飯田の史実

Last-modified: 2020-05-30 (土) 20:15:42

立地

長野市、松本市、上田市に次ぎ長野県では4番目に人口の多い市で、長野県南部にあることから経済的には愛知県との結びつきが強い。西部の県境地域は2000m級の山がそびえ立っているが、中部~天竜川にかけては広大な河岸段丘が広がり、段丘の台地に人々が居住している。居住可能地区が多く、伊那谷最大の都市となっているが、何重にも及ぶ河岸段丘のおかげで市街地でも起伏が激しく、道路や鉄道の敷設には相当の苦労を強いられる。一見優良物件に見えるが伊那谷最大最強(凶)の事故物件とも言える。

行政区画の変遷

ここには書き切れないほどの大量の自治体と合併している。書くのは面倒くさいので詳細は各自ググって下さい。

アピールポイント

南信地区最大の町で中心市街地は13世紀に飯田城が築かれ、江戸時代からは飯田藩の城下町、さらには三州街道の宿場町として発展を遂げた。そのため古くから残る区割りを見ることができる。また、近代以降は製材、製紙で栄え、現在は精密機械工業が盛んである。リンゴ並木の街、人形劇の街でも知られ、保存された古い町並みや城下町の面影のある区割りから南信州の小京都とも呼ばれる。さらに南部には天竜船下りができる景勝地、天竜峡もある。