ハルヒは俺の── (82-944)

Last-modified: 2008-03-05 (水) 01:38:40

概要

作品名作者発表日保管日
ハルヒは俺の──82-944氏08/03/0408/03/05

作品

 俺にとってハルヒとは何だ?
 高校1年生のときにへんてこな灰色空間にハルヒと共に、というよりはハルヒに閉じこめられたときに自問自答した問題であり、そのときにも明確な回答を出さないまま俺は朝比奈さん(大)と長門の助言にしたがってしまったのだが、結局その後のことを考えるとあのときにも答えが出たとは言いがたい。
 俺は高校での3年間、答えを出すことを避け続けたのかもしれない。
 それでもときは過ぎていき、俺もハルヒも変わっていった。
 
 その答えは、結局のところ、ずっと俺のそばにあり、ずっと変わらなかったんだと気がついたのは、その灰色空間から数えて7年近くが経過しようとしていたときであった。
 
 
 
 大学卒業を控えたある日、住み慣れた空っぽのアパートをあらためて見回すと、俺は思わず笑みがこぼれるのを禁じ得なかった。
 4年間暮らしたこの部屋になんの感慨もないわけではない。だが、これから始まる生活の方がはるかに楽しく有意義になるに違いない、その確信がある以上、寂寥感にさいなまれるなんてことがあるわけがない。
 それでもこういうときの常として、この4年を振り返らずにはいられない。
 
 4年間、短いようで長く、長いようで短かった。
 
 
 
 高校を卒業した後、俺はSOS団の連中とは別の、遠方の大学へと進学した。朝比奈さんは前年に地元国立大へと進学しており、ハルヒも古泉も長門もまるで当たり前な顔をして同じ大学に合格を決めた。俺1人、その大学を受験することすら止められるような成績だったのは今更言っても仕方がない。
 ハルヒは俺を責めなかった。
「ま、あんたにしちゃ頑張ったんじゃない」
 最後まで笑顔でそう言って俺を盛大に見送ってくれた。
 しかし、古泉から聞いた閉鎖空間の発生頻度を考えると、結構寂しがっていたのではないかと思う。別に俺だから、とうぬぼれたわけではない。ハルヒにとってSOS団はかけがえのないものであり、その構成要素であるところの俺が遠くに行ってしまう、そのことが辛かったのではないか、そう思ったわけだ。
 高校時代のハルヒはやたら頭がいいくせにまるで子供だった。
 きっと、楽しい時間が永遠に続くと思っていたに違いない。子供ってのはそういうもんだ。
 永遠に続くことなんてあるわけがない、憂き世に何か久しかるべき、と突きつけたのが俺の進路だったのは何の因果だろうね。
 
 高校卒業直後はそう思っていた俺だったが、いざ地元を離れてみると考えていたよりずっとつまらない物であったと言わざるを得ない。親元を離れて1人で暮らす、それは多少の不安と期待がある物ではあったが、実際には砂を噛んでいるような気分しか味わえなかった。
 大学生活もそれなりに楽しんだし、友人もできた。
 少しは料理もできるようになったし、家事はそれなりにやっている。
 バイトもやってみた。
 それでも、何故か生活全般が霧でもかかったようで、色彩も輪郭もぼやけてしまっているような気持ちを拭えなかった。
 
 霧が晴れるのは、長期休暇で帰省するときだ。
 長期休暇はバイトをしている身分にとっては稼ぎ時であるにもかかわらず、俺は毎回ほとんどを地元で過ごし、ここぞとばかりに呼び出されるSOS団の活動を満喫していた。正直言って、遠慮のないハルヒの性格に感謝すらしている。
 結局、俺は大学に入って最初の夏休みの時点で、SOS団の活動が俺の中でどれだけ重要な位置を占めているかを思い知らされたわけだ。
 このとき、まだ1年だったにもかかわらず、俺は決心した。
「就職は、絶対地元から通える範囲にしてやる」
 我ながら単純である。
 
