告訴状2013(作成途中)_20

Last-modified: 2021-04-11 (日) 06:36:28

【PC遠隔操作事件】誤認逮捕に、警察の能力を上回った満足感(第13回公判傍聴メモ)(江川 紹子) - 個人 - Yahoo!ニュース http://bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/20140719-00037534/

客観的な記録、あるいは報告というスタイルは、まだ片山被告の保釈が取り消しになって犯行を認める以前からのスタイルだと思いますが、今回はそれがさらに徹底されていて、主観的な感想や意見は一切交えないという感じになっています。

この13回公判に関しては、事前の情報を見かけておらず、江川翔子さんのツイッターで見た時は、おや、と思いました。このPC遠隔操作事件に関してはネットでも情報を見かけることが、ずいぶん少なくなっており、世間の関心の大幅な低下も窺えるところです。

ざっと読んでの感想ですが、やはり落合洋司弁護士(東京弁護士会)や郷原信郎弁護士、佐藤博史弁護士、江川翔子さんもですが、彼らの警察、検察批判の影響を色濃く受けた事件ではないかと思いました。踊らされた感もあります。

時刻は7月22日11時13分になっています。昨日は一日お休みになったかと思います。項目を切り替えます。

2014-07-22 火 11:15> [ ←これまでの記述範囲の終了時刻]]

* DONE 宇出津あばれ祭りでの被告訴人KYNとの再会と、モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)に対する刑事告訴について 2014年7月22日

    CLOSED: [2014-07-23 水 10:10]

2014-07-22 火 11:16> [ ←これからの記述範囲の開始時刻]]

一昨日になりますが、7月20日はバイクで珠洲市飯田町の燈籠山祭りを見物に行ってきました。その2,3日前にはAコープ能都店の張ってあったポスターで、恋路海岸の恋路火祭りも同日だと知り、そちらも一緒に見物をすることができました。

デジカメとスマホでたくさんの写真を撮り、Picasaウェブアルバムにアルバムを作ってアップロードしました。最近はスマホを使って写真を撮ることが多いです。理由の一つは、デジカメの撮影日時にもなる時計があてにならないからです。

事前に気がついて時刻の調整をしておけばよかったのですが、後になって気が付き確認をしたところ、デジカメでは5分ほど時間が進んでいました。

ファイル名に日付と時刻を含めることは私のいつものスタイルになっています。スマホで撮影したものは自動で日付と時刻によるファイル名になってくれるのですが、プログラムでエラーを起こす可能性のある特殊文字が含まれています。

これまでは半角スペースのみを半角のアンダーバーに置き換えることが多かったのですが、今回はすべてデジカメと同じスタイルで、スクリプトによるファイル名の変換をしました。わかりやすい違いはデジカメの写真には設定で撮影日をプリントしていることです。

2014-07-20/珠洲市・飯田町燈籠山祭り&能登町・恋路&松波港 - 廣野秀樹 - Picasa ウェブ アルバム https://picasaweb.google.com/114099790846205945578/20140720

上記がPicasaウェブアルバムのリンクです。「写真: 208 枚 – 116 MB」という表示もあります。

スマホの方は、自宅でWi-Fiに繋がっているので、インターネット上から時刻の情報を得て同期されているものと考えています。パソコンでも現在はそれが主流の初期設定になっているのではと考えています。

今どき、調整しなおしてから1年も経たないぐらいで5分も進んでしまうデジカメの時計にも驚きましたが、撮影日のプリントの文字の大きさも選択肢があったよさそうなものの、大きさを変えることができません。現在はネットワーク機能を内蔵したデジカメも珍しくはないのかもしれません。

今回は祭りの見物の写真だけを撮ったわけではありません。だいぶん前から今度、松波を通過することがあれば撮影はしておきたいと考えていました。

本書で説明に使う写真は、別途非常上告-最高検察庁御中_ツイッター(@s_hirono)に写真付きツイートしたものを使いますが、もとの写真はPicasaウェブアルバムにアップロードしたものと同じです。ファイル名も同じになっているはずです。

珠洲市・飯田町燈籠山祭り&能登町・恋路&松波港_2014年07月20日18時15分51秒.jpg pic.twitter.com/vlrL9DZgFI

上記は松波の中心部にある交差点です。左折して数百メートルで左側に旧松波駅があります。昔というか昭和の時代は、このまま直進してから別の交差点を左折するというのが主流のコースであったと思います。

駅前を通る道もありましたが、裏道のような感じになっていたと思います。直進して松波の町中に入ると、確か左側に、小さなガソリンスタンドがありました。被告訴人大網健二らの親戚が経営する店だと聞いていて、店の看板にも大網という字が含まれていたと思います。

祖父の兄弟だと聞いたような記憶もありますが、どの程度の付き合いがあったのかも不明です。松波に遊びに行ったという話も聞いたことはなかったですが、祭りなど行き来や遊びに行った時の土地勘があったことも、考えられることではないかと思います。

直進するとどこかで左折して恋路の方に向かうのが普通でしたが、直進して突き当たると港の近くに出たように思います。私自身、気まぐれでこれまで数回程度しか通ってはいないので、細かいことはわかりません。

珠洲市・飯田町燈籠山祭り&能登町・恋路&松波港_2014年07月20日18時16分42秒.jpg pic.twitter.com/1BP2K1uZ3I

上記が旧松波駅です。昭和57年の1月ころ、被告訴人安田繁克がシンナー遊びで精神異常の状態になり、早朝に保護されたと聞く場所でもあります。外壁が新しくなっているようにも見えますが、駅舎の本体は昭和の時代から変わっていないように見えます。

珠洲市・飯田町燈籠山祭り&能登町・恋路&松波港_2014年07月20日18時16分47秒.jpg pic.twitter.com/WJOlxWrYU1

上記は、松波駅の正面からみた風景です。向こうの山の下に停まれの標識が見えますが、これが以前主流だった道路で、右に行くと松波の町中へ、左は恋路海岸方面になります。駅前の広い道も後になって整備された新しい道路です。

写真には写っていませんが、右側に大きな寺院のような建物が見えて、松波城址なんとかという文字があって、前から気になっていました。同じく写真には写っていませんが、左側の方には職業訓練校があります。

先日、Googleマップの航空写真でみたところ、職業訓練校の敷地と寺院の敷地が隣接していて、通りぬけもできそうだったので、バイクで職業訓練校の前まで行ったのですが、通り抜けできるような道はありませんでした。

珠洲市・飯田町燈籠山祭り&能登町・恋路&松波港_2014年07月20日18時19分47秒.jpg pic.twitter.com/LCEWchfqrR

上記写真は職業訓練校に通じる道から引き返した来たところです。ちょうどカーブになっていますが、右に行くと恋路海岸です。今でも国道249号線の旧道になるのかもしれません。昭和の時代は珠洲市に向かう主要な道路でした。

坂の上に、右方向から三叉路で交わる道の一部が見えるかと思います。そこに道があるということは前から知っていましたが、通った憶えがなく、寺院の方にも行けそうだったので、通ってみることにしました。まったく予定外の行動でした。

時刻は18時29分です。宇出津の図書館に行って、蛸島のTSさんの自殺に関する記事を探してきました。17時の15分ぐらい前には家を出ていたように思うので、1時間以上探しましたが、記事を見つけ出すことはできず、18時の閉館になってしまいました。

2014-07-22_17.14.11.jpg pic.twitter.com/pzsZ9uVzjB ← これが北國新聞の縮小版です。色あせている具合を見ても、相当前からあるものと思われますが、今年の春に移設する前の図書館では2階の倉庫に置いてあり、保存状態は良くなかったことも考えられます。

かなり期間の範囲を広げて、索引のような目次から調べました。だいたい次のような感じになっています。→ 2014-07-22_17.57.31.jpg pic.twitter.com/vky8MPIhNk

驚いたことに、「心中」という最近は見かけなくなった言葉での項目までありました。私の記憶では夜の出来事で、翌日かあるいは翌々日の朝刊に記事になっていましたが、自殺と断定したような内容になっていたように思います。

私自身、平成4年まで新聞は北國新聞以外に購読したことはなかったと思います。まず、毎日は見ていない新聞を開いた時にTSさんがなくなったことを知りました。テレビ面の裏側の紙面で、その上の左側に、2番めに大きいような扱いで記事が掲載されていたように記憶しています。

私自身、平成9年1月に福井刑務所を満期出所してから、北國新聞の縮小版で蛸島のTSさんの自殺に関する記事を探しだして、読んだというか目を通した記憶はあるのですが、時刻のことだとか細かいことは考えずに、確認のように目を通しただけでした。

これは新聞に2番目に大きく報道されてもいました。噂によると買ったばかりの新車の赤い軽四で、ぐるぐると3回転ぐらい回ってから海に_2014年07月22日19時02分26秒.jpg pic.twitter.com/13kw9usR0D

上記は、現在プライベートモードのHatena::Diaryのブログの画面をキャプチャーしたスクリーンショットです。実名になっている部分があるので、マスク処理をしました。図書館ですんなり記事が見つかっていたならなかったと思われる大発見です。

時刻は7月23日9時58分です。締めて新規に項目を作成し、昨日の続きを書きます。

2014-07-23 水 09:59> [ ←これまでの記述範囲の終了時刻]]

* DONE 宇出津あばれ祭りでの被告訴人KYNとの再会と、モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)に対する刑事告訴について 2014年7月23日

    CLOSED: [2014-07-24 木 09:52]

2014-07-23 水 10:21> [ ←これからの記述範囲の開始時刻]]

告訴状について(2006.7.24) - 日暮れて途遠し http://d.hatena.ne.jp/hirono_hideki/20060724/1153745372

上記が昨日ご紹介した現在プライベートモードのブログ記事です。平成18年7月24日に書いたものになりそうです。明日になるとちょうど8周年ということにもなりそうです。モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)によって被った悪影響の大きさというのも新たに感慨深いところです。

スクリーンショットの再掲→ これは新聞に2番目に大きく報道されてもいました。噂によると買ったばかりの新車の赤い軽四で、ぐるぐると3回転ぐらい回ってから海に_2014年07月22日19時02分26秒.jpg pic.twitter.com/13kw9usR0D

ノートパソコンでは表示した画像の文字が見づらかったですが、画像をダウンロードしてフォトビューアのソフトで開いて拡大したところ、けっこう判別出来ました。基本的にそれ以上の画像サイズは横が1024ピクセルに自動で縮小されるというのが、Twitterの仕様になっているようです。

午前中に、生活保護の担当者の訪問があって、11時過ぎだったと思いますが、12時過ぎに御庁(金沢地方検察庁)に電話をしました。担当者が変わっていました。

スクリーンショットの内容ですが、かなり意外で気になるところが一点ありました。それはASKさんの仕事が型枠大工というあたりのことですが、それもTSさんの妻だったKHさんの再婚相手のところで働いている、というような部分です。

そのあたりの文章を読むと、私は平成3年9月の時点で、ASKさんの仕事が型枠大工で、TSさんの妻だったKHさんの再婚相手のところで働いていると、聞いていたことになりそうです。

当日洞爺のことは現在でもある程度記憶に残っていますが、ASKさんに関しては、その場にいたはずと思いながら、言葉を交わしたことやどこに住み、どんな仕事をしているのかという話を聞いたという記憶も残っていません。むしろ姫のNKさんの姿があったようなことは、なんとなく覚えています。

私はかなり長い間、ASKさん改め松波のAKさんは、被告訴人大網周一の会社で鳶職の仕事をしていると聞いていたように覚えています。まだ、大網商事有限会社ではなく、ライトバンの後ろに大網組と看板のような文字を大きく書いていた頃であったように思います。

時刻は15時56分になっています。コンビニにADSLモデムの返却郵送に行ったり、昼食を作って食べたりしていました。

松波のAKさんが被告訴人大網周一が社長をする鳶職の会社をやめて、型枠大工をしているという話を聞いたのは平成9年の7月に私が金沢市で生活するようになって以降のことであったように思います。

同じ頃に昔話として、鳶の仕事の現場で仲間の誰かが、不注意で鋼管を落下させ、それが太腿に突き刺さったとか、貫通したという話を聞きました。ずいぶんひどい大怪我を負ったような話でしたが、その割には入院したという話も具体的な怪我の程度も聞かなかったです。

私は福井刑務所で他の受刑者から人間の太腿には急所があって、そこが切れると助からない致命傷になると聞いたことがありましたので、半信半疑で話を聞いていましたが、上空からの落下物で太腿に当たったというのは、どういう体勢だったのかと想像してみたこともありました。

足を投げ出して作業するというのも、匍匐前進のような体勢で作業するというのも、屋外の現場では自分の経験に照らしてどうにも合点がいかなかったからです。

同じ頃、あるいは同じ時の会話で聞いた話だと思うのですが、金沢駅近くの確か全日空のビルの工事で、巨大な何かを作業中に、かなり高い上空から落下させたという話を聞きました。けが人はなかったというような話であったように思います。この話は異なる時期に2回聞いたようにも思います。

その全日空と思われる高層ビルに関しては、私個人で特別な思い出もありました。まだ昭和の時代に札幌市に行った時のことだったと思いますが、札幌駅を正面に見ると左後方の場所だと記憶していますが、細長い板チョコのような新しいビルが、とても印象的に見えていたことです。

