機械工業の立地変化/再①

Last-modified: 2023-03-07 (火) 15:18:33

竹内淳彦(1968)電気機械器具工業の地域構造 地理学評論41-9

概要
日本における電気機器生産は京浜,阪神,中京,日立,京都,北九州などを主産地として行われているが,なかでも京浜は全国の50%近い生産をあげ,しかも全部門,品目に及ぶなど圧倒的な地位を占めている.京浜において工場は東京の港区から川崎市にかけての城南地区にもっとも集中し,なかでも東京南部に“分布核心”を形造っている.この分布核心は多層的な親工場群と下請工場群の複雑な結合によって一大“技術集団”をなし,工場分布地域の拡大傾向にも拘らず,全京浜の地域的生産体系の核としての地位を保ちつづけるとともに京浜を中心とする電気機器工業発展の原動力となっている。

研究方法
電気機械器具工業を対象として,工場分布図や等密度図などから工場分布を明らかにするとともに, 114工場の訪問調査と21工場のアンケート調査による実態分析4)結果を中心に,既存の諸資料を加え,地域的生産体系のミクロな解明を行い,あわせて京浜研究における仮説の追究を行った.

電気機器工業を取り上げた理由
①組立工業中形成がもっとも古く,日本の近代化と密着しながら形成をみており,現在もわが国全工業出荷額の約10%をあげる主要業種である
②他の電気を「利用する機器」の生産へと横に発展する一方、余剰電力の発生が再び「送る機器」や「利用する機器」の発展をうながすというように縦にも関係しあっている
③メーカーがいずれも下請依存という共通性を有し,また技術的,市場的に相互に関連し, 1つのまとまりをなしていること=代表的な組立部門である

電気機器工業の分布

概観
第1表より、京浜はあらゆる部門での地位が高く総合的な発展を逐げていることがわかる.これに対し他の生産地ではその生産にかなりの偏りを示している.すなわち阪神は松下,三洋,シャープに代表される民生用機器,配線照明機器などの地位がつば抜けて高いのに対し,電子応用装置,通信機,計測機などの地位はまったく低い.また中京(愛知.三重)は回転機械(発電機,大型モーター)と静止機械(配電盤など)に,京都はテレビ,ラジオ受信機に,茨城は日立製作所の生産拠点日立市を中心とする回転機械と静止機械に,静岡は配線器具等に,また北九州(福岡)は安川電機などの回転機械にそれぞれ生産上の偏りを示している.全国的な分布の考察はしない。

京浜における工場の分布
第1図より、工場は東京の港区芝辺から川崎にかけて最も大きな集団をなしており、比較的大きな工場は外縁部にもかなり分散している。「城南地区」が最大の集中地区となり,全域の43%の工場がこの地区内に含まれる.同じ組立工業でも大田から川崎・横浜に分布中心をもつ自動車や一般機器,大田と板橋に2つの核心をもつ精密機器,荒川に集中を示す自転車などの分布とかなり様相を異にしている.域南地区の電気機器工業は第6図からもわかるように、明治の前期に京橋とともに芝に発生し、その後明治後期から大正期には古川,渋谷川,目黒川の谷あいから芝浦に集積し,昭和に入って品川から大田方面に延び台地面へも進出して行つたものであり,戦前すでに東京南部は電気機器工業の分布核心をなしていた.川崎については,昭和期に内陸部へ進出が顕著になり,とくに工場数の急増をみるのは戦後のことである.

城南に対して城東や城北では、スタンド,アイロン,ハンダゴテといったどちらかといえば技術度の低い製品に偏っており,多面的性格はみられない.東京南部のように全域に対する圧倒的な地位を占め,あらゆる品目が生産され,また全工業中電気機器工業が1/3以上もの高い地位にあるような分布核心は他の全国でも存在しない。

地域的生産体系の分析

第3表から、いずれの地区の工場も城南とくに東京南部への依存度が高いことがわかる.東京南部は川崎だけではなく全京浜の下請結合関係の要めであることがわかる.東京南部など城南からは抵抗機など機構部品の大部分を含め各種の部品を得ているのに対し,城東からはケース,カバー,スプリングなど単純な部品が主となっており,これは城南の各工場に共通する傾向である.このように城南,とくに分布核心の東京南部は下請の経常的結合関係から京浜地域電気機器生産体系の中核をなしている.