 目標ができるとやる気が出る物で、俺は就職を少しでも有利にするために、高校時代からは考えられないほど学生の本分に励むことになった。バイトがあったにしても、宇宙人やら未来人やら超能力者やらのあれやこれやに巻き込まれることもなく、高校のときと比べものにならないくらい穏やかな、それでいてつまらない日々であったことも勉強がはかどる一因ではあったかもしれない。
 いや、それは高校時代の言い訳だよな。やっぱり本人のやる気次第なんだろう。
 
 
 
 変化、と言っていいのだろうか。
 俺が自ら変わったのではなく、強制的に変えられたような気分なのだが、とにかく変化が訪れたのは大学2年の夏休み前のことだった。
 
 夏休み前というと当然のごとく前期試験に追われている時期なのだが、高校のときと比べて授業も真面目に聞き、それなりに勉強していた俺は焦ると言うほどのことはなかった。むしろ俺のノートをコピーさせてくれなんて言うやつが後を絶たないという状態になっているのだから、さてハルヒが見たらなんと言うのかね。
 その日、俺が受けるべき試験は午前中で終了、後は飯でも食うかと周りの友人たちと連れだって学食に移動するのはいつも通りだ。家でわざわざ一品飯を作るより栄養的には良さそうだからな。
 適当に定食をチョイスして飯を食う。そういや高校のときは毎日弁当だったよな、今考えるとお袋も大変だったろうなんて感謝を今更ながらしていると、周りの空気が何かおかしいのに気がついた。
 このころの俺はやはり日々を過ごしながらもどこか霧のかかったような世界にいる感覚が抜けなかった。だからたいていぼんやりしているように見られて、実際多少ぼんやり気味に過ごしている時間も多く、空気の変化に気がつくのが遅い。このとき、俺が気づいたときには、ともに飯を食っている友人全員がそいつの存在に気がついていた。
 友人たちがぽかんと口を開けて見ている方向に俺も顔を向けた。
 
 少し離れたテーブルで女が1人で食事をしている。女性が1人で食事をしていること自体が珍しいのだが、特筆すべきはその量だ。定食、ラーメン、パスタ等、優に3~4人前はある食事量を1人でたいらげる勢いだ。それでいてその女はその量の食事がどこに入っていくのだろうというスタイルを保っている。
 一般的には驚かれるのだろうが、俺はこの程度の量をぺろりと平らげてしまう、それでいて太るってことにどういうわけか縁がないらしい女性を2人ほど知っているわけで、そのこと自体は驚くに値しない。
 驚くべきポイントはそこじゃない。
 そう、俺が驚いたのは、そこで食事をしている女が、その2人の知り合いのうちの1人に間違いなかったからであった。
 そいつが誰かを認識した瞬間、それまで淡い色彩でしか描かれていなかった俺の周囲が原色の油絵の具で塗ったくられたような、そんな感覚を味わった。
 
