I need you

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710 名前: I need you(1/16) 投稿日: 2004/04/10(土) 18:04 [ ktQ2uZWs ]
NG博愛主義02
(関連 >>530-539)


 モニターの中で、でぃが掃除をしている。
 画質の粗さは仕方ない。彼女に気付かれないように録画しようと
考えれば、画素よりカメラの小ささが大切だ。
 彼女はとても醜い姿をしていた。けれど、容姿の醜さなど気に
ならないほど可愛いしぐさをする事がある。くしゃみをした後に、
恥ずかしそうに周囲を見回す姿。真剣な様子で鉢植えに水をやって
いる姿。料理を味見して、満足そうに頷く姿。撮られている事に
気付いていない無防備な映像の全てが、彼にとっては永久保存版の
宝物だ。
 彼女を見つめる一途な目は、恋に似ていた。

711 名前: I need you --- D(2/16) 投稿日: 2004/04/10(土) 18:05 [ ktQ2uZWs ]
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 でぃは多分、幸福だ。
 保護されてから生活は、ひどく居心地悪い物だったけれど。
 充分な食事や柔らかい毛布は、失う不安をでぃに教えたけれど。
 彼に触れられる度に、自身の醜さに泣きたくなったけれど。

 それでも彼の隣にいたいと思うのだから。
 彼女は多分、幸福だった。

712 名前: I need you --- D(3/16) 投稿日: 2004/04/10(土) 18:05 [ ktQ2uZWs ]
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 モララーが忘れ物をしたのだと思った。
 そう思うほど、彼の訪問はすぐだった。
「こんにちは」
 インターホン付属のテレビ画面の中で、彼は窮屈そうに身を縮め
ていた。このマンションは広々とした設計だったが、それでも三頭身
用の施設でしかなく、八頭身の彼にはあまりに小さすぎた。
「君を殺しに来たんだけど、入れてくれないかな?」
 宅配に押印を求めるような、気負いのない口調だった。
「入ろうと思えば入れるんだけど、そっちでオートロック解除して
もらえると余計な破壊活動しなくてもすむからね」
 玄関を壊すとでぃ以外の住民に迷惑だから、と、彼は育ちの良さ
そうな笑顔で言った。
「……もしもし? 聞いてる?」
 でぃは悪い夢を見ているような気がした。

 インターホンのコードを引き抜く。
 ノイズと共に八頭身の姿は消え、声も聞こえなくなった。一緒に
エントランスの彼が消えてしまったような、愚かな錯覚を覚える。
「アウ・・・」
(何で? 誰? どうして私を?)
 この分不相応な生活がいつまでも続くはずはないと、彼女は信じて
いた。けれど、こんな終末を迎えるつもりではなかった。でぃは
モララーの手で殺されるはずだったのに。
 階下から聞こえたガラスの割れる音に、でぃは身を震わせた。彼が
割ったであろう事は疑う余地もない。
 でぃの呼吸が速くなる。心拍数が上がり、嫌な汗がにじんでくる。
「・・・イヤ」
 彼女はとっさに電話を手にとった。けれど結局、番号を押すこと
なく受話器を戻した。
 誰に助けを求めるというのだ。
 被虐者を底辺にしたピラミッドの中で、モララー族の位置は決して
低くはなかったけれど、それでも、頂点の八頭身種にはかなわない。
(隠れよう)
 抵抗してどうにかなる相手ではなかった。
 たかがでぃを殺すのに、八頭身種が本気になるわけはない。その場
をやり過ごせば、彼はきっと飽きてどこかに行ってしまう。
 彼女は部屋を見回した。
 三頭身AAが隠れられるような場所は見つからない。
(……寝室)
 でぃはクローゼットの中に身を隠す事に決めた。

