ヰタ・セクスアリス/雨宿り (118-248)

Last-modified: 2009-09-30 (水) 00:10:37

概要

作品名作者発表日保管日
ヰタ・セクスアリス/雨宿り118-248氏09/09/2709/09/30

作品

 雲一つない秋空が数日続いた次の日。
 秋雨前線のおでましか、ようやく空に暗雲が立ちこめ、こりゃ一雨どころか雷様だってやって来そうな放課後、どういう訳か俺はまだ教室に居て、窓からおどろおどろしい灰色の渦巻き模様を眺めていた。
「おい、キョン。帰らないのか? こりゃ一雨どころか雷だって来るぜ」
 だったら俺になんぞ声をかけずにさっさと帰りゃいいのに、谷口はへそを手で隠しながら、気が早すぎて鞄をアタマの上に乗っけている。
「谷口、おまえ、傘忘れたのか?」
「な、なんで分かった?」
「ほらよ」
 置き傘を谷口に放ってやる。折りたたみだが、雨が激しくならないうちに帰れば、十分役に立つだろう。
「ほらよ、って。ありがたく借りてやるが、おまえはどうすんだ? 涼宮が休みだから、SOS団だって休業だろ?」
 ああ、なんで俺は帰らないんだろうね。
 理由はもちろん分かってる。俺はその発端となった日のことを思い出していた。
 
 ● ● ●
 
「雨が降りそうね、キョン」
「そうだな」
「雨宿りしてかない?」
 雨が降る前から、ってのはおかしくないか? と言おうとして、隣の奴をみると、そいつはあろうことか、「ご宿泊」以外にも「ご休憩」だってできるファッショナブルな宿泊施設を指差していた。
「『御伽草子』から『今昔物語』に『十訓抄』、近くは永井荷風『墨東綺譚』、映画の『マイ・フェア・レディ』、さだまさしの『雨宿り』まで、雨宿りした男女が契りを交わしたり、結ばれたりする話が、なんでこうまで多いのか、ずっと疑問だったの」
 やれやれ。
「で、疑問は解けたのか?」
「服が濡れて透けるのが萌え、なのかと思ってたけど、平安時代にまで萌えをもっていくのもどうもね」
 萌えじゃなくても、エロくて単に発情したんじゃないのか?
「あんたとするようになって分かったわ。雨が降ると、したくなるの」
 ホワット? おまえ、いま、何て言った?
「あんたと初めて肌を合わした後に体感したわ。低気圧が接近すると発情するの」
 いや、難しく言ってくれ、と頼んだわけじゃないぞ。年頃の女の子が、往来で口にしていい話題とは、だな。
「だったらおおっぴらに話し合える場所に行きましょう」
 すごい力で俺を引きずり出すハルヒ。
「おまえ、話し合う気なんかないだろ!」
「ごちゃごちゃ言うな! 据え膳食わぬはナントカの恥っていうでしょ!」
 いや、おれは、そういうのは、なんかこう、もっと大事にしたいというか、あれだ。
「でも、することは、するんでしょ」
 そりゃするけどな。いや、そうじゃなくて。
「それ以上、無駄なおしゃべりを続けるようなら、あんたの口を塞ぐわよ。マウス・トゥ・マウスで。それとも拳骨がいいかしら?」
 はい、降参します。
 
「最初はね、雨が音を消してくれるからかな、と思ってたの」
 ピアノをやってたせいか生まれつきのものなのか、ハルヒの奴は妙に耳がいい。そのせいか、音は気になるタイプのようだ。自分は人一倍騒音をまき散らすくせにな。
 そうした訳で、生活騒音が近くからもれ聞こえる、お互いの部屋ではしない、という不文律みたいなものができた。俺達以外の家族が全員不在で、「ふたりっきり」になれる場合を除いてだが。そういえば最近、何故だか頻繁にみんな不在になるのだが。
「あんたは普段ノートなんか取らないから気付かないでしょうけど、雨が近いとね、ノートが湿って、シャーペンの滑りというか、書き味が違ってくるの」
そしてお前は発情する。低気圧には催淫効果がある、と。
「あんたは、どうなのよ?」
 後の席から飛んでくる視線とフェロモンに無条件降伏だ。というか、あの日、死ぬ気で告白してよかったぞ。
「な、何言ってんの?どういう意味?」
 雨の日の度に発情ならず発狂して、何かやばい事件でも起こしてたかもしれん、ってことだ。察しろ。
「ま、あんたは常時、発情中だしね。野放しにできないわ」
 ちがう。お前は、お前と会ってる俺しか知らんからだ。
「じゃあ、あたしと会ってない時のあんたはどうなのよ?」
 ……おまえのことを考えてる。
「頭いたい」
 俺もだ。
 