 
「────ハルヒ!?」
 しまった、何声かけてんだよ俺! この状況を周りの人間になんて説明すりゃいいんだ?
 ハルヒは俺の声に気づくと顔を上げて俺を見てニヤリと笑いやがった。そして食べかけの食事そのままに席を立ってこっちにやってくる。逃げていいか?
「なーんだ、あんたいたんだ。先に気がついていたら奢ってもらったのに」
 そいつはラッキーだったな。あの量を奢らされたらいくら学食だからってたまったもんじゃねえぞ。一人暮らしは金がかかるんだよ。お前の胃袋を満たしていたら破産しちまう。
 て、そんなこと言ってる場合じゃねえ!
「お、お前ここで何やってんだよ! なんでここにいるんだよ!?」
「やっぱ学食は押さえとかないとね。ここ結構美味しいじゃない。うちの大学より美味しいわ。有希も連れて来ればメニュー全部制覇できたのに、惜しいわね。あたしもこっちにすれば良かったかしら」
 そりゃ長門なら全部のメニュー食えるかもしれないな、それよりお前はどういう基準で大学を選ぶ気だ、ってだから突っ込んでる場合じゃねえ。俺が聞きたいのはそう言うことじゃなくてだな、
「お前は飯を食うためだけにわざわざこんなとこまで来たのかよ」
 いや、これも微妙に訊きたいこととは違うんだが。
「何言ってんのよ! あんたの大学、終わるのが遅すぎるのよ! いつも遅刻ばっかりだから迎えに来てあげたんじゃないの!」
「なんだって?」
 確かに俺の通う大学は、休みに入るのがハルヒたちの通う大学より少し遅い。その代わり始まるのも少し遅いのだが、ハルヒにとってそっちはどうでもいいのだろう。しかしだな、そんなことを俺に言われても大学の都合なんだから俺にはどうにもできない。今受けている試験をすっぽかして帰省するわけにも行くまい。
 そんなことより、ハルヒはなんつった? 「迎えに来てあげた?」
「ハルヒ」
「何よ」
 このやりとりも久しぶりだ。
「俺はあと2日、試験を受けなきゃならんのだが」
「知ってるわよ、そんなこと」
 それは良かった。ハルヒのことだ、今すぐ俺を引きずって地元まで連れて帰りかねないと思ってたからな。
「迎えに来たと言ったな。あと2日どうする気だ?」
 多分、早めに来たことに意味はないだろう。どうせ聞いたって「思いついたから」なんて理由しか帰ってこないに違いない。だいたいこいつの行動に理由をつけること自体間違っている。
「決めてないわ」
 やっぱりな。
「じゃあさっさと帰ってろよ。それとも泊まるとこがあんのか?」
「あんたんちがあるじゃない」
「は?」
「だから、あんたが夏休みに入るまであんたんちに泊めなさいよ! 団長命令!」
 それだけ言うと、踵を返して自分の席に戻ってしまった。おい、俺の意見も聞け! つーかお前も女なら簡単に男の家に泊まるとか言うな! 親が聞いたら泣くぞ!
 結局反論したって無駄なんだがな。無駄に意見を言うのも毎度のことだ。諦めるか。
 あー俺も早く食わないと冷めちまうな。
 
 その後、一緒に飯を食っていた友人たちから質問攻めにあったのは言うまでもない。
 だが、「誰だよあれ」と聞かれるのはいいが、「お前彼女いたのかよ」と決めつけるのはどうかと思うぜ。今のやりとりで何故ハルヒが俺の彼女って扱いになるのか理解に苦しむ。谷口が増殖したような気分を味わいながら、俺は残りの飯をかき込んだ。早くしないとハルヒは俺が食い終わらないうちに襟首を引っ掴んで連れて行くに決まってるからな。
 
 急いで飯を食ったにもかかわらず、あの量を食べていたハルヒの方が食べ終わるのが早かった。もうちょっと味わって食べないと作ってくれた食堂のおばちゃんに申し訳ないだろうが。
 俺の、食事を作っている人に対する感謝の意向などもちろん関係ないハルヒは、「さっさと食器片付けてきなさいよ!」と一喝、自分の大量の食器も含めて下げるのを俺に強要してきたのも、まあ今更特筆すべき事柄でもない。
 だが、学内、特に友人たちの間で俺の評価が著しく下がりそうな気配はあるな。長い休みが友人たちの脳内からハルヒの存在に何か別のことを上書きしてくれるように祈りつつ、ハルヒに手首を掴まれたまま俺は彼らに別れを告げた。
 明日何を言われるかと思うと頭が痛い。
 
「で、お前の荷物はどこにあるんだよ」
 もう反論すらする気も失せて、ハルヒを俺のアパートに泊めることに渋々同意した俺は、ハルヒが手ぶらなのに気がついた。着替えなどを入れるような旅行鞄どころか、ハンドバッグ1つ持っていやがらねえ。
「ないわ」
 さすがに俺の家の場所がわからないのだろう、ハルヒは俺の手首を離すと隣に並んで歩き始めたのだが、あっさり荷物の存在を否定する。
 今は夏だ。男の俺でも毎日着替えないと気持ち悪いってのに、女だとそういうのはもっとうるさいんじゃないのか?
「あんたの服借りるわよ」
 いや、まあTシャツや短パンくらいなら貸してもいいんだが、その、あれはどうするんだよ。
「アレとか言われるとかえっていやらしいわよ」
 ニヤリと笑って下着でしょ、と言うと
「田舎だけどお店くらいあるでしょ。買いに行くから後で案内してよ」
 田舎で悪かったな。これでも一応平成の大合併以前から「市」なんだがな。
 それより、俺の配慮をいやらしいとは何事だ。
「下手に隠すくらいならおおっぴらにした方がいいってこともあるじゃない!」
 いや、下着に関してはないと思うぞ。
 