城南の生産体系の機能的意義

Ⅰ技術集団の形成

京浜の電気機器工業は当初通信機生産からスタートした。品目別には官需依存が大きく,メカニカルなものが中心であり,技術開発上,陸,海軍,工業技術院,鉄道,その他官営の技術研究所と結びついている面が大きく,この傾向は今日まで続いている.生産品目の相次ぐ開発は一方で大規模工場の生産の多角化と反面,専門メーカーの発生をもたらす.このことはまた多種多様な部品の需要を喚起し,それを生産する多数の部品工場をその周辺に発生させている.さらにまたこういった部品工場群の存在に吸引された完成品メーカーも発生をみるなど集積をつよめ,面的には芝辺から近く,川沿いで地価も安かつた古川,渋谷川,目黒川,呑川谷へと分布地域を拡大させていったものである.

下請関係はかなり複雑なものである.以下4つの理由で。

  • 親工場群と下請工場群という形で,しかも多層的に結合しており,この事は相互の近接を指向することになり,集積は進行する.この点,阪神では家庭電器など機構も単純な量産品に限定されているためその関係はかなり固定的であり,福岡の場合は安川電機を中心として下請関係はまったく固定化している。
  • 下請的完成品メーカーの存在が工場間の関係を複雑にしている.城東にもこのような形の工場は多いが電気コンロ,ドライヤーといった技術度の比較的低いものか,冷蔵庫のようにメカニカルな下請を多くは必要としない製品が中心となっている.
  • たとえばモーターの製作に計器やスイッチが使われるといった形で,各部門が横につよく結びついていること
  • 城南の特に大田から川崎横浜にかけては自動車,工作機械,精密機械などの工場が集積しており,メーター,電装品,シートビームなどのメーカーはこのような他部門の親工場とも強力な結合関係を有していること

この複雑な結合関係を内包する多角的な技術集団の存在こそ分布核心の最大の存続力であり,特色である.この点,阪神の技術集団は多角度において,とくに官需依存でメカニカルな分野で京浜に大きく劣っており,跛行的な生産構成の原因となっている.また日立製作所は一大電気機器産地を形成するためには日立,勝田地区を中心に,長い時間をかけて技術集団を育成せねばならず,しかも,経営規模拡大と製品多角化の過程においてかなりの生産部門を京浜におくことになる.さらに北九州の安川の場合下請の殆んどが系列的にも技術的にも固定化しているため,他部門に展開することができず,電子部門は京浜に新設している.

Ⅱ工場の外縁的進出と技術集団

最近,第6図のごとく工場の外縁部への移動,新設がさかんである。このような工場の外縁的進出の現象を単純に分布核心の機能低下や工場分散の可能性(または必然性)に結びつけることは正しくない.というのは,分布核心(あるいは城南)から外縁部への進出が可能なものは著しく限定されるからである.すなわち,外縁的立地を行った工場の大部分45)は次の2タイプに大きく分類することができる.
①東芝,日立,ソニーなど量産型製品(テレビ,トランジスタラジオなど)の大規模組立工場
②ミツミ,アルプス,日本電波などに代表される電子部品(バリコン,チューナーなど)の量産工場

ともに一連の技術開発と需要の拡大とによって量産化が可能になり,生産集団との接触の必然性がうすれた工場であり,独立度は高い.また製品は当然の事ながら小型で輸送費が低いものが主であり,ベルトラインを中心とした単純労働に多く依存している。しかも,外縁部に進出した工場も,実際にはなお分布核心との間に依然として強い結合関係を有している.外縁部にはあるが,他地域から京浜の技術集団への結びつきを求めて立地した工場も多い.さらに,一経営体のなかにおいても,例えば電話機,スイッチなどの量産品は外縁部で,クロスバー交換機など一品生産形態のものや,設計部門は分布核心で行うといった生産品目の分化も認められる。分布核心=技術集団の機能は工場分布の変化にも拘らず大きい。

Ⅲ 労働力の動向と技術集団

城南と城東や城北とのあいだはほとんど交流関係がみられない.このことは城東や城北の各地区が城南の発展と結びつかず,別個のものとして性格づけられ展開して行くことを示すものである.このことは,工場が一般に従来の従業員が通勤しうる範囲に移動するケースが多いこととあわせて,技術集団が港区から東京南部へ,さらに川崎方面へと拡大を示す要因となっている.また,工場の設立動機をみると,工場従業員であったものが,その工場との関連のもとに下請的形態で独立するケースが多く,計測器では調査19工場中15がこのような工場である.これは,一般に母工場や技術集団との経常的結合が保ちうる範囲,東京南部なら川崎辺までを限度として独立するのが普通であり,このことは集中地区への工場と技術の集積(とくに中小規模工場)をますます増大させるとともにその面的な拡大をもたらしている.

