は一滴も流れてはいなかった。
 そして、私の頭に、赤い包丁が振り下ろされた。私はどこか、暗い淵に沈んでいくような感覚を味わっていた…。深い、深い闇の底へ…。

731 名前: リュト(Z47XF8Xo) 投稿日: 2003/08/20(水) 12:05 [ xKuO1Vqw ]


 私は今、商店街に立っている。弟と二人並んで。
 もうどの位ここに立っているだろう。黄色く光る月はもう幾度となく見た。気の遠くなるような時間を、私達はただただ立ったまま待っていた。不思議と疲れや空腹は感じなかった。
 商店街の入り口から、「うおっ、なんか凄いところ迷い込んじまったぞゴルァ!」と、まだ若いギコの声が聞こえてきた。
 じきに、迷いギコは雨合羽を目深に被り、両手でカンテラを抱えた弟と、同じく雨合羽を目深に被り、両手を後ろに回した私達姉弟を見つけることだろう。そして、「お嬢ちゃん達、ここがどこだか知らないか?」と聞く筈だ。
 そしたら、私は包丁でそのギコを刺し、言う。「ここは貴方の墓場…。ずっと、ずっと待っていたわ…。」と。
 どんなに逃げようと、私達は絶対に逃がしはしない。千日にたった一度の、紅い月が夜空に昇った夜だから。
 あのアヒャが、ずっと待ったように、私達もずっと待ち続けた、紅い月が夜空に昇る夜だから…。

[糸冬]