E meets G 01

Last-modified: 2009-06-01 (月) 02:34:54

箱根は雨だった。
雨の勢いはかなり強く、車のフロントウィンドウに当たる雨粒もかなり大きい。
ワイパーがフル稼働してはいるが、水を左右に追いやるというより水の流れを変えるのがせいぜいだ。

「やれやれ。久々の箱根だってのによ、こんな天気だと気分も滅入っちまうぜ」

車を運転する男が誰に聞かせるともなく独りごちる。
実用一点張りな4WD駆動のごついRVに相応しく、男は顔も体つきもごつい。
体育会系な風体に相応しく、髪を短く刈り揃えた男の歳の頃は30代前半といったところか。
やや腹は出てきているが、鍛え上げた肉体は服越しにも見て取れる。

「もうちょっとでNERVだからよ。気分、悪くねぇか?」

運転する男は視線をバックミラーにやや移し、後部座席に向かって声をかける。
そこには10代前半と思しき一人の少女が座っていた。
まるで兎のように紅い眼がまず目に付く。
抜けるような、と言えば聞こえは良いが、やや病的なものすら感じる位白い肌。
無造作なショートシャギーにした青みがかった銀色の髪と整った顔立ちは、可憐と言っても差し支えはないだろう。
Tシャツとジーンズといういささか色気のない格好ではあったが、人目を引く存在で有る事は間違いない。

少女はしばらく眼をくるくると泳がせると、運転席の男の問いかけに答えた。

「いえ、大丈夫。くる・・・弁慶さん。」

それで会話が途切れる。
次の会話の糸口を見出せない弁慶は恨みがましそうに、助手席に視線を見やる。

「なぁ竜馬、お前ぇも寝てばっかいねぇで話し相手になってやってくれよ。レイが退屈そうにしてるじゃねぇか。」
「うるせぇ。てめぇが会話に詰まったからって俺に振るな」

視線も上げず、助手席のシートを倒して寝ている竜馬と呼ばれた男は、ぶっきらぼうに弁慶に答えた。
年の頃は弁慶とほぼ同じに見えたが、見るからに異様な風体をした男だった。
泥と埃に塗れた野戦用コートを羽織り、下もボロボロのジーンズと野戦用ブーツ。
砂を防ぐために使っていたのだろう色褪せた紅い布を、マフラーのように捲いている。
格好だけなら浮浪者に間違われそうだが、体中に纏う空気は剣呑極まりない。
あたかも人の形をした肉食獣がそこにいるかのようだった。

「で、でもよ、あの時は吃驚したぞ。渦から女の子が出てくるなんてよ。まるでかぐや姫だと思ったぜ」
会話に詰まった弁慶はもう何度も、何人にも話をした内容を口に出す。
案の定、竜馬は露骨にうんざりした顔を弁慶に向けた。
「またその話か」

綾波レイという少女が弁慶達の前に突如現れたのは、今から三週間ほど前の事になる。
北海道サロマ湖畔に位置するNISER内、ゲッター線研究施設棟にいた弁慶の目の前で突如空中に渦が出現し、
中から意識不明の少女が吐き出された。
少女こと綾波レイの記憶では彼女は意識を失う前、箱根の第三新東京市にいた、という。

「ま、確かに俺達にしてみりゃあの渦から出て来るものといえば・・・」
彼等は過去にこれと同じ渦を見た事があった。
ただし中から出てきたのは可憐な少女などではなく、出来れば二度とお目にかかりたくない代物だった。
「・・・なぁ、竜馬」
「なんだ?」
「奴等は・・・鬼はもういないよな?俺達はあの時、あれだけの犠牲を払ってやっと・・・」
「弁慶、お前にも判ってるはずだ。15年前のあの渦が出てきた以上、奴等か清明辺りが噛んでるのは間違いねぇ」
「け、けどよう・・・」
「本人は何も知らねぇようだが、この嬢ちゃんもきっと何か絡みがあるだろうよ。だから俺も来たんだろうが」
「おい、この娘の前でそういう事は口に出すんじゃねぇ!それでなくても・・・」
男達が口論している内容は、レイには正直よく判らなかった。
鬼、とはなに?
15年前の渦、とはなに?
清明ってなに?
考えても判るはずがなく、彼女は自身の疑問に立ち返る。
自分が何故か箱根の第三新東京市から北海道のサロマ湖畔にいた。これは間違いない事だ。
だが意識を失ったその瞬間こそ、彼女はエヴァ零号機と運命を共にする正にその瞬間だった。
自分という存在・意識は跡形も無く消え失せ、新たな「三人目」に魂だけ引き継がれる筈だったのだ。
だが何故か彼女は生きている。だから知りたい事は山ほどある。
彼女が命と引き替えに倒そうとした使徒は?
零号機は?碇君は?
一体どうなったのか。
だがそれを知ろうにもNERVの庇護を失った今の彼女はあまりにも無力だった。