713 名前: I need you --- D(4/16) 投稿日: 2004/04/10(土) 18:06 [ ktQ2uZWs ]
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 扉の内側に付いているネクタイかけを引っ張って、クローゼットを
ぴったり閉める事に成功した。内側から閉めた事は、八頭身にはきっと
分からない。
(落ち着きなさい、呼吸を乱さない)
 静かにしていれば、彼はきっと気付かず帰ってしまう。
 クローゼットの中はモララーの匂いでいっぱいだった。彼のスーツ
が毛皮に当たり、膝に抱き上げられた時の感触を思い出す。
(……モララーさんは、きっと大丈夫)
 週末になると決まって一人で出かけていく彼は、夜になるまで帰ら
ない事が多かった。それに、もし八頭身がいる間に帰ってきたとして
も、聡明な彼は異変に気付いて逃げるだろう。
 けれど、もしかしたら……。
 モララーが自分のために八頭身に無駄な戦いを仕掛けるかもしれ
ない。そんな自惚れた考えを、でぃはすぐに切り捨てた。だって、
自分はでぃなのだから。こんなに醜い種族を愛する物好きなんて、
いるはずがないのだから。
(あり得ない。私は、そんなに大事じゃない)
 彼に愛されたくなかったと言えば嘘になる。けれど、モララーが
彼女の為に無茶する理由の無いことが、今のでぃには嬉しかった。

 呼び鈴が鳴らされた。
 クローゼットの中で、でぃは膝を強く抱きしめて縮こまった。
そうやって小さくなっていれば、八頭身に見つからずにすむとでも
言うように。

714 名前: I need you --- D(5/16) 投稿日: 2004/04/10(土) 18:06 [ ktQ2uZWs ]
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 もう一度呼び鈴が鳴った後、玄関のドアががちゃがちゃと音を
立てた。
 でぃはぎゅっと目を閉じて、一層小さくなる。願った分だけ小さく
なれるのなら、彼女はもうノミよりも小さくなっていただろう。

 玄関のドアが叩かれた。
 ノックなどという優しい物ではない。サンドバッグでも殴るように
リズム良く、彼は鉄製ドアに悲鳴を上げさせている。
 きっかり20回持ちこたえて、ドアは力尽きた。
 歪んだドアの開かれるぎちぎちした音が、でぃの心を軋ませる。
恐怖以外の感情は何も思い浮かんでこない。

 圧倒的なストレスを受けながら、それでも彼女は、いっそ死にたい
などとは思わなかった。
 モララーはでぃに沢山、分不相応な贈り物をくれた。紫のマグカップ
や、醜い彼女に触れる事を嫌がらない優しい手だ。
 だからでぃは返さなくてはならない。モララーが望むなら、彼女の
全ては彼の物だ。血も肉も臓物も心も骨も毛皮も目玉も魂も。
 だから、見知らぬ誰かに渡す訳にはいかない。

 玄関でごそごそと音がした。
 八頭身が靴を脱いでいるらしい。
「おじゃまします」
 玄関を壊して無断侵入しているわりには、彼は礼儀正しかった。
……そうだ、今この瞬間も、彼は何ら違法な行為はしていない。彼が
壊した物は全て三頭身種の所有で、この部屋だって、貸し主も借り主
も三頭身種だ。八頭身種の彼が咎められるはずが無かった。
「いるだろう? 出ておいで」
 でぃは無人を装う。
「……分かってるんだよ?」
 彼は溜息をついて、廊下を歩きはじめた。
(そんなはずない。そう言えば出てくると思っているだけ)
 でぃは自分にそう言い聞かせた。けれど、彼の足音が近付いてくる
につれて、鼓動がどんどん早くなる。
 彼の足音が、寝室の前にさしかかった。
(そのまま通り過ぎて。リビングに入って、私を見つけないまま、
帰ってしまって)
 足音は寝室の前で止まった。
 でぃの心拍数は上がり続ける。
(過ぎて。お願い)
 彼女は息を止めた。狭いクローゼットの中では、震える呼吸音は
ひどく大きく聞こえる。それが、八頭身にも聞こえてしまいそうに
思えたのだ。
(行ってしまって)
 でぃの願いは虚しく、寝室のドアは開かれた。

