DEMONBANE=DESTINY_rqMQ90XgM6_10

Last-modified: 2008-04-15 (火) 03:27:16

ザフトの擁する戦艦の一つ、ボルテール。そのレストルームには今、言葉を発する者は誰も
いない。
ユニウスセブン破砕任務に当たっていたパイロットのうち生きて帰ってこれたのはたったの
三人。イザーク・ジュール、ディアッカ・エルスマン、シホ・ハーネンフースのみ。
誰もが疲弊し、誰もが気力を失っている。
新兵達は撃墜され、もう二度と声を上げる事もない。遺骸は黯黒の海を永久に漂流する。
しかし、それが彼らから言葉を奪う要因とはなりえない。
彼らとて前大戦を生き抜いた歴戦の兵、兵にとって死が隣り合わせである事は理解している。
ならば、何が彼らの喉から言葉を奪ったか。
「――くっ!」
荒々しさを秘めた端正な顔が歪む。イザークの脳裏に浮かぶのはユニウスセブンを灰燼に
帰したMSの優に二倍を超える巨体のヒトガタ。そして、それを一瞬のうちに大破まで
追い込んだ六機の黒いヒトガタ。
質の悪い三流小説の光景が現実として眼の前で繰り広げられた、夢のようであった。
しかし、それは夢ではない、いや、夢であった方がよっぽど信じることが出来た。
だが彼が見聞きし感じたものは逃れ得ようのない現実。
六機のヒトガタから放たれた輝きは脳裏にこびりつき、彼の魂に消えようのない皹をいれた。
今も肌に残る感覚が離れない。ストライクのパイロットに撃墜された時でさえ感じた
事のない【それ』が肉体の中心まで侵食していた。
いや、【それ】と面する事は今まで幾度となくあったはずだが、これ程に明確に感じる
ことは今まで一度ともなかったのだ。故に、ここまで彼の身を苛む。
彼を蝕む致命的な傷、それは隣り合わせに生きてきたからこそ気づかなかったもの。

 

――死

 

