「ふう…」
ディオキアの穏やかな潮風に吹かれ、シンは余暇を味わっていた。
「静かだな…」
「やあ、先客かね」
「?」
と、後方から声がした。何気なく振り向くと、そこには一人の男が立っていた。まじまじと見つめると、老人と形容してもいい年齢に思えたが、その筋骨隆々な体躯に、老人という形容は失礼に思えた。
「あ…こんちわ…旅行者の方ですか?」
「そうさな…研究者だ。ハヅキ、挨拶を」
「ん」
よくよく見ると、その男の大柄な体の影には、一人の少女が立っていた。挨拶を、と言われたが、首を縦に振るだけで、これといった動きはしなかった。
「…アスカです。貴方は?」
「ラバン、ラバン・シュリズベリィだ。毎年、一度はここに来る習慣なんでね。君は?」
シンは、ぶっきらぼうに答えた。
「…休暇ですね」
「ほお、大学生かい?いや、ハイスクールかな?」
「……」
何も答えないシンを見て、咳払いしてから話題を変えた。
「む、ごほん、そうか、この辺で働いているのかね?」
「いえ…」
「そうか…ま、人生は色々だからな。む…ははぁ、ここの潮風は気持ちいいからねえ。見たまえ」
「ん…」
シンが視線を向けると、一人の金髪の少女が、この世の一切の枷から逃れた妖精のように、くるくると一切の決められたステップを持たない踊りを踊っていた。
「…?」
「どうした、知り合いかね?」
「いや…どうかな…」
「そうか…む!」
一瞬、少女の顔がなにか恐ろしいものでもみたかのように、強張った。
「?…!」
さっきまで踊っていた金髪の少女が、さっきまで踊っていた場所から消えていた。代わりに、海に一つの沈み行く影が一つ。
「むう、いかん!」
「ん?え!?おい…まさか!ああ!嘘だろ!?落ちた!? ああ…泳げないのかよ!ええい!」
「おい、アスカ君!」
咄嗟に、シンは海に飛び込んでいた。そのシンに向かって、シュリズベリィは叫んだ。
「アスカ君!溺れた人間は藁をも掴む!後ろから掴みたまえ!ついでに、男なら乳房も揉んでおけ!」
「バ、バカかアンタ!」
だが、金髪の少女は海でよりいっそう激しくもがき始めていた。シンは、ラバンの指示に従い、後ろから抱きとめた。
「ぁぁ…いや、いやぁ!…」
「落ち着け、くっそぉ…落ち着けよ!」
「いや、いや!」
なんだかんだもがいている内に、もがく体力も減ってきたのか、シンが金髪の少女を岸に向かって引きずりはじめた。
「ダディ、どうやら大丈夫みたいだよ」
「ああ、その様だな、アスカ君!手助けは…ハヅキ、火を起こすとしようか。馬に蹴られるのはゴメンだからな」
「そうだね、ダディ」
浅瀬で抱き合う二人を尻目に、そそくさとラバンとハヅキは薪を集めに林へ向かった。
「災難だったなぁ、あー…ルーシュ君、だったかな」
「うん…」
ラバンは、火に薪をくべながら、ステラに尋ねた。ステラは、コクリ、と頷いた。
「悪いですね…ラバンさん。こんなことさせて」
「ハハ、いたいけな少女と青年をほっておいては、聖職者と紳士の名折れだからねえ。気にするな」
「教師ですか?」
「教授だよ、アスカ君」
「じゃあ、そっちのは…」
「ああ、あれは私の『本』だ。気にするな」
「そーゆうこと。まあ気にするな少年」
「はあ…」
少し常人離れしているな、とは思ったが、悪人でもないなあ、とシンは思った。それはステラも同様だった。
と、ステラが気がついたようにもじもじとし始めた。胸を腕で押さえて、太股を合わせた。さすがに二人の視線を浴びるのは、羞恥心がちくちくとするようだ。