 隠しカメラがクローゼットに入るでぃを映していたから。
 八頭身がまっすぐに彼女の隠れ場所に向かった事は、そう説明
できるかもしれない。
 けれど、もっとふさわしい説明もできる。

 彼女はでぃ族だったから。
 幸運の女神は、醜く弱い彼らを愛さない。

715 名前: I need you --- D(6/16) 投稿日: 2004/04/10(土) 18:06 [ ktQ2uZWs ]
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 クローゼットが開かれた。
 朝とも昼ともつかない明るい陽光が、でぃの足を照らす。
 彼女は顔を上げられなかった。恐怖に凍り付いたまま、腕で抱えた
ひざこぞうをじっと見つめている。
「クローゼットは良くない選択だ。生き残りたかったら、大時計に
隠れなくてはね」
 仔ヤギさん、と彼はでぃに呼びかけた。

 狼を母親だと信じてドアを開けてしまうヤギ達の寓話を、でぃは
知らない。寝物語を聞かせてもらえるような恵まれた子供時代は、
彼女には無かったから。
 もっとも、話を知っていたところで、彼女の恐怖が軽減されたわけ
ではない。救われる仔ヤギ達と比較して、己の惨めさが際立っただけ
の事だ。

 大きな手がでぃを抱き上げた。
 拒絶を伝えようと開いた口からは、結局、意味を成さない音の連続
しか出てこなかった。声に出せなかった言葉達は、でぃの頭の中で
反響し続ける。
(止めて。嫌。殺さないで。殺さないで。殺さないで)
 彼の手から逃れたくて、全力で腕を押し返す。けれど、彼の腕は
びくともしなかった。それはそうだ。その腕は、直径で彼女の三倍
近くあり、巨木の枝を連想させるほどの物だったのだから。
 でぃは精一杯抵抗したが、それは八頭身から見れば、抵抗と呼ぶに
値しないほど弱々しい動きだったに違いない。

 八頭身はでぃを抱いたまま、モララーのベッドに腰を下ろした。
 想定を大きく上回る重量に、ベッドの木枠が苦鳴を上げる。
「さて……」
 彼は大きな――三頭身から見ればもちろん、八頭身の彼と比較して
も大きな――荷物を足元に下ろした。
 彼はでぃを、向かい合わせになるように抱き直した。互いの腹を
合わせる体勢が、でぃにはひどく嫌だ。少しでも体を離そうと、両腕
を突っ張らせる。
「……ちょっとごめん、力抜いて。手、折れるよ」
 物騒な発言に、でぃは反射的に腕を引いた。その隙に合わせて、
彼の手がでぃの背中を押さえた。強制的に、彼の体に顔を埋める
事になる。ウールのジャケットは柔らかくて、かすかにコロンの香り
がした。
 誰が何と言おうと、モララーの物でない感触は彼女には不愉快だ。
「イヤ・・・ヤメ」
 やっと声が出た。
 けれど、もちろん、八頭身が彼女の言葉を聞いてくれるはずは
なかった。片手ででぃの背中を押さえたまま、空いている方の手で
荷物の中を探している。
 彼が何を探しているのかなんて、でぃは考えたくもない。
「ハナシ・・・」
 八頭身の腕の中でもがきながら、でぃは考える。どうすれば、自分
は彼に殺されずにすむだろうか? そもそも、彼はどうして自分なんか
を殺しに来たのだろうか?
 足首に得体の知れない液体を塗られて、でぃの思考は中断した。
毛皮越しにもはっきりと冷たい感触がある。怯えたでぃが身を震わせ
ると、八頭身が少し笑った。
「ただのアルコールだよ。次は、ちょっと痛いけどね」
 言葉の後に、足首に何かが刺さった。それだけでなく、刺さった
周辺に、肉を引き絞られるような痛みが生まれる。
「……はい、終わり。麻酔をかけておかないと、本当に保たない
から」
 君達はとても繊細だ、針を抜きながら彼はそう言った。