数年後、その札幌市で見たビルと同じようなビルが、金沢駅の近くに出来ていました。テレビの県内番組で見たように思うのですが、全日空のビルということになっていたと思います。まだ確認はしていませんが、ネットで調べてみます。

2014-07-23-163004_金沢駅近くの板チョコのような高層ビル.jpg pic.twitter.com/HYpPGwoAg3

Googleのストリートビューからスクリーンショットを撮ったのが上記の画像です。たぶんこの写真の中央にあるのが、全日空と思われるビルですが、まだビルの名称は確認していません。検索では全日空ホテルというのが金沢駅近くに出てきましたが、自分の記憶とは違った写真のようにも見えました。

どうも「ホテル日航金沢」というのが正しい名称のようです。→ ホテル日航金沢 - Google 検索 http://bit.ly/1A4E1tR

ホテル日航金沢【公式サイト】|JR金沢駅前の高層ラグジュアリーホテル http://www.hnkanazawa.jp/ ← このホームページではちょうど20周年という宣伝が掲載されていました。

私の記憶では平成3年の12月の時点で、ビルは存在していたような気がするのですが、12月21日、その近くのビルの1階にオープンしていたティファニーという貴金属店で被害者AAさんに対するネックレスのプレゼントを買った時のことです。

私の生活では、金沢駅の周辺というのは余り通りかかる場所でもなかったので、そのホテル日航金沢のビルの工事を見た覚えもなく、いつの間にか出来上がっていたという感じでした。

札幌市で似たようなビルを見たのは昭和59年の10月ころだったと思います。他とは違う斬新なデザインの建築物に見えたので印象に残っていたのですが、それと同じようなビルが金沢駅の近くでいつの間にか出来上がっていたのです。

2014-07-23-165853_ホテル日航金沢は20週年を迎えました。.jpg pic.twitter.com/gG3MAHVmhE ← 確認と記録を兼ねてスクリーンショットを撮りました。

純粋に20周年だと考えると平成26年の現在から数えると、平成6年辺りのオープンということになりそうです。私は金沢刑務所の拘置所から福井刑務所へと移った時期なので、オープンしたホテル日航金沢の姿を見たのは、平成9年の1月以降ということになりそうです。

ポルテ金沢 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%83%86%E9%87%91%E6%B2%A2

調べたところ、ビルの名前は「ポルテ金沢」のようです。そういえばこれまでに1,2度は耳にしたような気もしましたが、ホテル日航金沢以外の商業施設があるとも知らず、建物の中に入ったことも一度もないです。やはり平成6年のオープンだと上記のページで確認することが出来ました。

ビルの外観が完成してからオープンまで2年かかったとは考えにくいので、平成3年12月21日の時点でには存在しなかった可能性が高いかと思われます。建築の工事自体は平成4年から6年の間に行われていたものと考えられます。どのくらいの工期が必要なのか、私には想像もつけにくいですが。

となるとやはりホテル日航金沢の工事での落下物の話は、平成9年に聞いたことになりそうです。はっきりしていることは、松波のAKさんの話を聞くことはありましたが、会うことなかったばかりか、どこに住んでいるのかと聞くこともありませんでした。

そのように考えると、平成3年9月の時点で、松波のAKさんが被告訴人大網周一の元での鳶の仕事をやめて、型枠大工をやっていると聞いたのも、どうかという気がします。

また、私は平成13年ころの時点で、蛸島のTSさんの生前の妻の再婚相手は、松任市内で重機を扱うような会社をやっていると聞きました。具体的な会社の名前まで聞いたと思うのですが、それは思い出せなくなりました。ありがちなわかりやすい名前の漢字2文字が、先頭にある社名だったとは思います。

重機といえば、これも私は個人的に特別な思い出があるのですが、被告訴人KYNのところで配管の仕事をやっていた平成10年ころ、辰口庁舎の現場で、大きなクレーン車がアームを伸ばした状態で、横倒しになるという状況を目的したことがありました。そのことも連想したはずと思います。

重機といえば、建築、建設現場ではそのようなクレーン車を思い浮かべます。金沢市錦江では城西運輸機工がよくやっているような仕事です。それと型枠大工の仕事が、今の私にはどうにも結びつきません。

型枠大工の仕事は平成11年の2月から8月の間、日雇いの作業員としてよく関わっていた仕事の一つです。鳶の仕事を手伝うことありましたが、先ほど鋼管と書いたのは、丸い鉄パイプのことです。足場の手すりとしても使われていたように思います。

時刻は7月24日9時49分です。本日付の項目を作成して続きを書きます。

2014-07-24 木 09:50> [ ←これまでの記述範囲の終了時刻]]

* DONE 宇出津あばれ祭りでの被告訴人KYNとの再会と、モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)に対する刑事告訴について 2014年7月24日

    CLOSED: [2014-07-25 金 10:57]

2014-07-24 木 09:52> [ ←これからの記述範囲の開始時刻]]

昨夜はテレビをみていましたが、「若者たち2014 第3話」が印象的でいろいろと考えさせられました。ネット上のコメントなど反応を見ていて、昭和の時代とかありましたが、時代も人も変わったように改めて思いました。

昨夜の第3話が23日だったので数えてみると、初回を見たのは9日だったことになりそうです。あばれ祭りでの被告訴人KYNの今の姿と重ねあわせながら、昔を思い出しながら見たことを憶えています。

今度の土曜日は、姫の祭りがあるように聞いています。7月26日になりますが、Aコープ能都店などに張ってあるポスターによるとその日は、松波の祭りもあるようです。姫の祭りは昔と日付が変わったような話も小耳にはさみましたが、松波と姫の祭りが同日というのも意外でした。

私の生まれ住む宇出津のあばれ祭りも、以前は7月の7日と8日と決まっていたのですが、今は7月の第一金曜日、土曜日となっています。変わって10年近く経つようにも思います。

姫の祭りは、「どいやさ祭り」というらしいですが、私は近年になってしったことです。そういう名前の祭りは聞いたことがなかったし、「どいやさ」という言葉の意味もよくわかりません。

姫の祭りに行ったのは一度だけだったように思いますが、それより前の中学生の頃にもあるいは行ったことがあるのかもしれません。記憶に残っているのは一度だけで、それが最後に見た祭だったとも思います。記憶がはっきりしませんが、昭和57年か58年のどちらかだと思います。

こちらに情報がありました。→ どいやさ祭|行事案内|能登町役場 http://www.town.noto.lg.jp/www/event/detail.jsp?common_id=861

7月の第4土曜日という記載もありました。2000年より前は1970年代から祭りが簡素化されていたそうです。このあたりは20日に見に行ったばかりの飯田町燈籠山祭りに事情が似ているようです。

よく考えてみると私は昭和58年の7月の20日頃に普通免許を取得し、数日後には藤田自動車の代車のポンコツの車に乗って、東京に住んでいた被告訴人大網健二のところに遊びに行きました。その年の春にオープンしたディズニーランドに行ったことなど、すでに書いている箇所があるかと思います。

車に乗るようになってからの私は単独行動が多くなったとも記憶しています。8月の終わりか9月の初めには金沢市観音堂の被告訴人安田敏のアパートに転がり込み、主に金沢で生活するようにもなっていました。

当時の私は、ビールや酒が苦手で、飲むとすぐに気分が悪くなりましたが、先輩に無理やり飲まされるというのも当時はよくあったことで、とくにその場となったのが、能登各地の夏祭りのことでした。

姫の祭りに行ったのもやはり昭和57年の可能性が高そうです。その時は初めで最後に姫のNKさんの家に行ったことを記憶しています。開放された二階の部屋で宴会のような場面を一つ記憶にしていますが、誰がいたとなるとはっきりした記憶はありません。

大勢いたのは間違いないと思います。高倉漁港の岸壁のあたりが祭りのメイン会場のようになっていたと思いますが、そこでロープで手かあるいは足を縛られて、車で引きずられたことを記憶にしています。

前にも書いたような、書いていないような気がしますが、珠洲市飯田町の燈籠山祭りに行ったのも1回だけでした。これも昭和57年の可能性が高いと思います。

飯田燈籠山祭り - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%AF%E7%94%B0%E7%87%88%E7%B1%A0%E5%B1%B1%E7%A5%AD%E3%82%8A

上記の情報によると毎年7月20,21日ということで日程の変更というのもなさそうです。その時の祭りで憶えていることは、金沢で暴力団員をやっていたという年上の人物、珠洲○○の本人かあるいはその実家が経営している飲み屋に行ったことです。

被告訴人大網周一から名前はちょくちょく聞いていたのですが、実際に会ったことはなかったし、その時も本人の姿を見たという記憶は残っていません。仲間には岐阜○○という人もいたようで、同じく暴力団の関係者でもあったような感じでした。

○○の部分は普通カタカナで書きそうな二文字です。スナック言うには豪勢な内装の飲み屋であったという記憶も残っています。店の名前も憶えていて、太閤秀吉の時代を連想させる感じさせる漢字二文字ですが、個人的な過去のプライバシーもあるので明確な記載は避けたいと思います。

岐阜○○の方ですが、昭和56年8月28日の早朝、金沢市増泉のアパートに金沢中警察署が踏み込んだ時、トイレの窓から逃走した当時19歳の男とは、知り合いであり仲間であるような話も聞いたように憶えています。上の名前は忘れましたが、ユタカと呼ばれていたと思います。

ユタカは暴走族のメンバーだとは聞いていましたが、暴力団に所属していたという話は聞いていなかったように思います。私や被告訴人大網周一が鑑別所に入っている間に、松任市の私と同じ年の16歳の少女と付き合うようになっていました。

入江のアパートで、当時、松元組の暴力団員だった被告訴人浜口卓也が警察官を装って、シンナー遊びをしていたユタカと少女を驚かしたことも既に書いたように思いますが、その行動から見てもけっこう知っている関係という感じでした。

ただ、驚かされたユタカの方は、警察からの逃亡疲れもあったのか、少女とくっついて寄り添い、言葉も出ないぐらい悲しんでいる様子に見えたのが、印象に残っています。ユタカに会ったのもそれが最後だったように思いますし、その後、岐阜に帰ったような話も聞きました。

被告訴人安田敏と個人的な付き合いが始まったのも、同じ頃で出会った場所も同じ入江のアパートだったと思います。ただ、そのあたりも記憶が曖昧になっています。

晩秋から冬の時期だったと思うのですが、私はけっこうな頻度で、被告訴人安田敏と遊ぶようになりました。他の仲間は被告訴人安田敏との付き合いを避けているような状況でもありましたので、被告訴人安田敏が初めに松原病院に入院した後だったようにも思うのですが。

被告訴人安田敏とは、よく浅野本町の大学生の下宿のような場所に行きました。古い木造アパートのようでしたが、部屋にはトイレもなく、共同になっていたように思います。まるで漫画やドラマに出てくるような世界でした。

被告訴人安田敏がなぜそこに出入りするようになったのか、当時は説明も受けていたように思いますが、まるで記憶には残っていません。歯科技工士の学校に通っているという人が、何人かいたようなことは憶えています。

被告訴人安田敏とは、金沢市北安江の会社の事務所の二階に寝泊まりをしていた一つ年下のKAのところにも、連れて遊びに行ったことを憶えています。同じ頃、KAを連れて、金沢市笠舞のアパートに遊びに行き、末町の少女THらと、金沢駅前で写真撮影したこともありました。

被告訴人安田敏を笠舞のアパートに連れて行くようなことは一度もなかったです。それははっきり憶えていますが、末町のTHと被告訴人安田敏の面識も、ほとんどないようなものであったと思います。

既に書いていると思いますが、確か出稼ぎに行くという理由の、被告訴人安田敏の送別の場になった片町の飲み屋で、働いていたのが末町のTHと瓢箪町のNMです。二人とも年は私より1つ年下だったと思います。詳しい話は忘れましたが、働いているというより店を任されているという感じでした。

その時は被告訴人安田敏と松波のAKさんと私の3人で、ボックス席に座って飲んでいたような場面を記憶しています。カウンターには他の客もいて、忙しそうな感じで、二人の女性とは挨拶程度で、ほとんど話す機会もなかったような記憶が、ぼんやりですが残っています。

時刻は22時33分になっています。直前の行というかツイートは、半分ほど書きかけで中断していたものです。夕方には宇出津新港に買い物に行ったり、戻ってからもテレビを見ていました。

地デジのテレビなので、テレビの中に番組表がありますが、20時ちょっと前に気になる番組を見つけ、すぐにそちらにチャンネルを変更しました。次の番組ですが、廣野秀樹(@hirono_hideki)でツイートしたものの、本文コピペとします。

奇跡体験!アンビリバボー実録!日本の衝撃事件簿スペシャル 2014年7月24日(木) 19時57分~21時48分 の放送内容 http://ow.ly/zx2SL

奇跡体験!アンビリバボー - Yahoo!テレビ.Gガイド[テレビ番組表] http://ow.ly/zx2PU 【実録!日本の戦慄殺人事件!!平穏家族が一瞬で崩壊!未来奪った犯人たち】妻の目前で愛する夫が突然逮捕!本名も違う男の素顔は連続殺人鬼▽密室殺人の謎…