 それにしても、どうしてこいつは荷物も持たずにここまで来たんだ? だいたい計画性なんて露が薬になるほどもないことはわかってるんだが、どう考えても荷物もなしで来るなんてやりすぎだろ。無計画と言うよりは、買い物に行くついでにここまで来たと言わんばかりだ。
「だってその通りなんだもの」
 俺の指摘に何故かカモノハシのように口を突き出して、斜め下あたりを見ながらハルヒは肯定。
 って、冷静に状況説明してる場合じゃねえ。なんだって?
「だから、別にこんなところまで来る気はなかったのよ。夏休みに入ったけどまだあんたは帰ってこないし、朝から暇だし、ぶらぶら家から出て気がついたら電車に乗ってて、気がついたらこんなところまで来てたんだから仕方ないじゃない」
 仕方ないじゃない、じゃねえ! じゃあ親もお前がどこにいるか知らないんじゃねえのか?
「大丈夫よ、メール入れといたから。2~3日帰らないって」
「それで親は何も言わないのかよ!」
「そうよ、それが何?」
 そういや、高校時代から無茶をやっていた割に親が出てきたことは皆無だよな。放任にもほどがあると言う気がする。いや、他人の家庭にごちゃごちゃ口を出せる立場じゃねえし、少なくとも高校時代のハルヒが不幸そうには見えなかったから特に問題はないのかもしれない。
 もうちょっと行動を抑制することを教えて欲しかったという気はしないでもないが。
 
 結局、それからハルヒは俺の家に2泊3日して、俺の帰省とともに自宅に帰った。俺の大学でのからかわれようは今更思い出したくもない。
 いくらからかわれようがハルヒとの仲を勘ぐられようが、何かあったわけではない。だいたい遠慮するような間柄でもなく、高校時代はほとんど共に過ごしたと言っていい相手だ。場所が俺のアパートに移ろうがその関係が変化するなんてことがあるわけもない。
 俺の試験勉強の邪魔をしなかったわけでもないが、割合大人しく俺の本棚をあさったり、コンビニ飯で済まそうとした(一応言っておくが、試験期間中だからだ)俺に説教喰らわして文句言いつつ旨い飯を作ってくれたりはした。ただ、それだけだ。
 夜? 残念だな、布団は何故か2組あるんだよ。母親が持たせたんだがどういう理由でかはわからん。1度、妹が泊まりに来たときに使用したきりだが、今回は役に立った。
 まあ、ハルヒは黙ってりゃ可愛いわけで、寝顔を見ていると変なことを考えそうになるようなならないような、ならなくもないようなってわけわからん。
 とにかく俺は夜遅くまで試験勉強して、一区切りつく頃にはどんな要求よりも睡眠を欲していたのだから、別におかしなことが起こるはずもないわけで。
 
 変化した、と感じたのは帰省して久しぶりの自宅に戻ったときだった。
 失った、と感じた。
 何を? ハルヒを? バカな。
 ようやく始まった夏休み、どうせまたいきなり呼び出されてはあれやこれやと巻き込むに決まっている。毎年のようにプールにも行けば夏祭りにも参加するだろう。そろそろ虫取りは勘弁してもらいたいものだが、古泉企画の旅行は今年も敢行予定のはずだ。
 そう、去年と変わらない夏。いつもと変わらない長期休暇。隠すつもりはないから言ってしまうが、俺にとっては本来の自分に戻れるとき、と言ってしまってもいいだろう。
 だから、おかしい。
 これから嫌と言うほどハルヒとは顔をつきあわせるわけで、こんな喪失感を感じる理由は何もないはずだ。これが夏休みの終わりだと言うなら話はわかる。実際、去年からこっちは大学が始まる頃に憂鬱になるのが規定事項だ。
 