716 名前: I need you --- D(7/16) 投稿日: 2004/04/10(土) 18:07 [ ktQ2uZWs ]
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 麻酔が効くまでしばらくかかるから、話でもしようか。
 八頭身の提案は馬鹿げていた。少なくともでぃは、彼と談笑する
気などない。けれど彼女の意志など、彼にとってはどうでもいいこと
なのだろう。
「自己紹介。……というほど大した物じゃないけど」
 彼はある映画の題名を挙げた。その題名には、でぃは聞き覚えが
あった。「包丁嫌いのつー」……題名の通り、刃物を嫌うつー族の
少年(?)のドキュメンタリーだったはずだ。
 テレビ放映されていたそれを、でぃは冒頭15分だけ見ている。
風呂から出てきたモララーが、慌ててチャンネルを変えたので、
どんなラストを迎えたのかは知らないが。
「君の保護者は、気に入らなかったみたいだけど」
 モララーは、その映画はくだらないから見てはいけないと言って
いた。奇をてらっただけの駄作だと。
 どうして八頭身がその事を知っているのか、でぃには分からない。
けれど、映画をけなされた監督がモララーに危害を加えるのではない
かと、彼女は不安に思った。
「そんな顔しなくても、大丈夫。三頭身が理解しなかったからって
怒るほど、短気じゃないよ」
 彼は正確にでぃの表情を読みとっていく。それはきっと、種族故の
先天的な観察力によるものだったのだろうけれど、まるでモララーより
彼女の事を理解していると言われているようで、でぃは悔しかった。
 八頭身の手がでぃの頭を撫でた。彼から優しく扱われるのは、乱暴
に扱われるよりも嫌な事だ。
 でぃが望んでいるのは、モララーの手だった。他の手は要らない。
他の手に優しくされるくらいなら、でぃは誰からも優しくされない
方がいい。
「君は、新作の主演女優だ」
 でぃを抱き込むように背を丸めて、彼は彼女の耳に囁いた。
 でぃは、映画のナレーションを思い出した。八頭身が囁く声は、
確かにナレーションの声と同じだった。

 刃物を嫌がったつーは死んだのだと、でぃは思った。
 テレビ画面の中で、何も傷つけずに生きていく方法を探していた
彼は、きっと八頭身に殺されたのだ。

「ナン・・・デ」
 元々どもりがちなのに麻酔まで加わり、でぃは上手く言葉が出せ
ない。
「君は、とても幸福そうに笑ってたから」
 稀少だと、彼はでぃをそう評した。それは、つー族の少年に向け
られたのと同じ言葉だ。
 故に殺されねばならないと言うなら、それはもう稀少ではなく
異端だと、でぃは思う。

 それきりでぃは、八頭身が何を言っても応えなかった。弾まない
会話に、彼の口数も少なくなる。

 部屋の中は静かになった。目覚まし時計の秒針の、ちくちくした
音だけが時間を進めて行く。
 でぃの背中を撫でていた手が、不意に離れた。
 もちろんでぃは、逃げようと思った。寝室を出るどころか、ベッド
から下りることもできずに八頭身につかまるだろうが、それでも行動
せずにはいられなかった。しかし。
「……効いてるみたいだね」
 八頭身にもたれかかったまま、でぃの体は動かない。
 意識は明確で、眠気も全く感じられないのに、投薬の効果は確実に
彼女から力を奪っていた。
「ア・・・ウア・・・」
 八頭身はでぃを片腕に抱きかかえて、もう片方の手で荷物を持ち
上げた。
 モララーの目覚まし時計を確認して、彼はでぃに微笑みかける。
「10時47分。今、君は死んだ」
 まだ生きている彼女に、八頭身は死亡を宣告した。

717 名前: I need you --- D(8/16) 投稿日: 2004/04/10(土) 18:08 [ ktQ2uZWs ]
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 でぃはリビングのテーブルの上に、仰向けに寝かされた。
 ほんの一時間前には、モララーと朝食を摂っていたテーブルだ。