放送時間を見ると始まった直後から見ていたことになるかと思います。2時間弱の番組でしたが、終わってみると2本立ての構成になっていたようです。共通した感想としては、発覚、逮捕を免れるためにはここまでやるものか、ということでした。

一つ目の事件は、不動産関係者か大家がタクシーに置き忘れた所持品の中の鍵を使って、たまたま入居していた新婚夫婦が手斧で惨殺されたという事件でした。現在の貨幣価値で57万円とか出ていたように思いますが、失業保険の不正受給が、金銭目的の動機ともなっていたとことです。

番組で取り上げられていた2つ目の事件は、二人の殺人事件の逃亡から身元を隠すため、さらに2件の殺人事件を起こしたという内容でした。時代背景も異なっていて昭和33年ころの事件のようでしたが、ここまで考え抜き、行動にするものなのかと思いました。

一見すると全く無関係に見える事件の真相を見抜き、追いかけていった当時の警察の執念と直感、行動力というのも参考になりました。

今日は被告訴人安田敏のことを書いてきたと思います。金沢市浅野本町の下宿のような古いアパートですが、けっこうな回数行ったような記憶があり、その場には必ず被告訴人安田敏がいたはずです。

おじゃまんが山田くん - Wikipedia http://bit.ly/1mIPSUl 放送期間は1980年9月28日から1982年10月10日まで。フジテレビ系列(一部系列局除く)で毎週日曜日19:00から19:30の枠にて放送された。

この手のテレビ番組はネット上での情報がまとまっているので助かりますが、昭和55年から昭和57年10月までの放送だったようです。ちょうどリアルタイムな時期の番組だったと考えられますが、このアニメ番組の内容とも重なるイメージの古い木造アパートでした。

アパートというよりは共同住宅という言葉がふさわしいものであったかもしれません。当時も私のまわりでは他に見かけることない居住形態でした。風呂なし、炊事、トイレ共同のアパート言う感じでしょうか。

現在は跡形もなくなっていると思いますが、大体のその場所をGoogleマップで探して、緯度経度情報などを明らかにしておきます。たぶん外見からは、下宿のようなアパートだとは誰も気が付かなかったと思います。

石川県金沢市浅野本町ロ176 - Google マップ http://bit.ly/1mITcii

だいたいの場所です。Googleマップの航空写真で見ると広い道路沿いに面した建物が多く、相当古くからあると見える瓦屋根の家も散見されます。私の記憶ではアパートの建物は、広い道路から家一軒分は奥まっていました。その手前が駐車場のような空き地になっていたかもしれません。

似たような共同住宅のようなアパートは同じ頃、他にもありました。はっきりした違いは浅野本町の方は、ほとんどというか私が見聞きした範囲の全部が、学生だったということです。大学生もいたように思いますが、専門学校生もいたようです。当時は専門学校というのは珍しかった気もします。

もうひとつのアパートは金沢市笠舞にありました。

石川県金沢市笠舞本町 - Google マップ http://bit.ly/UqmWJS

今調べてわかったのですが、笠舞というのは大通りの赤坂プラザ側に集中しているようで、反対側が笠舞本町になるようです。中学校は城南中学校と聞いていたようなことも思い出しました。

既にある程度は本書で書いていると思いますが、小立野の少年鑑別所で知り合ったITのアパートでした。父親がそのアパートの大家という話で、2階の一室に住んでいました。私の記憶では部屋にはトイレも、炊事の流しもなかったように思います。

その直前までは金沢市森本のマンションのようなところにいました。すでに何度も出ている神野のKMと、被告訴人大網周一の同級生のFKと4人で、いたのはそのFKの姉のマンションでした。

多くて5万円程度だったと思いますが、まとまった金を持っていたのは被告訴人大網健二だけでした。金沢で仕事を探すという目的で4人で宇出津から出てきたのですが、付き合いだけで同行していたのは私だけでした。

当時、私は少年鑑別所を出た後の試験観察中で、親元である宇出津での居住が義務付けられていたので、金沢で仕事を探すこともできなかったのだと思います。

夜、布団に入ってけっこう時間が経ってから、神野のKMがFKに話しかけたのですが、被告訴人大網健二の所持金をあてにして、少しでも金を減らさないために、説得して私を宇出津に帰らせなければならない、などと話していたのです。

私は眠れずにいたので、その会話を一部始終聞いていたのですが、翌朝になると被告訴人大網健二に誘われて、二人でそこを出ました。しばらくしてから被告訴人大網健二も聞いていたという昨夜の神野のKMの話を聞かされました。利用されたことに腹を立てた様子で飛び出したと話していました。

いきなり笠舞に行ったのではなく、その前に一晩は、尾張町の被告訴人大網健二の金沢高校時代の同級生の家にやっかいになりました。あるいは二版ぐらい泊まったような気もしますが、3日以上の滞在ということはまずなかったと思います。

尾張町は金沢市の中心部の一角で金沢地方検察庁にも近いですが、大通りから検察庁とは反対側に少し入ったところの家だったと記憶しています。それまでの私の生活では見たこともない豪邸のような家でした、鉄筋コンクリートの家で瓦屋根はなかったように思います。

その被告訴人大網健二の友人の部屋に匿われたような感じだったと思います。家族に紹介を受けるようなこともなかったと思うます。逃亡生活にも近い感じで居心地も良くはなかったです。

この先、どうしたものかと思案していたところ、ふとひらめくように思い出したのが、鑑別所で同じ部屋だったITの電話番号でした。30人程度の暴走族のリーダーをしているとも話していましたが、なかではけっこう意気投合もしていて電話番号を教えてもらっていたのです。

電話を掛けたのは夜遅い時間だったと思いますが、歓迎するというような返事を受けて笠舞に向かいました。被告訴人大網健二が所有していた400ccのバイクでしたが、その時はカワサキのGS400だったように記憶しています。2気筒エンジンです。

被告訴人大網健二が所有していたバイクといえばカワサキFXの印象が強いのですが、FXは400ccの4気筒エンジンでした。

昭和57年の5月頃には水産高校のグランドの前に緩いカーブで、民家のブロック塀に接触して横転しました。その事故でけっこう長い間、宇出津病院に入院していました。一月以上は入院していたと思います。2ヶ月ぐらいという可能性もあるかと思いますが、最大で3ヶ月ぐらいでしょうか。

その事故の時、私はすぐ後ろをホンダのホーク2に乗って走っていました。同じく400ccのバイクで2気筒です。中型二輪の免許でしたが、6月に初め頃には県警本部で免許取り消しの処分を受けていたので、事故もその前だったはずです。

当時のこととして、被告訴人大網健二が腕にギプスをつけたパジャマ姿で写っている集合写真もあったかと思います。腕を複雑骨折して腕の中に太い鉄を入れたという話でしたが、病室では寝たきりの様な動けない状態であったと記憶にあります。

その昭和57年の9月の5日か7日ぐらいに私は名古屋に行ってのですが、その時には退院をしていて、金沢まで見送りに付き合ってくれたようなことも、津幡に近い8号線バイパスのラーメン屋で、夜遅くに食事をしたことと一緒に記憶に残っています。

当時の人間関係に嫌気がさし、警察に捕まって鑑別所や少年院に送られるようなリスクを避けたいという思いもあって、私は名古屋に行くことを決めたのです。

書いているうちに思い出しましたが、蛸島の暴力団員が被告訴人大網周一にあてがった田浦の民家でのチャンスボールという輪姦行為、それに被告訴人大網健二が参加をしていた場面を思い出しました。腕の怪我の様子はなかったと記憶にあります。

殴る蹴る脅すという行為はなかったので、純粋は強姦ではなかったのかもしれませんが、すすり泣く少女の姿もあったので、かなりきわどいものではあったと思います。

発案し命名したのも被告訴人大網周一だったと思います。笑いながらゲームのように性行為に及ぶというのが、特徴の一つだったかと思いますが、二人目が行為に及ぶ時が正念場ということにもなっていました。

当時は私も17歳で少年だったのですが、お供え物のような慰みものした少女は主に珠洲方面から被告訴人大網周一が調達してきていたようです。なかには馬鹿笑いをして一緒に楽しんでいるような少女もいましたが、ごく稀だったと思います。

あるときは、家に送り届ける少女と車で同乗しましたが、被告訴人大網周一が人に言うな、言うとお前が警察に捕まるなどと本気で説得するのを見たいたこともありました。少女と言っても私よりは一つか二つ年上のようでしたが、ある程度は信じているような様子でした。

当時の被告訴人大網周一を中心にした人間関係というのは、人が集まっていてその場で一人だけがジュースを飲むのは許されないような事実上の規律があり、飲むときは全員に行き渡らせるというのが被告訴人大網周一の価値観であり、美学でもあるという感じでした。

被告訴人大網周一にしてみれば、チャンスボールは、先輩方との人間関係をよりよくするための、場の提供であり、接待という意味合いが強かったと思われます。

当時は六法全書というのはアナーキーの歌の歌詞で知っていましたが、刑法という法律の内容については全くの無知で、強姦罪の量刑の重さも知りませんでしたが、恐怖の声と泣き叫ぶ少女に性行為に及ぶ状況を目にしていれば、とんでもないことになりかねないという思いはありました。

そこまで嫌がったという少女の姿を見たのも一度だけでしたが、夕方だったのかまだ明るい時間でした。民家は玄関を入って左右に部屋がありましたが、普通に集まっていたのは左側の宇出津の町方向の部屋でした。

輪姦の場にされていたのは右側の部屋でしたが、部屋全体が絨毯で敷き詰められたような異様な部屋でした。絨毯は紫色だったかもしれません。

その部屋に少女を連れ込み性行為に及ぶ、そして行為を終えると部屋を出て、入れ替わりで次が入るというのが恒例のパターンでした。

私自身、一度だけ参加しましたが、馬鹿笑いをしているような少女で、それだけにその場も盛り上がっていました。先輩に背中を押されて3人で部屋に入ったのですが、体は触ったものの性行為には及びませんでした。体裁を繕ったということにもなるかと思いますが、欲望が先走ることもなかったです。

時刻は7月25日8時23分です。外が明るくなる頃まで起きていたので、余り寝ていないのですが、蒸し暑さもあって目がさめてしまいました。項目を改めて続きを書きます。

2014-07-25 金 08:25> [ ←これまでの記述範囲の終了時刻]]

* DONE 宇出津あばれ祭りでの被告訴人KYNとの再会と、モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)に対する刑事告訴について 2014年7月25日

    CLOSED: [2014-07-30 水 10:19]

2014-07-25 金 08:27> [ ←これからの記述範囲の開始時刻]]

田ノ浦の民家については以前にも触れたことがあると思います。地元暴力団の干渉で、暴走族の仲間内の分裂にもつながりました。時期的にははっきり思い出せないところもあるのですが、ほとぼりがさめた頃に、被告訴人大網周一がチャンスボールに使うようになったのです。

民家は現在、ばらばらになって残骸が残っているようです。小木港に魚釣りに行くのに決まって通る道なので、バイクで走りながら横目で見ることはありますが、立ち止まってまで見たことはありません。

宇出津の周辺というのは海岸線の平地が少なく、標高は高くはないと思いますが山が多いです。山の方は雪が多く、雪の重みで潰れたような木造の廃屋を見ることもありますが、それも屋根が崩れ落ちたとか部分的なもので、部分的に壁や柱は残っていたりします。

田ノ浦の民家の場合はあとかたもなく潰れています。まるで重機で解体作業をしたとしか思えないのですが、廃材はそのままになっているようで、長い草の下に隠れて部分的に見える状態です。雷でも落ちて木っ端微塵に吹き飛んだようにも見えるのですが、自然に朽ちたものなのか不思議には思ってきました。

石川県鳳珠郡能登町宇出津ロ - Google マップ http://bit.ly/1ukJ3SD

ポイントとしての情報取得はできなかったのですが、範囲としての情報取得ができたのが上記のGoogleマップです。どうも田ノ浦という住所はないようです。

田ノ浦は昭和60年代か平成に入ってから、住宅も増えたように思いますが、昭和57年当時は家も少なかったように思います。田ノ浦には同級生もいなかったので余り知らないのですが、宇出津の町内ではなく、あばれ祭りにも参加していないと聞いたことがありました。

思えば源平も住所は宇出津山分になると近年になって知りました。源平には同級生が二人いたので遊びに行ったこともあり、祭りを見に行ったこともありました。田ノ浦の祭りというのは聞いたこともないですが、源平の方がずっと宇出津の町からは離れています。

道路は県道35号になるようです。看板は出ているのかもしれませんが、意識したこともなく今日初めて知りました。宇出津から羽根、小浦、真脇、姫、小木に行く、ほとんどが海岸線沿いの道路です。

宇出津からその県道で小木方面に向かうと、初めに右手に海が見えて、すぐ左側にあるのがその民家でした。周辺には家もなく、人の住む他の家まではけっこう離れていたと思いますが、主要道路沿いにあるので、車で通っていると割と目立つ場所でもあったとは思います。

珠洲市に行くのも山沿いの珠洲道路で直行というのが当たり前になり、宇出津の町にもバイパスの道路ができたし、小木港の遠洋漁船も激減したので、交通量も昭和57年当時の方が、多かったことも考えられます。人口が減った割に車の所有率は増えたと考えられ、比較は難しいですが。

