Story0701

Last-modified: 2021-07-02 (金) 23:30:00

 研究員ら四十五名全員が死亡し、施設そのものも半壊したにもかかわらず、かの騒動が報道されることはおろか、民衆一人の耳にも入ることが無かったのは、その施設が、限られた少数にしか立ち入ることを許されていない立入禁止区域にあったからである。
 研究員らを殺害し施設を逃げ出したのは、受精の段階から人の手を加えられ、その時に至るまでの人生の殆どを培養槽の中か、作業台の上で過ごしてきた一人の少女であった。
 彼女の外見は、どこにでも良そうなごく普通の、華奢な少女である。
 だが、彼女にはごく普通の少女たちにはない力があった。
赤の女王、逃げる
 「聞こえているか、柊」
 トランシーバーの向こうから聞こえてくる無機質な声が、耳元で響く。
 ノアールは短く、聞こえている、と返した。
 「ターゲットは中心街に逃げた。もうじき君のいるビルの真下を通る。分かっているな」
 ノアールは、ああ、わかっている、と答えて、ビルの屋上から跳んだ。
 彼の身体はひゅう、と風を切り、夜の闇に消えた。


File#0701

Thought:Neutral

EntityClass:Menace

特別対処用プロトコル:#0701に分類される実体は発見次第速やかに麻酔銃などを用いて無力化し確保してください。確保された#0701実体は標準人型収容室に収容してください。

説明:#0701は、エリクシアと呼ばれる生物兵器の一種です。人間型で、外見上は普通の人間と差異はありませんが、額と心臓部にエリクス人工結晶の結晶回路が組み込まれています。遺伝子操作により高い身体能力と再生能力を付加されており、組み込まれた人工結晶の力により様々な特殊能力を有しています。


シリーズ:モデル"ルージュ"069-23
付加能力:風刃

 逃亡中のエリクシアの説明が書かれた報告書を見ながら、蒼城はノアールに言った。
 「聞こえているか、柊」
 ノアールは短く、聞こえている、と返した。
 「ターゲットは中心街に逃げた。もうじき君のいるビルの真下を通る。分かっているな」
 ノアールがああ、わかっている、と答えて、ノイズが通信機に入る。

 跳んだな。蒼城は椅子の背凭れに背を預けて天井を見た。
 上手く交渉が成立するかどうか。後は彼に任せるしかない。

 はるか昔から、異種族や異星人、異世界人、超能力者などの特殊な存在は、我々人類と共に存在し続けていた。
 1842年に探偵アルベルト・レイとアーサー・キングによって設立された異種間調停理事会は、彼らと人類の間を取り持つための調停機関として機能する組織である。
 そんな我々が、扱いかねている分野の存在がいる。
 機械人形や人工生命体などの、人の手で作られた存在達だ。そういった者たちにも稀に、特殊能力を持つ者達がいる。
 一応我々は、彼らも異種族と見なしているが、他者はそうではない。彼らの人権を一切認めることなく、中には恐怖心から迫害を受けたり、最悪の場合事件になることがある。
 今回の場合は、より面倒だ。エリクシアはモスクワ研究所によって、特殊能力者を生物兵器として戦場に出すために造られた人工生命体で、戦闘に特化した能力を組み込んだエリクス人工結晶を使用した結晶回路を胸と額に埋め込み、戦闘に特化した能力を自在に操れるように訓練された、この戦争の切り札だ。
 勿論普通の人間と同様に扱われることはなく、戦闘に特化していない能力を発現したり、そもそも特殊能力を発現することがなかったりと言った失敗作や、今回のように逃亡を図った場合は、即刻殺処分となる。
 今回の蒼城とノアールの仕事は、現在逃亡中のエリクシアの確保と、モスクワ政府と交渉しあのエリクシアを異種間調停理事会の管轄下に置くことである。
 蒼城の仕事―――モスクワ政府との交渉は成功し、現在あの逃亡中のエリクシアは異種間調停理事会の管轄に置かれている。あとはノアールの仕事、エリクシア自身が他者に傷付けられる前に、他者を傷付ける前に確保することである。
 上手くやれよ、ノアール。
 蒼城は天井に向かって立ち上る煙草の煙を見ながら、呟いた。


 少女はビルの立ち並ぶ中心街を駆けていた。
 道行く人々はこの少女の方をちらと見やりはするが、積極的に声をかけたり近寄ったりはしない。
 それもそのはずで、高い身体能力を有する彼女は小型自動車と同じ速度で走っている。人とぶつかったりはしなかったが、ぶつかれば大変なことになっていただろう。警察の制服を着た男が少女に話しかけるが、少女は目にもとまらぬ速さでその横を走り抜けた。
 みなが自分を見ている。それはそうだ、水色の病院着は研究所を逃げ出した時に殺した研究員たちの血に塗れている。この足を止めれば、きっとあの研究所に戻される。それだけは、絶対に嫌だった。
 脇目も振らず走っていると、目の前に突如、黒い人影が現れ、避けようとした少女は滑って転び、しりもちをついた。
 それは黒いロングコートを身にまとった、腰まで伸びた長い銀髪と、透き通った青い目を持つ、白皙の青年だった。
 少女は一目で気付く。この人は私と同じだ。
 「立てるか?」
 青年は無表情のままで、少女に灰色のグローブをした手を差し出した。


 「君の名前は?」
 「・・・・・・ルージュです」
 少女は車で古風な建物に連れていかれ、ぼさぼさの髪に無精ひげを生やした調停官だという男に、色々と質問された。
 これまでどんな風に生きてきたか、どうやって研究所から抜け出したか。
 これまでの事を質問され、淡々と答えた。
 「質問に答えてくれてありがとう、じゃあ最後に」
 蒼城と名乗ったその男は、最後に意外なことを聞いた。
 「調停官に、なる気はあるか?」
 少女は思わず、はい?と訊き返してしまった。
 部屋の入口に立つ銀髪の青年を指差して、男は続ける。
 「君を止めたあの青年、彼は君と同じエリクシアだ」
 途端に少女の脳裏に、研究所での事がざわざわとよぎる。
 能力発現のための注射、そのせいで高熱が出て何日も寝込んだこと、能力試験という名目で、今まで寝食を共にしてきた相手を殺すように言われたこと、耐えられなくなり、隙を見て逃げたこと、途中で何人もの人を傷付けてきたこと。
 「彼は能力を戦闘目的で使うことから逃げなかった。今まで任務で何人もの人を殺してきた。それでも彼は世界の裏に気付き、我々の仲間になる道を選び、我々のために能力を使うことを誓った」
 少女は男の言葉を、黙って聞いていた。目の前に座る男から目が離せない。
 「君は我々異種間調停理事会の観察下に置かれている。それを条件に、君は解放されたんだ。もう人を傷付けなくていい、もう人から傷付けられることもない」
 男は言う。
 「もう一度聞く。君は、調停官になる気はあるか?」
 少女の答えは、一つだった。


 調停官・柊に助手が付くことになった。
 黒髪に赤い瞳を持つ、齢十五の少女である。
 その少女がヒトならざるものであることを知るのは、異種間調停理事会最高監察部門SV評議会のメンバー二十六人と、柊と槐の二人だけである。