「………」
明確に意識し、イザークは胸の奥に沈殿したそれを吐き出すように大きく息をついた。
吐き出された吐息は目に見えることなく霧散し、全身から撫ぜるような悪寒は消える。
「ディアッカ」
友の名を呼ぶ。褐色の肌の青年、軽薄ではあるがその実思慮深い一面を持つ男。呼ばれ、
ディアッカは疲労に身を沈めていたソファからイザークへと視線を向けた。
「なんだ?」
「俺達はいったい何を見た」
視線は何処を見るでもなく中空に。瞳に浮かぶのは何かに縋るものでなく、ただ確認する
ために。その声色は昂ぶるでもなく、ただただ静かに、ただただ凪に。
「分からないね。正直なところ俺も何が起きたか未だに理解しかねてるって感じ」
「そうだろうな」
互いの脳裏に浮かんでるのは恐らく消滅したユニウスセブン、二挺拳銃のヒトガタ。
そして黒い六の大鷲とおぞましく苛烈な輝き。
死んだはずなのにこうして生きて、肉があり、意識があり、呼吸をしている。
果たして自分たちは本当に此処にいるのか、これは現実ではなく夢ではないのか。
死の間際に見る走馬灯、誰かが見る泡沫の夢、覚めてしまえば何もかもが消えている。
不意に浮かんだその考え、何故そのような事を考えたのかは分からないが頭に浮かぶ。
いっそそうであって欲しいけれどしかし、肌に感じる大気はそれが夢幻でなく
現実《リアル》だと知らしめる。
「夢じゃないけど、現実とも思えない。俺たちは今、此処にいるのかね?」
「現実でないなら何だ? 俺たちはこうしてここにいる、それだけが事実だ」
「イザークらしいねまったく。じゃあ、あれは現実にあったことってか?」
「俺たちが同時に同じ夢を見れるか? 集団幻覚? ありえん話だ」
「そうかい。じゃあ、俺たちはユニウスセブンが蒸発するのを目の前で見て、ユニウスセブン
 を蒸発させたMSを見て、あまつさえそのMSを大破させるMSを見たのも現実に
 なるわけだ」
「そうなるな」
「一言かよ。グレイト……夢な方がまだ信じられるぜ」
ディアッカの喉から渇いた笑い声が漏れる。がらんどうの部屋に響くそれは空しくて。
彼の皮肉めいた性格を知るイザークだからこそ分かる色だった。
そして、
「隊長」
その笑い声を遮るように少女の声が。艦に着いてから今まで一言も発する事のなかった
シホの声に二人の視線が向く。パイロットスーツに包まれた華奢な身体は窓の外へと
向けられ、視線もまた外に向いていた。
無重力空間に対流する空気に茶の混じる黒髪がその中でただ自由に揺らいでいる。
「どうした、ハーネンフース」
呼びかけられてもまったく微動だにしないシホの姿に、イザークは違和感を抱いた。
彼自身よく理解している事だが、コーディネイターというのは我が強く個人主義を好む傾向に
ある困った人種である。無論これはザフトも例外ではなく、というよりむしろそれの塊の
ような輩ばかりの集まりであることは言うまでもない。
しかし、今目の前にいるこの少女はその中にあって珍しい集団行動を冷静に行う事の出来る
奇特な人種で、つまるところ礼儀正しい女性である。
そんな彼女が上官であるイザークに呼びかけられたと言うのに何も答えないのは、先程の
戦闘の疲労があるにしても奇妙なことだった。
そんな彼女の様子の異常性に、イザークとディアッカは互いに顔を見合わせ頷いた。
壁を蹴り、無重力空間を泳ぎ、二人は彼女の横に立つ。
シホは窓の外を凝視していた。時が凍りついたように彼女はただ一点を見ている。
イザークもそれに倣い彼女の視線を追い窓の外に広がる黯黒の大海を望むが、そこに
見えるのはゆっくりと遠ざかる青い星と無量の星星群のみだ。
別段変わったところは何もない。
「シホちゃん、どうしたよ?」
ディアッカが冗談半分か覗き込むように語り掛け手をシホの眼の前で振るが反応はない。
常の冷静沈着な様子とはうって変わった驚きのみを貼り付けた表情は嫌でも不安を煽られ、
胸のうちにざわめく何かを感じ取らせる。

 

――そして、凍りついたときは動き出す

 
 
 

「隊長、ディアッカ………あれを」
シホの腕がゆっくり持ち上げられ、窓の外を指差した。再びイザークは窓の外を見た。
そこは変わらず黯黒の海原、変わったところなど何もない。
「何もないぞ、ハーネンフース」
そうシホに言ってみるが彼女は聞こえてないように指差すだけだ。もしかすると心身虚弱の
状態に陥ったのか、邪推するがしかし彼女の瞳から理性の輝きは失われていない。
「シホちゃんさ。何にもないぜ、外」
ディアッカも同様に何も見えないのか頭を掻きながら困惑する。が、
「あ?」
それが変わった。一瞬の放心、そして強張る表情。レストルームの空気が変じる。それは
禍々しい輝きに対峙した時に感じたもの。
そして、イザークも見た。
「な……!」
黯黒の大海、青い星の輝きのベールの端にひとつの黒点が生じていた。黯黒の中にあって
なお漆黒のそれは、六の黒鷲に似て――

 
 

*******

 
 

宇宙が蠢いていた。漆黒の虚空に存在する物質はないはずなのに、しかし、その無から
確かに何かが生まれつつあった。
無から生み出される発条【バネ】配管、歯車、鋼線【ワイヤー】、装甲。
無より生み出される骨格、血管、心臓、臓腑、筋肉、皮膚、皮膚。
それは芸術品のように緻密に組み上げられ、織り重ねられ、実体を結ぶ。
パーツでしかなかったそれはある一つのカタチに創り上げられ、組み立てられる。
それはヒトガタ、形なき魂を宿す寄り代となるに相応しいカタチ。
そして、そのヒトガタに火が灯る。
彼は眼を開き、世界を見る。産声を上げた幼子は世界が悪意に満ちている事を知り
泣き叫ぶが、彼は沈黙を守り、己の生が在る事を疑問に思う。
「生きて………るだと………」
模倣された神の胎内でその【青年】は呟く。手をかざし、自分の手を見る。
それは紛う事なき己の手でありながら決して自分のものではない手であった。
そして、

