第八十話 天空の先へ
「クク……ククッ……そうか……デュランダルは死んだか、そうか!!」
月の裏側に位置する、地球連合軍基地。
ブルーコスモス派の残り少ない拠点となったここで、男は口から漏れ出る愉快な声を、止めることができなかった。
ロード・ジブリール。最後のロゴスメンバー……「元」であることを本人は知らないが……にして、ブルーコスモスの盟主たる男は、この月基地まで後退することを余儀なくされていた。
「これで、まだ!!あの化け物共を抹殺できる!!」
基地の彼の元へと飛び込んできた、プラント最高評議会議長死すの一報。
追い詰められつつあった彼にとって、これほど喜ばしいことはない。
これが、嗤わずにおれようか。
勝機が、見えてきた。
「レクイエムは!!チャージはどうなっている!!」
デュランダルの死んだ今が、最高の好機。
せっかく死んだのだ、葬送歌のひとつも、送ってやらねばな。
彼の口元が、冷酷に歪む。
屈折した悦びに、彼は打ち震えていた。
ロゴスの出資を失い、連合からは切り捨てられ。
子飼いのファントムペイン、ロアノークの部隊も行方がようとして知れぬ。
これまでの屈辱を、倍にして返してやるのだ。
「……レクイエムの準備は、順調なのでありますか?」
背後から問う声に、ジブリールは上機嫌で応える。
「うむ……これでやつら、コーディネーター共を一掃できると思うと、感慨深い」
「左様ですか」
ジブリールは、興奮していた。
だから、違和感に気付かない。
「んじゃ……アンタはもう、用なしだ」
「何?」
と、彼が怪訝な顔を背後に向ける間もなく。
目前で作業を続けていた兵士達が一斉に立ち上がり、振り返り。
引き抜いた銃を、全員が揃い彼に向ける。
「なっ!?」
驚いたのも束の間。
彼の全身は、何十発もの銃弾によって貫かれ、切り刻まれたボロ雑巾と化していた。
「……悪いな。この基地はとっくに『こいつら』に制圧されちまってたんだよ」
金髪をなびかせた男は、無感動に足元の死骸に呟く。
「ただ、レクイエムの起動コードはお前さんしか持ってなかったからな」
かつて上司であった骸に対し、男はひどく冷たく言い放った。
「終わったぜ、美人のねーさん?」
「ええ、流石ですわ。フラガ少佐。ただ」
男は、近寄ってきた濃い色のゴーグルの女性士官に問う。
「『こいつら』ではなく『我々』。それに私のことはサラとお呼び下さいな」
「へいへい」
明らかに自分の監視が目的であろう女はそう言うと微笑む。
惜しい。足元に死体さえ転がっていなければ、随分と魅力的な笑顔なんだが。
ネオ……いや、ムウはひとりごちる。
この状況では、女狐。魔性の笑みにしか、見えなかった。
───何故だ。何故、俺がこんな仕打ちを受けねばならない。
暗い牢獄の中、一人少年は自分に舞い込んだ理不尽に、憤っていた。
眼前には、太く冷たい鉄格子。
どうして、こうなってしまったのだ?
(俺が……ギルを殺せるはずなど、ないじゃないか)
敬愛する、デュランダルを。殺せるわけなどない。
(あいつだ……あいつがやったんだ。あの黒い服の男が)
どうして誰も、気付かないのだ。
あの男がやったということに。
サングラスをかけた黒髪の男の顔が、ちらつく。
……そう。あれは、昨晩のことだった。
レイはようやく時間がとれたというデュランダルに呼ばれ、彼の待つ執務室へと向かっていた。
案内と議長の護衛を兼ねる、二人の武装した警備兵たちに付き添われ。
彼の心は、久々の再会に、心躍っていた。
だが。
開かれた扉の先で、彼が見たのは。
(胸から血を流して倒れる、ギルと……拳銃を手にした、『あの男』───)
今思い出すだけでも、腸が煮えくり返る。
あの状況で、自分が殺せるわけがないではないか。
どう考えても、室内にいたあの男だと思うのが自然だ。
にもかかわらず、警備兵たちは───……
(俺を拘束し、ギル殺害の犯人として連行した)
馬鹿げた話だ。彼らだって、状況は見ていたはずなのに。
しかしそれは逆につまり。
「奴らも……一緒になって仕組んでいた、ということか?」
デュランダル殺害の罪を、レイに着せるために。
それはつまり、連中にはまだ仲間がいるということ。
デュランダルの執務室に出入りできるパイプや、警備兵を摩り替える人事が可能な位置に。
(なんだ……何かが、起ころうとしている……のか?)
だったら、報せなければ。だが、誰に?どうやって?
頭に浮かんだのはやはり、苦楽を共にしてきた、ミネルバ艦隊の仲間達。
だが自分がこの状態では、どうすることもできない。
(……考えろ。考えろ、レイ。どうすればいいのかを)
どうすれば敬愛するデュランダルの仇が討てるのかを、必死にレイは思考していた。
自分は、名目上は要人を殺害した殺人犯。タイムリミットがあまりないのを、わかっていながら。
レイのことも。デュランダル議長のことも。
もちろん、月に集結しつつあるブルーコスモス一派のことだって、気になってはいたけれど。
それでも、行けるはずがないと思っていた。
「……行って、シン」
───『もって、三ヶ月です』。医師の言葉は、あまりにも残酷であったから。
議長が生前に遺してくれた温情措置で、ずっとそばにいられるなら。
いられる間だけ、彼女の側にいてやりたかった。なのに。
「ステ、ラ」
「シン、悩んでる。ステラ、シンの悩んでる顔、見たくない」
背中を押してくれたのは、彼女のほうだった。
「ステラ、笑ってるシンのほうが好き。だから、行って」
「でもっ……!!」
「シンが悩むの、みんなが「死ぬ」こと。「死ぬ」のはダメ、みんな怖いから」
笑顔で、彼女はシンを送り出してくれた。
「ステラ……シンのこと、待ってるから」
「……よかったのか、ほんとに。あの子の側についててやらなくて」
大気圏離脱を控える、ミネルバ。
突入は一度ユニウス7で経験済みだが、若手が多く離脱ははじめてという者が多いミネルバでは、手の空いたものは一人では心細いらしく、手の空いた大半の者達がミーティングルームに集まり、椅子に身体を固定するシートベルトを既に装着しだしている。
その中でシンとジェナスは、話し込んでいた。
彼のことを心配したジェナスが、こちらに移ってきた形だ。
「……ああ。決めたんだ」
シンもまた、タリアに宇宙に行くか、地球に残るかを選ぶよう言われていた。
そしてシンは彼女の心遣いに感謝しながらも、宇宙に行く道を選択していた。
───ステラの笑顔に、応えるために。
『本艦、並びにアークエンジェルの両艦はこれより、大気圏離脱シークエンスに入る。
総員、ショックに備え身体を固定せよ。繰り返す、本艦はこれより大気圏の……』
副長による艦内放送で、一気に室内の緊張が高まる。
「全部、終わらせて、戻ってくるんだ、って。ステラのところに」
「そうか」
大気圏離脱用の大型ブースターを装着したミネルバが、アークエンジェルがその機体を加速させていく。
ブースターによってその形状を更に大きくした二隻は、高く高く、舞い上がる。
彼らが向かうのは最後の戦場、宇宙。