飯島の史実

Last-modified: 2020-05-30 (土) 20:47:32

立地

伊那谷のほぼ中央に位置し、東に南アルプス、西に中央アルプスを望む位置にあります。

沿革

飯島村・田切村・本郷村が合併して飯島村が発足→南向村の日曽利を編入→飯島村が町制施行し飯島町が発足→七久保村を編入

アピールポイント

西には南駒ケ岳、空木岳、越百山などの峰々が目前にせまる中央アルプス、東には仙丈岳から赤石岳まで、3000メートル級の峰が連なる南アルプス、山麓に魅力的景観を作り出しています。中央アルプスを源に流れ出す与田切川は深い渓谷をつくって流れ下ります。初夏の新緑、秋の紅葉と季節感あふれる渓谷の自然美を訪れた人々のまぶたに焼きつけます。また春には千人塚公園、与田切公園の桜も楽しむことができます。稲作や梨などの栽培が盛んです。飯島は寒暖差が激しいため、飯島産の果物は甘みが強いといわれています。かつては梨が皇室に献上されたこともあります。他に馬肉製品も有名です。飯島町は江戸時代幕府の陣屋が置かれていた歴史の街でもあります。飯島陣屋は江戸時代初めの延宝五年(1677年)に設置されたといわれています。伊那郡を中心とする幕府直轄領(天領)を支配する拠点として置かれたもので、それ以来幕末にいたるまで続き、明治維新以後は伊那県庁として使われました。伊那県は明治4年11月に廃止されましたが、江戸時代から明治初期に至る200年近い間、飯島町は信濃の国や伊那県の政治上重要な役割を果たしていました。