 八頭身は楽しげに、ビデオカメラを三脚に固定していた。
 ファインダーをのぞき、でぃにピントを合わせたらしい。
「じゃあ、始めようか」
「・・・ヤ・・・」
 でぃの声は小さな物だったけれど、彼女とは比較にならないほど
聴覚の優れた八頭身には聞こえたらしい。彼は笑顔で首を振った。
 八頭身がメスのカバーを外した。切れ味の良さそうな刃に陽光が
反射して、でぃは少しまぶしい。
「君を64個に分けて、ガラスの標本にする。映画館に、一つずつ
置いておくんだ」
 でぃはきっと沢山のAAから同情される、彼はそう言った。
「稀少な物が駄目になってしまうのは、とても悲しい事だからね」
 でぃは、見知らぬAAからの哀れみなど欲しくなどない。
 八頭身と視線が合った。
 彼はうっとりと目を細めた。
「いい表情だ。死ぬのを嫌がるでぃ族なんて、初めてだよ」
 見込んだ通りだと、彼は頷いた。

 彼の言葉に、でぃは以前の自分を思い出した。
 かつてのでぃは、死に恐怖など抱いてはいなかった。彼女の毎日は
苦しみの縦糸に悲しみの横糸で織られた物だったから、でぃはそんな
醜い世界に未練など無かった。彼女は、ただ惰性で生きていたに
過ぎない。
 けれど今、でぃの隣にはモララーがいる。
 彼はでぃの糸を真っ白に染め上げてくれた。彼のいるこの世界は
とても美しいと、彼女は思う。この美しい世界から切り離される事は
ひどい苦痛だった。それでも、でぃを終了させるのがモララーなら
彼女は耐えられたのに。

 八頭身のメスが下りてきた。
 痛みは無く、けれど確実に彼女は切り裂かれていく。
 でぃは八頭身の手元を目で追おうとした。けれど、頭が動かせない
彼女には、血のあふれる傷口は見えなかった。それは、むしろ彼女に
とっては幸せな事と言えただろう。
「感じないと思うけど、もう切れてるよ」
 八頭身がメスを持ち上げて見せた。赤い雫が、手術用手袋をした
彼の手に滴る。
「ヤ・・・メ」
 彼は、でぃの額を撫でてくる。
「今の君は、最高に綺麗だ。……やめてあげられない」
 作業は再開された。

 ビデオカメラは無機質にでぃを見つめている。
 じーっという撮影音が、記録されているという事実を彼女に思い
知らせる。
 レンズの向こうに、でぃは群衆を幻視した。ポップコーンを頬張り
ながら、稀少な物が駄目になってしまう悲劇とやらに酔いしれるAA達
の姿だ。

 視線を八頭身に戻したでぃは、信じたくない状況を見た。
 八頭身の手の中に、彼女の腕があった。体から切り離され、毛皮を
剥がれ、彼女の右腕は真っ赤な肉を見せていた。
 八頭身が、タオルで彼女の腕を拭く。自身の肉を布で擦られる光景
に、でぃは、存在するはずのない痛みを感じた。
「中指、なかったんだ。……困ったな、数が足りない」
 タオルで血を拭き取られた腕は、桜色の筋組織を晒している。
ごわごわしがちな毛皮の下にあったとは思えないほど、それは綺麗な
色だった。
 ぶつぶつと呟いていた八頭身は、肝臓を一つ多く切り分けて数を
合わせる事に決めたらしい。
「8に8を掛けて64。8は聖なる数字だからね」
 でぃを見下ろした彼は、彼女の涙に気付いて優しく笑った。血の
付いた指が目尻の雫をすくい、彼の口に運ぶ。
「雨の日の海の味がする」
 でぃは心底、彼を異質だと感じた。

 八頭身は、でぃの手にハサミを入れ始めた。ぷつりぷつりと、彼女
の指を切り離していく。小さく分けられた彼女の体を、彼は足元に
用意したバケツに落としていった。
 でぃ族は弱い。今すぐ世界一の外科医に持ち込んだとしても、彼女
の腕はもう元には戻らないだろう。
「ヤメ・・・」
「止めてって……。もう、手も足もないんだよ?」
 それでも助かりたいのかと、彼は首を傾げた。