ふと前を見る。
車弁慶。
この人がいなければ自分は何も出来なかった。
NERVへの連絡方法も判らなかった。
NERVへ向かう方法すら判らなかった。
この人がいなければ、NERVに捨てられた自分は何もせずただ朽ち果てるだけだった。
そうだ、また思い出した。
私は。

NERVに、碇司令に捨てられたのだ。
それを思い出した時、以前にも感じた理解不能な何かが体の奥底から湧き上がってくる。
足が触れている筈の車の床が唐突に消え去り、いきなり空中に投げ出されたかのような喪失感。
周りに何も頼るものの無いような感覚。
そして頭の中で何人もの幼い声が自分に話しかけてくる。
「用済み」
「用済み」
「綾波レイは用済み」
車内はそれ程寒い訳でも無いのに、汗が彼女の顔を伝う。
呼吸は全力疾走した時のように激しく乱れる。
(私は・・・どうなってしまったの。どうなってしまうの・・・)
答えは判っている。でもどうする事も出来ないもの。
この感覚は最近覚えたもの。
これは・・・恐怖。

「・・・い!おい!レイ!大丈夫か」
己の心の奥底に翻弄され続け、周りも見えていなかったのか。
気がつけば竜馬が彼女を抱き起こすように肩を抱え、レイの目の前には弁慶が座り、顔を覗き込んでいる。
真摯な顔だ、と何故かレイは思う。
彼等の顔を見ていると、何故か嵐のように荒れ狂っていた己の内底がゆっくりと収まっていく。
(こういう時は・・・笑えばいいのね、碇君)
しばらく逢っていない自分の同僚の顔が脳裏に浮かび、またレイの心は少し軽くなった。
もうレイの中の荒れ狂う感情は収まっている。
レイはゆっくりと二人の男に微笑んだ。
「もう大丈夫」
そうだ。思い出した。
車弁慶が教えてくれた。
まだ私は「用済み」じゃない。
自分で決めたのだ。

私は初めて私の意志で行動するのだ。
私はNERVに行く。

「すまねぇ、弁慶。俺のせいだ」
「いや、お前だけじゃねぇよ」
レイの様子がもう大丈夫そうだと考えた竜馬と弁慶は、少し車から離れ話し始める。
それでも弁慶はレイが心配なのか、車内をしばしば見ながら、といういかにも落ち着き無い様子だったが。
(まるで親馬鹿だな・・・)
竜馬はやや呆れ顔で露骨に弁慶を見たが、気がついた様子も無さそうだ。
「・・・それにしてもよ、NERVもふざけてやがる。あんな子供に何て仕打ちしやがるんだ」
弁慶は数日前にNERVに連絡を取った時の事を思い出していた。
身元不明の少女の名前が綾波レイと判ったのは、現れてから数日後の事である。
当初頑なに口を閉ざしていた少女も、弁慶やNISERの女性職員達の対応に少しづつ心を許し、重い口を開いた。
とはいえ所属が今巷で噂のNERVと判った時には、こんな少女が、という驚き以外にも、皆の表情に複雑なものが走ったものだ。
正直NISERのような先端技術を研究する機関においてNERVの評判はすこぶる悪い。
研究用として作られた貴重な試験機を対使徒用の手段として強引な手段で供出させられた、という話は一つや二つではない。
観測施設に事前説明無しで土足で踏み込むように入り込み統治下においた、という事も茶飯事だ。
無論人類の存亡が懸かっている故の非常手段、と言ってしまえばそれまでだが、その見返りを一切与えない、言い換えれば
手持ちのカードを一切切らない徹底的な秘密主義辺りも不評の一つと言える。

「ですから現在赤木は機密事項に関する内容に関わっており、連絡が・・・」
「赤木博士にはNISERの神、と伝えれば判るはずだ。こちらはNERVの機密に係る緊急の件があって連絡している。
お前には話せん。もし赤木博士が連絡が取れないのであれば、責任者を至急呼び出せ」
「あの、ですが・・・」
「いいから早くしろ。お前が判断出来ないのなら時間の無駄だ。いいから上司を出せ」

対応していたオペレータの女性の声は半ば涙声になっている。
隼人の容赦ない追求を5分も受け続ければ大概の人間はこうなるのは、弁慶もよくご存知の事である。
「おいおい。相手の姉ちゃん泣き声だったぜ。やりすぎなんじゃねぇのか?」
「ふん。NERVの態度には昔から腹に据えかねるところがあったからな。良い意趣返しだ」
あまり底意地よろしくない笑いを口の端に浮かべ、隼人は弁慶に答える。

