猫 (49-463)

Last-modified: 2007-05-22 (火) 01:20:51

概要

作品名作者発表日保管日
49-463氏07/05/2207/05/22

作品

シャミセンが死んだ。
事故とか、そんなんじゃない。老衰で、寿命だ。
そもそも拾ってきたときにけっこう年はいっていた。
猫の寿命はそう長くない。だから死んでしまったって、それは自然なこと。
そう、自然なこと。ハルヒの力をもってしても、どうにもならない自然なこと。

 

一週間ほど前から外に出ることが少なくなり、ずっと寝ているようになった。
水は飲むがエサは食べても時々吐いていた。
薄々気付いた。もう長くはないだろうと。
学校が終わって家に帰るとシャミセンはよく俺のベットで寝ていた。
そのシャミセンを撫でている妹を見た回数は相当なものだ。
そのときの妹は満面の笑みで、シャミセンはいつもと変わらない目を閉じた笑ったような顔だった。
だがここ数日は違っていた。妹が撫でているのは変わらないがその表情は悲しげだった。そんな妹の顔は最近見ていなかったのに。
撫でてもほとんど反応しないのはいつものことだが、反応のなさの違いみたいなものが妹にはわかるのだろうか。
家族も心配していた。シャミセンが俺の部屋にいるので俺の部屋を何度も覗くようになった。止めようなんて思わなかった。
「ちゃんと見てやってね」
何を見ろというのか。腹が立つ。…落ち着け。別に他意はないんだ。
シャミセンは俺を見ていた。だから撫でてやった。なきそうだったのはどちらだろう。

 

古泉が訪ねてきた。
「シャミセン氏の具合がよろしくないようですね」
どこから聞いたのかは知らないが事情はわかっているようだ。
「他の皆さんには伝えないんですか」
「…もしかしたらハルヒがトンデモパワーで治しちまうかもしれないからな」
「だから自然に…を待つ、ですか。…別にいいんじゃないですか。シャミセン氏が長生きしたって損をする人はいません」
それでもだ。それでもハルヒに曲げてはいけない何かを曲げさせたくなかった。
「…意思は固いようですね。でもそうなってしまえば涼宮さんの精神の安定は一時的に乱れます。それは我々としては避けたいところです。どうでしょう。いつかの雪山で連れてきたシャミセン氏そっくりの猫を代わりに…」
「黙れ。失せろ。シャミセンは一匹しかいない」
「…わかりました。失礼します。……………申し訳ありません」
最後の謝罪は心からのものに思えた。さっきの提案はあいつの本意ではないのだろう。

 

最後の日、日曜日の昼間。体調不良とハルヒに伝え、俺はベットに腰掛け本を読んでいた。
すると寝ていたシャミセンがふらふらと立ち上がり俺の膝に倒れこむように前足と頭を乗せた。
そして「にゃあ」と鳴いた。それが最後。
初めて聞いた猫らしいシャミセンの声は、そのまま最後に聞いた声となった。

 

ペットの葬儀などを二、三日前から調べていた。だからこの後するべきことはわかっていた。
だが俺の手はシャミセンの頭に手を置こうとしたまま空中で止まっていた。違う、震えていた。
わかっていた。確かめなければいけない。――――――何を?
呼ばなければいけない。――――――誰を?
やらなければいけない。――――――何を?
俺は――――――何を――――――するんだっけ?
目の前の猫を――――――どうすれば――――――いいんだっけ?
ばさり。
音のしたほうをゆっくりと見る。
妹が呆然と立っていた。ここで読もうと思ったのか持っていた本を落としたようだ。
妹の顔がくしゃくしゃになるのを見て、俺はようやく口にした。
「シャミセンが、死んだ」
言葉にしてようやく俺の頭でも理解ができた。

 

妹は大泣きした。ずっとずっと泣いてた。
俺は見ていられなかった。だからミヨキチを呼んだ。
ミヨキチは妹を慰めてくれていた。こういう時は一人でいないほうがいい。

 

団員のみんなにもメールで知らせた。みんなすぐ来ると返してきた。
だから俺は外に出た。

 

近くの公園。ベンチに座る。天気は快晴。楽しげな子どもの声。何もかもが遠い。
なんでだろう。なにが『なんで』だ。馬鹿馬鹿しい。当たり前で、自然なことだ。
仕方ない、こと、なんだ。

 