 ● ● ●
 
「何してんのよ、こんなとこで?」
 いつだって、俺の回想を思考を、こうも突然ぶった切って、現実に引きずり戻すのは、おまえだ、ハルヒ。
「……こんなとこって、ここは俺のクラスの教室で、座ってるのは俺の席だ」
「とっくに放課後よ。いるのは、あんたひとりじゃないの?」
「人を待ってた」
「へえ、誰を?」
「待つ必要がなくなったな」
「……帰らないの?」
「帰るさ。だが帰り方ぐらい、好きに選んだっていいだろ?」
「どしゃぶりの中を走っていくの? 酔狂ね」
「休んだ日の放課後に、それも雨の日に、わざわざあの坂を登ってくる奴に言われたくない」
「それだけじゃないわ。……あんたの自転車、わざわざ押してきてあげたわよ。ほら」
 窓の下に、ずぶぬれになった土のグランドが見える。そいつを横切ってきた、我が愛車も。
「やれやれ。ブレーキの甘いあいつに、あの坂を二人乗りで駆け降りさせるつもりか」
「それだけじゃないわ。どこか体を乾かせるところまで、一気に行ってもらうわよ」
「やれやれ」
「ナビならまかせなさい」
「右に曲がりたいからって、右耳引っ張るのはなしだぞ」
 いずれにしても、このずぶぬれ女を放っておいたら、そのまま水に帰ってしまいそうな気がしたんで(悪いな、妄想だ)、俺達は急いで教室を、校舎を、学校を出た。
「あの廊下の水たまりは、お前が通った跡か?」
「む、あんた、いま、ひどいこと考えたわね!?」
「まるで、なめく……うむむう。ち、窒息させるつもりか?」
「一番、苦しい死に方だって。キョン、死に方は選べないのよ」
「だったら生き方だけでも選ぼう。次の角、右で良いんだな」
「ダンプが急に飛びだしてこなけりゃね」
 二人乗りの自転車は、不思議な力に引かれるように角を曲がった。ああ、そうだ。いつかの哲学的問答をその前でこいつとやった、「ご宿泊」の他に「ご休憩」だってできるファッショナブルな宿泊施設だ。
「スポーツで発散できるなんて、大嘘ね。今日だって10km泳いできたけど、なんの効果もなかったわ」
「ハルヒ、少し黙っててくれ。振り向けないのに、口をふさぎたくなる」
「はいはい、エロキョン。もう少しの辛抱よ」
「こっちのセリフだ」
「わかってんなら急いで」
 腰にまわしたハルヒの腕が熱を帯びる。
 
