E meets G 02

Last-modified: 2009-05-29 (金) 23:52:20

厄介事は決して単独ではやってこない。
何時だって余計な尾鰭がくっ付いたり、同じ位厄介な事とセットで現れる。
今回だってそうだ。

切れ者と噂されるNISER所長・神隼人との会談。
それだけでも胃が重くなりそうだったのに、隣に鎮座ましますは、更に胃を重くする二人の上司。
NERV司令・碇ゲンドウと、副司令・冬月コウゾウが同席、という予想もしない事態だった。
会談場所の第一会議室には既に、NISERとの映像付双方向回線の準備が整っている。

(ねぇマヤちゃん、なんでこんな大事になってるのよ!?)
(し、知りませんよぉ・・・私は副司令に報告しただけですもん・・・)

自分達は用済み、と思っていたのに何故か同席を命ぜられたミサトとマヤ。
技術部のマヤはともかく、何で作戦本部の自分まで同席なのだろうか?
その疑問を副司令(司令には黙殺されそうだし)にぶつけてみたところ、

「君は神君とは面識は無かっただろう?非常にユニークな男だ。一回逢ってみるといい」

とやや意味ありげな柔らかい笑みを浮かべ、冬月は答えた。
噂聞いてるだけで胃が重くなるような男との面識なんて真っ平御免、と言いたいところだったが
上司の言葉は命令も同然。断れる筈も無い。

(面識があるから司令と副司令が出てきた?・・・でもそれなら最初に私に振ったりはしないわね)

いずれにせよこれ以上無い適役が現れた以上、自分は傍観者に徹する方が色々好都合だ。
そう考えたミサトは、マヤと共にカメラから見てやや脇の席に腰を下ろす。

ややあって液晶のパネルに三十台半ばと思われる一人の男の姿が映し出される。
痩せ型、というよりは筋肉質に引き締まった肉体をブランドもののスーツに包み、着こなしも完璧だ。
こちらを見据えるその顔には緩い感じは一切感じさせない、まるで研ぎ澄ました刀のような男。
この男が神隼人のようだ。なるほど、如何にも切れ者そうである。
(どんなイヤミな脂ぎったオヤジかと想像してたら、結構おっとこ前じゃないの)

「神君、久方ぶりだね。敷島博士はお元気かな?」
冬月が柔和な笑みは絶やさず、口火を切る。
「老いて益々盛んですよ。・・・しかしNERV司令と副司令の揃い踏みでお相手頂くとは光栄ですな」
低い感情を抑えた声は、何故かミサトの心にある男の姿を想い出させた。
もう逢うことが出来ない場所に、自分を置いて一人で行ってしまったその男は、目の前の男とは対照的に
だらしない印象をのある男だった。自分の前では特に。
碇ゲンドウの不機嫌そうな声が、ミサトの意識を現実に引き戻す。
「そんな事はどうでもいい。我々が同席したのは他でもない。ゲッター線の技術提供についてだ」

(下駄・・・線?)
(私も・・・ちょっと判らないです。NISERで研究されている何かでしょうけど・・・)
下駄が線路の上をからころ音を立てて走るイメージを軽く頭を振って打ち消すと、ミサトは上目遣いに上司を見る。
ゲンドウは相変わらず何を考えているか判らない仏頂面だったが、冬月は迷惑そうな視線をゲンドウに向けていた。
だがその言葉が向けられた当の本人、神隼人は余裕の薄い笑みを浮かべたままだ。

「碇司令。以前にもお話しましたが、確かにアレはかつて早乙女研究所で研究されていました。しかし我々NISERでは、
ゲッター線の研究は一切行っていないのですよ」
失礼、と一声かけて優雅な手つきでライターと煙草を取り出した。
気障、といえばそれでおしまいだったが、悔しい程に様になっている。
キン、という鋭い音と共に煙草に火がつき、紫煙を吐き出した後、再び隼人は口を開いた。
「ご存知のとおり、アレは危険ですからな」

「そんな建前の話を聞いているのではない。貴様等がゲッター線の研究を未だに行っている事について、報告を受けている」
「ほう。どちらからの情報提供かは知りませんが、無いものは提供できませんな」
相変わらず不機嫌そうなゲンドウに対し、薄い笑みを顔に貼りつかせた隼人。
腹中を明かさぬ食わせ者同士の対決に、傍で見ている自分の方が胃が重くなってくるようだ。
ミサトは思わず自分のお腹をさすりながら、話の内容に耳を傾ける。