 

「ガァッ!? ガ……アア、グッ……グアアアアアアアアアアアア!!!」

 

――激痛。

 
 

脳内に走る兇悪なまでの厖大な量の情報、神経回路を傍若無人に走り回るそれは
人間の許容量を遥かに超えていた。
駆け巡るそれは人間が認知できた領域を破壊せしめ、そして彼の脳髄を焼き尽くした。
のた打ち回っていた肉体は痙攣し、目は裏返り白目をむく。
人間的な死に面するがしかし、彼は死なない。
彼の見聞きしたあの時までの知識と記憶、そして彼以降に在った知識と記憶、そして
それ以外のありとあらゆる全てが彼の中に刻印【インストール】され、その知識と
記憶が彼の全存在を死から再起動させたのだ。
脳細胞が再構築【リカバリ】されるにつれ、彼の存在を定義するもう一つが起動を
始めた。
賦活する肉体、世界がかつて見えたカタチに変貌していく。血塗れた戦いで見慣れた世界が
再び彼の眼の前に広がっていく。
人間の認知できる色のどれとも合致しない極彩色の世界を彼は認知する。この世界が
かつて彼の戦った世界と違う事を知り、しかし、その世界と同じ領域へと変化している
ことを知る。
「ヒャハハッ……なるほど、なるほどな。夢は夢じゃなくて現実だったわけ……か。
 おまけに、奴等の臭いまでしやがるとはな」
自嘲するような笑み、彼はコクピットとして完成された空間の中で起き上がった。
無重力空間に切り揃えられた白銀髪が揺れる。瞳は兇暴な野犬のように鋭く、肉体は野生の
獣のように無駄がなく鍛え上げられている。
そしてピッチリと着込まれた黒い革に鋲を打ったその服装は彼の凶暴性を指し示すかのように
攻撃的な意匠を施されていた。
銀髪の青年は外に広がる暗闇を眺めた。それはあの時見た黯黒の大海とさして変わらない。
ただ違うのは、今此処に在る自分があの時の記憶を持ち、しかし、それ以上の知識を
身に宿している事。
今在る自分は果たして自分か。それは分からない。だが、あの時の記憶を持ち、こうして
此処に在る事はなんらかの意味を持つのだろう。そしてまた、あの時と同じように奴等と
戦う運命にあるのだろう。【アレ】と関わってしまったからこそ導き出せる答え。
しかし、それだけではない。

 
 

「ある訳だしな…………地球がよ」
青年は笑った。狂犬のような鋭さとはかけ離れた、優しい笑みだった。
嗚呼、自分の戦いは存外誰かの役に立ったのかもしれない。青年の脳裏にどうにも気に食わない
男の顔と口うるさい女の顔が、そしてその周りにいる自分と同年代で【あった】子供達と
たった一人のかけがえのない弟の顔が浮かんだ。

 
 

御伽噺をしよう。それは、一人の男の物語。
彼は存在しなかった。だが、存在した。彼の生涯には最初から最後まで意味はなかった。
彼はマスターオブネクロノミコンであり、マスターオブネクロノミコンではなかった。
彼は少年であり青年であった。狂犬だった、守護者だった。
彼もまた、人類の命運をかけ戦った偉大な戦士であり、なかった。
彼は存在しなかった、いなかった。
誰からも忘れ去られ、誰の記憶からも忘れ去られたのだ。

 

だが、正しき怒りの中に彼の記憶【メモリー】は在った。

 

今一度、彼を物語の舞台へと呼び戻そう。
さあ、彼の名を再び呼ぼう。
彼は魔を断つ刃にして魔を断つ刃にあらず。
彼は存在し、存在しなかった者。
まどろみに見る夢であり、現実。
彼の名は、彼の名は――

 
 

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