「ああ…ルーシュ君、気にするな。私は見えておらんよ」
「嘘…こっち向いてる」
「見えるはずがないんだよ。私は盲目なんだ?」
「え…?」
「見えないんだよ。感じてるだけで。このサングラスの下は空っぽさ。見てみるかい?」
トントン、とサングラスを叩いたラバンに、ふるふるとステラは首を横に振った。とりあえず、盲目なのは信じたようだ。
「ま、減るもんじゃないがね」
「嘘だよ、あれ見せられるとSAN値が下がるよ」
「こらこら、専門用語を使うな。さて、魚が焼けたぞ。アスカ君、どうだい?」
「あ、いただきます」
「ルーシュ君は?」
じーっ、と魚の焦げた目を見つめた後、ステラはまたもや首を横に振った。
「魚は嫌いかね?」
「…嫌いじゃない。食べ物、大体好き。ドリルも好き。でも…今は魚、怖い」
「…怖い?嫌いではなく?」
「…さっき…森の中に変なのがいた…魚みたいな…イカみたいな…昔、家で見たような…怖かった…だから…怖かった…」
カタカタと震えるステラの手を、シンはそっと握った。
「ステラ…?」
「怖い…怖いよ、シン…怖い…」
ふ、とシンとステラの視線が合った。視線が合う前から、二人とも顔がうっすらと紅潮していたが、その動作で、益々リンゴのような頬になった。
「ステラ…?」
「シン…怖い…」
「ふむ…どうも老人がいていい雰囲気ではないな。少しお暇しよう」
「あ…ラバン先生、別にいいのに」
「ああ、そうだ。その前に」
ラバンは、腰のポーチから二本の試験管を取り出すと、それを火で炙った。中に入っていた黄金色の液体がコポコポと泡を立て始めると、栓を開けて二人に渡した。
「黄金の蜂蜜酒だ。滋養強壮、甘いし暖まるぞ」
「…お酒、ダメじゃないの?」
「なあに、アルコールなぞあってないようなものだ。安心して飲み干したまえ」
「じゃあ…ん、甘ったるい」
飲み干すと、逆に頬にさしていた赤みが引いた。それでもうっすら桃色に染まっていたが。
「おいしい…ありがとう、ラバン」
「すいません、ラバン先生」
「ん、まあ気にするな。救助が来るまで仲良くやりたまえ。さ、いくぞレディ」
「ああ~…これからいいところなのに」
ずるずるとハヅキを引きずりながら、ラバンは洞窟の外に向かった。
「だから行くんだ。諦めたまえ」
「…けどダディ、さっきステラが言ってたのは」
「ああ…間違いないな」
洞窟の中には火が焚いてあり気がつかなかったが、洞窟の外には、異質な瘴気が漂っていた。
「いいの?民間人巻き込んで」
「安心したまえ。さっきの蜂蜜酒で二人の解毒を行った。同時に結界も作ったよ。これで安心だ。だから…さあ、気にすることはない!出てきたまえ!」
あるものは藪の中から、あるものは海中から、あるものは岩の陰から、ずるずると不快な音を立てながら、現われ始めた。
あるものは魚と人間のあいのこのような姿で、あるものはタコに食われた人間のような姿で、あるものは爬虫類から進化した人類のような姿をしていた。
「なるほど…こんな肥えた地域だ。ダゴンの眷属共が目をつけるわけだな!」
「いやあ、まるっきりそういうわけでもないのですよ、ラバン・シュリズベリィ教授」
「! ダディ、この声は!」
「…逆十字の罪人か。また会ったな!」
暗雲の隙間から、節足動物、とくに蜘蛛を思わす、奇怪な姿のメカが現れた。
「ウェスパシアヌス、そう名乗ったな」