 
「低気圧が近づくと発情する」というハルヒの理論には、納得できないところがある。
 たとえば雨の日、大抵の人間がそうかもしれないが、俺の体はいよいよ脱力と倦怠の極みに達し、頭脳は小停止とフリーズを繰り返し、気分にいたってはブルー一色の憂鬱に沈み込むだろう------もし、涼宮ハルヒという存在がこの世になければ。そして、よりにもよって俺の席の後ろにいなければ、確実にそうだっただろう。
 精神状態に作用する薬物には、大まかに分けて、気分や精神状態を高揚・興奮させるいわゆるアッパー系と、逆にけだるい気分を提供するダウナー系がある。覚せい剤は、その名のとおりアッパー系であり、身近なところではタバコに含まれるニコチンなどがこの仲間だ。ダウナー系には、悪名高いヘロインからアルコール、アヘン、シンナーなんかもこっちに入る。
「阿片は余を裏切らないが、余を女たちに対して裏切り者にさせる」と書いたのは、『阿片ー或る解毒治療の日記』を書いたジャン・コクトーだったか、それとも『 阿片常用者の告白』 (なんと続編も含めて岩波文庫に入ってる)を記したド・クインシーだったか。確かめるには長門にでも聞くのが手っ取り早いが、とにかくダウナー系の阿片吸引は、男のイチモツが立たなくなる、という副作用がある。これは深酒をした時にみられるのと同じものだが、いや、どっちも経験談じゃないぞ、少しいかがわしい連中から仕入れた耳学問だ。つまるところ、多くの人にダウナー系に働く低気圧や雨が、いかにして性欲に結びつくのか、どっちかっていうと逆じゃないか、というのが、第一の疑問だ。
 もうひとつ納得がいかない点は、こんな日はきまって、あいつの100ワットの笑顔が一瞬だって拝めないことだ。確かにハルヒは黙っていれば完全無欠の美少女であり、それが憂いを身にまとって濡れた服で現れた日には、おまえ未成年のくせに18禁だぞ、と叫びたくなるような妖艶さというか、何とも言えない吸引力を放ち出す。こんな時のあいつを他の男にみせる気にならない俺は、単なるスケベか、それとも、これが嫉妬って奴か? 少なくとも、俺の「ヤバいこと察知センサー」が(いや、そういう意味じゃなくて)びんびん反応するのもまた、俺が俺たちをこんな場所に運んできた何十ある言い訳のひとつだ。
 
「キョン、あんた、シャワーは?」
「あ、ああ。おまえは?」
「先に浴びたわ。あんたこそ風邪引くわよ」
 促されるまま浴室の中へ。といっても、ここの浴室は4面全部が文字通りガラス張りで、光も音も筒抜けなんだが。
 ハルヒのやつ、でかいタオルを体にまきつけたまま、ビジネス・ホテルでは有料チャンネルでやってるような和製ポルノを見てやがる。
 いや、「上の空」とは正に今のあいつのためにあるような言葉で、正確に言い直せば、顔と目をそちらに向けているだけで心はお留守だ。
 それなりに扇情的な映像と音声は、ハルヒを通り抜けて、どこかの壁にぶち当たって四散する。男子高校生なれば、それぞれに創意工夫をこらして、結局間抜けな隠し場所に一応は納めておこうとする程度には人気女優なんだがな、いま主演しているお姉さんは。
 今のハルヒは、他人のセックスにまるで関心がないらしい。
 変と言えば、俺も変だ。今日に限って、気付かなくてすむようなことを、何故こう次々と気付いてしまうんだ? 今日は天中殺か、人生最大のハズレくじの日か?
 世界で一番だと信じて疑わない女と、そういうことをする場所に来たその日に限って、何なんだっていうんだ、俺?
 
 以前、あの忌々しい古泉は「心の方は僕の専門ですが、行動についてはあなたの方が」うんぬんと抜かしてやがったな、確か。ってことは何か? あいつは安楽椅子にふんぞり返ってる精神分析家で、俺の役回りは自分の体を張って駆けずりまわらなきゃならない行動療法家ってことか?
 
