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侍エムブレム戦国伝 生誕編 アイクの章 野武士グレイル
「あの長屋のお侍様かい? さてのぉ…2~3年ばかし前に越してきたんじゃが、それまで何をしとったかとんと語りたがらねぇ。
お侍様もどこかの殿様の使いですかい? なら行くだけ無駄というもんじゃ。あちこちの殿様から誘いがあったそうじゃが
なんぼ高禄を示しても首を縦にふらんって評判ですじゃての。変わった人もおるもんじゃて」
都の西方、海を望む西国。クリミア国のメリオルの城下に住むその男は人足働きをして生計を立てていた。
2人の子供を抱えて暮らし向きは楽ではなかったがそれでもどうにか食っていけるだけの稼ぎを得ていた。
荒事に慣れた野武士らしからぬ振る舞いではあるが、野武士がみな荒事で稼ぎを得ているというものでもない。
それだけなら誰もこの男を訝しむことは無かっただろう。
―――だが身なりのよい侍がしばしば彼の住む長屋を訪ねては追い返されて帰っていく。
このような様を見れば誰もが想像力を掻き立てられてあることないこと噂をした。
「長屋の端の部屋に済んどる浪人者だがよぉ。ありゃどっかの殿様に仕えとったらしいわ。
随分手柄を立てたらしいが殿様が死んだんで野に下って誰にも仕えんでおるらしいのぉ」
「ホントかよ? 俺は殿様に手打ちにされそうになって命からがら逃げてきたって聞いたぞ」
「この間きてったお侍さんはクリミアのお殿様の使いだったわよ?
五千石で召抱えるって言ってたのに断っちゃったって…本当かしらねぇ…」
「一万石じゃなかったか? 世間じゃ仕官したがってる浪人がなんぼでもおるってのになぁ…
大概の浪人者じゃ戦の時だけ一時雇われがせいぜいじゃのに妙なもんじゃ」
「わしゃ東国で山賊をしとったと聞くぞ?あの子供らは殺した侍の子らしいが情が移っちまって育てる事にしたらしいのう。
ほんで足を洗ったとかなんとか酒場の親父が言うとったわい」
「随分な剣達者らしいけどよ。一度も腰に刀を差しとるのを見たことがない。本当に侍なのかよ。あのおっさん」
「んにゃあそりゃおめえ見当違いってもんよ。わしゃ見たのよ。あのお侍さんが素手でゴロツキをぶっとばすのをよ。
刀を使えばそりゃあもっと強えに決まってるぞい」
男が何も言わないので人々は益々口さがない噂話を広めたものだ。
井戸端で口を動かしていた町人の一人が気まずげにその場を離れた。
周りの者もそれに気付く。
青い髪の童が妹を連れてこちらに歩いてくる。
年の頃は五~七というところだろう。噂の当人の子供達の前で親の噂話を続けるのは憚られた。
「…井戸…使わせて」
「お…おうよ坊主。邪魔してすまねえな」
気まずげに竹細工の職人が道を空ける。
魚売りの女房も飴売りにもどこか白けた空気がただよい、誰も何も言わぬうちに彼らは自然と解散していった。
「おにいちゃん…」
「俺が二つ、ミストが一つ…水汲んだら次は飯炊きだ」
少年は井戸から桶を組み上げると持参した桶に水を移していく。
彼は両手に一つずつ桶を持つと妹を伴って長屋の西端の自分たちの部屋に戻っていった。
六畳ほどの部屋にかまどが一つ。
少年は慣れた手つきで火を起こす。