山口不二雄(1982)電気機械工場の地方分散と地域的生産体系 宮城県・熊本県の実態調査事例の分析を中心に 経済地理学年報28巻1号

はじめに

電気機械工業の地方分散については長野県・宮城県の事例報告が詳しく,いくつかの点で共通した事実が明らかにされてきた(以下4つ)。
①工場は京浜工業地帯からの若年労働力を求めての分散工場であること
②労働力の募集に配慮して進出工場(Key plant)の近辺に分工場,さらにそのまわりに作業所等といった.工場配置の体系を作りあげていること
③親工場から下請工場に至る間で利用労働力も若年から中高年,より女性中心に変化し,賃金水準や通勤圏の広狭にっいても相応の格差があること
④労働力は農家関係者が多く,経営耕地規模の小さな層より先に雇用されていること

電気機械工業の全国的な地域構造を整理する試みが行なわれているが,その現在における到達点は竹内淳彦(1978)の実績であろう。しかし竹内の、機械工業の中枢は中心産地の基礎的体系にあるとする理論は、いくつか納得できない面もある。

  • 反論点①工業立地における大資本の主導力を過小評価し,大都市の底辺産業小零細企業集団の力を過大評価している。
  • 反論点②大資本の主導する生産領域のいくつかについては京浜の小零細企業集団の役割はすでに失なわれており生産の主力は「地方」にある.→電気機械工業を一括した分析方法は実態分析として生産的でない.

電気機械工業の地方分散

電気機械工業は組立産業に属し、一般に労働集約的である.耐久消費財工業に属しながら,技術的な連関性を持つ多様な新製晶を創出し続ける中で,他の産業領域を上回る高成長を実現してきた。電気機械工業では完成品や完成部品を扱う大資本の主導性が顕著である.ほぼ現在のような資本の布陣が完成されるのは,大戦後の家庭電器ブームとそれに関連した販売網の整備・確立過程を経てのことである。

戦後,工場の地方分散が積極的に進められるのは 1960年代に入ってからであり,とくに 1965年前後からオイルショックまでが顕著である。これらは
①「高度経済成長」にともなう生産の拡大に対して,従来の工場敷地の拡大が周辺地価の上昇などでとざされたため
②若年労働力の大都市圏における「不足」が目立ちはじめ,資本に新たな対応を求めたため
③地域開発政策の面でも一定の施策が講じられたため
工場の地方分散をはかった工業部門は限られ、製晶の価格に対して運賃が相対的に割安な工業部門(「地方分散型工業」)にほぼ限定される.第1図で全国の1960 ~75年の各都道府県の製造業従業者の増加数と,それに対する「地方分散型」工業の寄与率を示した。

電気機械資本の工場分散は一般につぎの 3 つの過程を経て行なわれた.1 つは大都市圏内部での都市内工場の外周部移転である。京浜地区を例にすると,城南地区,川崎市内陸部,相模原・湘南地区の電気機械工場群が量産工場や新設工場を外延部に排出する形で段階的に形成されてきた.戦後 1960年頃までに支配的な工場分散の形式である。一方,広域的な.工場分散としては,第 2 次世界大戦時の工場疎開によるものと,1965年頃からの積極的・広域的な工場分散とがあげられる.前者は国防上の見地から製糸工場等の遊休施設などを利用して行なわれたものである。また,戦後 1965年前後からのそれはより積極的なもので,大資本の地方生産拠点の多くがこの時期に形成されている.

電気機械工業の中でもより広範囲な地方分散を行なっているのが,竃子部品生産部門である. IC 工場の立地は九州における労働力調達の限界から最近では東北地方・北陸地方などにも拡大のきざしをみせており,日本全国が生産基地になる様相を示してきている.IC 産業の地方分散は電子部品のそれをさらにおし進めた 2つの事情によっている.
①現在では巨大な自動化量産投資をともなう装置産業になっていること。
②製品のかさ高と重量がきわめて小さく,航空機による輸送が一般に可能なほど輸送が容易なこと。

回路の設計と試作にかかわる開発・研究工場は一般に大都市圏に立地している.一方の量産工場は逆に東北・北関東・北陸・九州などに分散している.後工程は前工程に比較して適正規模が小さく,労働力を求めてさらに分散することができるのでその工場数も多くなっている。工場の新設に当っては大量の若年労働力を雇用するので,その調達を確実にするために量産拠点は適度に分散している.