 夏休みが終わる頃になって、俺はようやくそのときに感じた喪失感の理由に思い当たることができた。
 ハルヒたちが夏休み最後の日、相変わらず都合なんかお構いなしに団長様に呼び出された俺は、いつもの待ち合わせ場所に向かった。
 例によって例のごとく時間と場所を指定しただけで一方的に電話は切れたわけで、俺は何故呼び出されたのか皆目見当もつかない。またよくわからないイベントに付き合わされるのかと思って集合場所に着いた俺は、そこにハルヒしかいないという事実に少々驚いた。
「遅刻! 罰金!」
 もう、俺を出迎えるときの定型文になっている言葉だが、俺より他の3人の方が遅いんじゃないのか? 何で俺が遅刻なんだよ。
「だってあんたしか来れないって言うんだもの。3人とも用事ですって。夏休みも今日で終わりなのに」
 むぅっとふくれっつらでそう言うと、すぐに気分を切り替えて笑顔を見せて宣言した。
「今日で夏休みも最後なんだから、きっと不思議も油断してるに違いないわ! 久しぶりに不思議探索に行くわよ!」
 
 不思議探索、と言いながらハルヒが興味を持つのはなかなか洒落た雑貨屋のショーウインドウであったり、道の傍らで開かれている露天商であったりしたわけだが、それはもう高校のときからそうなんだから突っ込んでも仕方がない。
 俺がハルヒに引っ張り回されるのも高校のときから変わらず、でも明日からはしばらくこういうのともお別れなんだなと思うと妙に感傷的にもなったりした。
 その感傷的な気分は再び駅前の公園に戻って別れを告げるときに最高潮に達し、ハルヒが「じゃあ、また!」とほんの少しだけ寂しそうな笑顔を見せて駅に駆け出した後ろ姿を思わず呼び止めそうになったほどだ。
 このとき、俺は夏休みの始めに何故か感じた喪失感を再び味わっているわけで、それが何故か自分でもわからずに、ただ走り去るハルヒの腕を掴んで引き留めたいような、そんな気分になっていた。実際、そうしようとしていた、と思う。
 実際には呼び止めなかったけどな。呼び止める前にハルヒが停止したからだ。
 数歩走ってたたらを踏んだハルヒは、振り返ると悪戯を思いついたような笑顔で、
「冬休み前にも迎えに行くからね!」
 とだけ言うと、俺の返事も聞かずに今度こそ駅に向かって走り去っていった。
 不意をつかれた俺は、結局呼び止めることも引き留めることも忘れちまった。
 そして、このとき理解した。
 俺の感じている寂寞とした気分、喪失感の正体。
 理解すると簡単なことで、しかも付き合いの長さから考えると物凄く今更な気がするのだが、何てことはないんだ。
 結局、俺はハルヒと2人で過ごす時間が大事だったってことだ。
 この喪失感は、ハルヒと2人でいられなくなるってことに対して感じていたわけだ。
 以前の俺なら全力で否定しかねないこの結論を、俺はあっさり受け入れた。それだけこの1年、俺はハルヒとSOS団に飢えていたから、というのがその理由だろう。ついでに言うなら、これが恋愛かどうかなんてことは考えなかった。俺にとってハルヒという人間は単なる恋愛対象としてみるにはどうも複雑怪奇すぎる。一般的に恋愛に対して感じる甘い感情のようなものや、恋愛に付随して起こりうる(というよりは、恋愛自体がこれに付随しているという解釈もある)欲求も少なくともこのときは感じなかった。もしこの時点でそんな感情まで沸いていたら、俺は逆に必死でこの気持ちを否定していたかもしれない。
 ただ、俺の隣にハルヒがいて欲しい、ハルヒと共に過ごしたいって事実に気がついた、本当にそれだけであった。
 