「名前を覚えていただき光栄の極みですな、シュリズベリィ教授」
「今回も懲りずに邪神を復活させるつもり?」
「いやいや…お嬢さん、それもあるが、今回は探し物があってねえ」
「そうはさせる、とでも言うと思ったか?」
「見逃してはいけませんか?」
ハヅキは、ウェスパシアヌスに対して、冷酷な声で言った。
「ダメだね。単位落としは見逃せないね」
「そうですか…では、お相手してあげなさい、お前達」
ダゴンの眷属達が、再び闇の中に消えた。と、突然その浅い闇を突き破り、数十体のMS―ウィンダム、ザクウォーリア、連合ザフト問わず―が現れた。いずれも、各部が壊れていると同時に、それを補うように黒い触手が蠢いていた。
「だってさ、ダディ。どうする?」
「決まっておろう…さあ、講義の時間だ。レディ」
「オーケイダディ!我は勝利を誓う刃金、我は禍風に挑む翼!」
「無窮の空を越え、霊子<アエテュル>の海を渡り、翔よ、刃金の翼!」
「「舞い降りよ――――アンブロシウス!!」」
無窮の空、霊子の海を渡り、黄衣の王の化身が、空を突き破ってこの世界に顕現した。その存在を確認しただけで、黒いMS達は、怯んだように見えた。
だが、自分達の数が圧倒的に上回っていることを再確認すると、一斉にライフルを向けた。その閃光の粒子は、字祷子で構成された魔術の砲撃だった。
「よろしい。早い敵に対しては、下手に狙いをつけた攻撃を行うより、数で圧倒して飽和攻撃を行うべき、という点は評価しよう。しかし…」
「ダメだね、落第だね」
ハヅキの言葉に、実に残念そうにラバンは呟いた。
「ああ、実に残念だ…合格点はあげられんな」
その言葉と同時に、アンブロシウスは魔術の粒子が飛び交う空間に、一気にダイブを仕掛けた。
何処にも突破できるラインはない――眷属達はそう確信していた。だが、アンブロシウスは人外のものの理解を超えた運動を行っていた。
「レディ!突貫するぞ!」
「オーケイ!」
アンブロシウスはその砲撃の嵐を、驚異的な処理速度で三次元的に観測、計算していた。早い話、抜けていったライフルを線を見切り、その点を次々と突破しながら、降下していた。
バルカン、ライフル、グレネード全弾を次々と撃ち出していったが、そんな木っ端攻撃がアンブロシウスの装甲を一寸でも削れる道理はなかった。
そして、目視で紫の機影を確認した瞬間、大地をアンブロシウスの二本の足が叩いていた。
「キイイイイイイイイイイイイイイイイイ!」
アンブロシウスがその大鎌を一回転させたとき、なにか大きな爪が、戦場を撫でたような気がした。
その感覚を感じた瞬間、半数以上のMSが、胴体から真っ二つに引き裂かれていた。
『‘*>+?!%("!~|\!?』
驚愕の絶叫と悲鳴を上げ、醜悪なものどもは脱兎の如く逃げ出しはじめた。だが、逃走すらもアンブロシウスは許さなかった。
「まだ…終わらんよぉおおおおおおおお!」
二本の足が地面を叩き、風の死神が飛翔した。その翼が風を生み出し、暴風を編み、竜巻を作り出す。
その竜巻に飲まれ、残った十数体が、天に舞い上げられた。そして、その隙間を縫うように、アンブロシウスが天を駆けた。
そして、アンブロシウスが地面に降りた時、ラバンは言った。
「以上、講義終了。予習・復讐はしっかりと、な」
その言葉の終わりと同時に、黒い液体とパーツが地面に降り注いだ。
「なるほど…さすが教授殿だ」