「キョン」
声に振り向けばハルヒが立っていた。ああ、怒ってるな。
「なんで言わなかったの」
低い、迫力のある声。銅鑼が鳴るような中に鈴の音が混ざっているよう。
「言ってもどうしようもないだろ」
嘘。できるから呼ばなかった。できてしまうかもしれないと思ったから。
「だから?それがあたしに知らせなかった理由になると思ってんの?」
正論だ。でも不自然な生なんて間違ってると思った。だからその可能性を潰した。
「黙るな!何とか言いなさいよ!」
だって仕方なかったんだ。俺は…。
ハルヒが体当たりしてくる。そして顔を上げないまま言った。
「っ…あたし……シャミセンと……お別れもできなかった…じゃない…」
涼宮ハルヒが泣いていた。
こいつは絶対に人前で泣くような奴じゃないのに。そんなハルヒが泣いていた。
そうか、俺はハルヒがお別れをいう機会を永遠に奪ってしまったのか。朝比奈さんからも、長門からも、古泉からも。
「あたしだってっ!…ちゃんと、看取ってあげたかったわよ。ばかぁ…」
俺は誰のために、何のために言わなかったのだろう。
こいつは最後まで見届ける覚悟があったのだ。生き物が死ぬなんてのは当たり前だから。
信じてなかったのは、俺だ。こいつが余計なことをするんじゃないかって、勝手に思って。
ハルヒは俺の服を強く握り締め顔を上げた。
その顔を見た瞬間、自分が間違っていたことを理解した。
涙でぐちゃぐちゃで、見栄えなんか気にしてないのにとても綺麗だと感じたから。
俺は何もわかってなかった。こいつはちゃんと成長しているのに。
「バカだな、俺は」
俺が選ぶべき最善手は、みんなに連絡してみんなでシャミセンの近くにいてやることだったんだ。
「ごめんな、ハルヒ」
あいつは、シャミセンは無口だったから何も言わなかったけれど本当はみんなに会いたかったんじゃないだろうか。
それが、こんなバカな男一人しか一緒にいてやらなくて。
「ごめんな、シャミセン」
目頭が熱い。視界が歪む。
本当なら、ハルヒや、朝比奈さんや、長門や、古泉も最後まで一緒にいてやれたのに。
「ごめ…ん、ごめん、な」
俺の手は虚空を彷徨う。掴むものが欲しかったから、目の前のものに縋り付いていた。
昼間の公園で泣きながら抱き合う男女はどう映ったのだろう。

 

でもシャミセンに一つ言い訳をしたい。
みんなを、特にハルヒに知らせなかったのは、ハルヒの泣いてる顔を想像出来なかったし、見たくなかったからだ。
結果として余計泣かせてしまったかもしれない。

 

だから最後の「にゃあ」は「愚かな主人だ」かもしれない。「ありがとう」かもしれない。
けれどシャミセンは喋る猫だ。最後くらい猫らしく「にゃあ」と鳴いたのかもしれない。

 

推測ばかりで答えなんかない。そりゃそうだ。そんなのシャミセンか長門にしかわからないだろう。
でも俺として言いたいことはたった一つだ。
「お疲れ、シャミセン。ありがとうな」
登る煙が、空の雲に混ざって消えていった。

エピローグ

「猫の習性についてですが」
「習性?」
「はい、猫は死に際に身を隠し、人知れずに死ぬ、という話を聞いたことはありませんか?」
「なんとなく、あるな」
「その理由は安全な場所を求めるから、だそうです」
「どういうことだ」
「猫は病気などで体力が低下すると自らが何者かに攻撃を受け危機的状況にあると認識するそうです。だから人が近寄らない安全な場所に移動する。結果的に自ら死に場所を探して身を隠したように見える」
「何が言いたいんだ?」
「シャミセン氏があなたのそばで亡くなったということはあなたの近くが安全な場所だと信頼していたということです」
「俺は、別に…」
「ストップ。あなたは否定したいのかもしれませんがシャミセン氏が最後にあなたの傍にいたということは事実です。だから、その点においてあなたは胸を張るべきです」
「…っ」
「あなたの選択の是非については僕から言うことはありません。けれどみなさんがいたとしても、シャミセン氏はあなたのところにいったでしょう。きっとね」
「…あっちへ行ってろ」
「そうします。…ハンカチ、お貸ししましょうか?」
「うるさい!」

 

ああもう、ぐちゃぐちゃだ。あいつは何をしに来たんだ。
「キョン?」
「ハルヒか?今はちょっと一人にしておいてくれないか」
「…」
「おい、ハルヒ?」
ハルヒは俺の背中合わせに座り、体重を預けてきた。
「どういうつもりだ?」
「…こういう時は一人でいないほうがいいの!」
…最近同じ事を考えた気がする。
「そうか、じゃあ頼む」
重くはあっても辛くはない重さ。むしろ心地いい。誰かが傍にいてくれるという重み。
撫でられているときのシャミセンはこんな気持ちだったのかもしれない。
落ち着いてしまうのがまたなんとも言えない。
まさか俺にとっての安全地帯はハルヒの傍だということだろうか。
まいったな、明確な否定の理由が思いつかない。
悔しいので今度は俺がこいつの安全地帯にでもなってやろうか。
それはおもしろいかもしれない。もうこいつを置いていくような真似はしたくないから

 

「…バカキョン、たまにはあたしも頼りなさいよ」
背中の心地よい重さがそんなことを言う。
「そうだな、今度からはそうする」
逆に体重をかける。
「…うん、それでいいのよ」
重いだろうになぜかハルヒは嬉しそうだった。