 
 ハルヒは自身の宣言通り、冬休みも、その後の春休みも迎えに来てくれた。長いと1週間くらい俺のアパートに滞在するわけだが、誓って言うが何もしてないぞ。だいたいハルヒが来る頃は試験中だったってこともあるが、前述のように俺がハルヒに対して抱いている感情は単なる恋愛感情ではなく、もっと説明しがたい物であったからだ。
 その中に恋愛感情が含まれている、というのはさすがに何度か泊まりに来ているハルヒを眺めていて気がついてはいた。だが、俺はハルヒとの関係を単なる恋愛で片付けたくないと思っている。俺にとってハルヒは、という命題はとても難解で、もちろん進化の可能性でも時空の歪みでも神さまでもないのは確かなのだが、恋人という枠に収めるのも惜しいというか、だいたい俺の一方的な気持ちで恋人って枠に収まってくれるワケもないのだからその想定自体間違っているというか。
 暇だからと大学まで俺についてくるので、大学ではすでに彼女認定されていたのだが、面倒だからそれを否定はしなかった。否定しない俺にハルヒは何も言わなかったが、ハルヒがそれをどう思っているかは普通の尺度では判断できない。
 結局、今の関係でも悪くはない、とハルヒも思ってるのかもな。
 
 
 
 そうやって月日は過ぎていった。
 相変わらず俺は長期休暇にバイトも行かず帰省し、3年の途中からは就職活動のためにやっぱり時折帰省していたのだが、そのたびにSOS団の連中と顔を合わすのも楽しみであった。まあ、エントリーシートを提出しても面接に繋がらないことも多々あったのだが、1年の時から俺は就職準備をしていたので、一応希望の仕事に就けることになりそうで一安心だ。
 一人暮らしで金を遣わせた親にも多少は恩返しできるかもな。
 そして、長期休暇前、先に休みに入ったハルヒが俺を「迎え」に泊まりに来るのもいつものこととしてある意味習慣化していた。
 
 4年の冬休みになる頃、いつもと同じようにハルヒは俺のアパートにやってきていた。冬休みはさすがにどの大学もそんなに時期が変わることがないのだが、それでもハルヒは2泊していく。
 試験は春休み前なので、今は試験勉強などやっていない。だが、4年の冬ともなるともっと別の課題が待ち受けている。
 卒業論文である。
 卒論提出時期なんざ、大学によっても学部や学科によってすら違うだろうが、俺の通う学科では冬休み明けの1月半ばであった。最後の追い込みは冬休み明けにするとして、一応論文の形を年内にまとめようと考えていた俺は、ハルヒが来るまでに片付けてやるとばかりにほぼ終わらせ、後は冬休み前のゼミに1回参加すれば帰省という状態になっていた。
 ところで大学って場所はやたら飲み会が好きな連中が多いらしい。それは学生だけではなく先生方、特に若い講師はちょくちょく学生と飲み会をやっているわけだが、12月のこの時期、当然のごとくゼミで忘年会なんて話が持ち上がっていた。俺はハルヒがいたので断ろうと思っていたのだが、ゼミ担当講師の「参加しなきゃ卒業させん」という、まあ冗談なんだろうが参加自体は強要したいという意図が見えている脅しにあい、渋々参加するハメになった。
 そして、当然のようにハルヒもついて来やがった。
 いい加減ゼミの連中もハルヒの存在は知っていたのだが、だからってついてくるか?
 
