試論:勝利の方程式第8章の再検討

Last-modified: 2016-12-14 (水) 17:33:41

書きかけの項目です!

 以上、定跡について検討を重ねていくと、ある特定の条件がそろえば、WoTの拠点戦においては、「勝利の確率が高まる行動」が存在するように思われる。特定の条件とは、司令官役の資質、具体的連携手段の充実度合である。
 この確率を崩す要因が、第5章で検討した不確実性の第2項目である。すなわち、各プレイヤー(駒)の動きの優劣が、最終的に勝負の帰趨を決するということである。
 しかしながら、この言葉の用法は少々乱暴である。プレイヤーの優劣、言い換えれば習熟度によって、勝敗が決する、というのは、ある意味「当たり前」である。「うまい人が多かったから勝てた」、「下手くそだらけだから負けた」という言説は、直感的には正しいように思われる。しかしながら、勝利の条件を検討する上で、この言葉を持ち出しては元も子もない。また、この言説の視点には、「私は「うまい」、「へた」のどちらでもない立場です!」という宣言が暗に含まれている。ではこのような「普通」(あるいは普通と思い込んでいる)立場は、勝敗にどのように影響するのだろうか。そもそもこの「普通」という立場は存在するのであろうか。この視点はこれまで見過ごされてきたように思われる(少なくとも筆者の周りでこのような議論は聞いたことはない)。これらの不確実性の間隙を超えたその先に、「方程式的な何か」、が存在するかを探りたい。
それでは初めに、「うまい」、「下手」というきわめて曖昧模糊な表現に一定の枠をはめてみよう。この「うまい、下手」という言葉は、いったい何を指しているのだろうか。大きく分けて2つが考えられる。まず第一に、1対1戦闘での技術(相手に確実に弾を当て、自車両は被弾しない技術)というミクロの視点、そして第二に、全体の戦術理解度の強度というマクロの視点である。
第一のミクロの視点は単純明快である。傍目で見ていて優劣がはっきりしている。うまい人は基本に忠実な動き(豚飯・昼飯の角度、リロード時間の把握等)をしており、下手な人は基本を省いた直線的な動きである。ここから「普通」という立場を考察してみよう。「普通」ということは、基本に常に忠実ではないが、かといっていつも直線的な動きはしていない、という何とも定義しがたい動きをする人のことを指すと考えられる。すなわち、うまくもなく、下手でもないという、「普通」の人は、基本に忠実な動きを「常に」できていない人のことを指すと考えてよい。得意マップなどの一定の条件が揃えばうまくなるし、そうでない条件が揃ってしまえば、下手になるという人、といえよう。
このように「うまい」と「下手」を行ったり来たりする立場をもう少し整理してみよう。実は「普通」という見方には長期的なスパンでの視点が含まれている。対して1試合あたりで見たとき、つまり短期的な視点で見たとき、ある試合ではうまく、ある試合では下手になる訳だから、その「ある試合」に限って言えば、やはり「うまい」と「下手」に分かれるのである。結局、「普通」の立場は存在しない。「うまい」か「下手」のどちらかなのである。
次に、第二のマクロの視点を検討してみよう。戦術理解度があるか、ないかを測ることは非常に難しい。初動をどうするか、偵察をどうするか、偵察して見えた敵を撃てるポジションはどこか。戦況を判断してどの程度臨機応変に動くことができるか。終盤競った展開になった時に、味方が有利となる選択肢をいくつか思い浮かべ、その中から最善なものを選択できるか。あるいは味方の動きを理解し、協調する、牽引する(WoTの世界ではキャリィングcarryingと言われる)、アシストする、ことができるかどうか。
第一のミクロの視点と同じく、常に上記の動きができる「うまい人」とまったくできない「下手な人」と、状況によってはできたりできなかったりする「普通の人」に分かれよう。ただし、戦闘スキルとは異なり、将来を予測する力と敵味方30両の空間把握を行う必要があり、処理しなければならない情報量は第一の視点とは比較にならないほど多い。であるならば、マクロの視点に立った時の「うまい人」は極端に減るし、「下手な人」は格段に増える。「普通の人」についても、私は「下手な試合」の数が増えると考える。高い情報処理能力が要求されるため、「うまく立ち回る戦況」が増えるのは考えにくいだろう。下手を打つ戦場が増えると考えるのが自然だ。

 
 
 

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「定跡」に対する理解度。定跡は確立された手順ではあるが、その礎には、失敗例が多く横たわる。そこに価値がある。定跡の手順のみ記憶し、辿るだけでは、プレイは未熟であるといえよう。将棋で言えばプロ棋士は、定跡を試行錯誤の総体として認識しているため、局面に対する理解度がコンピュータとは大きく違うということである。
 すなわち、下手と言われるプレーヤーは定型的な定跡を認識できても、上手いプレーヤーと、ある局面に対する理解度が決定的に異なるということである。その場面から読み取る情報量、暗黙知が不足していれば、自ずと次場面での動きは良くない動きであることは間違いない。プレイヤーの優劣があるとすれば、まずこの点は大きな差と言えるのではないか(他には1対1の戦闘スキルという大きな問題もあるが)。
 このような「理解度」に深浅があると、勝利の方程式は存在しない。逆に言えば、この「理解度」のギャップを高い水準において埋めることができれば、勝利の方程式「なるもの」は存在し得よう。強豪クランは、このギャップを可能な限り埋め、戦術行動を高度な水準で維持できていることにより、勝利を重ねることができているのではないか。
ではランダム戦では、不可能なのだろうか?