少年の名はアイクといった。評判の野武士グレイルの息子だ。
飯の支度を終えたアイクはミストと向き合う。
「お兄ちゃん。たべる前におかーさんに…おててあわせないと」
「ああ…そうだった」
…まだ舌ったらずのミストだがこのところアイクにちゃんと服を畳めだのなんだのと言ってくる。
自分も親父もミストにそんなことを教えた覚えはないのだが…
仏壇に手を合わせて線香に火をつける。
自分もミストも顔すら覚えていない母エルナの位牌がそこに置かれていた。
グレイルからは母はミストが生まれてすぐ流行り病で死んだと聞いている。
改めてちゃぶ台の前に腰を下ろすとアイクは箸を手に取った。
「こないだボーレが豆腐を分けてくれた。たんと食え」
「うんっおとーふおいしいねっ」
長屋の三件隣に住む豆腐売りの倅は自分たちがここに引っ越してきてから何かと仲良く過ごしてきた。
何度かは喧嘩をした事もある。だがアイクにとっては一番の友達といっていい。
もう一切れ豆腐を食おうと箸を伸ばした瞬間……戸を叩く音がした。
「御免!グレイル殿はおられるか!」
アイクは箸を置くと立ち上がって戸を開く。
そこにいたのは身なりのよい侍だった。
「おじさん、親父は留守だよ」
「む…そうか…いつ頃帰る?」
「日が沈む前……おじさんも親父を誘いにきたのか?」
侍はアイクを見下ろすと表情を緩めた。
「ああ、そうじゃ。のう…お主らからも父上に言うてくれぬか?
クリミアのお殿様にお仕えすればもっと広い屋敷に住んで美味いもんが食えるぞ。
そっちの娘も綺麗な着物を着て…」
「親父が決める事だから…」
「…そうじゃのう…今一度来るゆえ親父殿が帰ったら伝えてくれ。クリミアのお殿様の家来が参ったとな」
「わかった…なあおじさん…どうして殿様は親父を誘うんだ?」
「んぅ…なんじゃ知らんのか?お主の親父殿は我流じゃが途方も無い剣の達人じゃぞ。どこの大名も競って召抱えようとしとる」
「そうか…」
そっと呟く……強い……強いとはどんな気持ちだろう…
引き返す侍を見送りながら少年は胸の内にずっとくすぶってる物がより強まるのを感じた。
結局今回もグレイルは頑として誘いに応じなかった。
しぶしぶ帰っていく侍の背を見送るとグレイルはどっかりと座布団に腰を下ろした。
「………アイク…これで晩飯のおかず適当に買ってこい」
今日の稼ぎからいくらかを渡される。
少年は胸の内に抱いていた疑問を父に向けた。
「なぁ…親父…」
「なんだ?」
「親父は強いんだろ…みんな言ってるぞ。親父は剣術の達人だって……」
父は眉一つ動かさなかった。
「くだらねえ事気にすんじゃねぇ。俺んちのどこに刀があるってんだ。
馬鹿言ってねぇでさっさと行ってこい」
アイクを送り出したグレイルは仏壇の前に腰を下ろす。
手を合わせて…瞳を閉じる。
「……………」
五分ほどもそうしていただろうか……背に触れるものがあった。
ミストが小さな掌でグレイルの背を撫でているのだ。
「おとーさん……おとーさんもおかーさんに会いたいの?」
グレイルは内心で苦笑した、娘に気遣われるようでは親父失格だ。
だが男手一つで育てているにも関わらず気優しい娘に育ってくれてる事が嬉しかった。
「……がははは!!!おめぇはいい娘だな!そんじゃあ褒美におめぇの好きなのをやってやる!!!
