阿南の史実

Last-modified: 2020-05-30 (土) 19:23:26

立地

本州の中央に位置する南アルプスと中央アルプスに挟まれ、太平洋に注ぐ天竜川の右岸にあります。標高は315mから1664mにおよび、起伏の多い傾斜地に56の集落が点在する山間地域です。天竜川流域には第三紀層が広く分布し、サメの歯に代表される化石が産出されています。森林が町の総面積の84%を占め、農用地は7%、宅地は1%です。

沿革

大下条村、和合村、旦開(あさげ)村が昭和32年7月に合併して阿南町が誕生し、さらに昭和34年4月に富草村を吸収合併して現在の阿南町となりました。また、合併を機に旦開は新野に名前が変更されました。縄文時代最終期の土器・遺跡が発見されており、文化は西日本から東進して普及し、阿南町は三河地方からの原始文化の流入口だったと思われます。中世に入ると、甲州武田氏の支流とされる下条氏が下條村の吉岡城に移住し、同時代に旦開に伊勢平氏実忠の末裔とされる関氏が来住しました。両氏とも勢力拡張の意図があり相反目しましたが、競い合って城をつくり、村の発展に貢献しました。近世になり、はじめ飯田藩領に属し、慶長18年幕府領となりました。

祭事

・新野の雪まつり - 国重要無形民俗文化財で、1月13日~15日朝まで行われる五穀豊穣を祈願する祭です。
・新野の盆踊り - 重要無形民俗文化財で、日本の盆踊りの室町時代の末期に始まった原型とされています。やぐら上の音頭取りの「音頭出し」と踊り子たちの「返し」の掛け合いで進められ、鳴り物は使いません。扇子を持って踊る「すくいさ」で始まり、先祖供養などの願いをこめ、6曲を何度も繰り返して3夜連続で踊り続け、明け方に「能登」で踊り神送りの式を執り行います。
・深見の祇園祭 - 諏訪神社境内にある津島社から神様を神輿に載せて、深見池までお連れして筏に載せます。花火大会が行なわれ、再び神輿を神社へ返し、花火が仕込まれた櫓の周りを男衆が火の粉を浴びながら走り回ります。