一方的に自分の手駒が破壊されていく光景を眺めながら、悠々とウェスパシアヌスは呟いた。
「並の機械人形ではこの程度か…では、ルルイエ異本、やりなさい」
そのマントの中にいたオッドアイの少女は、搾り出すような声で呟いた。
「いあぁぁぁぁぁぁぁ…いあぁぁぁぁぁぁぁ…かみさまぁぁぁぁぁぁ…」
「ガルナハンから引き上げた特注品だ…さあ、どうやって相手してくれるかな?」
「…む、どうやら授業は延長のようだな」
「…今度は木っ端MSとは違うみたい…来るよ!」
海中から、水しぶきを盛大に上げてその巨体が姿を現した。
「…蜘蛛のような…これはまた奇怪な」
「反応大きいよ。エネルギーはこっちも十分だけどね」
「よろしい、駆けよ!アンブロシウス!」
アンブロシウスは飛翔した。あのMS―ゲルズゲー―は、その鈍重な容姿から、動きは遅いと判断したからだ。
だが、その見当は外れた。
ゲルズゲーは、見事に空に浮かんでいた。どうやら、邪悪な存在に取り付かれたからではなく、本来の機能のようだった。
「あれで飛ぶとはな…レディ、一度距離をおくぞ」
「弱気だね、ダディ」
「戦略だよ、レディ」
じりじりと今一度魔力を集積させながら、ダディはアンブロシウスの眼でゲルズゲーを観察した。
その時だった。
ゲルズゲーの図太い腹が開いて、そこから巨大な筒が出現した。
「え!?」
「レディ、顎を引け!」
瞬間、光の帯が夜空を切り裂いた。
「くううう!?」
「今のは…データ照合!陽電子砲、ローエングリンだよ、ダディ!」
「く…ハスターの爪、切り裂け!」
だが、元々そのまま砲弾として使えるような頑丈な装甲に、邪神の保護も相まって、ハスターの爪をもってしても、擦り傷がつくのがやっとだった。
「なに!?」
二射目、荒ぶる陽電子の剣が闇を切り裂いた。
「ありえないよ、要塞専用の陽電子砲を二発も連続で!」
「邪神の加護…か。さて、どうしたものか」
三射目、今度は海を引き裂きながら、遠くの島を削った。
「…そろそろまずいよ、ダディ」
「む…確かに。あちらのエネルギーは無尽蔵と見た」
「そうじゃないよ、ダディ」
「なに?」
「あの陽電子砲、規模が大きすぎる」
「…町に被害が?」
「それもあるけど、そろそろどこかの部隊がやってくるかもね」
しばし腕を組んで、ついでに四射目もかわしながら、ダディは言った。
「…それも一つの手だな」
「え?」
「これだけの戦闘だ、精鋭部隊が偵察に来るだろうな。その助けを借りる手もある」
「…とか言ってる間に、機影だよ。三機」
海の彼方から、三機の機影が飛沫を上げながら姿を現した。
「ほお、来たか『なぁ~っはっはっはっはっはっはっは!世紀の大天才、ドクターウエスト登場!ステラァァァァ!秘密兵器を届けにきたであ~る!』ぬお、耳が」
『やれやれ、ドクター、もう少し静かに頼みたいんだがよ』
『まあ、いいじゃないの!ドクター、新兵器の調子は組み込み完了!?』
『おおう!バッチリであ~る!』
ハヅキはその姿を画面に映した。一つは、黒い獣を思わすデザイン。もう一つは、一角鯨のような流線型。もう一つは、地を歩く蜥蜴のような姿。
『そこの二機、所属を言え!』
「ラバン・シュリズベリィ!上にはそう言えば通じるはずだ。君達と敵対するつもりはない!』
『ラバン…?聞いた名前であるな…』
『データ照合ロボ!』
『アンタ、それでハイハイ言って退くと思うかい!?』
