月に花 地には魔法_第02話

Last-modified: 2007-11-15 (木) 22:09:16
 
 

 11月中旬

 
 

 ロラン・セアックの意識が覚醒し始めて最初に考えたことは、
自分のことでもディアナ・ソレルのことでもキエル・ハイムのことでも無く、
ましてカイラス・ギリのビームのことや、ターンAガンダムのことでも無かった。
「メリー…。潰れてしまったのかな」

 

 やがて意識を完全に取り戻し、周囲を見渡したロランは
自分が病室らしき部屋で寝かされていたということに気づいた。
 部屋に置かれている機材を見る限りでは、ムーンレィスの病院にでも担ぎ込まれたのだろうか。
(僕はターンAでカイラス・ギリのビームを受け止めて、それから大気圏に突入したはずだ)
 大気圏に突入し、それでも自分が五体満足で生きているということに対し、
素直に喜ぶことは彼には出来なかった。
 何よりも先に「終わったんだ」という声が不意に漏れ出し、
同時に終わってしまったという事実に悲しくなったからだ。
「ディアナ様、どうして…」
 ロランの目には、黒歴史の遺産でありソレル家の力と悲しみの象徴である
大型モビルアーマー『ムーンバタフライ』を操るディアナ・ソレルの姿が映っていた。

 

 百五十年前の恋にその身を殉じることができず、地球降下作戦を強行したディアナ。
 それによりミリシャとの衝突を引き起こし、かつての恋人の子孫を失った。
 月のアグリッパ・メンテナーと対決するために月へと舞い戻り、
結果としてグエン・サード・ラインフォードという厄災を生み出してしまったディアナ。
 そして自らの手で決着を着けるためにグエンと相討つ形で亡くなったディアナ。

 

 いちばんやさしい笑顔と共に触れた唇の感触を思い出しながら、ロランは静かに涙を流した。

 
 

「艦長代理、面会は20分だけですよ。目覚めていても衰弱していることは間違いないんですから」
「解ってる。必要事項だけ聞ければ十分だよ」
 医務室の前で会話する医師とクロノ。
 モニターの中の男を見つめるクロノのいう「必要事項」が一体何のことを指しているかは、
彼以外には知る由もなかった。
(あのヒゲについて少しでも情報を聞き出せれば良いが…)

 
 

「目が覚めたかい?かなり衰弱していたから、もう2、3日は眠ったままかと思っていたよ。
 収容されてから4日間寝たままだったしね」
 自動扉が開くと同時に子供の声が聞こえ、その声に見合った子供がロランの前へとやってきた。
 思わず涙を拭く。
「いきなりで申し訳ないが、僕は時空管理局執務官クロノ・ハラオウン。
 君の名前と出身世界を教えてくれないか?」
 本当にいきなり質問をぶつけてくるクロノに、ロランは思わず面食らった。
「出身世界?何のことですか」
「何って、君が元々居た世界のことを聞いているんだ。時空転移が行える世界は限られているし」
「あ、あの一体何について話しているんですか」
 会話がちぐはぐになっている。双方がそう結論付けたのはほぼ同時だった。
「えっと。まず、ここはどこですか?ディアナ・カウンターの艦艇?」
「ディアナ・カウンター、何のことだい?ここは次元空間航行艦船アースラの医務室だよ」
「次元空間?言葉の意味がよく理解できませんが…」
 混乱の度合いが増している。クロノはそう考えて、
ようやく目の前の男が次元世界や時空管理局のことを知らないのでは、という思考にたどり着いた。
(あれだけの機械に乗っていたくせに、そんなことあるはずが無いだろうけど、もしかしたら…)
「君はもしかして、次元空間のことを知らない世界の住人なのか?」
「さっきから言っているでしょう!僕はそんな言葉を知らないって」
 訳の解らない単語を使う少年にロランは苛立ちを隠せなくなった。
 ただでさえディアナ様のことで心は張り詰めているのに、これ以上の混乱を招きたくは無い。
「これは失礼した。それなら色々と君に教えないといけないことがある」
 この状況で嘘をつくメリットを思いつかなかったクロノは真実と判断する。
 何から話そうか思案するクロノは、今になって目の前の男の名前を聞いていないことに気づいた。
「出身世界はともかく、名前を教えてくれないか?」
「…。僕の名前はロラン・セアック。ディアナ親衛隊のロラン・セアックです」
 クロノと名乗った少年に『ディアナ親衛隊』の意味は通じないだろうと解ってはいたが、
ロランはディアナへの思いを込めてそう名乗った。

 
 

「つまり、ここは魔法が存在する世界で、この艦はその魔法で動いていて、君はこの艦の艦長?」
「正確には、ここは次元空間といって、世界と世界の間だ。
 それにこの艦は魔法じゃなくて魔力を燃料とした魔力炉で動いてる。
 ついでに僕は艦長代理だ。正式な艦長は現在訳あって艦を降りている」
「はあ・・・」
 こんな会話を30分も続けていればお互いに疲労の色を隠せなくなる。
 クロノは次元世界のこと、魔法のこと、自分とこの艦の事など、必要と思われることを説明していたが、
ロランの理解力の外だったらしく、なかなか話が進展しなかったのだ。
 先ほど目覚めたばかりのロランは相当参っているようで、軽い動悸を起こしかけていた。
 いい加減に本題に入ろうと小さく息を吸ったクロノは、彼が最も聞きたかったことについて切り出した。

 
 