チャンスボールに使われていた部屋は厚い記事のカーテンが張ってあったと思います。外に光がもれないようにしていたと思いますが、チャンスボールの部屋自体は電気をつけずに使っていたとも思います。前の廊下の方には人が集まり、十分に顔が識別できる程度の明かりはついていたと思います。

外に光がもれなかったとも考えにくいのですが、ちょうど左に曲がる狭い道のカーブの手前でもあったので、よほどでないと注意して見る人はいなかったとも考えられます。

大ぴらに夜に電気をつけることはなかったと思いますが、被告訴人大網周一からもさほど警戒心や注意を感じることは、今考えても不思議になかったように思います。

当時、宇出津にはK組というヤクザがありました。聞いた話だと私の父親も弟分のようなOさんと二人で、賭博にでかけ、すってんてんになって帰ってくることがあったそうです。そのOさんは平成9年の春頃、金沢でヨコハマタイヤの社長をしていると聞いていましたが、何度か電話で話をしていました。

藤浪の辺田の浜に父親が残した家の処分の話でしたが、私が普通免許を取得した昭和58年の夏ころはまだそこでヨコハマタイヤの仕事を継続し、Oさんはずっと所長のような立場ではなかったかと思われます。

父親は酒飲みで魚釣りも本格的にやっていたと聞きますが、働き者でなくなったときには短期間で借金を返済した上、けっこうまとまった額のお金も残していたと聞いています。

K組ですが、私が宇出津に引っ越してきた小学生の頃から話は聞いていました。娘という小さい子供の姿は見た記憶がありますが、組長に関しては有名人でよく話を耳にしていたものの、それという人を見たことは一度もなく、未だに顔も知りません。ずいぶん前に亡くなっているようには聞いています。

K組長に関しては、輪島の方から来たという話を聞いたこともありましたが、昭和57年頃には半ば隠居状態で、表立った活動はしていないと聞いていましたし、よく魚釣りをしているとも聞いていましたので、それとはしらず見かけていたという可能性はあるかとは思います。

私自身、中学生の頃以降は魚釣りをすることはなく、釣り道具も持っていなかったと思いますが、泳ぎに海に行くことは多かったと思います。

K組はちょっと大きな普通の民家でしたが、遠島山公園の入口にも近い町外れにありました。建物は現在もそのまま残っていると思います。5月頃には近くを通りかかって見ているのでそのままだと思います。空き地があるので普通に見える建物です。

そのあたりは地元で「城山(じょうやま)」と呼ばれてきました。遠島山公園も城山と呼ぶ人が多いのではと思います。そのあたりも現在はいつの間にか住宅が増えていますが、昭和の時代は家も少なかったように思います。

住宅は少なかったと思いますが、遠島山公園の方はまだ人が訪れる観光地のようにもなっていて、夏はかき氷などを売る海の家の売店のような店も、まだやっていたと思います。現在も維持管理はされていますが、観光はごくわずかで、近所の人の散歩ぐらいしか見かけることはありません。

城山というのは高台になっていて、坂を登り切るとすぐに道が二つにわかれています。直進するとそのまま遠島山公園の入り口に突き当たります。

左の方のやや狭い道を行くと、突き当りにはユースホステルがありました。昭和の時代には利用客もいたようですが、ずっと前から営業しているような様子は見たことがありません。建物はそのまま残っています。春に桜の見物と写真撮影に、吊り橋を渡って足を伸ばしました。

能登広域勤労青少年ホーム - Google マップ http://bit.ly/1nYZn1O

平成9年の4月か5月ころだったと思いますが、上記の場所にパソコンの無料講座があって、半月ほどの間だったでしょうか、歩いて通ったことがありました。建物の裏側は崖になっていて、その下にあるのが田ノ浦です。航空写真ではちょっとわかりづらいかもしれません。

この時はK組の家の前を歩いて通っていました。講座も終わりに近づいた頃だったと思いますが、ふと目をやるとそのすぐ近くに、「大脇昆布」という看板があって驚きました。

平成2年になるかと思います。金沢市問屋町のトナミ航空、物産展の荷物を積み込んでいたところ、ライトバンだったと思いますが、大脇昆布という名前と宇出津山分と住所の書いてあるダンボールを持ってきました。

宇出津で昆布というのも見たことも聞いたこともなかったので、意外だったのですが、大脇というのも聞いたことのない名前でした。あるいは、宇出津大棚木と書いてあったかもしれません。

昆布ということで海の側や天日干しを想像したのかと思いますが、棚木の海岸でそれらしい会社や昆布を干す姿は見たことがありませんでした。小さい頃は辺田の浜で天草を干す姿は見かけていましたが、それも宇出津では見かけることがなかったと思います。

宇出津に昆布というのも宇出津の町に生まれ育った私にすれば意外な組み合わせだったのですが、車を運転して荷物を持ってきていたのが、宇出津のKという人物でした。漢字一文字の苗字で、読みはひらがな二文字になります。

今しがた、家にある2012年版の能登町の電話帳で調べてみたのですが、意外なことに能登町全体では19件の登録がありました。小木や松波、鵜川にまであって能登町全域にある名前のようです。

宇出津では2件、崎山に1件ありました。崎山は住所が能登町崎山になっていはいますが、宇出津の町内のようなものであばれ祭りにも参加しています。一丁目から四丁目まであるようです。昔は崎山台地とも呼ばれていましたが、城山とは向き合う感じで港というか宇出津湾を挟む高台です。

そのKさんですが、宇出津のK村さんと姫のNKさんが、2トン車の持ち込みで金沢市場輸送で市内配達の仕事を始めた頃に、一緒に同じような市内配達をやっていました。宇出津の人であることとKという名前は、被告訴人大網健二から聞いたのだと思います。

角田ストアーというのは宇出津の中心部に昔からあっておなじみなのですが、Kという名前を聞いたのは初めてだったので、よけいに強く印象に残りました。

被告訴人大網健二から聞いた話か、私の想像力が先走ったのか、今では自身を持ってはっきりできませんが、宇出津の角田ストアーのあたりから宇出津小学校の前辺りの人と聞いたように憶えています。

宇出津の小学校の前辺りの地域というのは、総称的に「田町(たまち)」と読んでいました。最近になって人から聞いたのですが、田町という町内はなく、「上田町(かみたまち)と横町(横町)」のことをまとめて田町と呼んでいる、とか。

現在は人の数も減り、車でどこにでもいけるので、特色も薄くなっていると思いますが、昭和の時代の頃の宇出津は、昔ほど町内や地区ごとの特色が、人の生活様式や性格にも及んで、色濃い特色を属性のようにしていましたが、実体験の積み重ねによる共通認識のようなもので、一般にはわかりにくいかと。

おおざっぱにわけると、マチ、新町、新村、棚木という区分もありました。春の曳き山祭りもそれぞれに1台ずつ4台出ていましたが、現在は思い出せないぐらいの前からマチと棚木の2台だけになっています。

マチと棚木は、あばれ祭りでぶち壊しをする酒垂神社と白山神社の神輿にも対応しています。マチは崎山台地の下から坂に家のある地区ですが、魚市場の辺りの天保島という町内から警察署のあるあたりの桜町まで、たしか9つの町内になっているかと思います。

漁師の多い地区でもありましたが、現在は往時の面影も感じられません。外にいる人の姿を見ることも少ないです。このマチの9つの町内のキリコは、あばれ祭りで順番の先頭の特別枠になるという決まりも昔からあるようです。

他の町内だと、その町内のキリコを探すのも大変というか、知っている人に順番を聞くか、一つずつ探しまわるしかありませんが、マチだと先頭から9番以内ということでかなり探しやすくなります。

これも最近になって人から聞いた話ですが、宇出津は36の町内がキリコを出しているとのことで、今年は横町が人手不足で出さず、35の町内だったと聞きました。キリコは大きい町内だと大中小と3台出す町内もありましたが、数も減ってきているそうです。

キリコには江戸時代の時代劇に出てくる御用のような提灯があって、そこに町内名が書いてあることもあるのですが、別の言葉が書いてあることもあって、私がみても町内のわからないキリコもありました。

大脇昆布は、たまに角田ストアーで展示即売をやっているのを見かけますが、昆布を作っているのではなく、削って加工をしているようです。ネット上の情報だと代表者の名前も大脇になっていました。全国の物産展で販売をしているとも書いてありました。

昨夜は、金沢市尾張町の被告訴人大網健二の金沢高校での同級生のことを書きましたが、その同級生の家というのは設備会社だと聞いていました。3,4ヶ月ほど前になるでしょうか、インターネットで検索したところ、現在は社長になっているらしいということもわかりました。

設備会社という呼び方には配管設備を含むことが多いようです。スプリンクラーの設置とか防災関係の仕事もあるようですが、水の浄化設備とかもあるので、手がける業務の内容というのも幅広さはあると思います。

人によって配管屋と呼んだり、設備屋と呼んだり、あるいは水道屋とも呼ぶかと思いますが、仕事の内容が多岐に渡ることも、私が実際に経験して感じたことでした。

金沢の西インターの近く、たぶん住所は新保になるかと思いますが、そこに作業場兼事務所をかまえるKさんについては、既に書いている部分があると思います。平成4年の2月か3月頃に、被告訴人KYNのマンションで顔は合わせていた人のことです。

見た感じは若くも見える人でしたがKさんは私達よりけっこう年上と聞いていたようにも思います。私より一つか二つ年下と聞いていた珠洲市蛸島の青年と二人で配管の仕事をやっていました。青年と書きましたが、当時はまだ20代の終わり頃と聞いていたような気もします。

被告訴人KYNのところで配管の仕事を初めて2,3日後には、そのKさんの現場である能美郡辰口町の北陸先端科学技術大学院大学の地下ピットで、応援での配管の仕事をしていたことも、既に書いていると思います。

いつ頃かは思い出せませんが、一度、夕方遅い時間にKさんの作業場に、尾張町のY君が来ていました。被告訴人大網健二の同級生であることを含め、私が当然に知っているように被告訴人KYNは話していたこともありましたが、私は言葉を交わすことも、目を合わせることもなかったと記憶にしています。

被告訴人KYNからも、被告訴人大網健二と今でも親交が続いているような話は聞きませんでしたし、私も尋ねることはなかったので、話題として触れることも少なかったと思います。

被告訴人KYNの仕事の取引相手や関係先については、大量の名刺をあずかって自宅に持ち帰り、パソコンにデータ入力をしていたので、Y君と付き合いがあるらしいことは、わかってもいました。データは年賀状にも利用していたと思いますが、長い間名刺をあずかっていました。

Y君と書いたのは被告訴人大網健二が、その全国的にもよくある名前に、なぜか君をつけて呼ぶことが多かったからです。他に君付けで誰かの名前を呼ぶことはなかったと思いますが、その金沢高校時代の友人に関しては君付けで呼んでいました。

データ入力のためたくさんの名刺をあずかったのは、年賀状を出す正月前より、かなり前だったと思うので、被告訴人KYNのところで仕事をはじめてすぐのことであったと思います。平成9年の11月になっていたことは憶えていますが、11月のいつ頃であったかは、現在、よくは思い出せません。

11月26日の私の誕生日の夜、アンカーインに私を呼び出したことは既に書いていると思います。その一週間から10日、あるいは半月前と思われるので、11月の中頃か、10日頃になるのではとも思われます。

アンカーインに関しては、Googleのストリートビューで、建物を見つけ、それをスクリーンショットにしましたが、まだ、本書では取り上げていないと思います。店が営業をしている状況には見えなかったですが、夜に行くことがほとんどだったので、昼の姿を見ると少し違ったような印象もありました。

当時の私は、宅地建物取引主任者の資格取得の勉強もしていました。10月ではなかったかと思いますが、実際に試験に行ったこともありました。金沢工業大学が試験会場でした。住所は石川郡野々市町かと思われます。現在は野々市市になっています。能美郡も能美市になっているかと思います。

試験に行く前に、被告訴人大網健二と電話で話していましたが、彼は試験の申し込みをしているけど、試験には行かないと話していました。不動産の仕事をしているので試験で有利になる条件も持っていると話していましたが、まるで行く気がないという話しぶりでした。

既に合格して資格を持っていれば、当然に試験を受ける必要もないことですが、ちょうどその年は法律が変更になって、宅地建物取引主任者の資格者がいなければ、契約の締結ができないということにもなっていたと記憶しています。

話を聞いても私は半信半疑で、本当は既に資格を持っているのではとも考えていました。試験自体もそれほど難しいものとは思えず、不動産の仕事をしていれば自然に覚えることも多く、また、わからなことは教えてもらいやすい環境にもいると考えたからです。

被告訴人大網健二は合格していない、資格を持っていないと話していましたが、それを確認することもできませんでした。彼は遅くても平成2年には不動産の仕事を始め、8年から9年程度の経験は積んでいたはずなのです。

たしか試験自体の合格率は高くなかったと思いますが、資格マニアのような素人が、とりあえずで資格の取得を目指す例も多かったと思いますし、未経験とは大きな開きのある職種だとも思えました。

既に何回か書いていることと思いますが、笹田がS藤を連れて金沢港のイワシの現場にやってきた。その平成1年12月を基準に、その数カ月前には本陣不動産株式会社で、不動産の仕事を始めていたという記憶を前提にした計算であります。