「思わん!だが、敵は共通なはずだ!手伝ってほしい!…避けろ!砲撃が来るぞ!」
『うお!…なザザ…ザザザ…』
ノイズが通信機器に走る。ハヅキは舌打ちした。
「ますますエネルギーが増してる…危ないね。エネルギー蓄積量が消費量を上回ってる」
「むう…弱点はあの腹のみか…最大パワーでエーテルライダーで突貫をかければ、なんとかならないか?」
「ダメだね。計算じゃ、目前でエンスト。こっちが倒す前に倒されるね」
ラバンを唸った。多脚を使い、以外に軽快な動きをするゲルズゲーをしとめるには、砲撃で動きを止めた一瞬しかない。
だが…いかんせん出力は足りない。
『なぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!』
と、思案していたラバンの鼓膜を、再び絶叫が叩いた。
『思い出したのでぁぁぁぁぁる!貴様!憎っきミスカトニック大学のラバン・シュリズベリィであるな!?』
「ダディ、こいつ、アーカムを騒がせてたキ○ガイだよ」
「ああ…あれか」
『あれって言うな!のである!貴様ァァァァァァ!何をしているかぁぁぁぁぁ!はっ、まさかステラも!ぬうううう貴様ァァァァァ!』
「ステラ…ルーシュ君か。彼女ならそこの洞窟に隠れている」
『なに!?』
『なんだって!?』
「結界は張ってある…まあ、当分安心だが、な」
『助けたのはキサマか!?』
「半分、だがな」
通信が一時切断され、その三機の動きが少々止まった。しっかり、ローエングリンは避けていたが。
と、再び通信が接続された。
『よし、わかったのである。一時共同戦線である!』
『マジィ!?』
『いいのかよ』
『ヴァカモノォォォォ!昨日の敵は今日の友、今日の友は明日の婚約者であ~る!敵は奴ではないのは確かであ~る!』
『…まあ、確かにそうかな』
『ステラも助けてもらったわけだし、いっちょ…どわ!』
海面に放射された陽電子砲が水蒸気爆発を起こし、四機を吹き飛ばした。
「敵のパワーは少しずつ増加している…どうする?」
『我輩に考えがある!アウル!今こそ追加ギミックを使う時である!』
『へ?』
ゲルズゲーの陽電子砲の射線に立ったアンブロシウスを見て、ウェスパシアヌスはいぶかしんだ顔をした。
「おやおや…どうやら、なにか作戦を思いついたようだな…ここから見させてもらうとしよう、シュリズベリィ教授…」
ゲルズゲーの腹の変容は、凄まじいものになり、まるで獣の口のようになっていた。その口から、バロールの目を連想させるローエングリンが姿を現した。
「…くるか、いくぞ、レディ!」
「了解!エーテルライダー突貫!」
ローエングリンの発光と同時に、エーテルライダー形態になったアンブロシウスが、バリアを展開しながら突撃をかけた。
「うおおおおおおおおおおおおお!」
天絶つ光の剣を二つに裂きながら、アンブロシウスはゲルズゲーとの距離を一気に詰めていった。
「ほほう…なるほど、こうやってあの砲撃を防ぐとは…勉強になりますなあ。しかし…私の計算ではエネルギーがもちませぬぞ…?」
確かに、ゲルズゲーの目前まで辿り着いたところで、アンブロシウスの突貫は停止した。
「だが、これでよし!行けぃ、若者よ!」
「へへ、了解!」
そこで、アンブロシウスはその腕で抱えていたアビスを離した。
その時、ゲルズゲーは認識した。アビスの先から飛び出していた、螺旋状の物体を。
まさに。
これぞ。
人類の生み出した神をも絶つ剣。
ドリル!