 実は俺のいるゼミは何故か野郎ばかりなので、ハルヒの存在は周りを喜ばせているようではあった。俺はそれが少し面白くない。
 ハルヒはこういうときに卒のない態度で接するという技能をいつの間にか身につけているようで、特に騒ぐわけでもなく、ただし健啖家なところは隠すどころかいつも以上といったところか。
 宴もたけなわ、といったところで突然、いい感じに酒が入った担当講師が俺たちに、少なくとも俺にとっては真っ青に晴れた空に雷が轟いたとしか思えないような質問を投げかけやがった。
「で、君たちはいつ結婚するんだい?」
 まあ、酒の入った席でカップル(と思われる人間)がいれば割に聞かれることではあるようだが、しかし俺とハルヒは付き合っているわけでも何でもない。
「は?」
 酒が入っているせいもあるが、理解するのに5秒くらいかかったと思う。結婚? 誰と誰が? 俺とハルヒが?
 普通だったら「何を言っているんですか」とか「そんなんじゃないですよ」とか言うところだったんだろう。ところが、このときの俺はこの担当講師の言葉が天啓のように思えてならなかった。
 それまでの俺とハルヒの関係、もっと言えば俺にとってのハルヒの存在は、何とも中途半端な物であったことは間違いない。だいたい俺は平気な顔してハルヒを泊めてはいたが、これが朝比奈さんや長門なら何が何でも固辞していただろうし、ハルヒが俺以外の男の家に泊まったとは、相手が古泉でも考えられないし、考えたくない。それでも、俺もハルヒも4年間(いや、3年間か)踏み込んだ関係に発展することはなかった。
 何故か?
 1つは、確かにハルヒに恋愛感情を抱いてはいたが、それ以上の何かを大事にしたかったから。それは友情に近い物であり、かといってそうでもない何かであり、その感情は未だに説明できない。ただ、そこには恋愛による独占欲とか、自分の物にしたいといった本能に基づいた欲求とは違う物があり、それはただ2人で同じ時間と空間を過ごすだけで満たされる物であったのは確かだ。
 だから、恋愛に発展させる必要がなかった、とも言える。
 もう1つは、やっぱり怖かったのかもしれない。
 さっき言っていることと矛盾しているのだが、恋愛関係になることで、俺たちの間にある一種の信頼関係が壊れるのではないかと危惧してしまったわけだ。ハルヒといる時間は俺にとってまるでなんでもない日常であるにもかかわらずかけがえのないものになっていたわけで、その時間も空間も壊したくなかった。
 だから、恋愛に発展させるのを躊躇した、とも言える。
 どちらも本当の気持ちであり、矛盾しているようで共存しうる気持ちであった。
 そして、この両方の気持ちを満たすのに必要な肩書き──「結婚」と言う単語はこの上なくそれにふさわしく思えたのである。
 
 確かにこのとき、俺は酒が入っていた。だが、このときの行動を酒のせいにしたくはない。
 俺が担当講師のいつ結婚するのか、という質問で閃いた天啓を、そのままハルヒにまるで明日買い物でも行くか、といった調子で言ってしまったのだ。
 
「なあ、大学卒業したら結婚するか?」
 
 言ってからさすがにしまった、と思った。何度も言うが、俺はハルヒと付き合っていないどころか好きだとかそういう言葉も言ったことがない。
 それにこの状況はなんだ。俺のセリフを聞いたゼミの連中は何だか知らんが異様に盛り上がっている。って当たり前だ。何公衆の面前でなんの前ふりもなくプロポーズしてるんだよ、俺。そこ、「俺は仲人かな」なんて勝手に決めないでくださいよ講師!
 俺のセリフにさすがのハルヒも呆れたのかしばらくポカンとして俺を見つめていたが、ハルヒはハルヒでやはり明日の予定を確認するような口調で
 
「それでもいいんじゃない?」
 
 と返事したのだ。え? いいのか? 自分で言うのもなんだが、どう考えてもあり得ないプロポーズだと思うんだが。
「ただね、ちょっと確認したいんだけど」
「何だよ」
「あたしたち、付き合ってたっけ。そうだとしたら記憶喪失に違いないわ」
「心配するな、俺もお前と付き合った記憶は一切ない」
 それまで盛り上がっていたゼミの連中が凍り付いたのは何でだろうね。
「何か順番が違うような気がするんだけど」
「ほう、お前が世間一般の手順を気にするとは思わなかったな。『普通』は嫌いじゃなかったのか?」
 人と違う方向にばかり走りたがるお前だったらこれくらいで丁度いいんじゃないのか、ってのは俺の言い訳かもしれないが。
「まあ、それはそうだけど……」
 俺のセリフにハルヒはふくれっ面であったが、さほど怒っているときの顔じゃないことはすぐわかる。その証拠に、古泉からメールも電話も入らない。
「ま、こういう方があたしたちらしいかもね」
 ニヤリと笑うとハルヒは俺に人差し指を突きつけた。
「そうと決まれば後は全力で突っ走るわよ! あんたは覚悟決めてついてきなさい!」
 それに対する俺の答えは両手を降参とばかりに頭の辺りまで持ち上げると、
「お手柔らかに願うぜ、団長様」
 
