15世紀
ここ以降から「南北問題」を確認できる。p5
16cまで、スペイン・ポルトガルに領有された旧植民地 p8
18c~
原料供給地・販売市場たる。p11
1750年頃
イギリスがインドに進出。p10
19c~
1810-30年代
ラテンアメリカの独立。p10
1880-1890年代
列強諸国の植民地領有。p8
20C~
中東地域をイギリスとフランスが再分割。p10
1940年代
1944年 IMFとIBRDの設立合意。p18
1945年に終戦。ヤルタ会談。戦後10年も経たないうちに冷戦体制が成立。p16-17
初期の南北問題は、東西の援助競争。p17
1947年 GATTの締結。p20 ※IMF=GATT体制は「強者の理論」→p20-22
1950年代
R・プレビッシュが問題提起する。p23-26
1950年代半ば-1960年代初頭まで 南の連帯の動きが始まる。p26-28
1959年末「南北問題」という用語がO・フランクスより提唱される。p4-5
↑
植民地体制の崩壊。p6、崩壊の意義→p13-15
1960年代
植民地独立がピークに達する「アフリカの年」。p6
独立は戦後から1970年台初頭までには達成。p13
1962年 UNCTADの開催を南側が要求。p28
1964年 UNCTAD開催。p29-32
1968年 二回目のUNCTAD開催。p33
1970年代
ニクソンショック、IMF体制の崩壊(1960年には露呈)。p34-39→影響4点 p38-39
南の諸国がナショナリズムを高揚させる(1962年に萌芽)、NIEO。p39-43
二回の石油危機。p44-49
新興工業諸国(NICS)が南の内部で勃興。p49-51
※日本の産業の空洞化。p52
1980年代
NICS内部で差が出る。p51
1988年 NIESという用語が使用される。p51-53
(債務累積問題、1982年のメキシコ金融危機)p61-65
1990年代
1987-1990年、冷戦体制の終焉。p55→影響p55-57
1995年、GATTがWTOに衣替え。p54
NIESの登場→南南問題(1960・70年代時点でも認識あり、80年代から顕著になる)。p57-60
1995年 オゴニ人生存運動。p72-75
※現代のまとめ p75-77