「ごめんね、強くってさあ!」
ゲルズゲーの剥き出しになった腹部を、ドリルが穿ち貫いていった。
『イアアアアアアアアアアアアアアアアア!イアアアアアアアアアアアア!』
ゲルズゲーの腹部が、この世のものとは思えぬ、この世のものではないものに対する懇願の叫びを上げた。と、そこからずるずると、黒い粘液を纏った醜悪な物体が這い出してきた。
と、今の間にエネルギーを回復させたアンブロシウスが、再び飛翔した。
「これで決めるぞ、レディ!戯曲、黄衣の王!」
「オーケイダディ!ミードセット!フーン機関・オーバードライブ!」
「風は虚ろな空を往く!」
次々と、ハスターの洗礼を受けた鎌が名状しがたき落とし子を切り刻んでいく。
「声は絶えよ…歌は消えよ!涙は!」
「流れぬまま枯れ果てよ!」
「ここが…最果ての空…」
「カルコサの夢を抱いて眠れ!」
「イアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
ドリルがゲルズゲーの腹を貫いた辺りから、ウェスパシアヌスは含み笑いを止められなかった。
「クックック…まさかあんな方法で破るとはなあ…ま、とりあえず実験データは取れた。今回は退くとしよう。いくぞ」
「……」
「楽しませていただきましたよ、教授…クックックック…あ~はっはっはっは!」
そのまま、サイクラノーシュは雲の谷間に消えていった。それを合図に、辺りから一切の瘴気が消滅した。
「…そろそろ救助が来るんじゃないかな…あ」
衣服も乾き、洞窟から出た二人を呼び止める声が届いた。
「お~い、ステラァ!」
「ステラァァァ!探したのであ~る!」
「ウエスト!アウル!スティング!」
戦闘の後、ラバンはウエスト達に頼んだ。
『アスカ君は、ルーシュ君が軍人だと知らない…どうか、知らせないでやってくれないか?』
で、三人がその約束を守ってくれたのを見て、ラバンはほっ、と一息ついた。
「あ…ステラ!」
船に乗り込んだステラに向かって、シンは叫んだ。
「ごめんね、ステラ!でもきっと、ほんと、また会えるから!」
「シン…またね」
そのまま、船は水面に消えていった。シンは気がつかなかったが、水底にうっすらとドラム缶の影があったが。
「…なあに、また会えるさ。気を落とすんじゃないぞ、シン」
ラバンは、クシャクシャとシンの頭を撫でた。
「…ああ、また合うさ。きっと。あ、迎えが来たよ、先生」
「む…!?」
迎えを見て、ラバンの顔が引きつった。それは、軍用のジープだったからだ。
「(シンも、ルーシュ君も軍人…もしや私は、余計なことをしたのかもしれないな…)」
「先生?」
「あ、ああ。さて、用事も果たしたし、そろそろ失礼するか。じゃあな、シン」
「ああ、またな、先生」
「バイバイ、じゃ、行こうかダディ」
と、ラバンとハヅキはそのまま森の中に消えていった。
「ラバン先生…か。不思議だけど…いい人だったかな」
「シン、手間をかけさせて!何をやっていたんだ!」
アスランの怒声に、シンは振り向いた。その後方で、一筋の光が夜空を一瞬駆け抜けていった。
「…どうも気になるな、レディ」
バイアクヘーの上で、ラバンは呟いた。
『どうしたの?ダディ?』
「おかしい…あれだけの戦闘だったのに、ザフトは少しも動かなかった。それどころか、連合のメカをあそこまで近づかせた…なにかキナ臭くないか?」
『考えすぎじゃないの?ダディ』
「だといいがな…それと、彼らが戦場で再び巡り合うということは、なければいいのだが…」
『心配してるの?ダディの柄じゃないね』
「いや…なにか…嫌な予感がしているんだ…昔合った二人がまた巡り合う…どうも…何者かに踊らされているような運命に感じないか?」
『…ザフト、調べてみる?』
「そうするとするか。どちらにしてもアンチクロスの動向が気になるしな。ザフトの情報網を借りるほかないだろう。行くぞ、レディ!」
『オーケイダディ!』
「(シン…私のあのバカ弟子のように…早まらなければいいのだがな…そうはいかないか…運命というものは…)」
【戻る】