「そもそも今日はその関係でご連絡したのではない・・・弁慶」
「おう」
隼人が画面外に呼び掛けると、野太い声と共にいかにも体育会系の実直そうな男が画面内に現れる。
画面に向かって軽く会釈すると口を開いた。
「車弁慶です。NISERでテストパイロットをやってます」
そこで感情を抑えるように淡々と話し始める。
「俺・・・もとい自分は三週間ほど前、機動車輌の試験中、一人の少女を保護しました」
(・・・三週間前?)
何かがミサトの心中で警告を鳴らした。
第十六使徒アルサミエルとの決戦。確かにあれは三週間前だった。
思えばあの後、色々と不可解な事がまるで風船が割れたかのように噴き出始めた。

「その少女は当初黙秘していましたが、後で自分がNERVの所属である事を我々に話してくれました。
彼女の保護をお願いします。・・・さ、レイ」
深く画面に向かって頭を下げ、画面から別の方向にいる誰かに視線を移す。
(!?今何て言った!?・・・レイ?)
直後画面に現れた少女の姿を見た瞬間、ミサトは絶句した。
北海道などにいる筈の無い少女、綾波レイが画面の向こうにいたのだから。
「れ、レイちゃん!?嘘!なんで・・・!?」
マヤも同様の思いだったのだろう。
口を両手で押さえ、そのまま言葉を失っている。
二人の思い至った事は一緒だ。
北海道にいる「綾波レイ」と本部にいる「綾波レイ」、どちらが本物なのか、と。

二人の考えを知る由も無く、画面の向こうの綾波レイは小首をかしげ、こちらを見つめていた。

長く続いた沈黙を破ったのは男のやはり不機嫌そうな一言だった。
「・・・ほう。それで?」

「それで、とは?」
神隼人はやや変化していた。不敵な態度に磨きがかかり、この展開を楽しんでいるかのようにも取れる。

「・・・我々NERVに綾波レイなどという名前の人間は存在しない」
碇ゲンドウはその言葉を口に出した時ですら、変わらず無表情だった。

「!?し・・・」
マヤは思わず声に出そうとしたが、ゲンドウに睨まれ、項垂れてしまった。
組織に所属する以上、組織の長の言う事は命令に等しい。
沈黙が二つの場所に立ちこめた。
その沈黙を隼人の感情を抑えた低い声が破る。

「面白い事を言う。ではあんたらNERVはこのお嬢ちゃんは知らない、と言い張るつもりなんだな?」
「事実を事実として述べただけだよ、神隼人君」
「『綾波レイ』という名前をこちらから挙げた記憶は無いが?」
「過去には存在したが、現在は抹消済、という事だ。問題無い」

隼人の言動から慇懃さがかき消え、不遜な態度が表に現れていた。
もっともゲンドウもそれを指摘する様子も無い。
お互いに態度こそ冷静に見えるが、それは最早協力関係にある者同士の会話ではない。
傍から見ていても、二者の間の緊張が高まっていくのがありありと見て取れる。

そんな二人の間にある渦中の人物・・・画面の中の『自称』綾波レイをみやり、ミサトは眉を潜める。
レイは今までミサトが見た事の無い、だが見た事のある表情を浮かべていた。
(この娘・・・こんな表情出来たんだ)
レイの表情で見た事は一度もないが、ミサト自身は幾らでも見た事があり、見せる事もある表情。

不安。今レイが浮かべている表情。
(そっか・・・不安、捨てられるかもしれない不安と恐怖を予感してるのね・・・)

それに気が付いた時、ミサトは苦笑を禁じ得ない。
(皮肉なものね)
シンジやアスカのように同居していた訳でもなく、作戦中も私語を交わした記憶もない。
正直付き合いづらかったし、最初の内こそ打ち解けようと努力したものの、結局徒労に終わった。
そして自分自身が追い詰められてきた頃には、その努力すら放棄した。
なのに遠く離れたこんな時、初めて心中が理解出来た気がするなんて。

「・・・司令。私は・・・」
おずおず、といった様子でか細い声で、画面の向こうの保護者に初めて声をかける。
これもまた初めて見る表情。レイが物怖じするところなど少なくともミサトの記憶にはない。
だがその心中を今やミサトは手に取るように理解できる。
きっとレイは碇司令に声をかける事を「怖い」と感じているのだ。
最悪の答えが返ってくる予感。
だが聞かずにはいられない。
何度もミサトが感じた事のある感情。不安と恐怖。
話している間にもどんどんそれは高まってきている筈だ。
判っている。
この組織の長が否定した以上、部下として止めることは出来ない。
それでもお願い。
これ以上あの娘を追い詰めないで。