「なに、見てるんだ、ハルヒ?」
「え? ……ああ、たわいもないエロビデオよ。退屈しのぎにもならないわ」
 そうかい、じゃあ今のおまえさんは、退屈って訳だ。やれやれ。これは厄日決定だぞ。
「ハルヒ、おまえ、変だぞ」
「今に始まったことじゃないでしょ。ま、あんたほどじゃないけど」
「そうか。じゃあ、お言葉に甘えて、エロビデオ以上にお前が興味がないはずの変な話をしてやる。第1話は、電気ショックから逃げ続ける哀れなネズミ君の話だ。 ふたつのカゴをあわせたものに、主人公のネズミは入れられ、床の電線から電気ショックが与えられる。ネズミは当然パニック起こしてカゴの中を駆け回るが、何度目かの電気ショックのときに、つながってるとなりのカゴへ移動すれば電気ショックを回避できることに気付く。それ以来、電気ショックがある度に、ネズミは隣のカゴへと逃げ込む。これを繰り返して行くと、電流をどれだけ小さくしても、それどころか電流がゼロでもスイッチが入る音だけで、ネズミは隣のカゴへと逃げ込むようになったってことだ」
「へえ、そう」
「もうひとつ、お前には、なおさら興味のわかないだろう人間の話だ。そいつは何かの折りに、満腹感を感じると不安が収まることに気付いた。それ以来、不安なことが頭の中をよぎると、何か口に放り込むようになった。人間の感情って奴は、一室しかなくて、同時に異なる感情が両立できないようになってるらしい。たとえば不安と満腹感やリラックス感や怒り、それに性感……」
「つまり、あんたは、あたしがそのネズミやデブと同じだと言いたい訳ね?」
「よく分かったなあ。そいつは最初は鶏ガラみたいにガリガリにやせていたが、不安の度に食べ続けることで、とんでもなく太っていった。満腹感の効果は麻薬と同じでな、使えば使うほど効果が薄れていくんだ。違う角度から言うとこういうことだ。不安から満腹感へと逃げるたびに、不安の方は大きくなる。隣のカゴに逃げたネズミの恐怖感が増して行ったようにな」
「あんたは、不安か憂鬱にかられたあたしが、そこから逃げるためにあんたと寝ると思ってるんだ? あんたをダシにしてるって。 じゃあ、あんたは何? そんなあたしになんで付き合って、のこのこ、こんなところまで来てるの? あたしのカラダが目的!?」
 ほらみろ、やっぱり厄日だ。ある程度の修羅場は覚悟したさ。だがこっちにだって感情があるし、なけなしのプライドだってある。ハルヒはそんなことは百も承知で反撃してくる。だから頭のいい奴はめんどくさい。ったく、こっちだってな、相打ち覚悟なんだぞ。いや、むしろ自爆狙いか?
「うぬぼれんな! おまえなんか、人よりちょっと、かなり顔がきれいで、人がうらやむ程度にはスタイルがよくて、あとは根がスケベで器用で研究熱心なだけじゃねえか!? そんなもの全部なくてもな、俺はお前にゾッコンだ、首ったけなんだ、わかったか、バカハルヒ!!」
「あんた、何言ってんの? 意味がわからない」
「俺だってわからんのに、お前に分かってたまるか!? いいか、ハルヒ。今さっき俺が言ったようなことくらいな、お前はとっくに調べて知ってんだろ? それで余計に不安をこじらせて、低気圧説なんてをぶち上げて、わざわざ気分の乗らない雨の日しか、しないようにしてるんだろ? 俺が怒ってるのはな、お前が俺にまでかっこいい涼宮ハルヒでいようとすることだ。不安なら不安がれよ。寄りかかったら俺ごと倒れそうでもな、寄りかかって倒れたら、それから考えればいい。今度こそ、二人でだ! 一回しか言わないから、よく聞け。 お前の天にものぼるような気持ちのいいカラダが抱けなくたってな、性欲持て余して、鼻血吹いて、性犯罪に走るだけだが、お前の笑顔が見れないなら、俺は死んじまうぞ!!」
 
 ハルヒはもちろん、あきれてものも言えないという顔になったが、それでもそっぽを向いて、例のアヒル口でこう言った。
「……ったく、あんたがエロキョン以上に始末に負えないアホキョンだってことを忘れてるなんてね、確かにあたしもどうかしてたわよ! でも見損なわないで! このあたしが、あんたに性犯罪なんかさせる訳がないでしょ、バカキョン!! さあ、あんたの性欲なんて一滴残らずあたしが搾り取ってあげるから感謝しなさい! 言い訳は聞かないわ。あたしが毎日、うれしくて楽しくて、たとえどんなに不安になったって、あんたがあたしをちゃんと『ここ』まで連れ戻しにくるって、あんたはタンカを切ったんだからね! バカキョンのアホキョンには手に余るだろうけど、あんたの足りない分は、その、あんたの恋女房が手を貸してあげなくもないわよ。……とにかく!、さっさと、ありったけの栄養ドリンク飲んで、パンツを脱ぎなさい!!」