718 名前: I need you --- D(9/16) 投稿日: 2004/04/10(土) 18:08 [ ktQ2uZWs ]
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 でぃは神など信じていなかった。
 彼女の生きてきた世界は、神に作られたとは思えないほど、苦痛に
満ちた醜いものだったから。
 けれど今、救いを求める対象として、彼女はそれを必要とした。

 神様。私のことを気に留めては下さらなかった神様。
 あなたが叶えて下さらなかった、全ての願いを諦めます。
 美しくなれなくてもいい。強くなれなくてもいい。もう、あの
優しい人の側で生きられなくてもいい。
 だから、今ここでは、死なせないで下さい。
 あの優しい人のいる場所で。……許されるなら、あの綺麗な優しい
手にかかって死なせて下さい。

719 名前: I need you --- D(10/16) 投稿日: 2004/04/10(土) 18:08 [ ktQ2uZWs ]
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 生きたいと答えたでぃに、八頭身は嬉しそうに息をはいた。
「君は本当に稀少だ」
 そして、彼のメスは胸元に下りてきた。
 八頭身の手は迷い無く、でぃを切り開いていく。
 血に濡れた、ひも状の内蔵が引きずり出されたのが見えた。多分、
小腸か大腸のどちらかだ。
 でぃのすり切れそうな精神を、モララーの存在が支える。
 彼女は、狂う事すら許されなかった。
「カ・・・サ、マ」
 でぃの言葉を聞き取った八頭身が、愛おしげに微笑む。
「君の悲劇に祝福を」

 腸をバケツに落として、八頭身は次の臓器を抜きにかかった。
「肝臓。綺麗な形だね」
「腎臓。感触がいい」
「膵臓。案外小さいんだよ」
 ご丁寧に、彼は一つずつ彼女の視界に入れて解説し始めた。
 でぃの中身はどんどん無くなっていく。
「肺や心臓は、また後で」
 彼は金属製のヘラを持ってきた。ヘラの先があまりに目の近くまで
下りてきたので、でぃは上手く焦点が合わせられない。
 左目のまぶたの際に、へらが触れた。
 視神経が切れた。
「ア・・・ウ? ・・・ア、ア、アア」
 でぃからえぐりだした左の目玉を、彼は手の平に置いてじっと
見つめている。
「眼球。宝石みたいだね」
 でぃの右目と、でぃの左目が合った。
 恐怖から解放された左の目玉は、まどろむように穏やかだった。
(神様、どうか)
 右の視神経も切れた。

 麻酔の効いている現在、彼女に残された感覚は聴覚だけだった。
「まだ、生きたい?」
 彼は期待のこもった声で、そう聞いてくる。
 死にたいと答えれば、あるいは彼をがっかりさせる事ができるかも
しれない。けれど、彼をがっかりさせたところで、でぃには何の利益
もない。彼女は、素直な気持ちを答えた。
「そう。……君の保護者に、何か言い残す事は?」
 伝言したい事など、彼女には無かった。
 でぃはただ、

720 名前: I need you(11/16) 投稿日: 2004/04/10(土) 18:09 [ ktQ2uZWs ]
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 電話が鳴った。
 彼はちらりとそちらに目を向けたが、すぐに作業に戻った。
とってやっても良かったのだが、手が血塗れだったので洗うのが
手間なのだ。

 電話はいつまでも鳴り続ける。
 かけている相手は、絶対に誰かが出ると思っているらしい。

 彼は溜息をついて、流しに向かった。手を洗い始めた途端、
電話が鳴り止んだ。
 どうせ諦めるのなら、あと3コール早く諦めて欲しかった。
そう思いながら、彼はテーブルに戻ろうとする。