あそこにいる怯えた儚い少女は、かつての自分だ。
「NERVの名前を騙るお前は誰だ?」
ミサトの心中の要望も空しく、碇司令の弾劾は続く。

「私は・・・」
最早何を言っていいのか、何を言われているのかすら判らなくなってきている。
足元がぐるぐる廻っているような感じ。
気がつけば、何処かから声が聞こえてくる。

(用済み)
(用済み)
(綾波レイは用済み)

・・・誰?
この声は誰なの?
この幼い声は誰の声なの?
この声を聞いていると心が冷たく、暗くなっていく。
怖い。
このまま足元から何処かに吸い込まれそうなこの感じが、たまらなく怖い。

「私の前から失せろ。二度と姿を見せるな」
最後の言葉を聞いた時、レイの心の何かが音を立てて崩れた。
綾波レイという存在を支えてきた根本。それが音を立てて崩れていく。
レイの心中は嵐が吹き荒れていて、自分が立っている位置すら判らない。
(私はEVAに乗るために・・・でもEVAに乗れないのなら・・・私は)

私はこのまま消えてしまってもいいのかもしれない。

マヤは「ごめんねごめんね」と口の中で呟き続けていた。
頬を涙が伝っている。
技術部にいて、リツコの右腕として働いてきた以上、彼女は綾波レイの秘密を知っている。
不可解なところもあるが、目の前の画面に映る少女は間違いなく本物だ。その確信はある。
なのに、何も言えない。言う事は出来ない。
ただ目の前の少女が壊されていくのを目を伏せ、見えないようにする事しか出来ない。
私は卑怯だ。

「馬鹿野郎!」
レイの意識は聞き慣れた野太い声によって、暗く深い空間に呑み込まれそうなその時、再び引き戻される。
ずっと落ちていきそうな感覚は、体を力強く温かい何かで繋ぎ止められた。
(・・・誰?)
暗くなった視界がだんだんと戻っていく。
すぐ目の前に車弁慶の横顔があった。
失神したレイの体は倒れる寸前、飛び出した弁慶に抱きとめられていたのだ。
その目は怒りに燃え、まっすぐゲンドウを見据えている。
暗い何かに心が飲み込まれそうなレイにとって、肩に回された弁慶のごつい手はこれ以上無い位に温かかった。
何故かは判らない。

でも、暗い何かの中に一つだけ見つけた温かい光、何故かレイにはそう思えたのだ。

「子供に何て事言いやがる!そんな事言われたらどれだけ傷つくか判ってねぇのか、お前ぇは!」
弁慶は怒っていた。目の前のゲンドウに。そして自分自身に。
そうだ、俺もそうなんだ。
昔、俺はまるで判っちゃいなかった。だからあの時俺は。
元気があれ程つらい思いをしていたかに、まるで気がついてやれなかったんだ。

「落ち着け、弁慶」
今までずっと会話に参加せず黙り通していた一人の男が立ち上がり、激昂した弁慶の肩をぐっと押さえる。
くたびれた野戦用コートを身に纏った、隼人とは違った印象で眼差し鋭い男。
「熱くなり過ぎるな。これは喧嘩じゃねぇ」
肩を軽く叩き、視線を交わす。言葉以上の何かが飛び交っていた。

「・・・そうだな。すまねぇ、竜馬」
昂ぶった気持ちがゆっくりと沈降していく。
落ち着いた自分の気持ちに合わせたのか、やや声音を落として弁慶は続ける。
「・・・この嬢ちゃんはな、NERVが、司令のあんたがたった一つの絆、拠り所だと、だから戻るんだとよ」
何かを思い出したのか、ぐすりと鼻を一つ鳴らす。
「健気なもんじゃねぇか。なのによぉ・・・こりゃ幾らなんでもあんまりだぜ」

「これはNERV内部の問題だ。部外者の余計な口出しはご遠慮願おう」
訴えかけるような弁慶の言葉にも、ゲンドウは冷たい視線と言葉でにべも無く蹴ろうとした。

だが対する弁慶の視線は萎えず、怯まない。
「ああ、確かに俺はNERVのお家事情に関しちゃ部外者だ。でもな、この娘に関しちゃ部外者じゃねぇぞ」
意外な言葉に、一瞬ゲンドウの視線が戸惑うかのように空を彷徨った。
全員の視線が集中するのを感じ、弁慶はやや迷うような素振りを見せたが、意を決して口を開く。