不動産の仕事としては、接待の送迎待ちでタクシーの運転手のようなことをやらされているとか、愚痴も多く、腰の定まっていない時期でもあったとは思いますが、本当は中古車売買の仕事がしたいのかとも、傍目から見えていた時期でもあったと思います。

実際に被告訴人大網健二は、中古車売買の仕事を不動産の営業の仕事をしながら手がけ、それで笹田とトラブルになりました。どことなく腑に落ちない変な話で、過剰な演技にも思えることがありましたが、目的からは理解することができませんでした。

中古車売買の売買に関しては、被告訴人安田繁克との間にも関係があったと聞いています。もっともその時点で私は被告訴人安田繁克の顔を知っていたものの、名前は全く知りませんでした。

本来はイワシの運搬の松浦さんの愛人の息子だったのですが、私は取り違えて堂野さんの愛人の息子だと長い間勘違いしていたような記憶もあります。

誰からどういうかたちで聞いていたのかはっきり思い出せない部分もあるのですが、市場急配センターというか市内配達の若い運転手に、BMWを紹介したような話を聞いていました。背の高い若い運転手というのが、キーワードになっていたようにも思います。

実際に私は、金沢市場輸送の駐車場でそれらしいBMWを見たことがありました。スポーツタイプのようなBMWです。私が小学校の5,6年生の頃なので昭和50年頃になるかと思いますが、おもちゃ屋にプラモデルとして置いてあったような古い型のBMWです。

ネットで調べればそれらしい写真を見つけることはできると思いますが、平成2年ころの当時でもほとんど見かけることのない、古い車になっていました。

私はその車を、大型トラックの運転手の窓越しに見たような記憶があります。午前中という記憶もあるので、鮮魚の青森定期便でも積んでいたのかもしれません。急いでいたので、近くで車を見る余裕もなかったですが、遠目にみてもBMWの状態はかなり悪そうなポンコツに思えました。

サーキットの狼 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%82%AD%E3%83%83%E3%83%88%E3%81%AE%E7%8B%BC

上記の漫画の中で出てくるような型のBMWでした。1975年(昭和50年)から1979年(昭和54年)にかけて「週刊少年ジャンプ」(集英社)に連載、とあります。

状態が良ければ相当な高値がついたと思いますが、壊れて動かなくなるのが時間の問題のスクラップにも見えました。そのBMWを金沢市場輸送の駐車場で見たのは1回かあるいは2回なので、売買は成立しなかった可能性が高いと思われますが、被告訴人大網健二にどうなったのかと尋ねることはなかったと。

私が被告訴人大網健二に被害者AAさんとの交際について相談をしたのは、平成3年の12月に入ってからだと思います。21日にネックレスのプレゼントを買って渡そうとして、一週間から2週間ほど前ではなかったかと思います。

どちらが先立ったかは現在はっきりと思い出せないですが、被告訴人安田敏と被告訴人大網健二のどちらかにクリスマスにプレゼントを贈ってみればどうかと提案というかアドバイスを受け、どちらにもそれがよいと割と心よい返事をもらったことはよく憶えています。

その後も何度か、被告訴人大網健二には被害者AAさんのことで相談をしましたが、一度、牙を向いたような罵り調で、「あの時、あの男と車の事で喫茶店で会った時、あの男が一緒に連れていた女か」と吐き捨てるように言ったことがありました。

残念なことに具体的な言葉が思い出せないのですが、「あの男」とは言っていなかったにせよ、被告訴人安田繁克意外にはあり得ないような口ぶりでした。それは間髪をおかない反応でもあったと思います。

似たようなことは前妻との間にもありました。まだ正式には付き合っていないが、というような前置きで被害者AAさんとの関係を話した時のことです。電話での話だったと思うのですが、平成3年11月前半の可能性が高いと思います。

前妻は「あのチャラチャラした女やろ。ソバージュ掛けた。茶色い髪の女。」と憤慨したような口調で、即座に反応しました。

私は被害者AAさんが、パーマをかけたのも髪を染めたのも一度も見たことがなかったのですが、一時的にそういうこともあって、金沢市場輸送に給料袋を取りに来た時に姿を見たのかと、ちょっとだけ考えたのですが、そんな短期間に直毛に戻したり、髪を黒に染め直すはずはないと頭の中で否定しました。

ソバージュ - Google 検索 http://bit.ly/1keMbuY

確認を兼ねて調べてみたのですが、ソバージュと言ってもいろいろなタイプがあるようです。平成の初期の私の世間的イメージでは、相当にチリチリのインスタント焼きそばの麺のような髪型というイメージがありました。

今考え直してみると、前妻は谷口さんと勘違いしていたのかもしれません。谷口さんのことは、これまでにも少しは書いたことがあるかもしれませんが、出していても匿名にしていると思います。

別にかなり重要な事実に関わる人なので、公益性とのバランスも考えて、あえて実名記載に切り替えます。

谷口さんは女性事務員でした。いつ頃から会社にいたのかはっきりとは思い出せないですが、被害者AAさんの姿を金沢市場輸送で見るようになる、かなり前からはいたように思います。ただ、西念町に事務所があった頃には、姿はなかったように思います。

歳のことは聞いていなかったと思いますが、自分よりはけっこう年上だとは思っていました。私が25歳ぐらいの時のことです。二十代の終わりから三十代前半といったところでしょうか。推定ですが。年配という話も聞いたことはなかったと思います。

暇を持て余している時に、何度か話をしたことがありました。当時は女性として余り意識もしなかったですが、後になって思うと、豊満で色っぽいところもあったかな、という気もします。独身じゃないような話は少し耳にしていたと思いますが、家族の話などを耳にすることもありませんでした。

話をすると、被告訴人竹沢俊寿会長の夫人について、息が詰まるとか愚痴のようなことをこぼしていたことを憶えています。けっこう日頃の不満を溜めこんでいるようにも見えました。経理とか事務に関しては厳しいところもあったようです。

夫人は運転手に対して睨みをきかせるようなことはなかったですが、ことお金の問題に関しては被告訴人竹沢俊寿を尻に敷いて抑えこむ性格とも聞いていたので、そういう一面が出ていたのかもしれません。

私から見れば、西念町の事務所にいた頃の夫人というのは、無口で無愛想。事務所にいるときは机に向かって仕事をするだけで、無表情でもあったと思います。常になみならぬ不満を抱えているような感じにも見えていました。経営がそれだけ危機的状態とも聞くことはありましたが、暗かったです。

事務所が二口町に移ると、事務所も広く明るい日差しが全体的に入るようになりましたが、夫人も別人のように明るく穏やかな顔を見せるようになりました。移転してからは夜の片町での飲み屋の仕事もやめて事務に専念するようになったと聞き、常時事務所にいるようになっていました。

時刻は7月26日10時17分になっています。昨夜は久しぶりにテレビをつけたまま朝まで寝ていました。夜中に目が覚めたのですが、テレビを消さないうちにまた寝てしまいました。天気が良いです。気温がかなり上がると昨日予報が出ていました。

今日は一つ気になっったツイートをご紹介してから項目を新しくして続きを書きたいと思います。

深澤諭史 (fukazawas)さんはTwitterを使っています https://twitter.com/fukazawas

2014-07-26-101617_深澤諭史 (fukazawas)さんはTwitterを使っています.jpg pic.twitter.com/vVbQIP8rUJ

リツイートしているだけでブロックされた実名の弁護士ツイッターアカウントです。トップにツイートを固定していますが、共著で出版した本の紹介をしているようです。

また,ネット上でまことしやかに流れる「神話」「デマ」についても徹底解説しています。 ← とも書いていますが、やたらと改行を入れています。Twilogでも初めの改行以下は全部切り捨てになる仕様なのですが、仕様上、運用の場面によっては他にも支障が出そうです。

フォロワーが974件ということに先ほど初めて気がついたのですが、自著まで紹介していてフォロワーが千に満たないとは、社会的にどんな評価を受けたのかと考えてしまいました。弁護士のアカウント全体にも通じる傾向ではありますので、参考にご紹介しました。

2014-07-26 土 10:34> [ ←これまでの記述範囲の終了時刻]]

* DONE 宇出津あばれ祭りでの被告訴人KYNとの再会と、モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)に対する刑事告訴について 2014年7月26日

    CLOSED: [2014-07-30 水 10:20]

2014-07-26 土 10:40> [ ←これからの記述範囲の開始時刻]]

昨日は、被告訴人竹沢俊寿の夫人について書いているところで中断したようです。続きを書く前に、ここ数日のモトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)のツイートを記事にしたものを紹介しておきたいと思います。百聞は一見に如かず、という意味でも是非と思いました。

どうも十分に記事を作成していなかったと気がついたのですが、改めてモトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)のツイートを見ると、ここ一時間ほどで、さらに注目の展開になっていました。弁護士としての仕事を増やしたいのかと勘ぐりたくもなるのですが、巻き込み型の手法も窺えます。

世の中には、頭のいい人と悪い人がいるな、と感じる今日この頃でありますが、 それは学校の成績とかではなくて、想像力の問題だと思う/矢部善朗弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/blog-post_4.html

はどうして自分の子供の写真を公開しているのだろう?理解に苦しむ/矢部善朗 弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/blog-post_87.html

ヤメ検だからと言って無罪をとれるわけではない。いわゆる大物だったとして も。要は、証拠の強弱。/矢部善朗弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/blog-post_70.html

法的責任を追及されないようにして他人を批判している竹野内氏は、明らかに匿 名アカウントですね。/矢部善朗弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/blog-post_27.html

暴力団は怖いと言われるが、弁護士の仕事との関係では、暴力団幹部の人達はそ れほど怖くない。/矢部善朗弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/blog-post_52.html

このツイートから分かることは、竹野内氏が自分の住所を知られるのをとても恐 れていること。つまり、自分の弱点を晒していること/矢部善朗弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/blog-post_99.html

本当の危険は、自分にメンションを飛ばしてくる人とは別の場所にいるのに な。/矢部善朗弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/blog-post_89.html

なかなか興味深い論理ですね。自分の行為を正当化するためなら子供に危険が生 じてもかまわないんですかね?/矢部善朗弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/blog-post_80.html

は海水浴を強制力のある法規制でやめさせるべきだと言うのだろうか?けっこう 人が死んでるんだけど。/矢部善朗弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/blog-post_26.html

自己批判というものを全くできない人が何人も目に付くツイッターワールド。ツ イッターの可視化力ってすごいな。/矢部善朗弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/blog-post_54.html

相変わらず、小倉先生以外には誰も言いそうにないツイートだな。/矢部善朗弁 護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/blog-post_64.html

相手が変なことを言っているかのように印象づけようとすると、自分が変なこと を言ってしまう、という典型だな。/矢部善朗弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/blog-post_69.html

というか、何かというと法律で強制するという考え方が愚策なんですよ。強制と いうのはペナルティを課すことですよ。/矢部善朗弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/blog-post_40.html

というか、何かというと法律で強制するという考え方が愚策なんですよ。強制と いうのはペナルティを課すことですよ。/矢部善朗弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/blog-post_41.html

警察が捜査することにはならないな。事件性がないもん。被害届も受理されてな いようだし。/矢部善朗弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/blog-post_79.html

応対した警察官によりけりでしょう。/矢部善朗弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/blog-post_93.html

万一、誰かが捜査対象になるとしたら、直ちにカウンター告訴がありそうで す。/矢部善朗弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/blog-post_94.html

が警察に持ち込んだツイートのプリントアウトの中には、私のツイートも入って るのかな? 捜査対象にしてくれると、ちょっと面白いw/矢部善朗弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/w_26.html

今回はHootSuiteのアドオンを使って、廣野秀樹(@hirono_hideki)、告発-金沢地方検察庁御中_ツイッター(kk_hirono)、告発/告訴_金沢地方検察庁御中 - Google+、に同時投稿しました。

告発/告訴_金沢地方検察庁御中 - Google+ https://plus.google.com/u/0/b/100408804474159646499/100408804474159646499/posts

上記Googleページは、Googleのサービスだけあって、検索機能が強力という感じです。検索の活用に役立つこともあると思いますし、3列のタイムラインになるので、より広く情報を見渡しやすいかもしれません。

時刻は2014年7月27日13時50分です。11時ころからテレビで次の番組を見ています。

武器はテレビ。SMAP×FNS27時間テレビ - Yahoo!テレビ.Gガイド[テレビ番組表] ow.ly/zCF1G

もともとトーク番組というのは好きではなく余りみないのですが、番組の企画自体に関心も憶えたので、つけてみています。項目を新しくして昨日の続きを書きます。

2014-07-27 日 13:55> [ ←これまでの記述範囲の終了時刻]]

* DONE 宇出津あばれ祭りでの被告訴人KYNとの再会と、モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)に対する刑事告訴について 2014年7月27日

    CLOSED: [2014-07-30 水 10:20]

2014-07-27 日 13:56> [ ←これからの記述範囲の開始時刻]]

昨日は16前に母親のいる病院から電話があって、兵庫県のおじさんから荷物が届いているので取りに来るように連絡を受けました。同じ方向で時間的にも間に合いそうだったので、先に曽々木海岸の千体地蔵を見に行くことにし、バイクで出発しました。