「ロラン・セアック。君が乗っていたあのヒゲの巨人のことなんだが、あれは一体なんだ?」
 ロランは一度瞳を閉じ、深呼吸をすると、クロノの瞳を見つめた。
「その質問に答える義務が僕にありますか?」
(この人達に悪意は感じない。でもターンAのことを知れば、どう出るか)
「義務は無いよ、ロラン・セアック。返答が何であれ、僕達は君の出身世界を探し出して、
 君を元住んでいた世界へ送り届ける。無論、身の安全も保障するよ。
 まあ、アースラが本局に戻る一ヵ月後までは無理だけれど。
 できれば、答えてくれると僕達としてはとても助かる。
 色々と検査してもよくわからないことばかりでね」
 勝手にいじってすまない。と付け加えて、クロノは続ける。
「君があのヒゲの巨人で時空転移してきた時に、僕達は膨大なエネルギー反応を観測した。
 はっきり言って、いくら大破しているとしてもそんな得体の知らないものを置いておくのは怖いからさ」
「怖い、ですか…」

 

 この子は嘘を言っていない。本能的にそう感得したロランは心の余裕を取り戻した。
 彼自身気づいていなかったがカイラス・ギリのビームを受け止めて以降、彼の心は常に緊張状態にあり、
そこへ理解を超えた話を聞かされれば、いかに柳のような心の持ち主でも疲弊してしまう。

 

「わかりました、クロノさん。答えましょう」
「そうしてくれるととても嬉しいよ、ロラン」

 

 面会時間のさらなる大幅な延長を許可してもらうべく医師を呼ぶ一方で、
調査を始めるためにクロノはブリッジのエイミィに連絡を取った。

 
 

「で、クロノ君。この話が全部ロラン君と仕組んだ冗談なら私はすごく嬉しいけど、そんなわけないよね?」
「ああ。ロランが嘘をついているとすれば話は変わるが、嘘にしては話がチープすぎる。
 もっと信憑性のある嘘を考えるさ」
 クロノとエイミィはロランとの会話で得た情報を整理しながら、小言を吐いた。

 
 

「えっと、あのヒゲの名前は『ターンAガンダム』で通称ホワイトドール。
 ロランのいた世界では『モビルスーツ』って呼ばれる兵器の一つらしいよ。
 動力源はDHOG縮退路ってのだっけ?」
「一度稼動すれば、半永久的に周囲の空間からエネルギーを生み出すエネルギー機関。
 代わりに、暴走した場合には周囲の空間を捻じ曲げながら崩壊する…。
 この時点で僕達の技術レベルを超えてるよ」
「その縮退炉から得たエネルギーを使ってIフィールドっていう力場の梁を機体の表面に展開して、
 外から機体を直接駆動させる…。読めば読むほど混乱してくるね」
「でも、その理屈なら『ターンAガンダム』の装甲内部が空っぽだったのも理解できる。
 まあ、ロラン自身も完全に構造や理論を理解してるわけじゃなさそうだけど」
 『ターンAガンダム』のことを考え、思い出しながら語るロランの姿から、クロノはそう推測する。
「その装甲もナノスキンっていう多数のナノマシンからできてる構造材で、
 人間の体が新陳代謝するみたいに常に機体を修復するって。
 ということは、今は大破しててもいつかは新品の状態で復活するってこと?」
 自分の発言に驚いているエイミィに苦笑しながら、クロノはわからないよ、と答える。
「ロランが言うには、『ターンAガンダム』の再生機能はナノマシン自身の自己修復と同時に、
 周囲のナノマシンに干渉して 自らの部品へと中身を書き換えることでもあるらしいんだ。
 僕達の世界のナノマシンはまだ実験段階に過ぎない」
 周囲に干渉できるナノマシンが無ければ、いくら『ターンAガンダム』でも完全な修復はできないはず。
 仮に修復できたとしても、この艦が目的地に着いた後のことになる。
 それがロランの考えであり、クロノとしても少し安心した気分になった。

 
 

「そっか、じゃあ壊れたままなのかもしれないのね。ちょっと安心したかも」
 自分と似たような感想を持ったエイミィを見つつ、懸案事項を彼女に伝える。
「これは僕の勘だけど、ロランは確かに嘘はついてない。
 でも『ターンAガンダム』の全ての性能を僕達に教えてくれたわけじゃなさそうだ」
「…。あの蝶の羽のこと?」
「ああ。多分もう少し隠していることがあると思う。
 でも今は追究しないよ。今回の聴取でロランにはかなり無理をさせてしまったし。それに…」
「それに?」
 少し考えてからクロノは答える。
「きっと、辛い経験をしてきたんだと思う。
 どういった事情で『ターンAガンダム』に乗っていたのかは聞かなかったし、
 聞いて欲しくないと思うしね」
「どうしてそう思うの?」
「自己修復まで可能な兵器に乗っていて、あれだけのダメージを受けたんだ。
 きっと激しい戦いをしていたんだと思う。 それにね、僕が医務室に入る前まで、彼は泣いていたんだ。
 とても静かに、とても優しく、それ以上に悲しくね。あんな泣き方はよほどのことが無いとできない」

 
 

 エイミィに本来の艦長であり、彼の母親でもあるリンディ・ハラオウンへの報告書の作成を頼むと、
クロノは『ターンAガンダム』の保管されている区画へ向かった。
「さて、金魚のおもちゃだったか。特に危険物でもないし、早く返してやらないと」