「・・・俺ぁ隼人みてぇに器用じゃねぇからよ、この娘を預かった時、自分の子供だと思って接する事にしたんだ」
が、少し照れているのか、ちょっと横を向くようにぼそぼそと喋った。
一瞬だけ自分の腕の中に抱えているレイを見て、すぐそっぽを向く。
レイは弁慶の腕の中から、不思議なものを見るかのように弁慶を見つめていた。
「ほ、ほら歳もその位離れてるしよ・・・い、いや・・・そりゃあレイもこんなむさ苦しいのが父親役じゃあ迷惑だろうけどよ」
短い髪の頭をこりこりと掻き、少し赤くなりながら、言い訳するように付け加える。
そして最後に表情を正してもう一度ゲンドウを見据えて、一気に言い切った。
「でもな、たった三週間だけでも、俺の一方的な思い込みでも、この子は俺の『娘』だ。部外者呼ばわりはさせねぇ」

そのまま視線を移し、弁慶は竜馬を見る。
竜馬の表情は険しかった。
「弁慶。お前まだ・・・」
その険しい視線を受け止めるように、哀しげな表情で弁慶は笑いかける。
「なぁ、竜馬。それが俺に出来るせめてものこったよな?」
その口調は何処までも優しく、哀しくそれ故に竜馬は視線を逸らし、ただ口から搾り出すように一言漏らすのみだった。

「・・・この、大馬鹿野郎」

場を沈黙が支配する。
二つの空間に満ちる様々な思惑、過去への思いが人々の口を重くしていた。
沈黙を破ったのは、吐き捨てるような感情を込めた一言だった。

「・・・用済みの道具に会う必要が何処にある」

ゲンドウの言葉は、弁慶の頭に一瞬で血が上らせた。
そしてその感情のままゲンドウを睨みつけようとした弁慶は、予想もしないものを見て、一瞬唖然となった。
あれ程鉄面皮に徹してきた筈の碇ゲンドウは、己の感情を隠そうともせず明らかに敵意を込めた視線を自分に向けている。
「・・・碇!」
さすがにあまりな発言だと感じたのだろう、冬月が素早くたしなめるが、それをゲンドウは手で制止する。
「不愉快だ。この辺で私は失礼させてもらおう」
言うなり反論の暇も与えず、踵をくるりと返してゲンドウは室外に立ち去ってしまった。
慌てて後ろを追おうとした冬月はその時、気がついた。
ゲンドウのの顔に浮かぶ激しい感情。

それは間違いなく『嫉妬』だった。

最低の捨て台詞を吐いて去ってしまったNERVの最高責任者と、それを追った次位責任者。
誰も話を切り出せない。
話し合いの場は唐突に終わってしまったのだから。
だが誰も立ち去らない。
これで終わりにする事など出来る筈がない事は、場にいる全員が理解している。

また訪れた沈黙を破ったのは、噛み殺すような嗚咽だった。
「すまねぇ、すまねぇなぁ・・・よう」
弁慶は座り込むレイを、力一杯抱きしめながら涙を流していた。
「俺の言葉が足らねぇばっかりに・・・お前ぇにつらい思いさせちまったなあ」
不器用に、しかし優しく弁慶はレイの背中をゆっくり叩く。
俯いていたレイは顔を起こし、弁慶の顔を見た。
涙でくしゃくしゃになりながら、それでも毅然でいようと精一杯努力しているちょっとおかしな顔。

何故?
何故この人は私のために泣くの?
何故この人の顔をを見ると私の心は落ち着くの?

「だからな、今日からは俺が守ってやる。絶対にお前ぇを独りぼっちにはさせねぇ」

何故この人の匂いを感じると、温かくなるの?
何故この人の言葉は聞くと、心に光が差すの?