話には聞いていたのですが、曽々木海岸の山を登ったのは初めてのことでした。神秘的というかそういう雰囲気は前から感じていましたが、霊山と書いてあったのでなるほどと思いました。

2,3ヶ月前になるかと思いますが、近いうちに千体地蔵には行きたいと決めていました。途中、柳田村でも写真を撮影しました。町野に向かって坂の左側に店があって、そこで母親の立ち話に付き合わされイライラしていたことなど幼い記憶にあるのですが、湯治場のような温泉に行った時のことです。

千体地蔵の近くには岩倉寺という寺があると聞いていたのですが、千体地蔵の戻りに寄ってみたところ、ずいぶんと古い建物で驚きました。高野山真言宗とも札に書いてありました。

それも幼い頃の記憶なのですが、母親が高野山に行くと何度も繰り返して言っていた時期があったのですが、一緒に高野山に行ったような記憶があるものの、ぼんやりとしていて夢の中のことであったような感覚として残っています。

夢の中の夢といえば、「胡蝶の夢」という言葉を思い出しました。

平成3年の11月から平成4年の2月頃に掛けて、けっこうな回数、和歌山県のかつらぎ農協にミカンを積みに行っていたのですが、大阪方面からかつらぎ町に行く手前に、高野山の案内板とかが道路に多く出ていて、その時も幼い頃の記憶を思い出していました。

高野山で撮った写真のようなものは残っていませんが、母親の高野山に行くという意気込みのようなものは強く印象に残っています。母親の意識がしっかりしているうちに、高野山に行ったのか、それはいつ頃だったのかと聞いておけばよかったと思います。

撮影した写真は今回もPicasaウェブアルバムに新規アルバムとしてアップロードしました。土曜日でしたが、他の人に会うこともなく、事実上の貸切状態でした。かなり暑くて予想以上に道も険しく、気温がもっと高く体調が悪ければ、熱中症で危険なことになったかもしれないと思いました。

2014-07-26/白雉山岩倉寺・千体地蔵・曽々木海岸 - 廣野秀樹 - Picasa ウェブ アルバム https://picasaweb.google.com/114099790846205945578/20140726

ずいぶん前のことなので、時期もはっきり思い出せないのですが、母親は輪島の「ねぶた温泉」で中居の仕事をする前、曽々木で中居の仕事をしていると話していたことがあったと思います。ちょうど孫の顔を見ていた時期、孫に会うのを楽しみにしていた時期とも重なりそうに思います。

私の母親は、私が小学校の六年生のときであったと思いますが、心臓発作を起こして死にかけたことがありました。それは織物工場の一泊旅行で、石川県加賀市の片山津温泉に行った時のことでした。

片山津温泉に行く前の日中には、小松市で地獄の洞窟のようなところを見物しました。怖い人形が洞窟の地下のようなところに展示されていましたが、地上に戻ると、お釈迦様が寝そべっている大きな像があったのも印象にのこっています。

「はにべ岩窟院」というような名前であったと思います。数年前に一度、思い出してネットで検索をした憶えがあるのですが、その時は情報や写真が出ていたと思います。石川県に住んでいても聞いたことがないですが、今でも残っているのではと思います。

ハニベ巌窟院 http://www.hanibe.com/

検索を掛けたところ、Googleのサジェスト機能で、やはりと思われる情報が目につきました。いつ頃の事件だったか思い出せなかったですが、2004年11月という情報を見つけました。

ハニベ巌窟院その5 http://www5f.biglobe.ne.jp/~punch-ht/chinsp/c023005.html 二代目院主が除霊と称して、水子供養に来た女性に猥褻行為をしたとして、強制猥褻の疑いで逮捕されてしまいました。

異様なオブジェが陳列されていたとのことですが、それは初めて知りました。行ったのは昭和51年と思われる一度だけでしたが、その時とは変貌もあるようです。小松の水子の寺院の住職が逮捕という記憶でしたが、ハニベ岩窟院とははっきりと記憶していませんでした。

そういえば国道8号線沿いで加賀市と小松市の境の辺りにも、かなり大きな施設で「珍宝館」のようなものがあったことを思い出しました。わいせつ物を陳列するようなテーマパークでしたが、長距離トラックの仕事をしていたので、県外でも似たような施設は目にしていました。

他にどこを回ったのかも記憶にないですが、片山津温泉のホテルで、宴会の後に母親が倒れたと聞かされました。ちょうどエレベーターの中でその話を聞いたような場面が記憶に残っています。

私が子供の頃、加賀温泉などのCMが多かったのですが、大きなビルの旅館というのは、たいていホテルという言葉が名前に含まれていたように思います。ホテルという言葉自体、最近は見かけなくなっているような気もしますが、旅館というと民宿に近いイメージもあります。

母親は加賀市大聖寺の病院に運ばれました。当時の宇出津の持木病院とよく似た感じの病院でした。個人名の病院だったと思います。今、ネットで大聖寺周辺の病院を調べたのですが、それらしい記憶にある病院名はなかったです。

その大聖寺の病院には昭和58年の秋に、被告訴人安田敏と一緒に行ったことがあり、その頃やっていた消火器売りの先輩の付き合いで行った時だったと思います。建物は昭和51年当時と変わらず、この病院だったのかと思いだしました。

母親が特に入院していたという記憶もないのですが、家に帰ってずっと布団で寝ていて、度々心臓発作を起こしては苦しんでいました。助からないのでは、長くはないのではと思っていたことを憶えています。

そのうち心臓発作もまったく起こらなくなり快癒したのですが、人づてに聞いた。川尻のお寺でお祓いを受けたおかげだと人に話していました。私自身、その川尻の寺には一度行った記憶があります。丘の上にある古くて小さな寺でした。

川尻の寺には続けて行くようなことはなかったと思いますが、母親の信心深さが確信的に強固になる出来事だったと思います。それ以降、中学生になると母親と一緒にどこかへ行ったり、行動することもほとんどなかったと思います。

川尻というのは当時の珠洲郡内浦町で、たぶん蛸島線の鉄道では、松波駅の一つ手前だったと思われます。小木経由で松波に行く時には通りますが、駅があった場所も今はわからないというか、考えたこともなかったです。

宇出津では見たこともないような古くて簡素な寺で、荒寺という印象が強く残っています。若くて真面目そうな住職だったという印象も残っていますが、その寺の話を聞くことも後にはなかったように思います。

寺というよりは、神社という感じの建物でした。たしか寺だと聞いていて、住職もお坊さんの姿をしていたので寺だったのだとは思いますが、田舎の村によくあるような小さい神社という印象が残っています。小高い丘の上という風景とともに。

昨日まとめて掲載し、紹介したモトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)のツイートに説明を移りますが、あらためてひときわ目をひいた言葉が、「想像力」でした。彼は好んでこの言葉をよく使っていると思います。

情報量も多すぎるので、インターネット上の情報をパソコンの画面として動画キャプチャし、それをYouTubeにアップロードしているところです。まもなく完了すると思います。

▶ ツイッター高度な検索 モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会) キーワード「想像力」_2014年07月27日16時25分47秒.mp4 - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=E-yFqTA09Mo&feature=youtu.be

たぶん初めてのキーワードでの検索で、結果を眺めながら動画として録画していましたが、キーボードでの画面のスクロールができず、戸惑った場面もありました。アドオンで特別なキーバインドをやっているので、それが裏目に出たのかもしれません。

結果を眺めながらでしたが、特に目を引くツイートが2件あったので、それをブログの記事としてAPIで投稿する状況も、同じように録画しました。次の二つの記事になります。

2014-告訴事件に関する司法・社会・世相・時代の参考情報/金沢地方検察庁御中: 知識も想像力も乏しい人が知ったかぶりをするのは、悲劇を通り越して滑稽です らある。でもそういう人が社会的影響力を持つと、笑って済ますことができない 悲劇/矢部善朗弁護士 http://hirono2014sk.blogspot.jp/2014/07/blog-post_91.html

2014-告訴事件に関する司法・社会・世相・時代の参考情報/金沢地方検察庁御中: 想像力が欠落した人が多いと、現実的冤罪被害者と将来的犯罪被害者を天秤にか けた場合、/矢部善朗弁護士 http://hirono2014sk.blogspot.jp/2014/07/blog-post_44.html

2つともAPIを使わずにHootSuiteから投稿しましたが、1つめはタイトルが長すぎて8文字超過になったので、先頭の一部分を削りました。

他にもいろいろあると思いますが、いちいち取り上げてあれこれ言っていてもきりがありません。ロースクールの教員をしていたというのも事実らしいので、人に教える立場、導く立場であったことも事実でしょう。

ありがたいことにわかりやすくTwitterのプロフィールに「H25.3までLSの教員もしてました。」と書いてあります。2013年の3月となりそうなので、先の二つのツイートはその教員時代のツイートということにもなりそうです。

私もその想像力で、モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)のこれまでの私に対する対応や発言が、不利益であったり悪い影響を受けかねないと考え、再考を促す意味も含めて、何度かメンションを送ったのですが、あくまで自分の都合でしか想像力を働かせるつもりはないようです。

これは立場的に、被告訴人KYNともよく似た立ち位置でもないかと思っています。そういうことで同じ項目のタイトル名に並べて書いてきました。モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)の場合は、インターネット上の関係のみです。

3,4日前になるでしょうか。探していた被告訴人KYNとの会話の録音ファイルを見つけました。やはりファイル名には録音の日時が含まれていました。本名を含めたファイル名になっているので、そのままここで紹介はしませんが、パソコンではなくネット上のサービスに保存したデータです。

それによると最後の会話となった被告訴人KYNの事務所での会話は、2003年1月11日のことで、3つの音声ファイルとして保存し、それぞれ15時台、16時台、17時台になっていました。最後の17時台のものは17時15分20秒と思われる数値の並びのファイル名になっていました。

保存時に日付や日時を自動でファイル名に含めるのは割とあることだと思いますが、やはり録音の開始時刻ではなく、終了した後の保存の時間と考えられます。1月の11日で、当日はどんよりした空模様だったという記憶もあるので、薄暗いかすっかり暗くなった時間だったとも思えます。

このデータというかファイルを発見するまでは、1月の10日頃ということを思い出してはいたものの、2003年の平成15年ではなく、2004年の平成16年のことではと考えていました。

野々市の100満ボルトでボイスレコーダーを買ったあとに、試しの録画をしたことは平成14年12月の20日頃のこととして記憶していました。これは派遣の仕事を初めてまだ日が浅い頃だと思っていたので、割と自信のある記憶でした。

その時のファイルだけなぜか時刻が含まれておらず。12月22日としかわからないのですが、そのWMAファイルをダウンロードして、視聴してみました。4分3秒という情報はプロパティからわかりましたが、Exif情報のような録音日時の情報は保持していないようです。

視聴してわかったことですが、初めに訪問した玄関先での会話の録音になっていました。穏やかで比較的歓迎ムードだったことを再確認しましたが、この時のものは思ったほど録音状態が良くなく、相手の声が小さくなっています。室内や車内とは違うことが影響しているのかもしれません。

昼ごはんの時間での訪問で、出直すと私が言っているのですが、出なおした訪問で家に上がって話をした時も、被告訴人KYNの妻の姿は見なかったようにも思います。たぶん外で食事を済ませてから出直したのだと思いますが、どこで食事を済ませたのかも記憶にはありません。

真脇温泉にいるという被告訴人KYNに電話を掛けて話をしたのは1月1日のことになっていました。(真脇)とファイル名に書いてありますが、16時10分56秒という時刻と思われる記述も含まれています。

被告訴人KYNが正月休みで帰省していた時、ということがわかりましたが、連絡をしたものの会ったという記憶もありません。その連絡の時点で私は、直接被告訴人KYNにあって、踏み込んだ話をするつもりでいたのだと思いますし、それが実現したのが1月11日ということになりそうです。

端末で文字ベースのカレンダーを表示するcalコマンドで確認したところ、% cal 1 2003というコマンドの実行結果では、2003年1月11日は土曜日になっていました。

当時の私の派遣の仕事は4日出て2日休みのローテーションだったので休みに曜日は無関係だったのですが、私が被告訴人KYNのところで仕事をしていた頃は、土曜日は常に仕事で、休みは日曜日だけだったと思います。正月明けでもあったので休みにしていたのかもしれません。

データはインターネット上にあるいわゆるクラウドサービスですが、そのままでは再生ができない様子で、ダウンロードする必要があるようです。再生して視聴すれば新たに思い出すこともあるかとは思いますが、他に済ませておきたいこともあるので、当面は保留ということにしたいと思います。

先に一つだけ言っておくと、その時の会見で最も意外に思ったのは、被告訴人KYNの口から姫のNKさんのことが出たことです。以前から付き合いがあるような話しぶりでもあったと思うのですが、その辺りはしっかり確認をしておきたいと思います。別れ際に近い時間に出た話とも記憶にあります。

時刻は7月29日7時11分です。昨日はまる一日お休みになったかと思います。気になることがあって結局手を付けることができませんでした。長崎県佐世保市での女子生徒殺害事件のことです。項目を新しくして続きを書いていきます。

2014-07-29 火 07:13> [ ←これまでの記述範囲の終了時刻]]

* DONE 宇出津あばれ祭りでの被告訴人KYNとの再会と、モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)に対する刑事告訴について 2014年7月29日