NISER所長である神隼人は、NERV技術部長・赤木リツコ博士とは一、二回だけではあるが、学会で顔を合わせた事がある。
弁慶の執拗な頼みに根負けし、渋々といった様子でNERVに連絡を取った隼人だったがなかなかどうして乗り気のようだ。

「・・・それで責任者って・・・まさかあたしぃ!?」
えぐえぐ、と未だぐずってるオペレータ、阿賀野カエデを横目で見ながら葛城ミサトは驚きの声をあげた。
カエデの隣にいる伊吹マヤは、すかさず机の上に並べた幾つかのお菓子と缶紅茶をミサトの方に押しやる。

ここはNERV技術部の第三ミーティングルーム。
元々あまり使われず人もまず入ってこないため、お昼時、こっそり休憩する時によく使われるとか使われないとか。
事の起こりは責任者不在のNERV技術部に入ったリツコあての一本の電話。
どういうたらい回しの結果そうなったのか、その電話対応をする羽目になった不幸な人間こそカエデであった。
あのリツコですら「手強い」と評していた隼人をどうこう出来る訳がない。

「う、上の者から折り返し連絡いたします!」と言って電話を切り、マヤに泣きつくのが彼女に残された唯一の手段であった。
リツコの一番弟子を自称するだけあり、相談されたマヤは15分後には、ミサトを三時のおやつで見事に釣り上げる事に成功。
無論、同僚の青葉シゲルを通じて、忘れずに冬月副司令にも報告&言質取りしておく。
かくしてお膳立ては整った。

「私も先輩に昔聞いたんですがそのNISERの神って人、怖い位の切れ者だって言ってました」
「うーん、あたしも可愛いマヤちゃんとカエデちゃんの為ならやったげてもいいんだけど、ちょっち部署違いなのよねぇ・・・」
「あ、大丈夫。先ほど副司令に報告したんですが『葛城君にやってもらいなさい』って仰ってました」
予想される逃げ道は抜かりなく塞いでおいた。
「あ、あら~。そう・・・」
(くっ。副司令、あたしに丸投げかーい!要するにあたしの役目って苦情対応じゃん・・・)
ミサトは心で泣きながら、目の前でにこやかに微笑む仕掛け人に最後の抵抗を試みる。

「で、でもさぁ、その人技術畑の人なんでしょ?専門的な内容出て来たらあたし判らないんだけどぉ・・・」
「そこは私が付き添う、って事で指示いただいてます」
やはり退路は完全に塞がれていた。
副司令からの指示があった段階で逃げ道などある訳もないのだが。
「しょうがないな~。不肖葛城ミサト、怒られ役やらせて頂きます!そのかわりこのお菓子頂くわよん」
「あ!それ私が最後まで残してあったのですよー!」
「へへ~ん!早い者勝ち~!」
(ま、これ位の報酬貰わないと釣りあいそうにないじゃない)
ミサトは口をもぐもぐさせながら、ささやかな勝利の味を堪能する。
ぷー、と可愛らしく膨れ面になったマヤだったが、ふと思い出したように口を開く。
「そういえば先輩の出張って長くなりそうなんですかね?何か葛城さん聞いてます?」
「あ、そうそう。部長早く戻ってきてくんないかな~」
カエデも表情をころっと変え、マヤに同意した。
「・・・うーん、あたしも特には聞いてないなぁ。色々確認したい事あるし、早く戻ってきて欲しいんだけどね~」
一瞬表情が変わったかもしれない。幸い二人には気づかれていないようだが。

今、赤木リツコはNERV内の独房にいる。
その事はNERVでもごく一部の人間にしか知らされておらず、技術部で真相を知る者はいない。
対外的にも技術部長が独房に入るなど、決して尋常のことではない。
それも理由の一つだが、最大の理由は間違いなくあの時見ることになったレイの秘密。
あの時巨大な水槽の中に浮かんでいた綾波レイという少女の無数の肉体。
それが彼女がいついかなる状況からでも生還した理由。余人に決して知られてはならないもの。
その予備の肉体は、シンジとミサトの目の前でリツコの手により全て破棄された。
その事が碇司令の逆鱗に触れ、しかしその秘密の重大さ故公にする事も出来ないでいる。
そもそもの発端がその処分を与えた男への想い故、という事がミサトを余計にやるせない気持ちにさせる。

(・・・リツコ、あんた馬鹿よ・・・もっともあたしだって同じ位馬鹿かもね・・・)

今彼女は独房で何を思っているのだろうか?