そんなレイの姿に一層想いが感極まったのか、弁慶はより一層の力を腕に込める。
が、感情に任せてあんまり力を込めてぎゅうぎゅう抱きしめてるものだから。

「・・・痛い」
しかめ面でレイは弁慶を睨んだ。
「ああ!すまん!痛かったか!怪我は無いよな!」
ぱっと腕を放し、凄い勢いでレイから飛び退る弁慶。
そしてまじまじとレイの顔を見て、唐突に気がつく。
「!?・・・ああああ!すまん、泣くほど痛かったのか!」
レイはその端整な顔に涙の筋を光らせていた。

「おおおい!大変だぁ、誰か、誰かぁ!」
何を勘違いしたのか、凄い勢いで立ち上がるとどたばたと騒々しい音を立て、一目散に部屋の外に飛び出していく。
が、途中でどたどたという音が鈍い金属音と共に唐突に消え、代わりに苦痛を押し殺すような呻き声が聞こえた。
やれやれ、と言わんばかりに肩をすくめ、苦笑しながら隼人は弁慶の様子を見に室外に出て行く。

「・・・何やってやがんだ、あの馬鹿」
呆れ顔でぼそりと竜馬は呟き、視線を画面に移す。
「ま、ああいう奴だ・・・暑苦しいかもしれんが大目に・・・」
そこで言葉が止まった。
竜馬の想像の斜め上の光景がそこにあった。

・・・お化粧、崩れちゃうじゃない」
「えぐ・・・うう、ヒック、ひん」
画面の向こうの年上の方は視線を逸らして目頭を押さえ、もう片方は衆目も気にせず盛大にべそをかいている。
各国の紛争を渡り歩いた百戦錬磨の戦士たる竜馬でも、愁嘆場は大の苦手だ。
色んな意味で竜馬最大の危機かもしれない場面であった。

そんな外野を他所にレイはぼんやりと考え込んでいる。
私が死んだらあの人は・・・弁慶さんはきっと悲しむ。悲しんでくれる。
そんな気がする。
碇君のように。かつてのあの人のように。
NERVが必要なくても、まだ私はいても・・・いいのね。

そっと顔に手を当てる。
これは涙・・・悲しい時に流れるもの。

そして画面に映る自分の顔を見て思う。

では何故私は微笑んでいるの?

「・・・レイ。嬉しい時にも涙は流れるのよ」
葛城三佐が、画面の向こうで今まで見たことが無い優しい笑顔で教えてくれた。
涙を流しながら。

「レイちゃん・・・弁慶さん良い人だよね。ホントにお父さんみたいだよね」
伊吹二尉が眼に残る涙を拭きながら、優しく笑いかけた。

お父さん?
父親のこと?
今までの私とは縁の無い言葉。これからも縁の無い筈の言葉。
でも何故?
何故その言葉を聞くと私の心が温かくなるの?
そう。私は・・・嬉しいのね。
碇司令との絆は消えてしまった。
それはとても悲しい事。取り返しのつかない事。
でも弁慶さんとの新しい絆が出来た。
「お父さん」
それはとてもとても嬉しい言葉。とてもとても温かくなる言葉。

「レイ。嬉しい?」
とても優しい声で葛城三佐が私に問う。

「判らないです・・・でも」
レイはちょっと考え込んで、また口を開く。
「とても温かい・・・気がします」
そう言って、見る者全てが微笑み返すような素敵な笑顔をレイは浮かべてみせた。

そして。
(・・・場違いだな)
部屋の片隅で竜馬は居心地悪そうに、空気と化して立っていた。

足元にのみ発光源のある暗い通路を二人の男が歩いていく。
NERV司令・碇ゲンドウと、副司令・冬月コウゾウ。
いつもは常にゲンドウの半歩後ろを歩く冬月が、今日は珍しく並んで歩いていた。

冬月はいつになく非難めいた表情を露にし、ゲンドウに話しかける。
「碇。いくらなんでもあれは言い過ぎだ。あの場には葛城君や伊吹君もいたのだぞ」
「・・・問題ない」
「まったく。昔から変わらんお前の悪い癖だ。痛いところを突かれるとすぐに反撥して心にも無い事を言う」
「・・・私の欠点を理解している先生だからこそ、副司令をお願いしているのですよ」
「やれやれ。またお前の尻ぬぐいか・・・まぁ仕方ない。戻って葛城君達と少し話をしてくるよ」
冬月は踵を返し、出てきた部屋に戻っていく。

ゲンドウは一人歩き続けやがて止まる。
「これで良いのだろう。レイ」
暗い、先のまるで見えない深遠に向かって、ゲンドウは話しかけた。
その口調は先ほどの理不尽なまでの倣岸さとはうって変わり、子供に話しかけるかのように優しかった。

「そうだな。お前以外に綾波レイがいる筈はない。ならばアレは・・・偽物だ」
答えたものはいないかに思えたが、ゲンドウはその声無き声に答え、頷く。

そして闇の深遠の更に奥へ歩みを進めていった。