    CLOSED: [2014-07-30 水 10:20]

2014-07-29 火 07:15> [ ←これからの記述範囲の開始時刻]]

まずは今朝はじめに気になった話題です。江川紹子さんに関しては今後優先的に取り上げ書く予定でした。昨夜、Twitterで江川紹子さんがリツイートしていたもので知ることになった情報です。

津田大介 日本にプラス|報道|テレ朝チャンネル http://www.tv-asahi.co.jp/ch/contents/news/0004/

#34

北陸中日新聞のテレビ欄まで確認したのですが、ページをよく見るとCS放送とかで、通常のテレビ放送とは異なるようでした。有料放送なのかなと思いますが、関心もないのではっきりしたことはわかりません。どのぐらいの視聴者がいるのかも含めて。

わからないものをわからいまま済ませるのもなんだと思ったので調べたところ、CS放送とは、衛星放送やスカパーのことらしいです。どちらも聞いたことのあるものですが、縁もありません。視聴には機材も必要なようです。

CS放送って何?ケーブルテレビで見られるの - その他(テレビ番組) - 教えて!goo http://oshiete.goo.ne.jp/qa/2535255.html ← こちらに目を通しました。

昨夜も1時過ぎまで起きていましたが、6時過ぎに目がさめてテレビを見ていました。気になる事件の報道をみるためですが、自分のテレビには同時に複数のチャンネルを表示させる機能がないようなので、いちいちチャンネルを切り替えて内容を確認する必要があります。

視聴できるテレビは、NHK、NHKEテレ、石川テレビ、MROテレビ、テレビ金沢、HABです。MROは北陸放送ともいうはずで、HABは北陸朝日放送のことです。Eテレというのは以前のNHK教育テレビのことだと思いますが、ほとんど見ることはありません。

民放で4つのチャンネルということになるかと思います。ちなみに福井刑務所にいたときは福井市内でしたが、民放は3つか、あるいは2つだったように思います。能登より少ないとは感じていました。

今見ているのはMROテレビの「あさチャン!」という番組です。本当のことですが今日初めて知った番組名です。本来この時間は日テレ系のテレビ金沢で「ZIP!]という情報番組を見ることが多かったです。余り考えずにチャンネルを合わせていましたが、番組も雰囲気もいいとは思っていました。

現在私が注目をしている報道、事件は長崎県佐世保市での女子生徒殺害事件です。

「凶器は自分で買った」佐世保女子高生殺害 | NNNニュース http://www.news24.jp/nnn/news89084802.html

上記が現時点での最新の報道のようです。日テレNEWS24とあります。この事件の報道で気になることですが、日テレだけ会見をする校長の顔を写さないようにしていました。上記の記事もそうですが、事件の外観をなぞっただけの報道とも思えるものです。

【佐世保・高1女子殺害】「誰もがうらやむ」名士一家、母の死後、少女の生活激変 「頭よすぎ変わってる」+(2/2ページ) - MSN産経ニュース http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140728/crm14072812460007-n2.htm

時刻は11時25分になっています。主にテレビで佐世保の同級生殺害事件の報道を見ていましたが、加害者の父親の職業については出ていません。8時からはモーニングバードというテレビ朝日系の情報番組をみていました。

月曜日から土曜日までは8時から8時15分までNHK連続小説ドラマ「花子とアン」を毎回録画にしているので、それが終わってから日テレ系の「スッキリ!!」を録画しました。トップとして取り上げていないことは、8時直後に確認していました。

10時30分からはテレビ朝日系の「ワイド!スクランブル」という番組を見ていましたが、11時過ぎまで取り上げていたように思います。いずれも加害者の父親の職業については触れていませんでした。この一点が一番の関心事でもあります。

インターネット上では、事件の報道後早い段階で、加害者の父親が弁護士だと出ていましたし、長崎で一番大きな法律事務所という情報もありました。

当初は加害者被害者ともに父親が弁護士という情報も出ていたのですが、そのあと被害者の家族の職業に関する情報を全くみていなかったので、名前が同じ佐世保の弁護士のホームページを探して見たところ、娘はいないということや完全な誤解であることがブログの記事として掲載されていました。

猟奇的な殺人事件であるとともに加害生徒の家庭環境を含め、特異な事件、大きな社会問題として取り上げられています。ところが、弁護士の反応というのは鈍いようです。テレビの報道だけを見ていれば、同業者の家庭の事件とは気が付かないかもしれませんが。

その辺りも含めて、パソコンの画面を動画として記録にしましたが、光市母子殺害事件との関連、比較という辺りも私は意識しており、とても有意義な記録資料と考えています。一時停止をしながらご覧いただくことをおすすめします。

▶ 長崎・佐世保同級生殺害事件の報道と刑事司法に携わるジャーナリストと弁護士のツイッターでの反応の記録_2014年07月29日09時42分27秒 - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=uv_xzHDhI7c&feature=youtu.be 再生回数3回

2014-07-29-120409_再生回数 3 回.jpg pic.twitter.com/4XNnsRQV2I ← ツイッターで紹介していたのですが、再生回数が3回ということで、そういう状況もスクリーンショットとして記録しました。

マスコミまたはジャーナリストと弁護士の関係というのも、私がかねて重視してきた問題の一つですが、弁護士が与える子供や家族への影響というのも、ずっと考えてきたテーマでした。それは光市母子殺害事件に対する弁護士の取り組みと、反応が大きいところであったと思います。

また、その場がモトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)のブログでもありました。加害生徒は事件を起こした時、15歳で、その翌日か翌々日に16歳になったという報道です。学校の勉強も優秀で、東大を目指していたという報道も出ています。

時刻は7月30日10時14分になっています。昨日からテレビの録画に失敗するようになっていたのですが、ディスクがいっぱいになっていたことに気が付き、データの削除などやっていました。

2014-07-30 水 10:16> [ ←これまでの記述範囲の終了時刻]]

* DONE 宇出津あばれ祭りでの被告訴人KYNとの再会と、モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)に対する刑事告訴について 2014年7月30日

    CLOSED: [2014-08-02 土 06:42]

2014-07-30 水 10:18> [ ←これからの記述範囲の開始時刻]]

昨日は夕方に、久しぶりにアジ釣りに行ってきました。前日の夕方遅くに買い物に行く時、堤防に釣り人がいたので立ち寄ったところ、まずまずの大きさのアジが結構釣れていたのですが、期待ほどアジは釣れなかったです。

それでも一人で食べるには十分な量を釣ってくることが出来ました。色のきれいな美味そうなアジです。当日、ネットで綺麗な色のアジは紫外線の届かない海の深いところで生活していたもので、黒っぽいアジは海面近くを回遊していたので日焼けをしている、という情報がありました。

地元で人に聞いた話によると、ぬめりの多いアジほど味が良いという話を聞いたことがあります。昨日のアジは、久しぶりにそのぬめりの強い、粘液状のしずくのたてるアジでした。宝石のように輝いて見えるアジです。

今、テレビのワイド!スクランブルという番組で、青酸化合物の不審死を取り上げています。京都で起こった事件のようですが、警察が2年前の事故死を調べ直し血液から青酸化合物を発見したとか。疑われている女性が顔をぼかし、音声を変えてインタビューに答えていました。

女性と知人だったということがわかり、再捜査を開始したとのことです。心臓発作による交通事故死として処理されていたとのこと。

11時58分です。アジフライを揚げ始めるところです。昨夜のうちに捌いていたのですが、手間もかかり、一人で食べるには多すぎる量です。どうしてものかと考えてしまいますが、醤油の甘酢につければ、明日も食べられそうです。

時刻は7月31日9時51分です。今日はちょっと頑張りたいと思います。先に進めるために。

2014-07-31 木 09:52> [ ←これまでの記述範囲の終了時刻]]

* DONE 宇出津あばれ祭りでの被告訴人KYNとの再会と、モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)に対する刑事告訴について 2014年7月31日

    CLOSED: [2014-08-02 土 06:42]

2014-07-31 木 09:55> [ ←これからの記述範囲の開始時刻]]

昨日は夕方にU-NEXT<ユーネクスト>というビデオ配信で「ブタがいた教室」という映画をみていました。次がその映画に関する情報を私が記事にしてものです。引用とURLの紹介になっています。

『ブタがいた教室』(ブタがいたきょうしつ)は、黒田恭史の書籍『豚のPちゃ んと32人の小学生 命の授業900日』(ミネルヴァ書房 2003年)を原案とした、 2008年11月1日公開の日本映画である。,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/p-32-900-2003-2008111.html

文字数超過なのでHootSuiteから投稿したところ、たまたま次のツイートが目につきました。ツイートそのものではなく、私がツイートを引用してブログの記事にしたものです。データの整理、活用のためにもそうしています。

少年事件で警察発表の情報を毎日垂れ流すマスコミって阿呆ですか。供述が捜査 官の作文である可能性を考えたことないんですかね/弁護士柴田幸正,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/blog-post_58.html

見ての通りの実名弁護士で、居住地らしい場所もプロフィールには掲載されています。Twitterのプロフィールの方も、スクリーンショットに撮っておきましょう。

2014-07-31-105458_弁護士 柴田幸正 (yukimasashibata)さんはTwitterを使っています.jpg pic.twitter.com/w5jt3ZYDRY

数日前に次のツイートを見たところで、注目していた弁護士でしたが、忘れかけていた頃でした。スクリプトにも登録していなかったのですが、今朝になって登録しました。登録してまとめて記事を作成しました。

2014-07-31-105957_佐世保の事件で加害者の父親叩きが始まってるようだけど、.jpg pic.twitter.com/gR0XNl4fMy

2014-07-31-110050_毎度毎度のことで本当に進歩がない世論だなとガッカリする。.jpg pic.twitter.com/Y8IXsdt3EH

上記スクリーンショットは、返信の部分が一画面に収まらなかったので2つにわけました。私の返信も出ていますが、ツイートと同じで7月28日の日付になっていました。3日前ということになるかと思います。ツイート自体のURLも次に掲載しておきます。

Twitter / yukimasashibata: 佐世保の事件で加害者の父親叩きが始まってるようだけど、毎度毎 ... https://twitter.com/yukimasashibata/status/493601448060399616

Twitterの場合、タイトルと本文の区別がなく、140文字以内の投稿となっているので、取得するページタイトルも上記のような仕様になっています。かろうじて内容の識別ができそうですが、後段に意味があっても反映できないことになります。

そういうこともあるので、私はブログの記事として引用するようにしています。埋め込みコードはTwitterによって取得できるようになっています。

2014-07-31-111827_ブログに投稿するスクリプトの第一引数(対象者もしくはテーマ指定)設定部分のソースコード.jpg pic.twitter.com/z4wVMwM8PF

上記のスクリーンショットで端末にカーソルのあるあたりが、本日追加した部分です。このスクリプト自体は、他のスクリプトから呼び出す形で実行するようになっているかもしれません。けっこう前に作ったので、記憶が薄くなっているところもあります。

そのスクリプトを使ってブログの記事として投稿したものを、次に列挙してご紹介しておきたいと思います。タイトルの部分を長くしているので、本文を見なくても大体の内容はわかるかと思いますし、私がポイントを置きたい部分を使っています。

少年事件で警察発表の情報を毎日垂れ流すマスコミって阿呆ですか。供述が捜査 官の作文である可能性を考えたことないんですかね/弁護士柴田幸正,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/blog-post_58.html

法的に無理な内容の相談なら「法的に無理」って言ってあげるのが本当の法律相 談なのに、「ウチじゃ無理、他に行きなさい」とか答えるのって、弁護士の意味 ないだろ/弁護士柴田幸正,http://bit.ly/1rJc7hi

女子生徒に会ったこともない臨床心理士。こんなにもっともらしいことを記事に までしちゃって、名前は出せないんじゃ無責任の極み。/弁護士柴田幸正,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/blog-post_891.html

まぁ馬鹿みたいに取材しまくって話を真に受けて垂れ流し。事件の後に街を荒ら してるのがマスコミだって何で判らんのかね/弁護士柴田幸正,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/blog-post_254.html

市民の感情が裁判に反映されるなんて、法治国家のやることじゃない。/弁護士 柴田幸正,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/blog-post_372.html

日弁連からのアンケート依頼、あまりにめんどくさすぎる割に何の役に立つかサ ッパリ分からんので廃棄した。/弁護士柴田幸正,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/blog-post_127.html

忙しく仕事してる弁護士には到底回答不能なアンケート出して、何がしたいんだ ろう。執行部って仕事してない人間の集まりなんだろか/弁護士柴田幸正,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/blog-post_589.html

マスコミってこういう情報を誰から仕入れるんですか?まさか、同級生じゃない ですよね?精神的ショックを考えて取材してるんですよね?/弁護士柴田幸正,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/blog-post_805.html

佐世保の事件で加害者の父親叩きが始まってるようだけど、毎度毎度のことで本 当に進歩がない世論だなとガッカリする。/弁護士柴田幸正,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/blog-post_739.html

以前、別の事件(尼崎の連続変死事件)で、似たようなツイートをする実名弁護士は見たこともありましたが、共通して見受けられる弁護士の社会的対応、社会認識の論理・思考パータンとしてもわかりやすく、参考になるのではと思います。100%のデタラメとは思いませんが。