おとーさんとミストの秘密だぞ!!!」
両手でミストを高い高いし、自分の頬を引っ張ったり鼻を押さえたりしてひょうきんな顔を作ってやる。
心配そうな顔をしていたミストはたちまちきゃっきゃとはしゃぎだす。
息子には父の威厳のため死んでも見せられないがミストだけは特別だった。
春が過ぎ去り西国は暑い季節に入ってくる。
蝉が騒ぎ立てる中、水売りが声を張り上げている。
少し道を脇にそれればいつの時代も変わらない子供たちの歓声が路地裏に響いていた。
「はっけようい…のこった!」
ミストが木の枝を振り上げる。
地面には気の枝で描かれた土俵。遊び場であり子供の戦場だ。
「いけーっやれーっ!!!」
「もっとがっちりつかむんだよっ!下から下から!」
土俵で組み合っているのは豆腐売りの倅ボーレとアイク。
二人とも全身の力を込めて押し合っている。
「おにいちゃんまけるなーっ!」
行司が贔屓している。だがその声に返って闘志をかきたてられたボーレはアイクを力付くで押し出しにかかった。
彼は子供達の中で一番体が大きく力も強い。いわば横綱だ。
小兵で番付からいえば幕下ともいうべきアイクの勝てる相手ではなかった。
歯軋りして土俵際で踏ん張ったが…そのまま押し出されてしまう。
「おっしゃあっ!!!」
「う~~」
「いや、うーじゃねえよ。今の勝負のどこに物言いがつくってんだ」
ぷんむくれた行司を横綱が宥める姿はいつものことだ。
押し出されてひっくりかえっていたアイクは身体を起こすと土を払った。
「ボーレ、もう一番勝負だ!」
「いや…かまわねえけどよ…」
こうなるとアイクは何度でも再戦を挑んでくる。
自分が勝つまでやめる気はないのだ。
ボーレもまた負けん気の強さゆえ真剣に受けて立って幾度もアイクをひっくり返す。
それが日が暮れるかミストが泣くかするまで続くのだ。
アイクとしても一度はミストに勝ち姿を見せてやりたいのだがまだボーレからは一本も取ったことがなかった。
やがて夕暮れ時を迎える。
アイクもボーレもくたびれ果ててへたりこんでいた。
周囲では飽きた子供たちが駒回しをして歓声を上げている。
「おにーちゃんのかたきー!」
…などと行司から木の枝でポコポコ叩かれながらもボーレはアイクに視線を向けた。
疲れて…座っていても強烈な負けん気が瞳に宿っている。
「…ったく…いいかげん根負けしちまうよ…今日はお開きにしようぜ」
「勝ち逃げする気か!」
「そろそろ晩飯だろが。親父に怒られても知らねえぞ…ってもうよせってば!」
さすがに辟易してミストの木の枝を払いのける。
それがいけなかった…あっとミストの声が響くのもつかの間、すっぽぬけた木の枝は路地から飛んで…
往来を歩いていた髭面の野武士の頭に当たった。
野武士は視線を子供達に向ける…飲んでいるのか顔が赤い。
「なんじゃあ…小童ども…町人風情が武士に無礼だろうがっ!」
この男の名はイサイヤといい仕官先を求めてこの地にやってきた男だ。
かつてはどこかで野盗をしていたらしく荒くれ者ゆえ町の者の評判は悪い。
「お…おじさんごめんなさい…」
周りの子供達は逃げ散り、ミストは瞳に涙をたたえている。
だがガザックは酒臭い息を吐きながら歩み寄ってくる。
ミストを庇って前に立ったのは2人の少年、アイクとボーレだった。
「おいおっさんっ謝っただろうがっもういいだろ!」
怒声を張り上げたボーレの顔面を刀の鞘が打ち据える。
うめき声を上げて蹲った少年に野武士は唾を吐きかけた。
「けっ…餓鬼がいきがりおって…っ!?」
言い終える前に…青髪の少年が側にあった巻き割り用のまさかりを手に討ちかかってきた。
「ボーレの仇だ!」
「おっと……」
だがまだ10歳にもならぬ子供…まさかりの重さにヨタ付いているような子供の斬撃をくらうはずがない。
軽々と避けるとイサイヤは刀に手をかける。