 一旦凍り付いたゼミの連中が解凍されたかと思うと、関係ない居酒屋の客たちまで巻き込んでの祝賀会となってしまったことを付け加えておこう。
 いや、だから仲人はいいですってば先生。
 
 
 その帰り道、俺はあらためてハルヒに聞いてみた。
「なあ、勢いでこうなっちまったようで気が引けるんだが、本当に良かったのか?」
 ハルヒはジト目で俺を見る。
「なによ、今更やっぱやめ! とかなしだからね! 一度言ったんだから最後まで責任持ちなさいよ!」
 責任は持つさ。いきなりだったことは認めるが。
「その言葉、忘れるんじゃないわよ」
「忘れるわけないだろ」
 そういう俺にまったく、と溜息をついて尚文句を言っている。
「いくらあたしが『普通』が好きじゃないからって、もうちょっと雰囲気とか考えなさいよ」
 いや、まあ悪かったよ。よく考えたら人生の一大イベントをさらりと流してしまったわけだ。普通が嫌いなくせに普遍性のあるイベントが好きなハルヒからしたら物足りなかったかもしれない。
「まあ、いいけどね。結局あたしはあんたと一緒にいたかっただけだし、結婚すればそれが一生かなうわけだもの」
 それはハルヒにとって恋愛感情だったのだろうか。なんとなくだが、ハルヒも俺と同じような感情を抱いているのではないかという気がしてならない。恋愛も含むが、それ以上の感情。相棒と言ってもいいかもしれない。
 そう考えると、突然にハルヒが愛しくなって、思わずハルヒに聞いてみた。
「なあ、キスしてもいいか?」
「……あんたはほんとにムードとか雰囲気とか欠片もないやつね」
 一瞬俺を睨んだハルヒはニヤリと笑って続けた。
「ここまで来たら最後までお預けよ! 結婚するまであたしに触れるのは禁止!」
 
 ……マジかよ。いや、自業自得か。
 
 
 その年の冬休みは忙しい物となった。
 急に決めた結婚だが、意外に俺の親もハルヒの親も祝福してくれた。本当に急だし、学生だった俺たちには金もないので披露宴は行わず、結婚式と、親族の食事会だけを何とかすることに決定した。更にSOS団の連中にも報告したわけで、俺は朝比奈さんと古泉に散々弄られた。長門はなんとなくだが寂しそうな目をしている気がしたが、俺の気のせいだと思いたい。
 
 
 
 さて、長い回想もこの辺で終わりにしないとな。
「キョン! 掃除終わったんでしょ!」
 俺の引越を手伝いに来ているハルヒが、アパートの外から俺を呼ぶ。
「今行くよ」
 そう言って、俺は4年間の学生生活に幕を引くために、アパートに鍵をかけた。この鍵を回すのも、これで最後になる。
 後はこの鍵を不動産屋に持って行けば、このアパートに戻ってくることはない。俺も、ここを振り返る必要はない。
 俺は住み慣れた懐かしい、それでいて新しい生活が待っている街に帰るから。
 帰る先は昔の家族の待っている家ではない。
 新しい家族となるハルヒとともに暮らすための家だ。
「引越屋より早く帰って荷物を受け入れる準備をしないと!」
 そう言って俺をせかすハルヒの目はどこまでも輝いている。
「なあハルヒ」
 そんなハルヒに俺はやはり聞いてみたくなった。
「お前にとって、俺はなんだ?」
 ハルヒは俺に満開の桜のような笑顔を向けると、悩むことなく言い放った。
「旦那様よ!」
 
 そいつは嬉しい返答だな。
 それじゃあ、俺にとってハルヒとは何だ?
 その答えはすでに見つかっている。そうなるのは後少し先だけどな。
 そう、その質問に俺はこう答えるだろう。
 
 
「ハルヒは俺の嫁」だと。
 
 
 
 
 余談だが、結局俺は結婚式までハルヒにキスをすることができなかった。
 本当にお預けくらわされちまったぜ、畜生。
 
 
  おしまい。