時刻は14時51分になっています。さきほど洗濯も終わったところですが、けっこう暑くっていまひとつ集中できません。同時に小倉秀夫弁護士のツイートを見て、改めてやきれない気持ちになりました。デタラメというか言いたい放題、理解を超えた弁護士ですが、やりきれない気持ちにさせてくれます。

先ほどご紹介した柴田幸正弁護士、このあとにご紹介する鹿児島大学准教授でもある弁護士との、比較の上でも、さきにここ数日の間、私がブログの記事にしたものをご紹介しておきたいと思います。比較的、常識的にはまともな方かと思います。小倉秀夫弁護士(@Hideo_Ogura)の場合。

実際、「国選弁護専業で年収600万」とか、よほど手抜きをしないと実現できな い報酬体系は依然維持されたまんまだし。/小倉秀夫弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/06/600.html

ろくな報酬をくれない国選弁護でまともに無罪立証してしまうと、労働生産性は 低くなります。それを既得権益と呼ぶのですか?/小倉秀夫弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/06/blog-post_8531.html

「私が被疑者・被告人となったときは、被害者の望む刑罰を私に加えてくださ い」と望む人は平時に事前登録しておく仕組みってできないかなあ。被害者への 配慮こそ最重要という人も/小倉秀夫弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/06/blog-post_3758.html

富裕者を起訴すると有能な私選弁護人がついて無罪となる危険が高まるが、貧乏 人を起訴しておけば国選弁護人が/小倉秀夫弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/06/blog-post_7087.html

生活に余裕がある弁護士がプロボノとして国選を担ってきた時代から、生活に困 った弁護士が事務所維持の柱として国選弁護を担う時代に移行/小倉秀夫弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/06/blog-post_3617.html

健康保険を使用する診療だけの開業医と同じ程度の所得を、国選弁護専業の開業 弁護士がえられないなんておかしいよね/小倉秀夫弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/06/blog-post_1436.html

この種の「弁護士憎し」系の人の目指すポイントってよくわからないんだな あ。/小倉秀夫弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/06/blog-post_7481.html

地元の単位会やそこに所属する弁護士に負担させず、弁護士も市場で淘汰される べきと言ってきた人に負担していただきたいですね/小倉秀夫弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/blog-post_3.html

しかも、その場合、裁判官についても馬鹿が増えるということになりますし ね。/小倉秀夫弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/blog-post_8814.html

自分に生命保険をかけた上で自殺してこれをチャラにする仕組みだけ確立してお けばよかったんですかね/小倉秀夫弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/blog-post_8270.html

誰も救われなかった?この人は現実が見えていないんですね。/小倉秀夫弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/blog-post_4136.html

解放され、人によっては払いすぎたお金の返還すら受けたのに、なんで多重債務 者が食い物にされたことになるのかね/小倉秀夫弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/blog-post_7592.html

「撃ち殺した敵の数だけAKB総選挙での票を得られる」ルールを採用すれば、前 線配備を希望する男たちで/小倉秀夫弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/akb.html

「お前らの人権をもっと制限しやすくするぜ。もっと義務を押しつけるぜ。もっ と俺たちの道徳を押しつけるぜ」という改憲案が通るとどうして思えるのか不思 議です/小倉秀夫弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/blog-post_9209.html

なんで皆さん、自分で実践する気のない道徳律を、公教育に押し込み、他人の子 どもに強要しようとするのですか?/小倉秀夫弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/blog-post_1654.html

あれだけ三木弁護士を個人攻撃しておいて、何を言っているのだ?東大ではあれ が通用するのか?/小倉秀夫弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/blog-post_88.html

決めつけて特定の弁護士の個人攻撃に走るって、光市母子殺人事件の時に経験し ているわけですよね、弁護士業界では/小倉秀夫弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/blog-post_92.html

多くの弁護士は、相手方に弁護士が付いてくれることは大歓迎なんですけど ね。/小倉秀夫弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/blog-post_97.html

国内向け弁護士なら軽々。RT /小倉秀夫弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/rt.html

そんなことをするのは国内向けの弁護士さんだけかも知れませんね。/小倉秀夫 弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/blog-post_434.html

冤罪でもないのに刑事弁護をする弁護士がいたら法曹資格を剥奪すべきというこ とになるのですかね。RT /小倉秀夫弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/rt_30.html

博士論文で剽窃を行った疑いがもたれただけで人権が認められなくなるこの国で (以下略)RT/小倉秀夫弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/rt_82.html

僕ら「日本国内向けの弁護士さん」は、そのことで東大准教授に馬鹿にされる謂 れはないんだよね。/小倉秀夫弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/blog-post_378.html

東大にいると「日本国内向けの弁護士さん」って低レベルの存在だと信じ込める のですね。RT/小倉秀夫弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/rt_48.html

しかし、その方が「リーガルサービスに市場原理の導入を求めた」社会のニーズ には合致するのです。RT /小倉秀夫弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/rt_22.html

みんなで楽しくお気軽に特定のターゲットを糾弾しているのに水をさしやがって という逆恨みはよく受けます。RT /小倉秀夫弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/rt_63.html

守秘義務のある事項について回答すれば守秘義務違反ですね。聞いた側の記者を 幇助犯として処罰できる場合については、最高裁判例による縛りがあります が/小倉秀夫弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/blog-post_885.html

「不利益を課せられるべき人にこそ、弁護士によるサポートが必要だ」というこ とは、大学関係者には理解していただきたいものだ/小倉秀夫弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/blog-post_630.html

時刻は17時20分になったところです。上記のブログのリンクは、全てHootSuiteで3つのアカウントに投稿しました。確認したところリンクになっていたので小倉秀夫弁護士にメンションも入ったものと思われます。

2014-07-31-172318_リンクになっていたので小倉秀夫弁護士にメンションも入ったものと思われます.jpg pic.twitter.com/RTCTp64IFV

ちょうど丸一日ぐらいになりますが、「ブタがいた教室」という映画を見終わり、エンディングが終了する直前に、次のツイートが目に飛び込んできました。

2014-07-30-180011_何が得られるのだろうか?事件の真相に迫ると言いながら視聴率ほしいだけじゃないの?.jpg pic.twitter.com/8Y3sGw2KJZ

ちょうど18時に記録されたスクリーンショットのようです。ツイート自体は、その少し前に見て、内容を読んでいたはずです。

坂本正幸弁護士はだいぶん前から注目しているツイッター上の実名アカウント弁護士ですが、たしかyahooニュースで、コメントをしたことがきっかけでブロックされるようになった弁護士だと思います。

昨日は、坂本正幸弁護士のツイッターでタランテラの話題を取り上げていたことから、プロフイールに鹿児島大学准教授とあったことを思い出し、確認したところ、他に3つのロースクールで講師をしていたと書いていることにも気が付きました。次は確認と記録のスクリーンショットです。

2014-07-30-181748_元東大ロー。元島根大ロー、元日大ロー講師。鹿児島大学准教授。.jpg pic.twitter.com/uWnfg6ZTui

2014-07-30-181846_【びっくり】鹿児島大学で毒グモ“タランチュラ”捕獲.jpg pic.twitter.com/1XsuVvJsvF

大事なことは勘違いや誤記を避けるためにも、スクリーンショットで記録をとるようにしています。記憶にあるはずの新聞記事が図書館で見つからなかったこともありますが、情報を探すのに手間取ったり、時間が経つと記憶が曖昧になって、間違った取り扱いをすることで、迷惑を与えないとも限りません。

思ったほど多くはなかったので、最近の500件のなかから取得した坂本正幸弁護士に関する記事を、まとめてご紹介したいと思います。

まずは自分たちの業務の領域を守ることだろう。/坂本正幸弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/06/blog-post_867.html

法曹に職業としての魅力があるということをどうやってアピールするかが業界に 優秀な人材を確保するためには必要だろう/坂本正幸弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/06/blog-post_1349.html

法曹の魅力というと自営業で人に使われないということだが、これはリスクが大 きいということである。/坂本正幸弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/06/blog-post_8026.html

ないことが証明できないのは当然で、誠実な科学者であればそれを断言はしな い。 0.0001%でもあるとしたら、ないというのはウソをつくことになる か/坂本正幸弁護士,http://bit.ly/1n5OsTV

でも裁判ってもともと真相解明のための手続きではなくルールに従って裁判所が 目の前の事案を判断するだけのもの/坂本正幸弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/blog-post_5.html

全事件可視化しかないな。/坂本正幸弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/blog-post_7259.html

ダメ、というのが私の意見。国が放送に関わる時点でダメよ。/坂本正幸弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/blog-post_2491.html

と自称する人たちから唱えられるのを見ると、人権って概念が浸透していないこ とを痛感する/坂本正幸弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/blog-post_3253.html

人権や社会正義のために働きたいから弁護士に、という人がいるからかみ合わな いんだな/坂本正幸弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/blog-post_7942.html

準備書面で不利益陳述をしてしまったが、あれは草稿だったので差し換えます、 と相手が援用してから言えるとかだとほんとに冗談の世界だな/坂本正幸弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/blog-post_7713.html

「もうそうなったら弁護士に聞くしかないでしょ」/坂本正幸弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/blog-post_5680.html

指導教授も懲戒処分にされるべき案件だがそれを避けたかったためのお手盛りで はないかと思われても仕方ないぞ/坂本正幸弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/blog-post_2184.html

学問を守るなら。/坂本正幸弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/blog-post_2702.html

この調査委員会の判断が日本の科学をすべて殺したと歴史上言われる日がくるの だろうか。/坂本正幸弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/blog-post_3683.html

時事ドットコム:「学位取り消し該当せず」=小保方氏の博士論文-早大調査 委/坂本正幸弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/blog-post_5822.html

生きたまま切断は猟奇殺人だが殺してから切断はそうでもない。 報道があまり 煽らないほうがよいだろうな。/坂本正幸弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/blog-post_90.html

特別な理由を探す人がいるけど単純な理由であることのほうが多い。/坂本正幸 弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/blog-post_45.html

噂では業界内の人らしいが、ちゃんとしてない人はわりと多い印象。/坂本正幸 弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/blog-post_46.html

何が得られるのだろうか?事件の真相に迫ると言いながら視聴率ほしいだけじゃないの?/坂本正幸弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/blog-post_62.html

タランチュラで全国ニュースになるとはおもわんかったなぁ。/坂本正幸弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/blog-post_55.html

まあ義務はないだろうねぇ。/坂本正幸弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/blog-post_77.html

無償奉仕しろって業界に行きたいなんて奴はおらんから、法学部が衰退していく のはしかたないとかになってしまうぜ。/坂本正幸弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/blog-post_511.html

一種の障害だな。医療的な措置が選択されるのではないか。/坂本正幸弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/blog-post_969.html

法律事務所でも似たようなとこあるよなぁ。/坂本正幸弁護士,http://hirono2014sk.blogspot.com/2014/07/blog-post_63.html

上記はすべてAPIで投稿しました。一つだけ文字数超過だったので、短縮URLを使いました。現役弁護士というだけではなく、鹿児島大学准教授ということなので、ロースクールの講師という経歴を含め、教育者という一面もありそうです。

2014-05-28-144157_FBのほうだが、刑事弁護を泥棒神社のこと?とか書いてきたやつがいたのでブロック。.jpg pic.twitter.com/XPw6c8GaGs

上記はスクリーンショットですが、ブログの記事にし忘れているうちに、ツイートが削除されたみたいです。きっかけは,PC遠隔操作事件に関するyahooニュースでのコメントでした。その件で、私はFacebookのアカウントでその記事に対するコメントができなくなりました。

Facebookのアカウントもブロックされたらしく、坂本正幸弁護士のコメントもFacebookでログインした状態では閲覧ができなくなっていました。

十分な確認はしていませんが、yahooニュースでの、私のFacebookアカウントでのコメント自体が、できない規制になっているのかもしれません。最近は見かけていないですが、ジャーナリスト江川紹子さんもyahooニュースで記事をよく書いていました。

経緯及び社会の反応/坂本正幸弁護士/FBのほうだが、刑事弁護を泥棒神社のこと?とか書いてきたやつがいたのでブロック - 廣野秀樹 - Picasa ウェブ アルバム https://picasaweb.google.com/105782624485753679454/FB

スクリーンショットは上記のPicasaウェブアルバムにまとめてありますが、添付で提出予定のデータファイルとしても保存しております。Wikipediaパソコンではなく、LinuxなのでUNIXスタイルのパスになりますが、次のようにファイルシステムに保存しています。

 ~/kk_hirono/経緯及び社会の反応/坂本正幸弁護士/FBのほうだが、刑事弁護を泥棒神社のこと?とか書いてきたやつがいたのでブロック

Windowsパソコンでは¥がパスの区切りになっていると思いますが、UNIXは半角のスラッシュです。半角のスラッシュはファイル名にもディレクトリ名にも使えず、プログラム的に処理するときエラーが出る可能性も高いので、Picasaウェブアルバムのアルバム名では全角に置き換えています。

ほどほどの数なので、ディレクトリに保存されているファイルを次にご紹介してみたいと思います。

2014-05-29-111748_通常の事件は着手金315000円~ 報酬も315000円~となります。 詳しくはお問い合わせください.jpg