 また電話が鳴り始めた。
 彼は着信番号を確認して、相手を許す事にした。

721 名前: I need you --- M(12/16) 投稿日: 2004/04/10(土) 18:09 [ ktQ2uZWs ]
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 モララーは自分の毛皮の匂いを確認した。
「……やっぱ、洗い立てって感じがするな」
 ボディソープは自宅と同じメーカーの物を用意していたが、
出ていく時より帰ってきた時の方が匂いが強いのは、どう考えても
おかしい。
 普段は、程良く匂いが抜けるまで帰らずにいるのだが、今日は
でぃと連絡がとれずに不安になったのだ。
「血の匂いは取れたし……最悪、風俗行った事にしとくか」
 そんな事を考えなくても、彼から話さなければ、彼女はきっと追求
したりはしないだろう。

 マンションに帰ると、エントランスのガラスが割られていた。

 自宅に引きこもるなり、逃げるなりしたのだろう。あたりにAAの
気配はなかった。
 モララーは足を止めた。でぃの所在確認をするべきなのか、すぐ
逃げるべきなのか、少しの間悩む。
 風がモララーのコンビニ袋を揺らした。まだ暖かいおでんの存在が
思い出される。
「……一緒に食わなきゃな」
 強化ガラスの破片を踏み越えて、彼は建物に入った。
 ありがたいことに、エレベーターは壊されてはいなかった。

 部屋のある階につくと、異変は一目で分かった。よりにもよって、
モララーの部屋のドアが壊されているのだ。
 閉じかけたエレベーターを「開」ボタンで止めて、彼はでぃの現状
を推測した。

 彼女は逃げ出している。あるいは死んでいる。
 未だに彼女が存命して部屋で助けを待っているなど、ありえない。

 モララーの手は「開」ボタンから離れた。
 そして、彼はエレベーターから下りた。
 ありそうにはなかったが、ゼロと言い切れない可能性がモララーを
突き動かした。歩調は早くなり、最後には小走りになって玄関に入る。
 そこには、巨大な靴が一足揃えてあった。
 紛れもない八頭身種の痕跡に、モララーは動けなくなった。

 玄関からまっすぐ突き当たったドアのガラスに、人影が映った。
「おじゃましてます」
 コンビニの袋が指から滑り落ちた。倒れたおでんカップから煮汁が
こぼれだして、コンクリートの通路を汚す。
「おでん? もしかして、たまごいっぱい買った?」
 天井に頭をぶつけそうになりながら、八頭身が中腰で歩いてきた。
 八頭身はコンビニ袋を拾い上げ、中身を確認した。
「ごめん。食べる人はもういないんだ」

 あの時のでぃは、どうして自分に向かってこれたのだろう?
 彼には理解できないほど、彼女の心は強かったのかもしれない。

722 名前: I need you --- M(13/16) 投稿日: 2004/04/10(土) 18:10 [ ktQ2uZWs ]
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「君の部屋だ。入るといい」
 八頭身の勧めは、三頭身にとっては命令にも等しかった。
絞首台に向かう囚人のような心境で、彼はリビングに向かう。

 恐れたような惨状はそこにはなかった。

 慣れ親しんだ血の――それが彼女の物だなんて信じたくはなかった
けれど――匂いこそしたが、でぃの残骸はそこにはなかった。
 八頭身が掃除したのか、血の跡さえない。
 彼女があまり苦しまなかったのならいいと、モララーは思った。

「玄関の修理費用は、僕が持つよ。大丈夫、撮影経費の一部だ」
 煮汁で濡れたコンビニ袋を流しに置いて、八頭身は浴室に入って
いった。
 瞬間、モララーの脳裏に、浴槽に浮かぶ彼女の遺体が想像された。
片腕を引きちぎられ頭蓋を潰された、哀れな遺体の妄想だ。

 八頭身が持ってきた物は、モララーの想像より数段ひどかった。
「形見に一つあげる。目、心臓、耳、尻尾……。骨や内臓が良ければ
そっちを持ってくるけど」
 ホルマリンの匂いがした。
 プラスチックのフタが付いた透明のビンの中で、でぃの破片が
液体に保存されている。
 モララーは反射的に首を振った。
「そう言わないで。後できっと後悔するから」
 彼はモララーの胸にビンを一つ押しつけてきた。たぷんと揺れる
保存液の中で、灰色の目がくるりと一回転した。この目にはもう
あの柔らかな光がともる事はないのだ。
「死にたくない」
 八頭身の唐突な言葉に、モララーは顔を上げた。
「彼女の遺言だよ」
 モララーは、でぃの為に武器をとらなければならない。