IC工場配置の特徴はつぎの 3 点に要約できる.
①各社とも旺盛な工場分散を行ない,生産の大半が地方生産拠点や海外の生産拠点に移されていることである.
②それぞれの生産拠点はなんらかの形で専門化されている.
③工場の地方分散や海外展開が行なわれたのはいずれも1965年頃以降のことである.

調査地域における電気機械工場の配置

労働力の確保に関連した特徴がいくつか浮かびあがる。
①山間地や熊本県の柑橘類生産地帯をのぞいて,工場がほぼ満遍なく配置されていること。各系統の工場が相互に人り紐んで分布する状態が生まれている.同系統の「拠点工場」は相互にある程度の距離をおいており,関連工場の配置地域も調整されているようである.
②中心集落に「拠点工場」をおいて中核的な労働力を確保した上に,その周辺農村地帯に関連工場を配置して「拠点工場」に通勤しえない労働力をさらにほりおこす態勢が多かれ少なかれとられていることが認められる.

労働力の入手を全体的な動機にしつつなんらかの有力な縁故をたどって進出したことになる.立地後の実績評価については,労働力の調達が果されしかも勤勉である,工場によっては「低賃金」「組合運動がない」などが積極的な面として示される一方で,輸送費や連絡費が増加し情報も不足する,原材料・部品の調達にあたり手配から入手まで時間がかかるなどの遠隔地固有の不利な側面を指摘するものも少なくない.

分工場建設の動機は労働力の調達で,その立地は「拠点工場」に自動車で 30分程度のところが選ばれ,多くは市町村の誘致をうけている。「拠点工場」と関連工場群の分散的配置は,労働力を確実に調達するために行なわれるものである.もっとも早い立地は,中心都市や中心都市に比較的近く交通の便の良いところに行なわれている.つぎの段階で工場立地は一気に拡散する.進出企業が増加し労働力調達の新天地が求められるためである。関連工場の操業年は「拠点工場」のそれより古いことはなく,「拠点工場」あっての関連工場の創設であることを示しているが,「拠点工場」の進出に対応してすぐ形成された関連工場は「拠点工場」により近いところに分布している.「拠点工場」の操業の拡大にともない新たに建設されていく関連工場は,在来工場との労働市場の競合を避けてさらに外延部に分散していくことになる.このように,工場間および企業間で労働力調達の競合をっとめて回避した工場配置が行なわれる結果,分散的工場配置が形成されるのである.

電気機械工場の通勤圏はかなり狭い(電車が使えないため)。労働力の中心的な給源は工場の立地した市町村域であり,地元通勤者率程度が聞けたその他の工場も含めて, 60~ 100%の労働力をそこに依存している。従来から指摘されてきたように,大型工場の通勤圏は相対的に広くて自市町村内依存率は 50~60%にとどまり,逆に小工場ほどそれは狭く地元依存率は 80~/00%に達している。また通勤圏は広くてもせいぜい周辺市町村までであってその距離は 10kmをこえない.このように通勤圏が狭い結果,適度に工場を分散することにより労働力調達の競合を避けることができるが,同じ市町村の近接地に複数工場が立地した場合は労働力の給源がかちあい,労働市場の規模や相互の競合関係で複雑な問題が生じることになる。かくして工場の分散配置が進められる.

京浜(京阪神)地区が全国的体系の結節点になるのは,それが原材料・製品のいずれをとっても最有力の流通結節点であるためで,完成品にとどまらず原材料にまでその機能が及んでいるのは自社便の運行にともなうかえり荷利用の効果が存在するからである.電子部品工場の場合,「拠点工場」の役割は製造工程上では「前工程」と検査工程におかれており,関連工場群は「後工程」(組立て)と一部の補助工程を担当することになる。機械工場一般の通例とは多少異なっており,こうした「逆転」の結果,「拠点工場」の主導性のきわめて強い,しかも地域的に完成された生産体系が作りだされている.