「馬鹿な餓鬼だ…武士に刃を向けるたぁ…無礼射ちもしゃあねぇよな…」
ゆっくりと刀を引き抜いていく。
彼の心にあったものは歓喜だった。
「へへ…剣客たるもの…勘を鈍らせぬようたまには人を切っておかんとな」
「おにいちゃんにげてぇ!!!」
妹の声が聞こえる。首筋に冷や汗が毀れる。
ギラギラと輝く刀の切っ先…切られたら痛いんだろうな…いや、死ぬかも知れない。
手の中のまさかりはひたすら重い。自分の力ではこんな物もまともに扱えないのだ。
悔しい…自分はこんなヤツ一人おっぱらえないほど弱い。
じりじりと野武士が歩み寄る。
足が動かない。怖い。だがそれ以上に逃げたくない。
「往生しなっ!」
野武士が刃を振りかぶり……咄嗟に目を閉じてしまった……
――
――――
―――――――
「………っ…?」
何も起こらない…恐る恐る瞳を開いて…アイクの瞳に映ったものは…
腕を捻り挙げられる野武士…そしてその腕を掴んだ父の姿だった。
「な…なんだてめぇはっ!」
「そいつの親父だ」
グレイルの声は淡々として…だがそれは親父が本当に怒っている時の声だとアイクはよく知っていた。
「て…てめえ…町人風情が…」
グレイルの姿は人足姿。町人に見えても無理はない。
「だったらなんだってんだ。侍の風上にもおけねえ糞野郎が」
よほどがっちりと掴んでいるのだろう。
イサイヤはいくらもがいてもグレイルの手を振りほどくことができない。
「放せっ放しやがれっ!!!」
「……いいだろう…」
手を放してやる。
グレイルの瞳には静かな怒りが燃えていた。
「望みどおりにしてやったぞ似非侍。さっさとかかってこいや!」
たちまち白刃が煌く。喚き声を上げながら太刀を振るう野武士は信じられぬ思いで一杯だった。
たちまち酔いが覚めていく。
目の前の素手の男はその場からほとんど動かずに…紙一重…ミリ単位の紙一重で彼の刃を避けていた。
肌と切っ先が触れるかどうかのわずかな…それでいて無駄のない動きで…
既に15回は打ち込んだだろうか…だがかすりそうで実際にはかすりもしなかった。
「て…てめぇ…」
「終わりか? なら俺の子に手を出したオトシマエはつけてもらうぞ!」
一瞬の踏み込み…たちまちイサイヤの間合いを侵略したグレイルの拳が彼の顔面を捉えた事を彼は知覚できただろうか。
折れ曲がった鼻から血を零してイサイヤは意識を失った。
「野に降りても武士は武士。こうはなりたくねぇもんだな…」
「親父!」
声を上げる息子を見据える。
逃げる事も無くアイクはいまだまさかりを構えていた。
「親父は…親父はやっぱり強いんだな!頼む!俺を強くしてくれ!」
「…………」
まっすぐに自分を見つめる瞳にはひたすら自分への憧憬と強さへの憧れがあった。
「……侍の子は侍か……」
ふと天を仰ぐ…
おそらくこうなるのではないかと思っていた…
本心を言えばアイクには武芸に関わる事無く…町人として平穏な生涯を過ごしてほしかった。
だが……野武士の刃から逃げる事も無く立っていた少年の情熱を止める事はできないだろう。
そして……
「この分なら……あの事もそう何年もしねぇうちに伝えられるかもな…」
「親父?」
そしてアイクが自分の本当の子では無いことも……
グレイルは意を決した。
「わかった。お前に剣を教えてやる……」
これが後の世に言う戦国時代最高の武芸者アイクが武芸者として第一歩を踏み出した瞬間だった。
続く
次回
侍エムブレム戦国伝 生誕編
~ シグルドの章 士道と権道 ~
誤字です。訂正願います。
…なにやってんだ俺…orz
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>だがガザックは酒臭い息を吐きながら歩み寄ってくる。
↓
>だがイサイヤは酒臭い息を吐きながら歩み寄ってくる。