 テーブルの上には、見慣れないメスが置いてあった。
 これは多分、八頭身の所有物だ。
 そして多分、でぃの血を吸った凶器だ。
「触るな」
 八頭身の声は、決して威圧的な物ではなかった。表情も、どちら
かと言えば、穏やかな物だった。けれど、モララーは伸ばしかけた
手を止めた。ゆっくりと下におろす。
「それでいい。無謀を勇気と誇るのは、愚かな事だ」
 恥じることはない、彼はそう言って微笑んだ。

 でぃが自分を恨んだのならいいと、モララーは思う。
 肝心な時に居合わせず、今、彼女のために動こうとしないAAに、
彼女がひどく汚い感情を抱いたならいいと、彼はそう思う。
 でなければ、彼女があまりに哀れではないか。

723 名前: I need you --- M(14/16) 投稿日: 2004/04/10(土) 18:10 [ ktQ2uZWs ]
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 モララーは神の存在を認めていなかった。
 彼にとって神という概念は、努力の代わりに祈る事しかしない
AA達が生み出した幻想に過ぎなかったからだ。
 けれど今、憎しみの対象として、彼はそれを必要とした。

 神よ。彼女の魂にふさわしい器を与えなかった、役立たずの神よ。
 彼女の心がどんなに善良だったのか、お前は知ろうともしない。
 全能を誇るなら、今すぐ彼女を生き返らせてみせろ。
 運命なんてふざけた言い訳を、俺はきいてやらない。
 代わりの魂が要るというなら、そこの八頭身を連れて行け。そいつ
は彼女を殺した、紛れもない罪人だ。お前がそれを罪として認める
なら、俺も、しぃを殺した罪で地獄に行ってやる。

724 名前: I need you --- M(15/16) 投稿日: 2004/04/10(土) 18:11 [ ktQ2uZWs ]
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「君はとても幸せなAAだ」
 八頭身は随分的外れな事を言った。
 モララーは、今の自分ほど不幸なAAはいないと思っているのに。
「彼女はすばらしかった。不覚にも、途中で殺すのが惜しくなった
くらいにね。その彼女が、君しか見てなかったんだから」
 モララーなんかにはもったいないと、彼は続ける。
「彼女の笑顔は、全部君に捧げられている」
(……でぃは、笑わねえよ)
 幸せそうに笑う彼女を、彼はついに見る事ができなかった。
 八頭身は嘘をついているのだと、モララーは思う。

 けれど、もしも彼女が本当に笑ったのなら。
 それが迫った死に狂った笑いだったとしても、それを見ることの
できた八頭身が、モララーには少し妬ましかった。

725 名前: I need ...(16/16) 投稿日: 2004/04/10(土) 18:11 [ ktQ2uZWs ]
NG博愛主義02


 モニターの中で、モララーが標本を眺めている。
 画質の粗さは仕方ない。彼に気付かれないように録画しようと
考えれば、画素よりカメラの小ささが大切だ。
 もう取り繕う必要の無くなった彼は、返り血に汚れた衣服のままで
彼女に接していた。彼の両手にすっぽりと包まれて、ガラスの中の
でぃはゆらゆらと彼を見つめている。
「……ほら、やっぱり必要だったろ?」
 彼の呟きが届くはずもなく、モニターの中のモララーは大事そうに
ガラスのビンを撫でていた。

 結局モララーは、稀少とは呼べないAAのままだった。
 虐待を止めるでもなく、精神に異常をきたすでもなく。虐殺から
帰ってきた夜に、こうやって一人で彼女の目を見ているだけだ。
 モララーは、ごくありふれた普通の三頭身モララーでしかない。

 彼はモニターの電源を落とし、失望に溜息をついた。
「君は要らない」


(終了)